少し前に手賀沼沿いにコキアを見つけた。園芸(鑑賞)用途ではコキアが一般的だけど、乾燥した茎を箒に使うので『ホウキギ』という名前がある。そして実は秋田県の特産品とんぶりの原料がこのホウキギなのだ。段々と紅葉していく姿を見るのはなかなか楽しい。
少し前に手賀沼沿いにコキアを見つけた。園芸(鑑賞)用途ではコキアが一般的だけど、乾燥した茎を箒に使うので『ホウキギ』という名前がある。そして実は秋田県の特産品とんぶりの原料がこのホウキギなのだ。段々と紅葉していく姿を見るのはなかなか楽しい。
手賀沼コブハクチョウは自転車で走っているとしょっちゅう見掛ける。だいたいいつもいる場所は決まっている感じだ。そんなコブハクチョウは、ある見方をすれば水田などを荒らす害鳥となってしまう。人間視点ではそうなるんだろうけど害鳥って如何なものかと。
テレビ朝日のドラマ「Believe―君にかける橋―」の第2回(2024年5月2日放送)の終盤狩山陸(木村拓哉)と妻玲子(天海祐希)が橋を眺めながら語り合う回想シーンが登場。そこに映っていたのはいつも自転車で渡る手賀大橋。その2は下からの眺め。
先日テレビ朝日のドラマ「Believe―君にかける橋―」の第2回(2024年5月2日放送)を見ていたら、終盤狩山陸(木村拓哉)と妻玲子(天海祐希)が橋を眺めながら語り合う回想シーンが登場。そこに映っていたのはいつも自転車で渡る手賀大橋だった。
いろいろあるけどそれでも春はちゃんとやって来るのだ。それはもうあたりまえのことなんだけどそのあたりまえがあたりまえでなくなることだってある。桜をみることができる。菜の花をみることができる。あたりまえがあたりまえであることは素晴らしいのだ。
手賀沼公園で以前に撮った写真。鴨が三羽並んでいるんだけど、ナゼかこの写真、エマーソン・レイク&パーマー1972年のアルバム 『Trilogy』のカバー・アートを思い出す。逆向きだけどキース・エマーソン、グレッグ・レイク、カール・パーマーなのだ。
手賀沼沿いにはいくつもの送電塔が走っている。これを景観を損ねると思うのか?自然の中に人工物が交じり合ってある意味美しいと感じるかは人それぞれだろう。ないに越したことはないが、赤と白の送電塔も手賀沼の一部だと思えばそれはそれで美しくも見える。
その葉っぱは遊歩道の真ん中に浮かんでいた。落ちていくわけでもなく、舞い上がるわけでもなく、ただただそこに止まっていた。まるで時間が止まって、あらゆるものが動くことを諦めてそこに佇んでいるかのように。でも時間は止まっていないし、実際にボクは動けている。
仙台 源氏…仙台には数々の名店有れど、この『源氏』はやはり必ず訪れたいところだ。料理とかお酒とかそういうことではなくそこに居るだけで他では味わえないものがある唯一無二のお店なのだ。以前は仙台に行った時は必ず1軒目、もしくは二軒目に訪れていた。
千葉県印西市浦部の木下街道沿いに並んでいるのが赤い百庚申。天保十年(1839年)に造立されたもので刻像塔10基と文字塔90基からなっている。普通の百庚申でもその光景はなかなか壮観なものがあるが、それが赤い百庚申となると更にインパクトがある。
自転車でいつも通る遊歩道に毎年咲いている花がある。多分ボタンクサギだろう。中国中南部原産クマツヅラ科の落葉低木で、半球状の花をボタンに見立て葉に臭気があることからボタンクサギ。アゲハチョウが好んでよく飛来する花で、この時もナガサキアゲハが。
いつもの遊歩道、いつも青空の下に大きな猫が横たわっている景色がある。そこを通る人の中にはきっと同じように思っていたり、猫の木と呼んでいる人だっているに違いない。実際、自分のブログに写真を載せて猫の木と表現している方がいたが亡くなってしまった。
