胃がんから肺転移になった最愛の父 終末期医療の在り方やセカンドオピニオン、 緩和ケア、介護保険やサービスそして葬儀。 大切な日々を綴ります
最期を迎える場所に「家」を望む人は多い だが現実は「病院」という現状の多い日本 もっと自分らしく 穏やかな最期を 静かにパパちゃんがこの世から旅立っていった 長女も次女も「パパちゃん-」「お父さん・・・」 涙が止まらず体をさすっていた。 私は2階に駆け上がり、主人と子ども達を起こした。 もっと早くに呼んでいれば それだけが悔やまれた 起きてきて呆然とする子ども達 信じられない、という思いだろう 私たちもそうなのだから 次に診療所に電話を入れた。 すぐに医師に診てもらわないといけないと思っていた。 すると看護師さんが出られ 『ご家族でゆっくりとお別れをしてください。 その後のご連絡で大丈夫です。…
ゆっくりと ゆっくりと ろうそくの炎が消えるかのように 深夜を過ぎ、子どもたちもそれぞれ2階の寝室で眠っていた。 パパちゃんの側には私達3姉妹。 1度だけ、ガバッと起き上がって驚いた。 本当に、突然。 しかも手すりも何も使わず起き上がった。 左側の窓の方を向いて、何かを見つめているような感じで 慌てて体を支える。 ゆっくりとまた力が抜け、横になった。 何だったのだろう それからはまた、眠り姫だった。 イビキをかいていたぱぱちゃんが、静かになった。 よくよく見ていると・・・呼吸が止まっている⁉ 3人でアワアワしていると、しばらくしてまた「ふー」と息をする。 私たちも「はぁ~」と安堵。 だが気づけ…
ここからはパパちゃんが息を引き取る瞬間までを記します。 臨終の際の実際のブログや記述はあまりなく 私達自身よくわかっておらず慌ててしまいました。 ご不安になられたり、不愉快に感じられるようでしたら 大変申し訳ありません、とばしてください。 次女家族が到着し、姉妹全部そろった。 そして仕事に出ていた主人も帰ってきた。 パパちゃんは相変わらず、眠り姫。 ものすごいイビキをかいて爆睡していた 在宅医療の看護師さんからいただいた 《これからの過ごし方》にも最後の身体の状態などが書かれてあった。 だんだんと眠っている時間が長くなる(1週間前頃~の変化) 声をかけても目を覚ますことが少なくなる(1,2~数…
万が一に備える”保険” 過剰なものはいらないけれど やっぱりあると安心感は違う あとこの日にしたことは、お金の工面。 在宅医療に、これからのことに どれくらいかかるのか正直分からなかった。 義実家とトラブるのは必然なので 主人のお金は使いたくない。 自分の独身時代から積み立ててきた保険を使うことにした。 メチャクチャ健康体な私。 出産直前の切迫早産の時に入院したくらい。 メットライフ生命に加入していたが 外貨運用だったので、近年は積み立てもで来ていた。 担当者に連絡を入れたところ、やはり利率がとても高いので 残しておいた方が良いとのこと。 大至急借り入れの書類を送ってもらうことにした。 少し安…
何度目の介護認定だろう 元気が良すぎて通らなかったっけ ずっと昔のよう -12時半- 息つく間もなくやってきたのは介護認定のメンバー。 地域でいつもお世話になっているケアマネジャーさんと 調査員の女性の方、そしてソーシャルワーカーさん。 今パパちゃんは《要支援1》 体力はとても低下していたが、いつも面談の時に冗談ばっかり言うので 「まだまだ元気」と認定が下りなかった💧 ケアマネジャーさんは男性の方だが、 いつも笑顔でとても優しい。 なかなか要領を得ないパパちゃんの話にも うんうん、と気長に付き合ってくださる方だ。 もう、数年のお付き合いをさせてもらっていた。 私が仕事の時は、携帯へ連絡をマメに…
ずっとずっとずっと がまんしてきた 自分のことならば、まだいい でもこれだけは、譲れない -お昼12時過ぎ- 先生から今晩、と危篤を告げられ 頭が真っ白になっていた私と長女 そして居座り続けていた義父母は 先生が話し出すと同時に 私たちの中に割り込んできて聞いていた。 一歩引いて静かに聞いている従兄とは真逆だ。 そして聞くだけ聞くと 「さ、お父さん帰ろ」と出ていく。 やっと帰ってくれる、と安堵したのもつかの間 「夜にまた来るからね!!!」 と玄関口で言われ、血の気が引いた。 はぁ⁉夜にまた来る? 冗談じゃない これ以上は、ムリ プッチーンと何かの糸が、切れた。 玄関口に行き、帰ろうとしている義…
