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歴史で旅する https://ameblo.jp/rekitabi

歴史を学んで、情景を思い浮かべれば、いつでも、どこからでも旅はできる。 隙間時間を使って、旅をしませんか? ※歴史好きの私の自由研究まとめブログです✧٩(ˊωˋ*)و✧

ゆこ
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2020/10/04

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  • 徐有功去る

     この頃、主人の秘密を密告し、賞金をもらおうとする奴婢が多くいました。 潤州(江蘇省鎮江市)刺史・竇孝湛を貶めようと企んでいる奴婢がいました。竇孝湛は李旦の妃…

  • 李旦に恋した戸婢

     皇太子・李旦に仕える宮中戸婢・韋団児は、李旦に想いを寄せていました。 自分の美貌に自信があった韋団児は、李旦に想いを告げましたが、李旦は「今、私の心には余裕…

  • 傅遊藝の最期

     武則天が即位する前、武太后を皇帝の座に就けるように署名を集めた、傅遊藝という人物がいましたね。→ 詳しくは 「武周革命」 武則天に気に入られた傅遊藝は給事中…

  • ついにバレた!来俊臣の悪事

     魏元忠が時間を稼いでいる頃、一年前、来俊臣に密告され処刑された宰相・楽思晦の子どもが、武則天のもとを訪れました。 楽思晦もやはり、「謀反を企てている」と嘘の…

  • 幽閉された魏元忠の作戦

     来俊臣に「謀反を企てている」と密告され、厳しい取り調べを受けることになった狄仁傑、裴行本、任知古、魏元忠の4人。 自白した狄仁傑の後、裴行本と任知古もひとま…

  • 狄仁傑の出獄

     昇進できない腹いせに、来俊臣から、「謀反を企てている」として密告された、狄仁傑、裴行本、任知古、魏元忠の4人。 武則天は4人を信頼していましたが、密告された…

  • 狄仁傑と魏元忠、密告される

     手柄を上げても上げても、昇進できない来俊臣。 手柄を上げなければと焦っていた来俊臣は、鳳閣侍郎(中書省次官)・任知古、冬官尚書(工部長官)・裴行本の二人を、…

  • 宰相・狄仁傑

     来俊臣が索元礼と周興を処刑した頃、司馬・狄仁傑が地官侍郎(戸部次官)同鳳閣鸞台平章事に大抜擢され、宰相となりました。刺史の補佐を行っていた司馬・狄仁傑が、突…

  • 酷吏・丘神勣、索元禮、周興の最期

     691年、「謀反を企てている」として、貴族官僚出身の酷吏・丘神勣が密告により投獄され、斬られました。 武則天が酷吏を利用する目的は、自分に反対する民や臣下を…

  • 李氏と武氏の権力分散

     岑長倩と格輔元は「李氏を後継ぎにするべきです」と言い、張嘉福と王慶之は「武承嗣を後継ぎにするべきです」と言いましたね。 後継ぎに悩む武則天を見ていた李昭徳は…

  • 李氏と武氏の後継ぎ争い

     皇帝になった武則天は、誰に自分の後を継がせるか悩んでいました。 武則天が皇帝に即位する前、睿宗が皇帝の座に就いていましたよね。 「じゃあ、武則天の後は、睿宗…

  • 則天文字

     武則天の従姉の子である、鳳閣侍郎(中書省次官)・宗秦客は、則天文字の草案を作成しました。 則天文字とは、朝廷で頻繁に使用する17文字を改めた文字です。 例え…

  • 武周革命

     愛人・薛懐義によって、①周囲に「武太后が皇帝になることは正当だ」と認めさせることに成功した武太后。 『武太后と薛懐義の狙い』 武太后から気に入られるために、…

  • 対東突厥、対吐蕃戦

     7世紀、唐は大きく8つの勢力に囲まれていました。 唐の東には新羅が、北東には渤海が、北には東突厥が、北西には鉄勒(テュルク系遊牧民)とカルルクが、西には西突…

  • 周興の復讐