それにしても夏は緑色をしていた葉っぱが、秋になるといろいろな色に変化するのはどうしてなんだろう?そういうものだ、で済ましてしまうには勿体ない不思議だ。葉っぱが緑色なのは、葉っぱの中に葉緑素と呼ばれる緑色のつぶがたくさん含まれているからなのだ。
多分この写真に写っているいるはススキではなくてオギなんだろうな。ススキは乾燥した場所に生えるから、沼沿いのこれはきっとオギに違いないだろう。まあススキであろうがオギであろうがどちらにしてもその姿を見れば秋の到来を感じることに変わりないけど。
青空の下でトンボが木の枝にとまっている。よくよく見ると枝には4匹のトンボがとまっているんだけどわかるかなあ。世界にはトンボが5,000~6,000種類いると言われていて、そのうちの200種類ほどが日本で見られるそうだ。まさにあきつの島なのだ。
夏が終わり彼岸花が咲き終わる少し涼しくなってきた頃に金木犀の香りは突然やって来る。中国では月には金木犀のような香り良き巨木があり、その花が一斉に開花するから秋の月は金色に輝くと信じられていた。日本では和歌や文学に『月の桂』がよく出てくる。
アマガエルは英語だとTree Flog。樹上生活に適応していて木の上で見掛けるからだろう。撮っても良いよと言ってくれた気がしたので撮らせてもらったアマガエル。すっかりポーズを決めてくれてiphoneを近付けてもしばらくは動かずにいてくれた。
小目沼橋は小貝川両岸の下小目と平沼を結ぶために作られた木製の橋で、長さは95m、橋幅は1.7mほどで欄干はない。川もすぐ下にある感じで、あるく分にはそれほどでもないが自転車に乗って渡るとちょっと怖い。この橋はドラマや映画のロケにも使われる。
まあ決してこんなことしちゃったら良くはないんだけど、ペダルを漕いでいていつも笑ってしまうのがコレ。ねえねえおとうさん、なんでこの白い人たちには顔がないの?と言われてついついこんなことをしてしまったのなら許してあげたくなってしまうんだけどね。
うずまき椅子とうずまき影、どれが椅子なのか?どれが影なのか?もうわからないくらいに溶け合っている。そこに入ってくるキミとキミの影は、いったいどこに座ろうとしているんだい?座れるかな?座れると良いね。座ってしまえばそれが椅子であることに変わりない。
ベンチにドングリを並べてみた。ベンチが秋になった。このドングリは橡のものだろう。橡といえば万葉集の中に大伴家持が詠んだ歌がある。紅はうつろふものそ橡のなれにし衣になほ及かめやも。紅色は華やかだがすぐ色褪せる。地味な橡色に染めた衣には及ばない。
稲が刈られている最中に白い鳥が集まってくる。シロサギだ。なんでも稲が刈られた田んぼは土の中に隠れていたカエルやバッタが飛び交う獲物の宝庫と化すらしい。まあ苦労して餌を探さなくたって楽に餌が手に入るんだからそりゃあ集まってくるに決まっている。
高さ3.6m、体重250kg。高さだけで見れば史上最大の鳥ニュージーランドの飛べない鳥がジャイアントモア。今では絶滅してしまってその姿を実際に見ることはできない。そのジャイアントモアの巨大なモニュメントが千葉県我孫子市の鳥の博物館前にある。
彼岸花の学名は『Lycoris radiata』。ギリシャ神話の女神・海の精ネレイドの1人『Lycorias(リュコーリアス)』 から、種小名 『radiata (ラジアータ)』は『放射状』の意味。青い空の下、咲き始めた彼岸花は存在感がある
スカスカの本棚を影の本が埋めている。そんな風に見えなくもない。
