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四代目桶屋金之助の世界 https://blog.goo.ne.jp/4-okeyakinnosuke

おろかなるひとり言<br>胸を張れるような自慢話などはありません。<br>照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。<br><br><br><br>

桶屋金之助
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2020/03/26

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  • 僕のラジオの青春_6

    中学に放送部というクラブがあった。給食の時間に学校からの案内とレコードなどを流していた。深夜放送とフォークソングがブームだった頃である。当然部員たちはラジオ放送のまねごとをしている。そしてレコードはフォークが主流。レコードを部室に持っていけば、〇年△組の誰々さんからのリクエストと紹介してくれていた。新曲もあればヒット曲も。給食を食べながら、あの組のあの人はあんな曲を聴いているのか。そんなことを思っていたりもしていた。またDJのまねごとだから、聴いている側もなんだか気恥ずかしさを感じることもあった。自分も放送室にレコードを持っていったこともあった。今でも覚えているレコードがある。当時最年少フォークデュオチューインガムの『風と落ち葉と旅びと』自分と同年代ということもあって好きだった。この曲を聴けば中学時代を思...僕のラジオの青春_6

  • 令和6年 刈谷万燈祭

    7月27日と28日。刈谷市中心部で開催された夏の風物詩刈谷万燈祭。万燈祭とは、刈谷市銀座にある秋葉社の祭礼で、江戸中期から240年以上続く火難防除と町内安全を祈願するお祭りです。高さ5m、重さ約60kgの万燈を若衆が一人ずつ交代で担ぎ舞い踊るお祭りで、愛知県の無形民俗文化財に指定されています。20数年前にこの祭りの寺横町世話人頭をやり、その後刈谷万燈祭保存会で祭事委員など10年ぐらい祭に関わっていました。今年は寺横町組長として久しぶりに参加しました。27日新楽は市内行進とコンテスト。コンテスト会場にて万燈の舞。なんと我が寺横町最優秀賞をいただきました。この発表と同時に若衆たちは大いに盛り上がりました。子ども万燈も盛り上がりました。28日本楽秋葉社境内で舞を奉納する神前舞を披露しました。そして各町が揃って一...令和6年刈谷万燈祭

  • 西田あい『最後の頁』

    偶然に見つけた西田あいさんの『最後の頁』のミュージックビデオ。「最後の頁」というと山口百恵さんの歌(作詞・作曲:さだまさしさん)が脳裏に浮かぶが、この歌は全く知らなかった。もちろん西田あいさんも、、、。70年代のころをイメージしたドラマのようなミュージックビデオ。昔見た映画のワンシーンのようである。切ない青春時代。好きな人と喫茶店での会話。演歌というよりもフォークソングの世界。あの頃の風景を感じるミュージックビデオ。歌詞と映像がうまくマッチしてとても心に沁みる。西田あい「最後の頁」ミュージックビデオ西田あい『最後の頁』

  • 僕のラジオの青春_5

    中学2年生のころだったかと思う。兄といっしょにCBCラジオのスタジオに行って、日曜日のお昼からの人気番組「オー!サンデー」の公開生放送を見に行った。初めて見るスタジオ。思ったよりも狭く感じた。司会は板東英二さんだった。ラジオから流れてく声がまじかで聴けておもしろかった。ゲストも出演して生で歌っていた。覚えているのはチェリッシュ。名古屋出身のフォークデュオ。間近で見るチェリッシュ。何を歌ったかは覚えていないが、少し感動した。ラジオの公開放送でおもしろいな。それから僕は、友だちを誘って公開放送を見に行くようになった。10代半ばのころのラジオの青春であった。毎日暑い日がつづく。車の窓から見えるひまわり畑。ふとこの歌が浮かぶ。チェリッシュの「ひまわりの小径」チェリッシュもよく名古屋のラジオ番組にでていた。だからチ...僕のラジオの青春_5

  • 僕のラジオの青春_4

    ラジオから聴こえてくるDJさんの声。やさしく語りかけてくれる。辛く感じたときは、元気を与えてくれた。さみしさを感じたときは、独りではないんだと教えてくれた。大いに笑わせてくれたDJさんもいた。リスナーさんから届くハガキ。DJさんが心を込めて読む。その内容は共感することが多かった。それがラジオの魅力なんだということがわかった。リスナーさんからのリクエストハガキ。メッセージと共に曲目が書いてある。それをDJさんが読んで曲がかかる。ヒット曲もあればアルバム収録曲も。そこからいろんなジャンルの曲も知った。自分自身もリクエストハガキを書いてだしてみよう。ペンネーム(当時はラジオネームという言葉はなかった)は、何にしよう。DJさんへのメッセージ。そしてリクエストハガキ。ラジオ局にはきっと多くのハガキが届く。少しでも目...僕のラジオの青春_4

