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2020/01/29

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  • 心学校 二十の七

    マゼランの艦隊が、アフリカの喜望峰を回り南米フォークランド諸島の沖を通り、世界一周をしたのは、一五一九年から一五二二年までかかったのです。その後、一八六九年にスエズ運河がフランス人レセップスによって開通し、地球を横さまに容易に乗り超えられるようになったことを考えると、横・竪・出・超のイメージがわいてくるのではないでしょうか。心学校二十の七

  • 心学校 二十の六

    それに対して念仏とはどのような道かというと、横に如来の力によって超えさせていただく道と表現すればよいのでしょうか。竪は時間軸に、横は空間軸に考えても良いのではないかと思います。自力で竪に進む道は多くの困難と多大な時間が必要です。しかし仏力で横に超えさせていただく道とは、現在の自分のポジションが、すでに如来に包まれて存在している状況を示しているのです。竪を目指す立場では私の彼方に仏があるのですが、横に気づく立場では私とともに仏があるのです。竪をめざす側で使用すると「他力」は他の人の力となります。しかし横に気づく側で使用すると他力は自分のそばにいて下さる仏力になるわけです。心学校二十の六

  • 心学校 二十の五

    いや自分には出来そうだという場合もあるでしょうが、虫が竹の節を順々に破って進むように菩薩の道は五十一の階段があります。その中には四十六番目に「菩薩の死」と呼ばれる場面があり、それを乗り超えた菩薩はもう後に戻ることはないという不退の位に達したとされ、歓喜地の菩薩と呼ばれます。ところが五十一番の位に達しても、五十二番目の仏の位に至るには自力では到達できず、仏の力を借りなければならないとされています。心学校二十の五

  • 心学校 二十の四

    一般的な仏教の教義では究極の目標は「成仏」することで、「私」が「如来=仏=さとりを得た存在」に成るということなのです。そのためには自分で出来ることと、自分の微少な力では出来ないことがあるのです。成仏の道は信じて修行することが肝要なのです。そして仏道を修行する人が一定の水準に達したときに「菩薩」と呼ばれるのです。しかしこの世相の中で私たちが修行に没頭できるものなのか、考えてみなければなりません。また修行しようと決心してもそれがしばらく経つとその決心もどこへやら、という私たちの心ではないでしょうか。心学校二十の四

  • 心学校 二十の三

    考えてみると、私たちは幼いときから「自分で」ものごとをするようしつけを受けてきました。私も幼稚園で園児に話すとき、自分が自主的にやっているかどうかということをうながすように心がけています。人生の社会生活を送るのにはまったく当然なことで、いつまでも両親や年長の家族に手取り足取りの世話をやいてもらえるはずはありません。だから躾の面で私たちが教育してゆくことは「他者依存」の生き方ではダメなのだということなのです。心学校二十の三

  • 心学校 二十の二

    虫は節を破って「竪(たて)」に進んで最後の節を破って外に「出」るという考え方があります。竪に進むのですから長い時間と、自分の力で前進して行くのですから絶え間ない多くの努力が必要であると推測できます。ところが「横」の壁を破ればいいのではないか、という考えもできるのです。横になら距離も短く、作業も容易ではないでしょうか。さらに壁を自分の力で破るのではなく、自分を「超」えた力で破ってしまったらと、如来の力に頼るのだという論理構造となるのです。心学校二十の二

  • 心学校 二十の一

    筍の季節です。今年は当たり年とかです。やがて生長した竹にはご承知のように多くの節があります。念仏の教えを例えるのに、この竹の中にいる虫が外に出る場合どのようにするかという横超(おうちょう)・竪出(しゅしゅつ)というものがあるのです。心学校二十の一

  • 心学校 十九の六

    最初にお話しした幼児期のヤンチャ性でしたが、許されて明るい外に出されたときには何とも言えない、安心した気持ちになったものです。しかしそれでも続いてヤンチャをすることは、そのことによって普段よりもっと目をかけ、もっと手をかけてもらえることのぬくもりを感じていたのだろうと思います。実子である私は、幼稚園の先生として他の多くの園児をまんべんなくかわいがる父や母を取り戻そうと、仲の良い友達さえも憎い存在になるという複雑な感情が支配する幼児期をおくった想い出があります。父も母も、手をかけてやりたいが他の子との関係を考えると、あえて無視することが平等だと思っていた節もあるような気がするのです。しかし行儀の悪い私を捕まえる父の手は、とても温かだったような、心が伝わってくるような気がするものでした。心学校十九の六

  • 心学校 十九の五

    ところで絶対矛盾的自己同一というのがありました。それは法蔵菩薩が救われざるものをこそ救わずにはおかないという願いを立て、師・世自在王仏の前に誓って修行を成就し上げ、阿弥陀如来となった。ということは私に煩悩があるからこそ、その煩悩が頑強であるが故に、この私こそが如来の救いの目当てであるという論理になるのです。救われない者こそが救われるという「絶対矛盾」は、実にダイナミックな救済の論理となって完全性をもってくるのです。心学校十九の五

  • 心学校 十九の四

    如来はまさにそのように働く力を成就したわけで、早く救いを完成するためには直接光の輝きを届けたいところなのでしょうが、煩悩の雲が厚く私たちが直接感じ取れないわけです。私たちの煩悩は如来の光を遮るほどの頑強さを持っているしぶといもので、この煩悩を除去できたらさとりを開けるのですが、如来の力に比べたらはるかに小さな私たちの力をもってしては出来ないことなのです。心学校十九の四

  • 心学校 十八の七

    お釈迦さまは、「愛は愛より生じ、愛より憎しみは生ずる。憎しみより愛は生じ、憎しみより憎しみは生ずる」と言われます。親鸞聖人は九歳で出家得度され、二十九歳まで比叡山で勉学修行を続けられました。だが真実を求める心が愛憎の雲で覆われるのです。「愛欲の広海に沈没し名利の大山に迷惑す」と述懐されます。しかし如来はそのような者だからこそ、救い取らずにはおれないのです。心学校十八の七

  • 心学校 十八の六

    仏教で「愛」を煩悩とするのは、キリスト教でいう愛と違う面を指しているからです。普遍的な他の生命を思いやる心を仏教では「慈悲」と表現します。愛については愛着とか渇愛(かつあい)、愛執(あいしゅう)、愛欲などと、愛にとらわれて自分が思うようにならない様を表現する場合に使います。愛し合うというと聞こえは良いのですが、愛し合う者同士はそれ以外に対して排他性を持ってしまいます。心学校十八の六

  • 心学校 十八の五

    日本の警察は世界でも優秀な検挙率だといわれてきました。その根底には愛憎の問題が大きく横たわっている私たちの社会状況があります。生命を蹂躙する事件の原因には憎しみが渦巻き、その元には愛を受け入れられなかった怨みがあるという人間の本性があるのではないでしょうか。心学校十八の五

  • 心学校 十八の四

    四苦八苦とは、「生(しょう)」「老」「病」「死」を四苦と言い、「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五薀盛苦(ごうんじょうく)」の四つを加えて合計八苦とするのです。最後から説明すると、五薀盛苦とは私たちの身心の形成が五つの要素で成立して盛んに苦しめていること。求不得苦とは、求める心は大きいけれども得ることが出来ない苦しみ。怨憎会苦とは、怨み憎しみに思うものと会わなければならない苦しみ。愛別離苦とは、必ず分かれなくてはならない苦しみをいいます。特に「愛」と「憎」しみは私たちの人生や社会での、避けて通ることが出来ない、最も大きな苦しみであるとも言えるでしょう。そして愛と思っていた心は、そっくりそのまま憎しみへと、一瞬のうちに変わって行くこともあるのです。心学校十八の四

  • 心学校 十八の三

    煩悩の中でも最も厄介なものとして三毒煩悩が説かれるのです。それは貧欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)をいい、一文字ずつで「貧(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」とも言われます。さらにお釈迦さまの法では四苦八苦が説かれます。京都にいるときでした。用務で市内を走行中、ラジオからこんな話が聞こえてきました。それは「お釈迦さまはすごい方ですね」「何で」「だって四苦八苦と言われるでしょう」「そうやね」「百八つの煩悩と言われるでしょう。」「うん」「四九三十六、八九七十二、あわせると百八つになるんですよね」。私は思わず唸ってしまいました。そう言われればそうだが、しかし・・・と。心学校十八の三

