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親の介護は自分の未来 https://sabanonitsuke.hatenadiary.jp/

両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。

サバちゃん
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2020/12/21

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  • 親の介護について振り返る。

    親の介護。それは決して後悔しない事。 その為には親の介護について独りで悩むのではなく、親の介護経験者に飛び込んで、親の介護体験を聞いて肌で感じる事。 その介護経験で自分の親の介護に合った介護を選択すれば今後の親の介護の参考になるはず。

  • 2022年多くの有名人が介護からお別れへ

    母親の介護時によく流れていた曲は安全地帯の あなたへ。 この曲に親の介護でため込んだストレスを発散させるきっかけをくれた安全地帯の名曲です。 そんな安全地帯のドラマーである田中裕二さんが65歳という若さで亡くなった。 同年代の私としてはショックでした。

  • 母親の介護編56 健康寿命への取組は?

    私の母親は健康だった?少なくとも母親が要介護になる迄はそう思っていましたが、母親は継続的な運動やサプリメントの服用はしておらず、今考えれば、健康そうに見えて、病気をため込んでいたのではないかと思っています。

  • 母親の介護編55 健康寿命は短かった

    母親な最後の十年は寝たきりの要介護であり、母親の健康寿命は50歳代で終わっていたという事になる。いくら寿命が延びたところで、自分で何も出来なければ、それはただ平均寿命を伸ばすだけの物。

  • 母親の介護編54 病気を特定できる病院

    親が病に倒れ要介護のなった時に、『もう少し早く親の病名が判っていれば』 と後悔する事も。 お医者さんも忙しい診察の日々でありますが、別の病気も疑ってみる、他の科に 連絡し検査をしてもらうなどの対応が求められます。 そして病名を特定するにはこの病院で というようなアナウンスが欲しい。そうすれば病名特定に、病院の盥回しというような事態は起きないはず。

  • 母親の介護編53 最後の家族旅行の意味

    母親の病状が悪化し外出できるのもあと僅かとなり、私は急遽旅行会社に連絡し母親の最後の旅行の予約をし、母親と親しい友人や親戚にも声をかけ、母親との最後の思い出作りに出掛けました。

  • 母親の介護編52 母親が果たせなかった事。

    母親は『元気な内に妹と一緒に高級介護施設で優雅な余生を送りたい。』という 夢は病状の悪化で叶いませんでしたが、 人生100年時代、まだ時間は40年以上ありますので、元気な体さえ持っていれば 働き、資産形成し、丈夫な体を維持する事が可能です。

  • 母親の介護編51 病は気から

    母親の前向きな気持ちを私達に伝え続けてきたおかげで、私達家族は成長できたのですが、やはり母親も病気の進行に前向きな気持ちを失っていった。 病は気からと言うけれど、母親自身が自力の食事も出来ない状態になった事で、気持ちの糸が切れてしまったのでしょう。

  • 母親の介護編㊿希望が無くなった時

    母親は要介護になっても社会復帰を目指して辛いリハビリにも取り組んできましたが、自分の回復が叶わないと分かった日から、ネガティブな感情に支配されるようになり、病の進行が速まりました。

  • 母親の介護編㊾活発だった母親の要介護

    元々ポジティブで活発な母親がや病に倒れて人の世話を焼く事も自分で何かをする事も出来なくなり、生きる希望を失った瞬間から、要介護度が上り、衰えが目立つようになりました。

  • 母親の介護編㊽母親の残した物

    母親が元気で活発だった頃に私に対して事ある毎に言っていた事は『人の為に真剣に汗をかける人になりなさい。』と。 そうすれば自分が困難に陥った時に必ず手を差し伸べてくれるからというものです。 母親が世話を焼いた人たちは母親が要介護になると、何か力になりたいと毎月母親を訪ねてくれました。

