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癌と共に~フーテンのパパちゃん~ https://www.hikaru-ko.xyz

胃がんから肺転移になった最愛の父 終末期医療の在り方やセカンドオピニオン、 緩和ケア、介護保険やサービスそして葬儀。 大切な日々を綴ります

ヒカルコ
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2020/06/02

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  • 胃がんからの在宅医療~自宅での看取り~

    最期を迎える場所に「家」を望む人は多い だが現実は「病院」という現状の多い日本 もっと自分らしく 穏やかな最期を 静かにパパちゃんがこの世から旅立っていった 長女も次女も「パパちゃん-」「お父さん・・・」 涙が止まらず体をさすっていた。 私は2階に駆け上がり、主人と子ども達を起こした。 もっと早くに呼んでいれば それだけが悔やまれた 起きてきて呆然とする子ども達 信じられない、という思いだろう 私たちもそうなのだから 次に診療所に電話を入れた。 すぐに医師に診てもらわないといけないと思っていた。 すると看護師さんが出られ 『ご家族でゆっくりとお別れをしてください。 その後のご連絡で大丈夫です。…

  • 胃がんからの在宅医療~看取り~

    ゆっくりと ゆっくりと ろうそくの炎が消えるかのように 深夜を過ぎ、子どもたちもそれぞれ2階の寝室で眠っていた。 パパちゃんの側には私達3姉妹。 1度だけ、ガバッと起き上がって驚いた。 本当に、突然。 しかも手すりも何も使わず起き上がった。 左側の窓の方を向いて、何かを見つめているような感じで 慌てて体を支える。 ゆっくりとまた力が抜け、横になった。 何だったのだろう それからはまた、眠り姫だった。 イビキをかいていたぱぱちゃんが、静かになった。 よくよく見ていると・・・呼吸が止まっている⁉ 3人でアワアワしていると、しばらくしてまた「ふー」と息をする。 私たちも「はぁ~」と安堵。 だが気づけ…

  • 胃がんからの在宅医療~最後の夜~

    ここからはパパちゃんが息を引き取る瞬間までを記します。 臨終の際の実際のブログや記述はあまりなく 私達自身よくわかっておらず慌ててしまいました。 ご不安になられたり、不愉快に感じられるようでしたら 大変申し訳ありません、とばしてください。 次女家族が到着し、姉妹全部そろった。 そして仕事に出ていた主人も帰ってきた。 パパちゃんは相変わらず、眠り姫。 ものすごいイビキをかいて爆睡していた 在宅医療の看護師さんからいただいた 《これからの過ごし方》にも最後の身体の状態などが書かれてあった。 だんだんと眠っている時間が長くなる(1週間前頃~の変化) 声をかけても目を覚ますことが少なくなる(1,2~数…

  • 胃がんからの在宅医療~お金と保険~

    万が一に備える”保険” 過剰なものはいらないけれど やっぱりあると安心感は違う あとこの日にしたことは、お金の工面。 在宅医療に、これからのことに どれくらいかかるのか正直分からなかった。 義実家とトラブるのは必然なので 主人のお金は使いたくない。 自分の独身時代から積み立ててきた保険を使うことにした。 メチャクチャ健康体な私。 出産直前の切迫早産の時に入院したくらい。 メットライフ生命に加入していたが 外貨運用だったので、近年は積み立てもで来ていた。 担当者に連絡を入れたところ、やはり利率がとても高いので 残しておいた方が良いとのこと。 大至急借り入れの書類を送ってもらうことにした。 少し安…

  • 胃がんからの在宅医療~介護保険の区分変更~

    何度目の介護認定だろう 元気が良すぎて通らなかったっけ ずっと昔のよう -12時半- 息つく間もなくやってきたのは介護認定のメンバー。 地域でいつもお世話になっているケアマネジャーさんと 調査員の女性の方、そしてソーシャルワーカーさん。 今パパちゃんは《要支援1》 体力はとても低下していたが、いつも面談の時に冗談ばっかり言うので 「まだまだ元気」と認定が下りなかった💧 ケアマネジャーさんは男性の方だが、 いつも笑顔でとても優しい。 なかなか要領を得ないパパちゃんの話にも うんうん、と気長に付き合ってくださる方だ。 もう、数年のお付き合いをさせてもらっていた。 私が仕事の時は、携帯へ連絡をマメに…