  • 心学校 十八の二

    では除夜の鐘はなぜ百八かというと煩悩の数だからといわれます。たしかに百八の煩悩と言いますが、煩悩の数はそれだけではなく、八万四千とも説かれています。ちなみにお数珠のたまの数は百八で首にかけるほどあったのです。しかしやがてその半分の五十四とか、三分の一の三十六とかになってきました。浄土真宗の念珠は、数にあまりとらわれず球のバランスで手にしっくりとなじむ大きさになるように作られています。心学校十八の二

  • 心学校 十八の一

    除夜の鐘をつきに行かれたことがありますでしょう。あるいはテレビなどで中継をご覧になったとか。除夜の鐘は百八つということですが、私は金沢別院時代、おいでになった方には出来るだけついていただきました。別院の境内には西別院消防隊の方々に協力願って年越しそばを用意し、鐘をつかれた方には金箔をのせたお餅をプレゼントしていました。幸い今でも続いていています。心学校十八の一

  • 心学校 十七の六

    とうとう決心して仏教を学んでみたいという気持ちになったのです。それは就職して仏教の本を読み、話を聞くことなどでも出来得たことかもしれません。でもその後、彼は私にとって人生の師匠だったのではないか、と思い当たったのです。彼の死がなかったならば、私は人生を生きる意味や宗教について考えなかっただろうと思います。また考えても自分勝手に理解してしまったかもしれません。まさに私にとっては、お寺から逃げていたのに、如来さまに「おわえとられた」感が強いのです。心学校十七の六

  • 心学校 十七の五

    真宗篤信者の方々がよく使われる言葉に、「ご催促」というものがあります。それは本来、如来(法蔵菩薩)の大きな願いの中を生きている私たちが、何かのきっかけが来るまで気がつかなかったという意味を込めた使用です。それは何故お寺にお参りして仏前にひざまずいているかというと、そのように仕向けられる働きによったのだ、という受け止め方です。決して、どうせ何をしても成るようにしかならないといった運命論とは違います。「自分がした」と思えたことが、「そう仕向けられた」とか、「させていただいた」という受け止め方に転回するのです。自己中心から(他の)願いに気づく宗教性の発露といってもいいのでしょう。心学校十七の五

  • 心学校 十七の四

    私は寺院の生まれですが次男だったので、お寺の跡継ぎをする必要がないという考えで育ってきたと、以前書きました。でもせめて仏教に心を寄せていたかというとそうではないのです。私だけではないと思うのですが、残念なことにお寺の子どもは後継者となることが、どうも好きではない人が多いように見えます。私は始めからその必要がないと思っていましたから、自分の人生はまったく勝手に考えていました。ところが以前書いたように、友人の死から人生に対する疑問が起こってきたのです。それが僧籍に入るきっかけとなったのでしたが、その時に心に強くうつった言葉がありました。地元の新聞にも死亡広告欄に掲載される言葉ですが、吉川英治さんの「人生我以外皆我が師なり」というものでした。心学校十七の四

  • 心学校 十七の二

    話は戻りますが、友人の死は(それも猟銃で自殺というショッキングな)私にとっては「ご催促」でした。皆さんは少なくともお寺で生まれたものは仏教を少しは理解しているとお考えではないでしょうか。でも私は違いました。まったくわからなかったのです。何故人間は自分でおのれのいのちを奪うことが出来るのでしょう。私もそのような状況になったときどうするだろうか、念仏を唱えて解決するのだろうか?それとも念仏によって彼岸の国に生まれ変わることを信じて喜んで死んで行くものなのだろうか?心学校十七の二

  • 心学校 十七の一

    摂取を親鸞聖人は「もののにぐるをおわえとるなり」と解釈されています。文字と意味は違いますが(予防)接種はいやなものでした。現在では三種混合ワクチンなどは口から飲むようです。でも私の(おそらく皆さんの)上腕部には大きな跡があります。接種の順番を待っていると、先に向かった友達が大きな声で泣き出すものですから、次々と並んでいる私たちは恐ろしくなって、列を乱して逃げ回ったものです。結局は先生に追いつかれて引っ張って行かれ、接種を受けることとなったのですが・・・。心学校十七の一

  • 心学校 十六の六

    石見(島根県)に浅原才市という篤信の人がありました。真宗では「妙好人」といいます。世に紹介されたのは金沢出身の鈴木大拙氏でした。この才市さんに「罪は渡さぬ喜びの種」という言葉があります。誰でも心の罪は持ちたくない、忘れたいものでしょう。でも才市さんは喜びの種だといいます。心が罪深いと気づく人こそは如来の目当てだと味わったのです。心学校十六の六

  • 心学校 十六の五

    干し柿は本来は渋柿ですね。しかしその渋が天日や風の作用で次第に甘みに変わり、美味しい干し柿に転換されるのです。親鸞聖人の教えの特徴は「転」にあるという方もあります。転とはころぶということですが、ころべば座標の軸が変わり、自らが表す面も変わります。煩悩を持っている私たちは煩悩具足の凡夫といわれます。愛と憎しみが入り乱れている心の姿ではないかと親鸞聖人はいわれます。愛する人とは離れがちであり、憎らしい気持ちを持つ人と隣り合う場面が多いのが人生であると説かれるのです。その気持ちを捨てきれない自分が、煩悩に束縛されているままの自分が、そのままで救われて行く目当てとなっているのです。心学校十六の五

  • 心学校 十六の四

    親鸞聖人は海をよく例えに引かれます。海の水はどのような川から流れ込む水でも、同じ一つの味に変えるのだと、その作用に感心されるのです。それは善人も悪人も、凡夫といわれるごく普通の小人でも聖人といわれる人でも、如来の救いの働きの前では全く同じことなのだといわれるのです。不思議なことは、清い水を集めた川の水も、泥だらけになった河の水も、海に流れ込んで行くと、それまでの自分の性質であった真水から、塩水へと転換されて行くことです。科学を習った私たちにとっては不思議でも何でもない、ごく当たり前のことなのですが、人間の例えとして引用されるとまったく不思議に思えるわけです。悟ることが出来る人も、覚ることが出来る人も、善を行ったと思っても悪の結果であったり、悪が混じっていたりする人生を送る私たちでも、如来の前には平等で、しかも悪...心学校十六の四

  • 心学校 十六の三

    平成二年一月に仏跡巡拝団でインドに行きました。ニューデリー空港に入り、仏跡の入り口であるパトナへ飛びました。海から遙かに奥に入っている町です。お釈迦さまは「海」をご覧になったことがあるのだろうか、と考えました。でもお釈迦さまは~仏の眼は四大海水の如し~と例えられますから、海をご存じだったのだと思います。心学校十六の三

  • 心学校 十六の二

    泳げないくせに海にもよく行きました。といっても歩いて六キロくらいはゆうにあります。夏の早朝から歩き始め、約一時間半かかって海に到着します。砂浜より岩場が好きで、磯遊びをしたものです。お昼にはおにぎり(子どもの頃は握り飯といっていましたが)を食べるのです。その時に海の水で手を洗うと、適当な塩気がしておにぎりがいっそう美味しくなったような気がしたものでした。心学校十六の二

  • 心学校 十六の一

    私の子どもの頃、小学校の一年生の時でしたか。田舎の小学校に敷設されているプールに落っこちたことがあります。秋も深まったころに近所の子ども数人とプールの端で遊んでいたのですが、水面の何かを取ろうとして落ちてしまったのです。泳げない私が洋服を着たままでプールに沈みました。でも人間は懸命になるもので、手足をバタバタさせます。今でも水中で目をあけられない私が、その時ははっきりと緑色の水の色が見え、少し身体が動いたら、梯子が見えました。もがきながら近づくことが出来て這い上がり、九死に一生を得たことがあります。水はだいぶ飲みました。心学校十六の一

  • 心学校 十五の七

    如来は、さとりを得ることが出来ないだけでなく他の諸仏諸菩薩によっては救われる種を持たない私たちに、必ず救い取ることが出来る力をもって働き続けている、だからそのままの救いなのです。心学校十五の七

  • 心学校 十五の六

    さだまさしさんの歌に「関白宣言」というのがありましたね。「おまえを嫁に、もらう前に、言っておきたい、ことがある、かなり厳しい、ことなど言うが~」といった調子でした。しかし本当は「いい人生だったと、きっと言うから」という心温まる歌詞でした。結婚する前に言っておきたいことが仮にあっても、だからといって何かを条件として結婚する人はいないのではないでしょうか。「あばたもえくぼ」とも言います。「そのままでいいから」というのが、しいて言えば結婚の条件だろうと思うのです。心学校十五の六

