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北欧の街角で https://note.com/lifeinsweden/

読み切り実話-海外生活の日常、海外就職、海外不動産、旅行、北欧インテリア関連、街角写真等。

第3回THE NEW COOL NOTER賞ーエッセイ部門特別賞、始まる世界部門賞拝受。 北欧にてIT業、時おり日本のテレビ海外ロケ補助、通訳・翻訳業に従事。

北欧の街角で
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2020/01/13

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  • Noter友と実際にお会いするということ

    ホワイトクリスマス、と言えば聞こえが良いが、今年のクリスマス・イブは、怒り狂ったような雪が乱舞する晩であった。そのイブの朝は、某プロレスラーの抱擁の中で起床した。 とは言っても現実ではなく夢の中の話である。そのプロレスラーは既に天に召されているのだから。 イブの晩の降雪量はこの比に非ず 何故その方が、突然私の夢に出演をされたのか。 その前日、どうやったら、ノーベル平和賞を受賞することが出来るか、ということを友人達と議論していたからかもしれない。くだんのプロレスラーとは、湾岸戦争直前にイラクへ単身で乗り込み「平和の戦士」とも讃えられていた方である。 世界は相変

  • 1万メートルの上空にて、日本を振り返ってみた

    二か月間もNoteを離れていたので、もう忘れられていても不思議はないが、一応生存報告まで。 最近のヨーロッパ便はアラスカ方面を飛行することが多いようで、ロシア上空を飛行していた時と比較して、海の上空を飛行している距離が長い。そのためであろうか、揺れている時間が長時間になって来た。 「激しく揺れていても機体には全く影響はありません!」 全日空のキャプテンは、こう強調して下さる。この言葉に慰められる乗客は多いのではないのであろうか。頻繁に機上の人となる世界のNoterさんならば、「はいはい、そんなこといちいち言われなくとも知っていますよ」、となるかもしれないが、飛行が苦手な人

  • この小さな国が世界第三位の輸出量を誇るものと、あの時代

    皆様はスポティファイ(Spotify)というものを御存じであろうか? もし、既にお使いであると仰るのなら、これがどの国で開発されたシステムかを御存じであろうか? 私も最近知ったが、スウェーデンである。 それでは『The Final Count down』で有名な、ヨーロッパ(Europe)という大胆な名前のバンドはどこの国の出身がご存知であろうか。 ヨーロッパには違いないが、ヨーロッパでも北の果て、スウェーデン出身のバンドである。しかもストックホルムの中心どころか郊外の出身である。大それたバンド名を取得する場合は、早い者勝ちということであろうか。 ちなみにJapa

  • ウーマンリブとプロセッコと友情と

    仕事の帰り道、ふと、正面から歩いてくる女性が視界に入る。 その女性は、長くサラサラの茶髪を野球帽の下に纏め、グレーのジャージ姿でポメラニアン犬の散歩をしていた。バービー人形のように非現実的に完璧な容姿と体型を擁する方であった。年の頃は20歳代後半、30歳代初頭であろうか、少なくともそのように見える。 彼女は私の視線に気が付くと、立ち止まり、私に親しい声を掛けた。 「ねえ、私のこと憶えている?」 憶えているも何も、彼女は私の勤務先の人事部長である。それにも拘わらず、腰が低く友好的な方であった。 彼女だけではなく、我が勤務先にてタイトルに「長」の付く方々には女性が多く、

  • 太陽がいっぱいの南仏 セザンヌとママンとワイナリーと

    「スウェーデンって物価が高いんでしょう?」、などと信じられていた古き良き時代は去った。いま私達は(もと共産圏以外の)欧州の中でも超ド貧となってしまった。アイスランドとデンマークは潤っているようである。 スウェーデンクローナ通貨の価値が冗談のように下がってしまったのは、ユーロを導入しなかったことにも起因するようである。しかしユーロを導入出来なかった正当な理由もあったと聞く。 政治はさておいて、今なら「スウェーデン良いとこ、一度はおいで」と胸を張って言える。物価は、決して安くはないが、西欧諸国と比較した場合、かなりマシである。治安は比較的良く、英語は通じる。また、インフラもそこそこ

  • 能登の大海を泳いでみた note雑感

    ある愛するnoterさんの過去記事とコメント欄を拝読させて頂いた時、ある方の名前が視界に入り、違和感を感じた。 スキを下さった方が更新をされていらっしゃらない時は、出来る限り過去記事を拝読させて頂くことにしている。 何故、違和感を感じたかというと、その方のコメント欄に、昨年亡くなられたnoterさんのコメントを認めたのだ。親しく交流をさせて頂いている方々のコメント欄では、その方からコメントを頻繁に見掛けていた。 私は、友達の友達はまた友達感覚が好きなのである。しかし、その方からはケミストリーが合わないと感じられたのか、海外生活の記事などは目にしたくはなかったのか、私とはま

  • マルセイユから届いた絵葉書とコートダジュール(紺碧海岸)

    以前の同僚、絵里香ちゃん、彼女に関して記憶していることは、彼女がストーカー被害を受けていたことである。 同僚でなくなってから数年経った頃、その彼女から絵葉書が届いた。 「お久しぶりです。今、私はマルセイユを訪れています。少し荒んだ雰囲気の街ですが、私は、いろいろなパブに乗り込んでは現地の荒くれた男達と口論したりしています」 太く大きな字にて書き殴られている葉書を読んだ時、彼女が随分勇ましくなったことを実感した。 横濱にて彼女と一緒の部署にて翻訳業務を行っていた頃、彼女は頻繁に泣いていた。鹿児島出身の彫りの深さに、色白のつややかな肌、社内でも絶世の美女と噂されていた彼女は

