【Camino2020.ふじやんの大巡礼。】はユーラシア大陸の最果てまで飛行機を使わずに行って帰ってくる世界一周プロジェクトです!準備や旅の様子などを綴っていきます。 2020年7月1日出発!
8月20日 今日はベルリンを後にし、オランダへと長距離移動だ。 ここ最近の長距離移動とアウシュビッツの件もあり少し疲れている。 オランダには4泊5日の長期滞在する。 今年の4月からワーキングホリデーが始まっている。 今回様子を見て、またワーホリでオランダに来ようと思っている。 オランダとは縁がある。 長崎は出島にオランダ商館が置かれていたのもあり、オランダと交流が盛んだ。オランダ人観光客も多く、いつかうちの古民家にカウチサーフィンで泊まりに来たオランダ人も出島を見て感動していた。 それに、オランダ人とは相性がいい気がする。 言葉も通じやすいし、仲良くなるのが早い。
8月19日 いろんな思いを抱えながらベルリンへと戻る電車のなか。 自分は体験していないけれど、 戦争の記憶というものが自分の中にも刻まれた気がした。 ヒロシマ、ナガサキの原爆とは比較できないが、 戦争が人間の仕業であることがはっきりとした。 そして、平和への決意、戦争は二度としてはいけないと、 心に改めて刻んだ。 戦後75年の節目 体験はできないし、したくもないけど、知ることはできる。 誰かが生きたかった1日を大事にしながら、旅を続けたいと思う。
8月18日 ついにこの日が来たが。 フィクションで描こうと思っていたが、 どんな言葉を書いてもウソになると思ったので書きません。 ただ、ここに来れば 「戦争が人間の仕業である」ことがはっきりわかると思います。 私が行きたい場所はここです。私が行かなければならない場所はここです。 いつか流行病が収束し、世界一周に行けたら、 自分の目で確かめ、自分の鼻で感じ、じっくり考える時間を作りたい。 フィクションでお届けしている幻の巡礼記はまだまだ続きます。
8月17日 今日はアウシュビッツに向けてポーランドへと1日かけて移動。 初の移動困難日だ。 ベルリン中央駅を9:37に出て、約8時間の電車旅。 以前、記録的豪雪の中出雲から鳥取まで1日かけて移動したことがあった。 そのとき驚いたことがあった。 電車が止まってしばらく停車することがアナウンスされたとたん、 車内のほぼ全員が携帯を取り出し、一斉に電話。 なんだか異国の風景を見ているようだった。 電車での移動が時間の無駄だとか不便だとか言うけど、 時間を使うということは最高の贅沢で、お金では買えない。 この時間を使って普段はできない瞑想だったり妄想だったり、 そういう時間が
8月16日 昨日の余韻がまだ残っている。 もう一度ベルリンの壁を巡るべく、散歩に出た。 境界線を巡る旅は思いのほか気持ちが重たくなる。 この後最大のアウシュビッツ訪問が待っているのだかが、 旅の序盤の日程でその先に影響しないか心配である。 途中DDRミュージアム(DDRは東ドイツの略称)があったので入ってみた。 東ドイツの市民生活が再現されている。 日本ではあり得ないが、展示品に触れることができる。 ドイツの昭和レトロ博物館ってところかな。 博物館の島に行こうかと思っていたが、 雨も降ってきたし旅の疲れも出てきたのだろう。 ムッター・ホッペというレストラン
8月15日 昨晩の楽しい宴会もあり、ちょっと遅めの出発となった。 朝ご飯までお世話になって、本当にありがとう。 駅まで送ってもらい、ベルリン行きの電車に乗った。 今日は終戦記念日。ベルリンで迎えるのも何か意味がありそうだ。 境界線を越える旅にとってはとても意味のある場所。 かつて東西に分断されていた町だ。 まずはブランデンブルク門を目指す。 ブランデンブルク門 統一ドイツの象徴でもあるこの門すぐそばに、壁が築かれていた。 今はもう線が引いていあるだけだが、 これによって引き裂かれた人々も少なくなかった。 今は自由に超えられる線を一歩かみしめた。 ユダヤ
