クリスマスにベルリンからプラハへと旅行に行ってきた。一番安い交通手段はバスだ。バスはドイツではお馴染みのFlixとかもあるが、Regio jetというチェコのバス会社の方が安く、往復で57€だった。しかも中には飛行機の中にあるようなディスプレイがあり、そこで映画を見るこ
アーキーが色々な困難な目に遭いながら世界を旅します。 また海外に長期滞在して現地のミュージシャンとアルバムを作ったりするまでのエピソードも人気です。
クリスマスにベルリンからプラハへと旅行に行ってきた。一番安い交通手段はバスだ。バスはドイツではお馴染みのFlixとかもあるが、Regio jetというチェコのバス会社の方が安く、往復で57€だった。しかも中には飛行機の中にあるようなディスプレイがあり、そこで映画を見るこ
ドイツに来てから俺の生活を支えていた路上ライブだったが、とうとう罰金を取られてしまった。罰金を取られた現場は公園だった。どうやら緑地法というものがあり、ドイツの法律では無断で公園で路上ライブとかはしてはいけないらしい。路上であれば問題ない。それでもおそら
10月の前半に語学学校に申し込みに行ってから2ヶ月経過して12月になった。その間ラーメン屋のミニジョブも決まった。失業保険受けてる間もミニジョブは出来るのだ。俺の場合は失業保険は450€くらいなので家賃にもならない。ミニジョブでもしないととても生活は出来ない。ラ
ジョブセンターで言われた通りに検索してみて家から一番近くのところに行ってみたが、初回の人が行くための学校と二回目以降の人が行くところがあるらしく、家の近くの学校は二回目以降の学校だった。初回の人のための学校は自分の住んでる地域ではここだった。ヨーロッパら
ここ最近ジョブセンターや公的保険であるAOKからのメールには嫌なことしか書かれていなかったためジョブセンターからメールが来ただけでちょっと嫌な気持ちになっていた。恐る恐るメールを開くとそこにはこう書かれていた。「失業保険を支給します」なんと失業保険をもらえる
失業保険が却下された俺はしばらく唖然としていた。今までの傾向からして政府を当てにするのは良くないと思っていたため、路上ライブは続けていたのでお金は大丈夫だ。しかし問題は保険である。ドイツの公的保険は収入が0の人間からも容赦無く徴収する。毎月約250ユーロで
通訳を雇ってジョブセンターに来た俺だったが、必要書類のコピーを持ってくるように言われた。ブランデンブルクでやった時はそんなに色々いらなかったのだが。持ってくるものは以下のものである。・パスポート・ビザ・住民登録・前のジョブセンターのキャンセル通知・口座残
語学学校を紹介してもらおうとジョブセンターに行った俺だったが、どうやら最初に登録した場所がブランデンブルクだったようで、そこから移転する手続きをしなければならないようだ。つまり俺はまずベルリンのジョブセンターに登録しなければならないということだ。そこで同
AOKから保険の請求が来たのはそれ以前に「職場を辞めましたが今はどういう状況ですか?」というアンケートが届き、それに応えて送った結果である。無職なので収入は0円と書いたのだが、それでも請求額は月に250€である。無職の人間からもえげつなく回収するのが怖いところだ
なんとか住所を確保した俺は住民登録をしようとしていた。以前は朝一番に市民局に行って整理券をもらっていれば登録できたのだが、コロナ以降は予約しないとダメになったらしい。朝一番に市民局に行ってそんな門前払いを食らって予約を取ろうと試みるとなんと次は2ヶ月後・・
ベルリンは家が全く見つからない街である。人口はおよそ364万人で大体横浜と同じくらいだが、広さは倍くらいだ。なので人口密度としては大したことないのだが、ヨーロッパ特有の問題で災害が起きないので築100年くらいの建物がいまだに普通に使われているのである。昔の建物
2024年の6月12日にドイツに帰ってきた俺だったが、誤算が一つあった。それはUEFA欧州選手権というヨーロッパ限定のW杯みたいな大会がドイツで開催されていて、その時期と帰国時期がかぶってしまったということである。そのため普段15€ほどで泊まれるドミトリーの宿が40€に
リゾートバイトも終わり、伊豆半島を巡る旅のあと日本を出発する日がやってきた。最後に残った日本円をATMで入金してみたが、預け入れでも手数料を取られた。特にトラブルもなく行きと同じロンドン経由でベルリンに帰ってきたが、荷物が全然流れてこない。どうやら自分だけで
伊豆下田駅の駅内に「伊豆ぽた下田」という観光案内所みたいなものがあり、そこで自転車をレンタルできる。電動アシスト自転車で1日2200円。営業時間は9時半から17時まで。ここではそのほか前回紹介した施設の格安券も売ってある。下田は海の側なので海沿いをチャリで行く。
