I 'm proud of me. 最近 よく 胸に手を当てながら この言葉を つぶやいています。 I 'm proud of myself. でも いいかもしれません。 今日 自分らしく生きられた とか 朗らかだった 優しかった 思いを素直に伝えられた 愉快に踊っていた などなど・・・・。 時には 頭を なでなでしながら 自分を誇らしく思うのです。
I 'm proud of me. 最近 よく 胸に手を当てながら この言葉を つぶやいています。 I 'm proud of myself. でも いいかもしれません。 今日 自分らしく生きられた とか 朗らかだった 優しかった 思いを素直に伝えられた 愉快に踊っていた などなど・・・・。 時には 頭を なでなでしながら 自分を誇らしく思うのです。
脅さないでください こんなことをしていたら ダメになるよ とか そんなことをしていたら 痛い目に遭うよ とか 恐れると 緊張します 緊張すると ミスります ミスると ますます緊張して 負のループに ハマってしまいます それより こうすれば 素敵になるよ とか ああすれば もっと元気になれるよ とか 言ってあげてください わたしたちは 恐れて縮こまるのではなく 喜んで 前進するために 生まれてきたのですから
イヤなことがあったら まず リラックスすることを考えよう イヤなことの衝撃で 硬くなった体と心をほぐすんだ 海を眺めたり 花の香りをかいだり 好きな音楽を聴いたり そうやってほぐれてきたら 自分に言うんだ たとえ 世界中の人に 嫌われているかのように思えても わたしはわたしの味方 親友だよって わたしはわたしを見捨てない 絶対 絶対 見捨てない
「医者に 原因不明と言われたら 治る見込みがあるってことなんだよ」と 気功の先生が言っていました。 とりあえず渡される 痛み止めや うつの薬をもらって どれだけの人が しょんぼりと病院を後にしたことでしょう。 まるで自分が小さなことで 騒ぎ立てているように思えたり 世の中には戦争や飢餓で 苦しんでいる人がいるんだ これくらいなんてことない と無理に自分を𠮟咤激励しようとしたり なんて いじらしい なんと 健気で 愛おしい人たちでしょう! もう充分です。 あなたの痛みは 比べうるものではなく あなたにとっての一大事です。 ただでさえ苦しいのに 自分を責めるなんぞ もってのほかです。 「辛いね。 …
ガムをあげたら けんかして 涙ぐんでた 子の機嫌が直った 一瞬一瞬に生きてる 好奇心の赴くままに 手放して もう忘れてる もう 次に向かってる それでいいのだ
洗濯物を干していると 強い日差しがきつく 太陽に 「しばらく 和らいでくださ~い」と お願いしました。 すると 間もなく雲に隠れ しかも 見事な後光がさしたのです。 もう 嬉しくて たくさん 「ありがとう」を言いました。 奇跡は毎日起こります。 それに 感謝するか それを あたりまえととるかは 自分次第です。
昨日はわたしの誕生日でした。 それをきっかけに やめたことがあります。 それは 本人が望まない限り 人の誤りを正さない ということです。 自分のことはさておき 誤字 脱字 言い間違い 誰がどこで何をしたの 思い違い 勘違い が気になると すぐに辞書を引いたりして 正さずにはおれませんでした。 自分の気が済むように というより 家族や友だちがよそで恥をかかないように という思いが大きかったです。 自分が言われると 「ありがとう 勉強になりました」と 感謝もするのですが せっかく大事な話をしていても 水を差されて 何だか不消化に終わる時もあります。 これからは ささいな間違いはスルーして 相手が伝…
椅子から立ち上がるとき 階段をのぼるとき 重たい物を持ち上げるとき やりたくないことを やらねばならぬとき ついつい 「ヨイショ」 が 漏れてしまいます 試しに「ヨイショ」を 「ヨッシャー!」に変えてみました 力が湧いてきました
ドラマの中の 小さな販売店で 客が 三本入りのアスパラを あれこれ手に取って品定めしていると 奥から店主がやってきて 「どれも おんなじだよ。 最初に手にしたもの買いな」 という場面がありました。 それを観て 友人が 桃に ちょっと指をかけたとき 店のおじさんが「さわるんじゃない!」 と大声で𠮟ったのを 思い出しました。 随分気まずい雰囲気になりましたが 店の人にしてみれば 大事な売り物を 乱雑に扱う客も多くて つい いらだってしまうのでしょう。 わたしの恩師が 子どもたちに 言い聞かせている方法を 教えてくださいました。 「お母さん。 どれがおいしいかって どうやったらわかるの?」 と聞く子…
筋トレをしていると ついつい 顔がこわばってしまう おっと! わたしにとって 一番大切な筋肉を 鍛えなきゃ マスクをしててもスマイル 表情筋UP!!
