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介護の一コマ https://ameblo.jp/ofockaigo

70代の主婦が、老々介護の現実と、介護する側の気持ちなど、実母の介護の体験談として綴ります。 ※ネットに不慣れなため、サポートを受けて更新しています。

かいごまる
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2020/06/22

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  • 介護ブログを終了します

    長い間、拙い記録記事を読んでくださってありがとうございました。 母が兄嫁との大喧嘩の末に我が家に飛び込んできてから、亡くなるまでの長い年月に、いろんなことがあ…

  • 洗濯物

    これも、母がまだひとりでお風呂に入れた頃のこと。母は毎日お風呂に入るのに、1週間も下着を替えないことがよくあった。あてているパットだけを取り換えた。洗濯物を出…

  • 行儀が悪いのが直らない

    外では上品ということで通っていた母だったが、家ではどうしても行儀の悪さが直らなかった。 この、外と内の母のギャップを、誰も想像ができなかったと思う。 親のプラ…

  • 入れ歯が乾いて

    少し元気だったころ、誘ってくださる方がいて(乗り物など、いろいろ配慮してくださった)、母が出かけてくることがあった。 そういう時には、母はめいっぱいがんばって…

  • 眠ってなんかいないよ

    歳を取ってくると、日中でもよく眠るようになる。 でも、母は眠っていたことを認めたがらなかった。 部屋を見に行くと、テレビをつけたまま、ソファーやベッドにひっく…

  • 階段の昇り降り

    母は晩年、体が弱ってきたこともあったが、ずいぶんマイルドになった。それでも、持ち前の気の強さは健在だった。 母のことを思い出すと、歳を取って弱っていくことに対…

  • 母の反応

    外では驚くほどのパフォーマンスをして、まったくの別人になるのに、母は家ではあたたかい返事のまったくない人だった。 何かを訊いた時には、いつも機械的、事務的に、…

  • デイケアのバスを降りる時

    母はパフォーマンスが得意な人だった。よく思い出すのは、デイケアの帰りのバスが家に着いた時のことだ。 バスが我が家の前に停まる。世話係の初老の人が降りてきて、コ…

  • 強い母④

    強い母のエピソードはまだまだある。 母は歳をとっても気は強く、間違っていてもどうしても認めず、譲らないことがよくあった。それも、閉口するくらい、強い言い方をす…

  • 強い母 ③

    母の指をさすっていたその時、私は真っ赤なセーターを着ていた。だいぶ昔、母が編んでくれたものだったが、毛足の長いモヘアの毛糸でできている。とってもあったかいのだ…

  • 強い母 ②

    強い母の、こんな出来事もあった。  ある日の夜、母がベッドから、隣りの台所にいる私を呼んだ。 母は、手の感覚がない、痛い、と訴えた。  母は寝たまま、両手を…

  • 強い母

    母の体の衰えの具合が、時々分からなくなることがあった。 それは、私達が、娘の車に乗せてもらって、遠くの量販店に電動自転車を買いに行った時のことだった。(娘の車…

  • 旅行に行きたい(3)続き

    私がいろいろ考え悩んでいても、母は全く違う思いだった。 私が、行くとしたら、この日しかないけど、と示すと、 「じゃぁ、この日、行こう!」 と母が言った。 「行…

  • 旅行に行きたい(3)

    関西への辛い旅行の後何年もしてから、ふとしたことで、また母と旅行の話になってしまった。私が、小さい頃お世話になった東北にいる親戚のおばさんに、どうしても会いた…

  • 旅行に行きたい(2)続き

    急激に疲れが襲ってきて、頭が痛くなった。目を開けようとすると、頭が割れるようで、開けられない。頭の痛さと、ひどい疲労感で、何もできなかった。 ホテルに着いてか…

  • 旅行に行きたい(2)

    旅行のことでは、母には「前科」があった。私には辛い思い出だ。 母が兄嫁と喧嘩して家を飛び出して我が家に来てから、しばらくしてからのこと。母が、関西にいる親戚を…

  • 旅行に行きたい(1)

    母は生前、日本中、そして世界中あちこち旅行しまくっていた。 自由になるお金がたくさんあったし、親の面倒を看ることも、子供の世話をすることもなかったので、気楽な…

  • 「デイケアの連絡ノート」2

    連絡ノートに、五月の連休のことも書いてあった。 私はその連休中、一日は母のためだけに使おうと案を練った。 歩き回れない母のことを思うと、出かける所を選ぶのが難…

  • 「デイケアの連絡ノート」1

    母の遺品で整理できていないものは、まだたくさん残っている。細かい物をチェックしていくと、時間がいくらあっても足りない。かと言って、やっぱり捨てられないものが多…

  • 夫(忘れられない言葉)

    母のわがままを見てきた夫は、母のことで落ち込んでいる私をよくなぐさめてくれた。(私の実母だと言うのに、立場が逆で変なのだが)時には見かねて、母を注意してくれる…

  • 夫(3)

    十年以上わがままな母と暮らしてくれた夫の話はたくさんある。 例えば、食事時に、夫が母にお茶を入れてあげるのが私はとても気になった。 母は食事時お汁があっても、…

  • 夫(2)