  • 隣りの芝生は青い、とは限らない

    「例えばだよ、東京に二十年住んでいて、一度も外に出たことがない人がこの景観を眺めたらどう感じるんだろうね」 橋を渡っていた時、スウェーデン人男性の声が明瞭に響いて来た。中高年の二人組の一人の声であった。 私は一瞬歩きを止めた。通常、赤の他人の会話には注意を払わないが、やはり自国に関する名称が聞こえると聴覚が過敏になる。 日本人である私の姿が彼らの視界に入り込んだのか、おそらく違う。 この場所は市の中心からはかなり離れている。円安に起因してか、最近海外にて日本人を見掛けることは、残念であるが滅多にない、増してはここは国際的に有名な観光地でもない。 二人組が立

  • プロヴァンス地方?名前からして勝負は既についている

    何故プロヴァンス地方を訪れたのか? 私にとっては、皆目掴みどころのない土地であったからである。 南仏、ラベンダー、ワイナリー巡り、ロマンチックな小説、あるいは映画の舞台、プロヴァンス地方に関する私の印象はせいぜいその程度であった。 取りあえず、プロヴァンス地方の概要を把握すべき、目的地はこのように選んだ。 公共機関でもアクセスの出来る場所は外す。 景観が類似している場所は外す。 博物館、美術館メインの場所は外す、一つの場所に時間を掛けないため。 観光はホテルから一番遠方から開始し、最終目的地はホテルから一番近い場所とする。慣れない土地にての長時

  • 壮麗であると聞いていた南フランス、南仏初心者の旅行法ダイジェスト

    イースター休みに突入して2日目の午後、自宅からストックホルム・アーランダ空港へ向かう。18時頃発のルフトハンザ航空に乗るためである。 イースターは7日から始まっているのに何故、6日の晩に発たず8日の晩まで待ったのか? 航空券が比較的安価の日と時間帯を選んだためである。 参考値 スウェーデン・ストックホルム-フランス・ニース間往復航空券 日本円に換算して4万円前後。3か月前購入 16時頃、アーランダ空港第5ターミナルのラウンジで早めの夕食を取ろうと、受付嬢に、食事にはどのようなものがあるかを訊ねてみる。 受付嬢曰く、「生憎、今日はあまり利用がないので品薄です

  • 誕生会は吹雪の中で

    どちらかというと自身はパーティー好きである。しかし、それはパーティーの参加者がある程度、関心を示してくれる場合であり、まったくあからさまに無関心を強調されると、さすがにこちらも白ける。 昨年、招待された誕生会の一つがその一例であった。ビール醸造所を借り切った誕生パーティーにはかなり大人数の客が招待されていた。よって、主役の少年時代からの知り合い、というような関係の客も多く、私とは何一つ接点が無かった。 パーティーに招待して下さった方には申し訳ないが、三時間が非常に長く感じられた一晩であった。 というわけで、今年も同じ方に招待を頂いた時、真っ先に想起し

  • 「友情に乾杯」 それぞれの贈り物

    海外に移住をした直後は、日本の友人達が頻繁に連絡を下さったり、一時帰国の際に遊びに来て下さった。 しかし、三年を経て、五年を経て、十年を経て、二十年も経ってしまうと、連絡先さえ分からなくなってしまった友人も多々いる。私も筆マメなほうではなく、フェイスブック、ラインのようなものも利用していない。 そのうえ今回は、ほぼ四年間のブランクもあった、パンデミックに起因するものである。 「日本に住む友人達と会う時間もそれほど無いのに、わざわざ海外に移住した人まで会わなくともいいかな、共通の話題も無くなって来たし」、と友人達に感じられても致し方がない。 しかし、 今回も、「

  • アラン・チューリング氏と「白夜の調べ」に 改名した友人を想う

    人工知能学を多少なりともかじった人間ならば、また、「イミテーション・ゲーム」という映画をご覧になった方であれば、アラン・チューリング氏の名前は耳にされたことがあるかと思われる。 アラン・チューリング氏は、現代計算機科学の父として有名であるが、第二次世界大戦中にドイツが使用したローター式暗号機であるエニグマを解読した英国の数学者としても有名である。 同氏は、天才数学者と称賛されながらも、当時の常識という大義名分により、自らのアイデンティティを曲げることを余儀なくされた。この点に関しては、大抵の参考資料においては説明されているためここでは敢えて触れないが、悲劇的な結末であった。

  • 市庁舎の鐘の鳴る島 私の街角

    市庁舎の鐘塔は、あたかも錯乱したかのように、キンコンカーンコーンと鐘を鳴らし始める。この瞬間のみ、時代は中世に遡る。 鐘の音は、私にとっては一様に、哀調を帯びているように響く。鳴っている最中も、その後も。 そのような感を抱きながら市庁舎の足元に佇んでいると、自身が、除夜の鐘の国を去って欧州に根を下ろして来たことを改めて認識する。 先週の金曜日は、近くにて用事があったため、数年ぶりに以前暮らしていたマンション裏のピザ屋を訪れた。ストックホルムのほぼ中心街である。 ピザ屋の内装も、働いている人達も以前とまったく変わっていない。彼らは笑いもせず、愛想も振り撒かず

