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あなたの神、主を愛しなさい https://kurisuchan.hatenablog.com/

クリスチャンになって7年目のわたしが、聖書の解説やつぶやきをしております。聖書を手にされたことのない方々、ぜひお越しになってください。

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2020/02/22

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  • どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか(ルカ2:48~52)

    (今回は、神の御子としての自覚をもたれている少年のイエス、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の48~52節より 『両親はこれを見て驚き(=迷子と思っていたイエスが、エルサレム神殿で律法学者たちと神について語りあっているのにおどろき)、そして母(=マリヤ)が彼に言った、「どうして(=一緒に帰らずに)こんな事をしてくれたのです(=この表現から、おそらくイエスはひと区切りつくなりして、輪の外につれだされています)。ごらんなさい、おとう様(=父のヨセフ)もわたしも心配して、あなたを捜(さが)していたのです」。するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父…

  • そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた(ルカ2:41~47)

    (今回は、少年にして神にもとづいた知恵に富まれているイエス、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の41~47節より 『さて、イエスの両親は、過越の祭(すぎこしのまつり=かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民(ユダヤ人)を、神がエジプトに災いをもたらして脱出させたことにちなんだまつり)には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために(=エルサレム神殿で神を礼拝するために(申命記16:16))上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。そして道連れ(みちづれ=一緒に帰っている同…

  • この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた(ルカ2:36~40)

    (今回は、老女アンナによる、このイエスが救い主なのだという預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の36~40節より 『また、アセル族(=イスラエルの12部族の一つ)のパヌエル(=ヨルダン川中流の東にある地名)の娘で、アンナという女預言者(=神からの使者)がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、その後やもめぐらし(=夫を失った生活)をし、八十四歳になっていた。そして宮(=エルサレム神殿)を離れずに夜も昼も断食(=だんじきとは、食事を断つ肉体的な苦痛をとおして、悔いあらためや畏れ(おそれ=敬(うやま)い、尊(たっと)ぶこと)をもって神…

  • この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています(ルカ2:33~35)

    (今回は、イスラエルの民を二分するキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の33~35節より 『父と母とは(=イエスの父ヨセフと母マリヤは)幼な子(=イエス)についてこのように語られたことを(=イスラエルの民だけでなく全世界の救い主になるとの預言をうけて)、不思議に思った(=初対面の老人シメオンから、以前にみつかいのガブリエルから聞かされた以上の、神の壮大な計画を知らされておどろいた)。するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり(=イエスが神のみわざをしめすことで、かえって多くのユダヤ人をつまづか…

  • この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります(ルカ2:22~32)

    (今回は、全世界の救い主となられるイエスキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の22~32節より 『それから、モーセの律法(=モーセは、かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民を救出したリーダーです。その彼に、神が律法としてあたえた、神の民としての指針)による彼ら(=イエスの父と母)のきよめの期間(=女性は男の子を産んだ際には、40日間の清めの日を要します(レビ12:2~4)。夫のヨセフもマリヤにつきそっていました)が過ぎたとき、両親は幼な子(=イエス)を連れてエルサレムへ上った。それは主(=神)の律法に「母の胎を初めて開く男の子(=長男)はみな、主に聖別された者(=…

  • さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか(ルカ2:15~21)

    (今回は、実際にイエスの誕生を見にいくひつじかいたち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の15~21節より 『御使たちが(=キリストの誕生にあたって神を賛美していたみつかいたちが)彼らを(=ひつじかいたちを)離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ(=キリストが生まれた町へ)行って、主が(=神が)お知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ(=イエスの母と父)、また飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)に寝かしてある幼な子(イエス)を捜(さが)しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに…

  • きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである(ルカ2:8~14)

    (今回は、みつかいが羊飼たちにキリストの誕生をつたえるシーン、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の8~14節より 『さて、この地方で(=ベツレヘムのあたりで)羊飼(ひつじかい)たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主(=神)の御使(みつかい)が現れ、主の栄光が(=ここでは神のご存在が目で見えるものとしてあらわされた光のようなものが)彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に(=イスラエルのすべての人々に)与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデ(=かつてのイスラエルの王)の町(=ベツレヘム)に、あな…

  • ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた(ルカ2:1~7)

    (今回は、家畜用のおけに寝かされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の1~7節より 『そのころ(=キリストの先駆者となるヨハネが生まれたころ)、全世界の(=ローマ帝国内の)人口調査をせよ(=税を集めるための調査をせよ)との勅令(ちょくれい)が、皇帝アウグストから出た(=アウグストとは称号のことで、実際の名はオクタヴィアヌスです)。これは、クレニオがシリヤの総督(=ローマによって立てられたそうとく)であった時に行われた最初の人口調査であった(=皇帝からの命令をうけたクレニオのもとで調査がはじめられました)。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ(=自分の戸籍…

  • 主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから(ルカ1:76~80)

    (今回は、ヨハネによるキリストのための準備に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の76~80節より(以下はザカリヤの預言です) 『「幼な子よ(=生まれてまもないザカリヤの息子、ヨハネよ)、あなたは、いと高き者の預言者(=神から遣わされた預言者)と呼ばれるであろう。主の(=キリストの)みまえに先立って行き、その道を備え(=キリストによる宣教を人々にとどきやすくし(イザヤ40:3、マラキ3:1))、罪のゆるしによる救を(=罪をあがなうことでもたらされるキリストによる救いを)その民に知らせるのであるから。これはわたしたちの神のあわれみ深い(=一方的な恵みである)みこころ…

  • 神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった(ルカ1:67~75)

    (今回は、救い主イエスキリストのあらわれを預言するザカリヤ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の67~75節より 『父(=ヨハネの父となった)ザカリヤは聖霊(=神の霊)に満たされ、預言して言った、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな(=神は全人類を救う計画をお持ちですが、まずその第一歩としてアブラハムを選ばれました。彼の出身はウル(現在のイラクの南部)であり、この彼がカナン(現在のイスラエルのあたり)に入りました。そして子孫があたえられていくわけですが、この彼からイサク、ヤコブを経て、神の民となるイスラエル(ユダヤ人)が誕生しました。ザカリヤもユダヤ人なので、こうして神を…

  • ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った(ルカ1:57~66)

    (今回は、神のみこころどおりに、子にヨハネと名づける、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の57~66節より 『さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主が(=神が)大きなあわれみを彼女に(=不妊の彼女に)おかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。八日目になったので、幼な子に割礼(かつれい=ユダヤ人は、神とアブラハムが交わした契約のとおりに、男子にかぎり、かつ赤子のときに、性器の包皮の一部を切除する必要があります)をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名(=みつかいの…

  • わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます(ルカ1:46~56)

    (今回は、マリヤの賛歌、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の46~56節より 『すると(=エリサベツからの、あなたは神に祝福されているとのことばをきいて)マリヤは(=イエスをみごもったマリヤは)言った、「わたしの魂は主(=神)をあがめ、わたしの霊は救主なる神を(=救い主である神の御子(みこ)を、すなわちイエスキリストを)たたえます。この卑(いや)しい(=みすぼらしく、とるに足りない)女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は(=今後のすべての世代の人々は)、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが(=神が)、わたしに大きな事をしてくださったからです(…

  • 聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう(ルカ1:34~45)

