親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
親の介護。それは決して後悔しない事。 その為には親の介護について独りで悩むのではなく、親の介護経験者に飛び込んで、親の介護体験を聞いて肌で感じる事。 その介護経験で自分の親の介護に合った介護を選択すれば今後の親の介護の参考になるはず。
母親の介護時によく流れていた曲は安全地帯の あなたへ。 この曲に親の介護でため込んだストレスを発散させるきっかけをくれた安全地帯の名曲です。 そんな安全地帯のドラマーである田中裕二さんが65歳という若さで亡くなった。 同年代の私としてはショックでした。
私の母親は健康だった?少なくとも母親が要介護になる迄はそう思っていましたが、母親は継続的な運動やサプリメントの服用はしておらず、今考えれば、健康そうに見えて、病気をため込んでいたのではないかと思っています。
母親な最後の十年は寝たきりの要介護であり、母親の健康寿命は50歳代で終わっていたという事になる。いくら寿命が延びたところで、自分で何も出来なければ、それはただ平均寿命を伸ばすだけの物。
親が病に倒れ要介護のなった時に、『もう少し早く親の病名が判っていれば』 と後悔する事も。 お医者さんも忙しい診察の日々でありますが、別の病気も疑ってみる、他の科に 連絡し検査をしてもらうなどの対応が求められます。 そして病名を特定するにはこの病院で というようなアナウンスが欲しい。そうすれば病名特定に、病院の盥回しというような事態は起きないはず。
母親の病状が悪化し外出できるのもあと僅かとなり、私は急遽旅行会社に連絡し母親の最後の旅行の予約をし、母親と親しい友人や親戚にも声をかけ、母親との最後の思い出作りに出掛けました。
母親は『元気な内に妹と一緒に高級介護施設で優雅な余生を送りたい。』という 夢は病状の悪化で叶いませんでしたが、 人生100年時代、まだ時間は40年以上ありますので、元気な体さえ持っていれば 働き、資産形成し、丈夫な体を維持する事が可能です。
母親の前向きな気持ちを私達に伝え続けてきたおかげで、私達家族は成長できたのですが、やはり母親も病気の進行に前向きな気持ちを失っていった。 病は気からと言うけれど、母親自身が自力の食事も出来ない状態になった事で、気持ちの糸が切れてしまったのでしょう。
母親は要介護になっても社会復帰を目指して辛いリハビリにも取り組んできましたが、自分の回復が叶わないと分かった日から、ネガティブな感情に支配されるようになり、病の進行が速まりました。
元々ポジティブで活発な母親がや病に倒れて人の世話を焼く事も自分で何かをする事も出来なくなり、生きる希望を失った瞬間から、要介護度が上り、衰えが目立つようになりました。
母親が元気で活発だった頃に私に対して事ある毎に言っていた事は『人の為に真剣に汗をかける人になりなさい。』と。 そうすれば自分が困難に陥った時に必ず手を差し伸べてくれるからというものです。 母親が世話を焼いた人たちは母親が要介護になると、何か力になりたいと毎月母親を訪ねてくれました。
先祖代々、葬儀を盛大に行ってきた家計の方は葬儀方法の変更は自分の葬儀の時からにして下さい。 親の葬儀までは現行通りにしないと、それが親の遺志であっても、親戚には伝わっていない可能性が高い。 親が親戚には家族葬でこじんまりとやると説明しているかどうかも判らない場合、後で親戚からのクレーム対応で身動きが出来なくなる。
親から子へ親の様々な体験を話をする事は、少子化の現在では子にとっての教科書はスマホしかないので、大人の経験に基ついた体験談は本当に助かると思います。 それは親の介護や入院に関しても様々な経験談や失敗談が若い世代を助けてくれます。
今の子世代は少子化の影響もあり、大人数での交流が身近にない為に、人にお願いする、人に知恵を借りる、困難な事は 頼る というような事が出来ない、しない子が多いですね。 大家族であれば家族のふるまいを毎日のように目の当たりに出来ますが そんな大人や祖父母に触れられない環境下では、親が子の成長に合わせて将来の事、冠婚葬祭のマナーなどを教えていく必要があります。
人とのしがらみがなく思い道理に生きられれば、それはストレスなく楽しく生活出来るかもしれません。 しかし日頃から兄弟や周囲の知人友人と 連絡を取り合い、交流していれば 例えば親の介護という困難があっても、様々な経験に基ついた知恵や力を貸してくれる頼もしい存在になってくれます。
家族が多ければ多いほど突発的な出来事の際には様々な意見、様々な経験がお互いを助けてくれる環境といえるでしょう。その事は親の介護に関しても同じで 親への思いが複数人いる事で長期に渡る介護をストレスを極力分散しながら介護できる大きなメリットが活きて来るでしょう。
3世代同居の家族や自営業を営み人の出入りや交流が多い家庭は、先祖の苦楽を見てきているため、冠婚葬祭や親の介護においても家族や周囲の仲間の手を借りてチームで動ける機動力を持ち合わせています。 核家族化している現代では人の助け合いや交流が希薄になっており気が楽な反面、不測の事態には対応できないというデメリットもあります。