下田に三日滞在した後は伊豆大島に行くことにした。伊東から伊豆大島に行き、そこから東京に行き、羽田からドイツに戻るという計画だ。伊豆大島へはフェリーとジェット船があって、フェリーの方が安いが、俺の場合は日程的にジェット船で行くしかなかった。夏は毎日動いてる
伊豆高原から終点の下田にやってきた。下田駅周辺は田舎の中心地という感じでスーパーや飲食店などが多少並んでいる。一通りのものは揃っている。個人的見解だが美味しい飲食店が多いという印象。海鮮系はもちろんのこと、とんかつで有名な店もあり、焼肉、街中華もレベルの
5月末で箱根のリゾートバイトを終えてからドイツに戻るまで時間があったので伊豆に行ってみることにした。なぜ伊豆かというと京都で泊まった安心お宿というホテルのイベントで伊豆の系列のホテルのタダ券をもらったからである。そのホテルは東京、京都、名古屋にあり、ネット
三島は小田原からは電車で約45分で680円で行ける近所である。新幹線が止まる駅でもあり、行こうと思えば日本各地から簡単にアクセスできる街でもある。特に期待はしてなく、近かったのでなんとなく行ってみただけだったのだが行ってみたら最高すぎた。今まで行った日本の街の
一応このブログのカテゴリは「日本の珍スポット」となっているが、珍スポットというにはあまりにもメジャーすぎるのでややテーマとは違うが、せっかく行ったのでとりあえずブログにすることにした。宇都宮へ行くには新幹線で行くパターンと在来線で行くパターンがあり、行き
天竜浜名湖鉄道を一通り巡ったあと、浜松までやってきた。ネットカフェで一泊した後の翌日。浜松は無料で行ける観光地がいくつかある。そのひとつがここ。静岡のドンことスズキ自動車の本社である。ここではスズキの歴史を伝える博物館が無料で公開されてある。最寄駅は浜松
箱根にリゾートバイトで滞在中に日帰りで行けるところに行ってみることにした。まず行ってみたのは浜松だった。浜松へは小田原から新幹線で約1時間で、値段は金券ショップで買うと片道で約5600円くらい。静岡県は新幹線の駅が3つあるのだが掛川、静岡、浜松どこに行くにして
ドイツに戻ったあと色々な問題が待っているが、日本の一時帰国も終わりを迎えた。やはり一番きついのはドイツに戻ったところで帰る家がないということだ。俺の場合は特に友達もおらず帰ってきた事による安堵感も何もない。それはさておき、日本の一時帰国をする前と後では結
ドイツで住み込みの職場をクビになったことをきっかけに日本にやってきた俺だったが、無駄に保険を払わなくていいように失業者登録の手続きをしていた。オンラインで失業登録をした労働局からの情報は全て受け取るようにしていたのだが、どうやらオンラインだけではなかった
わざわざスタンプまで押したのに提出しなかった理由についてマネージャーからはこう返ってきた。「あなたまだ提出してなかったの?」どうやら俺が提出するもんだと思っていたらしい。だからスタンプを押したページの写真を送ってきたのか。俺はすぐさま労働局からもらった在
そもそも最初から様子はおかしかった。できるだけ揉めたくないと思っていた俺はなるべく愛想良く前いた職場に行き、在籍証明を提出するようにお願いした。在籍証明書は企業が関係機関に提出するのが本来のあり方だ。したがってメールで資料を添付して送りつければそれで事足
日本でのリゾートバイトという働き方を利用してお金がかからないばかりかむしろプラスになって日本へ一時帰国しようという計画だったが、この計画の簡単なポイントは以下のとおりである。・リゾートバイトという働き方は無料の寮と食事が提供されるので滞在費がかからない。
ネットバンクの認証をアプリでするべきかどうかの問題で、トークンの電池が切れるのが先か、スマホを変えるのが先なのかどっちかに賭けないといけなくなった俺だったが、この件に関してはひとつの解決策を思いついた。それは「トークンをもう1個もらう」ということである。今
俺が日本で日本の番号を持ってるうちにやらなければならないのが「認証アプリの導入」と「3Dセキュアの設定」だった。なぜこれらが日本でやらなければならないのかは理由がある。インターネットは世界中で繋がっているが、基本的に日本で行われているネット上のサービスは日
地味に面倒な道のりだったがようやく携帯を契約するためのものが揃った。以下の2つである。・simフリーの携帯・現住所の免許証simフリーの携帯は新宿の中古販売店ですでにゲットしていた。3年前のAndroidで約7000円なので悪くない。おサイフケータイもついてるのでsuicaなど
住民票をいれた俺が携帯電話の番号をゲットするため次に必要なのは免許の更新だった。正確に言えば「旧免許証orパスポート」と「住民票の写し」で携帯の契約はできるのだが、免許は今年切れるのでいずれにせよ日本にいる間に更新はしなければならない。まだカナダの時のよう
