2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
佐渡島でそう呼ぶのか外海府でそう呼ぶのか我が家でそう呼ぶのか定かではないが世間では大福餅と呼んでいる。 ググってもその名前は出てこない(薄皮餅)をうすか餅と言…
何とも小ばかにした名前であるこの(バカゲントウ)は佐渡島の外海府だけの呼び名かはたまた私の生まれた村だけの呼称なのかは定かではない。 アブラメを磯で釣っている…
ローマ帝国の皇帝でありかの有名な暴君ネロが好んで食べたと言われる俗説があるイカスミのスパゲッティ.。 地球温暖化の水位上昇なのか無数の木の杭に浮かんでいるがそ…
季節感があるのかないのかいいのかわるいのか気の早いスーパーに(ノビル)を見つけた。 今の家に建て替える前(昭和54年)の我が家にはイチジクの木があった。 テイ…
父は頼まれた栄螺を発泡スチロールに海水で濡らした新聞紙で包み丁寧に砂抜きはしてないのでくれぐれも気を付けて料理をするように手紙を添えた。 親戚が神奈川の藤沢駅…
(かーちゃん、来たよー)耳慣れた声がした。大きな荷物を風呂敷で背負っていつものおばさんがやってきたゴム製の短靴を履いていつものおばさんがやってきた三時間に一本…
佐渡島に帰省した折にへなちょこ板前がこしらえたのは飛龍頭であったが確かに東方面では(がんもどき)と言われるものであり漢字をあてると(雁擬)と記す。 木綿の豆腐…
亡くなった父は糠漬けが好きだった。 母はというと何度かの失敗を経験したせいかやっけら!(メンドクサイ)と言ってなかなか作らないそのことで何度も口喧嘩する場面に…
918年というから平安時代の書物に和佐比と記されている(山葵)。 相当古いころから宮中やお殿様への献上品として薬味として使用されていたのである。 この(葵)と…
いつのまにか華やかな春の料理になったのが田楽。 平安の頃田を耕す行事に(田楽舞)がある白い袴をはいた法師が高足に乗って田の中で舞う。 この姿が豆腐に刺した串に…
亀の手という名前がぴったりの貝誰がそう命名したのかわからないがそのままの名前である。 岩場の隙間にびっしり群棲するこの奇妙なかたちをした貝。父をはじめ佐渡島の…
七草粥なんぞあたり一面銀世界の昭和の頃の佐渡島では摘み取れるわけがない。 雪をかき分け掘り出しのはでーこん(大根)と凍らない村はずれの小川のへり出てる芹それで…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
昭和の頃の風呂場は何かと忙しい。 もちろん悪ガキ三人と父と母がお風呂として使う。時より飼い猫のシロが水を舐めに入る。 苗代づくりの籾が朝湯の中で発芽する。 秋…
まだまだ手がかじかんでしまう弥生三月の佐渡島。 それでも父は待ちに待った磯ねぎに舟を出す。 狙うはサザエやアワビそしてナマコ御用篭がたぶん正式な名称であろうが…
千葉のとある水産加工会社で草野球に夢中になる社員とたくさん取れる鯖を使ってサバカレーを缶詰にして売り出そうとする社長の奮闘テレビドラマだったようだと記憶してい…
佐渡の母は今でも沢庵のことを(こうこう)と言っている。 香は本来味噌のことをさす漬物全般を(香)というのだが関西では沢庵をさすことが多くそれが日本各地でもそう…
ニシン、サヨリ、イカナゴ、サワラと同じ春を告げる魚としてメバルがある。 イワクインネンコジライレキの中でこの春を告げるということはたくさん取れて出盛りで旨いの…
えっ?(タチバナって?)聞いたことはあるが現物を見たことない。 昭和59年のバブルが続くと誰もが思っていた頃東京の広尾に板前割烹を出したときにお店を訪れたご婦…
英語でtableにあたる言葉はフランスでもtableでイタリアでもtavolaである。いずれも(食卓)の意味。 英語のdeskにあたる言葉は少しずつ異なるよう…
試してみたことはないが山椒という植物は山奥でひっそり自生するものは味も香りもすこぶるいいそうだ。 (山椒は深山に限る)(山椒の木の下で歌を歌うと木が枯れる)そ…
荒れる日本海でも時よりべた凪になることがある。 舟小屋にしまってある舟を親戚の叔父さんと共に約20メートルもの波打ち際まで押し出す。 板切れや丸太の半割などの…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
