chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
仏教についてのひとりごと https://shawshank-blog.hatenablog.com/

歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求してきました。 今までの仏教の知識を白紙にして、最古層の仏典から歴史上埋もれてきた仏陀の真意を探ることにしました。 そして、仏陀が説いた法は人類の至宝だとわかりました。

ショーシャンク
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/06/29

arrow_drop_down
  • 『sati』が記憶であることについて

    著書『仏陀の真意』の中で、『sati とは、本来、記憶と言う意味』と書いたことから、批判的なご意見がありましたので、考察します。 この人は、最初、 『半分ほど読んだところである。常識の力で既成仏教の手垢にまみれた概念を静かに批判している。その静かさが心地よい。第2章で検討されているキーワードは、諸行無常・一切皆苦・諸法無我・縁起・空・煩悩・業・因果・中道・渇愛・無記・天上天下唯我独尊・戒律・三宝(仏法僧)・解脱の15である。いずれも勉強になった。考えるヒントが随所にちりばめられている。』 と褒めて書いていました。 しかし、それから何日かしてから、こう変わっています。 ※※※※※ 仏陀の筏つまり…

  • 仏教のキーマンはスジャーター

    仏伝だけでは、スジャーターは、仏陀が苦行を止めようと決意したときに、1回乳粥を差し上げただけの人のように受け取られます。 しかし、スジャーターの村の伝承を見ると、スジャーターは仏陀の成道において(ということは仏教全体において)極めて重要な役割をしたことがわかります。 ぐったりとしている仏陀を見て、スジャーターは乳粥を差し出します。 しかし、仏陀はかたくなに食べようとしません。 つまり、この時には、仏陀は苦行=断食を止めようと決意してなかったということです。 しかし、スジャーターは乳粥を食べるように何度も勧めます。 というのも、スジャーターは結婚してましたが、子供がまだだったため、毎日神様に子供…

  • なぜ最初に5人の修行仲間に説いたのか?②

    何故、仏陀は、自分を信頼していなく、侮蔑している、5人のかつての修行仲間に最初に法を説いたのか、ということですが、私の考えはこうです。 身近であれば、スジャーターやその村の人に説いてもよかったのです。また、悟って初めてお布施をしてくれた2人の商人(行商人)がいたと思いますし、ウパカにも会っています。 それらでなく、離れた所にいる5人の昔の修行仲間に最初に説いたのはどうしてでしょうか。 鍵は、成道後の梵天勧請にあります。 仏陀は悟ったときに、こう思います。 『私が悟った法は精妙である。しかるに、世の人々は執着を楽しみ、執着を喜び、執着に歓喜している。そのような人たちにこのような微妙な法は見がたい…

  • なぜ最初に5人の修行仲間に説いたのか①

    ぎんたさんの講師の人が『なんで仏陀は最初にこの5人に語ることにしたんだろう?』と呟いたとのことです。 初転法輪の時に、かつての修行仲間5人に最初に説法したことを言っています。 私は、この問いはとてもセンスのある問いかけのように思えます。講師の人は大学の先生だとか、いいセンスです。 普通に考えれば疑問に思う方がおかしい、当たり前じゃん、っていう話です。 長年一緒に修行してきたのですから一番身近ですし、修行も出来た仲間たちですから、当然の選択で疑問の余地などないように思えます。 ところが、そうではありません。 この5人とともにゴータマ・シッダッタがしていた修行は断食行です。 ところが、ゴータマだけ…

  • 後世の仏教理論で仏陀を読むと

    大乗仏教の国日本において、僧侶も学者も一般人も、大乗仏教の理論を仏陀に読み込んで満足している人が圧倒的に多いのが現状です。 龍樹以降の仏教においては、仏教の根本理論は、縁起、空、中道となりました。 その理論によれば、縁起とは、すべての存在は無数の原因(因)や条件(縁)によって成り立っているものである、ということです。 ですから、自性などない、空である、となります。 つまり、自立しているように思える存在も無数の関係性によって成り立っているということから、関係性が変化していけば変滅するもので独立した性質などない、無自性、空であるということです。 仏教の常識と言ってもいいくらいに普及した考えですが、…

  • 仏陀の言う『空』とは

    後世の仏教において、すべての存在は無数の原因(因)や条件(縁)によって成り立っているので、自性などなく、空である、というように、縁起、無自性、空の理論ができ、それが仏教の根本思想となりました。 仏陀は空の理論は説きませんでした。 スッタニパータで『空』という言葉が出てくるのは、『世界を空と見よ』という箇所くらいです。 この時の、『空』とは、生じたものは必ず滅する、はかないものだ、という意味です。 私が好きな仏典に、相応部経典22.95『泡沫』があります。 五蘊が見掛けだけのもので実体がなく本質もないということを説いた経典です。 色を、ガンジス川に浮かんでは消えるあぶく 受を、雨が降って水溜まり…

  • なぜ仏陀は第四禅で入滅したか

    仏陀は、九次第定を一段階目の初禅からはじめて九段階目つまり最終段階の想受滅定(滅尽定)に到達したあと、なぜか段階を一段ずつ下がっていき、初禅に戻り、初禅から第四禅に上がったところで入滅しました。 これは大きな謎です。 普通に考えれば、最高段階の想受滅定に到達したところで入滅するはずです。 仏教の大きな謎です。 私はこう考えます。 九次第定の1番上は想受滅定です。 上から2番目は、非想非非想処定です。 上から3番目は、無所有処定です。 ところが、仏陀が出家してすぐに、非想非非想処定と無所有処定を習いに行き、仏陀はたちまち習得します。 しかし、この2つの禅定は、『解脱にも涅槃にも行き着かない』とし…

  • 第四禅と四無量心の関係

    『清浄道論』にこのようなことが書かれているという論文がありましたので、備忘録として載せておきます。 『身至念と十不浄とは初禅に属す 初の三梵住は三種禅に属す 第四梵住と四無色とは第四禅に属す』 という言葉です。 論文では 『つまり、慈・悲・喜無量によって第三禅に到達し 捨無量によって第四禅に到達する。 すなわち、四無量によってはじめて禅定の最終境地に至る。』 と結論付けています。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ショーシャンクさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ショーシャンクさん
ブログタイトル
仏教についてのひとりごと
フォロー
仏教についてのひとりごと

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用