  • 熱海の冬の物語

    昭代さんは熱海駅ビル、「ラスカ熱海」の入り口近くに立っていた。彼女とは四年ぶりの再会であった。母の古い友人であるため私も幼少の時から交流がある。 このようなモダンな駅ビルは私の乏しい記憶の中に存在していなかった。熱海という町は、日本に数多く存在する温泉町の一つであるが、他の温泉町と比較して生き残れる条件が揃っている。JR東海道線の終着駅であることもその一因であろう。 昭代さんの服のセンスは相変わらず良い。 羽振りの良かった頃には、彼女は上から下まで全て上質のもので決めていた。 彼女は、温泉饅頭の湯気の漂う仲見世通りに一瞥をやると独りごちった。 「嫌だわ、温泉街の雰囲気

  • ほぼ四年ぶりの日本 訪れたところ六選

    一週間前、北極周辺の上空にてエメラルド色のオーロラに包まれながら長時間の飛行の末、北欧に戻って来た。 一月二日が仕事始めであったため正月の雰囲気は残念ながらほぼ皆無。皆様におかれましては日本の新年気分を存分に満喫されていらしたことを祈りつつ、浦島北欧のささやかな日本滞在ダイジェストをご紹介させて頂きたい。 一週間前までは太陽の国にて、純白の雪に覆われる富士の姿を居間から臨みながら朝のコーヒーを堪能していた。 今晩は、白い雪の積もる中庭を見下ろしながら、日本に滞在していたことは果して現実であったのか、と訝う。 さいわい、日記代わりに撮っている写真は、私が現実に日本を訪

  • 連絡です

    皆様、ご無沙汰しております。 お元気でいらっしゃいますか? 三年半以上ぶりに、ようやく故郷の地を踏むことが出来ました。 今まで地球の裏側から言葉を交わさせて頂いた方々と、ついに同じ空気を吸うことが出来たのだと、非常に深い感慨に浸っております。 日本帰国に際して、有用な情報を下さった方々、観光場所、レストラン等に関していろいろとご紹介をして下さった方々、本当にありがとうございます。 現在、もろもろの理由により、非常に残念ながら、しばらくメール用の口座にアクセスすることが出来ません。 したがって、メールを下さった方々のメールへアクセスさせて戴くことがここしばらく儘なりませんが、

  • 女ふたり、愛しのカルチエ・ラタンにて、そしてパリのまばゆいケーキたち

    パリのカルチエ・ラタン、「ラテン地区」、なんというお洒落な響きであろうか。そう感じられる理由は、セーヌ河とノートルダム寺院に近いこの地区を、私が愛して止まなかったからかもしれない、少なくとも今年の夏までは。 初めてカルチエ・ラタンを訪れた時、私は、紅色の灯りに彩られたこの街の中にて佇んでいた。往来の人々も紅色の世界に染まっていた。 パンデミック最盛期の鎖国時期、海外旅行を切望していた時、私の夢の中にまで出現したのがこの紅色のカルチエ・ラタンであった。夢の中にて私はこの地区を楽しく散策していた。 カルティエ・ラタンの写真は、往来の人が多すぎたので今回は載せておりません。

  • アルプス山麓にて 過ぎ去りし冬日の北欧の山を偲ぶ

    中欧の夏が間もなく終わりを告げようとしていたある週末、 アルプス山麓に佇む一つの村にて、私は湖底まで透き通った湖のまわりを歩いていた。山と湖のある景観というものはかくも幻想的なものなのか、と一人感嘆しながら。 そこは南ドイツであり、その景観は私にとってはまったく未知のものであった。汗ばむほどの炎天の下にて、深緑に装飾される山々を眺めていたら、もう何年間も北欧の山々を拝んでいないことに思い当たった。 北欧の山々も、中欧アルプスほどではないかもしれないが、そこそこ有名である。特に冬のスポーツは盛んであり、冬季五輪におけるノルウェーとスウェーデンの獲得メダル

  • ドイツ・ミュンヘン 見落としていた1972年

    「思うにね、ミュンヘンと言う町は、全く過小評価されているよ」 知り合いのイタリア人男性がそのように宣う。ミュンヘンを愛し、頻繁に訪れていると言う。 これは彼なりの高評価なのであろう。通常はかなり評価の手厳しい男性だ。それならば、とミュンヘン訪問への期待が持てた。 夏休みを四日間戴いて、ミュンヘンを訪問することにしたのだ。 何故ミュンヘンなのか。 どこに行くにも通過したマリエン広場 塔は、とにかく高ければ高いほど良いのであろう ドイツは比較的物価も安く、ミュンヘンをハブにして、かの高名なノイシュバンシュタイン城とメルヘン街道へ足を延ばすことも可能であると

  • 「世界一美しい」と称賛される美術館を訪れてみて

    「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」 このセリフは長く語り継がれ、使い古され、パロディ化さえしているが、その返答もまた様々であろう。 もし仮に私が誰かに「このパーティーで誰が一番美人/イケメンだと思う?」、と質問されたら、「貴方の理解するところの美人の定義を述べて下さい。判断基準は何ですか?」、と問い返させて頂くであろう。 身長が一番高い、体重が一番重い、一番金持ち、足が一番速い、等は数値で計測することが可能であるため、ある程度比較が出来る。 しかし、「美」は果してどのように計測したら良いものか。 英語にはこのような表現がある。 Beauty Is in

  • 「あの日電話が不意に」 ヘッド・ハンティング体験

    「新入社員の候補としてジョン・ブロム君を推薦したのは、確か君だね」 人事部長から確認を問われた。 「さようですが、何か?」 「推薦された候補者が雇用にまで漕ぎつけたら、推薦した人に臨時ボーナスが出ることは知っているよね?」、人事はそう案内した。 ボーナス? 初耳であった。 スウェーデンの会社においてはボーナスという習慣はあまり聞かない。そもそもそのような代物を戴いたこともない。 困惑のため無言で突っ立っていた私に人事は、ボーナスの金額を述べた。果たしてそれは、日本への往復航空券が二枚購入出来るほどの金額であった。 隣りの島と高速道路 私は