    (今回は、聖霊によってやどされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の34~45節より 『そこでマリヤは御使(みつかい)に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか(=どのようにして子をさずかることがおこりえるでしょうか)。わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使が答えて言った、「聖霊が(=神の霊が)あなたに臨(のぞ)み、いと高き者(=神)の力があなたをおおうでしょう。それゆえに(=夫との関係をもたずに、いわば処女降誕によって)、生れ出る子は(=イエスキリストは)聖なるものであり(=神性をともなっており)、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも…

  • 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい(ルカ1:26~33)

    (今回は、ガブリエルによるキリストの誕生に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の26~33節より 『六か月目に(=エリサベツがヨハネをみごもった六か月目に)、御使(みつかい)ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤ(=イスラエルの地の北部)の町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家(=かつて神への信仰をもっていたイスラエルの王家)の出であるヨセフという人のいいなづけ(=婚約関係)になっていて、名をマリヤといった。御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあい…

  • どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています(ルカ1:18~25)

    (今回は、御使いであるガブリエルの話を信じないザカリヤ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の18~25節より 『するとザカリヤは(=ヨハネを子としてさずかるとつげられたザカリヤは)御使(みつかい)に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかる(=みとめられる)でしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています(=子を宿せる年齢ではありません)」。御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を(=神からたくされたことばを)信じなかったから、あなたはおしに…

  • 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう(ルカ1:8~17)

    (今回は、キリストの先駆者としてのヨハネの誕生に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の8~17節より 『さてザカリヤ(=アビヤの組の祭司)は、その組が当番になり神のみまえに祭司の務(つとめ)をしていたとき、祭司職の慣例(かんれい)に従ってくじを引いたところ、主の聖所(せいじょ=エルサレム神殿内の神聖な場所)にはいって香(=神への奉仕としてこう)をたくことになった。香をたいている間、多くの民衆は(=ユダヤ人は)みな外で祈っていた。すると主の御使(みつかい)が現れて、香壇(こうだん)の右に立った。ザカリヤはこれを見て、おじ惑い(=取り乱し)、恐怖の念に襲われた。そこで…

  • すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります(ルカ1:1~7)

    (今回は、この福音書は、ルカがローマの高官宛てに書いたものとしてつづられている、ということについてふれたいと思います) ※なお今日から “ルカによる福音書” にはいりますが、当時のユダヤ人が住んでいる地域は(=現在のイスラエルの辺りは)、ローマ帝国の支配下にありました。キリストはこの地にユダヤ人としてお生まれになり、ユダヤ人に宣教をしていくことになります。この時代背景をおさえておくと、理解の手助けとなります。 ・ルカによる福音書・1章の1~7節より 『わたしたちの間に成就された出来事を(=キリストがユダヤ人の住む地域でなさったできごとを)、最初から親しく見た人々であって(=キリストが宣教をはじ…

  • そして彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている(ヨハネ21:24~25)

    (今回は、ヨハネがキリストについて書いた福音書は、すべて真実である、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の24~25節より 『これらの事について(=キリストがなさった神のみわざや、お語りになったことについて)あかしをし、またこれらの事を書いたのは(=ヨハネによる福音書として書きのこしたのは)、この弟子(=ヨハネ)である。そして彼(=ヨハネ自身)のあかしが真実であることを、わたしたちは(=当時キリストとともに過ごし、復活を目の当たりにした者たち。また当時のヨハネをとおしてキリストを信じるにいたった者たち。さらに広い意味では、キリストを信じることで聖霊をさずかった今…

  • たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか(ヨハネ21:22~23)

    (今回は、ペテロにはペテロの信仰の歩みがあるとつたえるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の22~23節より 『イエスは彼に(=弟子のヨハネの将来を尋ねたペテロに)言われた、「たとい(たとえ)、わたしの来る時まで(=昇天後に再び天から来るときまで。信者にとっての携挙(けいきょ)のときまで(テサロニケ一・4:15~17))彼が(=ヨハネが)生き残っていることを、わたしが望んだとしても(=仮に望んだとしても)、あなたにはなんの係わりがあるか(=ペテロにはペテロの信仰の歩みがあり、神がそれを用意されるのだから、ヨハネがどのようにみちびかれて歩んでいくのかは、あなたには…

  • しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう(ヨハネ21:18~21)

    (今回は、ペテロの殉教を預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の18~21節より(以下はキリストのおことばです) 『よくよくあなたに(=弟子のペテロに)言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯(=腰のおび)をしめて、思いのままに歩きまわっていた(=思いのままに伝道もしていた)。しかし年をとってからは(=年をとってからの死に際(ぎわ)には)、自分の手をのばすことになろう(=手を伸ばされて、自由をうばわれるだろう)。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ(=縄(なわ)をかけ)、行きたくない所へ(=処刑の場へ)連れて行くであろう」。これは、ペテロがどんな死…

  • イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」(ヨハネ21:16~17)

    (今回は、ペテロの愛を三度たしかめられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の16~17節より 『またもう一度彼に(=以前キリストを見捨て、心にしこりをのこしているペテロに)言われた、「ヨハネの子シモン(=ペテロ)よ、わたしを愛するか(=キリストはここでもアガパオーという愛のことばをもちいて、わたしを見返りをもとめない一方的な愛で愛するかと尋ねています)」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです(=キリストを見捨てたペテロには、アガパオーという一方的にそそぐ愛のことばでは返答できません。そこでフィレオーという友情の…

  • 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」(ヨハネ21:15)

    (今回は、教会の指導者となるペテロを、少しずつ整えられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の15節より 『彼らが(=漁(りょう)にでていた弟子たちが)食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに(=キリストが捕らえられたときに逃げだし、また裁判をうけているときに、キリストを三度知らないと他人のふりをしたペテロ。心にそうしたしこりをのこしているペテロに)言われた、「ヨハネ(=ペテロの父の名。この福音書を書いたヨハネとは別人です)の子シモンよ、あなたはこの人たちが(=他の弟子たちが)愛する以上に(=なおここの直訳は、これらよりも、であり、この場合は目の前のパンや、大…

  • イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である(ヨハネ21:9~14)

    (今回は、世にでて伝道することになる弟子たちを、少しずつ整えられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の9~14節より 『彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった(=これらは神のみわざとして、この場で無から有を生じさせたものと思います)。イエスは彼らに言われた、「今とった魚を(=神の恵みによってあたえられた魚を)少し持ってきなさい」。シモン・ペテロが行って、網(あみ)を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた(=彼らはこの収獲の多さに、キリストをとおして神がともにおられるのを感じたものと思…

  • すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」(ヨハネ21:4~8)

    (今回は、弟子たちの成長をひきだすために声をかけるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の4~8節より 『夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった(=夜があけたころで、岸まで距離があったので、キリストだとわかりませんでした。ですが、こうした物理的な面もあったでしょうが、今後自分たちがどうキリストに従い、伝道をしていくのか、このあたりの霊における迷いも暗示しているように思います)。イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか(=キリストはこうした会話から、彼らの成長をひきだされます)」。彼らは「ありませ…

  • そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた(ヨハネ20:30~21:3)

