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2020/01/08

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  • 今中利信展 多くのご来場者がありました。残すところあと3日です。

    私の個展も残すところ3日となりました。9/3012時までです。もしお時間がありましたら是非お出で下さい。(土日祝休み)「正面入り口のまねき」「展示模様1」「展示模様2」「展示模様3」今日は前いた会社のOB会会長をはじめ4人の方がお越しになり立派な盛り花を頂きました。有り難うございました。「ご来場のOB会の皆様」「今回頂いたお花左側」ご来場者は200名芳名録には80名程度の皆さまが署名して頂いております。感謝‼!※なお、会場のご案内などはこの前のブログに掲載しています。今中利信展多くのご来場者がありました。残すところあと3日です。

  • 「今中利信展」昨日、作品を搬入し、今日9/1から展示を開始しました。(NTT奈良ショウルーム)

    8/30午後、個展の作品搬入を行いました。暑い!!汗だくになりながら作品を家から搬出、会場に搬入しました。池田先生をはじめ、電友会奈良の関係者の皆様にお手伝いをいただきながら、無事セッティング完了。いい形に展示できました。添付案内状にありますように、9/1から1か月間、NTT奈良ショウルームで「今中利信展」を開催しますので、皆様のご来場を心からお待ち申しております。暑い中お手伝いをいただいた皆様、本当にありがとうございました。「今中利信展」昨日、作品を搬入し、今日9/1から展示を開始しました。(NTT奈良ショウルーム)

  • 今中利信展 9/1からNTT奈良ショウルームで開催します。

    新型コロナウイルスはなかなか終息する気配はありませんが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?来る9/1(火)~9/30(水)まで、奈良市中心部にあるNTT奈良ショウルームにて「今中利信展~旅、そしてその先の風景~」を開催します。私は退職後、念願だった日本、海外への旅行を始め、そこで出会った風景を絵に描き始めました。1人でそして妻と2人での個人旅行、絵の先生仲間たちとのスケッチ旅行。個人旅行では緊張感とわくわく感と異文化との遭遇を味わい、スケッチ旅行では仲間たちとのワイワイガヤガヤとちょっとした競争心を楽しみながらスケッチをし、帰ってからそれら風景と思い出を反芻しながら絵を仕上げました。山川草木悉皆成仏、生かされていることに感謝をしつつ、これからも体力の続く限り、旅を楽しみ、絵を描き続けたいと思います。以下にいくつか...今中利信展9/1からNTT奈良ショウルームで開催します。

  • 新型コロナウイルス関連の最近の動きで大問題なこと!「なぜそういう方針を出すのかが明確に示されず情緒的な問題にすり替えられてしまっている」

    新型コロナウイルス関連の最近の動きで大問題なこと!緊急事態宣言などを見ると、夜の外出は避けよとか、自宅から動くなとか、他県に行くなとかいろいろな要請などが出ている。しかし冷静に考えてみると、なぜそうなのかという理由が科学的、論理的に説明されていないことが多すぎる。基本的にはできるだけ「3密」を避けるということが基本なんでしょう。このウイルスの特性を踏まえて伝染を避けるための基本でああり、確率的にもそうだと思う。しかし、例えば「夜の外出を避けよ」というのはおかしい。「夜のキャバレー、クラブへ行かないほうがいい」と言うのは、そこが「3密」だからであって、じゃあ、「昼のキャバレー、クラブはいいのか」というと、ここだって「3密」に変わりないんだから駄目でしょう。ところが何故「夜の外出を避けよ」というのかを説明しないから...新型コロナウイルス関連の最近の動きで大問題なこと!「なぜそういう方針を出すのかが明確に示されず情緒的な問題にすり替えられてしまっている」

  • 人類は地球環境、人類以外の生命体を滅ぼしかねない「ウイルス」であり、新型コロナウイルスはこの「ウイルス」をやっつける「救世主」だという説について

    新型コロナウイルスの蔓延は大災害の一つでしょう。人類の人口は200年前に急速に立ち上がり始め、100年前くらいから指数関数的に増えてきています。このグラフって何かに似ていませんか?そうです、新型コロナウイルスの感染者数のグラフです。先日ネットニュースを見ていたら「新型コロナウイルスと、人類の関係は、新型コロナウイルス=悪人、人類=被害者と言う図式がある一方、人類=地球環境を壊し、人類以外の生命体を滅ぼす悪人、地球環境、人類以外の生物=被害者、新型コロナウイルス=悪人をやっつけるワクチン」と言う説が出されていました。確かにこの説は一定の説得力があります。今人類の一部はグローバル化で浮かれ、金は世界を駆け巡り、富を異常に増殖させ、IT技術は留まるところを知らない伸びと深化。しかし一方、貧富の格差をどんどん拡大させ、...人類は地球環境、人類以外の生命体を滅ぼしかねない「ウイルス」であり、新型コロナウイルスはこの「ウイルス」をやっつける「救世主」だという説について