  • 胃がんからの在宅医療~戦闘開始~

    ずっとずっとずっと がまんしてきた 自分のことならば、まだいい でもこれだけは、譲れない -お昼12時過ぎ- 先生から今晩、と危篤を告げられ 頭が真っ白になっていた私と長女 そして居座り続けていた義父母は 先生が話し出すと同時に 私たちの中に割り込んできて聞いていた。 一歩引いて静かに聞いている従兄とは真逆だ。 そして聞くだけ聞くと 「さ、お父さん帰ろ」と出ていく。 やっと帰ってくれる、と安堵したのもつかの間 「夜にまた来るからね!!!」 と玄関口で言われ、血の気が引いた。 はぁ⁉夜にまた来る? 冗談じゃない これ以上は、ムリ プッチーンと何かの糸が、切れた。 玄関口に行き、帰ろうとしている義…

  • 胃がんからの在宅医療~あと、1日~

    どんなに残酷なことを言われても 信じないよ -お昼 12時前- 新しい介護ベッドに横たわり 点滴も注入量を増やしてもらったパパちゃん ようやくすやすやと眠り出した。 バタバタと人の出入りも慌ただしい中 帰ろうとしない義父母。 「今日はすみません、わざわざありがとうございました。 もう大丈夫なので。また後で連絡します」 『帰れよ』をやわらかく変換して言っているのだが さすが地球外生命体、通じない。 一向に帰ろうとしないので 時間をおいて、3回ほど言ったが無理だった。 診察した後に話があるはず。 それを聞かれたくないのだが 向こうも意地で聞こうと ギラギラと先生の動きを監視して帰らない。 そんな中…

  • 胃がんからの在宅医療~介護ベッド~

    辛く苦しい 長い、長い夜 -真夜中- 先生につけてもらった点滴のおかげで 楽になった、と言っていたパパちゃん。 でもそれは始めだけで 夜が更けるにつれ、効かなくなっていった。 「おい、ちょっと薬増やしてもらえんか」 看護師さんに言われた手順で 薬の注入の倍速度ボタンを押す。 最初は、まだそれでよかった。 でもだんだんと きつさを訴える頻度がハンパじゃなくなってきた。 30分に1回、と言われたボタンを何度押しただろう こんなにも連打することが怖くなり 途中で看護師の従妹へ電話を入れた。 大丈夫、押していいから、と言われ またそれからずっと押し続けた。 痛い、というよりは苦しい、の方だった。 肺が…

  • 胃がんからの在宅医療~あと、1週間~

    ついこの間告げられた「余命3か月」 まだ、まだ1か月しか経ってないよ -午後4時- 色んな書類に目を通し、説明を受けながらサインをした。 そして先生から小さな声で告げられたのは 『状態としてはかなり厳しいです。 左の肺はもう機能していません。 癌の転移もですが、心機能もかなり低下しています。 おそらく、もってもあと一週間と思ってください』 へ? 一週間? はい? 思わずマヌケな声が出てしまった。 「いや、でも昨日もご飯たべて、お風呂も入って フツーに話してますよ?」 『この状態で、痛みがほとんど無い事が奇跡です』 呆然とする私に先生は 『今、痛み止めと鎮静剤で落ち着いています。 今後は眠ってい…

  • 胃がんから初の在宅医療

    在宅医療はもっと ハードルが高いものだと思っていた 素晴らしい先生とスタッフに 出会えて事への感謝と もっと早くにしておけばよかったという後悔 -午後3時- それから間もなくして来てくださったのは 院長先生と2名の看護師さん。 あれっと1番に思ったのが 病院名とか何も記載していない普通の軽自動車に これまた白衣とかではない ポロシャツを着られたお二人。 パッと見、医師と看護師には見えない。 あえて分からないようにしてあるのだろう。 それだったらもっと早くに お願いすればよかった・・・ 先生は優しい男性の医師で 物腰も柔らかく明るい方で、パパちゃんと雑談を交わしながらも テキパキと看護師さんに指…

