21世紀に入り、多くの感染症と対峙する人類。新型コロナウイルスの感染に苦しむ今だからこそ、古代メソポタミアから受け継がれてきた、神の神託を理解する必要がある。その為、東北の大震災から書き続けてきた「神の黙示録」を改めて記載することにした。
2025年6月
林鶴梁と上野介さて逸材なる上野介は誰に師事したかと言うと、8歳の頃より安積艮斉塾(小栗邸内にあった)にて和漢、洋学を受けている。いかに非凡であったかは、前記の御両番(今の上級国家公務員試験)入りを21歳で果たしているのだからお分かりと思う。家庭に恵まれていたこともあるが、父忠高の役柄を抜いてしまう度量は幕府困難の時節柄からして見逃すことはできない。そしてこの父忠高もあるいは人間関係で埋蔵金に絡んでくるのではないかと私は見ている。忠高は幕末下記を歴任している。天保14年1843年御使番衆弘化4年1847年御留守居番寛永4年1851年御持筒頭寛永6年1853年新潟奉行寛永7年1854年御持筒頭この翌年、安政2年1855年上野介が小栗家を継ぐのである。井伊直弼、林鶴梁、中島平四郎、水野健三郎が忠高と同年代であり...黄金の行方徳川幕府の埋蔵金改訂版その3
話しを小栗上野介に戻す幕末の小栗は実に多忙である。いや、多才といったほうが良いのかも知れない。造船所の建設、フランス語の伝習所、諸式会所創立、交易商社の建設計画など、どれを見ても今までにない新しい事であり、その仕事量は並大抵なものでない事が理解できる。後に、この小栗の事を明治財界の巨星、三井の大番頭三野村利左衛門はこう言っている。『もし小栗上野介が明治時代に生き長らえていて、財政にかんする国務大臣として用いられたならば、わが日本は明治の初めから財政は整い、経済会は活気を興して、国家人民の為にどれほど幸福なことであったろう』。私も同様の考えである。三野村利左衛門三野村利左衛門は、庄内藩士関口松三郎の子であり、幼少の折、木村利左衛門の養子になるが、7歳の頃より家出を繰り返し、14歳にして諸国を流転し千辛万苦し...黄金の行方徳川幕府の埋蔵金改訂版その2
序章令和6年1月1日(2024年)能登半島大地震が起きた。阪神淡路大震災(1995年)以降M6.5以上の地震が実に20回以上起きている。この中にはM9.0の東日本大震災もあり、又この30年間で火山の噴火や豪雨による被害も度々起きている。財政も含め国家の存続に不安を抱くのは私だけでしょうか。紛争や感染、飢餓と世界を見ても同様に様々な災害が襲っている。しかしながら人々に希望を与えてくれるリーダーはどこにも表れていない。1997年、私が代表をしていた日本トレジャーハンティングがデイリースポーツの日曜版の娯楽記事で取材を受けた(本書のあとがきに添付)。その時に掲載されたコメントが手元にある。『我々も財宝も時の流れの中で運命が定まっているのではないでしょうか。とすれば財宝も時期が来ればおのずと姿を現すのでは…』令和...黄金の行方徳川幕府の埋蔵金改訂版
2025年6月
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