ハ-ドな日常からのひと時の息抜き、地方の高級ホテルに格安で泊まってみたら
読み切り実話-海外生活の日常、海外就職、海外不動産、旅行、北欧インテリア関連、街角写真等。
第3回THE NEW COOL NOTER賞ーエッセイ部門特別賞、始まる世界部門賞拝受。 北欧にてIT業、時おり日本のテレビ海外ロケ補助、通訳・翻訳業に従事。
ホワイトクリスマス、と言えば聞こえが良いが、今年のクリスマス・イブは、怒り狂ったような雪が乱舞する晩であった。そのイブの朝は、某プロレスラーの抱擁の中で起床した。 とは言っても現実ではなく夢の中の話である。そのプロレスラーは既に天に召されているのだから。 イブの晩の降雪量はこの比に非ず 何故その方が、突然私の夢に出演をされたのか。 その前日、どうやったら、ノーベル平和賞を受賞することが出来るか、ということを友人達と議論していたからかもしれない。くだんのプロレスラーとは、湾岸戦争直前にイラクへ単身で乗り込み「平和の戦士」とも讃えられていた方である。 世界は相変
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ハ-ドな日常からのひと時の息抜き、地方の高級ホテルに格安で泊まってみたら
決して気分の浮き立つような訪問ではなかったが、昨年の秋に、急遽日本へ一時帰国をすることになった。冠婚葬祭のためではない。休暇ではなかったということもあり、やたら多忙だったので、知人との連絡事項等はほとんど移動中に行っていた。 そんな中でも、せっかく訪れた日本訪問の機会、せめてどこか近場へでも観光に行きたいものだ、と考えていた。そういえば、知人が、日本に帰国をするなら真鶴あたりで余生を過ごしたい、と語っていた。理由は失念したが、私も真鶴が好きだ、その名前が。 真鶴、小田原から熱海に行く時にいつも素通りしてしまう駅である。 作詞:永六輔、作曲:中村八大の「知らな
「この土地を訪れたのはいつだっけ?」、電話で娘に訊ねてみた。 「2017年だったよ」、と娘は即答する。もうあれから七年も経たのだ。 以前、娘達とこの土地を訪れた時は、実に難儀をした。旅行会社に何度も電話をしてフライトの日程を変えたり、埒があかないため事前に空港へ出向いたりした。そのため、この土地に関してあまり楽しい記憶は無かった。 それなのに、今回、何故またこの土地を訪れることにしたのか。世界は広いのに同じ土地を二回も訪れてしまった。この土地が特に気に入ったというわけでもなく、縁もゆかりもない。敢えて言えば空港から近いため、夜遅くのフライトでもタクシーにてアクセスがしやすい、と
相変わらず、転職先の業務の難易度に追いつくための勉強と睡眠不足が続いている。近頃の若いもんは阿修羅観音の如くマルチタスクをこなしており、私もそれに必死に追いつこうとしてはいるが、ついにクラクラっとなったため、現実逃避のためにデンマークへ週末旅行に出かけることにした。 以前からデンマークの友人に誘われていたのだが、さほど乗り気ではなかったため訪問を決めかねていたのだ。 友人に招待をして頂いたデンマークの海沿いのカフェ、敷地内の鳥たちそのカフェで注文したタルタル(生肉) サラダ 何故、デンマーク訪問に乗り気ではなかったのか。 外国旅行において、私が楽しみにしている活動の
火曜日から水曜日へと日付が変更した瞬間。 真夜中ではあったが、私はシャンパンを冷蔵庫に入れて冷やした。五年前に戴いたロゼ・シャンパンだ。可愛らしいピンクのバッグに入っている。あまりに可愛らしいから勿体なくて開けることが出来なかった。 このシャンパンの栓を抜く時は、何か特別なお祝いをする時だ、大切に保管をして来たが、ついにこれを開ける時が来た。 ついに転職先企業にて正社員になったのだ。 最近、六か月間は憩いと呼べるような時間も少なく、必要経費以外の出費も控え、緊張感の中で暮らして来た。 それが私にとっては、試用雇用期間付きの企業へと転職をするという意味で
Noteを開くと何故か、「帰って来たんだなあ」という心情に懐かれる。 残念だがNoteを離れてしまった友人も多い。Noteを続ける理由も離れる理由も人それぞれであるが、私の場合は、止めたようで止めてない人、幽霊部員という分類になるのかもしれない。 私なりには、身の振り方が明瞭になる八月末まで「Note絶ち」をする、という感覚から筆を取っていないわけなのであるが。しかし今週はNoteを覗く時間が多少出来たので、知り合いのところを数件廻っているうちに、一言皆様にご挨拶をさせて頂きたい衝動に駆られてしまった。 さて、何を書くべきか。 そういうつもりはなかったのであるが、「北欧