  • 心学校 十五の五

    以前にも述べたようにお釈迦さまの予言によると、自分の力で現世において仏になることは正法の時代ならまだしも、末法の世には修行を成就する人も、さとりを得る人もいなくなるのですから、さとりを実現可能にすることは、自分がほとけの国に「救われる」ことによって、そこで「さとり」を得るという理論になってくるのです。そこで親鸞聖人は滅法の時代でも特に残すことを約束された真実の経に説かれる、どのような人にも実行可能な念仏の法によって、ほとけの国(浄土)に生まれ変わり(往生)、さとりを開く(成仏が証明される)という如来による一方的な救いの道を明らかにされたのです。そのためにはかくかくしかじかの修行を成就しなければならないという条件はないのです。心学校十五の五

  • 心学校 十五の四

    親鸞聖人は「証」という文字で「さとり」をあらわされるのです。主著『教行信証』にも「証」を解釈して~この上ないさとりの果~という意味で使われているのであって、浄土真宗でいう「さとり」とは「あきらかになる」という意味に理解される気がするのです。それは自らがもっているさとりも、自分が気づいたさとりも、いずれも現世においてのものですが、浄土教ではこの世は穢土、さとりは浄土において得るものと考えるからです。心学校十五の四

  • 心学校 十五の三

    覚はお釈迦さまが六年間の難行苦行の末にその方法を捨て、スジャータという名の娘が供養した乳粥を口にして、苦行者ではなく通常の自分として瞑想に耽り、ついに十二月八日の暁に正覚を得られたのです。それ故にお釈迦さまは「自分が説こうが説くまいが仏教という真理は世界に普遍しているのだ」といわれるのです。それは仏教のさとりという世界に「気づかれた」さとりであったと言えるでしょう。心学校十五の三

  • 心学校 十五の二

    悟の主体は自分、覚の主体は自分に働き続ける大きな力ではないでしょうか。もちろん両面が備わって「覚悟」という言葉があり、私たちは「他にどうしようもない状況の中で、自らもそれしかないとうなずいた状態」に使用しています。すなわち覚は周囲から示され、悟は自らが決めるというわけです。悟は大悟という仏語があるように、自分の力で、あるいは座禅のように厳しく自らを見つめる修行によって、翻然として自分の中に本来ほとけの力を持っていると見極めてゆくさとりです。心学校十五の二

  • 心学校 十四の六

    お経には劫濁(社会のにごり)、見濁(思想のにごり)、煩悩濁(欲望によるにごり)、衆生濁(道徳のにごり)、命濁(時代による生命のにごり)と五濁が説かれます。このような状況の中で、さとりの境地を求めても、現在の人生の中で得ることは不可能なのだと仏教は教えるのです。そこには救いによるさとりの境地への到達しか道はないのだと、法蔵菩薩は救いの力を成就しあげた、その実の言葉を大切にする、それが念仏の心なのです。心学校十四の六

  • 心学校 十四の五

    お釈迦さまの予言通り、私たちの社会や人は時代と共に濁ってきています。便利な世の中にはなりました。洗濯機の普及によって洗濯板という品物を知っている世代も少なくなってきたようです。ガスコンロや電気ヒーターなどエネルギーの変化で、火吹き竹という道具も必要なくなってしまいました。お米は農家の方の手が八十八回かかっている、菩薩さまが宿っていらっしゃるからと床に落ちたご飯粒も大切にしたのが、床に落ちた食べ物はばい菌が付着しているからという理由で捨てる豊かな時代になりました。でも今の時代に不安を感じていない人は少ないのです。地球環境も国家財政もどうなるのでしょう・・いや、その原因は実に我々個人の欲望を満足させようとする営みにあったのではなかったでしょうか。心学校十四の五

  • 心学校 十四の四

    さらに仏教が各宗派を立てるのには教典の解釈によるのです。お釈迦さまの数多くのお経を八万四千の法門というのですが、実際には約二千五百の教典があり、その中でお釈迦さまの本意を端的に説いているとして取り上げるお経と、その解釈の違いによって宗派が出来るのです。親鸞聖人は浄土教典の中に「特に此のお経を百年留めおく」という文言に着目され、法が滅した後にこの経(仏説無量寿経)に説かれた教えが真実を発揮すると慶ばれたのです。心学校十四の四

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    https://drive.google.com/drive/folders/18ihxNP0Aq5eyBNguRvhIYAvLTS-_st2sThisisatest

  • 心学校 十四の三

    仏教は末法の後、すなわちお釈迦さま入滅後一万一千五百年を過ぎるとどうなるかというと、「滅法」の時代がくるのです。この時には教義さえも無くなってしまうという終末思想のように聞こえる時代観なのですが、お釈迦さま入滅後五十六億七千万年経つと「弥勒菩薩」が如来となってこの世に現れ、第二の釈迦として人々を救済するのだという救済論を持っているのです。心学校十四の三

  • 心学校 十四の二

    お釈迦さまの誕生は、現在では紀元前四百六十三年と考えられています。何分古い時代のことで、どのように考証するかというと、インドでお釈迦さまから約二百年後にアショーカ王という高徳な王朝があり、インドの各地にお釈迦さまの業績を讃える高い石碑を建て、それに讃嘆する字句を彫り込んだので、その碑文を分析するとお釈迦さまの入滅年などがわかるのです。ところが平安時代には源信僧都が比叡山横川で『往生要集』を著された頃、すでに末法の時代に入ったと計算されていました。それからの日本はまさに戦乱の世になっていくわけで、末法思想は広く民衆にも実感できる仏教の時代観であったのです。心学校十四の二

  • 心学校 十四の一

    お釈迦さまの予言がいくつかあります。その中で正像末というものは、仏教の時代観、社会観ひいては人間観です。お釈迦さまは自分が入滅した後、最初の五百年間は仏教の教義もありそれを修行する人もありさらにさとりを得る人もある、その五百年の時代を「正法」の時代といいます。次の千年間は仏教の教義もありそれを修行する人もあるが、さとりを得る人はいなくなるといわれる「像法」の時代となります。そして次の一万年間は教義はあるが、修行してさとりを得る人はなくなってしまう「末法」の時代が続きます。心学校十四の一

  • 心学校 十三の五

    また反対に呼ぶ側においては、好きな人の名前を呼ぶ時の心には、疑心や不信があるわけがありません。気持ちは定まっているわけです。誠心誠意、真心をもってその方の名前を呼びます。胸がワクワクする、動悸が起こるほど嬉しい気持ちがこみ上げてきませんか?いやそれだけではない、呼ぶことは恥ずかしくて出来なくても、その相手の名前を思うことだけでも、自分の心が充実したり豊かになったり、安らぎをおぼえるのではないでしょうか。心学校十三の五

  • 心学校 十三の四

    私の三人の子には、それぞれに様々な思い出があります。皆さんもそうでしょう。しかしすべての子に共通した、同じものがあります。それは私も母親も、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんな自分の名前(ママというような)を呼ばせようと一生懸命になったことです。このことはどの子にも同じで、一番上の子だけで終わったわけではなく、次も、その次も同じことを繰り返していました。そしてパパとかママとか言おうものなら喜色満面、小さな幸せを感じたものです。何故でしょう?おそらく自分の名前を呼ばれるということは、自分が相手に認識されたという証だからと考えるからではないでしょうか。名を呼ばれたそのときから、通じ合うものがしっかりと実感されてくる。心学校十三の四

  • 心学校 十三の三

    西田先生の「絶対矛盾的自己同一」が相対の自分が絶対の阿弥陀如来の働きに矛盾的に同位置されるということなのです。それは「さとり」を得ることができなくて生死の相対世界にもがいている者が、必ず救い取られるさとりの境地に生まれ変わらせられるのです。それも私が行うことは如来の名を呼ぶという、念仏申すといだけで如来の側で完成させるのです。私が阿弥陀如来と同じ存在になるということになります。それを教えるためにお釈迦さまはこの世に現れてくださったのです。心学校十三の三