  • 僕のラジオの青春_3

    僕には姉と兄がいる。姉は6つ上。兄は4つ上。中学1年生のころ、まだ深夜放送というのは聴いていなかった。狭い我が家。布団の中に入っていると夜遅く人の声が聞こえてくる。耳をすませて聞いていればそれはラジオから流れてくる人の声だった。姉も兄も深夜放送をよく聴いていたみたいだ。のちに知ったことだが、その番組は「ミッドナイト東海」DJは、アマチン、レオ、リコタン。深夜放送がブームになりだしたころの名古屋地区の人気番組となっていた。自分が深夜放送を聴きだしたのは、おそらく中学1年の冬休みぐらいだったような気がする。このころから僕は、テレビっ子からラジオっ子になったかと思う。当時人気DJだった森本レオさん。レコードも出していた。『親父にさよなら』家にレコードもあった。小さなおもちゃみたいなレコードプレーヤーで聴いていた...僕のラジオの青春_3

  • 僕のラジオの青春_2

    中学生になるとテスト週間があった。中間テスト、期末テスト。午前中にテスト。テストが終われば家に帰れた。午後から家でテスト勉強。当時「ながら族」という言葉があった。ラジオを聴きながら勉強をする。勉強をやりながらラジオを聴く。自分はラジオをよく聴いていたな。平日のラジオ番組で好きだったのが、CBCの「ばつぐんジョッキー」特に月曜日の板東英二さんと木曜日の上岡龍太郎さん。中日ドラゴンズvs阪神タイガース。二人の対抗意識がおもしろかった。ラジオを夢中になって勉強しても頭の中に入らなかったんだな。だからテストの点数が悪かった。あの頃授業で覚えたこと。今ではすっかり忘れている。なのに当時の歌やラジオ番組は覚えている。「ばつぐんジョッキー」から名古屋地区で大ヒットした歌がある。板東英二さんの『燃えよドラゴンズ!』この歌...僕のラジオの青春_2

  • 僕のラジオの青春_1

    吉田拓郎さんがTAKUROブログで『ラジオの青春』をこの7月から綴っている。高校生のころの話し。そして当時の若かりし頃の写真。これを読んでいたら自分もあの頃を思い出しながら自分なりの「ラジオの青春」を綴ってみようかと思った。いつまでも続くかわからない。拓郎さんほど文章力はないけど、お時間があればお付き合いのほどよろしくお願いします。『僕のラジオの青春_1』中学入学式のあと教室に行き自己紹介があった。クラスの中には小学校からの友だちもいれば、他の小学校からの生徒もいる。初めてみる顔。なれない空気感。自己紹介、自分の番になった。当時テレビっ子だったから、「テレビを見るのが好きです」と言ったような気がする。そして後ろの席のB君。好きなことは「ラジオを聴くことが好きです」と自己紹介をした。あの頃、ラジオなんて全く...僕のラジオの青春_1

  • 2,000円札はどこへ行った。

    この7月から1,000円、5,000円、10,000円の新札が発行された。まだ僕はお目にかかっていない。福沢諭吉さんはどうも私の財布の中が居心地が悪いのか、なかなか入ってこないし、入ってもすぐに出て行ってしまう。福沢諭吉さんに嫌われているのか、寂しい私の財布である。今度の渋沢栄一さんには嫌われたくないと願っている。渋沢さん、私の財布はウエルカムです。遠慮なく入ってきてください。ところで2,000円札というものもあったな。最近は見たこともない。新札のニュースで2,000円札の話題もされなかった。今も流通されているのか。2,000円札はどこへ行った?2,000円札はどこへ行った。

  • 吉田拓郎『蒼い夏』

    先週の水曜日に熱中症になってしまった。シルバー人材センターから依頼を受けている某マンションの掃除。掃除をしていると動きが鈍くなってくる。なんだか気持ち悪くなってきた。日陰の非常階段のところで少し休んでいた。冷たいタオルで体を拭き麦茶を。なんとなく回復してきたから仕事を再開。一通りの作業をしてからまた休憩。やっぱり体が変だ。車でゆっくりと運転しながら自宅へ。自宅に着いたらもうダメ。体を冷やすためにシャワーを浴びて麦茶をがぶ飲み。気づいたら下痢状態。顔色が蒼い。涼しい部屋で横になっていたらぐっすりと寝てしまった。翌日の木曜日も体の調子もよくない。金曜日もそうだった。土曜日にやっと調子が戻ってきた。私の『蒼い夏』吉田拓郎さんの『蒼い夏』中学から高校の頃、よく聴いていたなぁ。今でも大好きな歌です。吉田拓郎:197...吉田拓郎『蒼い夏』

  • トノバン 音楽家加藤和彦とその時代

    やっと観に行くことができた、映画『トノバン』。先週に行く予定をしていたが熱中症になってダウン。昨日の日曜日、体調もよくなってきたから涼を求めて、そして加藤和彦さんの軌跡を知りたくて刈谷日劇へ。自宅から歩いて10分もかからないけど、暑すぎるから車で。刈谷日劇は西三河唯一のミニシアター。座席数は約50席。客層はやはりおじさん、おばさんでほぼ席が埋まっていた。ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」北山修さんとの「あの素晴らしい愛をもう一度」サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」・・・。なつかしい歌が心に響く。加藤和彦さんと共に音楽人生を歩んできた方たちの証言。一流の人間だったからこそ自死してしまったのか。もし今も生きていたなら・・・。そんなことを考えさせられたドキュメンタリー映画...トノバン音楽家加藤和彦とその時代

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