携帯の新規契約のために住所不定の状態を抜け出す必要のあった俺は小田原の市役所にやってきていた。携帯電話を契約するには身分証明書として現住所が記載された運転免許証が必要なわけだが、その免許証を書き換えるためには住民票が必要なのである。一応他にも方法はあり、
海外在住の人間が一時帰国でリゾートバイトをするにあたって問題となってくるのが連絡先の確保である。2019年に日本にいた時と比べて、LINEなどのSNSで仕事の連絡することもだいぶ浸透してきたが、やはりまだまだ電話番号は求められる。当然ながらついこないだまでドイツに4
およそ2週間の日本旅行を終えてとうとうリゾートバイトを始める時期となってしまった。リゾートバイトの開始の前日には入寮と施設説明などのオリエンテーションを一度するらしい。集合時間は午後2時。地元の広島から当日行くにはちょっと時間的に厳しいので前日に小田原まで
広島に帰って来てリゾートバイト開始までまだ時間があったので尾道に行くことにした。酒の街の西条を経由していく。尾道までやってきた。尾道は一度来たことあるので、目的はラーメンだ。早速尾道ラーメンを食べる。油の塊みたいなのが浮いてるのが尾道ラーメンの特徴だ。尾
10年ぶりの帰国ではあるが、その間に俺の実家は引っ越しており久しぶりに実家に帰ってきたーという感覚はなかった。新しい実家周辺は広島に住んでいた時でも行ったことないような場所だったのでかつて自分が住んでいた場所へやってきた。まずは最寄駅の安芸長束駅である。い
大阪から夜行バスで10年ぶりに広島に帰ってきた。全面工事中の広島駅には懐かしさを微塵も感じないがとにかく帰ってきた。帰ってきてからは親戚を集めて10年ぶりに親や兄弟とも会ったり、同級生たちに声をかけてプチ同窓会などもやったりしたが、せっかくめったに帰ってこれ
夜は適当にご飯などを食べて、次の日は奈良へやってきた。奈良の駅前はあまり大きなビルはない。鹿が街中にいるということで知られる街だがここにはまだ鹿はいない。しばらく歩くと開けた地域に出てきた。ここでもまだ鹿はいない。奈良駅から歩くとまず現れる寺がこの興福寺
坂本龍馬の墓や殺された刀がある京都の地と本物の城がある彦根へ行く
彦根へやってきた。ここは日本で12コしかない現存する天守閣がある彦根城がある。駅から城までは分かりやすく道がある。お堀の先が彦根城である。神社も近くにある。ここは滋賀縣護國神社で、滋賀県出身の戦没者を扱っている神社である。近くには日本の観光地ではお馴染みの
高速バスで名古屋にやってきた。乗り心地はそれほど良くないがホテルに泊まらなくていいので楽でいい。この日の名古屋は泊まれるところがなく、1泊1万円以上の高級ホテルしか空きがなかった。決して名古屋をディスってるわけではないが、横浜のみなとみらい周辺をウロウロし
カナダに行こうと思いつつ、入国拒否されたこともあって急遽行き先をドイツに変更してドイツに入国してからおよそ4年後、再び故郷の日本へと戻ってきた。通常、海外在住の日本人が帰国する際は長くても半年なのでバイトなどは出来ず、金を使わず過ごそうと思えば友達の家か実
日本への帰国が決まっていながらなかなか航空券を買っていなかったのはいくつか理由があった。まだ仕事がクビになることが決まっていない12月は最初に外人局に行った月で、ビザが更新できるのがほぼ確定した時期だった。この時点で職場には2月から2ヶ月ほど長期休暇をとって
先月ドイツのワークビザを更新しに外人局に来た俺だったが、その時はドイツ企業からの仕事があり、家賃も格安だったのでビザの更新には全く問題ない状況だった。その場で仮ビザと呼ばれる顔写真と俺の滞在可能時期などが書かれた紙をもらい、1ヶ月後滞在カードを取りに来るよ
交渉の結果、来月からホームレスになることが決定したおれだったが、ホームレスであって路上生活者ではない。そもそも来月から日本に帰る予定だったので、ホームレスとなって家賃が発生しないのはちょうどいいタイミングだとも言える。まあ日本に帰って日本で数ヶ月生活する
突然クビ宣告受けて同時にホームレスになったおれだったが、ドイツで生き抜くために少しでも良い条件でいられるように交渉をする必要があった。現状、言われたままを受け入れるとすると、・来月から家無し仕事なし・住民登録なし・来月から2ヶ月日本に帰る予定だったので今か
無事に4年のビザが取れてほっと一安心していたが困ったことが突然やってきた。住み込みで働いていた職場をクビになったのである。仕事がクビになること自体はそんなに大したダメージではない。路上ライブは相変わらず好調で、音楽だけで食っていこうと思えばそれで食っていけ
ベルリンでどうしても外人局の予約が取れなかったおれはちょっと外れたブランデンブルク州に引っ越した結果、あっさりとブランデンブルクの外人局の予約が取れた。その地域の外人局はベースコーという街にあった。この街はおれの住んでる地域からはなかなかアクセスが難しい