    (今回は、ガリラヤ湖の岸辺で、再び弟子たちにあらわれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の30~21章の3節より『イエスは、この書に(=ヨハネによる福音書に)書かれていないしるし(=神を証しするための、病のいやしといった神のみわざ、奇跡)を、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは(=その中からこうして福音書として書いてきたのは)、あなたがたがイエスは神の子キリスト(=神の御子(みこ)であり、世の救い主)であると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって(=イエスキリストのご存在そのものによって)命を(=永遠のいのちを…

  • イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである(ヨハネ20:24~29)

    (今回は、目で見たことのないものを信じる、信仰の本来のすがた、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の24~29節より 『十二弟子のひとりで、デドモ(=双子という意味)と呼ばれているトマスは、イエスが(=復活したキリストが)こられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あと(=十字架にかけられたときのくぎあと)を見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきに(=十字架による死亡の確認のためにやりで刺されたわきに)さし入れてみなければ、決して信じない」。八…

  • そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ」(ヨハネ20:19~23)

    (今回は、息を吹きかけて弟子たちに聖霊をあたえるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の19~23節より 『その日、すなわち、一週の初めの日(=キリストが早朝には復活していた日曜日)の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて(=キリストを訴えたユダヤ人たちが、自分たちも捕らえて殺すのではないかとおそれて)、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエス(=復活したキリスト)がはいってきて(=戸を閉めきっているにもかかわらず入ってきて)、彼らの中に立ち、「安(やす)かれ(=平安があるように)」と言われた。そう言って、手とわきとを(=十字架にかけられた際に杭(くい)をうたれ…

  • わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く(ヨハネ20:17~18)

    (今回は、弟子たちを、神の家族として兄弟と呼ばれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の17~18節より 『イエスは彼女に(=マリヤに)言われた、「わたしにさわってはいけない(=ここは、すがりついてはいけない、という訳(2017新改訳、新共同訳、エマオ出版訳)のほうがいいと思います。マリヤは、生きているキリストに感情がおさえられず、その足にすがりつきました(マタイ28:9)。しかしこういう態度は、これから神の右の座につくために、昇天しなければならないキリストが望まれるものではありません。昇天後には、彼女にも聖霊(助け主)がやどされるので、彼女自身の益となるのです…

  • イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」(ヨハネ20:11~16)

    (今回は、復活に気づかず、目がさえぎられているマリヤに呼びかけるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の11~16節より 『しかし、マリヤ(=かつてキリストに悪霊を追いだしてもらった女性(ルカ8:2))は墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使(みつかい=天使)が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼ら(=マリヤは彼らがみつかいだと気づいていません)に言った、「だれかが、わたしの主…

  • すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた(ヨハネ20:1~10)

    (今回は、墓にキリストのすがたがないのを見て、その復活を信じたペテロとヨハネ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の1~10節より 『さて、一週の初めの日に(=日曜日に)、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤ(=かつてキリストに悪霊を追いだしてもらった女性(ルカ8:2))が墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。そこで走って、シモン・ペテロ(=12人の弟子の一人)とイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子(=ヨハネ)のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました(=死んでいるキリストを移動させました)。どこへ置いたのか、わかりません」。そこで…

  • 彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた(ヨハネ19:38~42)

    (今回は、ヨセフとニコデモによるキリストの埋葬、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の38~42節より 『そののち(=キリストが十字架で死なれたのち)、ユダヤ人をはばかって(=ユダヤ教の共同体から追いだされるのを恐れて)、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤ(=エルサレムからやや離れた北西の町)のヨセフ(=サンヘドリンというユダヤ議会の議員)という人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに(=ローマ総督に)願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモ(=パリサイ人でユダヤ人指導者)も、没薬(…

  • それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である(ヨハネ19:35~37)

    (今回は、神であるキリストが、同時に人間となられて地上にきたのを強調するヨハネ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の35~37節より 『それを見た者が(=キリストの足が折られずに、またやりで刺されて血と水がながれでたのを(=すなわちキリストが人間としての肉体をもっておられたのを)見た、弟子のヨハネが)あかしをした(=こうしてヨハネの福音書に書きのこした)。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを(=目撃したままに語っていることを、なにより自分自身が)知っている。それは(=こうして真実を語っているのをくりかえし強調するのは)、あなたがたも信ず…

  • しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た(ヨハネ19:31~34)

    (今回は、神であるキリストは、同時に人間となられてこの地上にきた、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の31~34節より 『さてユダヤ人たちは、その日が準備の日(=かつて神がイスラエルの民を、エジプトから脱出させたのを祝う過越(すぎこし)の前日、金曜日)であったので、安息日に(=次の日の、労働をしてはならない土曜日に)死体を十字架の上に残しておくまいと(=ユダヤ人には、死体を木にとどめていてはならないとの教えがあり、その日のうちに埋めなければなりません(申命記21:22~23))、(特にその安息日は大事な日(=年に一度の過越を祝う日)であったから)、ピラトに(=…

  • すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた(ヨハネ19:28~30)

    (今回は、死に際に罪のあがないの完了を宣言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の28~30節より 『そののち(=キリストがマリアとヨハネに対して、たがいに母と子としてむかえるようにのべられたのち)、イエスは今や万事が終ったことを知って(=これまで神の証しをしつづけ、そしてこうして十字架の上で、世の罪をあがなうための神のさばきをうけきったのを知って。要は人々の罪に対する神の怒り、その怒りをなだめるいけにえとしての血をながしきったのを知って)、「わたしは、かわく」と言われた(=死がもたらす苦しみ、そのかわきをおぼえておられます。これは詩篇69:21にあることば…

  • それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった(ヨハネ19:23~27)

    (今回は、死にゆくにあたってマリアを気にかけられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の23~27節より 『さて、兵卒(=ローマ兵)たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに分け、おのおの、その一つを取った(=売り物になるのでわけあった)。また下着を手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったものであった。そこで彼らは互(たがい)に言った、「それを裂かないで(=縫い目がなく、裂くと価値が落ちるので)、だれのものになるか、くじを引こう」。これは、「彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした」という聖書(=詩篇22…

  • イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた(ヨハネ19:16~22)

    (今回は、十字架にかけられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の16~22節より 『彼らは(=キリストを訴えた祭司長らユダヤ人は)イエスを引き取った。イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語(=ユダヤ人の言語)ではゴルゴダ)という場所に(=されこうべとは、白骨になった頭蓋骨の意味で、こう名がついた処刑場に)出て行かれた。彼らはそこで、イエスを十字架につけた(=実際に処刑をおこなうのはローマ兵です(マルコ15:24))。イエスをまん中にして、ほかのふたりの者(=他の囚人)を両側に、イエスと一緒に十字架につけた。ピラトは(=ローマ総督は)罪状書きを書…

  • 殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ(ヨハネ19:13~16)

    (今回は、あくまでキリストの処刑を願うユダヤ人たち、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の13~16節より 『ピラトは(=ローマ総督は)これらの言葉を聞いて(=キリストを釈放すれば、ローマ皇帝にそむくことになるとの脅迫めいたものをうけて)、イエスを外へ引き出して行き、敷石(しきいし=ヘブル語ではガバタ)という場所で(=判決を言いわたす場所で)裁判の席についた。その日は過越(すぎこし=かつて神がイスラエルの民を、エジプトから脱出させたのを祝う日)の準備の日(=金曜日)であって、時は昼の十二時ころであった(=他の聖書では午前六時ごろと訳されており、こちらが正しいものと思います…

  • あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい(ヨハネ19:10~12)

    (今回は、ピラトやユダヤ人たちの罪を、神からの権威という視点から指摘されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の10~12節より 『そこでピラトは(=ローマ総督は)言った、「何も答えないのか(=処刑されるかもしれないのに弁明一つしないのか)。わたしには、あなたを許す(=このまま釈放して助ける)権威があり、また十字架につける(=また一方で処刑する)権威があることを、知らないのか」。イエスは答えられた、「あなたは、上から賜(たま)わるのでなければ(=天の神からあたえられるのでなければ)、わたしに対してなんの権威もない(=許す権威も殺す権威もなく、あなたは神の真理をし…

  • 祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った(ヨハネ19:6~9)

    (今回は、キリストの死を変わらずに望んでいるユダヤ人たち、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の6~9節より 『祭司長たちや下役(したやく)どもは(=キリストを捕らえて訴えているユダヤ人たち、またその配下たちは)イエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った(=ピラトが釈放したがっている一方で、彼らは処刑を願っています)。ピラトは彼らに言った、「あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない(=ピラトは無実のキリストに対し、自分の手で処刑するのには気がひけています。そこで処刑するにしてもユダヤ人にやらせて、す…

  • 見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである(ヨハネ19:1~5)

    (今回は、キリストが無実であるのを公言するピラト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の1~5節より 『そこで(=ユダヤ人がキリストではなく、強盗のバラバの釈放をもとめたので)ピラトは(=ローマ総督は)、イエスを捕え、むちで打たせた(=あたかも訴えてきたユダヤ人のめんつをたもつように、無実のキリストを罰しています。ピラトとしては処刑はしたくないので、これでユダヤ人を納得させて釈放しようとしています)。兵卒(=ピラトの配下)たちは、いばらで冠(かんむり)をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫(むらさき)の上着を着せ(=即席で王の格好をさせて)、それから、その前に進み出て、「ユダ…

  • あなたの言うとおり、わたしは王である(ヨハネ18:37~40)

    (今回は、この世のものではない神の国の王であるのを、お認めになるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の37~40節より 『そこでピラトは(=ローマ総督は)イエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな(=あなたが言うところの、“この世のものではないわたしの国” というものがある以上、あなたはそこの王なのだな。なおこの時点で信仰のないピラトには、理解のおよばない話になっており、やはり神に関するユダヤ人同士の争いだったのか、といったところだと思います)」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である(=わたしはその神の国の王である)。わたしは真理につい…

  • もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう(ヨハネ18:33~36)

    (今回は、キリストが王として治めている国はこの世のものではない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の33~36節より 『さて、ピラトは(=ローマ総督は)また官邸にはいり、イエスを呼び出して言った(=祭司長などは官邸に入るのをさけましたが、キリストは入っています。これは罪にはあたらないということです)、「あなたは、ユダヤ人の王であるか(=ローマの許可もなくユダヤ人の王を名乗り、ローマを倒そうとしている人物なのか)」。イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか(=あなたにそう言った者がほ…

  • これは、ご自身がどんな死にかたをしようとしているかを示すために言われたイエスの言葉が、成就するためである(ヨハネ18:28~32)

    (今回は、ローマの処刑にもとづく十字架の死を、すでに預言していたキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の28~32節より 『彼らは(=キリストを捕らえ、裁判をすすめていた祭司長たち、またこれに関わっているユダヤ人は)、けがれを受けないで過越の食事ができるように(すぎこし=かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民を、神がエジプトに災いをもたらして脱出させた日のこと。それを祝う食事ができるように)、官邸(=ローマ市民で、ローマ総督であるピラトのいるかんてい)にはいらなかった(=当時のユダヤ人は、律法(=神からの指針)に管理されていない異邦人をけがれた者とみなしていたの…

  • すると人々が彼に言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」。彼はそれをうち消して、「いや、そうではない」と言った(ヨハネ18:24~28)

    (今回は、三度キリストの他人のふりをするペテロ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の24~28節より 『それからアンナスは(=裁判が思いどおりに進行できなかった元大祭司は)、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところへ送った(=尋問(じんもん)のつづきをまかせた)。シモン・ペテロ(=キリストの弟子の一人)は、立って(=大祭司の中庭に立ったまま)火にあたっていた。すると人々が彼に言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか(=もしそうならあなたも捕らえられる必要がある)」。彼はそれをうち消して、「いや、そうではない」と言った(=キリストの他人のふりをし、二度目の保身につ…

  • なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。わたしの言ったことは、彼らが知っているのだから(ヨハネ18:19~23)

    (今回は、律法にある裁判の規定にしたがうように指摘するキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の19~23節より 『大祭司は(=元大祭司のアンナスは)イエスに、弟子たちのことやイエスの教(=神に関するおしえ)のことを尋ねた(=裁判として尋問(じんもん)した)。イエスは答えられた、「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。すべてのユダヤ人が集まる会堂(=ユダヤ教の礼拝をする場所(シナゴーグ))や宮(=エルサレム神殿)で、いつも教えていた。何事も隠れて語ったことはない。なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい(=こうして裁判を…

  • すると、この門番の女がペテロに言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」。ペテロは「いや、そうではない」と答えた(ヨハネ18:12~18)

    (今回は、キリストの預言どおりに、キリストの他人のふりをしてしまうペテロ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の12~18節より 『それから一隊の兵卒(=ローマの兵隊)やその千卒長(=そのローマ兵のリーダー)やユダヤ人の下役(したやく)どもが、イエスを捕え、縛りあげて、まずアンナス(=元大祭司(大祭司とは神殿をしきっている最高の職位のこと))のところに引き連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパ(=現大祭司で、ローマ総督によって任命された人物)のしゅうと(=カヤパの妻の父)であった。カヤパは前に、ひとりの人が(=キリストが)民のために死ぬのはよいことだと(ヨハネ11:49~…

  • すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」(ヨハネ18:6~11)

    (今回は、罪に対する神の怒りを、キリストがひきうけてくださる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の6~11節より 『イエスが彼らに(=捕らえにきた者たちに)「わたしが、それである(=これは神性宣言です)」と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた(=立っていられなくなった)。そこでまた彼らに、「だれを捜(さが)しているのか」とお尋ねになると、彼らは「ナザレ(=キリストが育った故郷)のイエスを」と言った。イエスは答えられた、「わたしがそれであると、言ったではないか(=こちらは神性宣言というよりも、わたしこそがナザレのイエスだ、という意味)。わたしを捜し…

  • さてユダは、一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた(ヨハネ18:1~6)

    (今回は、裏切りのユダが、兵をひきつれキリストのまえにあらわれた、ことについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の1~6節より 『イエスはこれらのことを(=信者は神に愛されており、一つになってくださっていることなどを)語り終えて、弟子たちと一緒にケデロン(=エルサレムの東)の谷の向こうへ(=オリーブ山の方へ)行かれた。そこには園(その=ゲツセマネの園)があって、イエスは弟子たちと一緒にその中にはいられた。イエスを裏切ったユダ(=12人の弟子のうちの一人)は、その所をよく知っていた。イエスと弟子たちとがたびたびそこで(=神に祈るために)集まったことがあるからである。さてユダは、一…

  • それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります(ヨハネ17:25~26)