  • 心学校 十三の二

    ところが永遠を普遍が存在する状況という価値の世界と見れば、永遠とは身近なものとなってくるのではないでしょうか。永遠に私が生きるというのではなくて、「私が生きている」という事実は永遠に存在するのだという受け止め方です。親鸞聖人は九十歳のご生涯を生きられた、というのは永遠に真理として有るわけですね。生きる死ぬという人生の中に考えを置くと、永遠の存在が遠く対比されてしまうのですが、先のような価値観によると永遠に包み込まれている自分という存在が、もう一つ考えられてきませんでしょうか。生死という相対そのままが、永遠という絶対と共にある、しかもそれは離れてあるのではなく、相対的に存在しているそのままが絶対の世界として存在しているということなのです。心学校十三の二

  • 心学校 十三の一

    私の母は大正九年生まれ、母方の祖母は明治二十三年生まれでした。母の生まれた寺は島根県と広島県の県境に近く、三益愛子さんが「荷車のうた」という貧しいながらも心豊かに生きる女性の映画に主演した、そのロケ地のあたりです(といっても、ある年代からはチンプンカンプンの話でしょうが)。祖母の里まで五里(約二十キロ)、その道を母たち親子で歩いて泊まりにいったのです。幼い頃のことだそうで、歩いても歩いても目的地に着かないもどかしさに、母は何度も「あと何里?」と聞くのですが、答えは決まって「あと四里、四里」というものだったといいます。「百里の道を行くものは九十九里をもって半ばとす」という言葉がありました。実際の道はやがて目的地に至り着きますが、「永遠」には永遠に到着しないのでしょう。だからいつまでも「半ば」なのです。永遠というこ...心学校十三の一

  • 心学校 十二の四

    その頃です。「念仏は行動である」という言葉が使われ始めました。考えてみると、「さとりの境地」を得るとは自己満足ではないのか、「さとりの境地」とは全員で進む行き先ではないのか、みんなで行動することこそが、自己を後にして、先に他に善いことを差し上げるという仏教の利他なのだと思い始めたのでした。念仏の世界では今生きているイノチにおいて「さとり」を得られるのではなく、さとりに向かって進んでいる今日と言えるのです。心学校十二の四

  • 心学校 十二の三

    大学四年の夏、幼稚園から中学卒業まで全く同じクラスだった親友が、猟銃で自殺してしまったのです。彼は人間ドックで検診を受け、どこも異常がないと誇っていました。危険物取扱者乙種試験にも合格し、中卒でもここまでやれるんだと誇らしげに言っていたのですが、その彼が突然去っていったのでした。この出来事は、「さとりの境地」という難しい宗教情操に決別した人生を歩むことが出来ると思っていた幼少年期を送った私にとっては、全く逆の、「さとりの境地」とは何かということを問いつめられた転換点であった気がします。お葬式が済んでも、秋になっても心の霧が晴れないのです。龍谷大学で仏教を学ぼうと思ったのは、このような心の激動からの帰結でした。でも学問で「さとりの境地」を得ることが出来るものでもなさそうですし、難解な用語に頭を悩ますことになってし...心学校十二の三

  • 心学校 十二の二

    「さとり」・・・高尚な響きを持ちながら、その実、受け取る人によってさまざまな解釈が出来るのがこの言葉ではないでしょうか。私も中学から高校時代に同じような考えを持ちました。私は十一上の姉と、九つ上の兄との三人兄弟です。途中に戦争をはさむので、大きく年が開いています。私は二男だからお寺の跡を継がなくても良いとの思いでしたし、周囲もそのように言ってくれていました。私の心の中にも「さとりの境地」などというものは、あるとしても現実にそこに定住することなど出来ない自分だという思いが強く、むしろ現実の社会にどのように対応して行くかということの方が重要で、当時世界が注目していたシュバイツァーの事業に憧れ、医者を目指したものです。私の姉もご縁あって医家に嫁いでいましたので、必然的にこの流れは強くなりました。心学校十二の二

  • 心学校 十二の一

    この連載に対してお手紙をいただきました。その中に次のように書かれていました。【私はこの近年迷いが生じてきて、時折痛切に「さとりの境地」と言ったものを妄想していることに気づきます。「さとりの境地」といったものは確か中学生か高校生のころに妄想し、そしてある時期にきっぱり捨てたはずだったのですが。つまり私は「さとりの境地」とは妄想だ、と言おうとしているのではなく、「さとりの境地」とは妄想するものだ、と言ってみたい気がしているらしいのです。】心学校十二の一

  • 心学校 十一の五

    宗教では絶対者の存在を用いるのですが、絶対は相対とは違うのです。面倒な言い方ですが、「絶対」という表現をする場合は相対をのり超えた表現と、「絶対~出来ない」という相対的なだめ押しの表現とがあるのです。絶対ダメは力の押し付けで後者の用法です。宗教で言う絶対者とは、自分では何もできない赤ん坊に、滋養を与え、排便の世話を焼き、見捨てることの出来ない母のような力なのです。心学校十一の五

  • 心学校 十一の四

    一九〇九年、学習院教授となって上京し、その翌年京都帝国大学文科助教授(倫理学担当)に招かれ、一九一一年に有名な『善の研究』が出版されたのです。一九一三(大正二)年教授昇官、一九二八(昭和三)年京大を定年退官、一九三三年、鎌倉稲村ヶ崎に移住して研究に没頭されたのです。一九四五年、長女を四月に亡くした後六月七日、七五歳で鎌倉七里ヶ浜姥が谷の別荘において逝去されたのです。遺族は相談の結果遺骨を三分割して、一つは故郷の宇ノ気村長楽寺境内(現在は共同墓地へ移転)、もう一つは旧友の鈴木大拙氏とともに鎌倉山内東慶寺へ、さらに今ひとつは京都妙心寺山内霊雲院前庭へと納めたのでした。心学校十一の四

  • 心学校 十一の三

    一八九一年、帝国大学文科大学哲学科選科(東京大学)に入学したのですが、選科生は本科生と差別され「人生の落伍者」となったような気がしたそうです。さらにこの頃、父が事業に失敗して破産、一八九四年、帝国大学を卒業したのですが選科生は就職も難しく、ようやく石川県尋常中学校七尾分校の教諭となり、翌年には第四高等学校のドイツ語の講師となることが出来ました。一八九七年、山口高等学校へ、さらに一八九九年、第四高等学校教授となることが出来ましたが、日露戦争で弟が戦死、一九〇七年には次女と五女を相次いで亡くし、やがて妻も病死、長男も亡くなるという悲しみも続きました。心学校十一の三

  • 心学校 十一の二

    宇ノ気町に生まれた西田幾太郎先生が、「絶対矛盾的自己同一」と表現されたのは、まさに救われざるもの=自己、が如来の完全性によって必ず救われて行く対象となっていることへの解決であったと思われます。郷土の先輩・西田先生についてご生涯を概略しておきましょう。先生は一八七〇(明治三)年五月十九日石川県河北郡宇ノ気村森レ八十二番地において、父・得登(やすのり)三十六歳、母・寅三(とさ)二十八歳の長男として出生しました。代々大庄屋を勤める富裕な旧家で、母は浄土真宗の熱心な信者でした。一八八三(明治十六)年石川県師範学校予備科に入学し、まもなく姉とともにチフスにかかり姉は病死、「余は此時始めて人間の死がいかに悲しき者なるかを知り、人なき所に至りて独涙を垂れ幼き心にも若し余が姉に代わりて死し得るものならばと心から思ったこともあっ...心学校十一の二

  • 心学校 十一の一

    心の塵は欲望としてすべてに存在します。ほしいという欲求が経済を営ませ、より良いものを提供して欲しいという願いが知識を向上させ、技術を振興してゆきます。仏教では欲求は煩悩であり、知識はとらわれとして悟りの障碍となります。したがって現代社会生活を送りながら、自己清浄による悟りの道を求めることは理論的に不可能なのです。ところが法蔵菩薩の願いはすべての生命を救うという大きな願いであり、それ故に悟りを得ることが出来ない者こそを救わなければならない、という矛盾性をはらんでいるのです。心学校十一の一

  • 心学校 十の六

    光に対するものは何かというと「闇」なのです。闇の中を生きるのに、求めるものは何かというと光なのです。「闇を破るものは闇ではなく、光によってである」という言葉があります。私たちの生活は闇の中を彷徨(さまよ)うことに例えられ、それ故に「一筋の光明」という言葉が、何事においてもよく使われるのではありませんか?(光)輝く表情、(光で)明るい気持ちなど、私たちの日常生活でも人生の価値ある意味として光が重視されているのではないでしょうか。しかも発している光には、熱、あたたかみがこもっているのです。あたたかみは安心を生み出すのです。心学校十の六

