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2020/01/29

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  • 心学校 五の三

    心の教育ということは本願寺関係の宗教教育に大きな意味を教えてくれるものではないでしょうか。それは教育の基本として重要視されたのが「家庭」であり、家庭と一体になった情操教育・宗教教育が人間を育てていくということです。その中心は何かというと慈悲の心であったわけです「慈」はすべての人々への最高の友情というべきものです。しかしかなり高度な次元でなければ発揮できないものでしょう。「悲」のもともとの意味は「うめき」であり、人生の苦痛にうめき嘆いたことのある者こそが、本当に苦しみ悩んでいる者を理解でき、同感し、共に癒すことができるのだということです。高い方から低い方へ向かうのではなく、常に同じ高さにある者同士の心のふれあいを重んずるのです。正信偈が、本来は真如(仏)である世界が「法蔵」と名乗って「菩薩」という「因」の「位」に...心学校五の三

  • 心学校 五の二

    九條武子夫人(明治二十年~昭和三年)は、本願寺二十一代明如門主・大谷光尊氏の二女として誕生されました。大谷光尊氏は大谷シルクロード探検隊で有名な光瑞氏のご尊父ですから、光瑞氏の奥方・籌子裏方にとって武子夫人は義妹にあたられるわけです。九條良致(よしむね)氏に嫁ぎ、明治四十年に仏教婦人会連合本部長に就任されました。以後、大谷籌子裏方をたすけ、明治四十三年から私立京都高等女学校の運営をはじめ、宗門関係校の女子教育振興におつとめになられました。大谷籌子様のご遺志を継いで京都女子大学設立に向けて、一九一二(明治四十五)年に『女子大学設立趣意書』を発表なさったのです。西本願寺もその実現に努力しましたが、しかし当時の男尊女卑の風潮は頑強であり、社会は女子大学の設立を許す状況にはありませんでした。やっと一九二〇(大正九)年、...心学校五の二

  • 心学校 五の一

    1993年(平成5)秋から始めた校長室からの教職員通信はB5版1面を「心学校」もう一面を学校活動の記録として発行し続けました。いま終活の一端として当時の現行のままブログにしています。しかし文字数が多く、画面にすると読みにくいということで、これからはおおむね1回分を三分割して掲示することとします。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*私たちの学園は創設者、故・石原堅正先生のお言葉から「心の学園」を学風としていますが、第一講で『思い出のまま』より転載した通り、大正天皇の皇后・西本願寺大谷籌子裏方の妹である貞明皇后が京都女子学園を行啓された時のお言葉に基づくものとして京都女子学園...心学校五の一

  • 心学校 四

    故・石原堅正先生の『思い出のまま』という書物があります。この「はしがき」を転載しましょう。【九十五歳の老骨であります。少青年は未来に生き、壮年は現実に直面、老年は過去を語ると申します。依って私は今、過去を語らせていただきます。今から五十六年前に、みなさまの深い御理解と御援助とによりまして、「心の教育を中心に、人間をつくる」という基調のもとに学園を創設させていただきました。その後の紆余曲折に一喜一憂してきましたが、過去をふり返りますとまことに懐かしさに堪えません。この思い出を書く気になりましたのは先般入院しました際のことでありますが、神経痛を病みましたので某病院の院長夫人(卒業生)に電話して診察していただけませんかと申しますと、「すぐお迎えに参ります」とのこと。間もなく婦人も御同車でお迎えに来られました。診察の結...心学校四

  • 心学校 三

    『正信偈』は一行に二句ずつ六十行にわたって書かれ、古来より二句六十行百二十句と言われているのです。その構成は《一》阿弥陀如来に帰依する《二》念仏の教義を明らかに述べる(一)お経に依る①阿弥陀如来の心②お釈迦さまが説かれた真意(二)七人の先輩高僧の解釈による論述①龍樹菩薩の解釈②天親菩薩の解釈③曇鸞大師の解釈④道綽禅師の解釈⑤善導大師の解釈⑥源信僧都の解釈⑦源空(法然)上人の解釈《三》自他ともに讃嘆する、となります。論理の証明方法で、普通は現在を中心にして、考えをたどって行きます。たとえば人間はなぜ二本足で歩いているのかという研究の出発点から、尾體骨はかつての尻尾の名残ではないかと推敲して行きます。そして人間の祖先は猿のような形態ではなかったか、さらに大きく生物は海から発生したのではないか、と論及してその証拠とな...心学校三

  • 心学校 二

    親鸞聖人のことを「宗祖」とか、「祖師」聖人とか、「御開山」と呼びます。宗祖とは一宗の祖という意味で、浄土真宗の開祖、の師ですから祖師なのです。開山というのは仏教では伝統的に寺を開くのは山とし、その号を山の名であらわしたからです。われわれのご本山は「龍谷山本願寺」といいます。通俗的な話しですが、大師は弘法に、開山は親鸞にと言われ、大師といえば弘法大師を指し、御開山といえば親鸞聖人を示すほど有名になったといわれています。ちなみに親鸞聖人は明治になってから見真大師と諡され、本願寺御影堂の正面欄間の上に額が掲げられています。親鸞聖人が宗祖といわれるのは、法然上人が開宗された浄土宗を「浄土真宗」と受け止められたことによります。浄土宗は法然門下で多くの弟子がありましたが、念仏の解釈にブレがあり、自分の誠心誠意を込めて力一杯...心学校二

  • 心学校 1

    1993年(平成5)私は金沢の本願寺関係学校藤花学園尾山台高等学校長(現金沢龍谷高等学校)を拝命しました。その学校は1922年(大正11)開校で心の学園を標榜する温かみのある学園でした。そこで校長室から「心学校」と題した通信を学校の表彰記録などを半面にして発行し始めました。この学園は今年数え年100年。思い出の文章をそのまま掲載します。-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-『正信偈』は校内降誕会や報恩講でお勤めします。しかし門前の小僧習わぬ経を読み、もあれば、お経読みのお経知らずもあります。私自身、反省点が多く、講座にするのは躊躇するものがありますが、本年度...心学校1

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