【Camino2020.ふじやんの大巡礼。】はユーラシア大陸の最果てまで飛行機を使わずに行って帰ってくる世界一周プロジェクトです!準備や旅の様子などを綴っていきます。 2020年7月1日出発!
8月29日 いよいよ今日から第3章「カミーノ編」突入! 昨日、巡礼手帳を手に入れて、いよいよ旅が始まるのだと実感! 今日は最初にして難関の「イバニェタ峠」 早朝7時に出発し、登山のような道を進む。 山で鍛えた甲斐があった。 一歩一歩踏みしめ、ついに歩いて国境を越えた! これだ。これを待っていた! 越えてみて改めて感じた。 境界線なんてない。 誰かが勝手に引いた線はあるけれど、 そんなものは自由に越えていける。 境界線を越える旅は、まさに始まったばかり。
8月28日 ボルドーでワインを飲まないという暴挙に出た僕は、ルルドにいた。 ルルドはご存じの通り、この村に住む14才の少女ベルナデッタに聖母マリアが現れ、その洞窟に沸いた水で、病気が治るという奇跡が起こった場所だ。 私自身もカトリック信者なので昔からこの話を聞いていたし、実際に飲んだこともある。 病気ではないけれど、旅の共に小瓶一本分持っていくことにした。 世界各地から癒しを求めていろんな人が来ている。 礼拝堂でしばらく祈る。ちゃんと祈るのはこの旅で初めてだ。 明日からの巡礼がたぶん、すこし不安なんだと思う。 祈るのは瞑想にも近い。
8月27日 前日からボルドー入りしているのだが、よく考えたらカミーノまでもうすぐじゃんと思い、ルルドでいったん精神的に落ち着くことにした。 といっても半日滞在だが。 カミーノのためにビザの貯金をしておきたいんで、前半はきついスケジュールになってしまった。 明日はカミーノ出発の地、サンジャンピエドポーに入り巡礼の準備をする。 ワインなんて飲んでられない。。。 スペインに入れば蛇口から飲むことができるからね! アディオス!
8月26日 前日にポントルソンに移動しておいて正解だった。 乗り継ぎに苦戦して遅くについてしまったけど、 宿のマダムが心配してメールくれて、駅まで迎えに来てくれた。 今朝も親切に直通バスを案内してくれた。 かなり人気の観光地なので朝いち入場した。 ヨーロッパの城は初! イメージとしては『ロード・オブ・ザ・リング』のミナスティリス ちょうど満潮だったので海に浮いているような姿が見れた。 騎士の間と回廊はホグワーツのようで、城壁内には店やホテルも立ち並ぶ。 増改築を繰り返したので建築様式も違ったり複雑な構造になっているので迷いやすい。 城としてはかなり守りは固く、修道
8月25日 昨日の大移動もあってか少々疲れている。 バイユーの駅前からバスに乗り30分。 ノルマンディー上陸作戦のちオマハビーチへと向かった。 1944年6月6日の未明に決行された史上最大の作戦。 この作戦で連合軍は反撃を開始するが、この戦闘で民間人や軍人、約2万人が命を落とした。 いまはリゾート地としてにぎわっているが、 想像もつかない地獄が広がっていたのだろう。 映画『プライベートライアン』をずっと見てきたので、その場に来れてよかった。最後のシーンにある墓地にもいってみた。 ちゃんと名前がある。みんな生きていた証拠だ。 今日は足早に、その日のうちに
8月24日 さて今日からフランス編へと突入する。 フランスでミッションは ①ノルマンディー上陸作戦で有名なオマハビーチ ②モンサンミッシェル ③ルルド である。 今日はバイユーまでの超長距離移動! 高速鉄道、バス、ローカル線を乗り継いで8時間! 中でも長距離バスは初利用! 日本みたいに時刻表通りではない中で無事にたどりつけるのか。 飛行機なら確実なのにね!乗らないことが旅の目的なので! 二か国移動。はたして!?