蓮という名称は花托が蜂の巣のように見えるので『はちす』と呼ばれていたことに由来するらしい。確かにハチの巣っぽいと言われればそうかも。万葉集の中では4首で詠まれていていずれも『はちす』と読まれている。ただどれも蓮の花のことはうたってないない。
自転車でブラブラする遊歩道の近く、1本の木の周りに3つのベンチが配されたお気に入りの場所がある。他にも遊歩道にはいくつものベンチが設置されていて、いつでも座ってねと待っていてくれる。その多くが『かたらいベンチ』というもので寄付で設置できる。
クルクルと回っている姿を見て風を感じてみたり、銀の筒を通して風の音を聴いてみたりしてみる。そんなことをしなくても風の歌は聴こえてくるけれど、そうすることで普段は聴こえない風の歌を聴くことができるかもしれない。そんな歌に耳を澄ませながら…。
ストーンズの新作『Hackney Diamonds』がリリースされる。カバー・アルバム『Blue and Lonesome』から9年ぶり、オリジナル・アルバム『A Big Bang』からだと実に18年ぶりのこと。ドラマの主題歌にもらるらしい。
部屋を片付けていたら出てきたのがiMacのポスター。確か購入した時に付いていたものだったはずだ。このポスターを見るとあのクルクルと回る5色のiMacのCMと流れていたストーンズの『She's a Rainbow』が頭の中をグルグルと駆け巡る。
日本では風見鶏というと日和見主義的なネガティブな意味合いで使われることが多い。けれどそれはある政治家のせいでそうなってしまっただけのこと。元々風に向かって雄々しく立つというポジティブな意味があったはず。風見鶏にとっては迷惑な話に違いない。
東京駅の中にある美術館、東京ステーションギャラリーの螺旋階段は東京駅丸の内駅舎北端の八角塔に位置している。3階と2階の展示室と1階エントランスをつなぐこの螺旋階段、上から覗くともっと下の方まで距離があるように感じる。壁は創建時の構造レンガ。
かつてスワン・ボートだった白鳥は、今では水の上ではなく草むらの中から首を出している。もう誰も乗せることもなくただそこにひっそりと佇んでいるだけだ。その表情は何一つ水上に浮かんでいる時と何ら変わらないように見えるけれどきっと寂しいに違いない。
数年前は自転車で通るたびに必ずといってよいほどその姿を見掛けたんだけれど、今ではもう見つけることはできなくなってしまった。多分知らないあいだにいつの間にか静かに土にかえってしまったんだろうなと考えると、もちろん哀しい気持ちにはなる。ただ…。
根岸(最寄りの駅は鶯谷)に『鍵屋』という居酒屋がある。歴史は古く江戸時代安政三年(1856年)酒問屋として言問通り沿いに創業したのが始まり。移転してからも既に50年。行こうと思えばすぐ行けるんだけど、勿体なくて滅多に行かな居酒屋がそこにある。
もうかれこれどれくらいになるんだろう?随分と長いことブログを通じて本当にたま~に繋がっているあすてかさんから久々にコメントがきていたので蓮の花の画像を。毎年夏になると自転車で何度も見に行く恒例の蓮の花。藕糸蓮(ぐうしれん)という種類のもの。
函館に行った時の写真を何気なく見ていたら、なかなかたずまいが素晴らしい建物の写真があった。『wa風zakka iroha』という看板に『いろは』と書かれた麻の暖簾。店舗に利用している和洋折衷の古民家は1908(明治41)年建造の海産物問屋だ。
もうかれこれどれくらいになるんだろう?随分と長いことブログを通じて本当にたま~に繋がっているあすてかさんから久々にコメントがきていたので蓮の花の画像を。毎年夏になると自転車で何度も見に行く恒例の蓮の花。藕糸蓮(ぐうしれん)という種類のもの。
「ブログリーダー」を活用して、Bananakingさんをフォローしませんか?
