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2020/05/15

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  • 三方ヶ原 33

    閑話休題。ネットでこんな記事をみかけた。「長篠の戦いはウソだらけ?真実や戦いの流れ、戦法をわかりやすく解説」https://sengokubanashi.net/history/nagashinono-tatakai-real/「織田軍が武田軍を倒し、歴史上に名を刻んだ合戦です。武田軍率いる武田勝頼の父、武田信玄と織田軍率いる織田信長はかつて良好な関係を築いてましたが、なぜ両軍は剣を交えることになったのでしょうか。」「一時、信長と信玄は良好な関係を築くためにお互いの子を婚姻させる仲にありましたが、信玄が信長と対立関係にあった当時の将軍足利義昭に呼び寄せられたことや、信長が比叡山延暦寺を焼き討ったことがきっかけで、2人の関係に亀裂が入りました。この出来事が原因で両軍の交戦が始まります。」2023年5月の記事...三方ヶ原33

  • 三方ヶ原 32

    元亀3年3月5日、信長は北近江に向けて岐阜を出陣した。小谷城を囲み、周辺を放火して挑発したけれど、浅井長政は一兵も出さず、信長は空しく囲みを解き、12日に京都に入った。3月21日、義昭は信長の京都邸を建設するよう、幕臣や公家たちに命令をくだした。24日には鍬初が盛大に行われた。4月、三好義継・松永久秀の軍が、畠山の将、安見新七郎の守る交野城を包囲した。4月16日、信長の部将、柴田勝家・佐久間信盛らが交野救援のため京都を出陣した。南方へ向かったのは、彼ら織田軍ばかりではなかった。細川藤孝・明智光秀・三淵藤英・上野秀政といった幕府奉公衆、摂津の守護である伊丹忠親・池田勝正・和田惟長も一緒だった。信長の軍勢に幕府軍も加わった大軍に攻撃されては、三好・松永の軍勢などひとたまりもない。義継は若江へ、久秀は信貴山城へ...三方ヶ原32

  • 三方ヶ原 31

    元亀2年2月10日、朝倉側は「横山城を浅井氏に返還すること」「佐和山城の包囲を解くこと」の2点について信長の約束不履行を詰り、義昭が仲介者として努力してくれるよう求めた。この直後に佐和山城は開城し、城将磯野員昌は身柄を高島郡新庄に移された。横山方面では、5月、江北の一揆の協力を得て、浅井軍が攻勢に出たものの、木下秀吉の軍の反撃を受けて退却を余儀なくされるという攻防戦があった。9月、江南方面に信長自らが出陣した。そしてまず、一揆の拠点である金森城を攻撃する。金森城には本願寺の援軍が入っていたが、あっけなく降参した。約3万の織田軍はさらに進んで三井寺近辺に布陣、12日、そこから突然坂本の町と延暦寺および日吉社に攻め込み、放火、殺戮を敢行したのである。延暦寺および日吉社の遺領は義昭の家臣である明智光秀に配分され...三方ヶ原31

  • 三方ヶ原 30

    ついで元亀元年11~12月の状況。従来説は「雪によって越前への通路が遮断されるのを恐れた義景が、将軍義昭に和睦の仲介を依頼する。信長は同意しなかったが、義昭がわざわざ三井寺まで出向いて信長を説得したので、しかたなく和睦の話し合いに応じることにした」とするものだったらしい。和睦を申し入れたのは朝倉義景で、調停を担当したのは足利義昭。信長はしぶしぶこれに応じた。しかし近年の研究では、この時期信長は足利義昭のために忠実にはたらいていたとされる。和睦を申し入れたのは信長のほうで、調停を担当したのは関白・二条晴良であったらしい。「11月28日に晴良は、義昭と一緒に三井寺に下向している。晴良はまず義昭との打ち合わせを行い、朝倉の陣に使者を遣わして説得することから始めた。義景は晴良の使者を3、4日陣にとどめ、浅井長政お...三方ヶ原30

  • 三方ヶ原 29

    近江方面、両軍のセットアップについて考えてみたい。参考文献は谷口克広『信長と将軍義昭』(2014年、中公新書)。元亀元年6月には織田・徳川連合軍と朝倉・浅井連合軍が姉川をはさんで対峙した。人数については諸説あり不明。『信玄上洛』ゲーム上では(元亀3年の状況であるが)織田軍の総戦力は84、徳川軍19戦力、朝倉軍20戦力、浅井軍8戦力だが、これではとても合戦にはならないだろう。三方ヶ原29