  • 心学校 十の五

    清々しくなると喜びが出ます。それが歓喜光の働き、それは智慧の世界から働きかけているのだということが智慧光なのです。絶え間ない光が放たれていることが不断光、いろいろと解説しても本当はあらわし尽くせない、私たちの心で思うことも難しいほど高次元な光が難思光、口で言い表すことが難しい、称賛してもしてもつくせない光が無称光なのです。心学校十の五

  • 心学校 十の四

    自己を問う、生きていること(存在する)を考える、意味に気づくことから価値が発生し、ただ、本能のまま、うまく生きているあり方とは違った清浄な人生が明らかになると思います。しかもそれは自分が気づくのではなく、気づかされたのだという受けとめ方、そこに「己」が頭をもたげている世界とは違ったすがすがしさを感じるのではありませんか。身体はアルコールを含んだガーゼで消毒することによって清潔になります。しかし心とか自分の存在とかは物質では清浄になりません。したがって清浄も自分が作るのではなく、清浄光が届いているからこそ実現すると言えるのです。心学校十の四

  • 心学校 十の三

    次に生+(存)=生存があります。これは生き延びて行こうという意志がはっきりします。たくましく生きるということであり、本能に基づく行動をとります。さらに生+(活)=生活となります。生き活きと過ごすと言えば聞こえは良いのですが、特に社会生活にはさまざまな制約や約束事があります。したがって生活には、うまく生きるということが求められ、適応の行動をとります。しかしここまでは人生の本当の価値を表すものではなく、もう一つ私の造語ですが、□+生があるのではないかということです。それは(受)+生=受生、いただいた命ということです。生きていると思っている私が、実は生かされているのだと気づくとき、そこには意味を考える行動が発生してきます。心学校十の三

  • 心学校 十の二

    私は金沢刑務所や湖南学院で被収容者(受刑者という言い方はしない)への新入時教育と希望教誨に出向いて行きました。初めての教育の時は強制教育なので、特定の宗教教育は出来ないのです。そこで二十七人の教誨師(施設長を経て法務省から委嘱されている)が統一して「人生について」という題で一時間をもらっています。私は生+□という□に入る文字をさがしながら、話を進めます。まず生+(命)=生命です。極限的にはただ生きている状態であり、反射の行動をとります。心学校十の二

  • 心学校 十の一

    世相はにぎやかです。そしていつの世も政界の浄化がさけばれます。法蔵菩薩の行く手も深刻です。何故なら救いの対象とするすべての生命、その全てを救うには一般論理では救われざるものをこそ救わなければ、一切衆生を救い取ることが成就しないからです。救われざるものを救うのはなぜでしょうか。それは善を行うことが出来ないからなのです。「善」とは正しい道理に従い、道徳にかなう良いことなのでしょうが、そのような人ばかりで世間が構成されていないことは十分ご承知のことでしょう。心学校十の一

  • 心学校 九の六

    私の強烈な思いでの一つに、第十八回東京オリンピックがあります。一九六四(昭和三十九)年十月十日、私は高校一年生でした。学校はその日、午前中で授業をうち切り、それぞれ家に帰ってオリンピックの開会式を見ました。私のお寺もこの時初めてテレビを入れました。「世界中の青空を集めてきたような・・・」という名文句で始まった中継、坂井良則君が点火して聖火は炎を上げて燃え続けました。しかし閉会式でその聖火は消され、一つのイベントが終わったという感が寂しく胸を打ちました。不思議なことに現実の光は消えたのですが、今でも私の心の中ではその光景が燃え続け、光り続けているのです。心学校九の六

  • 心学校 九の五

    光は通常、燃焼にともなって発光するものが身近に感ぜられます。しかも発光する時間が長い気がします。そこで炎の光、しかもいつまでも燃え盛っている炎のように、如来の光も衆生(私たち)を救済したいという願いが、最後の完結まで燃え続け光り続けているということを「炎王光(えんのうこう)」と言うのです。親鸞聖人は語調を整えるために「光炎王(こうえんのう)」と逆転して使用されていますが、意味は同じことです。心学校九の五

  • 心学校 九の四

    光にはいろいろとあります。先に述べた太陽光、X線、電灯の光、自然が起こす雷を伴う稲妻、蛍光灯の光、蛍の光、夜光虫の光などです。ところが如来の光はそのどれをもって例えようにも不可能な光であるため、対するものが無いという無対光と呼ばれるのです。生徒が先生に求めるものにやさしさとか、適度な厳しさ、あたたかさ、身近な存在感、気安く話せる雰囲気などがあるのでしょうが、もう一つ期待しているもの、それが優位性ということではないでしょうか。「うちの先生はこのことに関しては一番。他の追随を許さない」、対抗するものが無いというカリスマ的存在もあるのではないでしょうか。無対とは絶対の信頼をおける安らぎの源なのかもしれません。心学校九の四

  • 心学校 九の三

    ドイツのウイルヘルム=コンラートーが不透明体を透過するX線を発見し、一九〇一年、最初のノーベル物理学賞を受賞し、以後彼のラストネーム・レントゲンにちなんでレントゲン線と呼ばれるようになりました。救済の光も障害物で遮られては成り立ちません。どのような物でも突き抜ける能力が必要で、しかも救済する力と働きを伴わなくてはなりません。それが十二の光の総合的な救済力であり、障碍を問題にしない力が無碍光なのです。心学校九の三

  • 心学校 九の二

    最も無力の者を必ず救うというためには、その救いの働きに限りがあっては出来ないことです。そこで阿弥陀如来の救いの働きを光に例えます。まず無量光です。さらに救いの働きは、辺(ほとり)無しでなくてはならないのです。先日東京へ送ってもらいたい物を買いに行ったのですが、そのお店ではお届けは北陸地区だけということであきらめました。でも宗教の救いは届かないところがあってはならないのです。そこで無辺光といわれるのです。心学校九の二

  • 心学校 九の一

    太陽とは何とすごいエネルギーを持っているのでしょう。光球の表面温度は摂氏約六千度、外側のコロナでは百万度にも及ぶと聞きます。さらに光の性格は正直ではありませんか。野球やボウリングの選手はフックするボールを計算して投じます。しかし光は直進します。ですから障碍があると光はそこで閉ざされて、その向こうへは進むことができません。ところで太陽の光はいつまで放ちつづける容量があり、またその光と熱はどこまで届いているのでしょうか。限りがあるのではないでしょうか?太陽は無限なのかどうか、詳しくは知りません。しかし如来の救いは無量でなくては意味をなさないのです。心学校九の一

  • 心学校 八の四

    私が子どもの時の思い出です。夜、怖い夢を見ました。墓場で骸骨がガチャガチャと踊っている夢です。歯をむき出して襲いかかってくる、逃げようにも足が動かない、こんな夢でした。びっしょり汗をかいて目覚めるとわんわん泣きました。すると田舎ですから本当に漆黒の暗さの中で、「お母ちゃんだよ」という声が聞こえてきました。その瞬間は見えないし、さわれなかったが、お母ちゃんという名前を聞いたときにどれほど安心したことだったと思いますか。私を透明な存在にするはずがない「母」という名、届いたそのままが安心の世界ではないでしょうか。その母はすでにお浄土へ。今は心に名前が届いています。心学校八の四

  • 心学校 八の三

    さて法蔵菩薩は永い思惟の後、必ず救うためには無力の相手方にたやすい行しか求めることは出来ないと結論して、信ずることひとつでの救いを成就したのです。ところがどんな素晴らしい事柄があっても、相手に伝わらなくてはどうすることもできません。情報伝達の手段は五感すなわち視覚・触覚・聴覚・嗅覚・味覚と、第六感によります。確かなのは見れる、触れる、聞けるということです。しかし先ほど述べましたように、最も弱い者を救うというためには目が見えない方も、耳が聞こえない方も、手で触れない方も、においをかぐことが出来ない方も、味を知ることが出来ない方も考慮しなければなりません。そこで法蔵菩薩は、南無阿弥陀仏という仏の名と成り、その名前がわかることで安らぐことができるだけで救いの力が届くという願いを誓い、力となって成就したのです。そして重...心学校八の三