どんなに残酷なことを言われても 信じないよ -お昼 12時前- 新しい介護ベッドに横たわり 点滴も注入量を増やしてもらったパパちゃん ようやくすやすやと眠り出した。 バタバタと人の出入りも慌ただしい中 帰ろうとしない義父母。 「今日はすみません、わざわざありがとうございました。 もう大丈夫なので。また後で連絡します」 『帰れよ』をやわらかく変換して言っているのだが さすが地球外生命体、通じない。 一向に帰ろうとしないので 時間をおいて、3回ほど言ったが無理だった。 診察した後に話があるはず。 それを聞かれたくないのだが 向こうも意地で聞こうと ギラギラと先生の動きを監視して帰らない。 そんな中…
辛く苦しい 長い、長い夜 -真夜中- 先生につけてもらった点滴のおかげで 楽になった、と言っていたパパちゃん。 でもそれは始めだけで 夜が更けるにつれ、効かなくなっていった。 「おい、ちょっと薬増やしてもらえんか」 看護師さんに言われた手順で 薬の注入の倍速度ボタンを押す。 最初は、まだそれでよかった。 でもだんだんと きつさを訴える頻度がハンパじゃなくなってきた。 30分に1回、と言われたボタンを何度押しただろう こんなにも連打することが怖くなり 途中で看護師の従妹へ電話を入れた。 大丈夫、押していいから、と言われ またそれからずっと押し続けた。 痛い、というよりは苦しい、の方だった。 肺が…
ついこの間告げられた「余命3か月」 まだ、まだ1か月しか経ってないよ -午後4時- 色んな書類に目を通し、説明を受けながらサインをした。 そして先生から小さな声で告げられたのは 『状態としてはかなり厳しいです。 左の肺はもう機能していません。 癌の転移もですが、心機能もかなり低下しています。 おそらく、もってもあと一週間と思ってください』 へ? 一週間? はい? 思わずマヌケな声が出てしまった。 「いや、でも昨日もご飯たべて、お風呂も入って フツーに話してますよ?」 『この状態で、痛みがほとんど無い事が奇跡です』 呆然とする私に先生は 『今、痛み止めと鎮静剤で落ち着いています。 今後は眠ってい…
在宅医療はもっと ハードルが高いものだと思っていた 素晴らしい先生とスタッフに 出会えて事への感謝と もっと早くにしておけばよかったという後悔 -午後3時- それから間もなくして来てくださったのは 院長先生と2名の看護師さん。 あれっと1番に思ったのが 病院名とか何も記載していない普通の軽自動車に これまた白衣とかではない ポロシャツを着られたお二人。 パッと見、医師と看護師には見えない。 あえて分からないようにしてあるのだろう。 それだったらもっと早くに お願いすればよかった・・・ 先生は優しい男性の医師で 物腰も柔らかく明るい方で、パパちゃんと雑談を交わしながらも テキパキと看護師さんに指…
時間が飛ぶように過ぎていく -2020年 皐月- にぎやかだったゴールデンウイークが明けた。 途中病院からステロイドを増量してもらったものの 歩行はさらに厳しくなり 金曜日 下痢がひどくなり、普段服用している漢方もSTOP 土曜日 夜間の咳がひどくなる 日曜日 この日もお風呂には入り、次男が作った夕食をみんなで食べた。 子どもたちから”母の日”にと贈られた カーネーションの花と一緒に パパちゃんと写真に写った。 「味があんまりしない」とポツリ。 身体のむくみがひどくなってきていた。 月曜日 -午前10時- 早めに病院へ行って診てもらおう、ということで 私が電話を掛ける傍ら、出かける準備をしても…
ありのまま なすがまま 風のように生きる 自由な人 -2020年 ゴールデンウイーク最終- 夜、隣で横になりながら、いろんな話をする。 ゴールデンウイークに お姉ちゃんたちが来てくれたこと 従兄家族が来てくれたこと なんだかんだで嬉しかったのだろう 「早く元気になって、釣りに行かないとな」 そう言いながら、笑うパパちゃんは いつもと変わらなかった。 ごろ寝マットで横に寝ていたけれど少し肌寒くて 足だけパパちゃんの布団にお邪魔して ぴとっとつけていた。 あったかーい パパちゃんは体温がとっても高い。 冬場でもずっと下着にステテコ姿で不思議だった。 小さい時はパパちゃんの布団でくっつくのが大好きで…
ひと目、元気な顔を 言葉を交わし 笑顔をかわし あの時間を忘れない -2020年 ゴールデンウイーク- お出かけもままならぬ中 みんながパパちゃんに会いに来てくれた 長女は朝早くから来て パパちゃんの好きなものを作ってくれた でも感染リスクには超過敏な長女💦 『6月のパパちゃんの誕生日ごろには さすがに落ち着いてるだろうから その時はみんなで集まろうね!』 と話すや否や 風のように帰っていったε≡≡ヘ( ´Д`)ノ そして入れ替わるように次女家族😊 なんとなんと 従兄家族まで来てくれた。 従兄ははるか昔、飲んだ席で 義父ともめたことがあり それから縁遠くなっていた。 でもそんなことも気にせず …