  • 三方ヶ原 28

    反織田陣営の命運は武田軍の戦闘結果次第であると言っていいだろう。遠藤珠紀「武田信玄への三通の綸旨」(『戦国史研究』第64号、2012)によると、武田信玄は元亀3年9月5日までに遠江への出陣を決意し、「ある人物」に起請文を差し出したらしい。この「ある人物」とは、これまで足利義昭であると考えられてきた。甲州信玄、当廿日以前、至遠州表出馬相究候、誓詞等被相越、厳重之様子候、可御心安候、(9月5日付浅井長政書状より抜粋)これを受けて四辻季遠(大納言)の甲斐下向が検討されたらしい。今度叡山炎上之事、被歎思食処、法性院僧正為再隆、既企入洛由、被及聞召候、随而朝家之盛興可被励忠勤由、可令直談給者、依天気言上、如件、誠恐謹言、(元亀3年9月20日付四辻季遠宛て勧修寺晴豊書状より抜粋)つまり、武田信玄は正親町天皇の綸旨によ...三方ヶ原28

  • 三方ヶ原 27

    第2イニング第1ステージを終了した時点で反織田陣営はほぼ壊滅状態となった。これは元亀元年6月の姉川合戦後よりさらに悪化している。反織田陣営のセットアップは、延暦寺が勢力として存在しないことを考慮するべきだった。浅井全ユニットを小谷に集中して配置。朝倉軍全ユニットをヘックス1411に集中して配置。これは元亀3年7月の朝倉・浅井連合軍の状況に近い。浅井軍は小谷に籠城状態でゲームを開始するべきかもしれない。その場合は山本山に大将クラスを籠城させたほうがいいだろう。織田軍は織田本隊27戦力、明智隊18戦力、羽柴隊3戦力をもって第1イニング第2ステージに両城を包囲する。朝倉軍を無理に攻撃する必要は無い。三方ヶ原27

  • 三方ヶ原 26

    第2イニング(元亀3年10月第2週)。得点差-3で1d6=3。情勢変化無し。京都・堺への補給線が維持されているので織田陣営は3勝利得点を得る。第1ステージ織田軍作戦フェイズ。明智隊18戦力は一乗谷を包囲。織田本隊27戦力は小谷を強襲。1d6=1、城レベル修正-3、士気修正+2、地形修正-1で結果は「0-4」。織田本隊は4ステップを失った。丹羽隊から長島甲への攻撃。17戦力で1d6=3。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正+2で結果は2ダメージ。長島甲はこれをステップ数にあてた。長島甲の反撃11戦力で1d6=5。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正-2で結果は1ダメージ。丹羽隊はこれをステップ数にあてた。柴田隊から本願寺乙への攻撃。18戦力で1d6=2。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメ...三方ヶ原26

  • ゴーストオブイツシマ

    PB-100の新作RPGをプリントアウトしてきた。購入方法はこちら。https://booth.pm/ja/items/4712976とりあえず入力のしかたが分からない。面接官「おたく、パソコン分からないの?」ゴーストオブイツシマ

  • 三方ヶ原 25

    第4ステージ織田軍作戦フェイズ。明智隊18戦力はヘックス1606へ移動。朝倉本隊を補足した。織田本隊24戦力は再編成を行い、1d6=2で1戦力回復。丹羽隊から長島甲への攻撃。18戦力で1d6=1。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメージ。長島甲はこれをステップ数にあてた。長島甲の反撃14戦力で1d6=4。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正-2で結果は1ダメージ。丹羽隊はこれをステップ数にあてた。柴田隊から本願寺乙への攻撃。18戦力で1d6=6。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は3ダメージ。本願寺乙はこれをステップ数にあてた。本願寺乙の反撃。9戦力で1d6=6。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。大垣の包囲判定は影響無し。第4ステージ織田軍作戦フェイ...三方ヶ原25