少し前に手賀沼沿いにコキアを見つけた。園芸(鑑賞)用途ではコキアが一般的だけど、乾燥した茎を箒に使うので『ホウキギ』という名前がある。そして実は秋田県の特産品とんぶりの原料がこのホウキギなのだ。段々と紅葉していく姿を見るのはなかなか楽しい。
手賀沼コブハクチョウは自転車で走っているとしょっちゅう見掛ける。だいたいいつもいる場所は決まっている感じだ。そんなコブハクチョウは、ある見方をすれば水田などを荒らす害鳥となってしまう。人間視点ではそうなるんだろうけど害鳥って如何なものかと。
テレビ朝日のドラマ「Believe―君にかける橋―」の第2回(2024年5月2日放送)の終盤狩山陸(木村拓哉)と妻玲子(天海祐希)が橋を眺めながら語り合う回想シーンが登場。そこに映っていたのはいつも自転車で渡る手賀大橋。その2は下からの眺め。
先日テレビ朝日のドラマ「Believe―君にかける橋―」の第2回(2024年5月2日放送)を見ていたら、終盤狩山陸(木村拓哉)と妻玲子(天海祐希)が橋を眺めながら語り合う回想シーンが登場。そこに映っていたのはいつも自転車で渡る手賀大橋だった。
いろいろあるけどそれでも春はちゃんとやって来るのだ。それはもうあたりまえのことなんだけどそのあたりまえがあたりまえでなくなることだってある。桜をみることができる。菜の花をみることができる。あたりまえがあたりまえであることは素晴らしいのだ。
手賀沼公園で以前に撮った写真。鴨が三羽並んでいるんだけど、ナゼかこの写真、エマーソン・レイク&パーマー1972年のアルバム 『Trilogy』のカバー・アートを思い出す。逆向きだけどキース・エマーソン、グレッグ・レイク、カール・パーマーなのだ。
手賀沼沿いにはいくつもの送電塔が走っている。これを景観を損ねると思うのか?自然の中に人工物が交じり合ってある意味美しいと感じるかは人それぞれだろう。ないに越したことはないが、赤と白の送電塔も手賀沼の一部だと思えばそれはそれで美しくも見える。
その葉っぱは遊歩道の真ん中に浮かんでいた。落ちていくわけでもなく、舞い上がるわけでもなく、ただただそこに止まっていた。まるで時間が止まって、あらゆるものが動くことを諦めてそこに佇んでいるかのように。でも時間は止まっていないし、実際にボクは動けている。
仙台 源氏…仙台には数々の名店有れど、この『源氏』はやはり必ず訪れたいところだ。料理とかお酒とかそういうことではなくそこに居るだけで他では味わえないものがある唯一無二のお店なのだ。以前は仙台に行った時は必ず1軒目、もしくは二軒目に訪れていた。
千葉県印西市浦部の木下街道沿いに並んでいるのが赤い百庚申。天保十年(1839年)に造立されたもので刻像塔10基と文字塔90基からなっている。普通の百庚申でもその光景はなかなか壮観なものがあるが、それが赤い百庚申となると更にインパクトがある。
自転車でいつも通る遊歩道に毎年咲いている花がある。多分ボタンクサギだろう。中国中南部原産クマツヅラ科の落葉低木で、半球状の花をボタンに見立て葉に臭気があることからボタンクサギ。アゲハチョウが好んでよく飛来する花で、この時もナガサキアゲハが。
いつもの遊歩道、いつも青空の下に大きな猫が横たわっている景色がある。そこを通る人の中にはきっと同じように思っていたり、猫の木と呼んでいる人だっているに違いない。実際、自分のブログに写真を載せて猫の木と表現している方がいたが亡くなってしまった。
それにしても夏は緑色をしていた葉っぱが、秋になるといろいろな色に変化するのはどうしてなんだろう?そういうものだ、で済ましてしまうには勿体ない不思議だ。葉っぱが緑色なのは、葉っぱの中に葉緑素と呼ばれる緑色のつぶがたくさん含まれているからなのだ。