樋口了一さんの【手紙】はもちろん有名で ずっと前に知ってはいた。 元の歌詞はポルトガル語で作者は不詳。 日本語で訳詞と曲を付けたものと聞いていた。 だけどその意味を本当に理解するようになったのは パパちゃんの癌が再発してからだった。 【手紙~親愛なる子どもたちへ~】 年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしてもどうかそのままの 私のことを 理解して欲しい私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れてもあなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しいあなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返してもその結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しいあなたにせかまれて 繰り返し読ん…
歩けること こんな当たり前のことが 出来なくなって改めて思う もう一度 元気に歩かせてあげたい -2020年 皐月- ゴールデンウイーク。 絶好のお天気日和なれど コロナのせいで総国民自宅待機 www.hikaru-ko.xyz 病院での輸血の効果はイマイチで ほとんど状態は変わらなかった。 期待していただけに落胆も大きかった。 家の中でも トイレやお風呂場への移動も 一人で行くのがしんどいようで 支えながら行くことが増えていった お風呂には一人で入っていた。 ゆっくり、のんびりしたいだろう。 でも入っている間は脱衣所とリビングの間のドアを開け 声掛けをしながら気を付けていた。 お風呂から上が…
いつも笑顔で 優しさがいっぱい まぶしいひまわりのようで 静かな朝顔のような人 -2020年 皐月- ご飯も量を減らしてはいたが、ちゃんと食べ、 お風呂も一人で入り 夕食の時はみんなとおしゃべりをして たわいもない事を言って 笑って 毎日が過ぎていった。 だが動きが日増しにゆっくりになっていき トイレに間に合わないことが増えてきた。 パパちゃんは心臓での入院の時から 「おむつはヤダねー!」と大和田常務ばりに 拒否っていた。 絶対安静の時ですら、そうだった。 看護師さんに頼むのも、気が引けるのと どうしてもイヤだったらしい。 だが私がダッシュで買い物に行ってる わずかな時間でさえ、ガマンできなく…
「もう一度元気になりたいなぁ」 「普通に歩きたいなぁ」 私につかまるほっそりとした腕 -2020年 皐月- 緩和ケアの外来受診の時に やはりきつさが取れないため 輸血をしてみよう、ということになった。 手術や緊急時でなくても 輸血ってできるんだ ちょっと驚きだった。 胃を全摘出してからは 貧血気味だったパパちゃん。 食事も全くとれない訳ではないが ずっとだるくてしんどそう。 癌に限らず病状の進行に伴って体力が消耗されていく 【悪疫質】という状態が続いていた。 身体に送られるべき栄養を癌細胞が吸収してしまい 結果、体力や筋力が維持できず 栄養も足りなくなり、体重も減少していく。 まだこの頃は退院…
時には厳しいことも 相手を思うからこそ 愛情の証 -2020年 卯月- 家の中は平穏な毎日 でも外はコロナの嵐が吹きまくっていた。 退院後の外来受診の時、長女が来てくれた。 www.hikaru-ko.xyz 家も一番遠いため、なかなか会えない。 しかも医療関係に勤めているため 感染リスクにはとてもとても注意を払い 外出や外食の類を一切断っていた。 自分自身へはもちろん 万が一にもパパちゃんが感染しないようにと ガマンしていたのだと思う。 コロナでなければ もっと会いやすかったのに お出かけもできたのに そう思う一方 子どもたちが休校のため一緒にいられたこと 結果病院でなく在宅看護で居られたこ…