    (今回は、神はキリストを愛しておられる愛で、信者を愛してくださる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の25~26節より(以下はキリストのおことばです) 『正しい父よ(=義なる神よ)、この世は(=サタンに支配され、神に敵対しているこの世は)あなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも(=信者たちも)、あなたがわたしをおつかわしになったことを(=人々の罪をあがなうために地上につかわされたのを)知っています。そしてわたしは彼らに御名を(みな=神ご自身を)知らせました。またこれからも(=聖霊をとおして)知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して…

  • わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました(ヨハネ17:22~24)

    (今回は、信者はキリストから、永遠の命や神の本質といった栄光をあたえられている、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の22~24節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは、あなた(=神)からいただいた栄光を彼らにも与えました(=キリストは、罪をあがなう十字架の死から、永遠の命のともなった復活という神からの栄光をおうけになりました。この罪のあがないを信じる者たちも、この永遠の、復活の命、という栄光を、キリストからあたえられているのです。また同時に、キリストが持っている栄光であるところの神の本質としてのご性質も(ヘブル1:3)、信者にあたえてくださいました。…

  • すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります(ヨハネ17:20~21)

    (今回は、信者が神と一つになって、世にキリストをあらわしていく、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の20~21節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは彼ら(=弟子たち)のためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々(=これから信じるようになる人々)のためにも、お願いいたします(=神が、彼らを聖別してくださるように(せいべつ=罪に支配されている世から、信者を聖なる者として分けへだてさせることを)お願いいたします)。父よ(=神よ)、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように(=神とキリストが霊において一つである…

  • また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします(ヨハネ17:15~19)

    (今回は、弟子たちを聖なる者とするために、十字架をとおして、ご自身を聖別された供え物として神にささげるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の15~19節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしがお願いするのは、彼ら(=弟子たち)を世から取り去ることではなく(=サタンが支配する世からは憎まれる身にありますが、彼らが使命をはたす前に天にあげられることではなく)、彼らを悪しき者から(=サタンから)守って下さることであります。わたしが世のものでないように(=世ではなく神に属しているように)、彼らも世のものではありません。真理によって(=神がつかわしたキリストを信じ…

  • そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります(ヨハネ17:12~14)

    (今回は、世にのこる弟子たちに、のちのちの喜びとなるものを語られるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の12~14節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって(=キリストにおあたえになった神のみ名(=聖なる神の永遠性のともなった、かつ完全に聖(きよ)いご性質、また権威)によって)彼らを(=とくに霊的な面において)守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも(=罪によって)滅びず、ただ滅びの子だけが(=キリストを裏切ったユダだけが罪により)滅びました。それは聖書が(=旧約聖書の預言(詩篇41:9)が…

  • 聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります(ヨハネ17:9~11)

    (今回は、三位一体(さんみいったい)の神と信者が一つになるようにというキリストの祈り、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の9~11節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは彼ら(=弟子たち)のためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく(=サタンの支配下にあるこの世が繁栄するためにではなく)、あなたがわたしに賜(たま)わった者たちのためです(=神がキリストにおあたえになった弟子たちが守られるようにです)。彼らはあなたのものなのです(=神が所有しているものなのです)。わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです(=このように神…

  • いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました(ヨハネ17:6~8)

    (今回は、キリストにあたえられた自分たちが、神のえらびにより神に属しているのを知る、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の6~8節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは、あなたが(=神が)世から選んで(=サタンが支配している世にありながら、神のえらびによって)わたしに賜(たま)わった人々に(=キリストにおあたえになった信者に。とくにここでは弟子たちに)、み名を(=父なる神ご自身を)あらわしました。彼らはあなたのものでありましたが(=彼らは神にえらばれ、もともと神が所有していましたが)、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました(=神が…

  • 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい(ヨハネ17:1~5)

    (今回は、十字架の死、復活、昇天をとおして、神と共にお持ちだった栄光を望まれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の1~5節より 『これらのことを(=十字架の死や復活、昇天、聖霊の降臨について、また弟子たちが迫害されること、逃げだすこと、さらにはキリストがすでに世に勝っていることなどを)語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ(=神よ)、時がきました(=十字架で死に、復活し、昇天するときがきました)。あなたの子があなたの栄光をあらわすように(=キリストがこれらをもって、世を救う神のわざを世にあらわせるように)、子の栄光をあらわして下さい(=まさにこれら…

  • あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている(ヨハネ16:32~33)

    (今回は、世に打ち勝ち、信者に永遠の命をもたらしてくださっているキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の32~33節より(以下はキリストのおことばです) 『しかし(=まもなくキリストは捕らえられ、それを見た弟子たちは逃げだすが、しかし)、わたしはひとりでいるのではない。父(=神)がわたしと一緒におられるのである。これらのことをあなたがたに話したのは(=キリストはこれまで十字架の死や復活、昇天、聖霊の降臨について、また弟子たちが迫害されることや、逃げだしてしまうことについて話してきました)、わたしにあって平安を得るためである(=キリストが前もって話していたことがこと…

  • あなたがたは今信じているのか。見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう(ヨハネ16:29~32)

    (今回は、見栄をはっている弟子たちに、彼らが離れていくのをそれとなくつたえるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の29~32節より 『弟子たちは(=キリストからいずれ復活後に比喩ではなく、つつみかくさず神について話すだろうと聞かされた弟子たちは)言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません(=彼らは見栄をはってわかった風に答えているので、話がかみあっていません。キリストはまだ復活を経験しておらず、比喩で話している段階にあります)。あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました(=こう言っ…

  • わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう(ヨハネ16:25~28)

    (今回は、十字架の死や復活、昇天について意図的につつんで語ってきたキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の25~28節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしはこれらのことを比喩で話したが(=キリストは十字架の死や復活、昇天について、聖霊をさずからなければ理解できないように話してこられました。そのため弟子たちにはキリストが語った、わたしを見なくなる(十字架の死)、や、またわたしに会える(復活)、や、わたしの父のところに行く(昇天)、といった意味がみえていません。とくに復活については、直前でも、妊婦から産まれる赤子にご自身をたとえて話されました(ヨハネ16:2…

  • あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう(ヨハネ16:23~24)

    (今回は、キリストの名によって求めることは実現する、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の23~24節より(以下はキリストのおことばです) 『その日には(=復活したキリストと再会し、聖霊を吹きこまれる日には(ヨハネ20:22))、あなたがたがわたしに問うことは(=世の罪をあがなうためにキリストにおこった十字架の死や復活について問うことは。またこれまでにキリストが語ったことについて問うことは)、何もないであろう(=なぜなら聖霊が真理をさずけてくれます)。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父(=神)に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう(…

  • このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう(ヨハネ16:21~22)

    (今回は、死からの復活をくりかえし預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の21~22節より(以下はキリストのおことばです) 『女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。このように、あなたがたにも今は(=妊婦でいうところの、大きな苦しみがくるのではないかと)不安がある。しかし、わたしは再び(=十字架の死から復活して)あなたがたと会うであろう(=ここでのキリストはよみがえられたご自分を、新しく生まれた子にたとえておられます…

  • あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう(ヨハネ16:19~20)

