親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
親の介護は家族の方の将来の鏡だと思ってください。90歳まで生きたとしても、最期の10年が要介護であったら? 自身も家族も不幸です。 高齢者になっても自分自身で考え動ける 健康を維持する方法を今から実践し、病気に負けない心身の健康を今から考え実行しましょう。
母親は要介護になり寝たきりになってから、『もし私が死んだら父さんとは別の墓にして』と言っていました。 父親の母(祖母)が要介護になり私達の家に引き取った際、母親にとっての義母親の介護を母親に押し付けた父親に対して、何十年も恨んでいたのです。私も幼心に 父親にとっての実母である祖母の介護に父親がもっと真剣に取り組み、母親に対してねぎらいの言葉の1つもかけるべきだと思っていました。
親の介護は輪廻ではないですが、いつかは必ずめぐってきます。その事を念頭に介護に対応できる自分自身の健康管理や体作りを怠ってはいけない。と母親が私に笑顔で語りかけてくれたのではないか?と思っています。
今世間では老老介護の問題が取り上げられていますが、親の育てられて今の自分があるという事を念頭に親の介護を含めた人生設計を若い内からしておく事をお勧めします。独立して新しい家族を持ち 自分の子供が独立するまで、また家を買って住宅ローンを完済するまで懸命に働く。しかしその後の親の介護の事も将来設計に入れて考えておいてください。
叔母と母親は幼少期から大家族を支える存在として祖母を助け生きていくための農作業から家事全般を姉妹協力して行ってきました。その姿勢はお互い60年以上たっても変わらず、姉である母親が要介護になっても妹である叔母は自分の事のように心配し支えてくれました。
私の母親と叔母の姉妹は幼少期の疎開時代から大家族を支えて、姉妹協力して祖母や家族を助けてきました。その経験が60年以上たった今でも絆として残り、お互いを思い合い助け合う気持ちが続いているのだと思っています。
叔母と私の母親(叔母の姉)が、私が小学生の頃から言っていた『老後は2人一緒に介護施設に入所して楽しい老後を送るの』という夢?は私の母親が先に逝ってしまった事で実現しませんでした。 仲の良い姉妹は最期まで一緒に人生を全うしたかったと思います。
介護が必要な叔母ですが、経営者時代の会社の書類の断捨離を負えない限りは 要介護で人様の世話にはならないと頑なに拒否しています。 介護生活が始まれば心身ともに弱くなり断捨離を終えることが出来ないと最後の力を振り絞り、気丈に振舞う叔母。
要介護の叔母が居宅介護を頑なに拒む理由。それは会社経営時代の書類の山を断捨離していない事であり、断捨離が終わるまでは施設や介護士に世話になって呆けるわけにはいかないそうだ。 経営者時代から重要な事は全て叔母自身で解決してきたプライドが許さないのであろう。
叔母の断捨離の大部分は元経営者らしい書類の山の処分でした。機密書類にあたる為、他の紙類と一緒に資源ごみ出だす事は出来ない。情報漏洩対策として細断してからシュレッターとして出すという人手間がかかります。段ボール40箱の書類の山を叔母1人で処分するなんて出来っこありません。この処分が叔母の最大のやり残した事でした。
要介護の叔母から託された事の一つに、 叔母にもしもの事があった時に貸金庫にある預貯金、債券を取り出し、叔母の兄妹に遺産として分割して欲しいとの事。 私は貸金庫に預けた経験もないので出来れば叔母に1度同行して貰い引継ぎをして貰いたい。そして叔母の終活の引継ぎを1日も早く終わらせて 叔母を安心させたい気持ちです。
叔母は訪問介護の提案を頑なに断りました。叔母曰く『やり残した事がある』 それは、叔母が私に託した、叔母の兄妹への相続の事、叔母の身辺整理の事が 気がかりなためです。ここ数年肺炎や骨折など、経営者の時の健常さは鳴りを潜め、みるみる弱くなっている様子。だからこそ叔母自身にもしもの事があった時の宿題を済ませておきたいのです。
叔母の介護に通いで行っている私達兄妹ですが、軽度の肺炎や転倒による骨折など片道1時間以上で通いの介護にも限界があります。 そんな時、叔母がかかりつけ医として通院している内科、整形外科が居宅介護サービスを併設している事が判り、相談に行ったのですが病院は了承して頂いたが、叔母本人が固辞する結果となりました。
65歳となり定年退職すると家計の7割を年金に頼らなければなりません。それプラスアルファーの生活費をいかに確保するかもポイントとなります。定期預金や 投資信託など長く続けていれば老後の大きな味方になります。備えがなければパートで働くというのも選択肢です。 いずれにしろ老後には老後の出費があります。介護費用や医療費、そして持ち家の場合はリフォーム代が必要になります。
老後の将来の備えを始めるのは早ければ早いほど良い。 定年退職後の主な収入源は年金が主になる。60歳~65歳は雇用延長されても減額が必至だ。そんな中で投資資金を捻出するのも大変である。
老後資金を自ら用意せよ。その代わりニーサやイデコの税制優遇商品を用意します。という政策はシニア世代には時間が少なすぎると同時に、雇用延長するけど賃金は下げられて投資に使える資金に限りがあります。
老後資産を増やす一環として国が推奨するニーサやイデコの税制優遇。 現在20~40歳代の方にとっては長期の投資で老後資金を積み上げる事が可能ですが、私達シニア世代に足を踏み入れたものにとっては時間が限られています。 と同時に国が推奨するのはシニアの雇用延長ですがシニア面接会に参加して感じたのは、8割がパート募集で 残り2割の月給制度も50歳までの5割前後の月給設定となっており、投資や積立を続けたくても出来ない人が多いのではないか?という事です。
シニアの再雇用を公的機関も推奨する中 その待遇は現役時の50%といった所。 そんな低賃金で60歳を超えた人の老後の資産運用は出来るのか?疑問だ。 私達世代が若かったころにはイデコやニーサなる制度はなく、税制優遇が始まった当初は子供の学費や結婚、そして住宅ローンの返済でとても資産運用の余裕などなかった人が多いはず。60歳を過ぎて借金を完済する頃には給与が半分という状態でどう資産運用しろというのか?