  • あの若者達は今晩どこで眠るのか

    そのホテルにチェックインをした際に、「耳栓が御入用でしょうか?」と訊ねられた。時刻はかなり遅くなっており、非常に疲れてもいたが、その質問を受けた途端、ホテルを変更しようという衝動に駆られてしまった。 戦後直後に建てられ老朽化が進んだホテルではあったが、その割には宿泊費は高額である印象を受けた。にも拘わらず、耳栓が必要になるほどの騒音が生じ得ると言う。 二年半ぶりに宿泊する記念すべきホテルは、果たしてここで正解だったのであろうか。 パンデミックが落ち着いてから最初に泊まるホテルは海外であるべきである、と決めていた。しかし、今回はドライブ行程の便宜上、スウェーデン国内とな

  • 「パリ症候群」という言葉を御存じであろうか

    「パリ症候群」 数年前に、どなたかからこの言葉を聞かされた。 パリに対してあまりに多大な憧れをもって渡仏した人が、理想と現実のギャップを精神的に受け入れられずに鬱病等に陥るというような症状であるらしい。1991年に精神科医の太田博昭先生が同名の著書を発表されてから認知され始めた症状であるという。 パリというところはそのような症状が認知されるまでに、人々に憧憬を抱かせる都市らしい。 仮に私が、「パリは好きか?」と訊ねられたら「好きだ」と答えるであろう。合計六回もプライベートで訪れている。しかし、「何故か?」と訊ねられても返答はし難い。 「パリに住みたいか?」と

  • 翼に乗ってついに大都会へ 平和ボケに救われたこと

    朝食用に購入したタルト入りケーキ箱を嬉々と抱えながらアパートホテルのロビーを通り過ぎようとしたところで、レセプションの男性に呼び止められた。 梨と桃のタルト、郊外のケーキ屋さんであったため一個280円程度。中心街では高額 レセプショニストは、首から掛けた私のカメラを指している。最初、私は呼び止められた理由が予測出来なかった。 「ここで写真を撮影したら駄目だよ」、とレセプショニストは憤慨している。私は困惑した。写真を撮影していて注意されたことはスウェーデン国内では一度も無かった。 私が撮ったのはアパートホテルの入り口であった。その時、客は誰もおらず、入り口からはレ

  • 風船の真下にて異国情緒を満喫することが出来たならば

    「この町ではどこを廻りたいの?」 その町を案内してくれるはずの知人兼ガイドさんが訊ねて下さった。 私は、観光を希望する箇所を早口に羅列した。 ガイドさんの表情に陰が差した。私が最後に挙げた観光名所に拒絶反応を示されたのだ。「やはりそう来たか」、という心情であろう。 その場所は一応観光地としての扱いはされているが、そのような場所を苦手とする人にとっては、出来れば避けたい場所であるのであろう。 「どうしても行きたいの?」、と確認された。 人様の嫌厭されることは出来ればしたくない。しかし、この場所の観光に関しては妥協したくなかった。私は「どうしても行きたい、今日のハ

  • 心の中で描いていた童話の里を訪れてみると

    その里のことは以前から時おり耳に挟んでいた。 「長くつ下のピッピ」の著者、アストリッド・リンドグレン女史の「やかまし村の子供たち」などを読んだあと、この里のイメージが自分の中で勝手に先行してしまったのかもしれない。 この里には、小さな平坦な村に小さな古い木造の家が点在しており、その中の数軒が飴屋さんになっている。そのようなイメージであった。 こちらでは先週末が「キリストの昇天日」に因む長期休暇となっていたため、長めのドライブに出掛けてみた。道路工事等で途中、渋滞に巻き込まれたため、その里に到着した時は正午をかなりまわっていた。 この里に辿り着いた途端、最初の思い

  • 二年半ぶりの洋行 国名解答編

    クイズ出題など柄でもないが、二年半ぶりの洋行が成就し、あまりに感激していたため皆様にも洋行感覚をシャアさせて頂きたかったという次第であった。ご多忙であるに拘わらず多くの方々に、国名と都市名を推測して頂いた。 それほど難しい問題とは思わなかったのだが、この国はおそらく北欧の中でも、スウェーデンよりもさらに大騒ぎをしない国なのかもしれない。 まずは最初のヒントは、載せさせて頂いた駅のプラットフォームの写真の写真の中にあった(電車の下の写真)。 異国まで5時間半、私を運んできて下さった列車の運転車両。 国名ヒント① 前回記事から。この電光掲示板の行く先(Gjøvik)をグ

  • 二年半ぶりの洋行 行き先は

    「ただいまスウェーデンの国境を越えました」、というアナウンスが列車内に流れた時、私は慌ててカメラを取り出した。その時は窓の外を眺めていなかったため何らかの標識を見逃してしまったのかもしれない。 越境直後の風景はまったく変わらなかった、スウェーデンと。 黄土色に覆われた農地が越境後もしばらくは続いていた。 しかし、私は感激していた。 実に二年半ぶりに、ついに国境を越すことが出来たのである。これは果たして夢なのか、と自分の頬に平手打ちをかましてみる。 パンデミックが横行している期間でも、私の知人達は巧く立ち回りながら、日本を含むいろいろな国へ旅行をしていた。そして、石橋