世界遺産であるフォロ・ロマーノ遺跡を観光をしようと行列に並んでいた時、ふと、イタリア語のフレーズが私の耳に飛び込んで来た。 「フェリチタ」 私の知る、数少ないイタリア語の語彙である。 フェリチタとは「幸福」という意味らしい。 「Felicita」を1982年に歌っていたのは、これほど美しく幸せそうな夫婦が存在するものなのか、と羨望を禁じえなかった二人組であった。 しかし、当時のイタリアでは絶大な人気を誇っていたその二人を引き裂いたのは、想像し難い出来事であった。 「幸福」というものは、必ずしも永続するものではなく、それゆえ、その刹那刹那を大切に育んで享受してゆかな
ホワイトクリスマス、と言えば聞こえが良いが、今年のクリスマス・イブは、怒り狂ったような雪が乱舞する晩であった。そのイブの朝は、某プロレスラーの抱擁の中で起床した。 とは言っても現実ではなく夢の中の話である。そのプロレスラーは既に天に召されているのだから。 イブの晩の降雪量はこの比に非ず 何故その方が、突然私の夢に出演をされたのか。 その前日、どうやったら、ノーベル平和賞を受賞することが出来るか、ということを友人達と議論していたからかもしれない。くだんのプロレスラーとは、湾岸戦争直前にイラクへ単身で乗り込み「平和の戦士」とも讃えられていた方である。 世界は相変
二か月間もNoteを離れていたので、もう忘れられていても不思議はないが、一応生存報告まで。 最近のヨーロッパ便はアラスカ方面を飛行することが多いようで、ロシア上空を飛行していた時と比較して、海の上空を飛行している距離が長い。そのためであろうか、揺れている時間が長時間になって来た。 「激しく揺れていても機体には全く影響はありません!」 全日空のキャプテンは、こう強調して下さる。この言葉に慰められる乗客は多いのではないのであろうか。頻繁に機上の人となる世界のNoterさんならば、「はいはい、そんなこといちいち言われなくとも知っていますよ」、となるかもしれないが、飛行が苦手な人
皆様はスポティファイ(Spotify)というものを御存じであろうか? もし、既にお使いであると仰るのなら、これがどの国で開発されたシステムかを御存じであろうか? 私も最近知ったが、スウェーデンである。 それでは『The Final Count down』で有名な、ヨーロッパ(Europe)という大胆な名前のバンドはどこの国の出身がご存知であろうか。 ヨーロッパには違いないが、ヨーロッパでも北の果て、スウェーデン出身のバンドである。しかもストックホルムの中心どころか郊外の出身である。大それたバンド名を取得する場合は、早い者勝ちということであろうか。 ちなみにJapa
仕事の帰り道、ふと、正面から歩いてくる女性が視界に入る。 その女性は、長くサラサラの茶髪を野球帽の下に纏め、グレーのジャージ姿でポメラニアン犬の散歩をしていた。バービー人形のように非現実的に完璧な容姿と体型を擁する方であった。年の頃は20歳代後半、30歳代初頭であろうか、少なくともそのように見える。 彼女は私の視線に気が付くと、立ち止まり、私に親しい声を掛けた。 「ねえ、私のこと憶えている?」 憶えているも何も、彼女は私の勤務先の人事部長である。それにも拘わらず、腰が低く友好的な方であった。 彼女だけではなく、我が勤務先にてタイトルに「長」の付く方々には女性が多く、
「スウェーデンって物価が高いんでしょう?」、などと信じられていた古き良き時代は去った。いま私達は(もと共産圏以外の)欧州の中でも超ド貧となってしまった。アイスランドとデンマークは潤っているようである。 スウェーデンクローナ通貨の価値が冗談のように下がってしまったのは、ユーロを導入しなかったことにも起因するようである。しかしユーロを導入出来なかった正当な理由もあったと聞く。 政治はさておいて、今なら「スウェーデン良いとこ、一度はおいで」と胸を張って言える。物価は、決して安くはないが、西欧諸国と比較した場合、かなりマシである。治安は比較的良く、英語は通じる。また、インフラもそこそこ
ある愛するnoterさんの過去記事とコメント欄を拝読させて頂いた時、ある方の名前が視界に入り、違和感を感じた。 スキを下さった方が更新をされていらっしゃらない時は、出来る限り過去記事を拝読させて頂くことにしている。 何故、違和感を感じたかというと、その方のコメント欄に、昨年亡くなられたnoterさんのコメントを認めたのだ。親しく交流をさせて頂いている方々のコメント欄では、その方からコメントを頻繁に見掛けていた。 私は、友達の友達はまた友達感覚が好きなのである。しかし、その方からはケミストリーが合わないと感じられたのか、海外生活の記事などは目にしたくはなかったのか、私とはま
以前の同僚、絵里香ちゃん、彼女に関して記憶していることは、彼女がストーカー被害を受けていたことである。 同僚でなくなってから数年経った頃、その彼女から絵葉書が届いた。 「お久しぶりです。今、私はマルセイユを訪れています。少し荒んだ雰囲気の街ですが、私は、いろいろなパブに乗り込んでは現地の荒くれた男達と口論したりしています」 太く大きな字にて書き殴られている葉書を読んだ時、彼女が随分勇ましくなったことを実感した。 横濱にて彼女と一緒の部署にて翻訳業務を行っていた頃、彼女は頻繁に泣いていた。鹿児島出身の彫りの深さに、色白のつややかな肌、社内でも絶世の美女と噂されていた彼女は
