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  • 夏の自由研究、完結す。

    (カラフルVSカラフル@伊田商店街)石炭博物館の帰り、伊田の商店街の入口で平成筑豊鉄道の列車を待つ。カラフルなアーケードの横を、直方行きのNDCが通り過ぎて行く。アーケードの奥には、店の名前を記した行灯が連なっている。時刻は夕方少し前、昭和の時代の伊田商店街ならば、あちらこちらに夕餉の材料を買い求める筑豊の奥様方の姿があったのだろう。そういう人たちはどこへ行ってしまったのか・・・と問われると、そのままお年を召されて、もう駅前の商店街をブラブラするような気力はないのかもしれない。直方同様、この街も商業の中心地は国道201号の田川バイパス沿いに立つ「サンリブ田川」というショッピングセンターを中心にしたロードサイドに移っている様子。そもそも田川市、1989年(平成元年)の人口5万8千人から2024年(平成6年)...夏の自由研究、完結す。

  • 大いなる筑豊、日本を支えたエネルギー。

    (筑豊の中心地・田川へ@田川伊田駅)降り出した雨の中を、筑豊の中心地・田川へ。田川伊田駅では、日田彦山線と連絡します。平成筑豊鉄道は、直方から金田を通って田川伊田までが伊田線、田川伊田から油須原を通って行橋までが田川線と路線名称が変わります。国鉄時代は田川線と伊田線で運行は分かれてたんですけど、基本的には直方から行橋までの通し運行となっているようです。ホームには、直方方面行きの列車を待つ乗客と、「炭坑節発祥の地」の看板。「♪月が出た出た月が出た、サノヨイヨイ」の炭坑節ですよね。子供の頃の盆踊りの定番ソングですけど、炭坑節って「♪月が出た出た月が出た、サノヨイヨイ」に続く歌詞は「♪三池炭鉱の上に出た」だよね?大牟田の三井三池じゃなくて田川なの?・・・と思って調べたところ、炭坑節は元々は田川の炭鉱夫たちに唄わ...大いなる筑豊、日本を支えたエネルギー。

  • 炭都筑豊、雨に滲んで。

    (筑豊の玄関口@直方駅)遠賀川に沿って広がる直方市は、筑豊地方の玄関口とも言える存在の街。直方や飯塚を中心にかつては石炭というエネルギーで日本の近代化を支えた筑豊炭田は、石油へのエネルギー転換によってその役目を終えましたが、現在は、北九州市や福岡都市圏のベッドタウンとしての役割が中心となりましょうか。駅は新しく建て直され、市の中心としての存在感を誇っていますが、かつての直方駅は石炭貨物用の多数の側線と、筑豊線区を走る気動車を統括する直方気動車区を擁し、筑豊の鉄道の要ともいうべき存在でした。今の駅舎が建っているスペースとこの広いバスターミナルも、以前は石炭やセメントを満載した貨車がたむろする側線が広がっていたそうです。筑豊本線は、明治の殖産興業の時代から筑豊炭田で産出された石炭を若松の港へ運び出す大動脈で、...炭都筑豊、雨に滲んで。

  • 博多を目指した、夢のあとさき。

    (揃いの色で@今池電停)電車から降りて来たお母さんの日傘の色と、電車の色が揃っていた今池電停。八幡東区の住宅街を、線路は南へ走ります。萩原電停の周辺とは違って、この辺りは比較的新しく開かれた住宅街のようで、若年層やファミリー層の利用も目立ちます。筑豊電鉄は、北九州の屋根とも言える皿倉山・帆柱山と、遠賀川の間に広がる丘陵地を直方に向かって行きますが、標高は30m~50m程度とそこまで高くないものの線路は案外とアップダウンが多い。そして、意外なのは踏切が少なく立体交差になっていること。永犬丸、三ヶ森あたりの道路と鉄道の整理状況は、流石に政令指定都市という感じがする。見た目は路面電車でも、れっきとした「鉄道」である筑鉄の面目躍如といったところでしょうか。西山電停付近。30‰に近い勾配を黒崎駅前行きの電車が登って...博多を目指した、夢のあとさき。

