唐突ですが、近々ブログを復活させます。 昨年冬、突然ブログを閉鎖したのも、今回復帰するのも 唐突。 年寄りの気まぐれとお笑いください。 でも、タイトルからわかるとおり、もう私は オートバイ乗りではありません… こんな気まぐれな、オートバイ乗りでもない老人のたわごとでよろしければ またお付き合いいただければ幸いです。
またも年寄りの愚にもつかない繰り言でございます。 西暦2000年から始まった(らしい←wikiによる)NHKのこの番組、今になって NHKのBSで再放送が始まりました。 もっとも、当時のフィルムをリストアだか何だかして 画像を4K(←何それ)レベルにしたものをBSプレミアムで再放送すると、今日知りました。 そんなことは(私には)どうでもいいんです。 当時(20年前)、この番組を観ながらお酒を飲んで、 エンディングに流れる「ヘッドライトテールライト」を聴いていると気が付くと、目じりからは涙がツツツーっと。 嗚咽を漏らしながら泣くようなことはなく、毎回観終わり気づいたら涙が流れていた、 という不思…
という出だしの歌、小学校の時昼の給食の時間に よく流れていた記憶があります(昭和四十年代のことです)。 まあ、この唱歌って、杉の木を植えなさいってことですよね。 広葉樹よりなにより、成長の早い針葉樹を植えなさい、ってことだと思うのは 私だけでしょうか。 私的な歴史観として、戦争が終わった昭和二十年から四十年代って まだ、戦後の復興期だったと思うのです。 その復興のために、木が必要だった時代のことです。 当時私が住んでいたのは横浜市の西のはずれでしたが、 一応横浜市です。 なのに、中学校に入学する昭和五十年ころまで、駅や小学校に行くのに、 雨の日には長靴が必須でした(市道が舗装されていなかったと…
って、佐倉チューリップ祭のことです。 それは、佐倉市の観光資源のひとつであり、 夏の印旛沼花火大会 秋のコスモス畑 と並んで、稼ぎ時なんですよね。 でも、去年はコロナ禍の中人が多く集まりすぎたので 満開のチューリップを掘り返してしまうという 乱暴なことをせざるを得なかったのは致し方ないとしても、 たしかに満開のチューリップは見甲斐があります。 去年の写真です。 向こうに見える崖は、この写真を撮ってしばらくしてヤギで有名になったところです。 さて、もうすぐ佐倉市は桜市になります。 市役所も京成本線の駅にも桜の文字が舞います。 市役所 京成佐倉駅北口 でも、私が思うに、あまり桜が多い佐倉市でもない…
でして、この父親、昭和二年生まれの双子の兄なんです。 若いころは京浜急行に勤務しており、二日に一度は夜勤明けに 帰ってきて、私が幼稚園から帰ってくると部屋で布団に入って 新聞を読んでいたのを覚えております。 その後小さな運送会社に勤務していたのですが、 五十いくつかの時、結構重い脳梗塞を患い、半身の自由が ほぼきかないまま更に十数年後、二度目の脳梗塞を発症。 車いす生活になりました。 そして今からちょうど十年前の12月31日、誤飲性の肺炎を起こして入院している最中に 三度目の脳梗塞を発症。1月4日、亡くなりました。 で、名前の話なんですよ。 父は双子の兄で昭雄(てるお、と読みます)。 双子の弟…
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唐突ですが、近々ブログを復活させます。 昨年冬、突然ブログを閉鎖したのも、今回復帰するのも 唐突。 年寄りの気まぐれとお笑いください。 でも、タイトルからわかるとおり、もう私は オートバイ乗りではありません… こんな気まぐれな、オートバイ乗りでもない老人のたわごとでよろしければ またお付き合いいただければ幸いです。
今日を限りに、読者限定公開にすることは 告知した通りですが、 それ以前に皆様にお別れを言わねば、と思っておりました。 詳細は読者限定になった記事でまたご報告申し上げます。 本当にありがとうございました。 さようなら。
なぜか、ずいぶん前の記事に コメントがついているのです。 しかも悪意に満ち溢れたコメントが。 犯人はだいたい見当がつきます。 で、明日以降、読者登録してくださった方限定の公開に変更いたします。 悪しからずご了承いただきますよう、お願い申し上げます。
