chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 食の大切さ

    バッカーズ寺子屋の合宿では、バーベキューの食材を予算を決めて班ごとに買ってもらいます。また、自分で作り、後片付けまでも、子どもたちにしてもらいます。そこに色々な教育の問題が垣間見えてきますし、それが実り多き学びの時間になっていることを感じます。「料理」という言葉の漢字の意味をそれぞれ見ていくと、「料」は、見当をつけてはかること。「理」は、物事に備わった筋道のこと。と辞書に書かれています。料理の全体像やそれぞれの材料や調味料などの分量を、見当をつけてはかる力が必要ですし、全ての食材や調味料を、正しく筋道を立てて活かし切ることも大切です。手順という筋道を間違えば、素材を活かし切ることはできないと思います。大した料理も出来ない私ですが、少なくとも料理の教育的意義の大きさはわかります。ものすごく頭と心を使う、極め...食の大切さ

  • 思うこと・続

    素晴らしい子どもたちがいます。私たちの子供時代には見たことのない、素晴らしい子どもたちです。グローバル化する社会の中で、大いに活躍して行くであろうと思い、大きな希望が感じられます。高い能力を持ち、良き人間性を持った子どもたちです。これもまた、一面の真実だと思います。思うこと・続

  • 思うこと

    子どもたちの姿は、日本の未来の姿でもあると思います。こう書いて、この先の言葉を希望ある言葉で、続けられない気持ちになります。一部の子どもたちを見ていると、大丈夫なのだろうかと思うのです。それは、昔から延々と繰り返された、年寄りの心配であり、繰り言なのかもしれません。だとすれば良いのです。しかし、どうもそれだけではない、生物としての様相が変わってきた感じがするのです。子どもは、子供時代に、腹いっぱい子どもせないかんと思います。でも、それができない学校や社会がある。子どもの表情や反応の無さに、また、浅さに、涙が出てくる気持ちになることもあります。でも、1年後には、必ず大きく成長できるように共に学びます。結果は必ず出しますし、これまでも出し続けてきました。必ず子どもたちは、素晴らしい成長を遂げていきます。それは...思うこと

  • ただひたすらに

    役人にせよ、政治家にせよ、頭は良いし、一生懸命に仕事をされている、立派な方々だと思います。国や自治体の法を作り、法に従って、様々な仕事を進めていく人たちです。しかし、唯一、欠落している力があるとすれば、自分のことより他人のことを慮ることであり、自己の犠牲を厭わない心であり、国の行く末を思う心なのだろうと思います。それでも海外よりは、はるかに立派なのだろうとは思います。しかし、日本という国は、もっと立派な先達たちがいた国です。そして、私たちはその記憶を失ってはいません。だから、どうしてもその尺度で期待をしてしまうのだと思います。批判は好きではありませんし、政治家になる気も、官僚になる気もありませんので、(なれるだけの力もありませんので)私は教育の世界で、そのような生き方をします。ただひたすらに

  • 戯言

    今ではメールでのやりとりが当たり前になりました。また、LINEの利用者も多いようです。効率的でスピーディーな社会です。昔は、じっくりと言葉を選び、相手のことをあれこれと考え、自分と相手との今の距離感を推し量り、未来をどのようにしたいのかを考え、手書きで、言葉を一つ一つ、紡いでいた時期がありました。書いては消し、書いては消しを繰り返し、何度も何度も、新しい葉書や便箋に書き連ねていた時期がありました。あの頃と較べて、今の私の心は、繊細で深いものであろうかと思います。効率的でスピーディーであることだけが、本当に人間の進歩と言えるのだろうかとも思います。・・・古い人間の戯言です。戯言

  • 転じてものを見る

    上手くいかないことの中に、上手くいくことの種が眠っています。上手くいくことの中に、上手くいかなくなる種が眠っています。だから、一喜一憂することなく、自分のやるべきことをしっかりやっていくことが大切なのだと思います。感情的な悩みに囚われないことが大切なのだと思います。いや、囚われないのは無理かも知れません。だから、一瞬の後に、転じてものを見ることにしています。転じてものを見る

  • 思い

    61歳になりました。あと何年、これまで生み出してきた、激しい研修を続けられるかはわかりません。「斃れて後已む」その言葉を胸に、行けるところまで行くだけです。ただ、誰かにこの教育を手渡せたらと思います。厳しい道ですが、楽しい道です。私に歩けた程度の道です。教育への情熱を持ち、日本の未来のために努力を厭わない、まだ見ぬ誰かと出会う日を楽しみにしています。思い

  • 感謝

    ありがたいことに、多くの人に支えられて今日があります。これ以上を求めては罰が当たりそうだと思うぐらいに思っています。そして感謝しています。しかし、まだまだ、世の中のためにやるべきことがいっぱいあります。自分に課された使命を果たしていかなくてはなりません。人生二度なし。感謝

  • 私の教育

    人間を育てる教育を本気に実現したいのであれば、ルーティーンワークではできないことを思い知るべきだと思います。そして、日々新たに0から生み出す姿勢と、命がけの真剣さがなければできないことだと痛感するべきだと思います。もちろん同時に、遊び心と学ぶ楽しさにあふれた時間を生み出さなければなりません。また、自分自身が、どこに出ても通用する人間であろうと、努力を重ねていなければなりません。スタート時はいざ知らず、本気でやろうと思わない人たちとは、いずれ関係が失われていくのだろうと思います。そうでなければ、共に学んでくださる子どもたちに申し訳ないと思うからです。私の教育