    (今回は、キリストの死に不安をおぼえるが、復活後に再開することで喜びにかわる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の19~20節より 『イエスは、彼ら(=弟子たち)が尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで(=キリストが十字架による死と、その死からの復活を預言したことで)、互に論じ合っているのか。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが(=キリストの死に泣き悲しむが)、この世は喜ぶであろう(=憎んでいるキリストが死んだことで世は喜ぶだろう…

  • しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう(ヨハネ16:16~18)

    (今回は、十字架の死と、そこからの復活を預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の16~18節より(以下はキリストのおことばです) 『しばらくすれば、あなたがた(=弟子たち)はもうわたしを見なくなる(=このあとユダヤ人指導者たちに捕らえられ、夜が明けてまもなくもすれば十字架で殺され、墓に葬(ほうむ)られる)。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう(=十字架の死から三日目によみがえり、また会えるだろう)」。そこで、弟子たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、…

  • 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである(ヨハネ16:14~15)

    (今回は、聖霊はキリストを証しすることで、キリストに栄光を得させる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の14~15節より(以下はキリストのおことばです) 『御霊(みたま=聖霊)はわたしに栄光を得させるであろう(=聖霊は世に、キリストの十字架による罪のあがないを証しし、具体的には弟子たちをとおしてはたらかれ、世にキリストのことを述べつたえさせ(=キリストについてしるした新約聖書の作製もふくめ)、多くの人にキリストをあがめさせるだろう)。わたしのものを受けて(=世の救い主としてキリストがなしとげたこと、また子なる神としてのご性質や権威をうけて)、それをあなたがたに…

  • けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう(ヨハネ16:12~13)

    (今回は、聖霊が信者を、神のあらゆる真理にみちびいてくれる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の12~13節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしには、あなたがた(=弟子たち)に言うべきことがまだ多くあるが(=彼らはいまも、このままキリストがユダヤの王になってくれると思っています。こうした彼らに十字架による死や、また今後信者がうける迫害や、さらには世のおわりにキリストが再臨するまでの、世におこる数々のできごとなど)、あなたがたは今はそれに堪(た)えられない。けれども真理の御霊(みたま=聖霊)が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に(=父(神)、子(キリ…

  • それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう(ヨハネ16:8~11)

    (今回は、キリストを証しする聖霊のはたらき、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の8~11節より(以下はキリストのおことばです) 『それがきたら(=聖霊がくだられたら)、罪と義(=神の目におけるただしさ)とさばきとについて、世の人の目を開くであろう(=聖霊が神の真理をあきらかにすることで、世にあやまりをみとめさせるだろう)。罪についてと言ったのは(=罪についてあきらかにされるあやまりは)、彼らがわたしを信じないからである(=不信者がキリストを信じないこと自体が、神への反抗をあらわす罪だということ)。義についてと言ったのは(=義についてあきらかにされるあやまりは)、わたしが…

  • しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ(ヨハネ16:4~7)

    (今回は、キリストの昇天後に、信者には聖霊があたえられる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の4~7節より(以下はキリストのおことばです) 『これらのことを(=迫害にあうことや、昇天後に助け主(聖霊)がくだってこられるのを)初めから言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである(=キリストがいるあいだは、迫害のターゲットはキリストであり、弟子たちではありませんでした。また昇天を経て、かわりの助け主がくだられます)。けれども今わたしは、わたしをつかわされたかた(=神)のところに行こうとしている。しかし、あなたがたのうち、だれも『どこへ行くのか』と尋ね…

  • 彼らがそのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである(ヨハネ15:25~27)

    (今回は、不信者が信者を迫害するのは、神もキリストも知らないからである、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の1~4節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしがこれらのことを(=キリストが憎まれ、また弟子たちも憎まれるが、聖霊が下ってくださると)語ったのは、あなたがたがつまずくことのないため(=キリストが十字架で殺されること、またあなたがたが迫害にあうことで信仰から離れてしまわないため)である。人々はあなたがたを会堂(=ユダヤ教の礼拝をする場所、シナゴーグにつどう共同体)から追い出すであろう。更にあなたがたを殺す者がみな、それによって(=あなたがたを殺した…

  • それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである(ヨハネ15:25~27)

    (今回は、不信者は理由もなくキリストを憎む、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の25~27節より(以下はキリストのおことばです) 『それは(=不信者がキリストを憎むのは)、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法(=旧約聖書の詩篇69:4など)の言葉が成就するためである。わたしが(=昇天後に)父のみもとからあなたがたに(=弟子たち、また信仰者たちに)つかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊(みたま=聖霊)が下る時、それはわたしについて(=キリストが世の救い主であることについて)あかしをするであろう。あなたがたも、初めか…

  • もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう(ヨハネ15:22~24)

    (今回は、キリストが神をあらわし、不信者はそれを見聞きしたうえで拒んだ、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の22~24節より(以下はキリストのおことばです) 『もしわたしがきて彼らに(=不信者たちに神についてのこと、またご自身が世の罪をあがなう救い主であることを)語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう(=彼らは話を聞いたうえで、神につかわされたキリストを憎み、迫害する罪をおかしました)。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない(=迫害したことは事実としてのこります)。わたしを憎む者は、わたしの父(=神)をも憎む(=キリス…

  • もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう(ヨハネ15:20~21)

    (今回は、キリストを迫害する者たちは信仰者も迫害する、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の20~21節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしがあなたがたに『僕(しもべ)はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい(=これはキリストが世から憎まれるとき、あなたがたも世から憎まれる、とのことばをうけてのものです。ここは、もしあなたがたがキリストよりもまさっていれば、世から憎まれたり迫害されたりしないだろうが、あなたがたはキリストに従う者として、これらにさらされる身にあるのを知っておきなさい、ということだと思います)。もし人々がわたしを迫…

  • もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい(ヨハネ15:18~19)

    (今回は、世はキリストを憎んでおり、それゆえに信仰者も憎まれる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の18~19節より(以下はキリストのおことばです) 『もしこの世が(=信仰がなく、サタンの支配下におかれているこの世の人々が)あなたがたを(=信仰のあるあなたがたを)憎むならば、あなたがたよりも先にわたし(=神の御子(みこ)キリスト)を憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら(=サタンの支配下にあるこの世に属しているものであったなら)、この世は、あなたがたを自分のものとして(=自分たちに属しているものとして)愛したであろう。し…

  • これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである(ヨハネ15:16~17)

    (今回は、信仰のない者たちに神をしめすのは、たがいに愛しあうことにつながっている、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の16~17節より(以下はキリストのおことばです) 『あなたがたがわたしを選んだのではない(=えらんで弟子になったのではない)。わたしがあなたがたを選んだのである(=えらんで弟子したのである)。そして、あなたがたを立てた(=神への奉仕者として任命した)。それは、あなたがたが行って実をむすび(=キリストにあって神のご性質や栄光を、世にしめす実としてみのらせ、それによって新たな信者(枝となる者)をふやし)、その実がいつまでも残るためであり、また、あな…

  • あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である(ヨハネ15:12~15)

    (今回は、信仰者を友とみなしてくださっているキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の12~15節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように(=キリストはへりくだって弟子たちの足をあらい、そしてまもなくすべての人の罪をあがなうために、十字架で命をおとされます)、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない(=いちばん大きな愛とは、隣人のために命がけで事にあたることです)。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはも…

  • わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである(ヨハネ15:8~11)