8月23日 お世話になったヨシノさんと娘さんに別れを告げ、 今日からハーレムです。 学生時代、韓国映画にハマっていて(韓国語学科出身) 『デイジー』という映画のロケ地がハーレムで、世界ふれあい街歩きでも見て、とても住んでみたいと思っていた町に1泊のお試し移住です。 聖バフォ教会 なんといってもこの映画の舞台はこの教会前の広場です。 主人公が絵をかいていた広場です。 映画の通り、屋台があったり、絵描きいたり。 そしてこの教会の中には10歳のモーツァルトが 弾いたというパイプオルガンがあります。 それから、はね橋があったり、運河にはボートハウスが
8月22日 今日はヨシノさんと娘さんとダム広場で待ち合わせ。 アンネ・フランクの家 実はアンネの日記を読んだことがない。 そんな状態で行くのはどうかと思ったけど、行ってよかった。 ヨシノさんにいろいろ説明いただいた。 戦争の恐怖、飢え、病気、空襲にずっと耐えながら生活していたのだ。 ここでつかまった後、アウシュビッツにも連れていかれ、最後は別の収容所で亡くなている。15才。 やはり戦争は全く関係ない人が一番苦しむ。 「戦争は最大の差別である」 と昔、被爆者の話を聞いた時に印象に残っている言葉だ。 ここにきて、その意味をようやく実感できた。
8月21日 昨夜はアムステルダム駅近くのゲストハウスに泊まった。 今日はオランダ在住のヨシノさんに案内してもらうことになっている。 国立美術館 まずは美術館のあるエリア、その名もミュージアム広場で待ち合わせ。 会うのは5年ぶり。大学の卒業制作なんかでお世話になった人で、美術の講師をしたり自身もワークショップなんかを開いている。 オランダ情報は事前にヨシノさんにいろいろと教えていただいた。 まず向かうのは国立美術館。 かの有名なレンブラントの「夜警」を見るためだ! なんでも今はレアな状態で見れるらしいのでワクワクしながら行ってみると、 大きい!そして何やら作業中!?
8月20日 今日はベルリンを後にし、オランダへと長距離移動だ。 ここ最近の長距離移動とアウシュビッツの件もあり少し疲れている。 オランダには4泊5日の長期滞在する。 今年の4月からワーキングホリデーが始まっている。 今回様子を見て、またワーホリでオランダに来ようと思っている。 オランダとは縁がある。 長崎は出島にオランダ商館が置かれていたのもあり、オランダと交流が盛んだ。オランダ人観光客も多く、いつかうちの古民家にカウチサーフィンで泊まりに来たオランダ人も出島を見て感動していた。 それに、オランダ人とは相性がいい気がする。 言葉も通じやすいし、仲良くなるのが早い。
8月19日 いろんな思いを抱えながらベルリンへと戻る電車のなか。 自分は体験していないけれど、 戦争の記憶というものが自分の中にも刻まれた気がした。 ヒロシマ、ナガサキの原爆とは比較できないが、 戦争が人間の仕業であることがはっきりとした。 そして、平和への決意、戦争は二度としてはいけないと、 心に改めて刻んだ。 戦後75年の節目 体験はできないし、したくもないけど、知ることはできる。 誰かが生きたかった1日を大事にしながら、旅を続けたいと思う。
8月18日 ついにこの日が来たが。 フィクションで描こうと思っていたが、 どんな言葉を書いてもウソになると思ったので書きません。 ただ、ここに来れば 「戦争が人間の仕業である」ことがはっきりわかると思います。 私が行きたい場所はここです。私が行かなければならない場所はここです。 いつか流行病が収束し、世界一周に行けたら、 自分の目で確かめ、自分の鼻で感じ、じっくり考える時間を作りたい。 フィクションでお届けしている幻の巡礼記はまだまだ続きます。
8月17日 今日はアウシュビッツに向けてポーランドへと1日かけて移動。 初の移動困難日だ。 ベルリン中央駅を9:37に出て、約8時間の電車旅。 以前、記録的豪雪の中出雲から鳥取まで1日かけて移動したことがあった。 そのとき驚いたことがあった。 電車が止まってしばらく停車することがアナウンスされたとたん、 車内のほぼ全員が携帯を取り出し、一斉に電話。 なんだか異国の風景を見ているようだった。 電車での移動が時間の無駄だとか不便だとか言うけど、 時間を使うということは最高の贅沢で、お金では買えない。 この時間を使って普段はできない瞑想だったり妄想だったり、 そういう時間が