  • 心学校 八の二

    思惟といえば弥勒菩薩も半跏思惟像(はんかしゆいぞう)として有名です。結跏趺坐(けっかふざ)の半分という意味で半跏といいます。「跏」は足の裏、「趺」は足の背を表します。結跏趺坐とは両膝を曲げて両足の裏を上向けにする坐り方で、如来坐・仏坐ともいいます。先に右脚を曲げ、その上に左足を乗せるのを降魔坐(ごうまざ)、その逆を吉祥坐(きちじょうざ)といいます。降魔とはお釈迦さまが悟りを完成しようとして菩提道場に坐っていたとき、欲界の第六天が悪魔の姿を借りて現れ、あるいは誘惑し、あるいは脅迫して悟りの妨害をしたが、お釈迦さまはこれをことごとく退けられました。この時の坐法です。悟りは吉祥ですから、これから仏像にお会いする度に、修行中のお姿か、悟り後のお姿かを知る参考にしてください。左足が右脚の下に隠れ、右足裏だけが上向くのを半...心学校八の二

  • 心学校 八の一

    仏教の時間論として宇宙法界の天体が一周する単位によるはかり方があります。地球の公転が一年ですが、太陽から遠く離れた星で地球の十年分の時間が公転にかかっても、その惑星では一年だと考えるのです。「劫」とはきわめて長い時間のことをいい、盤石劫とか、芥子劫と例えられています。それは四方一由旬の大盤石を百年に一度天人の衣でなでて磨り減る時間、または四方一由旬の鉄城に芥子を満たし、百年毎に一粒の芥子を取り去って、無くなる時間、それでもはかることができないとも言われるほどながい時間のことです。由旬とは牛車の一日の行程距離で、約十四・四キロ、およそ四里ということです。小心に計画し、大胆に実行せよという言葉に出会ったことがあります。法蔵菩薩も理想を実現するためには計画を同じように何回も推敲し、水も漏らさないような救済の手順を思惟...心学校八の一

  • 心学校 七の五

    すべてを救い取るためには最も弱者こそを間違いなくすくい上げなければならないのです。老と少、男と女はいずれにより力があるとか能力が高いとかという序列がつくものではないでしょう。ところが善悪については、悪が善より価値が高いということは絶対にないはずです。そこで法蔵菩薩の願いは、悪しか行えない者こそをどうして救うかという点に苦労があるのです。それには悪を抑止する事が大切です。しかも難しい方法では救いを成就することは出来ないでしょう。そこで法蔵菩薩が阿弥陀仏となったときに、その力を信じることのみで、必ず救うという殊勝希有な願を本願としたのです。心学校七の五

  • 心学校 七の四

    菩薩に共通の誓願を四弘誓願といいます。衆生無辺誓願度(いっさいの生きとしいけるものすべてをさとりの彼岸へわたそうと誓う)、煩悩無量誓願段(一切の煩悩を断とうと誓う)、法門無尽誓願学(仏の教えすべてを学び知ろうと誓う)、仏道無上誓願成(この上ない悟りに至ろうと誓う)がその内容で、菩薩の総願ともいわれます。それに加えて菩薩それぞれが独自の立場から立てる誓願を別願といいます。薬師如来には十二願があり、阿弥陀如来には他の仏とは異なった内容の四十八願があるのです。願が多いのは何故かというと、様々な入り口が用意されるためです。全てを救うということは、容易なことではありません。老少男女善悪を問うていてはすべてを網羅できないのです。そのためにどのような方にも応じることが出来る四十八願なのですが、本質の願いというものがあります。心学校七の四

  • 心学校 七の三

    願には希望とか夢をも含みますが、夢や希望はあこがれでもあり、実現するかどうかは他律的なものです。ところが願を必ず成し遂げるという決意が加わると、行の意志が強固なものになります。それを「誓い」といい、願とあわせて「誓願」と表現します。私たちはこの誓いを大切にします。入学式にも代表が宣誓します。誓いもひそかに誓うよりも声に出してみんなに宣言する方が、その後の自らを律する力となり、また他からもその者の願いは如何なるものかということが明瞭になるのです。心学校七の三

  • 心学校 七の二

    仏教ではさとりが成就するのに三つのことが必要です。「信」「願」「行」の三つを具足することなのです。そしてこの三つは順次関連しているのです。法蔵菩薩は師の仏・世自在王のもとですべての存在があるがままの姿を見せてもらったとき、現状を信知して、自らが救済の主になろうと決意したのですから、信は知ることでもあり、心を決めるということでもあるのです。その上で願いを起こし、それを実現するために修行を積み重ねてゆくのです。だから願をもたない修行は意味をなしませんし、信を基礎としない願も力が弱いのです。心学校七の二

  • 心学校 七の一

    物事が成就するための要素として、人・物・金とか、金よりも情報が必要とかいう風に様々なことがいわれます。私も何かを企画実行するためには三つの要素があると考えています。それは図面とデータと文書です。たとえば学園の創立記念式典を企画実行しようというとき、まず会場を考える人がいます。厚生年金会館か、金沢市観光会館か、はたまた本校の講堂かと考えます。しかしデータから考え始める人もいます。過去の式典はどのくらいの規模であったか、決算はどうであったか、参加人数はどれほどで、携わる係りが何名必要であったかと考えます。さらに文章や企画書から考え始める方もあります。式の流れはどうか、誰の祝辞をいただくか、それには何分かかるかなどと考えます。ところがこの三つはどれが欠けても企画が十分に成立しませんし、実行してもうまくいきません。心学校七の一

  • 心学校 六の四

    法蔵菩薩は苦悩からの救済には苦悩の現実を見極めるとともに、自分のほかにもこのような願いを持って苦悩を救済しようとした先輩方の浄土を知ることから、師の仏・世自在王のもとで、すべてを救うという大いなる願いの出発をされたのです。私たちの情況は「田が有れば田に憂い、田が無ければ田に憂う」といわれ、有無を大きな悩みとしているのです。しかし「独り生まれ独り死に、独り去り独り来たる」ともいわれるように、自分の人生は自分しか生き得ないのです。先輩方の浄土とは私たちが通常考える極楽のことです。人間の欲望が満足される世界、~酒はうまいし姉ちゃんはキレイだ~と歌ったグループがありましたが、いわゆる天国という考え方です。利便性とか満足感を重視したものに使用しています。難しいことは人に替わりたいし、楽しいことは自分のものにしたいのです。...心学校六の四

  • 心学校 六の三

    苦悩から我々を必ず救済するという世界から、私たちに認識できる表現として現れてこられたのが「法蔵菩薩」です。現実かどうかということは問題にはなりません。真如といっても私たちにとっては想像することさえできないのですから、擬人化とか象徴化とかの方策を講じて、菩薩が修行して間違いなくすくい取る力を持つ仏となったと私たちが考え得る、私たちがうなずくことができる表現をしなければ、まことの世界を私たちには考えにくいのです。菩薩が願いを持ち修行して仏になるという人格性を帯びた物語が、私たちに無味乾燥した哲理ではなく、温かな情の世界としてうなずけるのではないでしょうか。心学校六の三

  • 心学校 六の二

    救済とは私たちが困ったことを取り除く、安心を与えるということです。困ったことを「苦」といいますが数種あります。まず「苦労」です。しかし苦労は努力で報われることもあるのではないでしょうか。若いときの苦労は買ってでもしろ、といわれるくらいです。次に「苦痛」があります。これはある程度医療で治癒できるものだと思います。しかし苦労も苦痛もそれが解決できなくなってくると「苦悩」に変わります。苦悩は「自分だけがなぜ」とか、「なぜ自分が?」という自分の心の悩みなのです。クラスで友人をさがして明るく心地よい毎日を送りたいと生徒は考えます。しかし現実には溶け込もうとする努力を苦労して重ねてみても報われないことが続くと悩みとなります。ガンなどの難病に冒されたとき、その苦痛が治癒できないとき、死への不安も伴って心の悩みとなってくるので...心学校六の二

  • 心学校 六の一

    救済するということは、力がなければ出来ないことです。川で溺れている人を見つけたとき、その人を救おうとすぐに飛び込んだとしても、泳ぐことが出来ない人には救助する能力がありませんから、二人とも沈んでしまう結果になるでしょう。では救うためにはどうするのかというと、救助できるだけの能力を身につけるか、あるいは救助する道具を有効に使用することです。少し荒っぽい言い方ですが、力を身につけた位を「仏」といい、道具を使用する位を「菩薩」というのだと考えてください。仏像の姿からでも、菩薩はおおむね手に何かを持っています。あるいは救いに何か限定的なものがあります。たとえば地蔵菩薩は左手に蓮華、右手に月の輪を持ち、童児の救済者としての働きが有名です。ただ薬師如来についてはあまりにも病気平癒を願う民間信仰からの期待が強く、手に薬壺を乗...心学校六の一