  • 三方ヶ原 24

    第3ステージ織田軍作戦フェイズ。明智隊18戦力はヘックス1411へ移動。朝倉本隊を追う。羽柴隊3戦力は山本山を包囲。織田本隊24戦力は再編成を行い、1d6=4で2戦力回復。丹羽隊18戦力はヘックス2218へ移動。柴田隊から本願寺乙への攻撃。18戦力で1d6=1。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメージ。本願寺乙はこれをステップ数にあてた。本願寺乙の反撃。9戦力で1d6=6。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。大垣の包囲判定は1d6=1で士気-1。第3ステージ反織田軍作戦フェイズ。朝倉本隊は一乗谷まで撤退し、籠城。小谷の包囲判定1d6=2、修正値+1で効果無し。山本山の包囲判定1d6=2で耐久-1。三方ヶ原24

  • 三方ヶ原 23

    第2ステージ織田軍作戦フェイズ開始時。明智隊18戦力はヘックス1515へ移動。朝倉本隊を追う。羽柴隊3戦力はヘックス1314へ移動。朝倉本隊の撤退を妨害する。織田本隊24戦力は長島甲へは向かわず、小谷を包囲。丹羽隊18戦力は長島乙のZOCを離脱してヘックス2122へ移動。柴田隊から本願寺乙への攻撃。18戦力で1d6=3。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメージ。本願寺乙はこれをステップ数にあてた。本願寺乙の反撃。9戦力で1d6=5。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。第2ステージ反織田軍作戦フェイズ。朝倉本隊13戦力はヘックス1510まで撤退。長島甲14戦力は大垣を包囲。本願寺乙は補充を行い1d6=5で1ステップ回復。小谷の包囲判定1d6=6で影響無し。三方ヶ原23

  • 三方ヶ原 22

    浅井長政「信長に義は無い。ともに信長を討ち取らん」第1ステージ反信長軍作戦フェイズ。朝倉・浅井連合軍は織田軍主力に合戦を仕掛けた。朝倉・浅井連合軍の合計戦力は24。1d6=4。士気修正±0、野戦修正+2で結果は3ダメージ。織田軍の合計戦力は45。1d6=5。士気修正±0、野戦修正-2で結果は4ダメージ。織田軍の勝利。朝倉・浅井連合軍は後退を行う。朝倉本隊の後退は1d6=4。ヘックス1413まで後退し、士気値-4。さらに3ステップをうしなう。浅井本隊の後退は1d6=2。小谷城内に撤退し、士気値-2となった。三方ヶ原22

  • 三方ヶ原 21

    第1イニング(元亀3年10月第1週)。情勢変化無し。京都への補給線が維持されているので織田陣営は3勝利得点を得る。第1ステージ織田軍作戦フェイズ。羽柴隊3戦力はヘックス1515へ移動。朝倉軍の補給線は遮断された。柴田隊から本願寺乙への攻撃。18戦力で1d6=3。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメージ。本願寺乙はこれをステップ数にあてた。本願寺乙の反撃。9戦力で1d6=4。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。丹羽隊から長島乙への攻撃。18戦力で1d6=6。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は3ダメージ。長島乙はこれをステップ数にあてた。長島乙の反撃。7戦力で1d6=6。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。姉川をはさんで織田軍主力...三方ヶ原21

  • 三方ヶ原 21

    足利義昭「信長の言うことをよく聞いて余に忠節を尽くせ」ここで重要なルールの見落としに気付く。「17-2足利軍の各武将ユニットは、足利義昭挙兵判定表に記された配置ヘックスにある城を自分の城とします。」「17-2-2挙兵していない武将の城は、移動や野戦、連絡線の設定に一切の影響を与えません。」「17-2-3足利軍の挙兵していない武将の城を攻撃した場合、その武将はただちに挙兵します。」つまり織田軍は自身が擁立している幕府を攻撃してしまったことになる。やり直し。三方ヶ原21

  • 三方ヶ原 20

    羽柴秀吉「死ぬかな、これは・・・」第2ステージ織田軍作戦フェイズ。朝倉軍の補給線を遮断するには、琵琶湖北岸を通ってヘックス1515に入るルートと、敦賀方面へ迂回してヘックス1314に入るルートがある。羽柴隊は後者を選択した。織田軍は周辺諸城の包囲を開始した。織田本隊は高槻を強襲。15戦力で1d6=6。城レベル修正-1、士気修正±0、地形修正±0で結果は「1-1」。織田本隊は1ステップをうしなう。高槻の耐久力は9となった。柴田隊から本願寺乙への攻撃。18戦力で1d6=3。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメージ。本願寺乙はこれをステップ数にあてた。本願寺乙の反撃。9戦力で1d6=5。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。丹羽隊から長島乙への攻撃。18戦力で1d6=3。...三方ヶ原20