嵐のような毎日から 静かな日々に それでも 駆け足で過ぎていく -2020年 卯月- 家と仕事と子どもたちとパパちゃんと そして義実家の対応 戦争のような日々だったが ”仕事”が消えただけで、毎日がガラリと変わった。 時間的な余裕が、心の余裕につながった。 買い物も行けるし 食事も作れる。 これはとても大きかった パパちゃんの食が細くなり、あまり口にしたくない時も増えていた。 そんな中お気に入りは 《ドール》のアイスフルーツバー。 冷たく口当たりが良いのだろう。 1日中、よく食べていた。 だからこれだけは、冷蔵庫に欠かさずストックしていた。 またリハビリで入院した時から愛用していた 《クリミー…
やっぱり家がいいよね さぁ、帰ろう -2020年 卯月- 病院で食事と点滴による回復を勧められ 入院していたパパちゃんでしたが 「帰りたい」コールが頻発 www.hikaru-ko.xyz これは結構珍しい事でした。 今まで何度も入退院を繰り返す中で 一度もそんなことを言ったことはなかったのに 馴染みのない病院だったのもあるけれど 『面会制限』 家族と会えないことが 相当しんどかったようです。 退院するのであれば、食事管理も含め 側についていないともう厳しいと思い 仕事を辞めることを上司に告げました。 そしてその際、退職理由を 《自己都合》ではなく 《介護のため》としてもらうことも忘れませんで…
本の世界も好きだ でもあのスピード感と迫力 テレビもいいね 毎週日曜日、楽しみにしていたのが 【半沢直樹】 池井戸潤さんの本は大体読んでたんですが、 これのドラマは初🔰 今更ですが今期めちゃくちゃにハマり オンタイムで見る楽しさを味わいました。 話もキャラクターも面白くて濃ゆい。 そして大の男同士であり得ない顔の近さ(笑) ソーシャルディスタンスどこではない💦 撮影とか本当に大変だったんでしょうね… この大変な中でのドラマ制作 本当にお疲れさまでした。 途中コント?と思うほどのやり取りもある中 黒崎検査官を見ていて、色々思い出すことも。 以前保険会社に勤めていた事がありまして まぁ営業さんをサ…
笑っているから 大丈夫って思ってしまう 心配かけまいと 強がっていたのだろうか -2020年 卯月- 抗がん剤治療ができなくなり 緩和ケアを考えたときに この先の体調や症状について 色々と調べることが増えた。 本来ならば 癌治療のスタートの時に 緩和ケアもスタートさせておくべきだった。 患者さん自身の痛みや不安を和らげるために 本人と家族のサポートのために またそれと同様 《フレイル》と呼ばれる状態についても 早めに知っておきたかった。 健康で自立している状態から 加齢等によって 要介護の兆しが見え始める期間の事 www.toarunaikai.xyz 恐らく今まで一人でできていた 布団の上げ…
今まで出来ていたことが 段々とできなくなって めんどくさがり屋さんに なっちゃったねえ -2020年 卯月- いつもキレイ好きなパパちゃん (ないのに)髪のセットは怠らないw お風呂が大好き そしてお風呂上りは ブラバスがパパちゃんの香り ひげが伸びていたり パジャマを着たまんま お布団引きっぱなし なんて 考えられもしなかった きつかったんだよね 体を動かすことも たぶん大好きなお風呂に入ることさえも 心臓が悪く、血液サラサラの薬を飲んでるパパちゃんは 血が止まりにくい。 ちょっとした切り傷でも 焦るほど血が出てしまう 電動シェーバーを何度言っても 「あれはイヤだ」と 決して使おうとしなかっ…
もっと気軽に 終活相談できるような そんな場所になってほしい -2020年 卯月- あちらこちらと斎場に足を運びながら なぜかやはり暗いイメージが どこにでもあることが気になった。 私はあまり死=怖いというイメージはない。 自分自身に実感がないのからかもしれないが もちろん子どもや若い命 また様々な理由から 全てに当てはまることではない。 だが パパちゃんのように長年人生を歩んできての最期は 《悲しみ》よりも《見送る》気持ちで行いたかった。 【死】というものは荘厳なものだけれど 【旅立ちの場】ととらえても良いのではないか 私はそう考えていた。 かといって やはり喜びの場ではないため 斎場のスタ…
最後のひと時を 静かに 穏やかに 願うことはただそれだけ -2020年 卯月- 斎場については、以前より頭にあった。 パパちゃんの、というよりも自分のために。 母が亡くなってから ”死”というものを身近に考えるようになっていた。 パパちゃんの肺転移を告げられてから いくつかネットで資料を取り寄せてはいたが やはり見る気にはなれず、そのまま放置していた。 改めて目を通す。 ・・・高い(;´・ω・)・・・ 近親者だけで見送る『家族葬』でと考えていたが 会場・祭壇などが小規模になるだけで 正直、かかる費用は一般葬と あまり変わらないというのが 正直な感想だった。 そんなものなのか??? 葬儀全体にか…