二人の人に親切にする 「お礼は 私ではなく あなたも 二人の人に親切にしてください」 そう言うと その二人がまた 同じことをするので 二人が四人に 四人が八人に・・・ そうすると またたくまに 世界は住みよい場所になる そういう映画もあったなぁ ペイ・フォワード 親切の先送り
おはようございます 新しい朝を迎えることができました ありがとうございます わたしのからだは 朝の清々しい光で覆われています その光を通すと 良いものしか入ってきません 良いものしか出ていきません わたしの血管は通り良き管です どこにも詰まりはありません その中には 喜びと感謝と 新鮮な酸素を含んだ血液が 元気よく流れています わたしの声は 小鳥のように軽やかで美しい そして気高い 会場の隅々まで 聴く人の耳と心に 心地よく響きます わたしはこの星を 平和で豊かで愉快にするために 生まれてきました 今日も最高の自分を発揮して 世の中に貢献します!
人の必要に応えているうちに 心が疲れてきた なので 気が乗らないのに ホイホイ引き受けるのを 減らそうと思う そして 引き受けると決めたからには こっちの責任なので グダグダ言わずに やる! けれど 言われるがままにやっていると 利用された気持ちになったり つまらなくなったりするので 相手の必要を満たすだけでなく 相手の必要に盛る この出来事を通して 自分の ステップアップにつなげるんだ! という気合いを込めてやる そうやって 人の必要に ちょっとずつ ちょっとずつ 盛っていくと いつのまにか もっと大きな必要に 応えられる人間に なっているかもしれない
早朝 砂浜を歩いてきました。 人がいないので 後ろ向きでも歩けます。 歩きながら考えました。 後ろ向きでも 進んでる。 冥土(あっち)に向かって 進んでる。 あっちに行ったら 互いに 経験を語り合うんだろうな 足裏の砂の感触 夜明けの橙(だいだい) こんなに 悲しいことがあったよ とか こんなに嬉しいことがあったよ とか 良いも悪いもない わたしの生きた証を スクリーンに映し出して 「おつかれさま わたし」 って 言うのかもね。
わたしの地域のスーパーでは 一部のカウンターで 購入した食品の袋詰めをしてくれます。 自分でやったら とても 1枚の袋に 入りそうにない数でも ものの見事に しかも 崩れないように 行儀よく入れてくれます。 その手際の良さに わたしは 毎回 感心するのです。 それで 「すごいですねー!」とか 「うわ~、きれい!」とか 「こんなに入っちゃうんだ!」とかの 感嘆符を発します。 初めは 機械的に 「いらっしゃいませ~」と言っていた レジの人も 人間に戻ったような 照れ笑いをします。 その笑顔を見て わたしも更に嬉しくなります。 わたしは ほめおしみ をしません。
自分が充実していたら 人を責めてる暇はない 自分が愉しんでいたら 人の粗探しなんか しようとも思わない
読み聞かせボランティアに参加しようと 図書館を訪れた時のことです。 駐車場の入口にチェーンがしてあって その前に車が一台停まっていました。 「え? なになに? 何なの?」と チェーンにぶら下がっている札を見ると なんと臨時休館とのこと。 せっかく いいことしようと 意気込んできたのに! と めっちゃがっかりしました。 「あ~あ! なんっでよ~!!」と 頭を抱えて大げさに嘆きました。 すると こちらも多分当てが外れたであろう 隣の車のおじさんが クスッ! と笑ったんです。 それを聞いて すっかり機嫌の良くなったわたしは 元気に帰路に着きました。 とさ。