     683年、高宗から「官職に抜擢したい」と言われたのに、いつまでも抜擢されなかった周興。「(昇進の知らせを)待っていても仕方がありませんよ」とアドバイスした魏…

  • 太平公主の夫・薛紹の死

     李貞親子の反乱をきっかけに、李氏宗室は排除されましたが、排除されたのは、李氏宗室だけではありません。 なんと、太平公主の夫・薛紹の一族も排除されました。 と…

  • 李氏宗室の排除

     李貞親子の反乱を機に、武太后は李氏宗室を一気に排除することにしました。 秋官侍郎(刑部次官)・周興に、李氏宗室の処分を任せました。周興は、厳しい取り調べを行…

  • 李貞親子の反乱②

     武水県城を火攻めしようとした李沖。でも、風向きが変わるとい想定外の事態が起きて、失敗してしまいました。 李沖の反乱軍を討伐するよう命じられた、左金吾衛将軍・…

  • 李貞親子の反乱①

     「残る8人の李氏宗室を、どのように排除しようか」と悩む武太后に対して、8人の李氏宗室は、「明堂が完成したら、武太后に殺されるのではないか」と怯えていました。…

  • ブログ追記のお知らせ⑧ → 太宗の妻・長孫皇后

    いつもご覧くださり、ありがとうございます(*´▽`*) 則天武后について、引き続き調べていたところ、追記したい話がありましたので、過去記事に追記しました。 2…

  • 李氏宗室の生存者

     武太后によって、次々と排除された李氏宗室ですが、李氏宗室は何人生き残っていたのでしょうか。 688年に、李氏宗室で生き残っていたのは、次の8人です。それぞれ…

  • 殿試

    隋の時代から行われていた科挙ですが、ずっと同じ試験内容だったわけではありません。 唐の時代、科挙は秀才科、明経科、進士科の3科目が設けられていました。それぞれ…

  • 徐有功と杜景倹

     索元禮、来俊臣、周興のように、厳しく取り調べを行う者がいる一方、数は少ないものの、法律に則って、取り調べを行う者がいました。 司刑丞(太理寺丞。断罪が不当な…

  • 酷吏・周興

     来俊臣に続いて、頭角を現したのが、周興です。 周興も来俊臣と同じ長安の出身。幼い頃から勉学に励み、下級官吏の尚書都事になりました。尚書都事として活躍した周興…

  • 酷吏・来俊臣

     銅匭を設置し、民からさまざまな意見を吸い上げることにした武太后。 武太后の目に最初に留まり、官吏に登用されたのは、索元禮です。索元禮は「陛下を狙う者は、必ず…

  • 銅匭の設置

     武太后は、官僚だけでなく、民から意見を吸い上げたいと思っていました。そこで、魚保家は、銅匭の設置を提案しました。銅匭とは、日本で言う「目安箱」のこと。 魚保…

  • 武太后と薛懐義の狙い

     武太后から気に入られるために、薛懐義は何をしたのでしょうか。 薛懐義は、愛人としての役目だけでなく、武太后の地位をより確かなものにする行動に出ます。 そう、…

  • 薛懐義の傲慢

     薛懐義を出家させ、僧にした武太后。 法明のもとで、仏教を熱心に学ぶ薛懐義に、武太后はますます惚れ込みました。 武太后の寵愛を一身に受けることになった薛懐義は…

  • 愛人・薛懐義

     千金公主に紹介された馮小宝の虜になった武太后。 でも、馮小宝は武太后と孫ほど年齢が離れています。武太后は周囲の目が気になりました。 そこで、武太后はひとまず…

  • 馮小宝

     高宗が崩御して2年が経った、685年。20代半ばの男性、馮小宝が宮中に出入りするようになりました。 馮小宝は長安鄠県の農民の出身でしたが、洛陽で薬を売ってい…

  • 武則天になるまでの準備

     高宗が崩御し、睿宗が即位しました。 でも、睿宗は皇帝として政治に関わることはなく、武太后が政治を行っていました。 高宗の時代から、権力を握り続けた武太后。 …

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