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2020/01/29

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  • 心学校 十八の四

    四苦八苦とは、「生(しょう)」「老」「病」「死」を四苦と言い、「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五薀盛苦(ごうんじょうく)」の四つを加えて合計八苦とするのです。最後から説明すると、五薀盛苦とは私たちの身心の形成が五つの要素で成立して盛んに苦しめていること。求不得苦とは、求める心は大きいけれども得ることが出来ない苦しみ。怨憎会苦とは、怨み憎しみに思うものと会わなければならない苦しみ。愛別離苦とは、必ず分かれなくてはならない苦しみをいいます。特に「愛」と「憎」しみは私たちの人生や社会での、避けて通ることが出来ない、最も大きな苦しみであるとも言えるでしょう。そして愛と思っていた心は、そっくりそのまま憎しみへと、一瞬のうちに変わって行くこともあるのです。心学校十八の四

  • 心学校 十八の三

    煩悩の中でも最も厄介なものとして三毒煩悩が説かれるのです。それは貧欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)をいい、一文字ずつで「貧(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」とも言われます。さらにお釈迦さまの法では四苦八苦が説かれます。京都にいるときでした。用務で市内を走行中、ラジオからこんな話が聞こえてきました。それは「お釈迦さまはすごい方ですね」「何で」「だって四苦八苦と言われるでしょう」「そうやね」「百八つの煩悩と言われるでしょう。」「うん」「四九三十六、八九七十二、あわせると百八つになるんですよね」。私は思わず唸ってしまいました。そう言われればそうだが、しかし・・・と。心学校十八の三

  • 心学校 十八の二

    では除夜の鐘はなぜ百八かというと煩悩の数だからといわれます。たしかに百八の煩悩と言いますが、煩悩の数はそれだけではなく、八万四千とも説かれています。ちなみにお数珠のたまの数は百八で首にかけるほどあったのです。しかしやがてその半分の五十四とか、三分の一の三十六とかになってきました。浄土真宗の念珠は、数にあまりとらわれず球のバランスで手にしっくりとなじむ大きさになるように作られています。心学校十八の二

  • 心学校 十八の一

    除夜の鐘をつきに行かれたことがありますでしょう。あるいはテレビなどで中継をご覧になったとか。除夜の鐘は百八つということですが、私は金沢別院時代、おいでになった方には出来るだけついていただきました。別院の境内には西別院消防隊の方々に協力願って年越しそばを用意し、鐘をつかれた方には金箔をのせたお餅をプレゼントしていました。幸い今でも続いていています。心学校十八の一

  • 心学校 十七の六

    とうとう決心して仏教を学んでみたいという気持ちになったのです。それは就職して仏教の本を読み、話を聞くことなどでも出来得たことかもしれません。でもその後、彼は私にとって人生の師匠だったのではないか、と思い当たったのです。彼の死がなかったならば、私は人生を生きる意味や宗教について考えなかっただろうと思います。また考えても自分勝手に理解してしまったかもしれません。まさに私にとっては、お寺から逃げていたのに、如来さまに「おわえとられた」感が強いのです。心学校十七の六

  • 心学校 十七の五

    真宗篤信者の方々がよく使われる言葉に、「ご催促」というものがあります。それは本来、如来(法蔵菩薩)の大きな願いの中を生きている私たちが、何かのきっかけが来るまで気がつかなかったという意味を込めた使用です。それは何故お寺にお参りして仏前にひざまずいているかというと、そのように仕向けられる働きによったのだ、という受け止め方です。決して、どうせ何をしても成るようにしかならないといった運命論とは違います。「自分がした」と思えたことが、「そう仕向けられた」とか、「させていただいた」という受け止め方に転回するのです。自己中心から(他の)願いに気づく宗教性の発露といってもいいのでしょう。心学校十七の五

  • 心学校 十七の四

    私は寺院の生まれですが次男だったので、お寺の跡継ぎをする必要がないという考えで育ってきたと、以前書きました。でもせめて仏教に心を寄せていたかというとそうではないのです。私だけではないと思うのですが、残念なことにお寺の子どもは後継者となることが、どうも好きではない人が多いように見えます。私は始めからその必要がないと思っていましたから、自分の人生はまったく勝手に考えていました。ところが以前書いたように、友人の死から人生に対する疑問が起こってきたのです。それが僧籍に入るきっかけとなったのでしたが、その時に心に強くうつった言葉がありました。地元の新聞にも死亡広告欄に掲載される言葉ですが、吉川英治さんの「人生我以外皆我が師なり」というものでした。心学校十七の四

  • 心学校 十七の二

    話は戻りますが、友人の死は(それも猟銃で自殺というショッキングな)私にとっては「ご催促」でした。皆さんは少なくともお寺で生まれたものは仏教を少しは理解しているとお考えではないでしょうか。でも私は違いました。まったくわからなかったのです。何故人間は自分でおのれのいのちを奪うことが出来るのでしょう。私もそのような状況になったときどうするだろうか、念仏を唱えて解決するのだろうか?それとも念仏によって彼岸の国に生まれ変わることを信じて喜んで死んで行くものなのだろうか?心学校十七の二

  • 心学校 十七の一

    摂取を親鸞聖人は「もののにぐるをおわえとるなり」と解釈されています。文字と意味は違いますが(予防)接種はいやなものでした。現在では三種混合ワクチンなどは口から飲むようです。でも私の(おそらく皆さんの)上腕部には大きな跡があります。接種の順番を待っていると、先に向かった友達が大きな声で泣き出すものですから、次々と並んでいる私たちは恐ろしくなって、列を乱して逃げ回ったものです。結局は先生に追いつかれて引っ張って行かれ、接種を受けることとなったのですが・・・。心学校十七の一