8月16日 昨日の余韻がまだ残っている。 もう一度ベルリンの壁を巡るべく、散歩に出た。 境界線を巡る旅は思いのほか気持ちが重たくなる。 この後最大のアウシュビッツ訪問が待っているのだかが、 旅の序盤の日程でその先に影響しないか心配である。 途中DDRミュージアム(DDRは東ドイツの略称)があったので入ってみた。 東ドイツの市民生活が再現されている。 日本ではあり得ないが、展示品に触れることができる。 ドイツの昭和レトロ博物館ってところかな。 博物館の島に行こうかと思っていたが、 雨も降ってきたし旅の疲れも出てきたのだろう。 ムッター・ホッペというレストラン
8月15日 昨晩の楽しい宴会もあり、ちょっと遅めの出発となった。 朝ご飯までお世話になって、本当にありがとう。 駅まで送ってもらい、ベルリン行きの電車に乗った。 今日は終戦記念日。ベルリンで迎えるのも何か意味がありそうだ。 境界線を越える旅にとってはとても意味のある場所。 かつて東西に分断されていた町だ。 まずはブランデンブルク門を目指す。 ブランデンブルク門 統一ドイツの象徴でもあるこの門すぐそばに、壁が築かれていた。 今はもう線が引いていあるだけだが、 これによって引き裂かれた人々も少なくなかった。 今は自由に超えられる線を一歩かみしめた。 ユダヤ
8月14日 船は21:30ごろトラビュミュンデ港に着いた。 昨日、サウナに入ったせいか、ぐっすり眠ってしまった。 日中もバルト海を眺めながらぼんやり過ごしていた。 着岸したので降りる準備をしているとメールが入った。 「ターミナル出たところで待ってる!」と。 ほんとはトラビュミュンデで一泊するつもりが案外宿もなく、 ターミナルから市街地のリューベックまでの夜の移動は危険ということもあり、ハンブルクに住む大学時代の友人に泊めてもらうことになっていた。 ターミナルを出ると懐かしい拓ちゃんの顔だ。 「久しぶり!」 「ようこそドイツへ!」 「卒業以来会ってないか
8月13日 今日は夜のフェリーでバルト海を抜けドイツへと渡る。 マーケット広場 朝、港に面したマーケット広場に行ってみた。 食べ歩きできるものがたくさんって、歩くだけでおなか一杯になる。 特にフィンランド人はベリー好きということもあって、 ベリーの篭盛りがたくさんある!今が旬なのでとてもおいしい。 ほかにもパニーニがあたので珈琲と一緒にいただく。6ユーロ。 これから先はユーロ圏なので計算が楽だ。 小物やハンドメイドの雑貨もあって十分楽しめる。 本場サウナとかもめのプール 昼食後、せっかくなのでサウナに行ってみることにした。 ウルヨンカツの公共プール 通称「
早朝6:40 フィンランドスキー駅からアレグロに乗り いよいよ欧州編:フィンランドへと入っていく。 初の国境超えである。 ロシア側の最終駅で出国審査。そして、国境越え! そのあとフィンランド側で入国審査、税関チェック。 ロシア側では強面のお兄さんが不愛想にスタンプ。 フィンランド側ではスマイルのお姉さんがやさしくスタンプ。 こんなにも違うのかと思いながら無事欧州編スタートです! ヘルシンキ 10時ごろヘルシンキに到着。 今回、フィンランド滞在は31時間。帰路で1週間ほど滞在。 とりあえず、明日のフェロー乗り場の確認をしてから、 港のマーケットを散策しながら宿へ向かっ
8月11日 ロシアもいよいよ残りわずかとなった。 今朝も例によってマーケットプレイスで朝食を。 今日は一日美術館デーだ。 といってもサンクトペテルブルクは町全体が美術館みたいなもんだ。 何を見ても終始ため息が出る。 こんなにしゃれた街なんて知らなかったな。 エルミタージュ美術館 宮殿!!エバラの宮殿とはけた違い。 館自体が美術品で展示とかは目がいかないほど美しい内装だった。 建物に興味があるので、映画の世界で見るような空間が広がっていた。 もちろん美術品も目当てのものがある。 『夜警』で有名なレンブラントの『放蕩息子』だ。 人生のどん底で描いた作品と知