  • 胃がんから在宅医療へ移行する

    時間が飛ぶように過ぎていく -2020年 皐月- にぎやかだったゴールデンウイークが明けた。 途中病院からステロイドを増量してもらったものの 歩行はさらに厳しくなり 金曜日 下痢がひどくなり、普段服用している漢方もSTOP 土曜日 夜間の咳がひどくなる 日曜日 この日もお風呂には入り、次男が作った夕食をみんなで食べた。 子どもたちから”母の日”にと贈られた カーネーションの花と一緒に パパちゃんと写真に写った。 「味があんまりしない」とポツリ。 身体のむくみがひどくなってきていた。 月曜日 -午前10時- 早めに病院へ行って診てもらおう、ということで 私が電話を掛ける傍ら、出かける準備をしても…

  • 胃がんからの在宅看護~感謝~

    ありのまま なすがまま 風のように生きる 自由な人 -2020年 ゴールデンウイーク最終- 夜、隣で横になりながら、いろんな話をする。 ゴールデンウイークに お姉ちゃんたちが来てくれたこと 従兄家族が来てくれたこと なんだかんだで嬉しかったのだろう 「早く元気になって、釣りに行かないとな」 そう言いながら、笑うパパちゃんは いつもと変わらなかった。 ごろ寝マットで横に寝ていたけれど少し肌寒くて 足だけパパちゃんの布団にお邪魔して ぴとっとつけていた。 あったかーい パパちゃんは体温がとっても高い。 冬場でもずっと下着にステテコ姿で不思議だった。 小さい時はパパちゃんの布団でくっつくのが大好きで…

  • 胃がんからの在宅看護~会いに来たよ~

    ひと目、元気な顔を 言葉を交わし 笑顔をかわし あの時間を忘れない -2020年 ゴールデンウイーク- お出かけもままならぬ中 みんながパパちゃんに会いに来てくれた 長女は朝早くから来て パパちゃんの好きなものを作ってくれた でも感染リスクには超過敏な長女💦 『6月のパパちゃんの誕生日ごろには さすがに落ち着いてるだろうから その時はみんなで集まろうね!』 と話すや否や 風のように帰っていったε≡≡ヘ( ´Д`)ノ そして入れ替わるように次女家族😊 なんとなんと 従兄家族まで来てくれた。 従兄ははるか昔、飲んだ席で 義父ともめたことがあり それから縁遠くなっていた。 でもそんなことも気にせず …

  • 【手紙】の意味がわかるとき

    樋口了一さんの【手紙】はもちろん有名で ずっと前に知ってはいた。 元の歌詞はポルトガル語で作者は不詳。 日本語で訳詞と曲を付けたものと聞いていた。 だけどその意味を本当に理解するようになったのは パパちゃんの癌が再発してからだった。 【手紙~親愛なる子どもたちへ~】 年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしてもどうかそのままの 私のことを 理解して欲しい私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れてもあなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しいあなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返してもその結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しいあなたにせかまれて 繰り返し読ん…

  • 胃がんからの在宅看護~歩行困難~

    歩けること こんな当たり前のことが 出来なくなって改めて思う もう一度 元気に歩かせてあげたい -2020年 皐月- ゴールデンウイーク。 絶好のお天気日和なれど コロナのせいで総国民自宅待機 www.hikaru-ko.xyz 病院での輸血の効果はイマイチで ほとんど状態は変わらなかった。 期待していただけに落胆も大きかった。 家の中でも トイレやお風呂場への移動も 一人で行くのがしんどいようで 支えながら行くことが増えていった お風呂には一人で入っていた。 ゆっくり、のんびりしたいだろう。 でも入っている間は脱衣所とリビングの間のドアを開け 声掛けをしながら気を付けていた。 お風呂から上が…