  • バッカーズ九州寺子屋・第15期生・入塾式

    今日はバッカーズ九州寺子屋第15期の入塾式でした。新しい一年のスタートです。気合いを入れて学びます。(私が)本当に多くの皆様に支えていただき、今日を迎えられました。これからは、この学び方をどう社会に残していくかが私の大きなテーマです。バッカーズ九州寺子屋・第15期生・入塾式

  • 世界で揉まれる

    野球も、サッカーも、バレーボールも、ラグビーも、ボクシングも、テニスも、卓球も、若い世代たちは、かつての世代より、はるかに素晴らしい成果を出し、世界の中で十分戦えています。また、料理人も、美容師も、手に職をつけて世界を生きる若者たちは、十二分に世界で戦えています。偏差値を上げることのみを目的とし、良い中学、良い高校、良い大学、という型に囚われた人生設計の芳が、今や色褪せているように感じるのは、私だけでしょうか。世界の中で早くから揉まれることが大切なのだと思います。世界で揉まれる

  • 教育・・・。

    手前味噌で恐縮ですが、私が実践している教育は、子どもたちの教育でも、企業教育をはじめとする大人たちの教育でも、おかげさまで、めざましい成長や変化が、少なからず生じています。(受講者以外には理解されないとは思っています。教育への既成概念が邪魔をしますから。)私は、「令和型の・・・」「Z世代の・・・」といった言葉には脇目も振らず、ただ、日本の教育の先人たちの思いや、古今東西の偉人たちの考え方や生き方に忠実にあろうと思って、自分自身が学んで来ただけです。偉そうに価値観を押しつけたり、他人様に教えようなどとは全く思っていません。また、「21世紀型の・・・」とか、私の知ったことではありません。ただ、そうした教育の方が、確実に人財を成長させているというのは、実に興味深い現象だと思います。しかし、こうした古臭い教育は、...教育・・・。

  • ただただ教育実践の日々を

    なかなか本当のことを口にしづらい世の中ではあります。しかし、どのみち、私は大した存在ではありませんから、誤解に塗れて世を去って行こうが、賞賛を浴びて世を去っていこうが、たいした違いはなく、また、たいした問題でもありません。ただ、自分自身が後悔せぬように、1人の人を大切にしていこうと思います。それとても、相手が感謝してくださるのか、余計なことをするなと思うのかは、私の知るところではありません。私はただ、人間存在の愚かしさと素晴らしさを深く学び、自分が信ずる教育を、最善を尽くしてやっていくだけの人生です。ただただ教育実践の日々を

  • 愚かな世代

    戦後、日本に生まれた私たちは、国家なき個人の幸せという幻想を刷り込まれ、家族なき個人の幸せという幻想を刷り込まれた、そんな世代であった。DINKs(DoubleIncomeNoKids)という言葉が、選択肢としてもてはやされたが、それは個人が経済的に豊かであることを最高の価値と思い、私的な欲求を満たすことのみを優先することと同義であった。必然的に、個人は公的な意識など持たぬようになり、家や国という概念が、他人事になった。その当然の帰結として、国民の数は減少し、国家が衰退の一途を辿るということになってしまった。私たちの世代は、砂漠で見えるという蜃気楼のごとき幸せを夢見て歩き続け、それが蜃気楼であったことを、文学的修辞としてではなく、現実のこととして、身を以て体験することになった、日本史上初めての愚かな世代な...愚かな世代

  • 反省のある日々

    反省するのは辛いことです。自分の至らなさと向き合い、それを責めていく行為だからです。しかし、だからこそ、大切なことだと思います。日々反省。日々改善。日々向上。逃げることなく、立ち向かい、その繰り返しを続けるしかありません。反省のある日々

  • 自分のための学問

    「凡そ学をなすの要は己が為にするにあり」(吉田松陰)「学問というものは自分のためにするものである。」と松陰先生は仰るのだが、ご承知の通り、孔子の教えである、『論語』(憲問)から来ている。「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。」である。「昔は、学問をする人は自分の修養のためにしたものだが、今では、他人に認めてもらいたくて学問をしている」という言葉だ。「自分のため」という意味は、「自分を磨き深め高める」という意味であった。それはひいては人々のためになる学問である。一方「人のため」という意味は、「人にひけらかすため」という私利私欲に満ちた言葉である。「良い成績をとる」「有名大学に行く」「有名企業に行く」そのこと自体は善くも悪くもないことだが、それをひけらかし、他に誇る驕慢な姿勢を言う。また、人に知られた...自分のための学問

  • 教育の成果②

    教育の風景を見ていると、教え子が、先生の考えた通りの考えになるか、それを少しアレンジした考えになるかを、教育の成果ととらえる向きが多いように感じます。私は、それは、「知ったこっちゃない」と思います。私も全力で、自分の大切に思うところは伝えますが、そこから先、どう受け止めようが、どう発展させようが、私の知るところではありませんし、私の手柄でも何でもありません。冷たいのでも、無関心なのでもありません。自立することの大切さを追い求めているだけです。教育の成果②

  • 教育の成果

    教育の成果は、決してテストの点数や偏差値で測れるようなものではありません。その子の目の輝き、立ち姿、声の強さ、そうした人としての佇まいに表れるものだと思います。勿論、それが一年後にも、大きな成果として表れるものですが、本当のところは、20年、30年と経ってみなければわからないものです。そう思っていれば、「私はあれをやりました。これをやりました。」と言っていることが、いかに愚かしいことかがよくわかります。それは言い換えれば、「私は教育の事がわかっていない」と、世の中に大声でわめき散らすようなものでしかないと思います。教育の成果

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Vision&Educationさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Vision&Educationさん
ブログタイトル
Vision&Education
フォロー
Vision&Education

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用