  • 三方ヶ原 19

    第1イニング(元亀3年10月第1週)開始時。情勢変化無し、京都への補給線が維持されているので織田陣営は2勝利得点を得る。第1ステージ織田軍作戦フェイズ。織田本隊は京都周辺の諸城を包囲。羽柴隊3戦力のみは朝倉軍の補給線を遮断するため北へ向かう。柴田隊から本願寺乙への攻撃。18戦力で1d6=3。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメージ。本願寺乙はこれをステップ数にあてた。本願寺乙の反撃。9戦力で1d6=4。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。丹羽隊から長島乙への攻撃。18戦力で1d6=6。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正+2で結果は3ダメージ。長島乙はこれをステップ数にあてた。長島乙の反撃。7戦力で1d6=6。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメ...三方ヶ原19

  • 三方ヶ原 18

    織田信長「俺とお前は一心同体、ずっとそう思っておったわ」そのころ上方の状況はどうだったのだろうか。反信長陣営のセットアップ。石山本願寺(ヘックス0330)とそれに隣接するックスに次のユニットを自由配置本願寺甲、乙、一向一揆(401)×5長島城(ヘックス2323)とそれに隣接するヘックス(ただし、ヘックス2324は除く)に次のユニットを自由配置長島甲、乙、一向一揆(40-1)×5小谷城(ヘックス1616)か山本山城(ヘックス1517)の2ヘックスに浅井軍全ユニットを自由配置越前、またはヘックス番号の下2ケタが16番以下の近江領国内および山本山城のヘックスに朝倉軍全ユニットを自由配置石山、長島、小谷にそれぞれのユニットを集中して配置した。織田軍のセットアップ。次のヘックス内の領国内に全ユニットを自由配置尾張・...三方ヶ原18

  • 潜水艦

    友人のエス氏からシャープPC-1500をお借りしてきた。vox6336がまだ子供だったころ、これを使ってウォーゲームをする大人にあこがれたものだった。エモい。以下、西邦彦「AHサブマリンにおけるフィジカルシステムの向上」(『タクテクス』6号、1982年)より抜粋。「戦術級ゲームは1ターンの表わす時間が短かい上に、細い作業が非常に多いので、手作業によるプレイを厳密に行なおうとすると、プレイはスローモーションのような感じになって、ゲームとしてはともかくシミュレーションとしては満足できません。」「そこで登場いただくのがポケットコンピュータです。現在(82年6月上旬)、一般によく知られているポケットコンピュータは、シャープのPC-1201(¥29,800)、PC-1211(¥43,000)PC-1500(¥59,...潜水艦

  • (無題)

    何も言うことは無い。ジャイアンツへ来てくれ。(無題)

  • 三方ヶ原 17

    穴山梅雪「高天神の方々、命を無駄になされるな」第6イニング(元亀3年11月第2週)第1ステージ武田軍作戦フェイズ。秋山隊は士気回復を行った。武田本隊は補充を行い1d6=3で1ステップ回復。穴山梅雪は高天神に対して降伏勧告を行った。城耐久力7、1d6=1、士気修正+3。小笠原長忠は降伏勧告を拒否した。第1ステージ徳川軍作戦フェイズ。徳川本隊から山県隊への攻撃。10戦力で1d6=1。地形修正-3、士気修正±0、野戦修正+1で結果は0ダメージ。山県隊の反撃。7戦力で1d6=4。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-1で結果は0ダメージ。野田の包囲判定は1d6=3で影響なし。高天神の包囲判定は1d6=3で影響なし。三方ヶ原17

  • 三方ヶ原 16

    第5イニング(元亀3年11月第1週)第1ステージ武田軍作戦フェイズ。秋山隊は補充を行い1d6=5で1ステップ回復。武田本隊は補充を行い1d6=2で0ステップ回復。第1ステージ徳川軍作戦フェイズ。徳川本隊は補充を行い1d6=6で1ステップ回復。野田の包囲判定は1d6=5で影響なし。高天神の包囲判定は1d6=5で影響なし。三方ヶ原16

