chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 毒親育ちの私の人生は、別のブログに書きます。

    こちらのnoteに、毒親育ちの私の人生を書こうと思っていたのですが、 はてなブログに書くことにしました。⬇️ 毒親育ちのブログ・毒親サバイバー可愛がられて育ったと思っていた私の親は、実は毒親でした。ことのカラクリに気づいた私の人生を綴ります。dokuoya5.hatenablog.com 良かったら、のぞいて見てください。

  • 親の都合の良い、操り人形だった私

    私が二十歳過ぎまで、自分は親に可愛がられて育ったと思っていました。 ですが、現実は毒親に憎まれて育ち、精神的に殺されていたのです。 現実は、自分が思っていたことと真逆でした。 私が二十歳過ぎてから、自分の親は正常な精神の人間ではない。と気づいてからも、その事実を認めることができずにいました。 いくら親は黒色だと気づいても、その事実を認めたくないから、白色と思いたがっている私がいました。 が、いくら私が嫌がろうが、黒色は黒色なのです。 真実は一つなのです。 私は物心がついた時から、自分の感情や意思のない人間だったようです。 正確に言うと、 人間なので、本当は感情が

  • 毒親の真実。私の人生を書き残したいと思います。

    私が死ぬまでに毒親のこと、真実を書き残して、それを公開したいと昔から私は思っていました。 が、毎日の生活に精一杯で書いている余裕がなかったので、今まで全く書かなかったのですが、最近、姉のことで人に親のことを説明するのに、今まであったことを思い出さないといけなったのと、 私ももう年になってきて、いつ死ぬかわからないし、私が数年前に癌になって、人間いつ死ぬか分からないと考えるようになったので、そろそろ私の人生のを全て、毒親の真実を書き残したいと思います。 毒親が望むように、何もなかったとはさせたくない。 私の人生の真実を書くことで、毒親について悩んでいる人の悩み解決に、少し

  • 無意識に記憶から消そうとする毒親との生活

    人間は、嫌なことや思い出したくないことは、無意識に記憶の中から消し去ろうとする、思い出さないようにするようなので、今までに親のことを誰かに相談した時に、「どんなことをされたのですか?」と聞かれても、すぐに答えられない、すぐに思い出せないことがあった。 いつも、無意識に親のことは記憶から消し去ろうとしていた。 そうした方が生きていく上で楽だから。 今、親との生活などを思い出そうとすると、辛すぎて思い出したくない感情が出てくる。 だから、何もなかったかのように自分の中でしてきたが、それが親にとって好都合な私だったのだろう。 何もなかった。普通の親だったとできるから。 親とのこ

  • 子供はどんなことを毒親にされても、最後まで親を信じたいと思うもの

    27歳で体調が悪くなり、実家へ帰ってきてからは、お金が尽きたので仕方なく実家に帰ることにしたので、当然それまで一人暮らしをしていたアパートは即刻引き払いたかったし、荷物を実家に運びたかったが、「実家に帰る」と、親に知られると益々嫌がらせがひどくなると思い、実家に帰ってからはクレジット会社でお金を借りてまで、だれも住んでいないアパート代金を支払うという意味不明なことをしていた。 そう、「今だけ帰ってきました。」風を装って実家に帰った。 何故なら、体調が悪くなったから実家に帰るなんて知られたら、 私に対して大きな態度をとられて、日常生活全てに嫌がらせをされて、私の精神が崩壊するのが怖

  • 親に虐待をされて育った姉がうつ病になり事故。知的障害者となり、毒親に面倒をみられて廃人に

    私には知的障害者の姉がいます。 17年前に事故にあい、知的障害者となりました。 事故後は意識不明の状態が数か月続き、その後、当時姉が付き合っていた人と結婚し、東京で旦那さんと二人で暮らしていました。 当時の姉の旦那さんが事故後からリハビリへ連れて行ってくれていたので、事故後姉は言葉がしゃべれるようになり、歩けるようになっていきました。 当時の旦那さんが、姉の意思を尊重して、姉を笑わすようなことを言ったり、行動をしていたので、私から見て、事故前の姉とは真逆の我儘を言う人間になっていました。 姉が事故に遭ったのは、事故前にうつ病になり、毎日「死にたい」と当時の彼氏に言っていたら

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、毒親撲滅さんをフォローしませんか?

ハンドル名
毒親撲滅さん
ブログタイトル
毒親から姉を助けたい
フォロー
毒親から姉を助けたい

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用