  • 心学校 十六の六

    石見(島根県)に浅原才市という篤信の人がありました。真宗では「妙好人」といいます。世に紹介されたのは金沢出身の鈴木大拙氏でした。この才市さんに「罪は渡さぬ喜びの種」という言葉があります。誰でも心の罪は持ちたくない、忘れたいものでしょう。でも才市さんは喜びの種だといいます。心が罪深いと気づく人こそは如来の目当てだと味わったのです。心学校十六の六

  • 心学校 十六の五

    干し柿は本来は渋柿ですね。しかしその渋が天日や風の作用で次第に甘みに変わり、美味しい干し柿に転換されるのです。親鸞聖人の教えの特徴は「転」にあるという方もあります。転とはころぶということですが、ころべば座標の軸が変わり、自らが表す面も変わります。煩悩を持っている私たちは煩悩具足の凡夫といわれます。愛と憎しみが入り乱れている心の姿ではないかと親鸞聖人はいわれます。愛する人とは離れがちであり、憎らしい気持ちを持つ人と隣り合う場面が多いのが人生であると説かれるのです。その気持ちを捨てきれない自分が、煩悩に束縛されているままの自分が、そのままで救われて行く目当てとなっているのです。心学校十六の五

  • 心学校 十六の四

    親鸞聖人は海をよく例えに引かれます。海の水はどのような川から流れ込む水でも、同じ一つの味に変えるのだと、その作用に感心されるのです。それは善人も悪人も、凡夫といわれるごく普通の小人でも聖人といわれる人でも、如来の救いの働きの前では全く同じことなのだといわれるのです。不思議なことは、清い水を集めた川の水も、泥だらけになった河の水も、海に流れ込んで行くと、それまでの自分の性質であった真水から、塩水へと転換されて行くことです。科学を習った私たちにとっては不思議でも何でもない、ごく当たり前のことなのですが、人間の例えとして引用されるとまったく不思議に思えるわけです。悟ることが出来る人も、覚ることが出来る人も、善を行ったと思っても悪の結果であったり、悪が混じっていたりする人生を送る私たちでも、如来の前には平等で、しかも悪...心学校十六の四

  • 心学校 十六の三

    平成二年一月に仏跡巡拝団でインドに行きました。ニューデリー空港に入り、仏跡の入り口であるパトナへ飛びました。海から遙かに奥に入っている町です。お釈迦さまは「海」をご覧になったことがあるのだろうか、と考えました。でもお釈迦さまは~仏の眼は四大海水の如し~と例えられますから、海をご存じだったのだと思います。心学校十六の三

  • 心学校 十六の二

    泳げないくせに海にもよく行きました。といっても歩いて六キロくらいはゆうにあります。夏の早朝から歩き始め、約一時間半かかって海に到着します。砂浜より岩場が好きで、磯遊びをしたものです。お昼にはおにぎり(子どもの頃は握り飯といっていましたが)を食べるのです。その時に海の水で手を洗うと、適当な塩気がしておにぎりがいっそう美味しくなったような気がしたものでした。心学校十六の二

  • 心学校 十六の一

    私の子どもの頃、小学校の一年生の時でしたか。田舎の小学校に敷設されているプールに落っこちたことがあります。秋も深まったころに近所の子ども数人とプールの端で遊んでいたのですが、水面の何かを取ろうとして落ちてしまったのです。泳げない私が洋服を着たままでプールに沈みました。でも人間は懸命になるもので、手足をバタバタさせます。今でも水中で目をあけられない私が、その時ははっきりと緑色の水の色が見え、少し身体が動いたら、梯子が見えました。もがきながら近づくことが出来て這い上がり、九死に一生を得たことがあります。水はだいぶ飲みました。心学校十六の一

  • 心学校 十五の七

    如来は、さとりを得ることが出来ないだけでなく他の諸仏諸菩薩によっては救われる種を持たない私たちに、必ず救い取ることが出来る力をもって働き続けている、だからそのままの救いなのです。心学校十五の七

  • 心学校 十五の六

    さだまさしさんの歌に「関白宣言」というのがありましたね。「おまえを嫁に、もらう前に、言っておきたい、ことがある、かなり厳しい、ことなど言うが~」といった調子でした。しかし本当は「いい人生だったと、きっと言うから」という心温まる歌詞でした。結婚する前に言っておきたいことが仮にあっても、だからといって何かを条件として結婚する人はいないのではないでしょうか。「あばたもえくぼ」とも言います。「そのままでいいから」というのが、しいて言えば結婚の条件だろうと思うのです。心学校十五の六

  • 心学校 十五の五

    以前にも述べたようにお釈迦さまの予言によると、自分の力で現世において仏になることは正法の時代ならまだしも、末法の世には修行を成就する人も、さとりを得る人もいなくなるのですから、さとりを実現可能にすることは、自分がほとけの国に「救われる」ことによって、そこで「さとり」を得るという理論になってくるのです。そこで親鸞聖人は滅法の時代でも特に残すことを約束された真実の経に説かれる、どのような人にも実行可能な念仏の法によって、ほとけの国(浄土)に生まれ変わり(往生)、さとりを開く(成仏が証明される)という如来による一方的な救いの道を明らかにされたのです。そのためにはかくかくしかじかの修行を成就しなければならないという条件はないのです。心学校十五の五

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