8月14日 船は21:30ごろトラビュミュンデ港に着いた。 昨日、サウナに入ったせいか、ぐっすり眠ってしまった。 日中もバルト海を眺めながらぼんやり過ごしていた。 着岸したので降りる準備をしているとメールが入った。 「ターミナル出たところで待ってる!」と。 ほんとはトラビュミュンデで一泊するつもりが案外宿もなく、 ターミナルから市街地のリューベックまでの夜の移動は危険ということもあり、ハンブルクに住む大学時代の友人に泊めてもらうことになっていた。 ターミナルを出ると懐かしい拓ちゃんの顔だ。 「久しぶり!」 「ようこそドイツへ!」 「卒業以来会ってないか
8月13日 今日は夜のフェリーでバルト海を抜けドイツへと渡る。 マーケット広場 朝、港に面したマーケット広場に行ってみた。 食べ歩きできるものがたくさんって、歩くだけでおなか一杯になる。 特にフィンランド人はベリー好きということもあって、 ベリーの篭盛りがたくさんある!今が旬なのでとてもおいしい。 ほかにもパニーニがあたので珈琲と一緒にいただく。6ユーロ。 これから先はユーロ圏なので計算が楽だ。 小物やハンドメイドの雑貨もあって十分楽しめる。 本場サウナとかもめのプール 昼食後、せっかくなのでサウナに行ってみることにした。 ウルヨンカツの公共プール 通称「
早朝6:40 フィンランドスキー駅からアレグロに乗り いよいよ欧州編:フィンランドへと入っていく。 初の国境超えである。 ロシア側の最終駅で出国審査。そして、国境越え! そのあとフィンランド側で入国審査、税関チェック。 ロシア側では強面のお兄さんが不愛想にスタンプ。 フィンランド側ではスマイルのお姉さんがやさしくスタンプ。 こんなにも違うのかと思いながら無事欧州編スタートです! ヘルシンキ 10時ごろヘルシンキに到着。 今回、フィンランド滞在は31時間。帰路で1週間ほど滞在。 とりあえず、明日のフェロー乗り場の確認をしてから、 港のマーケットを散策しながら宿へ向かっ
8月11日 ロシアもいよいよ残りわずかとなった。 今朝も例によってマーケットプレイスで朝食を。 今日は一日美術館デーだ。 といってもサンクトペテルブルクは町全体が美術館みたいなもんだ。 何を見ても終始ため息が出る。 こんなにしゃれた街なんて知らなかったな。 エルミタージュ美術館 宮殿!!エバラの宮殿とはけた違い。 館自体が美術品で展示とかは目がいかないほど美しい内装だった。 建物に興味があるので、映画の世界で見るような空間が広がっていた。 もちろん美術品も目当てのものがある。 『夜警』で有名なレンブラントの『放蕩息子』だ。 人生のどん底で描いた作品と知
8月10日 昨夜遅くに夜行列車グランドエクスプレスに乗って サンクトペテルブルクに着いたのは明朝6:47 ロシアの駅名はややこしい。 主な行き先が駅名になっているのは有名な話。 今朝着いた駅はモスクワ行きメインなのでモスコフスキー 昨日乗ったのはレニングラードスキー 長崎駅が博多駅って感じ。 とりあえず、朝早くついてしまったので、 カフェを、いやピロシキを探しにネフスキー通りを歩いた。 マーケットプレイスというスタローヴァヤに入った。 手際よくプレートに取っていく。もう慣れたもんだ。 サンクトペテルブルグは2日しかいなわりに、 見どころ満載なので、お城、教会を今日
8月9日 今日は長崎原爆の日。 そんな日に核兵器保有国にいるのもなんとも。 しかもそのスイッチがすぐそこにあると思うと、 一人の人間が握っていると思うと何とも言えない。 朝から赤の広場を散歩して、近くの公園で黙とうした。 誰かが生きたかった一日 投下第一目標の小倉には祖父が住んでいたので、 もし、もし小倉に落ちていたら私は生まれていなかった。 つまり、私は生かされている。 誰かが生きたかった1日を生きている。 そのことをもう一回心に刻みなおす8月9日 モスクワ発の夜行列車乗った時から ずっとこのことを考えている。