    (今回は、神の愛のうちにあって、世に神をあらわしていくよろこびをさとらせてくださるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の8~11節より(以下はキリストのおことばです) 『あなたがたが実を豊かに結び(=キリストが内におられる信者が、神のご性質や栄光を、世にしめす実として豊かにむすんで)、そしてわたしの弟子となるならば(=決定的な決断をもってキリストの弟子となるなら)、それによって、わたしの父(=神)は栄光をお受けになるであろう(=信者が固くキリストにつき、世に神をあらわすことで神は栄光をお受けになります)。父がわたしを(=決定的に)愛されたように、わたしもあなたが…

  • わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである(ヨハネ15:5~7)

    (今回は、人はキリストとつながっていなければ、世に神をあらわせない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の5~7節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしはぶどうの木(=ご自身をぶどうの木にたとえておられます)、あなたがたはその枝である(=その際の、ぶどうの枝にたとえられるのが信者になります)。もし人がわたしにつながっており(=信仰によってつながっており)、またわたしがその人とつながっておれば(=その信仰をみとめてつながっていれば)、その人は実を豊かに結ぶようになる(=キリストがその人をとおしてはたらかれ、神のご性質や栄光を、世にしめす実として豊かにみのら…

  • 枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない(ヨハネ15:1~4)

    (今回は、信仰者がキリストにあってみのらせる実で、世に神をあらわす、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・15章の1~4節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしはまことのぶどうの木(=ご自身をぶどうの木にたとえておられます)、わたしの父は農夫である(=その際に、ぶどうの木をやしなう農夫にたとえられるのが神になります)。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは(=にせの信者は)、父がすべてこれをとりのぞき(=この者たちに神は住まわれず、その結末は神のさばきです)、実を結ぶものは(=信仰のゆえに神が住まわれてつながり、キリストにあって神に奉仕し、世に神をあらわす…

  • しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである(ヨハネ14:30~31)

    (今回は、キリストは神を愛しているがゆえに十字架への道をえらばれる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の30~31節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしはもはや、あなたがたに(=弟子たちに)、多くを語るまい。この世の君(きみ=サタン)が来るからである(=もうまもなくでキリストは、裏切りのユダがつれてくるユダヤ人指導者らに捕らえられます。これらのできごとの裏で、糸をひいているのがサタンです)。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない(=サタンはキリストの肉体的な死には、その思わくどおりに関与しますが、霊においてはなんの影響もおよぼせません。しかも神はキ…

  • わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る(ヨハネ14:28~29)

    (今回は、復活後に弟子たちにあらわれるのを、くり返しお語りになるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の28~29節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは去って行くが(=ユダヤ人指導者たちに捕らえられ、十字架で死ぬことになるが)、またあなたがたのところに帰って来る(=死から復活して、あなたがたを孤児としないために聖霊をさずけ、霊において一緒に住むようになる)』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父(=神)のもとに行くのを(=天にのぼるのを)喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである(=父…

  • わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる(ヨハネ14:25~27)

    (今回は、昇天するキリストがのこされていく平安、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の25~27節より(以下はキリストのおことばです) 『これらのことは(=キリストが死から復活し昇天すること、また天に住まいを用意し、神が聖霊をさずけることなど、こうした諸々(もろもろ)のことは)、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主(=聖霊)、すなわち、父が(=神が)わたしの名によってつかわされる(=あなたがたにあたえられる)聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え(=十字架の死が意味することなどもすべてをおしえ)、またわたしが話しておいたことを(=キリストと過ご…

  • わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない(ヨハネ14:23~24)

    (今回は、キリストを信じずに愛さない者のところには神は住まわれない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の23~24節より 『イエスは彼に(=なぜキリストご自身を、世全体にあらわそうとされないのですかとたずねた弟子に)答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば(=キリストを救い主と信じて愛するなら)、わたしの言葉を守るであろう(=その信仰がうわべだけでないなら、キリストのいましめを守るであろう)。そして、わたしの父はその人を愛し(=愛をもって聖霊を送り(ヨハネ14:15~16))、また、わたしたちは(=父なる神と子なる神キリストは)その人のところに行って…

  • わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である(ヨハネ14:21~22)

    (今回は、キリストを信じて愛している者は、キリストのいましめを守る、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の21~22節より 『「わたしのいましめを(=キリストが語ったみことば。とくにキリストがしめしたように、あなたがたもたがいに愛しあいなさいといういましめを)心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は(=キリストを信じて、いましめを守る者は)、わたしの父(=神)に愛されるであろう(=神は真理の御霊(みたま)をあたえて共にいさせてくださいます(ヨハネ14:15~16))。わたしもその人を愛し(=すべてにまさるものとして愛し(ヨハネ10:…

  • わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る(ヨハネ14:18~20)

    (今回は、復活したキリストが弟子たちにあらわれるという預言、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の18~20節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしはあなたがた(=弟子たち)を捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る(=十字架の死から復活して、あなたがたの前にもどってくる)。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを(=十字架で殺し、墓にいれられたキリストを)見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る(=復活したキリストをみることになる)。わたしが生きるので(=死からも復活して生きているキリストによって)、あなたがたも生きるからである(=このキリス…

  • そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である(ヨハネ14:15~17)

    (今回は、神の真理をおしえてくださる御霊(みたま)、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の15~17節より 『もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを(=キリストが語ったみことばを。とくにキリストがしめしたように、あなたがたもたがいに愛しあいなさいといういましめ(ヨハネ13:34))を守るべきである。わたしは父に(=神に)お願いしよう。そうすれば、父は別に助け主(=神の霊である御霊)を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である(=永遠のいのちをもたらす霊であるだけでなく(ヨハネ4:14)、神の真理を教えてくれる霊(ヨハ…

  • わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである(ヨハネ14:11~14)

    (今回は、キリストの名によって願うことは何事もかなえられる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の11~14節より 『わたしが父におり(=子なる神キリストが父なる神の内におり)、父がわたしにおられることを(=父なる神が子なる神キリストの内におられることを)信じなさい(=神は父、子、聖霊がなす三位一体(さんみいったい)のご存在ですから、父と子は霊において一つです)。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって(=あなたがたが目(ま)のあたりにした、病のいやしや死者のよみがえりなどの、神がキリストをとおしてなさったわざを)信じなさい。よくよくあなたがたに言って…

  • 父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである(ヨハネ14:8~10)

    (今回は、父なる神と子なる神であるキリストは等しいご存在である、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の8~10節より 『ピリポ(=12人の弟子の一人)はイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を(=神を)示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしが(=神と等しいご存在であるキリストのことが)わかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである(=神を見ているのと同じことなのである)。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり(=聖書の神は、父…

  • わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない(ヨハネ14:5~7)

    (今回は、キリストがわたしたちの唯一のメシア(救い主)である、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の5~7節より 『トマス(=12人の弟子の一人)はイエスに(=天へと去っていくのをそれとなく語ったキリストに)言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり(=キリストご自身が神のおられる天へとつづく道であり)、真理であり(=神が人間におあたえになった救い主であるという真理であり(ヨハネ8:32))、命である(=ご自身が永遠のご存在であるだけでなく、わたしたちに永遠のいの…

  • そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう(ヨハネ14:1~4)