国が推奨する資産所得倍増計画は老後の将来の備えは国民一人一人が投資という ニーサやイデコという税の優遇を利用して蓄えてください という事ですが そんな遅すぎる政策の40年も前から将来の備えを始めてきた老後の資産作りを行ってきた人には一切 税最優遇がないという不公平感は否めません。
親の介護の経験をケアマネという職業に活かす といっても ある意味対極にあるので、職業として生きていくのならば介護の要望にに対して、時にはNoと言わねばならない、介護保険を止めなければならない現実もあるという事。
親の立場で介護をするその家族ですが もし職業として介護に携わる事になれば 全てにおいて親の介護に寄り添う介護を提供する事は出来ない というのが現実のようです。 介護保険には予算があり介護等級ごとの優先順位もある中で、ケアマネという職業上、時には華族が望むケアプランを提供できない時もあります。
なかなか親の介護をしていた時と職業としてケアマネになった時とでは親の介護の経験を活かしたいと思っても、全ての患者に望む介護プランを提供する事は難しい事です。それぞれの親の症状、経済状況、家庭環境も違う状況で全ての家族に満足のいく介護等級や介護施設やプランを提供するのは簡単ではない。
ケアマネになりたいと思った動機を思い出してほしい。『親の介護をした経験をケアマネで活かしたい』 その事が日々の忙しさで忘れていないか? 初志貫徹という言葉があるように 親の介護する立場からサポートする立場になっても相手の立場を思いやれるのか?
ケアマネの気持ちはケアマネしか分からないとケアマネの友人は言います。 普段から相談に乗ったり相談されたりという関係を構築する事で、トラブル発生時には自分では対処できないような事例も他のケアマネの経験値にあるかもしれませんので普段からどんなに忙しくてもケアマネ同士の情報交換も必ず行う事。
私は親の介護をしている時には介護する立場としてケアマネと関わっていましたので、ケアマネに依頼した事の報告が遅いと『何してんだ、遅いな』などと思ったものです。しかし親が亡くなり、ケアマネの友人からケアマネの苦労話を聞くと、こんなにも大変な職業なのかと改めて感じる事が出来ました。
ケアマネは包括支援センターという公的機関を通して紹介されたりも一節な関係がある反面、ケアマネの担当顧客に問題があると、応援してくれるどころか『責任を持って対処してください』と突き放される 割に合わない仕事だなと友人のケアマネを見ていて思いました。 そのくせ報告だけはさせるという保身的な所は『やっぱり役所だな』と 感じずにはいられません。
私の友人のケアマネですが彼の働く事業所ではケアマネは全て女性で黒?1点? 働く女性ケアマネは皆さんたくましく仲間同士の会話ではずけずけと思った事は全て口に出してきます。最初は鬱陶しく感じていたのですが最近では思った事は掃き出しすぐに切り替える事の重要性を感じた。
私の元同僚の友人は物販の営業職から親の介護がきっかけでケアマネに転身。 しかし物を売る感覚での親の介護やその家族との対応は生身の患者が相手で相手の環境や事情、性格に寄り添いながら、 しかしスピーディーさを求められる仕事であり前職とのギャップに苦しみ介護を託した家族からも 人を物を扱うようにするな。と罵倒され。
ケアマネは介護者やその家族から依頼をを引き受ければ、それが例え依頼者の家族間のトラブルが原因であっても、その後の介護プランに遅れが出れば全てケアマネージャーの責任として見られてしまう重圧があると友人のケアマネは言っておりました。
前職の営業職からケアマネに転身した元同僚の友人ですが、物を売る営業とは勝手が違ったようです。物は腐れないが、 それぞれの介護を受ける人は生きていて その家族にも様々な事情がある事で、 相手の事情に合せながらもスピード感は大切な仕事で、息つく暇もないほどの忙しさとなりました。
自分の親の介護をきっかけに物販の営業から50歳目前でケアマネへの転職を決断した友人ですが、営業職だけにケアマネも何とかなる、親の介護経験もあるし、 だけでは通用しない生身の人間の介護をスピード感を持って行う大変な仕事だったようです。
「ブログリーダー」を活用して、サバちゃんさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。