どうでもいい事 なのかも知れない どう生きるか なんて 哲学的な問いは あと 少ししか 生きられないとしたら ただ ただ 美しい思い出を 抱きしめていたいと思うだろう 恨み辛みも 葛藤も 何もかも 置き去りにしていくのだから この 心の中に 携え持っても 仕方がない きれい さっぱり 逝きたいと願うだろう 生前90歳にもなろうとする母が 「楽しいことしか思い出さない」と 言っていたのに驚きました。 そうしようとしているのではなく ほんとに そうなのだと。 戦争も経験し 女手一つで 八人の子を育て上げた苦労は 並大抵のことではなかったと思います。 誕生日に何かをしてもらったとか 特別 母にあれこ…
一時の 自由を得て 気晴らしに使った 小金を得て 無駄遣いをした 少しの 権力を得て 良い気分になった まったき自由を得た時 私は 何を するだろう 人は 栄華の中にあって その 真価が問われる 枠が 取り払われた時 己を律しうる者は たれか 責任というリュックを背負い 自由の旗を振る者は たれか 「責任」という時 わたしは 「今日 自分を生かし切ったか」と問います。
クミコの元気がないので マチコが聞いた。 「どうしたの?」 すると クミコの彼氏から この頃 メールの返信が なかなかこない とのこと。 クミコ「ひどいと思わない? 人を こんな気持ちにさせて」 マチコ「彼のせいじゃない。『こんな気持ち』 になったのは あなたのせいよ」 クミコ「え? なんで わたし?!」 マチコ「あなたの期待感がそうさせるのよ。 それを 手放しちゃいなさい。 メールを出した時点で 気持ちも送る。 引きずらない。 返信するしないは 相手に委ねる。 期待感は 相手を 自分の思い通りにしたい という欲でもあるのよ」 クミコ「ふ~ん」 さっすが いろんな所で 精神修養コースを とった…
うそを つかない ごまかさない さわやかに いさぎよく 生きる それが 自分を 大切にする ということ 一番 大事なものを 守る ということ 上の言葉に「できるだけ」って 付け加えておこうかな(笑)
相手を ダメにする 優しさは ただ 自分の 欲求を 満たしているだけ 優しい自分でありたいという欲 優しい人と思われたいという欲 自分本位の優しさ 相手がどうのというより 自分が嫌になるんだと思う 人に何かしてあげる時は 自分の動機をチェック
彼女のことを紹介したものかどうか 少々悩みました。 というのも 彼女はイェール大学で 英文学の学位を取得したものの 途中でヨガ哲学に猛烈に恋をする。 占星術師であり ゴチャゴチャした荷物のせいで 空港のチェックに何度も引っ掛かる 神の代名詞を 彼と書いたり 彼女と書いたりする とてつもなく イカした イカれた 人物なので わたしの中に そっと 置いておきたいと 思ったのです。 ところが 邦訳三作目となる本作において 彼女はアニータ・ムアジャーニの著書に言及し 「心から同意する」と言ってのけたのです。 こうなっては アニータの友だち続きで 載せるしかありません。 第一作目の著書は 「とんでもなく…
稲葉耶季(いなば・やすえ)さんとは 瞑想会でお会いしました。 小柄でしたが 優しいながらも目力のある方だな という印象がありました。 1995年 那覇地裁の民事部裁判長として 海上自衛隊の対潜水艦作戦センターの 情報公開を巡り、国と那覇市の 全面対決となった訴訟で 那覇市全面勝訴判決を下した(最高裁で確定)。 96年には不法占拠状態となった 読谷村の楚辺通信所(通称・象のオリ)への 立ち入り問題の審尋を担当。 和解成立で 地主の知花昌一さんの立ち入りが実現した。 那覇地裁から横浜地裁に異動後に退官し、 99年から琉球大学教授。 2006年に簡易裁判所上席判事となり 12年退官。 この間、インド…
年下のクセに とか 女のクセに とか 言いぶりが 嫌だ とか そんなことに 気をとられず その人が 何を 言おうとしているのか あるいは 単純に 何を 実際 言ったのか だけを みる きく