  • イースターのご挨拶~ご無沙汰しておりますが、なるべく近いうちにお伺いさせて頂きます

    皆様、ご無沙汰して居ります。 数名の方々から、ご心配を戴いていたと伺いました。とても恐縮に感じて居りますため取り急ぎ生存報告まで。 また、戦況に関しては、スウェーデンとフィンランドがNatoに加盟したら沿岸都市が危機に晒される、というニュースが新聞の第一面を飾って居ります。 春は難事が重なり、言葉を交わさせて頂いている方々の玉稿を拝読させて頂くのも遅れがちになっております。三月初めに綴り始めたエッセイ記事も未だに書きかけのままです。 こちらでは現在イースターとなっているため、今回はこの時期のこちらの写真を以てご挨拶に代えさせて頂きたいと思います。

  • 一年間半ぶりの通勤 懐かしい日々

    朝七時に起きて、デジタルミーティングの10分前にシャワーから出る、化粧もろくにせず、シャキッとした服も着ず、緊張感のない生活。このような生活が永久に続くわけはないことは、心の底では理解していた。平日は、マンションから一歩も出ない時も多々あった。 リスクグループに属するため、物理的出勤は、パンデミックがさらに鎮静化されるまで、延ばし延ばしにして待つつもりであった。出勤の有無に関しては個人の希望が尊重されるものだと思っていたが、どうも雲行きが怪しくなって来た。 先週の週中、上司の一人が還暦を迎えた。そして、その誕生会を開催するという案内が送られて来た。 誕生会と言ってもデジ

  • 拝啓 ストックホルムより

    日本在住の知人からちらほらと、こちらの日常を案ずる連絡を戴き始めた。朝方の四時に携帯メッセージで起こされたこともある。時刻はともかく心配して下さる思慮は有難い。 本日付のストックホルム市からの案内 -現段階においては、スウェーデンが武力攻撃を受ける可能性は低い。 -スウェーデンも避難民を多く受け入れる準備をしている。 -個人的な寄付、ボランティア活動は赤十字を通して行える。 -流言飛語が出回っている可能性も多いため、信頼できる情報源を選ぶ。  -子供、青少年、大人のための各種心のケアラインが開設されている。 「食料に関しては現在のところそれほど心配するこ

  • バレンタイン・デイ すれ違う二艘の船

    そのスカイラウンジはホテルの最上階にあった。私はそこに座ってしばらくバルト海を見下ろしていた。ラウンジはオフィスビルの延長のようなしろものであり、落ち着ける空間ではなかった。しかし、数日前に予約した部屋に下りて行くまえに、私には心の準備が必要であった。 この晩の一か月前、四年間半お付き合いをさせて頂いたスカンジナビア航空のパイロットから別れを切り出された。 ようやく腹を括って、八階の部屋へ降りてドアをノックした。ドアがゆっくりと開かれ、部屋に一歩招き入れられた時、私は一驚した。 部屋のところどころに燭台が置かれ、各燭台の上では灯りが自在に演を舞っている。テーブルの

  • 長蛇の導くところ そして150円の幸福

    最近、近所を歩いていると、長蛇の列に遭遇する。 この時勢、長蛇の列が出来る場所と言えば、ドロップインのワクチン接種センター、職業安定所、税務局等の切羽詰まった方々のための機関である。しかし、この界隈にはそのような機関は無いはずである。 職業安定所などはたとえ長蛇でも、他に選択肢が無いために並ばざるを得ないが、私が遭遇するこの行列は、皆、自分の意志で長時間並んでいるのである。 そして、長蛇の始点にあるものはパン屋である。 ストックホルムのパン屋は通常でも繁盛しているが、角を曲がってもまだ延々と続いているほどの長蛇はかつて見掛けたことがない。 そ

  • 東北の宵は軍歌とともに更けていった

    乳白色の湯けむりに覆われてしまった共同浴室から上がり、自分の宿泊していた部屋に戻った。部屋のドアをゆっくりと閉めたとほぼ同時に、控えめなノックの音がかろうじて聞こえて来た。 時刻は二十時をまわっていたため、清掃時間にしては遅く感じられた。 私が「誰呀(誰ですか)?」と尋ねると、落ち着いた若い声の日本語が聞こえて来た。 「朝、食堂でお会いした河村です。もし良ければ少し一緒に話をしませんか?」 河村さん、その朝、宿泊所の朝食レストランにて初めてお会いした若い男性であった。父親と一緒のテーブルに座って居た。東京大学にて法律を履修されていらっしゃるということであったので

  • たかがドレスコード されどドレスコード

    玄関のクローゼットを少し大きめに開いてみたら、一着のドレスが視界に入った。それは、クローゼットの奥で、控えめに光沢を放っていた黒い晩餐会ドレスであった。そのドレスが晴れの舞台に立てたのは過去一回だけであった。 それはおそらく、ふたたび腕を通すこともない無用の長物であろうが、かと言って手放す気にもなれない。 こちらに移住したばかりの頃、知り合いの誕生パーティーに招待をされたことがある。 「移住」といっても最初は、「移住するのだ」というような確固たる決意もなく、気が付いたら二十年の月日が経っていたというだけの話である。従って、こちらに移る前はこの国の慣習を、特

  • 巨万の富を得たご令嬢 壺に嵌まる

    思いがけなく勤務先から休暇を戴いたので、あるご夫婦のお屋敷を訪ねてみることにした。 彼らのお屋敷はストックホルムの中心に位置している。彼らがその屋敷を購入した当時は日本円にして3千万円程度(当時としては巨額)であったらしいが、現在この物件(建物)を購入をすることが可能であるとすれば、おそらく30億円は下らないのであろうか。人気物件は、大抵の場合は、競売になるのであろうから価格はさらに吊り上げられる。 建築家たちは、「金に糸目は付けないから、屋敷を最高のもので装飾してくれるように」、と、このご夫婦に依頼されたという。 この屋敷の晩餐会サロンに入ると、アンティ