いやね、今「古畑任三郎」シリーズの「松本幸四郎」さんが出演されている 「すべて閣下の仕業」を観ていたんですけどね、 本当にすごいなあ、と思います。 故田村さんの演技も、松本幸四郎(現白鴎)さんの演技も 本当にすごい。 でも、一番すごいなあと思ったのは、この脚本を書いた 三谷幸喜さんです。 多分彼の作品を初めて観たのは「王様のレストラン」。 残念ながら見逃した「真田丸」など、 錚々たる作品が多い気がします。 で、件の「すべて閣下の…」を見ている途中で思ったのです。 「すげえなあ!天才っているんだなあ!!」と。 でも、ですね。 すぐに思い返したのです。 誰かの才能を「天才」と思うのは、 自分の努力…
昨12月4日、PCを起動したらユーチューブで、なぜかあの伝説の「かぐや姫」の三人が 歌っているシーンが流れていました。 彼らのファンだった私は当然のように入っていたのですが、 その中の、「神田川」だか「赤ちょうちん」の動画に寄せられた コメントの中で両曲の作詞家だった「喜多條忠」さんが最近亡くなったことを 知ったのです。 ショックでした。 件の「かぐや姫」こそが、クラシック畑にいた私を畑の外へ引っ張り出してくれた 恩あるグループだったし、その彼らの曲を多く手掛けていた喜多條さんも、 ある意味、恩ある人だといえるでしょう。 年齢順に逝くのは自然なことだとは思います。 でも、自分が好きだったグルー…
友達は去りました 今日という日の来ることは(以下略)… って、吉田拓郎さんの名曲ですが、ふと思ったのです。 「やるせない想いを胸に」していたのは、 友達か 自分か この場合、コンテクストから考えれば、 「やるせない想い」を胸にしていたのは「友達」でしょうけれど、 じゃあ翻って「私」は やるせなくなかったのか? これから数十年の、終点の見えた人生で、答えが出せたらいいなあ… そんなことを思った冬の入り口の今日でした。
こりずに焼き直しでございます。 さて前回、限定解除試験を『あの「悪魔の試験」』といいました。 私の住んでいた横浜の西のはずれの町では二俣川試験場で受験をするのですが、 「二俣川で合格したら一目置かれる」ほどという噂が流れるほど、 そこは難しいという噂。合格率6%という噂。 試験官は基本的に落とす(不合格にする)というスタンスで試験を実施しているという噂。 直線での加速が遅いと 「そんな運転なら中型に乗ってな。」と言われ不合格になったという噂。 などが、まことしやかに流れていました。 一方、平均10回で合格する人が多い、という噂、また、 拙稿「ピースサインのこと4」で書いたように、2回で合格した…
(焼き直しなんですが) 「限定解除」ってなんだよ? 最近免許を取得したオートバイ乗りの方は仰るでしょう。 エンジン付きの二輪の乗り物は「オートバイ」とか「バイク」と呼ばれていますね。 国語辞書の編集作業を手伝っていたころは、大学の先輩や後輩、 (恐れ多くも)大学の先生方と「オートバイ」と「バイク」という呼称について 無駄話をしていたことを思い出しますが、それはまた、別の話として いつか記したいと思います。 さて、すごくざっくりいうと、 昭和五十年代初頭(私がオートバイに乗り始めたころ)は、 オートバイ(バイクも含めて、発動機付きの二輪車)の免許は 四種類に分かれていました。 排気量50CC以下…
小学校の頃のKAWASAKI Wにまたがらせてもらたのが 私のオートバイ原体験(その壱)とすれば、 初めて自分で動かした原体験(その弐)は、母の実家であり、 私と母、弟の生家でもある、山梨県の小さな村の農道で Hondaスーパーカブ50を、免許なしで操縦したことでしょう。 小さな村です。 祖父が持っていた山に行くには、車で十分。 誰にも会いません。車にもすれ違わないようなとんでもない田舎でした。 その村でいとこが所有していたカブにまたがって操縦したのは高校一年生の時。 その年、自動の二輪の免許制度に大型限定というのができると聞いた オートバイ好きたちは皆、試験場に殺到しました。 私は、といえば…