もしかしたら転職ができるかもしれないという可能性が出てきた俺だったがそれほど前向きではなかった。というのはせっかくおよそ3年間ブラック企業の長時間労働に耐えたのに、ここで職を変えることによってビザが更新できなくなるかもしれないという懸念があったからだ。いじ
交通違反で捕まった俺だったがパスポートに添付していた期限切れのビザを見つけられてしまった。普通の国だとこの時点でアウトだがベルリンの場合はこの限りではない。もちろん中には滞在許可もないのに長々と住んでる不法移民もいるが、ちゃんと許可を取ってる人も外人局の
1月にベルリンの外人局に「予約が取れないけどどうすればいい?」というメールを送ったあと自動返信のメールを受け取ったことで仮の滞在許可をもらった俺だったが、それから半年経っても全く返信がない。このままではドイツに滞在することは可能だが、日本には帰れない。正確
外人局から仮の滞在許可はもらったものの、これは外国に行ってしまうと「ドイツ滞在の有効なビザ」とは言えないものだ。日本人であれば普通に観光ビザで入れそうな気もするが、リアルに入国拒否をくらったことのある身としてはあまりリスクのある行動は取りたくない。現状で
行動を起こしたのは2022年の11月からだった。 View this post on Instagram A post shared by Arky (@arkytakeshisasaki0818)まずは会社からビザの更新に必要な書類をもらわなければならない。そのため俺はマネージャーの機嫌のいい時を見計らってその話
ドイツでゲットした就労ビザの期限の3年が経過したが、ビザの期限が切れたにも関わらずこのビザが更新出来ずにいた。一歩間違えれば不法滞在になってしまうので早いとこ更新しなければならない。しばらくブログを更新してなかったが、その理由としては特に面白いことが起きな
ロックダウン解除により、仕事を再開したことで進んだのはベルリンでのミキシングだけではなかった。高額な歯の治療も再開した。 ドイツでロックダウンとなる前にインプラント治療のために歯を抜いて、差し歯を作ってもらっていたわけだが、ロックダウンで仕事を失ったこと
ミキシングも順調に進んでいる中、リリースのあり方も考えなければならなかった。単に35曲ばーっと出してもいいのだが、それだとインパクトがないので、何かPVを作らなければならない。そこで意外にも活かされたのがWebライターとしての経験だった。Webライターでは文章を書
そのエンジニアとの出会いはFacebookのベルリンのミュージシャンが集まるグループでの投稿だった。そのエンジニアの名前はエドガー・アルビス。年齢は30代半ば頃だろうか。エドガーは仕事を探しているらしく、ミキシングさせてもらえる人を探していた。それまで映画の音楽の
自分で何度も聴いて、アレンジなどのチェックやミスノートが無いかチェックを繰り返したあと、いよいよミキシングに入ることにした。ミキシングは日本でバンドをやっていた時の仲間から、メジャーレーベルのエンジニアを紹介してもらえることになっていた。しかしここで問題
その最高の無名女性シンガーはいくつかオリジナル曲もあり、リリースもしていた。あまり世間には浸透していないようだが、歌声は素晴らしい。声自体も良いのだが、特に表現力が素晴らしく、人に感動を与えることのできる歌手だ。声の質はMy Little Loverのような感じだろうか
彼女の所属事務所は小さな事務所であったが、しっかりしていた。おれはどのようなやりとりをしたのかメールのコピーを提出したり、この時の自分の発言はこういう意味だということを丁寧に説明した。実はおれはトラブルに発展する可能性を見越し、基本的には丁寧にかつ真摯に
初めてリモートでのレコーディングをしてから時期は少し先の話にはなるが、ギャラを受け取っておきながら使用許可を出さないと言ってきたのはなかなかリリースまでいけないからであった。確かにレコーディングしてから1年くらい経過してもまだリリースまでいけていない。もち
日本語でアルバムを作ろうと決めたおれはシンガー探しを始めた。元々おまけとしてアルバムに収録するつもりで日本でレコーディングしていた曲が3曲あるので、これに何曲か加えてアルバムとしてリリースするという計画である。まずはAK-POPの曲の中でBGMとして使われており、
おれが日本での活動を活発化させたのは2021年が始まったばかりの冬だった。そのころのベルリンはロックダウンの真っ最中で、生活必需品以外の店は閉まっており、人と会うことも困難であった。 View this post on Instagram A post shared by Arky (@arkyta
Web関連の仕事ではなくても最近よく耳にする機会の多いワードとして「SEO」というものがあります。SEOとは果たしてどのようなものなのか、そしてこれをどのようにビジネスに生かせばいいのか疑問に思っている人も多いのではないでしょうか。この記事ではそのようなSEOについ