  • 三方ヶ原 15

    第3ステージ武田軍作戦フェイズ。武田本隊・穴山隊は高天神を強襲。32戦力で1d6=5。城レベル修正-3、士気修正+2、地形修正-1で結果は「1-1」。武田本隊は1ステップをうしなう。高天神の耐久力は7となった。山県隊・秋山隊は包囲を継続する。ちなみに強襲をした場合16戦力で修正値-3、野戦をした場合7戦力で修正値-4もしくは9戦力で修正値-5となる。第3ステージ徳川軍作戦フェイズ。徳川本隊から秋山隊への攻撃。10戦力で1d6=3。地形修正-3、士気修正±0、野戦修正+2で結果は1ダメージ。秋山隊はこのダメージをステップ数にあてた。秋山隊の反撃。8戦力で1d6=3。地形修正-2、士気修正±0、野戦修正-2で結果は0ダメージ。野田の包囲判定は1d6=4で影響なし。高天神の包囲判定は1d6=3で影響なし。三方ヶ原15

  • 三方ヶ原 14

    第4イニング(元亀3年10月第4週)第1ステージ武田軍作戦フェイズ。秋山隊は補充を行い1d6=4で1ステップ回復。秋山隊はヘックス3828へ移動し、野田城の酒井隊に隣接。武田本隊は補充を行い1d6=6で2ステップ回復。第1ステージ徳川軍作戦フェイズ。酒井隊は野田で籠城を選択。野田城は強襲された際の修正値が-3と強固である。浜松の徳川本隊は編成変えを行い、石川隊を分離した。これは酒井隊への後詰めを行う際、浜松に大将級以上の指揮官をのこすためである。高天神の包囲判定は1d6=4で影響なし。第2ステージ武田軍作戦フェイズ。山県隊・秋山隊は野田城を包囲した。三方ヶ原14

  • 三方ヶ原 13

    本読みを続ける。「信玄本隊が、遠江を席巻し始めていたころ、信濃伊那に進んでいた山県昌景は、秋山虎繁らの軍勢と合流し、信濃・遠江国境を越えて、北遠江に侵入した。」「山県・秋山軍は、長篠城に入ると、次いで野田城に攻め寄せる。そして一帯を放火すると、軍勢を返して、鳳来寺道を経て、井平に攻め寄せた。」「井平城を拠点に、山県・秋山軍は、連日軍勢を祝田に派遣し、徳川方を挑発した。山県・秋山軍が連日、祝田に出張ったのは、二俣城の包囲攻撃を始めた武田軍に対し、徳川軍が後詰めに出陣するのを牽制することと、三河から本坂道を経て浜松に通じる補給路の分断が目的であろう。」このあたりはおおむね史実どおりの展開となっているようだ。山県隊はヘックス4128で徳川本隊を牽制し、武田本隊は遠江諸城の攻略にあたっている。三方ヶ原13

  • 三方ヶ原 12

    ここでまた本読み。「信玄本隊は、10月10日に大井川を渡河し、遠江に侵入した。信玄がまず狙ったのは、高天神城であった。城主小笠原氏助は籠城したようだが、10月21日までには、武田氏に降伏、開城した。」(平山優『新説家康と三方原合戦』より抜粋)じっさいには高天神城は第3イニングまでに交渉によって開城したらしい。「徳川方にとって、高天神城失陥は大きな痛手となった。これにより、懸川城は遠州灘との交通を遮断されただけでなく、武田軍の背後を衝くことができなくなったしまったからである。うっかり動けば、武田方となった高天神城に襲撃される恐れが出てきたのだ。」(平山優『新説家康と三方原合戦』より抜粋)従来、「高天神城は信玄の代には武田に属していない」、そのため「武田軍は信濃方面から遠江に侵入した」と考えられてきた。このゲ...三方ヶ原12