親が自営業で日常生活の中で親が子供に懸命に働く姿を見せている家庭は、家族は一体化しやすく、例え困難な事でも家族全員で親の介護を支える環境が出来ていると言っても良いでしょう。 親が子の傍で仕事をしている背中を見せる事は、苦楽を共にする習慣が自然と備わる事に繋がります。
例え親子といえども1度は家を出て新居を構えて新しい家族と共に生活をしている場合、親の介護の為とはいえ、同居介護というのは覚悟が必要です。 特に義理の親子関係である妻に親の介護を手伝ってもらう場合は、妻側の立場に立って介護方法を決める事が望ましいでしょう。
親の介護を考えて同居をする事は通いの手間を考えればベストな選択かもしれません。しかし親の介護の効率と引き換えに義理の親子関係である妻の事を考えれば、通いの介護や同居するにしても2世帯住宅へと回収してからの方が、妻や親にとってもストレス負荷はかからないでしょう。
親の介護と言っても、定年まで働き続けた子が、その後も親の介護をするという事は子が60歳、親が80歳という老老介護である。 平均寿命は延びたものの、健康寿命は伸び悩んでいる現状を打破する取り組も、 国では今後最優先事項にするべきである。
国民に自分で資産を作れと、長く働けと推奨するのは簡単ですが、現状は高齢者の再就職は低賃金となっており、生活費の負担増が顕著であります。 そんな際に高齢者再就職の給付金等の少しでも助かる制度があるのならば、その事も広く国民に周知すべきであり、痛みは伴うけれども、助ける制度があるという事も充分に説明すべきである。
国に要望したい事は、年金額が足りないから自分で投資などでニーサやイデコを利用しながら資産を作り、かつ65~70歳迄 いやそれ以上働いてください というアナウンスをすると同時に、高齢者が低賃金で働く現状の助けになる制度や給付金を広く告知する事もアナウンスして頂きたい。 申請する人がいなければラッキーというような事はせず、税金を納める事と同様に当然の権利として給付金を受給できるような環境作りを望みます。
現役時代に昇給を続け高所得水準を維持 してきた人は、年金受給時の勝ち組なんですね。転職や退職をしたり、昇給レースで勝てなかった人は、年金受給額も十分とは言えず、年金受給後もアルバイト程度の稼ぎが必要なのが実情です。 更に60歳以降の再雇用では給与が半減する訳なので、これから先の介護や入院のもしもに備えるには、働き続けるしかないですね。
私もあと3年生まれが早かったら、60歳から年金受給できたのだが、65歳からの年金受給で老体に鞭打ってフルタイム勤務を行っている。そんな中での70歳からの年金受給の話で、特に若い世代は『またかよ』という気持であろう。 介護や老後資金を備えたいが再雇用では賃金が安く抑えられ、なんのために働いているのか?
60歳以降も働き続ける事が65歳もしくは70歳から余裕のある老後を送るための糧になる。 しかし問題は心身ともに衰える中で給与は低く抑えられ無理をして働き続ける事での健康状態の低下が介護を迎える身での懸念材料です。
私達家族に欠如している事は、父親が共同作業が出来ない事、父親が他人の為に汗をかけない事が欠点であり、嫌な事は家を守る母親がやる事が当たり前だと本気で思っている。この事は父親が育った環境が大きく起因しており、父親の実家の徴兵された男性の言う事は絶対であるという誤った慣習が父親の人格の根底にある。
父親の育った環境は徴兵も経験した男性優位の社会で周囲の女性は男性の理不尽な命令にも絶対服従といった風習?伝統?があり、父親の実母(祖母)を引取り介護をする事になっても母親に祖母の事は任せきりで、母親への労いの言葉1つない父親の態度、そして耐え切れず母親が愚痴を言うようなら父親の容赦のない暴言や暴力に私達子供も父親に対して嫌悪感を覚えました。
父親が人の痛みを分からないと悟った決定的な出来事は、母親の在宅介護時に、 筋力のない母親に父親がお粥をやっていた時に、父親のせっかちな相手のペースに合せた食事を与えられない事。 そして母親が喉を詰まらせ汚物が父親の顔面にかかった時に、その事実だけに怒り、興奮する父親を見て 『この人は、そうなった原因よりも 結果しか考えない人なんだ』と再認識した。
父親の自分勝手な性格が母親の死を機に変わると思っていたが、何も出来ないという矛先が、既に独立している私や妹に代わっただけであった。 母親の死で今迄全ての事を行ってくれた母親への感謝や反省の気持ちは独り身になっても持つ事はなかった。
父親との確執を払拭できずに父親の要介護を迎えてしまった私ですが、父親の母親に対する度重なる暴言や暴力を目の当たりにした事、幼少期の私に対する無責任な父親の行動が頭の中で膨れ上がり、 人を頼らない人生をここまで送ってきてしまいました。
「ブログリーダー」を活用して、サバちゃんさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。