8月8日 さて、今日のミッションは 「プーチンカレンダーを手に入れろ!」と「赤の広場訪問」だ。 クレムリン まずはクレムリン。クタフィア塔から入場する。 巨大な城壁に囲まれているが日本の白と比べて平坦で堀的なものはない。 高さは5~19m、厚さも3.5~6.5mあって櫓的な塔が20もある。 中には政府機関(プーチンさんいるかも)博物館、聖堂とロシアの中心だ。 まずはウスペンスキー大聖堂でイワン雷帝の玉座と レプリカだが「ウラジーミルの聖母」のイコンを見学。 アルハンゲルスキー聖堂にはイワン雷帝の棺が安置されている。 そして、イワン雷帝の鐘楼。 この3つの大聖堂とクレ
8月7日 お昼過ぎ、ついにロシア帝国の首都:モスクワについた! じつに9.000kmを電車で移動してきたのだ。 同居人の大学生たちとも別れ、宿へと向かった。 ホステル ボクステル アルバート通近くのこのホステルはまだ新しく、 日本のカプセルホテルのようだった。 ようやく見かける人も多様になってきた。 アジア人もいる。欧米人もいる。 救世主ハリストス大聖堂 今日は午後着だったので、彫刻公園とゴーリーキ公園周辺を目指した。 途中巨大な聖堂に遭遇。 白壁と黄金の玉ねぎ屋根がなんとも印象的だ。 スターリンに爆破されたり、宮殿になるはずがプールになったりとなんとも数奇な
8月6日 今日は広島原爆の日。 同時刻に黙とうは難しかったので、 現地時刻(GMT+5)8:15に黙とうをささげた。 今回の世界一周は「ダークツーリズム」がテーマの一つ。 欧州の戦争遺産を巡り、自分の目で確かめ、感じて、 平和を実現するために何ができるのかを考える旅にしたいと考えている。 各国の戦争博物館、ベルリンの壁、アンネの家、ノルマンディー、アウシュビッツなど。 戦争の悲惨さを見てきたいと思う。 ちなみに、同室の大学生たちに今日が何の日か知ってるか聞いたら 「知ってる」と答えた。 驚いた。 関心はなくても知っていると答えてくれただけでもうれしかった。
8月5日 ダーチャの魅力 今日は珍しく雨が降っている。 同室の大学生たちにモスクワで何するのか尋ねた。 なんでもマルクの親戚がもっているダーチャ(菜園付き別荘)で 2週間ほど過ごすのだという。 ダーチャは戦中戦後の食糧不足に対応するために1960年代に法制化され、 各世帯に土地が与えられたそう。 そのおかげでロシアはソ連崩壊や経済危機を乗り越えられたそう。 国民に自給力がある。これがロシアの強さだろうと思う。 これからの暮らしのヒントになりそうだ。 ダーチャもいろんなカタチがあって、アンナの親戚は使っていないダーチャを貸したり、知り合いには民宿みたいにして収入
8月4日 イルクーツクへ戻り、15:47発のシベリア鉄道に乗った。 これから一気にモスクワへ。 それでは同居人をご紹介します! みんな若い同じグループでした。 マルク ロシア人 男年 アンナ ロシア人 女性 ミハイル ロシア人 男性 これまた、ヴィクトルと同じく夏休みの旅行だそう。 いいね~ 日本にはこれがないし、自分も一人旅ばかりだから、だれかと旅するのもたのしいんだろなぁ。 「気にしないで~」とあんまりお話を邪魔したら悪いだろうから、また食堂車へと引きこもった。 3日ありますから。たまっている書き物を進めることにした。 もちろん。ピロシキを片手に。(もう