パパちゃんが入院中の今 何ができるのか 何をすべきなのか それが残酷なことでも -2020年 卯月- パパちゃんが入院している間にも すべきことはたくさんあった。 お部屋の片づけ これは後々しておいて本当に良かった。 www.hikaru-ko.xyz 時間の概念は 正直なかった。 毎日が 飛ぶように過ぎていく中 余裕も 時間もなくなっていった。 パパちゃんの側で夜間付き添う時 在宅医療を受けるようになった時 介護認定を含めたくさんの人が出入りする時 介護ベッドを入れる時 部屋を片付けておいたことで スムーズに事が運んだ。 そして一方で 私は会社を辞める手続きを行い 時間の合間を見つけては 斎…
病院だと安心できる 先生が看護師さんがいてくださる 家と病院との上手なバランスで 患者さんも家族も楽になれる -2020年 卯月- 体調が思わしくなくなったパパちゃんは ひとまず緩和ケア病棟へ入院することになった www.hikaru-ko.xyz www.hikaru-ko.xyz 緩和ケアで良かったと思えることの一つに 入院がすぐできるという、安心感だった。 先生からも 「普段は外来で診ていきましょう。 でも不安な時や、調子が悪くなったときは、 いつでも入院していいですからね」 と言っていただき、本当にいいの⁉と思ったものだ。 大きな病院は、緊急でない限り入院は難しい。 そしてこれまでの緊…
胃がんになり 肺転移になって 緩和ケアを知った あの頃に戻りたいと 何度も願う 私がブログを書き始めたのは パパちゃんと緩和ケアセンターへ行った直後のことです いろいろなことが日々目まぐるしく過ぎていく中で あまりにも【癌】というものに対して無知だったこと そして【緩和ケア】の存在を知ったときに もっと早く来るべきだったと後悔したこと 大きな病院だから 先生の言うことだから 正しいなんてことはない 病気についても 治療に対しても 生き方に対しても 医者はあくまで知識を有したアドバイザー 決めるのは 患者さん本人であり 手助けするのが家族であるということ もし何かのきっかけで ご自身が 大切な人…
外出にも 病院へ行くことにも 細心の注意を 外は危険がいっぱい -2020年 卯月- 外は春の日差しがあふれ お出かけにはもってこいの日々 だがコロナの危険度も増していく中 パパちゃんを釣りに連れていく事に なかなか踏み出せずにいた 緩和ケアの病院へは 4月23日に初めての外来を予約し、 それには姉たちにも来てもらうようお願いした。 次女は先生と面識あるが 長女がまだだったので どうしても会っておいてもらいたかった。 おそらく パパちゃんが最後お世話になるであろう、先生方だから またこれから先 いろんな局面を考えた際に それぞれに悔いが残らないようにしてもらいたかった 月半ば過ぎには、心臓の経…
コロナの危険がはらむ中 何を優先すべきなのか 混乱が広がる -2020年 卯月- 義父の兄妹、叔母の訃報が届いた。 肺癌で入院中とは、聞いていた。 ご主人と息子さんご家族と住んでおられたが コロナのため面会も一切できず、 側にいられる家族も限定されていた。 在宅での医療を検討し始めた矢先の急変だったらしい。 他人事では、なかった。 「私たちも何度も行ったのよ。でも病院側が会わせてくれなかった。 義兄さん(ご主人)や子どもじゃないとダメだって!」 と義母はお怒りモードだった。 それは当たり前だろう。 コロナが懸念される今、容易に許可していたら 患者の命が危険にさらされる。 でもそういうところが、…
これまでの道のりを悔やむよりも これからの未来を考えよう パパちゃんにとっての最善の道を -2020年 卯月- セカンドオピニオンを受け 緩和ケアの説明を受けてから 詳細を長女にも連絡した。 病院については悩みどころでもあったが スタッフをはじめ、説明してくださった担当医が良かったこと それにお会いはしていないが 病院長が循環器科内科とICU担当もされていたこと また数年前に、心不全センターも新しく出来ていたので 心臓の非常時にも対応してもらえる安心感もあった。 そんなこんなと 家族用の宿泊部屋もあることから 2番目の病院に決めることにした。 パパちゃんは、その日はあちこち連れまわしたので、 …
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