  • 親の葬儀方法の変更は慎重に・・・。

    先祖代々、葬儀を盛大に行ってきた家計の方は葬儀方法の変更は自分の葬儀の時からにして下さい。 親の葬儀までは現行通りにしないと、それが親の遺志であっても、親戚には伝わっていない可能性が高い。 親が親戚には家族葬でこじんまりとやると説明しているかどうかも判らない場合、後で親戚からのクレーム対応で身動きが出来なくなる。

  • 親の介護の失敗を教訓に・・・。

    親から子へ親の様々な体験を話をする事は、少子化の現在では子にとっての教科書はスマホしかないので、大人の経験に基ついた体験談は本当に助かると思います。 それは親の介護や入院に関しても様々な経験談や失敗談が若い世代を助けてくれます。

  • 親の介護の失敗 親からの経験値

    今の子世代は少子化の影響もあり、大人数での交流が身近にない為に、人にお願いする、人に知恵を借りる、困難な事は 頼る というような事が出来ない、しない子が多いですね。 大家族であれば家族のふるまいを毎日のように目の当たりに出来ますが そんな大人や祖父母に触れられない環境下では、親が子の成長に合わせて将来の事、冠婚葬祭のマナーなどを教えていく必要があります。

  • 親の介護の失敗 新時代

    人とのしがらみがなく思い道理に生きられれば、それはストレスなく楽しく生活出来るかもしれません。 しかし日頃から兄弟や周囲の知人友人と 連絡を取り合い、交流していれば 例えば親の介護という困難があっても、様々な経験に基ついた知恵や力を貸してくれる頼もしい存在になってくれます。

  • 親の介護の失敗 家族ってチームだ?

    家族が多ければ多いほど突発的な出来事の際には様々な意見、様々な経験がお互いを助けてくれる環境といえるでしょう。その事は親の介護に関しても同じで 親への思いが複数人いる事で長期に渡る介護をストレスを極力分散しながら介護できる大きなメリットが活きて来るでしょう。

  • 親の介護の失敗 家族と集うのが当たり前の環境?

    3世代同居の家族や自営業を営み人の出入りや交流が多い家庭は、先祖の苦楽を見てきているため、冠婚葬祭や親の介護においても家族や周囲の仲間の手を借りてチームで動ける機動力を持ち合わせています。 核家族化している現代では人の助け合いや交流が希薄になっており気が楽な反面、不測の事態には対応できないというデメリットもあります。

  • 親の介護の失敗 親の背中を見て育ったか?

    親が自営業で日常生活の中で親が子供に懸命に働く姿を見せている家庭は、家族は一体化しやすく、例え困難な事でも家族全員で親の介護を支える環境が出来ていると言っても良いでしょう。 親が子の傍で仕事をしている背中を見せる事は、苦楽を共にする習慣が自然と備わる事に繋がります。

  • 親の介護の失敗 親と別居。その後・・・

    例え親子といえども1度は家を出て新居を構えて新しい家族と共に生活をしている場合、親の介護の為とはいえ、同居介護というのは覚悟が必要です。 特に義理の親子関係である妻に親の介護を手伝ってもらう場合は、妻側の立場に立って介護方法を決める事が望ましいでしょう。

  • 親の介護の失敗 同居の選択

    親の介護を考えて同居をする事は通いの手間を考えればベストな選択かもしれません。しかし親の介護の効率と引き換えに義理の親子関係である妻の事を考えれば、通いの介護や同居するにしても2世帯住宅へと回収してからの方が、妻や親にとってもストレス負荷はかからないでしょう。

  • ㉒退職から親の介護へのシフト

    親の介護と言っても、定年まで働き続けた子が、その後も親の介護をするという事は子が60歳、親が80歳という老老介護である。 平均寿命は延びたものの、健康寿命は伸び悩んでいる現状を打破する取り組も、 国では今後最優先事項にするべきである。

  • ㉑親の介護に繋がる制度を求む

    国民に自分で資産を作れと、長く働けと推奨するのは簡単ですが、現状は高齢者の再就職は低賃金となっており、生活費の負担増が顕著であります。 そんな際に高齢者再就職の給付金等の少しでも助かる制度があるのならば、その事も広く国民に周知すべきであり、痛みは伴うけれども、助ける制度があるという事も充分に説明すべきである。