8月3日 バイカル湖でバタフライ 今日は朝から湖畔を散歩し、足を浸してみた。 冷たくて気持ちい。 本当は某書のタイトルっぽくバタフライをしてみたかったけど、 泳いでいいのかわからなかったし、そもそも僕はバタフライがうまくできないのだった。 ポドコヴァ 散歩を終えて、朝ご飯でも食べようと喫茶店に入ったら、 モレーノとリタが! やっと会えたね! 満喫しているようだ。 今日僕が行こうとしているチェルスキーはもう行ってきたようだ。 あと一泊するようなので、今夜一緒にご飯を食べることにして別れた。 チェルスキー岩展望台 運動不足解消のため700mの頂上までリフトを使
8月2日 今日はイルクーツク市内を出て、バイカル湖畔の小さな町リストヴァンカへ移動。 念願のバイカル湖だ。 シベリア鉄道の車窓からも見えたが。 もはや海。とにかくでかい。 食堂車のお姉さんに教えてもらった観光列車で行く方法を調べたら 週末のみのツアー列車だったので、バスで行くことした。 せっかくだからレトロなトラム4番に乗り中央市場まで行ってみた。 中央市場 今回の旅の目的の一つ市場巡り。 カオスだ。急にアジア感が。メチェム(故郷)に似てるな。 小さいテント(日本のマルシェとかであるテント)がたくさん並んでる。 野菜とか魚、うわさのオームリも! この町は魚
8月1日 朝早めに起きて食堂車へ。 案の定、お姉さんがいたので、イルクーツクのおすすめを聞いてみた。 なんでも路面電車が走っていて、落ち着いた雰囲気の町で気に入ると思うよだって。バイカル湖へはバスじゃなくて観光列車がいいと教えてくれた。 観光列車はノーマークだったな。 バイカル湖 お昼ごろついに車窓からバイカル湖が見えた! 大きすぎて海かと思った。 ロシアはやっぱり大きなと実感。 こんあ雄大な景色を見ながらの電車旅。あのBGMが頭に流れます。 イルクーツク駅 ヴィクトルとはここでお別れ。 イタリアの二人は、リストヴァンカに泊まるらしい。明日また会うか
7月31日 シベリア鉄道3日目。 お。今日はみんな起きている。 昨日の改善のおかげで今日はぐっすり眠れたみたいだ。 ロシア人青年ヴィクトルの場合 ちょうど目が合ったので上段のロシア人青年に声をかけた。 彼の名前はヴィクトル。大学生で夏休みを利用してモスクワまで一人旅をするらしい。大学では観光マネジメント?を学んでいて、旅行好きだという。英語も流ちょうに話す。 ロシアの若者がシベリア鉄道なんて使うの珍しいなと思っていたら、子供のころから家族旅行でよく乗っていたらしい。 確かに家族で乗っている人たちをよく見る。しかもみんなベテラン感が出ている。自分の家みたいにくつろ
完全、想像と妄想と取材に基づく世界一周巡礼記執筆中!「もしもコ口ナがなかったら、私はどんな旅をしていたのだろう?」 〔 Camino2020. ふじやんの大巡礼. 〕世界一周巡礼記
7月30日 シベリア鉄道2日目。 初めての夜行列車は眠れなかった。 船より揺れる! おまけに寝返りがあまり打てず、寝相の悪い僕は落ちるんじゃないかとプレッシャーで眠れなかった。 現地時間8時過ぎ、ハバロフスク駅に着いたようだ。 ピロシキ様! 同居人はまだ寝ている。 行ないようにそっと部屋を出て、顔を洗い、サモワールと食堂車を確認してきた。 部屋へ戻る途中、車内販売を発見!ピロシキがあるではないか! ロシア旅の必需品!無人島にもっていくならピロシキ! と言われているほど私にとっては大変貴重なものである。 食堂車 食堂車が開いていたので、サモワールで入れた
7月29日 テプロ ドーブラエ ウートラ!(おはよう) 今日はいよいよシベリア鉄道に乗る! 出発は19時なので比較的ゆっくり準備できる。 ちょっと遅めに起きて、ゲストハウス テプロを後にした。 カフェマ 昨日、帰りに珈琲を買ったカフェマでモーニング。 ドリップパックをくれたお姉さんがいた。 お店には珈琲のいい香りがいっぱいに広がっていて気分が上がる! 焙煎もやってて、ハンドドリップで入れてくれる。 あんまり珈琲文化イメージのないロシアだけど、 コーヒーチェーンがあって、利用客も多い。 帰りに来たときはもっとカフェ巡りしよう。 そういえば、寄港地からてある人に