「例えばだよ、東京に二十年住んでいて、一度も外に出たことがない人がこの景観を眺めたらどう感じるんだろうね」 橋を渡っていた時、スウェーデン人男性の声が明瞭に響いて来た。中高年の二人組の一人の声であった。 私は一瞬歩きを止めた。通常、赤の他人の会話には注意を払わないが、やはり自国に関する名称が聞こえると聴覚が過敏になる。 日本人である私の姿が彼らの視界に入り込んだのか、おそらく違う。 この場所は市の中心からはかなり離れている。円安に起因してか、最近海外にて日本人を見掛けることは、残念であるが滅多にない、増してはここは国際的に有名な観光地でもない。 二人組が立
何故プロヴァンス地方を訪れたのか? 私にとっては、皆目掴みどころのない土地であったからである。 南仏、ラベンダー、ワイナリー巡り、ロマンチックな小説、あるいは映画の舞台、プロヴァンス地方に関する私の印象はせいぜいその程度であった。 取りあえず、プロヴァンス地方の概要を把握すべき、目的地はこのように選んだ。 公共機関でもアクセスの出来る場所は外す。 景観が類似している場所は外す。 博物館、美術館メインの場所は外す、一つの場所に時間を掛けないため。 観光はホテルから一番遠方から開始し、最終目的地はホテルから一番近い場所とする。慣れない土地にての長時
イースター休みに突入して2日目の午後、自宅からストックホルム・アーランダ空港へ向かう。18時頃発のルフトハンザ航空に乗るためである。 イースターは7日から始まっているのに何故、6日の晩に発たず8日の晩まで待ったのか? 航空券が比較的安価の日と時間帯を選んだためである。 参考値 スウェーデン・ストックホルム-フランス・ニース間往復航空券 日本円に換算して4万円前後。3か月前購入 16時頃、アーランダ空港第5ターミナルのラウンジで早めの夕食を取ろうと、受付嬢に、食事にはどのようなものがあるかを訊ねてみる。 受付嬢曰く、「生憎、今日はあまり利用がないので品薄です
どちらかというと自身はパーティー好きである。しかし、それはパーティーの参加者がある程度、関心を示してくれる場合であり、まったくあからさまに無関心を強調されると、さすがにこちらも白ける。 昨年、招待された誕生会の一つがその一例であった。ビール醸造所を借り切った誕生パーティーにはかなり大人数の客が招待されていた。よって、主役の少年時代からの知り合い、というような関係の客も多く、私とは何一つ接点が無かった。 パーティーに招待して下さった方には申し訳ないが、三時間が非常に長く感じられた一晩であった。 というわけで、今年も同じ方に招待を頂いた時、真っ先に想起し
海外に移住をした直後は、日本の友人達が頻繁に連絡を下さったり、一時帰国の際に遊びに来て下さった。 しかし、三年を経て、五年を経て、十年を経て、二十年も経ってしまうと、連絡先さえ分からなくなってしまった友人も多々いる。私も筆マメなほうではなく、フェイスブック、ラインのようなものも利用していない。 そのうえ今回は、ほぼ四年間のブランクもあった、パンデミックに起因するものである。 「日本に住む友人達と会う時間もそれほど無いのに、わざわざ海外に移住した人まで会わなくともいいかな、共通の話題も無くなって来たし」、と友人達に感じられても致し方がない。 しかし、 今回も、「
人工知能学を多少なりともかじった人間ならば、また、「イミテーション・ゲーム」という映画をご覧になった方であれば、アラン・チューリング氏の名前は耳にされたことがあるかと思われる。 アラン・チューリング氏は、現代計算機科学の父として有名であるが、第二次世界大戦中にドイツが使用したローター式暗号機であるエニグマを解読した英国の数学者としても有名である。 同氏は、天才数学者と称賛されながらも、当時の常識という大義名分により、自らのアイデンティティを曲げることを余儀なくされた。この点に関しては、大抵の参考資料においては説明されているためここでは敢えて触れないが、悲劇的な結末であった。
世界遺産であるフォロ・ロマーノ遺跡を観光をしようと行列に並んでいた時、ふと、イタリア語のフレーズが私の耳に飛び込んで来た。 「フェリチタ」 私の知る、数少ないイタリア語の語彙である。 フェリチタとは「幸福」という意味らしい。 「Felicita」を1982年に歌っていたのは、これほど美しく幸せそうな夫婦が存在するものなのか、と羨望を禁じえなかった二人組であった。 しかし、当時のイタリアでは絶大な人気を誇っていたその二人を引き裂いたのは、想像し難い出来事であった。 「幸福」というものは、必ずしも永続するものではなく、それゆえ、その刹那刹那を大切に育んで享受してゆかな