  • 昭和がピークの街の姿。

    (街を守るかマーケット@萩原電停)強烈にムシムシとした空気、とうとう雨が降り出して、空もご機嫌斜め。冷房の効いた車内から出るのも億劫だったのだけど、黒崎駅前から三つ目の萩原電停で下車してみる。北九州市の中でも八幡西区は一番人口の多い区で、黒崎・折尾地区と筑豊電鉄の沿線を包含する北九州市のベッドタウン。筑豊電鉄はそんな八幡西区の住宅街を走って行きます。萩原電停は住宅街の真ん中を突っ切る道路を挟んで互い違いの位置に設置されていて、電停の前には昭和の時代から建っているであろうスーパーがあった。「萩原生鮮食品マート」の看板が見える。段ボールが山積みにされて店内が見えないのだが、中を見ると昭和40年代の団地に併設されたスーパーそのまんまであった。北九州市、平成の入口では100万人を超える人口を有していましたが、今で...昭和がピークの街の姿。

  • 北九州のインターアーバン。

    (夏の朝、那珂川を往く@井尻~大橋間)最近はちょっと資格試験なんかの勉強をしなくてはならなくなって、勢いブログなんかを書いている暇もない。それに加えて仕事も毎日21時までの残業続きで、平日はほとんどパワーが残らない生活が続いております。そうなると、8月の話がダラダラ続いてしまうのだけど、夏の九州遠征3日目は朝の西鉄那珂川橋梁から。福岡市内の便利の良さそうなところに宿を取ろうと思ったのだが、最近のインバウンドの影響なのか天神も博多周辺もまあ高いんだよね。円/ドル150円時代は多少高くても外国人からふんだくっちゃえってのは分かるけど、そもそもの値付けが強気。そのため、ちょっと中心街から離れた西鉄大橋駅からバス便の温泉旅館に宿泊しました。旅館って言っても地下に温泉のある3DKのマンションって感じで、一人では広す...北九州のインターアーバン。

  • カルミンカラーの渋いヤツ。

    (矢部川夕照@西鉄中島~江の浦間)もうちょっと矢部川の話。西鉄随一の撮影地である矢部川の鉄橋で、5000形の急行が撮影したくてずーっと待ってたんだが、待っていればなかなか来ないもので、矢部川にその姿を現したのは大牟田行きの特急の4本目。サクサクッと捕まえて、さっさと大牟田で居酒屋に入って冷たいビールでも飲もうかと思ってたんだが、特急が30分に1本なので捕まえるのには結局2時間かかったことになる。5000形の特急なんていつでもどこでも見れるもんじゃないの?と思わせておいて、3000形とか6000形が結構混じるんだよね。ここまで来て撮れないで終われんだろう!と思って待ってたんだけど。しかしまあ、何が言いたいかって言うと昭和50年代の車両が現役バリバリで最優等列車にぶち込まれてるのホントいいですよね。矢部川に茜...カルミンカラーの渋いヤツ。

  • 潮の香、海苔の香、矢部川へ。

    (船のイメージ・・・?@西鉄中島駅)柳川の街から普通電車で10分、柳川市の南の端にある西鉄中島駅にやって来ました。駅の大牟田側で矢部川を渡るため、堤防の高さに合わせた高架駅になっています。駅は船を模したのか丸窓がつけられており、この窓の部分が駅員さんの詰所になっていたようですが、既に現在は無人駅になっております。建物で言えばホーム部分は3階にあたりますが、駅にはエスカレーターもエレベーターもありませんで、バリアフリー的には難がある構造になっています。大善寺以南の西鉄電車の駅は普通列車が30分に1本の閑散としたダイヤですが、西鉄中島の駅は700人/日程度の利用がありますから、周辺の普通列車しか止まらない駅に比べれば多い方ですかね。矢部川を渡って行く6000形の大牟田行き特急。西鉄中島駅は、西鉄電車の名撮影地...潮の香、海苔の香、矢部川へ。

  • 筑後の水都、夏景色。

    (5000と6000、その差異。@花畑駅)甘木線を宮の陣駅で乗り換え、急行花畑行きに乗り換えて花畑まで。花畑は、西鉄久留米の一つ先の駅で、急行電車の終点だったりもしますから、車庫でもあるのかと思ったら普通の2面4線の高架駅。花畑止まりの電車は、いったん回送扱いで普通に本線を大牟田方面へ進み、本線上を渡り線を使って折り返していくようです。そこまでダイヤが逼迫していないから出来る芸当なんでしょうけど、関東の大手私鉄の感覚で言うと、小田急の向ヶ丘遊園や京王の八幡山のように、Y線型の引き上げ線とかを付けてあげたくなる配線となっています。花畑止まりの5000形急行に並んだ福岡天神行きの6000形特急。どちらもアイスグリーンにボンレッド、角型のボックスに丸形ライト、左右非対称のパノラミックウインドウは同様ですが、3ド...筑後の水都、夏景色。

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