    (今回は、天における信仰者のすまい、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・14章の1~4節より(以下はキリストのおことばです) 『あなたがたは、心を騒がせないがよい(=キリストは天へと去っていくがこころをさわがせる必要はない)。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には(=神のおられる天には)、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう(=ないならないと言っていただろう。しかしあるからあると言っておられます)。あなたがたのために、場所を(=すまいとなる場所を)用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて(=空中…

  • 鶏が鳴く前に、あなたはわたしを三度知らないと言うであろう(ヨハネ13:36~38)

    (今回は、ペテロの不従順を預言するキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の36~38節より 『シモン・ペテロ(=12人の弟子の一人)がイエスに(=十字架からの復活後に、天にもどられるのを暗示したキリストに)言った、「主よ、どこへおいでになるのですか」。イエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに(=天に)、今は(=地上で生きている今は)ついて来ることはできない。しかし、あとになってから(=信仰にあって死んだあとで)、ついて来ることになろう(=その魂(たましい)は天にあげられるだろう)」。ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができない…

  • わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい(ヨハネ13:34~35)

    (今回は、キリストが実践してしめしてくださった新しいいましめ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の34~35節より 『わたしは、新しいいましめを(=キリストが新しく確立してくださる契約(=キリストによる罪のあがないを信じる者には、永遠のいのちがあたえられるという契約)にもとづくいましめを)あなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように(=キリストは洗足(せんそく)などでも愛をしめしてくださいましたし、もうすぐ十字架におけるご自身の犠牲によっても愛をしめしてくださいます)、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって(=たがい…

  • 今や人の子は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった(ヨハネ13:31~33)

    (今回は、復活のときが近づいているのを語られるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の31~33節より 『さて、彼が(=ユダが)出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子は栄光を受けた(=いまこそキリストは復活による栄光をおうけになります)。神もまた彼によって栄光をお受けになった(=神もまた、十字架において世の罪をあがない、復活されたキリストによって栄光をおうけになります)。彼によって栄光をお受けになったのなら(=おうけになるのがたしかであるのだから)、神ご自身も彼に栄光を(=復活という栄光を)お授けになるであろう。すぐにも(=十字架の死より三日目には、復活という…

  • しようとしていることを、今すぐするがよい(ヨハネ13:27~30)

    (今回は、周囲には意味がつかめないことばでユダに話されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の27~30節より 『この一きれの食物を(=うらぎり者がだれなのかを意味する食物を)受けるやいなや、サタンがユダにはいった(=サタンはキリストを殺す機会をうしなうまいと、じかにユダを支配しにきました)。そこでイエスは彼に(=サタンがじかにはいっているユダに)言われた、「しようとしていることを(=キリストを殺そうとしているユダヤ人指導者らに売りわたすことを)、今すぐするがよい」。席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった(=キリス…

  • あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている(ヨハネ13:21~26)

    (今回は、くりかえしユダのうらぎりを指摘するキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の21~26節より 『イエスがこれらのことを(=神のみこころと洗足にともなう話を)言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに(=重々しく)言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている(=うらぎって、ユダヤ人指導者たちにわたしを売ろうとしている)」。弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が(=この福音書の著者ヨハネが)、み胸に近く席についていた(=イエスの胸の近くにい…

  • いよいよ事が起ったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである(ヨハネ13:19~20)

    (今回は、これからの出来事を前もって語ることで、神性をあらわされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の19~20節より(以下はキリストのおことばです) 『そのことが(=ユダのうらぎりがおこり、そのためにキリストが捕らえられ、十字架にかけられることが)まだ起らない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起ったとき(=それらが実現したとき)、わたしがそれであることを(=前もって神のご計画を告げしらせていたキリストが、“わたしはある” という者であることを。なおこれはキリストによる神性宣言になっています(出エジプト3:14))、あなたがたが信じるためである。…

  • 僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない(ヨハネ13:16~18)

    (今回は、信仰者はキリストよりも高い者ではない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の16~18節より(以下はキリストのおことばです) 『よくよくあなたがたに言っておく。僕(しもべ)はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない(=キリストをつかわしたのは父なる神です。キリストはご自分を神よりも高く置くことがありませんでした。そしてこのキリストを主(=メシア、救い主)とし、キリストにつかわされているのが私たちです。私たちがキリストよりも自分を高く置くことがあってはなりません)。もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら(=神…

  • しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである(ヨハネ13:12~15)

    (今回は、愛とともに謙遜をしめされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の12~15節より(以下はキリストのおことばです) 『こうして彼ら(=弟子たち)の足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか(=いまの彼らには、この別れのまえになされた洗足(せんそく)の重みがわかりません。彼らがわかるのは、キリストの復活後に聖霊をさずかってからになります)。あなたがたはわたしを教師(=聖書をただしく語るラビ、指導者)、また主(=メシア(救い主)をさして主)と呼んでいる。そう言うのは正しい(=キリストを神からつか…

  • すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから(ヨハネ13:9~11)

    (今回は、ご自分と弟子たちの霊的なつながりをたしかめられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の9~11節より 『シモン・ペテロ(=12人の弟子の一人)はイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も(=手も頭もあらってより関係をふかめてください)」。イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は(=キリストへの信仰によって、すでに霊的な再生(=あたらしく生まれかわること)のあらいをうけた者は(テトス3:5))、足のほかは洗う必要がない(=足だけあらえば大丈夫である。この行為によってキリストは、愛をもって仕えあうようにというメッセージとともに、…

  • わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう(ヨハネ13:6~8)

    (今回は、愛をもって互いに仕えあうことの模範をしめされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の6~8節より 『こうして、シモン・ペテロ(=12人の弟子の一人)の番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの(=しもべであるわたしの)足をお洗いになるのですか」と言った。イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう(=足をあらうのは仕える者の仕事です。これをキリストは神でありながらも、別れのまえの最大限の愛をこめて弟子たちにしました。この時点では彼らのだれもが、キリストの死を感じとっておらず、愛…

  • 番外編:神の預言である “エゼキエル戦争” について

    (以下の、エゼキエル書・38章1~23節(=いまから2500年以上前に書かれた)には、世のおわりに向かう過程で、マゴグ(=現ロシア)が連合軍を組み、イスラエルに侵攻する、といった預言がつづられています。なおこの書は、神がエゼキエルに啓示(けいじ)をあたえたことで書きのこされました) 『主(=神)の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ(=エゼキエルよ)、マゴグ(=現ロシア)の地のゴグ(=これはロシアの指導者を指す称号のことです)、すなわちメシェク(=ロシアのモスクワのこと)とトバル(=ロシアのトボリスクのこと)の総首長(=すなわちゴグ)に対して顔を向け、彼に預言して、言いなさい。主なる神はこう言われ…

  • 過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された(ヨハネ13:1~5)

    (今回は、愛をもって弟子たちの足を洗われるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・13章の1~5節より 『過越の祭(=すぎこしのまつり)の前に、イエスは、この世を去って父(=神)のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り(=十字架で死に、その復活後に天にのぼるときがきたのを知り)、世にいる自分の者たち(=信仰者たち)を愛して、彼らを最後まで愛し通された(=あますところなく愛をしめされた)。夕食のとき(=最後の晩餐(ばんさん)といわれている食事のとき)、悪魔はすでにシモン(=ユダの父)の子イスカリオテのユダ(=12人の弟子の一人)の心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れてい…

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