私が読者になっている mokatrip.hatenablog.com さんの記事に「ツーリング中のピースサイン」 (今はYAEH!というらしいですが)についての お話があったので、思い出すことなどを徒然に。 私が初めてピースサインを出し、また、もらったのは もう四十年近く昔。北海道でのことでした。 その当時はまだ中型免許も所有しておらず、 普通四輪免許で、従兄からもらったスーパーカブに 乗っておりました。それほど二輪にのめりこむわけでもなく、 本当にアシとしてバイクに乗っていたのです。 そんな私が、21歳の時、夏の北海道を車で旅した時のこと、 キャンプ道具など一切なく、車のリアシートに毛布を積…
皆さん、最初に乗られたオートバイって、何だったんでしょう? 私はKAWASAKIの650cc、ツインのエンジンを積んだ オートバイでした(今となってはもう正確な車種はわかりません。 ただ、小学生だった私には、 大きな音を出す大きなオートバイ という記憶しかないのです。それがKAWASAKIのWだったとわかるのは、 そのあと数十年の時間が補正した記憶かもしれません)。 いずれにしろ、その大きなオートバイに乗る隣のおじさんは、 小学校四年生の時、私が初めて買ってもらった24インチの自転車を、 リアシートに括り付けて運んでくれたのです。 そんなに大きなシートだったんだなあ、と今は思います。 さて、「…
岩崎宏美様。何十年前でしょう、「天まで届け」というコピーで貴女がデビューしたのは。当時の同年代の女性歌手とは比較にならない歌唱力、本当に天まで届きそうな艶のある透き通った声、サラサラのおかっぱヘア、すべてが 貴女の同学年で、3か月年下の私の憧れでした。高校三年生の時、「思秋期」のバックのバイオリン弾きの公募に応募しようと思ったこと。大学一年の時、B大マンドリンクラブのコンサートに貴女がゲストとして出演、そのコンサートのスタッフとして参加し、目の当たりに貴女を拝見し、一言だけ言葉を交わしたこと。何もかも、誰も知らない思い出として、あと数十年で消えていくのでしょう。まとまりはつかないですが、まだ、…
私は好きです。 若いころは週に一度は仕事帰りに週に一度、 京成線、実籾駅近くにある「かつ八」さんというお店で、 瓶ビール一本、とおろしロースかつ定食かおろしひれ定食を頂くのが 週末の楽しみでございました。 すっかり足が遠のいているうちに、ご夫婦で営まれていた「かつ八」さんが 閉店して何年でしょうか。 いまだに「かつ八」さん以上のとんかつには出会えておりません。 とまあ、これは枕でございまして、昨日娘たちがこんな話をしていたのです。 「人間って俺ら(豚になりきって話している)のこと、食べるんだぜ。」 「ひどいよな。こうやっておいしいものを食べさせて太らせて、 それで殺してたべるなんてさあ(同じく…
たまには面白いことがあります。 私が住んでいる場所は、駅から徒歩40分。 中世の城跡横を抜けたり、森や畑の中を抜けたりと、 大変に寂しい場所にあります。 もちろん総戸数800戸に喃々とする小さいながらも立派な街です。 が、この街も高齢化に伴い、魚屋さん、肉屋さん、スーパーらしきお店、 薬局、クリーニング屋さんと、次々にお店を閉め、 寂れる一方なのですが、 まあ、わが町のことは置いておきましょう。 長女はこの春から某大学に籍を置き、大学の交響楽団にも籍を置いております。 中学から吹奏楽部にいたのですが、大学入学を機に弦も加わった交響楽団に 入ることに決めたようです。 もともと弦楽器が好きであった…
また焼き直しなんですけど、一応手は加えていますので、悪しからず。 そろそろハロウィンらしいですね。 といっても、私にはいまだにハロウィンが何なのか、よくわかっていません。 多くの大人(ってか老人?)も同じだと思います。 ハロウィンという言葉を初めて目にしたのは、 中学校二年生(多分昭和47年)の英語の教科書。 英語の教科書って、下段に新出単語とか英米の風俗とか、 私たち日本人にはわからないことを解説してくれているんです。 そこに、ハロウィンについて以下のような記載があったのです。 「万聖節のよい祭り」と(四十八年前のことですが、はっきり覚えています)。 でも、これじゃ何が何だかわかりませんよね…