11月から始まったロックダウンでとうとうクリスマスを迎えてしまった。例年ドイツのあちこちの広場でクリスマスマーケットが開催されるのだが今年はどこも開催されていない。この広場ではベルリンで最も美しいとされるクリスマスマーケットが開催されるのだが今年は誰もいな
悲劇が起こったのは7月だった。Twitterが凍結されてしまった。 View this post on Instagram A post shared by Arky (@arkytakeshisasaki0818)最初は凍結では無くロックだった。俺はフォロワーの数を増やすためにフォローしてくれそうな人をフォローする
11月になるとドイツだけでなくヨーロッパほぼ全土がロックダウンのような形となり、飲食店は閉鎖された。おれも働いていたラーメン屋は休業となり職がなくなってしまった。もちろん路上ライブも出来ない。そんな中、活路を見出したのがWebライターという仕事だった。Webライ
AK-POPの曲がゲームのエンディングテーマに採用されたのは何もコンペなどに応募したからではない。AudiostockというBGMの登録サイトに登録していたからである。ここは審査が少々厳しいがその分買う方も安心なわけで意外と買われていくのである。定額制が浸透するようになって
コロナの影響で路上ライブも出来ない中、仕方なくラーメン屋での仕事をせっせとやるヨーロッパの夏の日々を過ごしている中、突然自分のYoutubeのミュージックビデオにこんなコメントが書かれた。「流しマッチョメンから来ました!神曲ですね!」流しマッチョメン??最初はな
ベルリンに住み始めて数週間経った頃、Rundfunkbeitragという所から請求書が届いた。これは日本のNHKにあたる国営放送の事のようだ。はじめはTVねえよ、うるせえよバーカと放置していたのだがどうやらこれは日本と違ってTV、ラジオ、インナーネットを使っていると支払いの義
ドイツの保険証を手に入れたおれは噂に聞いていた日本人医師のいるという歯医者に電話して予約を試みた。しかし日本人専用ダイヤルと呼ばれているダイヤルに電話しても応答なかったのでメールを送ってみた。どうやら今その日本人医師はちょうど夏のバケーション中であるよう
夏が近づき、気温が上がってもベルリンのコロナ感染者は相変わらず増加の一方だが日常生活はだいぶ戻ってきて冷凍のピザをビールと一緒に食べていた時の事だった。ガリっという音と感触が口に広がった。最初はピザの中に異物が混入されているのかと思ったが違っており虫歯治
ちょっとスーパーまで買い物に行って帰ってきただけのほんの小一時間の間の出来事だった。帰宅するとダイニングの椅子の上でルームメイトがぐったりして眠っているようだった。また酔い潰れて寝てるんだな、と思っているとどうも様子がおかしい。いびきも何もかいておらずピ
ドイツのコロナ対策でせっかくワークビザをもらったのに仕事が出来ず、路上ライブも封じられたおれは毎日曲作りをするしかもはやする事は無くなっていた。曲作りをひたすらやり続けるというのはかなりしんどい。何か気晴らしが必要だった。ベルリンでは小売店や公共交通機関
宣伝すると絶対に叩かれるカナダの掲示板でケンカ売ってみた結果
コロナのせいで仕事が出来なくなり路上ライブも出来なくなったおれにはwebコンテンツでなんとかする他に道は無かった。このブログはおれが色々とひどい目に合う様子が面白いとみんな言ってくれてはいるが、その割にはほとんど稼げていない。別にそれはいい。このブログをきっ
コロナの影響で職を失い、路上ライブまでもが禁じられたおれは家賃を払うために大量にあった小銭を両替する必要があった。 職を失ったがワークビザはあるので銀行口座を開設することにした。ドイツの銀行は基本的に毎月手数料が取られる。カナダでも口座維持費みたいなのは
働いていたラーメン屋が廃業となった後、俺の生活を支えたのは路上ライブだった。とはいえ飲食店だけでなく多くのオフィスも出勤停止となっており街の人通りは少なく、誰も街を歩いてはいない。どこかこの状況でも稼げる所は無いかと色々ベルリン市内を見回ってみた結果、公
外人局に申し込みに行ってから2週間が経過した。家の前のポストに自分の名前を書いた紙を貼り付けてお知らせが来るのを待った。ウチの場合は1軒屋だからこういう事が出来たがアパートの場合はどうするのだろうか。そんな疑問はさておきこの2週間は前回トライアル後に不採
おれがビザを手に入れることの出来た仕事はラーメン屋だった。ラーメンなんて麺を入れて3分待ってスープとタレの入った器に入れるだけだろと思っていたが仕込みが中々大変だ。スープは一日中アクを取りながら煮込まなければならないしタレや香味油なども色々材料を入れて出汁