  • 胃がんからの在宅看護~パパとおむつと私~

    いつも笑顔で 優しさがいっぱい まぶしいひまわりのようで 静かな朝顔のような人 -2020年 皐月- ご飯も量を減らしてはいたが、ちゃんと食べ、 お風呂も一人で入り 夕食の時はみんなとおしゃべりをして たわいもない事を言って 笑って 毎日が過ぎていった。 だが動きが日増しにゆっくりになっていき トイレに間に合わないことが増えてきた。 パパちゃんは心臓での入院の時から 「おむつはヤダねー!」と大和田常務ばりに 拒否っていた。 絶対安静の時ですら、そうだった。 看護師さんに頼むのも、気が引けるのと どうしてもイヤだったらしい。 だが私がダッシュで買い物に行ってる わずかな時間でさえ、ガマンできなく…

  • 胃がんからの在宅看護~輸血にオキシトシン~

    「もう一度元気になりたいなぁ」 「普通に歩きたいなぁ」 私につかまるほっそりとした腕 -2020年 皐月- 緩和ケアの外来受診の時に やはりきつさが取れないため 輸血をしてみよう、ということになった。 手術や緊急時でなくても 輸血ってできるんだ ちょっと驚きだった。 胃を全摘出してからは 貧血気味だったパパちゃん。 食事も全くとれない訳ではないが ずっとだるくてしんどそう。 癌に限らず病状の進行に伴って体力が消耗されていく 【悪疫質】という状態が続いていた。 身体に送られるべき栄養を癌細胞が吸収してしまい 結果、体力や筋力が維持できず 栄養も足りなくなり、体重も減少していく。 まだこの頃は退院…

  • 胃がん~相手を思う~

    時には厳しいことも 相手を思うからこそ 愛情の証 -2020年 卯月- 家の中は平穏な毎日 でも外はコロナの嵐が吹きまくっていた。 退院後の外来受診の時、長女が来てくれた。 www.hikaru-ko.xyz 家も一番遠いため、なかなか会えない。 しかも医療関係に勤めているため 感染リスクにはとてもとても注意を払い 外出や外食の類を一切断っていた。 自分自身へはもちろん 万が一にもパパちゃんが感染しないようにと ガマンしていたのだと思う。 コロナでなければ もっと会いやすかったのに お出かけもできたのに そう思う一方 子どもたちが休校のため一緒にいられたこと 結果病院でなく在宅看護で居られたこ…

  • 胃がん~春の終わりに~

    嵐のような毎日から 静かな日々に それでも 駆け足で過ぎていく -2020年 卯月- 家と仕事と子どもたちとパパちゃんと そして義実家の対応 戦争のような日々だったが ”仕事”が消えただけで、毎日がガラリと変わった。 時間的な余裕が、心の余裕につながった。 買い物も行けるし 食事も作れる。 これはとても大きかった パパちゃんの食が細くなり、あまり口にしたくない時も増えていた。 そんな中お気に入りは 《ドール》のアイスフルーツバー。 冷たく口当たりが良いのだろう。 1日中、よく食べていた。 だからこれだけは、冷蔵庫に欠かさずストックしていた。 またリハビリで入院した時から愛用していた 《クリミー…

  • 胃がん~さあ、帰ろう~

    やっぱり家がいいよね さぁ、帰ろう -2020年 卯月- 病院で食事と点滴による回復を勧められ 入院していたパパちゃんでしたが 「帰りたい」コールが頻発 www.hikaru-ko.xyz これは結構珍しい事でした。 今まで何度も入退院を繰り返す中で 一度もそんなことを言ったことはなかったのに 馴染みのない病院だったのもあるけれど 『面会制限』 家族と会えないことが 相当しんどかったようです。 退院するのであれば、食事管理も含め 側についていないともう厳しいと思い 仕事を辞めることを上司に告げました。 そしてその際、退職理由を 《自己都合》ではなく 《介護のため》としてもらうことも忘れませんで…