  • 心学校 五の三

    心の教育ということは本願寺関係の宗教教育に大きな意味を教えてくれるものではないでしょうか。それは教育の基本として重要視されたのが「家庭」であり、家庭と一体になった情操教育・宗教教育が人間を育てていくということです。その中心は何かというと慈悲の心であったわけです「慈」はすべての人々への最高の友情というべきものです。しかしかなり高度な次元でなければ発揮できないものでしょう。「悲」のもともとの意味は「うめき」であり、人生の苦痛にうめき嘆いたことのある者こそが、本当に苦しみ悩んでいる者を理解でき、同感し、共に癒すことができるのだということです。高い方から低い方へ向かうのではなく、常に同じ高さにある者同士の心のふれあいを重んずるのです。正信偈が、本来は真如(仏)である世界が「法蔵」と名乗って「菩薩」という「因」の「位」に...心学校五の三

  • 心学校 五の二

    九條武子夫人(明治二十年~昭和三年)は、本願寺二十一代明如門主・大谷光尊氏の二女として誕生されました。大谷光尊氏は大谷シルクロード探検隊で有名な光瑞氏のご尊父ですから、光瑞氏の奥方・籌子裏方にとって武子夫人は義妹にあたられるわけです。九條良致(よしむね)氏に嫁ぎ、明治四十年に仏教婦人会連合本部長に就任されました。以後、大谷籌子裏方をたすけ、明治四十三年から私立京都高等女学校の運営をはじめ、宗門関係校の女子教育振興におつとめになられました。大谷籌子様のご遺志を継いで京都女子大学設立に向けて、一九一二(明治四十五)年に『女子大学設立趣意書』を発表なさったのです。西本願寺もその実現に努力しましたが、しかし当時の男尊女卑の風潮は頑強であり、社会は女子大学の設立を許す状況にはありませんでした。やっと一九二〇(大正九)年、...心学校五の二

  • 心学校 五の一

    1993年(平成5)秋から始めた校長室からの教職員通信はB5版1面を「心学校」もう一面を学校活動の記録として発行し続けました。いま終活の一端として当時の現行のままブログにしています。しかし文字数が多く、画面にすると読みにくいということで、これからはおおむね1回分を三分割して掲示することとします。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*私たちの学園は創設者、故・石原堅正先生のお言葉から「心の学園」を学風としていますが、第一講で『思い出のまま』より転載した通り、大正天皇の皇后・西本願寺大谷籌子裏方の妹である貞明皇后が京都女子学園を行啓された時のお言葉に基づくものとして京都女子学園...心学校五の一

  • 心学校 四

    故・石原堅正先生の『思い出のまま』という書物があります。この「はしがき」を転載しましょう。【九十五歳の老骨であります。少青年は未来に生き、壮年は現実に直面、老年は過去を語ると申します。依って私は今、過去を語らせていただきます。今から五十六年前に、みなさまの深い御理解と御援助とによりまして、「心の教育を中心に、人間をつくる」という基調のもとに学園を創設させていただきました。その後の紆余曲折に一喜一憂してきましたが、過去をふり返りますとまことに懐かしさに堪えません。この思い出を書く気になりましたのは先般入院しました際のことでありますが、神経痛を病みましたので某病院の院長夫人(卒業生)に電話して診察していただけませんかと申しますと、「すぐお迎えに参ります」とのこと。間もなく婦人も御同車でお迎えに来られました。診察の結...心学校四

  • 心学校 三

    『正信偈』は一行に二句ずつ六十行にわたって書かれ、古来より二句六十行百二十句と言われているのです。その構成は《一》阿弥陀如来に帰依する《二》念仏の教義を明らかに述べる(一)お経に依る①阿弥陀如来の心②お釈迦さまが説かれた真意(二)七人の先輩高僧の解釈による論述①龍樹菩薩の解釈②天親菩薩の解釈③曇鸞大師の解釈④道綽禅師の解釈⑤善導大師の解釈⑥源信僧都の解釈⑦源空(法然)上人の解釈《三》自他ともに讃嘆する、となります。論理の証明方法で、普通は現在を中心にして、考えをたどって行きます。たとえば人間はなぜ二本足で歩いているのかという研究の出発点から、尾體骨はかつての尻尾の名残ではないかと推敲して行きます。そして人間の祖先は猿のような形態ではなかったか、さらに大きく生物は海から発生したのではないか、と論及してその証拠とな...心学校三

  • 心学校 二

    親鸞聖人のことを「宗祖」とか、「祖師」聖人とか、「御開山」と呼びます。宗祖とは一宗の祖という意味で、浄土真宗の開祖、の師ですから祖師なのです。開山というのは仏教では伝統的に寺を開くのは山とし、その号を山の名であらわしたからです。われわれのご本山は「龍谷山本願寺」といいます。通俗的な話しですが、大師は弘法に、開山は親鸞にと言われ、大師といえば弘法大師を指し、御開山といえば親鸞聖人を示すほど有名になったといわれています。ちなみに親鸞聖人は明治になってから見真大師と諡され、本願寺御影堂の正面欄間の上に額が掲げられています。親鸞聖人が宗祖といわれるのは、法然上人が開宗された浄土宗を「浄土真宗」と受け止められたことによります。浄土宗は法然門下で多くの弟子がありましたが、念仏の解釈にブレがあり、自分の誠心誠意を込めて力一杯...心学校二

  • 心学校 1

    1993年(平成5)私は金沢の本願寺関係学校藤花学園尾山台高等学校長(現金沢龍谷高等学校)を拝命しました。その学校は1922年(大正11)開校で心の学園を標榜する温かみのある学園でした。そこで校長室から「心学校」と題した通信を学校の表彰記録などを半面にして発行し始めました。この学園は今年数え年100年。思い出の文章をそのまま掲載します。-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-『正信偈』は校内降誕会や報恩講でお勤めします。しかし門前の小僧習わぬ経を読み、もあれば、お経読みのお経知らずもあります。私自身、反省点が多く、講座にするのは躊躇するものがありますが、本年度...心学校1

  • 聞く聴く

    「聞」は諸橋大漢和辞典によると声耳にいる。「聴」は耳声を待つ。話を聞くという行為は聴こうという気持ちが体を動かして会場へ身体を運ぶ、あるいはわからないことや不思議なことに疑問を持ち、辞書などで調べる、これも真実を聴くという行為でしょう。しかし自分で聴く行動をとったと思っても、それはそうするように仕向けられている、環境や情報に許されているから出来るのではないでしょうか。親鸞聖人は「聴」に許されてきくと解説を加えています。許されてという感性は、自分自身の思いを中心としているのではないのです。もしそうなら許「して」聞く、自分の行動は自分が決定しているという立場です。でも許「されて」は縁起の法則によって、私にかかわるすべての存在のおかげで、という意味ではないでしょうか。一神教を信じる方々には「神」に聴くことを許されて、...聞く聴く

  • 初心から見直す

    世界の三大宗教は仏教、キリスト教、イスラム教と言われます。信者数だけで並べるとヒンズー教はかなり多くの信者がいる国民宗教です。ユダヤ教は厳格な規律を順守するので信者数は多くないのですが、キリスト教やイスラム教の母体となっています。では三大宗教の特質を一文字で表現すると如何でしょうか?キリスト教は信ぜよされば救われんですから「信」、それは神との約束ですから「約」または「契」でも良さそうですが、根底には信が必要でしょう。イスラム教は日に5回の礼拝が欠かせませんから「礼」でどうでしょうか。仏教はお経の初めに「如是我聞」または(我聞如是)で書き出されています。お釈迦さまは自らの説法を筆記させられませんでした。経典はお釈迦様の滅後(涅槃には入れれてから後)弟子が結集して諳んじていた説法を唱え、聞いていた阿難が承認したもの...初心から見直す