中国人経営の日本食レストランから契約書をもらった翌週の月曜日、ベルリンの外人局へ朝一番に向かった。持参した書類は契約書、パスポート、住民登録書、写真。7時のオープン前に行こうとしたが意外と時間がかかってしまいすでにゲートは開いていた。ベルリンの外人局は月曜
やはり当初の予定通りドイツのアーティストビザ取得を目指す方向に重点を置き始めたおれは必要書類の準備や情報収集を強化し始めていた。最初のアーティストビザは比較的容易であるという記事もあったりした。そんなことをしながらmixbで日本食レストランの求人があったら送
終始良い感じで話を進めていた店にトライアルで落とされたおれは焦っていた。落とされた原因は「もうちょっと話しかけて頂けると・・・」と言われてたりしていたのでコミュニケーション不足かと思われる。こっちとしては黙々と一生懸命仕事していたつもりだったが店的には他
路上ライブ事業も軌道に乗りとりあえず最低限生活していけるだけのお金の心配はなくなり残りはビザ取得の問題だけとなったおれはいくつか可能性を考えていた。まずはフリーランスとして登録することを目指し、無理そうなら語学学校に通い学生ビザを取得する。そのために色々
ベルリンで路上ライブを開始した。路上ライブで稼ぐことをバスキングと言う。トロントの経験ではバスキングで稼ぐポイントはざっくり言うと2つで街の構造を理解すること空気を読むことこの2つである。街行く人々がどのような気分でどの時間帯にどこに向かって歩いて行くのか
アマゾンがダメでも他の通販会社があるだろう、と検索してみた結果「Idealo」というサイトを見つけた。これはアマゾンや楽天のような通販サイトではなく通販サイトの価格を比較するサイトである。まあ結局は注文したら指定した住所に届くので同じ事だ。ここでは相変わらずJCB
無停電電源装置、一般にはUPSと呼ばれる装置がある。これは本来の用途は停電した時もパソコンが使えて安心だという非常にマニアックな用途の機器である。しかしこれは路上ライブには非常に都合が良い。ご覧の通り日本やアメリカとはコンセントの形は全く違う。ちなみにこのよ
路上ライブに必要なものはキーボード、スタンド、充電器である。おれが使う予定のキーボードはヤマハのpiaggeroというシリーズのものである。ヤマハ YAMAHA 電子キーボード piaggero(ピアジェーロ)(61鍵盤/ブラック) NP-12B[NP12B]価格:21562円(税別、送料別)(2020/3/8
ドイツでの住民登録は何らかのビザを申請するには必ず必要なものである。仕事をする時も必要なものだ。多くのベルリンに来たばかりの人は住民登録出来てないから仕事が見つからない、また仕事がないから住民登録出来る家に住ませてくれないという負のループに最初は陥ってし
ホテルに到着すると早速パソコンとにらめっこしてひたすら情報集めに奔走した。この2階部分である。男女共同のドミトリーだが一泊10€でかなり安い。周りにはヨーロッパ風の面白い建物が並んでいるが観光するような心の余裕はない。ホテルの場所はあとでわかったことだがベル
ベルリンでのおれの当面の目標は「長期滞在する事」である。やり方の第一希望としてはアーティストビザの取得である。これもネット情報によるものだがドイツでのアーティストビザの必要書類は身分証明関係書類とドイツ国内の人間からの推薦状と実績を集めたポートフォリオと
日本に帰ってきた。しかし成田からは動けない。これからドイツで何があるか分からないのでなるべくお金は使わずにおきたい。とりあえず最悪の事態として想定していた飛行機の遅延などで予約した飛行機に乗れない、荷物が戻ってこないなどのトラブルはなかったのでまずは一安
空港からイジーに連絡して再び泊めてもらう許可をもらいイジー宅への帰り道。この日はたまたまダンダスウエスト駅で火事がありキール駅で地下鉄は止まっていた。ちょうどラッシュの時間だったのでシャトルバスの数は全然足りず、しょうがないのでオシントン駅まで歩く事にし
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クリスマスにベルリンからプラハへと旅行に行ってきた。一番安い交通手段はバスだ。バスはドイツではお馴染みのFlixとかもあるが、Regio jetというチェコのバス会社の方が安く、往復で57€だった。しかも中には飛行機の中にあるようなディスプレイがあり、そこで映画を見るこ
ドイツに来てから俺の生活を支えていた路上ライブだったが、とうとう罰金を取られてしまった。罰金を取られた現場は公園だった。どうやら緑地法というものがあり、ドイツの法律では無断で公園で路上ライブとかはしてはいけないらしい。路上であれば問題ない。それでもおそら
10月の前半に語学学校に申し込みに行ってから2ヶ月経過して12月になった。その間ラーメン屋のミニジョブも決まった。失業保険受けてる間もミニジョブは出来るのだ。俺の場合は失業保険は450€くらいなので家賃にもならない。ミニジョブでもしないととても生活は出来ない。ラ