8月10日 昨夜遅くに夜行列車グランドエクスプレスに乗って サンクトペテルブルクに着いたのは明朝6:47 ロシアの駅名はややこしい。 主な行き先が駅名になっているのは有名な話。 今朝着いた駅はモスクワ行きメインなのでモスコフスキー 昨日乗ったのはレニングラードスキー 長崎駅が博多駅って感じ。 とりあえず、朝早くついてしまったので、 カフェを、いやピロシキを探しにネフスキー通りを歩いた。 マーケットプレイスというスタローヴァヤに入った。 手際よくプレートに取っていく。もう慣れたもんだ。 サンクトペテルブルグは2日しかいなわりに、 見どころ満載なので、お城、教会を今日
8月9日 今日は長崎原爆の日。 そんな日に核兵器保有国にいるのもなんとも。 しかもそのスイッチがすぐそこにあると思うと、 一人の人間が握っていると思うと何とも言えない。 朝から赤の広場を散歩して、近くの公園で黙とうした。 誰かが生きたかった一日 投下第一目標の小倉には祖父が住んでいたので、 もし、もし小倉に落ちていたら私は生まれていなかった。 つまり、私は生かされている。 誰かが生きたかった1日を生きている。 そのことをもう一回心に刻みなおす8月9日 モスクワ発の夜行列車乗った時から ずっとこのことを考えている。
8月8日 さて、今日のミッションは 「プーチンカレンダーを手に入れろ!」と「赤の広場訪問」だ。 クレムリン まずはクレムリン。クタフィア塔から入場する。 巨大な城壁に囲まれているが日本の白と比べて平坦で堀的なものはない。 高さは5~19m、厚さも3.5~6.5mあって櫓的な塔が20もある。 中には政府機関(プーチンさんいるかも)博物館、聖堂とロシアの中心だ。 まずはウスペンスキー大聖堂でイワン雷帝の玉座と レプリカだが「ウラジーミルの聖母」のイコンを見学。 アルハンゲルスキー聖堂にはイワン雷帝の棺が安置されている。 そして、イワン雷帝の鐘楼。 この3つの大聖堂とクレ
8月7日 お昼過ぎ、ついにロシア帝国の首都:モスクワについた! じつに9.000kmを電車で移動してきたのだ。 同居人の大学生たちとも別れ、宿へと向かった。 ホステル ボクステル アルバート通近くのこのホステルはまだ新しく、 日本のカプセルホテルのようだった。 ようやく見かける人も多様になってきた。 アジア人もいる。欧米人もいる。 救世主ハリストス大聖堂 今日は午後着だったので、彫刻公園とゴーリーキ公園周辺を目指した。 途中巨大な聖堂に遭遇。 白壁と黄金の玉ねぎ屋根がなんとも印象的だ。 スターリンに爆破されたり、宮殿になるはずがプールになったりとなんとも数奇な
8月6日 今日は広島原爆の日。 同時刻に黙とうは難しかったので、 現地時刻(GMT+5)8:15に黙とうをささげた。 今回の世界一周は「ダークツーリズム」がテーマの一つ。 欧州の戦争遺産を巡り、自分の目で確かめ、感じて、 平和を実現するために何ができるのかを考える旅にしたいと考えている。 各国の戦争博物館、ベルリンの壁、アンネの家、ノルマンディー、アウシュビッツなど。 戦争の悲惨さを見てきたいと思う。 ちなみに、同室の大学生たちに今日が何の日か知ってるか聞いたら 「知ってる」と答えた。 驚いた。 関心はなくても知っていると答えてくれただけでもうれしかった。
8月5日 ダーチャの魅力 今日は珍しく雨が降っている。 同室の大学生たちにモスクワで何するのか尋ねた。 なんでもマルクの親戚がもっているダーチャ(菜園付き別荘)で 2週間ほど過ごすのだという。 ダーチャは戦中戦後の食糧不足に対応するために1960年代に法制化され、 各世帯に土地が与えられたそう。 そのおかげでロシアはソ連崩壊や経済危機を乗り越えられたそう。 国民に自給力がある。これがロシアの強さだろうと思う。 これからの暮らしのヒントになりそうだ。 ダーチャもいろんなカタチがあって、アンナの親戚は使っていないダーチャを貸したり、知り合いには民宿みたいにして収入
8月4日 イルクーツクへ戻り、15:47発のシベリア鉄道に乗った。 これから一気にモスクワへ。 それでは同居人をご紹介します! みんな若い同じグループでした。 マルク ロシア人 男年 アンナ ロシア人 女性 ミハイル ロシア人 男性 これまた、ヴィクトルと同じく夏休みの旅行だそう。 いいね~ 日本にはこれがないし、自分も一人旅ばかりだから、だれかと旅するのもたのしいんだろなぁ。 「気にしないで~」とあんまりお話を邪魔したら悪いだろうから、また食堂車へと引きこもった。 3日ありますから。たまっている書き物を進めることにした。 もちろん。ピロシキを片手に。(もう