多分この写真に写っているいるはススキではなくてオギなんだろうな。ススキは乾燥した場所に生えるから、沼沿いのこれはきっとオギに違いないだろう。まあススキであろうがオギであろうがどちらにしてもその姿を見れば秋の到来を感じることに変わりないけど。
青空の下でトンボが木の枝にとまっている。よくよく見ると枝には4匹のトンボがとまっているんだけどわかるかなあ。世界にはトンボが5,000~6,000種類いると言われていて、そのうちの200種類ほどが日本で見られるそうだ。まさにあきつの島なのだ。
夏が終わり彼岸花が咲き終わる少し涼しくなってきた頃に金木犀の香りは突然やって来る。中国では月には金木犀のような香り良き巨木があり、その花が一斉に開花するから秋の月は金色に輝くと信じられていた。日本では和歌や文学に『月の桂』がよく出てくる。
アマガエルは英語だとTree Flog。樹上生活に適応していて木の上で見掛けるからだろう。撮っても良いよと言ってくれた気がしたので撮らせてもらったアマガエル。すっかりポーズを決めてくれてiphoneを近付けてもしばらくは動かずにいてくれた。
小目沼橋は小貝川両岸の下小目と平沼を結ぶために作られた木製の橋で、長さは95m、橋幅は1.7mほどで欄干はない。川もすぐ下にある感じで、あるく分にはそれほどでもないが自転車に乗って渡るとちょっと怖い。この橋はドラマや映画のロケにも使われる。
まあ決してこんなことしちゃったら良くはないんだけど、ペダルを漕いでいていつも笑ってしまうのがコレ。ねえねえおとうさん、なんでこの白い人たちには顔がないの?と言われてついついこんなことをしてしまったのなら許してあげたくなってしまうんだけどね。
うずまき椅子とうずまき影、どれが椅子なのか?どれが影なのか?もうわからないくらいに溶け合っている。そこに入ってくるキミとキミの影は、いったいどこに座ろうとしているんだい?座れるかな?座れると良いね。座ってしまえばそれが椅子であることに変わりない。
仙台 源氏…仙台には数々の名店有れど、この『源氏』はやはり必ず訪れたいところだ。料理とかお酒とかそういうことではなくそこに居るだけで他では味わえないものがある唯一無二のお店なのだ。以前は仙台に行った時は必ず1軒目、もしくは二軒目に訪れていた。
千葉県印西市浦部の木下街道沿いに並んでいるのが赤い百庚申。天保十年(1839年)に造立されたもので刻像塔10基と文字塔90基からなっている。普通の百庚申でもその光景はなかなか壮観なものがあるが、それが赤い百庚申となると更にインパクトがある。
自転車でいつも通る遊歩道に毎年咲いている花がある。多分ボタンクサギだろう。中国中南部原産クマツヅラ科の落葉低木で、半球状の花をボタンに見立て葉に臭気があることからボタンクサギ。アゲハチョウが好んでよく飛来する花で、この時もナガサキアゲハが。
いつもの遊歩道、いつも青空の下に大きな猫が横たわっている景色がある。そこを通る人の中にはきっと同じように思っていたり、猫の木と呼んでいる人だっているに違いない。実際、自分のブログに写真を載せて猫の木と表現している方がいたが亡くなってしまった。
それにしても夏は緑色をしていた葉っぱが、秋になるといろいろな色に変化するのはどうしてなんだろう?そういうものだ、で済ましてしまうには勿体ない不思議だ。葉っぱが緑色なのは、葉っぱの中に葉緑素と呼ばれる緑色のつぶがたくさん含まれているからなのだ。
多分この写真に写っているいるはススキではなくてオギなんだろうな。ススキは乾燥した場所に生えるから、沼沿いのこれはきっとオギに違いないだろう。まあススキであろうがオギであろうがどちらにしてもその姿を見れば秋の到来を感じることに変わりないけど。