  • 多くの真理と今の真実

    ニュートンは万有引力の法則を発見して有名になりましたが、彼が生きた時代のイギリスはペストが大流行していました。そのため大学が閉鎖されたため故郷に帰りました。これが幸いしてゆっくりと研究に打ち込み、真理である法則を発見したそうです。公平無私な「真理」すなわち公正なる道理が、千差万別である人間の疑問や苦悩の事実に生きて働くことによって「真実」となるといえます。万有引力という真理はニュートンが発見しなくても普遍的に存在していたのですが、物が落下するということを不思議と感じる事実に気付いた彼にとって、それが真実となったのです。悪は邪偽であるというのは真理です。しかし翻って悪とは何なのかということを示して教えてくれる正義へ誘引する働きだと受け取るならば、この世の中は全てが真理であったと言えるのではないでしょうか。その場合...多くの真理と今の真実

  • 悪人でも成仏させていただく教えが真実

    地球上には70億を超す人類がいます。その人々には「誰でも平等に普遍的に他と共通性を持ちつつ、独立した尊厳を保つ」存在として認める世界の三大宗教があります。キリスト教・イスラム教、そして仏教です。世界人口の概ね3人の内1人はカソリック+プロテスタント+東方正教会系などのキリスト教徒、5人に1人はイスラム教徒、20人に1人が仏教徒です。外にもヒンズー教、ユダヤ教などが世界に分布しています。さて「真実の教浄土真宗」と親鸞聖人は仰せになったのです。私の素朴な疑問は「浄土真宗が真実ならば、なぜ世界には違う宗教の人々が多いのか」ということでした。真実は不実を許さない、または真実が不実を包み込み同化させる働きを持っているのではないか、と。では真実であるということを証明するには「すべてが真実」という命題を論証することで成立する...悪人でも成仏させていただく教えが真実

  • 釈尊の結論は何だろう

    一般論を根底として出来事について考えると仮説が出てきます。この仮説を検証して一般論化して行くのが演繹法です。ですから一般論は正当に正常な論理を持たなくてはなりませんし、正常・正当であるから一般論として誰でもが前提とする論理となるわけです。では「結論」ということについて考えてみましょう。それは最後に導き出されるか、または最後に総まとめとして述べられるものだというのが一般論ではないでしょうか。では釈尊の結論は何だったのでしょう。『大般涅槃経』には次のように述べられています。「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」と、有名な自帰依自灯明、法帰依法灯明が書かれています。また「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの...釈尊の結論は何だろう

  • 結論から推定し始めます

    私の疑問の解決方法は結論から推測することです。演繹法的といえるようです。ご承知のように演繹法とは、Aが起こればBとなるということがわかっている「一般論」を使って「出来事」の「結果」を推測します。私の疑問は親鸞聖人の『教行信証』に「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。」という表現されていることです。「真実」と断定されているのは何故なのかということなのです。宗教における「信」は、他者から見れば根拠がない事柄に執着しているように感じられる面があっても、それを信じる者にとっては絶対なものでありましょう。恋は盲目というように宗教にも盲信としか言えないような、一般常識では偽であり邪である判断されるようなものが、現実世界に存在していることは論を待たないでしょう。したがって「真実の教」ということは宗教だから真...結論から推定し始めます

  • 初心に帰る

    小冊子にしようとこのブログを90歳を迎えられる高校2~3年の担任先生にプリントを送って、読んでもらいました。「難しいね~。君はわかりやすい話や言葉を使うのに」このことを胸にして、再度ブログに取り組んでみます。初心に帰る

  • 聴聞する

    聴けば聞こえる。道を求める心は聞こえてくるものに気付くことになる。何に気付くか。それはいま聴いている私はそのように仕向けられたおかげによるのだということが聞こえてくる、言い換えたら気付くのだ。それは聴くことが許された世界であり、聞かせずにはおかないという絶対の力というものが、目には見えないけど私に働き続けているといえるのではないだろうか。~ここまでをB6判60ページ外に4ページの表紙付きで小冊子にいしています。現在Webで「印刷通販ウイルダイレクト」というサービスに入稿中です。~最後に浄土真宗の妙好人さんの詩ええなあ世界虚空がみな仏わしもそのなかなむあみだぶつ浅原才市これまで毎日の投稿をお読みいただきありがとうございました。次の機縁が訪れるまで、当分更新はお休みさせていただきます。聴聞する

  • 相対世界の自分と宗教

    物理学の歴史を学ぶと、自分に都合の良いかってな歴史観が科学の客観的な研究によっていやでもおうでも自分に都合の悪い方に訂正されてゆく歴史だ。例えば人間にとって都合のいい星の動きは、自分は世の中の中心にいて他の星はみんな自分たちに従っている家来のようなものだという考えが自尊心を満足させ気持ちがいい考えだから天動説があった。でも実際の星の動きを観察すると自分の方がぐるぐる回っていたのだといわれるといやな気持がする。嫌な思いがするからガリレオを殺そうとする。でも地動説が確定したら誰も文句を言わなくなった。そのあと自分中心の世界観で生きていたらアインシュタインの相対性理論によってひっくり返り、あなたの長さや時間は今いるその状態で決まっているのであって、ほかのところで他のことをしている生き物には全部別の時間と長さが決まって...相対世界の自分と宗教

  • 自分に心地よいものは間違い

    宗教はわれわれが宗教ではないと思っているものでも一杯宗教なのであって、実は私たちは寄っかかって生きているのだ。人間というのは宗教なしでは生きれれないのだ。私は無宗教だといっている人も必ず何らかの宗教的世界で生きている。ただそれを宗教とよんでいないだけなのだ。では拠り所とする宗教としていったい何を自分のものとして選んだら心が安楽になるかということを真剣に考えて選ばなければならない。本当は選ばなければならないのだがそのことを自覚していないために何も考えずにボーとして生きている。さらに気をつけねばならないことは自分にとって心地よい選択肢はたいてい間違っている。なぜならば自分の欲望を満たそうという気持ちが苦しみのもととなるのでありますから、その気持ちは必ず自分にとって都合の良い選択肢の方へ自分を向けようとする。だから選...自分に心地よいものは間違い

  • イデオロギーも宗教

    人間は状況が不安定になるといろいろ悩み考える。崩壊して行く自分の精神を何としてでも維持してゆく方法を考えたら、お念仏に行く可能性は極めて高いと考えられる。それを称えることで自分の心のバランスがとれるのではないかという予感がするのだ。私(佐々木閑氏)は父親を膵臓がんで亡くしたが仏を拝み縋った。お寺だから仏さまはいらっしゃる。そういう意味で宗教というのはある一つの宗教があってそれ以外は間違いであるという一神教的な姿勢のものは本来の宗教の働きではないと思っている。その人がその時そのとき置かれた状況でその精神を最も守ってくれる保護してくれる、そういうものが宗教としての正しさではないか。では悪い宗教はあるのか?それはあるのだ。本人が心の平安を求めてその宗教に入ったらそれ以前よりもっと苦しい状態になったと自覚してしまう宗教...イデオロギーも宗教

  • 梵天の勧請

    自分の人生について、いま、真剣に考え悩む人は少ないから、ブッダは自分が目覚めた法は世の人々にあまり役に立たないし伝えるのには大変な苦労がいる、だから隠居して暮らそうと考えた。そこへ天から梵天が降りてきてこの薬はとてもよく効く薬だ。だからこのまま抱え込んで亡くなってゆくのはあまりにももったいないからみんなに教えてくれという。でもブッダは受け取ってくれないのではないか、そんな無駄なことはしたくない。インド語ではそこのところがちゃんと書いてあって「疲れるからいやだ」と。梵天は「それでいい」と聞いてくれるその人のためにだけでいいからこの薬を分け与えてほしいという。その病気の人は必ず治るのだと。これで仏教が成り立っていったのだが、このことが仏教の本質をあらわしているのだ。ブッダの教えで病が治るのにはある程度条件がそろわな...梵天の勧請

  • 苦からの解放

    現実世界では欲望の増大や自己の欲望のみを増大させることは叶わないことなのだ。苦しみが完全に消滅することはこちらの方向にはないとブッダはいう。では最終的に解決するにはその方向に向かわないことだと、アメーバ以来持っていた私たちの本来的欲望充足の思いを生物学史上初めて逆転させて、それを消すという方向性にもっていった。そこに人間だけに得られる特別な幸福に道があるというのだ。だから欲望の充足の中で疲れ果てた人、あるいは欲望の充足というものでは何の満足感も得られない人々にとっては、仏教は極めて効果の高い薬として働くことになるのだ。そうすると仏教は特定の病気にかかった人の特効薬と考えると、病気でない人には仏教は何の役にも立たないということになる。ブッダはそのことをよく知っていた。悟りを開いた初めに自分が見つけたこの薬はある特...苦からの解放

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