桜飯とはまた気の利いた飯醤油で味付けして炊き上げたご飯のことで一般的には(茶飯)と言うのであろう。 おでんと熱燗を存分に楽しんで締めは茶飯と相場は決まってると…
人参の旬はやはり冬だったのか。 たぶん母流のっぺい汁だった。ただ油を使ってない。 川伝いの林道と呼ばれる道を進んでゆくと我が家が先祖代々受け継いで手入れをして…
青山の骨董通りに書斎館なる知る人ぞ知る店アンティーク万年筆などを展示してありもちろん購入することができる。 アサヒグラフ小学一年生高校時代蛍雪時代なんていう古…
変身(メタモルフォーズ)という願望はもしかすると欲求として常に存在しているのかもしれない。 いつの時代から始まったのかは定かではないが節分の夜(立春の前夜)に…
禁酒法がもたらした中にウィスキーがある。 ビールは比較的短時間に酵母と麦汁が醗酵して飲める酒になったがこれをお上の目に触れないように急いでビールを保存しなけれ…
村を見下ろす山の中腹に大幡神社がある山から流れ出る水が境内の脇に小さな滝となってる。 佐渡島の二月は一年の中で一番寒い。 立春とは名ばかりで春はまだ遠い滝の水…
日本三大ラーメンとは札幌・博多・喜多方と言われているがそれはそれでいやいやそれは違うオラがマチのが一番とか異論反論あるでしょう。 私は一度も食したことはないが…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
この言葉を知っている御仁は相当の食通かも。白ネギを筒に切って鍋に入れる。特に冬のネギは緻密に繊維を蓄え甘みがあるのでねっとりしている。 さー、鴨肉、しゃも肉を…
父が朝早く磯網をあげにいった眠い目をこすりながら舟小屋から浜に降りた。 まだ肌寒いが履いているのはサンダルで大きすぎて足の半分は飛び出していて小石が冷たい。 …
母が嫁ぐより先に我が家に嫁いできた黒い鉄製の重いフライパンどっしりとして焦げない油慣れしたフライパン今でも捨てないの使っているから75年物のすごいやつ。 やが…
佐渡ではスケソウダラの白子をそう呼ぶところが多いがたらの中身(内臓)をダ・ラ・ド・レ・デ・レがとってもあいまいな佐渡弁らしい呼び名かとはたまた何か違う意味なの…
寒の鯖は実に旨い。七輪にのせて塩焼きにするときのしたたり落ちる脂で煙が出る火もでる。その何といえない香ばしい匂いでたちどころに台所は煙たくなるが食欲が増すこと…
まだまだ冬のコートの襟を立て人々が行き交う頃どこからともなく漂う沈丁花の香り春の訪れを感じる。 佐渡島の北側のわが郷里外海府はまだまだ冬ど真ん中波の花が飛び交…
大佐渡、小佐渡と別れている島の大佐渡の北に位置する外海府大倉という村が私が生まれたところ。 そこにあるのが大幡神社貞觀三年(861)の創祀。一説には、延喜元年…
かの大乱をおこした大塩平八郎が相当にどたまにきて癇癪(かんしゃく)をおこしてこの硬い頭のカナガシラをバリバリ食べたというのだから相当歯が強かったか相当腹が立っ…
二月の三日に父が達筆な筆で書いた(十二月)という木札が家の入口納屋の前昭和40年頃は便所は外の小屋にありそこにも立てられる。子供であったので何故十二月なのか分…
6年前になる初めて箱根駅伝の往路の小田原中継地点まで出かけたいつもは家で見ていたが目当てのイカの塩辛も欲しかったので出かけた。 大変な人だかりで沿道に陣取りお…
京都府綴喜郡八幡町というのは京都の南部にある古くは牛蒡の名産地として知られる。 一説によれば八幡の放成川の川浚えが定期的に行われるその泥を畑に持ち込んで牛蒡を…
今年のお節の伊達巻は暮れに手に入った甘鯛を贅沢に使いました(ちょっともったいないかな?) 佐渡にいた頃は甘いので手が伸びなかった品物であるが大人になって東京の…
今年のお節の伊達巻は暮れに手に入った甘鯛を贅沢に使いました(ちょっともったいないかな?) 佐渡にいた頃は甘いので手が伸びなかった品物であるが大人になって東京の…
昭和の頃の佐渡島の外海府の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープのようなものでぐるぐる網目のように結ばれて…
明けましておめでとう御座います少し箸休め。 元旦の朝の光を受け止めるサンキャッチャーがセロームに降り注いでいるのでピックアップしました。 皆様にとって佳いお年…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…