ジョブセンターで言われた通りに検索してみて家から一番近くのところに行ってみたが、初回の人が行くための学校と二回目以降の人が行くところがあるらしく、家の近くの学校は二回目以降の学校だった。初回の人のための学校は自分の住んでる地域ではここだった。ヨーロッパら
ここ最近ジョブセンターや公的保険であるAOKからのメールには嫌なことしか書かれていなかったためジョブセンターからメールが来ただけでちょっと嫌な気持ちになっていた。恐る恐るメールを開くとそこにはこう書かれていた。「失業保険を支給します」なんと失業保険をもらえる
失業保険が却下された俺はしばらく唖然としていた。今までの傾向からして政府を当てにするのは良くないと思っていたため、路上ライブは続けていたのでお金は大丈夫だ。しかし問題は保険である。ドイツの公的保険は収入が0の人間からも容赦無く徴収する。毎月約250ユーロで
通訳を雇ってジョブセンターに来た俺だったが、必要書類のコピーを持ってくるように言われた。ブランデンブルクでやった時はそんなに色々いらなかったのだが。持ってくるものは以下のものである。・パスポート・ビザ・住民登録・前のジョブセンターのキャンセル通知・口座残
語学学校を紹介してもらおうとジョブセンターに行った俺だったが、どうやら最初に登録した場所がブランデンブルクだったようで、そこから移転する手続きをしなければならないようだ。つまり俺はまずベルリンのジョブセンターに登録しなければならないということだ。そこで同
AOKから保険の請求が来たのはそれ以前に「職場を辞めましたが今はどういう状況ですか?」というアンケートが届き、それに応えて送った結果である。無職なので収入は0円と書いたのだが、それでも請求額は月に250€である。無職の人間からもえげつなく回収するのが怖いところだ
なんとか住所を確保した俺は住民登録をしようとしていた。以前は朝一番に市民局に行って整理券をもらっていれば登録できたのだが、コロナ以降は予約しないとダメになったらしい。朝一番に市民局に行ってそんな門前払いを食らって予約を取ろうと試みるとなんと次は2ヶ月後・・
ベルリンは家が全く見つからない街である。人口はおよそ364万人で大体横浜と同じくらいだが、広さは倍くらいだ。なので人口密度としては大したことないのだが、ヨーロッパ特有の問題で災害が起きないので築100年くらいの建物がいまだに普通に使われているのである。昔の建物
2024年の6月12日にドイツに帰ってきた俺だったが、誤算が一つあった。それはUEFA欧州選手権というヨーロッパ限定のW杯みたいな大会がドイツで開催されていて、その時期と帰国時期がかぶってしまったということである。そのため普段15€ほどで泊まれるドミトリーの宿が40€に
リゾートバイトも終わり、伊豆半島を巡る旅のあと日本を出発する日がやってきた。最後に残った日本円をATMで入金してみたが、預け入れでも手数料を取られた。特にトラブルもなく行きと同じロンドン経由でベルリンに帰ってきたが、荷物が全然流れてこない。どうやら自分だけで
伊豆下田駅の駅内に「伊豆ぽた下田」という観光案内所みたいなものがあり、そこで自転車をレンタルできる。電動アシスト自転車で1日2200円。営業時間は9時半から17時まで。ここではそのほか前回紹介した施設の格安券も売ってある。下田は海の側なので海沿いをチャリで行く。
下田に三日滞在した後は伊豆大島に行くことにした。伊東から伊豆大島に行き、そこから東京に行き、羽田からドイツに戻るという計画だ。伊豆大島へはフェリーとジェット船があって、フェリーの方が安いが、俺の場合は日程的にジェット船で行くしかなかった。夏は毎日動いてる
伊豆高原から終点の下田にやってきた。下田駅周辺は田舎の中心地という感じでスーパーや飲食店などが多少並んでいる。一通りのものは揃っている。個人的見解だが美味しい飲食店が多いという印象。海鮮系はもちろんのこと、とんかつで有名な店もあり、焼肉、街中華もレベルの
5月末で箱根のリゾートバイトを終えてからドイツに戻るまで時間があったので伊豆に行ってみることにした。なぜ伊豆かというと京都で泊まった安心お宿というホテルのイベントで伊豆の系列のホテルのタダ券をもらったからである。そのホテルは東京、京都、名古屋にあり、ネット
三島は小田原からは電車で約45分で680円で行ける近所である。新幹線が止まる駅でもあり、行こうと思えば日本各地から簡単にアクセスできる街でもある。特に期待はしてなく、近かったのでなんとなく行ってみただけだったのだが行ってみたら最高すぎた。今まで行った日本の街の
一応このブログのカテゴリは「日本の珍スポット」となっているが、珍スポットというにはあまりにもメジャーすぎるのでややテーマとは違うが、せっかく行ったのでとりあえずブログにすることにした。宇都宮へ行くには新幹線で行くパターンと在来線で行くパターンがあり、行き