8月3日 バイカル湖でバタフライ 今日は朝から湖畔を散歩し、足を浸してみた。 冷たくて気持ちい。 本当は某書のタイトルっぽくバタフライをしてみたかったけど、 泳いでいいのかわからなかったし、そもそも僕はバタフライがうまくできないのだった。 ポドコヴァ 散歩を終えて、朝ご飯でも食べようと喫茶店に入ったら、 モレーノとリタが! やっと会えたね! 満喫しているようだ。 今日僕が行こうとしているチェルスキーはもう行ってきたようだ。 あと一泊するようなので、今夜一緒にご飯を食べることにして別れた。 チェルスキー岩展望台 運動不足解消のため700mの頂上までリフトを使
8月2日 今日はイルクーツク市内を出て、バイカル湖畔の小さな町リストヴァンカへ移動。 念願のバイカル湖だ。 シベリア鉄道の車窓からも見えたが。 もはや海。とにかくでかい。 食堂車のお姉さんに教えてもらった観光列車で行く方法を調べたら 週末のみのツアー列車だったので、バスで行くことした。 せっかくだからレトロなトラム4番に乗り中央市場まで行ってみた。 中央市場 今回の旅の目的の一つ市場巡り。 カオスだ。急にアジア感が。メチェム(故郷)に似てるな。 小さいテント(日本のマルシェとかであるテント)がたくさん並んでる。 野菜とか魚、うわさのオームリも! この町は魚
8月1日 朝早めに起きて食堂車へ。 案の定、お姉さんがいたので、イルクーツクのおすすめを聞いてみた。 なんでも路面電車が走っていて、落ち着いた雰囲気の町で気に入ると思うよだって。バイカル湖へはバスじゃなくて観光列車がいいと教えてくれた。 観光列車はノーマークだったな。 バイカル湖 お昼ごろついに車窓からバイカル湖が見えた! 大きすぎて海かと思った。 ロシアはやっぱり大きなと実感。 こんあ雄大な景色を見ながらの電車旅。あのBGMが頭に流れます。 イルクーツク駅 ヴィクトルとはここでお別れ。 イタリアの二人は、リストヴァンカに泊まるらしい。明日また会うか
7月31日 シベリア鉄道3日目。 お。今日はみんな起きている。 昨日の改善のおかげで今日はぐっすり眠れたみたいだ。 ロシア人青年ヴィクトルの場合 ちょうど目が合ったので上段のロシア人青年に声をかけた。 彼の名前はヴィクトル。大学生で夏休みを利用してモスクワまで一人旅をするらしい。大学では観光マネジメント?を学んでいて、旅行好きだという。英語も流ちょうに話す。 ロシアの若者がシベリア鉄道なんて使うの珍しいなと思っていたら、子供のころから家族旅行でよく乗っていたらしい。 確かに家族で乗っている人たちをよく見る。しかもみんなベテラン感が出ている。自分の家みたいにくつろ
完全、想像と妄想と取材に基づく世界一周巡礼記執筆中!「もしもコ口ナがなかったら、私はどんな旅をしていたのだろう?」 〔 Camino2020. ふじやんの大巡礼. 〕世界一周巡礼記
7月30日 シベリア鉄道2日目。 初めての夜行列車は眠れなかった。 船より揺れる! おまけに寝返りがあまり打てず、寝相の悪い僕は落ちるんじゃないかとプレッシャーで眠れなかった。 現地時間8時過ぎ、ハバロフスク駅に着いたようだ。 ピロシキ様! 同居人はまだ寝ている。 行ないようにそっと部屋を出て、顔を洗い、サモワールと食堂車を確認してきた。 部屋へ戻る途中、車内販売を発見!ピロシキがあるではないか! ロシア旅の必需品!無人島にもっていくならピロシキ! と言われているほど私にとっては大変貴重なものである。 食堂車 食堂車が開いていたので、サモワールで入れた
7月29日 テプロ ドーブラエ ウートラ!(おはよう) 今日はいよいよシベリア鉄道に乗る! 出発は19時なので比較的ゆっくり準備できる。 ちょっと遅めに起きて、ゲストハウス テプロを後にした。 カフェマ 昨日、帰りに珈琲を買ったカフェマでモーニング。 ドリップパックをくれたお姉さんがいた。 お店には珈琲のいい香りがいっぱいに広がっていて気分が上がる! 焙煎もやってて、ハンドドリップで入れてくれる。 あんまり珈琲文化イメージのないロシアだけど、 コーヒーチェーンがあって、利用客も多い。 帰りに来たときはもっとカフェ巡りしよう。 そういえば、寄港地からてある人に