  • ⑳高年齢再就職給付金の説明もして下さい。

    国に要望したい事は、年金額が足りないから自分で投資などでニーサやイデコを利用しながら資産を作り、かつ65~70歳迄 いやそれ以上働いてください というアナウンスをすると同時に、高齢者が低賃金で働く現状の助けになる制度や給付金を広く告知する事もアナウンスして頂きたい。 申請する人がいなければラッキーというような事はせず、税金を納める事と同様に当然の権利として給付金を受給できるような環境作りを望みます。

  • 介護の備え~⑲60歳以降も給与水準維持できる人が勝ち?

    現役時代に昇給を続け高所得水準を維持 してきた人は、年金受給時の勝ち組なんですね。転職や退職をしたり、昇給レースで勝てなかった人は、年金受給額も十分とは言えず、年金受給後もアルバイト程度の稼ぎが必要なのが実情です。 更に60歳以降の再雇用では給与が半減する訳なので、これから先の介護や入院のもしもに備えるには、働き続けるしかないですね。

  • ⑱60歳からの低賃金で年金は ↓

    私もあと3年生まれが早かったら、60歳から年金受給できたのだが、65歳からの年金受給で老体に鞭打ってフルタイム勤務を行っている。そんな中での70歳からの年金受給の話で、特に若い世代は『またかよ』という気持であろう。 介護や老後資金を備えたいが再雇用では賃金が安く抑えられ、なんのために働いているのか?

  • 定年後の再雇用賃金では老後や介護に備えられない?

    60歳以降も働き続ける事が65歳もしくは70歳から余裕のある老後を送るための糧になる。 しかし問題は心身ともに衰える中で給与は低く抑えられ無理をして働き続ける事での健康状態の低下が介護を迎える身での懸念材料です。

  • 父親の介護編㉟父親との確執⑧人の為に汗をかく事。

    私達家族に欠如している事は、父親が共同作業が出来ない事、父親が他人の為に汗をかけない事が欠点であり、嫌な事は家を守る母親がやる事が当たり前だと本気で思っている。この事は父親が育った環境が大きく起因しており、父親の実家の徴兵された男性の言う事は絶対であるという誤った慣習が父親の人格の根底にある。

  • 父親の介護編㉞父親との確執⑦育った環境

    父親の育った環境は徴兵も経験した男性優位の社会で周囲の女性は男性の理不尽な命令にも絶対服従といった風習?伝統?があり、父親の実母(祖母)を引取り介護をする事になっても母親に祖母の事は任せきりで、母親への労いの言葉1つない父親の態度、そして耐え切れず母親が愚痴を言うようなら父親の容赦のない暴言や暴力に私達子供も父親に対して嫌悪感を覚えました。

  • 父親の介護編㉝父親との確執⑥人の痛み

    父親が人の痛みを分からないと悟った決定的な出来事は、母親の在宅介護時に、 筋力のない母親に父親がお粥をやっていた時に、父親のせっかちな相手のペースに合せた食事を与えられない事。 そして母親が喉を詰まらせ汚物が父親の顔面にかかった時に、その事実だけに怒り、興奮する父親を見て 『この人は、そうなった原因よりも 結果しか考えない人なんだ』と再認識した。

  • 父親の介護編㉜父親との確執⑤生き方

    父親の自分勝手な性格が母親の死を機に変わると思っていたが、何も出来ないという矛先が、既に独立している私や妹に代わっただけであった。 母親の死で今迄全ての事を行ってくれた母親への感謝や反省の気持ちは独り身になっても持つ事はなかった。

  • 父親の介護編㉛父親との確執④理不尽

    父親との確執を払拭できずに父親の要介護を迎えてしまった私ですが、父親の母親に対する度重なる暴言や暴力を目の当たりにした事、幼少期の私に対する無責任な父親の行動が頭の中で膨れ上がり、 人を頼らない人生をここまで送ってきてしまいました。

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