真実は 言葉では 語り得ない。 語り得ぬものを 語らねばならぬもどかしさ。 言葉は方便に過ぎず 単なる道具に他ならない。 だから 言葉に 捕らわれてはならぬ。 言葉を真実と見紛うてはならぬ。 概念の違い。 「父親」という言葉一つをとっても ある者には「大いなる包容力」であり また ある者には「権力 冷酷」 という意味であったりする。 存在拘束性。 人は自らの生い立ち 社会 文化 環境に縛られ そのフィルターを通して物を見るが故に 意思の疎通は難しい。 されど 言葉は 種となりうる。 茨に阻まれて 枯れる物もあろう。 しかし 豊かな土壌で根付く物もあり 時宜を得て実を結ぶ。 月と それを指し示す…
「昨日は 言い過ぎたわ ごめんなさい」と クミコが 彼氏に謝った。 彼氏は「いいよ。 気にしてないから」 すると クミコ 「ちっとは気にしてよ! だいたい あなたには 気遣いってものがーー」 あ~あ また 始まっちゃった。 おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい♪ その一言に ご注意 の・ほい♪
やっぱ 言われると きついよ 言う方も いやだろうし だから 自分で 気づくのが だんぜんいいよ 「言いたかないけどさ」ってよく聞くけど わたしは ほんとに言いたくなければ 言わないでおこうと思います。
平気だ ってわけじゃない こわくても ふみとどまったり すこしでも やろうとするのが 勇気なんだ わたしは ビビり屋です。 沿道に向かって止めてあった新古車の 白いラパンショコラに一目ぼれして 購入したのはいいのですが ディーラーで鍵を渡され「どうぞ」と 言われた時に 「え?!わたしが?! 運転して帰るの?!」と まじで ビビりました。 わたしの自宅まで届けてくれるものと 愚かにも思い込んでいたのです。 それから ゆっくり練習して・・・なんて。 なにせ車の運転が大の苦手なのです。 そんなわたしが 娘の出産手伝いに行った時 娘の夫くんは長期出張で居ず 二歳の孫の 保育園の送迎をする羽目になったの…
Aさんはこの真新しい家ができるまでは、 一人暮らしをしていた。 しかし、だんだん弱ってきたので、 家を建て直し、 息子一家と同居することになった。 Aさんの部屋は二階にあるが、トイレや食事、 お風呂は階下で息子たちと共有している。 ある日、息子に「二人だけで話がある」と言われ、 その話は何とAさん本人が気づかないうちに 一階の廊下に便を落としていたということだった。 しかも二回も続いたというのである。 直接話すことができなかった 嫁の立場の弱さもわかるが、 それを言わねばならなかった息子も さぞかし辛かったのではないかと思う。 せめて娘であれば違ったかもしれない。 誰よりも辛いのはAさんである…
世の中にはいろんな人がいるようで 友人のシューは 自分の生の残り時間がわかるそうです。 他の人の事も読めて 彼女の母親は 第一寿命があったのですが 彼女の人助けの仕事があまりにも忙しそうなので それを手伝うために 第二寿命まで伸ばした というようなことを言っていました。 彼女の 朝一番の祈りは 「今日も一日 この世に生まれてまいりました。 使命・天命を全うすることができますように お力添え お導きを お願い申し上げます」 だそうです。 日々エネルギッシュに活動している人ですが 彼女にとっては 一日一日が 一生分なのかもしれません。
感じて 動け ふと感じることって 身体の細胞会議で決定し お知らせしていることが あるそうです。 この頃 目がショボショボして訴えていたのを 無視していたら 喉がヒリヒリしてきて 胸焼けのような症状も出てきてしまいました。 パソコンの見過ぎで猫背になり どうやら 逆流性食道炎を起こしてしまったようです。 まずは パソコンの高さ調節をしましたが むろん それで解決のはずもなく 体操やら 食事に気を付けるやらしました。 でもでも それは たんに続けるために 環境を整えただけ。 根本的に見なくちゃいけないのは 別にあるような気がしています。 時間の使い方 かな?