朝市へ。 今日は早く目が覚めた。 宿のマダムに「朝市がおすすめだよ」と言われたので行ってみた。 いい!新鮮だこの感じ。日本では味わえない。 もともと欧州の朝市に興味があったので興奮してきたな(笑) ひと通りブラっと見たが、手軽に買えるものが見当たらず。 ピロシキに一目ぼれ とりあえずモーニングでもして気分をさらに上げようと スヴェトランスカヤ通りのカフェ「ラコムカ」に行ってみることにした。 店内はかなりおしゃれでショーケースにパンがたくさん並んでいる。 ピロシキを見つけた!なんだかんだ初めて食べる。 とりあえずひき肉入りのピロシキを二つとチョコデニッシ
7月27日 ついに。ロシアが見えた。 新大陸を発見した気分だ。自分のなかのコロンブスが喜んでいる。 入国審査を終え無事入国。 ゲートをくぐった最初の一歩が尊い。 あぁ、この匂い、空気、風景がなぜか懐かしい。 写真で見てて長崎っぽいかな?横浜っぽいかな? なんて思っていたら、長崎が優勢。 尾道に来た時のデジャブ感と似ている。 暮らそうと思ったら暮らせる、 いや暮らしたいなと直感的に思った。 1日しか滞在しないのがもったいない。 帰りの予定を変更してここでゆっくりしよう。 とりあえず宿に行き、夕方街を散策するつもりが、 いつの間にか眠ってしまってい
なんか騒がしいなと思ったらいつの間にか着岸していたらしい。 韓国の東海港だ。 船を降りることはできないが、初韓国である。 大学時代、韓国語コース出来て以来、 初の男子学生ということで、注目されていなかったが、 結局在学中に韓国に行くことはなかった学生として注目された。 僕には近くて近すぎる国だった。 船で行けるなら、もうそれは国家間の移動ではなく、 ただの船旅の範疇だ。 でも上陸していないけど初韓国ということで感慨深い。 明日にはいよいよロシア上陸。 予想通り、そんなに韓国人は乗ってこなかったし、 ロシア人も見かけない。 日本人はという、それらしき人を見か
7月25日 いよいよ出国だ。 船で出国するなんて不思議な感覚だ。 日韓関係が冷え込んでいたので船が出るか心配だったが、なんとか船は出た。 出国審査はあっけなく終わり、 これから韓国を経由して2泊3日の行程でロシアへと向かう。 そもそもこの船の存在を知らなければ、世界一周なんて思いつかなかった。 そう「飛行機を使わずにユーラシア大陸の端っこまで行く」旅なのだから。 19:30 30分遅れで船が出た。いよいよだ。 頭の中ではドラゴンクエストの船のBGMが壮大に、フルオーケストラで流れている。 船旅好きとしては最高の船出。 ほほを熱いものがつたっていた。
7月24日 今日は広島を出発して出国地の境港へまで鬼太郎。(笑) 以前の日本海バックパッカー旅で寄れなかったので、早めに着いてちょっと観光した。 それからモスクワまでの長旅に備え、食料品を買い込んだ。 カロリーメイトやお湯で溶かして飲むスープやコーヒーなど。 長期縦走でもするのかってくらい買い込んだ。 ある意味シベリア鉄道はサバイバルだからな。 なぞ多きロシア帝国。 楽しみ半分。緊張半分。 プーチンさん、どうかよろしくお願いします。
7月23日 いよいよ旅立ちの日。 家族と別れを告げるのは久しぶりだ。 無事に帰ってくると誓い、 大きな一歩を踏み出した。 今日は経由地の広島泊。 以前泊まれなかったゲストハウスへ。 以前一緒に働いていた友人が働いている。 それにヘルパーだった子も広島で働いているので、 3人で出発を祈念して楽しい時間を過ごした。 また帰ってきたら乾杯しよう。 なんだか緊張しているので書くことは淡々としている。 明日は出国地:境港へ。
#Camino2020ふじやんの大巡礼 は流行病の為、出発を断念しました。 ロシア行きの船は運行再開未定&ロシア入国禁止&欧州各地国境封鎖など。 新型コロナウイルス 各国の入国制限に関する一覧(2020年3月17日20:00時点) 日本橋夢屋新型コロナウイルスに関して各国政府で入国制限を行っています。各国の対応は流動的なため予告なく変更になる場合がありますのでごwww.tokutenryoko.com 来年は今年旅に出られなかった人が旅して多い(特にスペイン巡礼は聖年にあたる)と思うので再来年、2022年に再挑戦しようかなと思います。 代