この日(一昨日10月22日)は真冬の寒さといわれるほど寒い一日でした。 私はといえば、私用で(まあ、公用なんてございませんが)京成佐倉駅前の 三井住友銀行まで妻と一緒に車で行き、そこから特急で京成津田沼へ。 さらに京成千葉線で京成千葉へ。 そこ(千葉)で本日のお勤めだったのですが、 京成臼井は通過する、特急からの印旛沼やチューリップ広場の眺めは 旅行者のそれだったと申し上げておきましょう。 ま、それはさておき、 京成千葉からJR千葉駅へ向かう横断歩道の手前で (私が勤めているのは京成千葉駅からJR千葉駅の北口を向こうに渡った予備校)、 何やら人の流れが滞る一角があるのです。 何だろうと近寄って…
前々回って? ほら、あれですよ。車を買っちゃったっていうお話。 piroji1616.hatenablog.com 何を買ったのか、ひそかに気にしていたあなた、 これですよ。 まずヒントからです。 ヒント 1 ボディーカラーはシルバー。軽自動車のナンバーを使ったキーホルダーですね。 このキーホルダーの形は最新型のものですが、私が買ったのはもっとずっと古い 中古車です。 パワーウインドウはついていません (うちの子供たちは、最初ウインドウが開けられなかった)。 集中ドアロック?ありません(駐車のたびにすべてのドアのロックを確認して 車外を一周しております)。 さすがにエアコンはついていますから、…
例のごとく加筆訂正してありますが、焼き直しなことは確かでございます。 重ね重ね申し訳ございません。 以下焼き直しです。 先日(10月10日)、我が地自治会では赤い羽根の集金がありますした。 赤い羽根って、善意によるものですよねえ。 それを各家庭最低500円と指定されて集金するというのも変な話ですが、 我が自治会の話はまあ置いておきましょう。 私が高校時代(もう40年以上昔だよォ)からずっと不思議に思っていることが あります。 本来、国民の幸福のために(本当は不幸を一つ一つつぶすために)あるのが 政治であり、それを生業にするのが政治家だと思うわけです。 私たち庶民は、数百万円の年収の中からあの赤…
皆さんに、うそをつきました。 最後の愛車になる予定で、「この車を降りたら 免許を返納しよう」と思っていたBMW 1988年式E36型M3を手放すとき、 「私はもう二度と四輪車を買うことはないでしょう。」などと 殊勝なことを言っていたのに、 piroji1616.hatenablog.com あれから半年もたたずに、買っちゃいました。 読者の皆さん、うそついてごめんなさい。 で、BMWかって? いえいえ、今やただの記号、アイコンに堕してしまったBMWの四輪なんて 欲しくもないし、くれるったっていらないし(だから誰もくれるなんて言わないし)、 当然買うことなどできるわけもありません (残念ながらこ…
ああ、ほんの数日前まで割と暑くて、 スーツを着込んで出勤する私は、校舎につくまでに軽く汗ばむ、 ということがよくあったのですが、今日は違いました。 うちの所用で、JR佐倉まで車で送ってもらい、台風の影響で少し遅れた 佐倉発の列車を待っているとき、「寒い!」と感じたのでした。 帰宅時もそうでした。 京成臼井駅で迎えの車を待っているときも、降りしきる雨のせいだけではなく 寒いと感じたものでした。 まあ、台風と雨のせいだといえばそれまでではありますが、 今回の台風、暴風雨と一緒に秋も連れてきたといえるのではないでしょうか。 今まで何度夏から秋の移り変わりを見てきたことでしょうか。 しかし最近、そんな…
唐突ですが、近々ブログを復活させます。 昨年冬、突然ブログを閉鎖したのも、今回復帰するのも 唐突。 年寄りの気まぐれとお笑いください。 でも、タイトルからわかるとおり、もう私は オートバイ乗りではありません… こんな気まぐれな、オートバイ乗りでもない老人のたわごとでよろしければ またお付き合いいただければ幸いです。