親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
親が認知症で要介護状態となると 男性家族は親の記憶から抜けてしまう事が多く、それは今迄の親との関わりが如何に少なかったかが 関係しているようです。
高齢になっても要介護のない生活を1日も長く続けるために、1日1断捨離、1日○○歩、1日1回の生き甲斐の時間を維持継続し、歩みは遅くとも1日前に進む事が健康寿命を伸ばす秘訣と思います。
子供が独立し高齢者だけの暮らしがスタートしたら不要な物は極力処分する、日用品は必要最低限の購入を、家具家電は新規購入したら古い物は処分を、趣味の物が多くあったら必要数以外は新しい行き先を決める事。 これが高齢者の介護への将来への備えと家族への負担軽減に繋がる。
親が要介護となり亡くなれば、実家を引き継ぐ者のいない空き家になる現実を念頭に言えず栗を考える時代になった。もはや子供は 就職や結婚を機に住まいを変える時代であり、親は子が独立した時点で家の将来を考えるべき
親が介護の末に亡くなり実家は誰もいなくなった。土地建物を売却しようにも家内を断捨離しなければ処分も出来ない状況に家族は2年かけて通いで実家の断捨離を行う
親が要介護をきっかけに介護施設に入所し実家が無人となり断捨離をする事になったが重量物の多い二階からの運び出しは決して若くない子供にとっても重労働だ
引き継ぎ手が決まっていない親の家が親の介護施設への入所や亡くなった事で無人になった。 親からの引継ぎなくもので溢れる家の断捨離は想像以上に過酷だ
自身が要介護になったら我が家の不要物はどうなるの? 子供は独立して実家には戻らない 事を念頭に心身が健康な内に断捨離や家の処分方法を家族で話し合う事
樹木葬や納骨堂の墓を選ぶことは 少子高齢化で全国に分散した家族の人的、経済的な負担を抑える点で非常に有難い墓の形である。 今迄の墓石では毎年のお布施や、 維持管理に人手がかかり、遠方の家族の負担となっていた。
少子高齢化の現代において、墓の維持管理費がかからず、管理も事務所で行ってくれる樹木葬という形はこれからの世代にも受け入れられる墓地の新しいスタイルであると思います。
人は時には何もかも忘れて穏やかな時を過ごす事が必要だ。 介護ストレスも仕事のストレスも 桜を眺めながらの両親の墓参りの時ばかりは、穏やかに そして無になれる瞬間だ。
子供は幾つになっても親にとっては子供であり、結婚や出産、孫、 新築、学費と援助は終わる事はありません。親にとっては要介護に備える歳でも やはり子供を優先してしまう。ですから親が年金暮しになっても資産形成は自身の為と共に子供の為にも なるのです。
老後は好きなように生きる。それは簡単な事ではありません。 定年を境に気力体力が衰えてしまえば、要介護に近付くだけでなく 年金では不足する生活費を預貯金を取り崩す事でしか生きていけない。やはり僅かでも働いて稼いだお金を増やす努力なしでは豊かな老後、要介護のない生活は営めない。
子供が独立し、住宅ローンを完済したら後は頭語の要介護や自身の生活資金だけを考えればよいと思っていたが、住宅のリフォームは勿論の事、子供の新しい家庭への援助など高額の援助が必要なので ただ取り崩すだけの生活は出来ない。
60歳を過ぎたら老後の要介護の備えにシフトを変えていたが、娘の結婚式が決まり、介護の備えの前には子供の結婚や新居への援助や 出産など子への出費が暫くは続くと実感した。
親の介護やこれから高齢者の仲間入りをする私達の介護や老後に関する独り言です。 40年以上税金や保険料を納めてきた私達に給付金があるのならば、 対象者全員が受給できる様な周知を徹底して頂きたい。
私達60歳以上の雇用延長者は給与が大幅に減額される事を国は知っているのだろうか? 要介護や老後に備えて懸命に60歳以降も働いているのに、給与は減るが税金や保険料は引き落とされ しかも60歳以降も低賃金で働く者の助けになる給付金制度は縮小、廃止の方向なんて、働いているのに増々苦しい生活である。
親の事をよく知る家族とのやり取りはケアマネにとって非常に神経を使うもの。 だって何十年も暮してきている 家族に経験値が足りないなんて 言われながらも、立ち止まることなく行動するのですから。
ケアマネージヤーと親の家族のパオプ役は家族の代表者ですが親の介護に対する要望を家族でまとめてケアマネに伝えるという大切な役目ですが、家族の中にも言いたい事を押しつけて来る者もいて 家族とケアマネの間でオタばさみ 非常に辛いストレスの溜まる役どころです。
親世代の平均寿命が○○歳だとしたら、あと何回、介護施設で親と面会できるだろうか?と考えると 時間はあるようでない。 なのでケアマネさんも忙しい事は 判りますが日時の連絡は期日を守って親との面会を助けてほしい。
ケアマネさんも親の家族の意向を実現する難しさはありますが、家族の代表者もまた家族とケアマネ、介護施設との狭間でストレスのかかる役どころです。 何の責任もない家族が言いたい放題で疲弊してしまう事も。
親の介護をする家族の求める介護への要望とケアマネの考える介護へのスピード感は明らかに違う。 家族が求めるのは親を1分1秒でも早く楽にさせてあげたい気持ちだが、ケアマネのそれは1週間後、1か月後とかなりのタイムラグがあるように思う。
親は家族にとってかけがえのない存在であり無償の愛で1日でも多く支えてあげたいと思うが、 対して介護施設やケアマネは 施設全体の安全面や健康面を判断する人の命を預かる責任がある。 どうしても無償と商売や人の命という事を優先せざるを得ない
親の家族の希望と介護施設やケアマネ側の連絡に誤差があり、面会やお見舞い、かかりつけ医への 定期健診の日程が2~3日前まで 決まらない事が多く、仕事を持つ家族は急な休みの変更などで非常に困っている。
60歳を過ぎて雇用延長したとはいえ、1度肩の荷が下りてしまうと 現役時の様に責任感や達成感を 得られる事なく淡々と生きていませんか? 肩の荷が下りた瞬間と生き甲斐のない日々は要介護まっしぐらとなる事を肝に銘じて下さい
私の亡くなった母親の様に、日々懸命に生きたいと願っていても 全身の筋肉がなくなり要介護、寝たきりとなり逝ってしまった事を 思い出し、60歳を過ぎても気を抜いてはいけない、公私共に緊張感を持って達成感を味わう為に日々過ごすべきであると思う
要介護や認知症は気から。 定年退職を機に心身共に気の抜けた状態は、その後働き続けていたとしても要介護や認知症に近付いてしまう。幾つになっても目標や 緊張感を維持できなければ、明るい老後は訪れない。
親の介護時には『もし、私が要介護になったら』なんて考えもしなかったが、親を見送り自身が60歳を過ぎて、自分の身に衰えを感じて初めて味わった時のショックは 計り知れなかった。 そして親の介護時に自身の介護予防の行動を起こすべきであったという後悔。
親の介護をし親を見送れば次は私達子世代が要介護や認知症に備える順番です。 その事に気付くのが自らの心身の異常が起きてからでは遅いのです。親の介護をしながら自らの将来の要介護予防を考え、健康維持の取組をはじめるべき。
仕事仕事の毎日から定年退職で解放され不規則な生活で要介護に近付いてしまう悪循環の日々。 仕事を続けたとしても60歳以降は 単純作業で何となく気が緩んだ日々を送ると心身の衰えが顕著になり要介護へ一歩前進。
「ブログリーダー」を活用して、サバちゃんさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。