ラオス・ヴィエンチャン 〔ວຽງຈັນ〕
皆さんこんばんは! 初めての確定申告に悪戦苦闘しているふじやんです。 さて、今回は【#飛び恥】についてお話したいと思います。。 今回の世界一周の最大の特徴は「飛行機を使わないこと」 理由はいろいろあります。 ①飛行機が大っ嫌い!!!!! ラオス行ったとき乗った飛行機が1週間後に墜落した。 ラオス機墜落、乗員乗客44人全員死亡【10月16日 AFP】ラオスで16日、同国の首都ビエンチャン(Vientiane)から南部パクセ(Pakse)に向かってwww.afpbb.com 飛行機が墜落する映画をたくさん見た。 早く着く。 などなど。
こんばんは! 初めての確定申告に悪戦苦闘しているふじやんです。 先日、しばらく疎遠になっていた大学時代の後輩から、 ファンアートを頂きました!! カレン族の民族衣装にタイパンツ。 日焼け具合。 カミーノシンボル。 いろいろ忠実に再現されてます!! 直接、世界一周に行くとは言ってなかったけど、 どこかで見ていてくれたようです。 このファンアートは、ワッペンか缶バッチにして バックパックに着けてみようと考え中! 改めて、ありがとう!!
『これをやりたい!』と一歩踏み出す時に大事なのは、説得力よりも、 飛躍してようがどうだろうが、情熱からくる狂気じみた妄想と、 それを叶えたいと思う素直でピュアな気持ちなのだと思う。 山口絵理子『自分思考』 ついつい自分のやることを他人と比べがちだけど、 そんなのはどうでもよくって、 自分がやりたいという気持ちが 純粋に大事なんだなと思う。 他の人の世界一周や友達の語学力なんかと比べたりして 不安になったり落ち込むこともあるけど、 自分はどうしたいのか!?自分らしく行け! と背中を押してくれたこの言葉。 他人と比べる自分を旅で捨て
死ぬのが怖くて、旅に出たくなった。 ここ数年、テロや自然災害で たくさんの人が亡くなる光景を目の当たりにして、 人生がたった一回しかないと改めて気づいた。 だからできるだけ後悔のないように生きたいし、 「あ、もう死んでもいいな。」と思えるような経験をしたいと思った。 「人はいつか死ぬ」というのは真理で、絶対に治せない病だけど、 僕は「旅は死への対症療法」だと思っている。 旅に出れば、いろんなものに出会う。 感動する。疲れる。おなかはすく。風を感じる。 人のやさしさに触れる。出会う。 旅で感じるすべてのものが僕の”生”を意識させる。 旅で得られる「生の実感」と「経験」
ついに、世界一周YEARがやってきました。 聞くところによると、 今年は東京で大規模な国際運動会なるものが行われるそうです。 思えば学生時代、2020年までに日本を出よう!!なんて言ってましたが、 その可能性をつかむ機会がいよいよやってきたという感じです。 でも日本だけじゃなくて、 今の地球環境や国際情勢を見ていると、 生きづらさを感じるし、 どこかにきっと自分が自分らしく生きていく、 幸せに生きていく場所があるはずだから、 たとえそれが回りまわって日本だとしても、 それを愛せるのなら本望かなと思います。 好きな時に、好きにな事を。 好きな場所で、好きな人と。 人生の最
旅先て目にする美しい光景、新鮮な体験は、誰かと分かち合えたほうが、もっといい。 さいはての彼女/旅をあきらめた友と、その母への手紙 原田マハ 〔 Camino2020. ふじやんの大巡礼 〕世界一周巡礼記
今回の旅の目的(ミッション)は全部で4つだ。 ①境界線を越える! 今回の旅の最大のテーマ「境界線」 それは国境であり、自分の限界であり、生と死である。 ②旅を本にする! 今回の旅で毎日つけるであろう巡礼記を本にしたい。 これは一生宝物になるだろうし、自分が生きた証を少しでも残したい。 タイトルはもちろん【Camino2020. ふじやんの大巡礼。】 ③「死」についてのインタビュー収録する! 「死」が一つの旅を始めるキッカケだったので、ほかの人が「死」につい てどう考えているのか? インタビューして映像にまとめます。 ④「100のリスト」を実行する! 細かい目