何をしに行くのだその場所へ 空っぽの頭と 謙虚さを携えていけ それでなくては学べない 疑ってかかると 入ってこないことに気づきました。 疑いと 探究心は 似て非なるもの なんですね。
ものぐさタローは なんとな~く 携帯屋さんで バイトをしています。 キャリアウーマンの ヤルコは そんなタローを うとましく思っていました。 『だいたい 若いクセに やる気ってものがないのよね。 もっと シャンとしたらどうなのよ。 バリバリ仕事しようって思わないのかね~。 こっちまで だらけてしまうよ。 あんたみたいのを 役立たずっていうのよね。 早いとこ 首になっちゃえばいいのに・・・』 ところが たま~に タロー担当の携帯が 売れるものですから そうもいきません。 そのことも ヤルコは不思議でした。 あいつから買う人がいるなんて ―― 説明だって うまくないのに! ある日 他の携帯業者が …
欲も 怒りも 恐れも 悲しみさえも エネルギー 地に引きずり込む力にもなれば 天かける力にもなる 上げよ上げよ 意識を上げよ 湧きたつ思いを昇華せよ 「思考を恐れる必要はない」と ふと思ったことを書いたら きょうこさんのブログでも 取り上げていました。 そうそう 「かまわずにいる」というよりは せっかく わたしに語りかけてくれたのだから とりあえず うん うんと頷いて 「心配してくれてありがとう」とかって 受け止めてから あるいは 自分をぎゅっと抱きしめて (これは とてもいいことだと 90歳のおばあに教わりました)から 流してやっても 遅くはないですね。 基本的に 存在は わたしたちの面倒を…
一瞬ごとに 過去を 捨て去り 今 できる事 精一杯 楽しく やっていこう いつも 初心 いつも 新しい自分 細胞は 刻々と 入れ替わっているのだもの 昨日の 自分は もう いないんだよ 今朝 散歩をしていて ふと 思考を恐がらなくてもいいんだ と思いました。 「思考が現実になる」とか 「あなたの思考が今のあなたを造った」 とか言われると ましてや 「病気はあなたのマイナス思考のせい」 などと決めつけられると たまったもんじゃありません。 思考は たんに 思考です。 雲のようなものだと思います。 たとえ どんな ひどい思いを抱こうと それはそれで かまわないでいると そのうち 流れて行ってしまい…
生きていると、いろいろな人に、 いろいろなことに、教えられます。 たとえば、デヴィッドがそうでした。 かれは画家で、わたしの最初の恋人でした。 性格が正反対の者同士が惹かれあうというのは、 ほんとうです。 あるとき、 わたしの運転免許証の更新の時期がきて、 筆記試験を受けることになりました。 陸運局から教科書がとどきました。 何日も勉強しました。 道路の縁石が白く塗ってある場合と、 黄色い場合のちがいを暗記していると、 デヴィッドは散歩に行かないか、 ディナーは、ダンスは? お喋りするだけでもいいや、と誘いました。 そんな暇はないのよ、とわたしは答えました。 試験はもちろん百点でした。 得意に…
息子が小学生の時に 実際に交わした会話です。 息子は「おちゃらかほい♪」に出てくる タカシのように ひょうきんなので わたしの言葉に 返すつもりで 言っただけかもしれませんが わたしは 完敗しました。
他人の人生に嫉妬したって しかたないよ それより 自分は どうしたいか どうありたいかを 考えるのに 時間を使いたいね この人生の主人公は わたしです。 そして この物語は 何ったって ハッピーエンドです。 だって わたしは 地獄なんて信じてませんから。 この世に わたしを在らしめた存在が あるいは ご先祖様たちが わざわざ呪いだの 地獄だのの末尾に わたしを招待するとは思えません。 天国 あるいは無の状態で 再び もと来たところに還るのだとしたら それは ハッピーではありませんか。 そうと決まれば たとえここで つらい体験をしてしまったとしても OKなんです。 映画のシーンに 無駄な一コマが…
すこしずつ すこしずつ 気持ちを押さえつけているうちに なんだか自分が つまらない人間に思えてきたりするんだ もっと素直に表現したら? とりもどそうよ 自分自身への信頼を 自分自身というのが心許なかったら 自分をここに在らしめている存在を 信頼してみたらどうだろう わたしが ここにいるってことは わたしは ここにいていいってこと。 わたしを表現することは この世にとって大切なことなんだと思います。 「イエスキリストだけが必要なら 神は この世をイエスキリストだらけにする こともできただろう」OSHO
パチッ! わお! 夜中に タカシが 騒いでいる。 「 なんね? 」 と 起こされた ツネミとミンミ。 「 母ちゃん! 俺って スッゲー! 暗闇で 蚊を 退治しちゃった! 俺って 宮本武蔵!? エスパー?! 」 おちゃらか おちゃらか おちゃらかほい♪ こんなことぐらいで 自己肯定できる あんたって・の・ほい♪ * エスパー = 超能力者 ガジャン = 蚊