  • 日曜日のお楽しみがなくなった

    本の世界も好きだ でもあのスピード感と迫力 テレビもいいね 毎週日曜日、楽しみにしていたのが 【半沢直樹】 池井戸潤さんの本は大体読んでたんですが、 これのドラマは初🔰 今更ですが今期めちゃくちゃにハマり オンタイムで見る楽しさを味わいました。 話もキャラクターも面白くて濃ゆい。 そして大の男同士であり得ない顔の近さ(笑) ソーシャルディスタンスどこではない💦 撮影とか本当に大変だったんでしょうね… この大変な中でのドラマ制作 本当にお疲れさまでした。 途中コント?と思うほどのやり取りもある中 黒崎検査官を見ていて、色々思い出すことも。 以前保険会社に勤めていた事がありまして まぁ営業さんをサ…

  • 胃がん~フレイルを考える~

    笑っているから 大丈夫って思ってしまう 心配かけまいと 強がっていたのだろうか -2020年 卯月- 抗がん剤治療ができなくなり 緩和ケアを考えたときに この先の体調や症状について 色々と調べることが増えた。 本来ならば 癌治療のスタートの時に 緩和ケアもスタートさせておくべきだった。 患者さん自身の痛みや不安を和らげるために 本人と家族のサポートのために またそれと同様 《フレイル》と呼ばれる状態についても 早めに知っておきたかった。 健康で自立している状態から 加齢等によって 要介護の兆しが見え始める期間の事 www.toarunaikai.xyz 恐らく今まで一人でできていた 布団の上げ…

  • 胃がん~パパちゃんの香り~

    今まで出来ていたことが 段々とできなくなって めんどくさがり屋さんに なっちゃったねえ -2020年 卯月- いつもキレイ好きなパパちゃん (ないのに)髪のセットは怠らないw お風呂が大好き そしてお風呂上りは ブラバスがパパちゃんの香り ひげが伸びていたり パジャマを着たまんま お布団引きっぱなし なんて 考えられもしなかった きつかったんだよね 体を動かすことも たぶん大好きなお風呂に入ることさえも 心臓が悪く、血液サラサラの薬を飲んでるパパちゃんは 血が止まりにくい。 ちょっとした切り傷でも 焦るほど血が出てしまう 電動シェーバーを何度言っても 「あれはイヤだ」と 決して使おうとしなかっ…

  • 胃がん~最期の時を過ごす場所~

    もっと気軽に 終活相談できるような そんな場所になってほしい -2020年 卯月- あちらこちらと斎場に足を運びながら なぜかやはり暗いイメージが どこにでもあることが気になった。 私はあまり死=怖いというイメージはない。 自分自身に実感がないのからかもしれないが もちろん子どもや若い命 また様々な理由から 全てに当てはまることではない。 だが パパちゃんのように長年人生を歩んできての最期は 《悲しみ》よりも《見送る》気持ちで行いたかった。 【死】というものは荘厳なものだけれど 【旅立ちの場】ととらえても良いのではないか 私はそう考えていた。 かといって やはり喜びの場ではないため 斎場のスタ…

  • 胃がん~最後に必要なもの~

    最後のひと時を 静かに 穏やかに 願うことはただそれだけ -2020年 卯月- 斎場については、以前より頭にあった。 パパちゃんの、というよりも自分のために。 母が亡くなってから ”死”というものを身近に考えるようになっていた。 パパちゃんの肺転移を告げられてから いくつかネットで資料を取り寄せてはいたが やはり見る気にはなれず、そのまま放置していた。 改めて目を通す。 ・・・高い(;´・ω・)・・・ 近親者だけで見送る『家族葬』でと考えていたが 会場・祭壇などが小規模になるだけで 正直、かかる費用は一般葬と あまり変わらないというのが 正直な感想だった。 そんなものなのか??? 葬儀全体にか…

  • 胃がん~今、自分にできること~

    パパちゃんが入院中の今 何ができるのか 何をすべきなのか それが残酷なことでも -2020年 卯月- パパちゃんが入院している間にも すべきことはたくさんあった。 お部屋の片づけ これは後々しておいて本当に良かった。 www.hikaru-ko.xyz 時間の概念は 正直なかった。 毎日が 飛ぶように過ぎていく中 余裕も 時間もなくなっていった。 パパちゃんの側で夜間付き添う時 在宅医療を受けるようになった時 介護認定を含めたくさんの人が出入りする時 介護ベッドを入れる時 部屋を片付けておいたことで スムーズに事が運んだ。 そして一方で 私は会社を辞める手続きを行い 時間の合間を見つけては 斎…