天竜浜名湖鉄道を一通り巡ったあと、浜松までやってきた。ネットカフェで一泊した後の翌日。浜松は無料で行ける観光地がいくつかある。そのひとつがここ。静岡のドンことスズキ自動車の本社である。ここではスズキの歴史を伝える博物館が無料で公開されてある。最寄駅は浜松
10年ぶりの帰国ではあるが、その間に俺の実家は引っ越しており久しぶりに実家に帰ってきたーという感覚はなかった。新しい実家周辺は広島に住んでいた時でも行ったことないような場所だったのでかつて自分が住んでいた場所へやってきた。まずは最寄駅の安芸長束駅である。い
大阪から夜行バスで10年ぶりに広島に帰ってきた。全面工事中の広島駅には懐かしさを微塵も感じないがとにかく帰ってきた。帰ってきてからは親戚を集めて10年ぶりに親や兄弟とも会ったり、同級生たちに声をかけてプチ同窓会などもやったりしたが、せっかくめったに帰ってこれ
夜は適当にご飯などを食べて、次の日は奈良へやってきた。奈良の駅前はあまり大きなビルはない。鹿が街中にいるということで知られる街だがここにはまだ鹿はいない。しばらく歩くと開けた地域に出てきた。ここでもまだ鹿はいない。奈良駅から歩くとまず現れる寺がこの興福寺
彦根へやってきた。ここは日本で12コしかない現存する天守閣がある彦根城がある。駅から城までは分かりやすく道がある。お堀の先が彦根城である。神社も近くにある。ここは滋賀縣護國神社で、滋賀県出身の戦没者を扱っている神社である。近くには日本の観光地ではお馴染みの
高速バスで名古屋にやってきた。乗り心地はそれほど良くないがホテルに泊まらなくていいので楽でいい。この日の名古屋は泊まれるところがなく、1泊1万円以上の高級ホテルしか空きがなかった。決して名古屋をディスってるわけではないが、横浜のみなとみらい周辺をウロウロし
カナダに行こうと思いつつ、入国拒否されたこともあって急遽行き先をドイツに変更してドイツに入国してからおよそ4年後、再び故郷の日本へと戻ってきた。通常、海外在住の日本人が帰国する際は長くても半年なのでバイトなどは出来ず、金を使わず過ごそうと思えば友達の家か実
日本への帰国が決まっていながらなかなか航空券を買っていなかったのはいくつか理由があった。まだ仕事がクビになることが決まっていない12月は最初に外人局に行った月で、ビザが更新できるのがほぼ確定した時期だった。この時点で職場には2月から2ヶ月ほど長期休暇をとって
先月ドイツのワークビザを更新しに外人局に来た俺だったが、その時はドイツ企業からの仕事があり、家賃も格安だったのでビザの更新には全く問題ない状況だった。その場で仮ビザと呼ばれる顔写真と俺の滞在可能時期などが書かれた紙をもらい、1ヶ月後滞在カードを取りに来るよ
交渉の結果、来月からホームレスになることが決定したおれだったが、ホームレスであって路上生活者ではない。そもそも来月から日本に帰る予定だったので、ホームレスとなって家賃が発生しないのはちょうどいいタイミングだとも言える。まあ日本に帰って日本で数ヶ月生活する
突然クビ宣告受けて同時にホームレスになったおれだったが、ドイツで生き抜くために少しでも良い条件でいられるように交渉をする必要があった。現状、言われたままを受け入れるとすると、・来月から家無し仕事なし・住民登録なし・来月から2ヶ月日本に帰る予定だったので今か
無事に4年のビザが取れてほっと一安心していたが困ったことが突然やってきた。住み込みで働いていた職場をクビになったのである。仕事がクビになること自体はそんなに大したダメージではない。路上ライブは相変わらず好調で、音楽だけで食っていこうと思えばそれで食っていけ
ベルリンでどうしても外人局の予約が取れなかったおれはちょっと外れたブランデンブルク州に引っ越した結果、あっさりとブランデンブルクの外人局の予約が取れた。その地域の外人局はベースコーという街にあった。この街はおれの住んでる地域からはなかなかアクセスが難しい
もしかしたら転職ができるかもしれないという可能性が出てきた俺だったがそれほど前向きではなかった。というのはせっかくおよそ3年間ブラック企業の長時間労働に耐えたのに、ここで職を変えることによってビザが更新できなくなるかもしれないという懸念があったからだ。いじ
交通違反で捕まった俺だったがパスポートに添付していた期限切れのビザを見つけられてしまった。普通の国だとこの時点でアウトだがベルリンの場合はこの限りではない。もちろん中には滞在許可もないのに長々と住んでる不法移民もいるが、ちゃんと許可を取ってる人も外人局の
1月にベルリンの外人局に「予約が取れないけどどうすればいい?」というメールを送ったあと自動返信のメールを受け取ったことで仮の滞在許可をもらった俺だったが、それから半年経っても全く返信がない。このままではドイツに滞在することは可能だが、日本には帰れない。正確