  • 三方ヶ原 11

    第3イニング(元亀3年10月第3週)第1ステージ武田軍作戦フェイズ。秋山隊から酒井隊への攻撃。9戦力で1d6=1。地形修正-1、士気修正±0、野戦修正-1で結果は0ダメージ。酒井隊の反撃。4戦力で1d6=6。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正+1で結果は1ダメージ。秋山隊はこのダメージをステップ数にあてた。武田本隊は高天神を強襲した。22戦力で1d6=4。城レベル修正-3、士気修正±0、地形修正-1で結果は「0-4」。武田本隊は4ステップをうしなった。第1ステージ徳川軍作戦フェイズ。酒井隊は補充をこころみるが1d6=1で失敗。高天神の包囲判定は1d6=6で影響なし。第2ステージ武田軍作戦フェイズ。秋山隊は補充を行い1d6=6で成功。武田本隊も補充を行い1d6=6で2ステップ回復。第2ステージ徳川軍作戦フ...三方ヶ原11

  • 三方ヶ原 10

    出番を待つ山県昌景。第3ステージ武田軍作戦フェイズ。武田本隊23戦力は高天神に移動。穴山隊は士気値を1回復した。秋山隊は補充を行い1d6=6で成功。山県隊はヘックス4128にとどまる。第3ステージ徳川軍作戦フェイズ。酒井隊から秋山隊への攻撃。5戦力で1d6=2。地形修正-1、士気修正±0、野戦修正+1で結果は0ダメージ。秋山隊の反撃。9戦力で1d6=5。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正-1で結果は1ダメージ。酒井隊はこのダメージをステップ数にあてた。徳川本隊は浜松にとどまる。第4ステージ武田軍作戦フェイズ。武田本隊は高天神を包囲。さらに強襲を行った。23戦力で1d6=6。城レベル修正-3、士気修正±0、地形修正-1で結果は「1-1」。武田本隊は1ステップをうしなう。高天神の耐久力は9となった。山県隊は...三方ヶ原10

  • 三方ヶ原 9

    第2ステージ武田軍作戦フェイズ。武田本隊23戦力は高天神に隣接。穴山隊は士気値を1回復した。秋山隊は野田に隣接。山県隊はその場にとどまり、徳川本隊を牽制。第2ステージ徳川軍作戦フェイズ。小笠原長忠は籠城を選択した。徳川本隊はいったん浜松に入る。酒井隊から秋山隊への攻撃。5戦力で1d6=4。地形修正-1、士気修正±0、野戦修正+1で結果は1ダメージ。秋山隊はこのダメージをステップ数にあてて反撃を行った。8戦力で1d6=1。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正-1で結果は0ダメージ。三方ヶ原9

  • 三方ヶ原 8

    第2イニング(元亀3年10月第2週)。第1ステージ武田軍作戦フェイズ。武田本隊23戦力は諏訪原に入り、徳川本隊13戦力と隣接。穴山隊は士気値を1回復した。秋山隊は再編成を行い、奥平貞能を指揮下とする。山県隊はヘックス4128へ移動し、浜松にせまった。第1ステージ徳川軍作戦フェイズ。徳川本隊は1移動力を消費して敵ZOCから離脱し、天竜川の西岸まで撤退した。三方ヶ原8

  • 三方ヶ原 7

    ここで本読み。平山優『新説家康と三方原合戦』(2022年、NHK出版)。「武田氏は、元亀3年9月に軍勢の召集を終え、北条氏から大藤氏らの援軍を受けると、9月29日に山県昌景率いる軍勢を、信濃に向けて出陣させた。信玄本隊は、10月3日に甲府を出陣した。山県の軍勢は、諏訪から伊那に入り、大島城代秋山虎繁の軍勢と合流し、信濃・遠江国境を越えて、遠江に侵入した。信玄本隊も、10月10日に駿河から大井川を越え、遠江に侵入した。」「上杉謙信も織田信長も、信濃に向かう山県勢を、信玄本隊だと勘違いしていたらしく、この軍勢が越後に向かおうとしていると思い、信玄に自重を促したのである。だが、武田軍が遠江に侵入したことで、信玄の本当の狙いが、家康であることに、信長はようやく気づいた。彼は、信玄にまんまと騙されていたことに激怒し...三方ヶ原7