自分を大切にするって わたしがわたしの子どもだったら わたしがわたしの親友だったら と 考えると うまくいくような気がします。 ただ甘やかすだけでなく 将来を見据えた助言や たとえ世界中の人が敵対しても わたしは味方だよって 言ってあげられます。
わたしの朝一番の贅沢は 小鳥のさえずりで目を覚ますことです。 澄んだ 軽やかで 美しい 高い音が大好きです。 ソプラノなので 真似てみたりもします。 ところが 日が昇るにつれ 鳩の低く くぐもった声が混じってきます。 わたしは それが 好きではありません。 聞きたくないなぁ と思うと なおさら 聞こえてくるものです。 すると なんと 「フウフ ハ ナカヨシ」 「フウフ ハ ナカヨシ」 「夫婦 は 仲良し」 と 聞こえてきました。 ありゃりゃ! 確かに 鳩さん夫婦は仲良しですものね。 鳩の声も まあいっかぁ となりました。
わたしは 結構おせっかいで 「こりゃあ いい!」 と思うと すぐさま 人に 伝えたくなってしまうのです。 でも ある時 ストレートな物言いをする友人に 「あんたが 今まで薦めたので 良かったのは パン教室だけじゃん」 と言われて 考えました。 わたしは 人の役に立つことで 自分の価値を 示そうとしていたのかもしれない と。 自分がまず満たされ 輝くことによって 他人が憧れ 聴いてくるまで 待っててもいいんだ。 急いで 十分な結果や 効果が得られてないものまで 人に薦めることは もうやめよう。 かえって 軽んじられるだけだ と。 まず自分! 自分が心地よく 機嫌よく 過ごすことが先 なんだね。
会ったとたんに 「太った?」とか 「瘦せた?」とかって言うの それより 「最近どう?」 「何か楽しいことあった?」とか 「わたしね 面白いの見つけたんだよ」とか わくわくするような話で 始めようよ
ゆるす前に 認めないと 傷ついたことを それを 受け止め 慰めてからの 話でしょ 傷つけた人を きれいごとで いいよ いいよ なんでも感謝だよ と ゆるして 付き合い続けるんじゃない 「わたしは 他の人に 絶対 あんなことをしない」 と 決心するんだ 自分の 肥やしにして 思いやりの花を 咲かせるんだ
「感謝する」は 言えるけど 「感謝しなさい」は 言えない 「許す」は 言えるけど 「許しなさい」は 言えない 待つしかないんだ その思いが 自然に芽生えるまで 「愛する」という言葉 欧米人ならまだしも わたしにはハードルが高い ましてや 見知らぬ「隣人を愛せよ」 なんて言われても 困る 「思いやる」「尊重する」なら 言いやすい そして 人として 「思いやりなさい」「尊重しなさい」も 言いやすい
「感謝しなさい」って 言うけれど 感謝は 内から湧くもので 強要されて 出せるもんじゃない 「ありがとうは?」って 礼儀として 子どもに 言わせたりはするけれど 「感謝しなさい」は なんか 押しつけがましくて 言えないなぁ
愛から出て 愛に還るのだから その間も 愛しかない 太陽のように あたたかい光が 分け隔てなく 注がれている 物事の背後にある 愛を見抜け わたしを責める要素など 微塵もない あるはずがない 責めや裁きの光など ありはしないのだ ただ 心地よく 光を浴びよう そして気づくんだ 自分が愛されていることに この出来事を通して さらに癒され 輝けることに