    母のわがままは、まだあった。 母は夫をアッシー君がわりにして、何とも思っていないところがあった。 ある時、母は何を思ったか、自分の誕生日に二個ずつ箱に入ったお…

  • 夫(1)

    妻の親と同居している方はどのくらいいるのだろうか。それも、介護が必要な高齢者の親と。 母は兄嫁と大喧嘩して、有無も言わさず我が家に来たので、事前の相談も何もな…

  • 訪問歯科医(2)

    看護師さんは明るく、てきぱきとお水を汲んできたり、器具を洗ってきたり、有能なアシスタントぶりを発揮していた。 医師は、 「昨日食べた時はどうでしたか?」 とか…

  • 訪問歯科医

    母はだいぶ昔から上下とも総入れ歯だった。 私達の家に来る前に、地元の歯科医院でインプラントを試みたらしいが、それがうまくいかなくて、その不満をずっと言い続けて…

  • 訪問医2

    ケアマネさんが次に紹介してくれたのが、別の内科医だった。 この医師は最初の医師とは全く違った感じで、母に言わせると、 「お坊様のよう」 ということだった。 つ…

  • 訪問医1

    母は心臓が悪く、ペースメーカーを入れていた。 施設から帰ってきて、一度具合が悪くなり、二週間ほど入院して、退院した後、それまでかかっていた内科医の勧めもあって…

  • 桜を見に(2)

    公園の中は、一周するだけでもかなり時間がかかった。 桜の木の下で写真も何枚か撮った。車椅子の上で、母は家の中では見たこともないような笑顔で、よくしゃべった。桜…

  • 桜を見に

    母が亡くなったのは、四月。桜の季節だった。葬祭場の庭に、満開の桜の大木があって、その日の快晴の空に映えていた。亡くなる時の後悔で胸が張り裂けそうになり、すべて…

  • 歩行器でカフェとレストランに(2)

    前の年、入院してすっかり元気がなくなっていた母が、その後少しずつ食欲も出て、体重が増え始めていた頃だった。 夏だったが、夕方近くになると日差しが弱まってきてい…

  • 歩行器でカフェとレストランに

    「歩行器」というと赤ちゃんのそれを思うが、高齢者用にたくさんの種類がある。 私達は「歩行器」と言っていたが、「歩行車」という言い方の方が一般的なのだろうか。 …

  • お金の管理

    高齢者を介護している方達は、お金の管理をどうしているのだろう。 母は我が家に飛び込んできてからも、お金の管理はずっと自分でやっていた。どのくらい収入があって、…

  • 娘は憎まれ役(2)

    デイケアなどで出かける時には、数少ない他人と会う機会なので、母はできるだけおめかしをして行った。 衝動買いで買ってしまう二万円もするブラウスやカーディガンを着…

  • 娘は憎まれ役

    すっかり体が弱ってきてからはだいぶマイルドになったが、我が家に来た当時から、母はわがままでキツい人だった。 外ではやさしく上品な人を最後まで完璧に演じてきたか…

  • 正月

    ある正月のこと・・・ 紅白歌合戦を一緒に観た翌日の元日、私達家族は例年のように、午後から家族で集まることになっていた。 息子や娘達の家族ぐるみで集まるから大人…

  • 紅白歌合戦を観る

    世間のイベントにあまり関心が無い我が家であったが、私は歌が大好きで、年末の「NHK紅白歌合戦」だけは毎年最初から最後まで観た。 毎年同じ歌を繰り返し歌う演歌や…

  • オムツ交換とパジャマ

    母が亡くなって、だいぶ後になってから気付いて後悔したことがある。 それは、パジャマを着ていた母のオムツ交換に関することだった。母はひどい寒がりで、夏でも温かい…

  • 不揃いの指

    細くて長い指が揃っていた母の手は、晩年でこぼこした不揃いの指の手になった。 両手とも 一、二本は第一関節から内側に曲がり 一、二本は関節一つ分ほど短くなってい…

  • 二人で出かけたい(2)

    母にはそんな気遣いがまったくなかった。 そこで、時々思い切って母に言った。 「ちょっとだけ近くのお店に行ってきていい? おかあさんの夕飯は今から用意するから・…

  • 二人だけで出かけたい

    母が我が家に飛び出してきてから、私達夫婦二人だけで出かけることは難しくなった。 出かけるとしても、どちらかが家に残るか三人一緒だった。 比較的元気だったころ、…

  • 薬を飲む

    朝、昼、夜と、何種類もの薬を、母は円錐形のオブラートに入れて飲んでいた。 血圧の薬、血液をさらさらにする薬、痛風の薬、心臓の薬、便秘の薬、睡眠薬、・・・と、母…

  • 長生き

    晩年、階段の上り降りが辛くなってきた母のベッドを階下に移した。(後に介護ベッドをレンタルしたが) 母が急に我が家に来た時には、私達が居間として使っている部屋を…

  • 「しゃべる犬」

    母は一年半ほど介護施設にお世話になったのだが、その間に施設のお友達の影響でいくつかの物を購入した。 そのひとつに「おしゃべりワンちゃん」があった。 玩具メーカ…

  • 頼み方もあるでしょう

    母が私に何かを頼む時、その言い方が心無いと思うことがよくあった。 母は娘をお手伝いさん程度にしか思っていないから(私がそう言うと、母はそんなことはない、といつ…

  • 衛生感覚マヒ?