  • 胃がん~入院は誰がために~

    病院だと安心できる 先生が看護師さんがいてくださる 家と病院との上手なバランスで 患者さんも家族も楽になれる -2020年 卯月- 体調が思わしくなくなったパパちゃんは ひとまず緩和ケア病棟へ入院することになった www.hikaru-ko.xyz www.hikaru-ko.xyz 緩和ケアで良かったと思えることの一つに 入院がすぐできるという、安心感だった。 先生からも 「普段は外来で診ていきましょう。 でも不安な時や、調子が悪くなったときは、 いつでも入院していいですからね」 と言っていただき、本当にいいの⁉と思ったものだ。 大きな病院は、緊急でない限り入院は難しい。 そしてこれまでの緊…

  • ブログを書こうと思ったワケ

    胃がんになり 肺転移になって 緩和ケアを知った あの頃に戻りたいと 何度も願う 私がブログを書き始めたのは パパちゃんと緩和ケアセンターへ行った直後のことです いろいろなことが日々目まぐるしく過ぎていく中で あまりにも【癌】というものに対して無知だったこと そして【緩和ケア】の存在を知ったときに もっと早く来るべきだったと後悔したこと 大きな病院だから 先生の言うことだから 正しいなんてことはない 病気についても 治療に対しても 生き方に対しても 医者はあくまで知識を有したアドバイザー 決めるのは 患者さん本人であり 手助けするのが家族であるということ もし何かのきっかけで ご自身が 大切な人…

  • 胃がん~緩和ケアへ完全移動する~

    外出にも 病院へ行くことにも 細心の注意を 外は危険がいっぱい -2020年 卯月- 外は春の日差しがあふれ お出かけにはもってこいの日々 だがコロナの危険度も増していく中 パパちゃんを釣りに連れていく事に なかなか踏み出せずにいた 緩和ケアの病院へは 4月23日に初めての外来を予約し、 それには姉たちにも来てもらうようお願いした。 次女は先生と面識あるが 長女がまだだったので どうしても会っておいてもらいたかった。 おそらく パパちゃんが最後お世話になるであろう、先生方だから またこれから先 いろんな局面を考えた際に それぞれに悔いが残らないようにしてもらいたかった 月半ば過ぎには、心臓の経…

  • 胃がん~叔母の逝去~

    コロナの危険がはらむ中 何を優先すべきなのか 混乱が広がる -2020年 卯月- 義父の兄妹、叔母の訃報が届いた。 肺癌で入院中とは、聞いていた。 ご主人と息子さんご家族と住んでおられたが コロナのため面会も一切できず、 側にいられる家族も限定されていた。 在宅での医療を検討し始めた矢先の急変だったらしい。 他人事では、なかった。 「私たちも何度も行ったのよ。でも病院側が会わせてくれなかった。 義兄さん(ご主人)や子どもじゃないとダメだって!」 と義母はお怒りモードだった。 それは当たり前だろう。 コロナが懸念される今、容易に許可していたら 患者の命が危険にさらされる。 でもそういうところが、…

  • 胃がん~新しい道~

    これまでの道のりを悔やむよりも これからの未来を考えよう パパちゃんにとっての最善の道を -2020年 卯月- セカンドオピニオンを受け 緩和ケアの説明を受けてから 詳細を長女にも連絡した。 病院については悩みどころでもあったが スタッフをはじめ、説明してくださった担当医が良かったこと それにお会いはしていないが 病院長が循環器科内科とICU担当もされていたこと また数年前に、心不全センターも新しく出来ていたので 心臓の非常時にも対応してもらえる安心感もあった。 そんなこんなと 家族用の宿泊部屋もあることから 2番目の病院に決めることにした。 パパちゃんは、その日はあちこち連れまわしたので、 …

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