朝市へ。 今日は早く目が覚めた。 宿のマダムに「朝市がおすすめだよ」と言われたので行ってみた。 いい!新鮮だこの感じ。日本では味わえない。 もともと欧州の朝市に興味があったので興奮してきたな(笑) ひと通りブラっと見たが、手軽に買えるものが見当たらず。 ピロシキに一目ぼれ とりあえずモーニングでもして気分をさらに上げようと スヴェトランスカヤ通りのカフェ「ラコムカ」に行ってみることにした。 店内はかなりおしゃれでショーケースにパンがたくさん並んでいる。 ピロシキを見つけた!なんだかんだ初めて食べる。 とりあえずひき肉入りのピロシキを二つとチョコデニッシ
7月27日 ついに。ロシアが見えた。 新大陸を発見した気分だ。自分のなかのコロンブスが喜んでいる。 入国審査を終え無事入国。 ゲートをくぐった最初の一歩が尊い。 あぁ、この匂い、空気、風景がなぜか懐かしい。 写真で見てて長崎っぽいかな?横浜っぽいかな? なんて思っていたら、長崎が優勢。 尾道に来た時のデジャブ感と似ている。 暮らそうと思ったら暮らせる、 いや暮らしたいなと直感的に思った。 1日しか滞在しないのがもったいない。 帰りの予定を変更してここでゆっくりしよう。 とりあえず宿に行き、夕方街を散策するつもりが、 いつの間にか眠ってしまってい
なんか騒がしいなと思ったらいつの間にか着岸していたらしい。 韓国の東海港だ。 船を降りることはできないが、初韓国である。 大学時代、韓国語コース出来て以来、 初の男子学生ということで、注目されていなかったが、 結局在学中に韓国に行くことはなかった学生として注目された。 僕には近くて近すぎる国だった。 船で行けるなら、もうそれは国家間の移動ではなく、 ただの船旅の範疇だ。 でも上陸していないけど初韓国ということで感慨深い。 明日にはいよいよロシア上陸。 予想通り、そんなに韓国人は乗ってこなかったし、 ロシア人も見かけない。 日本人はという、それらしき人を見か
7月25日 いよいよ出国だ。 船で出国するなんて不思議な感覚だ。 日韓関係が冷え込んでいたので船が出るか心配だったが、なんとか船は出た。 出国審査はあっけなく終わり、 これから韓国を経由して2泊3日の行程でロシアへと向かう。 そもそもこの船の存在を知らなければ、世界一周なんて思いつかなかった。 そう「飛行機を使わずにユーラシア大陸の端っこまで行く」旅なのだから。 19:30 30分遅れで船が出た。いよいよだ。 頭の中ではドラゴンクエストの船のBGMが壮大に、フルオーケストラで流れている。 船旅好きとしては最高の船出。 ほほを熱いものがつたっていた。
7月24日 今日は広島を出発して出国地の境港へまで鬼太郎。(笑) 以前の日本海バックパッカー旅で寄れなかったので、早めに着いてちょっと観光した。 それからモスクワまでの長旅に備え、食料品を買い込んだ。 カロリーメイトやお湯で溶かして飲むスープやコーヒーなど。 長期縦走でもするのかってくらい買い込んだ。 ある意味シベリア鉄道はサバイバルだからな。 なぞ多きロシア帝国。 楽しみ半分。緊張半分。 プーチンさん、どうかよろしくお願いします。
7月23日 いよいよ旅立ちの日。 家族と別れを告げるのは久しぶりだ。 無事に帰ってくると誓い、 大きな一歩を踏み出した。 今日は経由地の広島泊。 以前泊まれなかったゲストハウスへ。 以前一緒に働いていた友人が働いている。 それにヘルパーだった子も広島で働いているので、 3人で出発を祈念して楽しい時間を過ごした。 また帰ってきたら乾杯しよう。 なんだか緊張しているので書くことは淡々としている。 明日は出国地:境港へ。
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