  • ご縁とタイミングを大切にしたい2022年

    スウェーデンでは、年越しの瞬間、除夜の鐘は聞けないが、毎年、スウェーデンの著名人が、国営放送の中にて「新年の鐘」と称される詩を朗読することになっている。 今回、詩を朗読された男優には見覚えがあった。 十年少し前に、私も端役で共演させて頂いたスウェーデン国営放送のドラマの主役のレイネ・ブリイノルフソンという男優であった。比較的顔立ちの柔和な俳優さんではあったが共演させて頂いたドラマの中では、比較的横暴な役を演じていた。 その彼がこの詩を朗読した直後、国営放送の画面、および我が家の窓の外では一斉に花火が打ち上げられた…はずであった。 Nyårsklockan (新年の

  • 北欧の師走はバルト海のほとりにて過ぎゆく

    北欧の師走はバルト海のほとりにて過ぎゆく

  • 小さな町の小さな家の中のさらに小さな家たち

    小さな一軒家に住む知人のお茶会に招待を頂いた。第二アドベント(クリスマス関連の行事)の集いである。 今回は、その集いに、私がかつてお会いしたことがない方が参加されるという。 招待をして下さった家族には、息子と娘がいらっしゃる。娘さんには何回かお会いしたが、息子さんにはお会いしたことがなかった。 非常に人見知りな青年で、人の集まるところには通常は姿を現さないと噂に聞いていた。 私は久々にストックホルムの境界線を越え、北上した。数か月ぶりのことである。 車にて小一時間の小さな町ではあるが、坂の多いストックホルムとは様相が異なる。平坦な町であるため、市

  • ある館のミステリー マリアの貢献

    ストックホルムの南の島、ある一角を歩いていると多少違和感を覚えさせる館が視界に入る。館の背後からは泥酔した人々の雄叫びが響いて来る。 美しい装飾が施された1670年築のこの建物だけは、ホームレス人救済センター等の在るこの一角から端麗に取り残されている。 冷たい空気の中、この館を撮影していると、通りすがりの人達から訝りの視線を受ける。通行人の多くは、この館でかつて起きた事故のことをおそらく知らない。この館は60年前迄はこの地区における病院であった。 医療業界において重大な意義を残すこの病院は、1876年からはマリア病院と称されていた(それ以前の館の用途は孤児院)。

  • 北欧の晩秋 最後の荘園にて

    北欧の晩秋 最後の荘園にて

  • ゆきずりのリスボン 年下の青年

    「旅は道連れ」とはよく言われるが、その道連れが、ほんの数週間前に出会った人間であったらどうであろうか。 一通の手紙を大西洋に託したかった私と、十一月の曇り空を抜け出したかった青年が、ひょんなことで、週末の南欧を旅することに意気投合をした。その時点で彼に関してわかっていたことは、名前と年齢と職業だけであった。 青年の年齢は私よりも十歳下であった。   出発の二日前、青年から電話が掛かって来た。 腹部の激痛のため緊急病院に運ばれたと、携帯電話の向こう側の声はしゃがれていた。もう一日様子をみるが、痛みが当日まで治まらなかったら、旅はキャンセルをせざるを得ない。

  • ハロウィンと諸聖人の日、幾百もの光を散りばめて

    ハロウィンと諸聖人の日、幾百もの光を散りばめて

  • 母さんたちと一緒に迎える夜明け

    2018年ー2019年、スウェーデン。グレタ・トゥーンベリという少女が、数々の苦難と共生しながら、環境運動を「学校ストライキ」という強行手段を以て推進していた。その運動は、若者を始めとした多くの人々の賛同を受け、瞬く間にその輪を広げ、世界中のメディアにて語られることになった。 その環境運動ほどは知られていないが、グレタの運動の裏側にはもう一つ特記すべきことがある。彼女がアスペルガー症候群を「スーパーパワー」と呼び始めたことである。この頃から、ADHD等の各種症候群へ対する観念も変わって来た印象を受ける。 例えば、ストックホルムにて地方新聞が実施した街頭アンケート、「もしスーパ

  • 「始まる世界」にノルウェーの人間塔を想う

    奇妙な話であるが、最近、追憶の奥深くに仕舞われていたノルウェー・オスロのヴィーゲラン彫刻公園の光景を頻繁に思い浮かべる。 その中でも、頻繁に記憶の底から突き上げてくるのはこの塔である。 この塔の名前は何と言うのか失念した。 ネットで調べてみれば見つかるかもしれないが、これを造った彫刻家がこれをどのように命名したかは私には重要ではない。何故なら芸術とは下記のようなものだと信じているからである。 「ART IS IN THE EYE OF THE BEHOLDER」ー「芸術は、それを鑑賞する人が、自らの主観を以て勝手に解釈するものだ」 そのお言葉に甘え

  • 北欧スーパーマーケットで朝食を

    北欧スーパーマーケットで朝食を

  • 十年後に訪れたエメラルド島 アイルランド

    「アイルランドの主要都市を六泊七日で一周するつもりだ」、とアイルランド出身の同僚ショーンに伝えたら、「I doubt that it will work out」と忠告された。 グーグル地図で見たら、この行程は楽勝に感じられた。 しかし、以前アメリカ中西部ミズーリ州で、距離の判断ミスのため、夜中の山道を、十三時間ノンストップにて一人で運転する羽目になったことがある。そのような非常に苦い経験があったので、一抹の不安はあったが、まあ、臨機応変にいこう、ぐらいに軽く考えていた。 親切なショーンは、おススメ観光プランを詳細に示したプランを作成して下さった。 英語圏でも

