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2020/03/31

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  • せっちゃんの事

    母の職場の近くに、せっちゃんと呼ばれる知り合いがいて、 道で会えばお天気の話をするくらいの仲だったんだけど、 母がある日、公民館の前を車で通ったら、 せっちゃんのご主人が窓のところで、ピョーンピョーンとジャンプしてたんですって。 後日スーパーでせっちゃんに会ったときに聞いてみたら、 せっちゃんは公民館の書道教室に通っていて、その日はお稽古の日。 昇級試験の直前で、少し遅くまで練習していたら、 待ちくたびれたご主人が迎えにきて、でも教室に入るのは気おくれがしたのか、 外で待っていたんですって。 待っている間、窓からせっちゃんいるかなって、ピョーンとジャンプしちゃったってわけ。 せっちゃん、恥ずか…

  • 納豆事件

    2006年、書初めでの次女の作品。 それぞれ好きなように書いていたら、こんなのを見せてきました。 当時6歳の彼女がなぜこれを書いたのか、わかりません。 漢字はまちがっていますが、なかなか良い! うちの夫は気分にむらがあり、いつもご機嫌とは…言えません。 特に食事に関しては偏食で好き嫌いが多く、食べられないもの、嫌いな調理法、限定された調味料など、「取説くれよ」というレベルです。 「これ出しておけばOK」なやつをルーティンで作ればいいのだと悟ってからは楽になりました。(結婚20年目くらいに) 50歳で大病、幸い完治し、身を削るような 働き方をしなくなり、ご機嫌ななめの時も減りました。 それでも事…

  • 母のサイン

    母は、いくつかのサインを送ってきていました。 栄養をいれてもタンパク質の値が上がらなくなり、 むくみがひどくなっていき、 右足だけがなかなか温まらなくなりました。 ざらついた舌。 脱力した脇。 手を握ると握り返すような気がしたのは、 不随意運動がひどくなっていたのでしょう。 足も断続的にピクリと動きました。 体位交換するたびに酸素が下がり、 あまり動かさなくなって、尾てい骨や踵に赤味がでました。 亡くなる10日ほど前からバイタルチェックした訪問看護師が 状態を説明するときに、母のそばを離れるようになりました。 尿が減り、ポカリと白湯だけしか飲んでいないのに黒い便が出るんです。 何度も出るんです…

  • 母の教えその①

    3連休明けて、いろんなことが通常モードに戻ってます。 朝昼兼用の私の食事。 ロウカット玄米 納豆2パック特大ネギトッピング 豆腐と芹の味噌汁 沢庵 食後にお茶を入れました。 急須を久しぶりに使いました。 母が飲めなくなってから、茶こしでドボドボ入れてました。 やっぱりおいしい、と言いたいのですが、 今日開けた茶葉は、母が亡くなってから買ったもので 以前より100gあたり300円安いもの。 よく母が、緑茶、海苔、昆布はいいものを買いなさいよ、って 言ってたからなあ。 でも私はこれで満足です。 このお湯のみは、10年以上前に実家に行ったときに母がお茶をいれてくれて、 これいいねえ、って言ったら、 …

  • ひとり母を偲ぶ夜

    無事、母をお骨にしました。 元気だった頃の父が実家の墓じまいをしました。 「葬式も墓もなし。お母さんを囲んでみなでおいしいものを食べてください。」 というメモを残して亡くなった父です。 さて、母はどうしようか。 元気だった頃の母が、お父さんと同じようにしてね、と言ったような気がするような。 はっきりとは覚えていません。 まだまだ元気でいてくれると思っていたんです。 家族葬を選んだ私達です。 納棺、火葬、お骨を拾って、自宅に戻るまで、 私と夫、娘2人、弟、私の友人、そして、海外の妹とその子供達をラインでつなぎながら行いました。 一番つらかったのは、母の棺が炉に入っていくときです。 必死の腹式呼吸…

  • 大豆田とわ子と三人の元夫

    娘が以前から 「面白いからみてごらんよ」 と言っていた、このドラマ。 松たかこって、どこから見ても美しい。 奇抜な服も上品に着こなし、ちょっと口が曲がっているのがチャーミング。 こんなセリフを、どこから見てもイケメンのオダギリジョーが言ってました。 過去とか未来とか現在とか そういうのってどっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。 時間って別に過ぎていくものじゃなくて 場所っていうか、別のところにあるものだと思うんです。 人間は現在だけを生きてるんじゃない 5歳10歳20歳30歳40歳 その時その時を人は懸命に生きて それは別に過ぎ去ったものなんかじゃなくて あなたがわらってる彼女を見たこ…

  • 旅立つ装い

    今日、母の納棺の儀を行いました。 最後の装いをどうしようか、と昨晩から考えて まずこれはどうかしら。 妹がプレゼントしたかわいいチャイナニットの組み合わせ。 シャネルの文字が印刷された、たぶんシャネルではない、ストール。 このニットかわいいけど、あんまり着る機会なかったなあ。 これはどうかしら。 着たおしていたニットアンサンブルに、私のプリーツスカート。 しっくりきます。 靴は、病気になってすぐに、楽でおしゃれなの買おうねって 一緒に買いにいったもの。 これにしました。 あと2日間一緒にいて、荼毘にふします。 何はともあれ、寒いです。 暖房なしの、少し窓を開けて冷気を入れている部屋に母と一緒に…

  • これからも母と共に

    1日の夕方、私と娘達、画面越しの弟と妹に見守られて母は静かに息を引き取りました。 大げさでなく、年を越えた瞬間に、呼吸が変わりました。 それから約12時間、頻呼吸が続き、酸素を最大にしてなんとかその値を保ち、 午後に下顎呼吸が始まり、そこからは早かったです。 看護師さんと一緒に清拭と着替えをしました。 そして主治医が死亡宣告をしてくれました。 すぐには涙がでません。 冷え始めて他人顔の母に触るのは保湿クリームを塗るときくらい。 ともすれば、避けている。 これからの諸事万端が頭を圧迫しながらも、 襟元がうすら寒いのは悲しい解放感。 心配ではち切れそうな二つの顔が私を見ているのを 目の端にとらえて…

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