親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
母親の介護の末期に『早く家に帰りたい』と訴えた。しかし自立生活が出来ない、胃瘻で栄養を取る母親に医療付介護施設の選択肢しかなかった家族の後悔を書いています。
親が介護施設への入所を希望しても介護保険では賄えない高額の入居費用がなければ介護施設への入所は叶わない。 介護施設の高額な施設費に対応する介護保険制度を望む。
親の要介護度が上り介護施設に入所したいが特養は待機時間が長く即入所が出来ないので泣く泣く高額の民間介護施設へ入所。親の資産が僅かで家族の介護負担が家計に重くのしかかる。
介護保険は親が望むなら介護施設への入所の為にも使える保険と思っていたが、入所費用や施設費などの高額な費用は自己負担であった。
『え~っ、介護保険は介護施設の入所費用には使えないの?』 介護保険の勉強不足でショックを受けた当時の私。 一番負担の大きい介護施設の入所費用に介護保険を使えないなんて
パーキンソン病で筋力を失った母親を家族として長生きしてほしいと胃ろうという選択をしてしまった罪悪感はぬぐえない。 延命しても母親が楽しいと感じない要介護生活は誤った選択をした 家族にあるのではないかと後悔
パーキンソン病で要介護になった 母親は医療付介護施設に入所して間もなく自治器での食事も出来なくなり、医師からは延命のためにも胃ろうという選択肢を提案された。家族としては長生きしてほしい気持ちがかえって母親を苦しめてしまったのではないか?
母親が原因不明の病に侵され病名が判るまで幾多の病院を盥回しにされパーキンソン病と判った頃には寝たきりの要介護状態となった 病名を発見し、治療に適した病院を紹介してくれる医師は何処にいるのか?
大好きな趣味で出掛ける事と引き換えにパーキンソン病を患い病院通いの日々となり、筋力の低下で ただ寝ているか病院通いの日々に
手先の器用な母親の趣味の1つに油絵があり、旅行先での油絵を描く事がライフワークとなっていたが、パーキンソン病という病に邪魔されて旅行とセットの風景画を描く事は不可能となり要介護での在宅介護の日々
手先が器用な母親は趣味と実益を兼ねて裁縫をしていたが、筋力の低下が著しく、パーキンソン病という病で手先の器用さを失い寝たきりの要介護となった
健常で趣味も多彩だった母親がパーキンソン病に侵され要介護となった。丈夫だった体はみるみる筋力が低下し、やがて手足を使う事も食事を取る事も出来ずに要介護の寝たきり生活に。
仕事上の付き合いのみで生きてきた父親は定年後には関わっていた人たちとの付き合いは続くことなく、寂しい老後生活の中で新しい人間関係を築く事なく認知症進行の日々を過ごす事になる。
父親の認知症介護において人付き合いのない父親の認知症の発症は時間の問題であった。 独りは気が楽な反面、問題発生時等で自分の思いを人にぶつけられない事、良きアドバイスが貰えない事などマイナス面の方が大きい。
父親というのは現役時代は仕事だけが生き甲斐だったから、定年して在宅すると話す相手もいなければ、やるべき事も判らない。 当たり前の共同作業が出来ないし 人の中に飛び込む事も出来ないので会話も無くなりやる事も判らず認知症を発症する方が多い。
男親の場合、私のケースは父親が定年退職後に真の友人が皆無で独りで会話のない生活の中で認知症発症となり要介護となったが、仕事上の付き合いはうわべだけの世界であったと気付く。
定年後に人とのやり取りがなくなり、情報源と言えばテレビ過信分だけ。人に意見したり相談したり 人のいう事に耳を傾けたりという 当たり前のやり取りもなく認知症を発症した父親の介護生活が始まった。
母親が亡くなり世間との交流や会話が皆無になり不安から頭が真っ白になり、今やっていた事を忘れてしまい、家族である私達への呼び出し電話が日常化してきた。 定年して在宅が多くなり、更に母親の死で会話をする相手もいなくなり、認知症の進行が早くなった。
父親が認知症になったのは母親に先立たれ独り暮らしがきっかけで 家の事はまるで分らない父親は不安との戦いで浮き沈みの大きな在宅介護生活となった。
冠婚葬祭では特に昔ながらのやり方というものが田舎や旧家には存在する。その事を考えずに今回の場合は葬儀方法において親の遺志だから家族葬です。で通用しない、理解を得られない事が判った。
家族が独立し親自身が高齢になってきたら実家の財産の事や介護費用や葬儀費用なども家族と共有しておく事が、親のもしもの事に備える事に繋がります。 家族は親の家とはいえ親の預貯金の事、介護や葬儀方法まで把握していませんから。
12月~3月にかけて各地で厳しい 寒さが続きますが私の身近でも 亡くなる方が多いですね。 寒い時期は葬儀が多い 要介護で在宅介護中の方や介護 施設に入所中の方もおりました 高齢で免疫機能が低下している 方が多く持病もある方が殆どで ふとした体調不良が死に繋がって しまうので本当に怖いですね。 ついこの間近況を聞いたばかり の方が数日後には亡くなるなんて 亡くなった私の両親の事を思い出 してしまいますね。 【中古】 親の葬儀と手続き・相続・法要のすべてがわかる本/二村祐輔,中村麻美【著】価格: 220 円楽天で詳細を見る 私の両親共に介護方法や症状は 違えど、亡くなる当日には元気 でしたから今ま…
私が20歳の時からの40年後の資産計画は非常に甘い物でした。 60歳までに家族を独立させて、住宅ローンなどの借金を完済させれば、残りの人生は自分の介護や病気の備えプラス貯蓄があれば大丈夫と高をくくっていた私が60歳を超えた時、まだまだ家族を支え踏ん張るべきであると気付いた。
新しい家族を持った30歳の頃は 子供を無事卒業させて住いのローンを完済すれば、あとは自分の趣味や旅行を楽しめると浅はかな考えでしたが、現実は60歳を過ぎてから、子供の結婚や出産、住まいのリフォームなど第二の大きな出費が待っている現実があった。
退職後の収入が年金だけの場合 要介護や入院、リフォームや家族の冠婚葬祭等のイレギュラー?に 備える事は出来ないし、家族に迷惑を掛ける事になるので、まだ元気な人、蓄えがある人は年金以外の収入源を出来るだけ多く確保する事
親の介護を体験し介護の将来の備えへの重要性を知りNISAで老後資金作りを始めたがコロナ禍でどん底の状態で始めたNISAが2023年12月にどんな成績になったのか 答え合わせをしてみた。
私も60歳を過ぎて要介護の症状が 出ている中で家族が新しい幸せを trに入れて喜ばしい限りだあるが これからも健常な状態で幸せを 見届けたい、噛みしめたい。 それには自身がこの目でこの手や足で幸せに立ち会える健康維持が必要だ。
我が国の高齢化社会の現状は健康寿命よりも平均寿命を重視するような仕組み自体が誤っている。 高齢になっても要介護のない自立した生活を送れる健康維持方法を 国が主導となって取り組んでほしい。少子化の我が国ではシニア層にも国を支えて貰わねばならないからこそ健康で長生きする健康プロジェクトの推進を望む。
2023年から2024年にかけて著名人の65歳前後の方のお別れが非常に多い。介護の備えも10年、20年先ではなく3年5年スパンで自分のエンディングの事を考えなければならない。平均寿命が高くても健康寿命は意外と低いので、自分のまさかの為の準備や備えは早めに準備したほうが良い。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。