    母は手を洗わない人だった。 外から帰っても、トイレから出ても、洗わない。 (以前同居していた)喧嘩をし続けた兄嫁にもよく 「手を洗いましたか?」 と言われたら…

  • 救急車に乗る

    救急車に乗ったことは何度かある。長女が小学校一年の時に自転車ごと車にはねられて股関節を折ったし、私自身も自転車で軽いケガをした。その都度誰かが119に連絡し…

  • 羞恥心(2)

    またある夜 二階に先に寝に行った夫が、二階が臭いと言って、すぐに階下に降りてきたことがある。 十二時頃のことだ。 驚いて見に行くと、廊下に酷い臭いがたちこめて…

  • 羞恥心

    母は晩年便のコントロールがうまくできなくて、よく下痢をした。 いきむ力が弱くなって数種の下剤で調整するのだが、飲みすぎると下痢になってしまうのだ。 まだ完全に…

  • 演技オーバー

    普段私にはにこりともしないことが多いのに、母は他人の前では異常なほどにこやかで優しい別人の顔になる。過剰とも思える演技をする。   例えば、訪問医が助手を引き…

  • 毎日母の行事で忙しい(2)

    母には眼医者の件でも悩まされた。 母は目やにが出ると言って年中消毒綿で目を拭いていた。 そうしては 「目が痛い、つぶれそうだ」 と言う。 見ていると、いじらな…

  • 毎日母の行事で忙しい

    自宅介護していると、ひんぱんに行事(?)があって介護者は忙しい。(介護される人にとっては毎日退屈でなくていいのだろうが) ケアマネさんがプランを作成してくれた…

  • 庭の草をむしる(2)

    (早朝から母に起こされたという一つ前のブログの続き) 「おかあさん、ショートステイは明日。それに、こんなに早い時間に。いつもは起こすでしょ」 私が言うと、 「…

  • 庭の草をむしる

    母は晩年体は弱っていったものの、亡くなるまでそれほどボケることはなかった。 けれど、時々ネジが外れてしまったようにおかしな言動をすることがあった。  その日の…

  • 揺れる(2)

    今でも目の前に鮮明に浮かぶひとつの光景がある。まだ母が比較的元気な時のことだ。 ふたりだけの静かな夜だった。 私がパソコンに向かっている傍で、母が珍しく昔の映…

  • 揺れる

     夕飯の食卓で、母が 「世界中、行ったことのない国はほとんどない」 と誇らしげに言った。何のきっかけだっただろうか。 私達夫婦は唖然として顔を見合わせた。 「…

  • 施設考(7)~「家に帰る」~

    骨折入院し、そんなある日のことだった。 母が私に退院後の話をした。 私は当然施設に帰る話だと思って聴いていた。ところが、どうもそうではないらしい。 「え?」 …

  • 施設考(6)~骨折~

    事態が急変したのは、施設の自室で転んで股関節を骨折してからだった。 その日、施設から事故の電話があり、職員の方が最寄りの整形外科に連れて行ってくださった。 私…

  • 施設考(5)~家~

    母からよく、施設の食事の不満を聞かされていた私達は、訪問すると、車であちこちのレストランに連れて行った 歳は取っても母は相変わらず「食いしん坊」だった。 おい…

  • 施設考(4)~施設の問題点~

    その施設には、80人ほどの入居者がいるのだが、エレベーターが一基しかない。(非常階段はある) 入居者の中には、まったくの健常者もいたが、車椅子の方もたくさんい…

  • 施設考(3)~ゆで卵パーティー~

    母は外ではどうしてあんなに社交家になれるのだろうか。家での母とはまったく別人だった。 私達には不満を言ったりするのに外では徹底して「いい人」になる 「味噌汁が…

  • 施設考(2)~施設~

    (前回で決まった施設に入った後) その施設が、割合自由だったし、皆さんが親切だったからだろう。案に相違して(?)母は施設で逞しく生活を始めたのだ。 これには本…

  • 施設考(1)

    外での評価と違って、家の中では母は結構問題児(?)だった。(どれぐらい問題児だったかついてはまた後日書こう)そのため、トラブルが何度もあった。 話し合いをしよ…

  • 携帯電話

    街で公衆電話をあまり見かけなくなった今日。高齢者の方達は、屋外に出た時にどのような手段で家族や周りの方達と連絡をとっているのだろうか。ほとんどの方が、携帯電話…

  • 喪中はがき

    喪中欠礼はがきを出すことも考えなければならない。 年賀状の用意をし始める11月中旬には投函し終わりたい 母が亡くなってから、いろいろ片づけることがあったが、こ…

  • 嫁(2)

    この家に飛び出してきてから一週間、母は兄嫁の悪口を言い続けた。けれど、一緒に暮らしてみて、母のわがままや非常識が私にも納得できる。兄嫁にも同情できた。(母が我…

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