青空の下でトンボが木の枝にとまっている。よくよく見ると枝には4匹のトンボがとまっているんだけどわかるかなあ。世界にはトンボが5,000~6,000種類いると言われていて、そのうちの200種類ほどが日本で見られるそうだ。まさにあきつの島なのだ。
夏が終わり彼岸花が咲き終わる少し涼しくなってきた頃に金木犀の香りは突然やって来る。中国では月には金木犀のような香り良き巨木があり、その花が一斉に開花するから秋の月は金色に輝くと信じられていた。日本では和歌や文学に『月の桂』がよく出てくる。
アマガエルは英語だとTree Flog。樹上生活に適応していて木の上で見掛けるからだろう。撮っても良いよと言ってくれた気がしたので撮らせてもらったアマガエル。すっかりポーズを決めてくれてiphoneを近付けてもしばらくは動かずにいてくれた。
小目沼橋は小貝川両岸の下小目と平沼を結ぶために作られた木製の橋で、長さは95m、橋幅は1.7mほどで欄干はない。川もすぐ下にある感じで、あるく分にはそれほどでもないが自転車に乗って渡るとちょっと怖い。この橋はドラマや映画のロケにも使われる。
まあ決してこんなことしちゃったら良くはないんだけど、ペダルを漕いでいていつも笑ってしまうのがコレ。ねえねえおとうさん、なんでこの白い人たちには顔がないの?と言われてついついこんなことをしてしまったのなら許してあげたくなってしまうんだけどね。
うずまき椅子とうずまき影、どれが椅子なのか?どれが影なのか?もうわからないくらいに溶け合っている。そこに入ってくるキミとキミの影は、いったいどこに座ろうとしているんだい?座れるかな?座れると良いね。座ってしまえばそれが椅子であることに変わりない。
ベンチにドングリを並べてみた。ベンチが秋になった。このドングリは橡のものだろう。橡といえば万葉集の中に大伴家持が詠んだ歌がある。紅はうつろふものそ橡のなれにし衣になほ及かめやも。紅色は華やかだがすぐ色褪せる。地味な橡色に染めた衣には及ばない。
稲が刈られている最中に白い鳥が集まってくる。シロサギだ。なんでも稲が刈られた田んぼは土の中に隠れていたカエルやバッタが飛び交う獲物の宝庫と化すらしい。まあ苦労して餌を探さなくたって楽に餌が手に入るんだからそりゃあ集まってくるに決まっている。
高さ3.6m、体重250kg。高さだけで見れば史上最大の鳥ニュージーランドの飛べない鳥がジャイアントモア。今では絶滅してしまってその姿を実際に見ることはできない。そのジャイアントモアの巨大なモニュメントが千葉県我孫子市の鳥の博物館前にある。
彼岸花の学名は『Lycoris radiata』。ギリシャ神話の女神・海の精ネレイドの1人『Lycorias(リュコーリアス)』 から、種小名 『radiata (ラジアータ)』は『放射状』の意味。青い空の下、咲き始めた彼岸花は存在感がある
スカスカの本棚を影の本が埋めている。そんな風に見えなくもない。
蓮という名称は花托が蜂の巣のように見えるので『はちす』と呼ばれていたことに由来するらしい。確かにハチの巣っぽいと言われればそうかも。万葉集の中では4首で詠まれていていずれも『はちす』と読まれている。ただどれも蓮の花のことはうたってないない。
自転車でブラブラする遊歩道の近く、1本の木の周りに3つのベンチが配されたお気に入りの場所がある。他にも遊歩道にはいくつものベンチが設置されていて、いつでも座ってねと待っていてくれる。その多くが『かたらいベンチ』というもので寄付で設置できる。
クルクルと回っている姿を見て風を感じてみたり、銀の筒を通して風の音を聴いてみたりしてみる。そんなことをしなくても風の歌は聴こえてくるけれど、そうすることで普段は聴こえない風の歌を聴くことができるかもしれない。そんな歌に耳を澄ませながら…。