  • 第3回THE NEW COOL NOTER賞にて「始まる世界」 参加表明記事

    お世話になっております。 お声を掛けて頂いたので、第3回THE NEW COOL NOTER賞の「始まる世界」に参加させて頂きたいと思います。 すでに一度参加をさせていただいたこともあり、しばらくは参加を躊躇しておりましたが、以下、企画の主旨に深く賛同させて頂きましたので、微力なりとも貢献することが出来れば幸いです。 これからの時代を生きる人たちへ やさしい世界が1ミリずつでも広がりますように 長い人生において、また過去に暮らした土地において、多少なりとも関わった人々の壮絶な体験と苦悩を目の当たりにして来ております。苦悩のどん底から果たしてこの

  • 小高い丘に佇む秘密の花園

    今日はラウラという一人の少女の話をさせて頂きたい。正義感に燃えすぎている少女である。 正義感があることは立派なことである。何の支障があるというのか? 問題は、ラウラの正義感が、彼女自身を、あるいはまわりの人間を、トラブルに巻き込んでしまうことにある。 例えば、ホームレスの人を足蹴にした人達を目撃したりすると、ラウラはその人達を追いかけて、ホームレスの人に謝罪させるまで食い下がる。十代初期の身体の小さい子供が図体の大きい大人に、彼女なりの道徳理念を説こうとしていたのだ。 今の時勢、正義を貫いた故に危険に遭う人は後を絶たない。危険に遭う可能性があるから止め

  • ワインを独りで吞まないために

    コネという言葉には多少抵抗を感じる。 私がこちらに渡った当初は、コネなし、手に職無し、運なしの三拍子であった。東京では通訳・翻訳の仕事をしていたが、非英語圏であるこの国では、残念ながら英日通訳という職を介しては定収入は確保出来なかった。 コネ、あるいは手に職を持っていた人々の中には、この国に根を下ろした翌日に定職にありつけていた人もいた。 私がこの国に持って来たものは、若さとひとかけらのプライドのみであった。 しかし、コネというものはそれなりに作れるものである。 この国で大学の卒論を書いていた時のことである。スーパーバイザーを探す際に非常に難儀をし

  • ある商人の選択 森の奥の晩餐館

    「是非、案内したいところがあるの。きっと趣向に合うと思う」、と陽子さんは言う。 彼女は運動靴で深緑の森の中をグングンと歩いて行き、私はハイヒールで彼女の後ろを追った。 季節は夏の真っ盛り、足元は砂利真っ盛り。 途中、美しい庭園カフェを通り過ぎた。咲き乱れる花の中でシャンパン・グラスを傾けている人々のシルエットが眩しかった。 陽子さんは赤い煉瓦の建物の前で立ち止まった。 ストックホルムの南に住んでいる人たちにとっては、かなり有名なところであるらしい。この建造物はかつて、百年前にはどのような用途で利用されていたのであろうか。 それ

  • 他人の名前で生きる人々

    その晩、旧市街の地下鉄のプラットフォームに立っていた乗客は多くはなかった。携帯電話の時計は23時半を示していた。友人達との食事会の帰り道であったが、彼女たちは数分前に反対方向の電車に乗って帰って行った。 電光掲示板に依ると、私の乗る地下鉄は2分後に到着するということであった。 ふと、肩を軽く叩かれた気がした。 友人が戻って来たのかもしれない、と思い、後ろを振り返ってみた。 私のすぐ背後には一人の青年、いや少年が立って居た。肩を叩いたのは彼であろうか?まわりには他に誰もいなかった。 少年は私と目が合うと「日本人か?」、と英語で訊ねて来た。発音から判断したらスウェーデ

  • 海岸通り 注文の少ない料理店

    どの賑やかな町にでも、どんな商売を始めても繁盛しない地所というものがある。 私の住む地区にもそれが一か所ある。 海岸通りの美しいこの地区に引っ越して来てから三年が経った。 何かしらのお祝いをしようと、友人を誘って韓国焼肉、飲茶食べ放題レストラン(添付写真)にて、飲茶ならず無茶食いをすることに決めた。 最近ではレストランにて食事をする頻度は多くはないが、節目節目ごとに何かしらの記憶に残る行事を催していないと、月日だけが無為に過ぎてゆく。 体調を改善させる試みとして、最近数か月は毎日鳥のエサのようなものを食していた。こってりしたタレにどっぷりと付

  • 第3回THE NEW COOL NOTER賞~エッセイ部門賞 - 特別賞拝受の感謝絵葉書

    戴いたお祝い事に関しては、通常はなるべく無言でおりますが、企画をして下さった方々、審査員の方々のご苦労を考慮致しますと、今回は大騒ぎをしないわけには行きません。 表記のエッセイにて今回は第3回THE NEW COOL NOTER賞~エッセイ部門賞にて特別賞を拝受致しました。 受賞作の発表と頂いた講評に関してはこちらで詳しく記されています。こちらが、「THE NEW COOL NOTER」事務局長の一奥さんのnoteでもあります。一奥さんの興味深い人生に関する記事もこちらで拝読させて頂けます。 今回の応募作品の講評は、一奥さん、みこちゃん、洋介さん、ヒロさん、ゼロの紙さんに