90歳の めちゃくちゃ元気な おばあちゃんに 健康法を伺いました。 一日 三分でいいからさぁ 自分の体を全部 なでるわけよ。 そして どこか 昨日と違う所があったら 「あれ 何でかね~ 昨日 何したかね~」と 聴くわけさ。 「ああ そうか 昨日 重い物 持ったね 頑張ったねぇ」と言いながら 優しく さすってあげるわけ。 そうしたら 90年 生きてきても 何ともないよ。 他の人が勧めるから 健康診断も受けてみたけれど オールオッケーさぁ。 ちなみに しこりのある場所は 左回りにさすってあげると 和らぐそうです。 お腹は 便秘の時は 左回り 逆に 下痢気味の時は 右回りだそうです。 「それからね」…
人が褒めるときって たんに その人の機嫌が良かったり あるいは その人の意に添っている というのであったりするんだな それをいちいち真に受けて もっと褒められたい と願うのは 人の好みに自分を合わせていくことになるんだ 自分らしく してりゃいいんだよ 子どもたちも 褒められたくて あれこれしたり 怒られるのが嫌で あれこれしなかったり。 その姿が顕著になると 逆にこっちが戸惑ってしまいます。 「お~い! このわたしは 何者? こんなわたしのひと言ぐらいで そんなに舞い上がったり 落ち込んだりしないでよ~!」
さくら・さくらんぼ保育園を訪れた人は、 ある人は「ここにエミールが生きている」といい、 ある人は「シュタイナー教育とそっくりだ」ともいい、 ある人は「窓ぎわのトットちゃんの小学校のようだ」 といい、ある人は こうもいった。 「マカレンコの”愛と規律の教育”をみるおもいがする」と。 また、ある中年の男性は 「なつかしいなあ! 昔の”がき”といわれた 子どもたちがいた」とよろこんだ。 そう。 鼻が出ても意に介さず、夢中になって土を掘り、 虫をつかまえ、かえるを追う子ども。 少々のひび割れ、霜やけも苦にせず、 遊びに何やら熱中する子ども。 焼けたたらこのような赤いほほの1,2歳の子。 衣服は寒ければ…
パニック障害を起こし 不安な状態が続いて 初めて精神科に行った時の事です。 何時間も待たされたあげくに 通された診察室で 医者は 私の顔を ほとんど見ず パソコンとカルテに目を落としたまま 決まり切ったような質問をあれこれしてきました。 そして 挙句の果てに 「テニスでもしたらどうですか?」 と 言ってのけたのです。 後ろ手に扉を締めると わたしは むっつりとしたまま 会計を済ませ 病院の外へ出るなり 壁を蹴っ飛ばして (小さく)叫びました。 「この~! やぶ医者!!」 そして 誓いました。 「二度とこんな所へ来るもんか!!!」 で その通りに なりました。 と なると? もしかして 名医?
どこまで育てるか どこで手放すか 互いに すがりつきたい思いを 振り払うか がんばれ ! 親と子 娘の大学が決まって 引っ越しのため 東京へ 三人で行きました。 トイレと風呂場が共有の安アパートですが 同じ大学の 顔なじみの同級生もいる という事で安心でした。 荷物もほとんど無いので 片付けも速く済み 夫とわたしは 帰り支度を始めました。 アパートは古くて 床板がきしみました。 壁も暗い感じです。 そして なんと 寒々と雪が舞い降りてきました。 アパートを出て わたしたちが 角を曲がって見えなくなるまで 半泣きで手を振っていた娘の姿を 20年近く経った今でも 思い出します。
オオゴマダラの蛹 弱い間にも 力は 蓄えられている 畑仕事をしていると 自然のすごさに圧倒されるばかりです。 ゴマ粒ほどの種が育って たわわに実を付けたり グアバの木を移植しようとして その根の深さ 張り具合に驚嘆したり。 小さな虫たちが ものの見事に キャベツを レース飾りにしたり。 とりわけ 得体の知れないさなぎから 何が出てくるかと ドキドキします。 強さって何だろう。 わたしの中学時代の友人に カッパというあだ名の いつも へらへらしている人がいました。 この人は 誰にでも 平気で話しかけるのです。 気おくれとか 恐いものとかが 無いようなのです。 勉強ができるわけでも スポーツが得意…
社員旅行の積み立てで ツネミはカナメと一緒に 箱根に来ていました。 温泉に ゆったり浸かり 色々見て回って 土産物をちょこちょこ買ううちに 二泊三日の予定は あっという間に過ぎていきました。 「あ~あ。明日から また現実に戻るのね」 と カナメ。 「また ミンミとタカシとの 格闘の日々がはじまるわい」 と ツネミも深い溜息。 その時 青い目のウエイターが お水を運んできました。 「あら! どちらから?」 外国人と会うのは久しぶりの二人です。 「オーストラリアからです」 と ハンサムな青年。 ワーキング・ホリデーで 日本滞在していると聞き カナメが「働きながらって 大変ね~」 と言うと 「その方…
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