  • 三方ヶ原 6

    第4ステージ武田軍作戦フェイズ。行動力3の穴山隊は動くことができない。武田本隊は大井川を渡り諏訪原後方の荒れ地に陣をしいた。山県隊は浜松まで9移動力の位置まで進んだ。第4ステージ徳川軍作戦フェイズ。徳川本隊から穴山隊への攻撃。13戦力で1d6=1。地形修正±0、士気修正±0、野戦修正+2で結果は3ダメージ。穴山隊は3ダメージをすべて後退にあてた。相良まで撤退し、士気-3となる。徳川本隊は追撃を行わない。第1イニング(元亀3年10月第1週)終了時の状況。三方ヶ原6

  • 三方ヶ原 5

    ルールをいくつか間違えていた。1つのイニングは約1週間をあらわし、いくつかのステージによって構成される。したがってまだ元亀3年10月第1週で、徳川軍は第2ステージから行動を開始する。あらためて第2ステージ武田軍作戦フェイズ終了の状況。酒井隊5戦力は野田へ進み、長篠の武田軍と対峙。長篠城の包囲には6戦力以上が必要である。徳川本隊13戦力は掛川へ進み、諏訪原の武田軍と対峙。敵部隊と隣接するには追加1移動力を消費するため、このステージ中に隣接することはできない。第3ステージ武田軍作戦フェイズ。秋山隊は長篠で奥平隊と合流。山県隊はヘックス4220へ、武田本隊は江尻に入る。徳川軍作戦フェイズ。徳川本隊は穴山隊に接敵した。三方ヶ原5

  • 三方ヶ原 4

    歩き巫女「先に仕掛けてきたのは徳川さまのほう」ルール16-8-1「徳川軍の全ユニットは、武田軍の奥平貞能以外のユニットが三河、または遠江に進入した次のステージから移動できます。」とあるが、すでに穴山隊が進入してしまったので作戦行動を開始する。徳川軍作戦フェイズ。酒井隊5戦力は長篠へ、徳川本隊13戦力は諏訪原へ向かい戦端を開いた。元亀3年10月第2週。武田軍作戦フェイズ。奥平隊2戦力は籠城を選択。穴山隊10戦力も野戦を不利とみて籠城を選択した。武田諸隊はそれぞれ進軍を継続。三方ヶ原4

  • 三方ヶ原 3

    武田信玄「いざ、風のごとく攻めよ」元亀3年10月第1週。武田軍の移動。各ユニットの移動力は8。敵に隣接しない場合、移動コストは下がる。秋山隊はヘックス4320へ進む。山県隊はヘックス4627へ進む。穴山隊は諏訪原に入る。武田本隊はヘックス5518へ進む。武田軍作戦フェイズ終了時の状況。三方ヶ原3

  • 三方ヶ原 2

    石川数正「十にひとつの勝ち目もありませぬぞ」仮想シナリオ「どうする三方ヶ原」。もしも織田の援軍がなかった場合、徳川単独で武田勢の侵攻を食い止めることはできるのだろうか。武田勢の初期配置はおおむねルールブックのとおり。「奥平貞能(2-0-3)を三河領内の武田軍の城のヘックスに自由配置」奥平貞能を長篠に配置。「秋山信友(7-1-3)を信濃領内の武田軍の城のヘックスに自由配置」秋山信友を飯田に配置。「山県昌景(7-2-4)を躑躅ヶ崎館(ヘックス5713)から8ヘックス離れたヘックスに自由配置」山県昌景をヘクス5008に配置。「穴山信君(2-1-3)と武将ユニット3個までを江尻城(ヘックス5425)に配置することもできる」穴山信君と戦力4の2ユニットを江尻に配置。「残りのユニットを躑躅ヶ崎館(ヘックス5713)に...三方ヶ原2

  • 三方ヶ原 1

    福田誠「信玄上洛」(1986年、ツクダホビー)。ルールを覚えるために、とりあえずマップ東半分だけを使ってソロプレイをしてみよう。まずは徳川勢ユニットの配置。ルールブックには「徳川軍の城のあるヘックスに全ユニットを自由配置」とある。浜松に20戦力を集中させるのが常識的な配置だろう。しかしそれでは1回のサイコロ振りで勝負が決まってしまって面白くないので、初期配置を以下のように変更する。高天神に小笠原長忠を配置。吉田に酒井忠次と1ユニットを配置。のこる全ユニットを浜松に配置。三方ヶ原1

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