藤田勇樹 1992年3月15日 午後4時57分 天気 くもり 体重:3172g 身長:50cm 小学生:山の中で遊ぶ元気な子だけど泣き虫。 中学生:記録なし。 高校生:地元脱出。長崎へ。 2010年 長崎外国語大学 国際コミュニケーション学科 韓国語専攻 サークル NESTに入部。 「身近にできる国際協力の推進と実践」をモットーに活動。 NEST 2009年創立のフェアトレード推進サークル https://www.instagram.com/nestinngs/ 2012年 2月 支援のあり方に疑問を持ちタイへ。山岳民族カレン族と出会う。 カレン族 タイ
【夜のピクニック】【ロングトレイル】そして【星の旅人たち】 恩田陸の「夜のピクニック」にあこがれて、学生のころ夜中どこかへ歩いていく旅をしていました。ゴールした時の達成感はもちろん、だんだんと夜が明けていき、最後に朝日を見る。なんともいえない幸福な時間です。 そして、次に出会ったのが、 ロバート・レッドフォードとニックノルティ主演の「ロングトレイル!」 おじさん二人がおよそ3,500kmにおよぶアメリカのアパラチアントレイルを歩く映画です。 九州にも同じように約3000kmの九州自然歩道が整備されており、 映画をきっかけに、歩く旅がもっと好きになっていった。
小学校3年生の時、社会科の地図帳が愛読書だでした。 休み時間も友達と遊ぶのを惜しんで地図帳を見てました。 世界地図を見ていると、点線で区切られ、どこの国にも属していないことを示す白塗りの地域があること。(おそらくカシミール地方、西サハラ、サハリン南部)アフリカの国境がまっすぐであることに気づきました。 “国境のない“日本で育ったわたしは、 「いつか国境を見てみたい」「越えてみたい」と思うようなりました。 海外に行ったことはあるけど、全部飛行機での越境で、ラオスに行ったとき、川の対岸がタイだったので「ここに国境があるのか!」と何か熱いものを感じたのと同時に「国境の存在」に疑問を感
Date 入 国:ロシアより鉄道 移動手段:鉄道&バス 出 国:フェリーでスウェーデンへ Mission ①サンタクロースにお礼を言うためサンタクロース村へ ②北極圏に足を踏み入れる ③オーロラを見る(できれば温泉に入りながら) ④フィンランドの教育とか現場みたい ⑤ムーミンに会う。 ⑥トナカイに乗る。 ⑦トナカイを食べる。
Date 入国:日本国鳥取県境港→(フェリー)→ウラジオストクへ 国内移動手段:鉄道 出国都市:ブスロフスカヤ→(鉄道)→ Mission ①シベリア鉄道で大陸横断 ②バイカル湖を見る ③プーチン大統領カレンダー入手 ④モスクワ赤の広場 ⑤サンクトペテルブルグ(血の上の救世主教会、エルミタージュ美術館) できればプーチンさんと会談したい。
Camino2020で見たいものも含め 『死ぬまでに見たい景色7選』です。 ①サクラダファミリア(スペイン) 2026年完成予定らしいので献堂式は行きたいな。 ②モンサンミッシェル(フランス) ライトアップと天の川との共演がすごいらしい。泊まれるのかな? ③オーロラ(フィンランド) サンタさんにお礼を言いに行くついでにオーロラみたいな。 ④Matterhorn(スイス) 登らなくていいからこの山を見てみたい。なんでだろう。 ⑤ボタフメイロ(スペイン) カミーノデサンティアゴで巡礼者のためのミサで見ることができる。 香炉をぶんぶん振り回す。動画
あのルソーさんは僕の前世なんじゃないかというくらいに的確に 僕が歩く旅が好きな理由、歩く旅の魅力を1764年に書いている。 一人徒歩で旅したときほど、豊かに考え、豊かに存在し、豊かに生き、 あえて言うならば、豊かに私自身あったことはない。 徒歩は私の思想を活気づけ、生き生きさせる何ものかを持っている。 じっと止まっていると、私はほとんどのもの考えられない。 私の精神を動かすためには、私の肉体は動いていなければならないのだ。 田園の眺め、快い景色の連続、大気、旺盛な食欲、歩いて得られるすぐれた健康、田舎の料亭の自由さ、私の隷属を思い起こさせるいっさいのものから遠ざかることが、私の
「ブログリーダー」を活用して、国境なきふじやんさんをフォローしませんか?