  • ある夏日のコンサート 招かれた客

    音楽家の晶子さんから誘いがあった。チャリティーコンサートでコントラバスを演奏するから聴きに来ないか、というものであった。 打診を受けた時点では、その「チャリティー」の意味を深読みしておらず、即座に快諾した。人様からの誘いは先約が無い限りは断わらないようにしている。 コントラバスと言われてすぐにはピンと来なかったが、何やら大きそうな楽器だと考えるくらいの常識はあった。 黒いキャスケット帽を深く被ったショートカットの彼女は、コンサート会場である教会の入り口近くの階段下に立っていた。彼女の腕には何の楽器も見られなかった。 「今日は演奏でけへんねんて。上でやるはずやったけど

  • 静かな時間 昼下がりの北欧

    静かな時間 昼下がりの北欧

  • 花の金曜日・イン・ストックホルム

    花の金曜日・イン・ストックホルム

  • 第3回THE NEW COOL NOTER賞~エッセイ部門応募-講評を戴きました

    THE NEW COOL NOTER賞に八月中旬に応募させて頂いたエッセイをヒロさんに講評して頂きました。とてもご親切な講評を戴いたので応募をさせて頂いて本当に良かった、と感じました。 こちらがヒロさんのnoteです。 生活、健康向上のために役だついろいろな情報を発信していらっしゃってお、非常に人気がある方です。 今度の募集は「食育・子育て・おいしいもの」ということです。興味がおありのかたは下記リンクの下にて募集要項を確認して頂けます。 関係者の皆様、本当に有難うございました。 **************************

  • 亜依子さんを探しています、サンパウロの夏

    何十年も連絡が断たれていた知人から、前触れもなく連絡があったとする。 その時、貴方の脳裏に一番最初に浮かぶ懸念は何であろう。 何かしらの商品・サービスの販売? 連絡をしてきた人の傾倒する政治家への投票依頼? 何らかの組織への加入案内? お金の無心? 出来ることなら、そのような猜疑心には目を瞑って、「随分久しぶり、元気にしていた?」、と素直に喜んでみたいものである。その用件自体が問題なのではない。   父の仕事の関係でブラジルに住んでいた数か月の間、サンパウロ市の日本人学校に入らせて頂いた。大人になってから理解したことだが、日本人学校は、

  • 羽田発ヨーロッパ便にて、そして隣に座った日本人女性

    その日の羽田発ヨーロッパ便の出発は若干、定刻を過ぎていた。私と娘が乗る予定のものであった。飛行機が遅れるという経験は過去にも何回かしたがいずれにしろ、気持ちの良いものではない。 外の気温は30度を余裕で超えていた。 北国に長く住んでいると汗腺が退化すると、知り合いの医師から注意をされてはいたが、日本では、熱中気味で最後の二週間は娘と一緒に寝込んでいたため、夏の日本滞在はその時点ではほぼ限界であった。 一時間後、ようやく乗機を許可された。機内窓側の席には無愛想な(おそらく)英語も話せそうもないドイツ人の中年男性が座って居た。 私は、通路側に座った。末娘は真ん中に座らせ

  • ある晩、南の島でパトリシアを拾ってみたら(ストックホルムの夕暮れ)

    ある晩、南の島でパトリシアを拾ってみたら(ストックホルムの夕暮れ)

  • 次世代女王の誕生日にnoteと地中海を振り返ってみれば

    ノロいノロいと自嘲はしているものの、実は、私にはカメレオンのように身の翻しが速いとお褒めを戴いた性質もある。 ブログを畳んで次のプラットフォームに乗り換える速さである。 畳むと言っても、10記事から30記事を投稿したところで畳んでいるのでそれほど大袈裟なことではない。しかし何故、そのように不誠実なことを繰り返して来たのか。 最初のプラットフォームにおいては読み物記事の投稿を始めた。 出だしは良かった。 しかし、5、6記事を投稿したころから、奇妙なコメントが届きはじめた。コメントを開いてみると「コメントの内容に不適切な表現があるので削除しました」、

  • わたる世間は鬼ばかり、に非ず。北欧カフェにて

    朝のデジタルミーティングは9時15分から始まる。今朝、シャワーから出たのは9時09分であった。すなわちミーティング時間まで余す時間は6分間である。その6分間に身支度を整える。今日はビデオ会議にする、などの抜き打ちの場合もあるので、タオルを巻いたままだけというわけにはいかない。昨日も一昨日も同パターンであった。 「このように時間に余裕のある勤務形態は、まさに自宅勤務の醍醐味だ」、とは決して思っていない。規則正しい生活を営む方がどちらかというと調子が良い。しかし、ここしばらくは不眠気味で就寝時間が遅くなっていた。その結果、起床時間も必然的に遅くなるという邪悪なスパイラルに陥っている。

  • 横濱の裏通りにて洗濯機に頬ずりをする

    場末という言葉には惹かれる。そこにはあらゆる人生の喜怒哀楽が凝縮されているような錯覚を受ける。しかし自分がその場所に住むという算段は全く無かった。他に選択肢が無かったため必然的にそうなった。 国際結婚というものには、そのいささか甘い響きの背後に語られない憂鬱がある場合もある。その一つが日本における不動産探しであった。 例を挙げれば、不動産仲介代理店のガラス張りのドアが開いた瞬間、「ノーノー外人」、と手を横に振られたことも数回ある。私は生粋の日本人である。しかし私の後ろから遠慮がちに立っていた連れは長身、サラサラの金髪碧眼、一目瞭然の「外人」であった。すなわち英語ではエイリアン

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