  • 今中利信展 作品搬入 セッティング 完了しました。また私の絵の作品集も完成しました。

    2020/3/31午後NTT奈良ショールームで個展の作品搬入、セッティングを行いました。私の絵の先生である池田誠史先生の指導のもと行いました。またNTT電友会奈良支部の支部長以下3名の方々にもお手伝いを頂き無事完了しました。皆さん、有難うございました。明日から4/30午前までショールーム外から(三条通り側)ですが、ご覧になって頂ければ幸いです。なお、来年の3月頃にちゃんとした形で個展を行う予定です。その節もよろしくお願いします。三条通りから見た絵画展示の模様「展示作品紹介」⇐キャバレートロピカーナ(ハバナキューバF10油彩)⇐前菜(フィレンチェイタリアF10油彩)⇩母なる河ガンジス(バナーラスインドF20油彩)闘牛(セビーリャスペインF6透明水彩)左池田先生中央私右妻注文していた作品集も出来ました。今中利信展作品搬入セッティング完了しました。また私の絵の作品集も完成しました。

  • 今中利信展 ~旅、そしてその先の風景~ を開催します。(私の絵画作品の展覧会です)

    1、場所:NTT奈良ショールーム(添付の案内状参照)JR奈良駅から徒歩8分、近鉄奈良駅から5分、三条通り沿い、ホテルフジタ前2、期間:2020/4/1~4/30(土日、休日休み)9:00~17:003、ご挨拶:私は退職後、念願だった日本、海外への旅行を始め、そこで出会った風景を絵に描き始めました。1人でそして妻と2人での個人旅行、絵の先生仲間たちとのスケッチ旅行。個人旅行では緊張感とわくわく感と異文化との出会いを味わい、スケッチ旅行では仲間たちとのワイワイガヤガヤとちょっとした競争心を楽しみました。そして帰ってから思い出や風景を反芻しながら絵を仕上げました。山川草木悉皆成仏、生かされていることに感謝をしつつ、これからも体力、気力の続く限り、旅を楽しみ、絵を描き続けたいと思います。‘油絵のオイル匂ひし花曇り’4、...今中利信展~旅、そしてその先の風景~を開催します。(私の絵画作品の展覧会です)

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 10「雅子皇后はどうするんだろうか?」

    •雅子皇后の実の祖父、江頭氏が昭和39年にチッソの社長に就任したが、水俣病の原因がチッソが垂れ流しているメチル水銀であることを知りながら、就任後ようやく4年経って、チッソの責任を認めた。少なくとも社長就任後速やかに責任を認め、メチル水銀の排出を止め、謝罪していれば患者数も、死者も、胎児性水俣病患者も減り、また救済も早まり、患者の怒りの心も少しは穏やかになったろうに・・・。と言うことについて雅子皇后はどう考えているんだろうか?•勿論水俣病、そして実の祖父の振る舞いに対して雅子皇后の責任はない。しかし、水俣病を起こし続けた人の実の孫の雅子さんが「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」天皇の妻ー皇后になった後も水俣病に対し無言であっていいのだろうか?私は早い機会...水俣病こんなに酷いとは知らなかった10「雅子皇后はどうするんだろうか?」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 9「水俣病関連写真」

    水俣病資料館⇩エコパーク水俣にある慰霊の碑⇩⇩昭和47年チッソとの直接交渉写真(資料館)⇩エコパーク内の慰霊石仏群水俣病こんなに酷いとは知らなかった9「水俣病関連写真」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 8「水俣を訪問された時の平成天皇(皇后)のお言葉」

    •前天皇、皇后のたっての願いにより、平成25(2013)年、水俣で開かれた第33回全国豊な海づくり大会に出た後、水俣市で「語り部の会」会長緒方正実さん(61)の語りを聞く場が持たれた。•「水俣病患者がみんなから白い目で見られ、陰に陽に蔑まれ、排斥される酷い現実を見て、ずっと水俣病患者と言うことを隠し続けてきました。しかしそれではいけない。・・・・」•と言う話を聞いて平成天皇(皇后)は「どうも、ありがとうございます。ほんとうにお気持ち、察するに余りあると思っています。やはり真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものだと、あらためて思いました。ほんとうにさまざまな思いをこめて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になって...水俣病こんなに酷いとは知らなかった8「水俣を訪問された時の平成天皇(皇后)のお言葉」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 7「水俣病の起こるメカニズムとチッソの責任」

    •アセチレン→アセトアルデヒド↑(反応を促す触媒としての)無機水銀➡(一部)メチル水銀となる→(他の工場排水とともに)水俣湾に垂れ流し➡それをバクテリアなどが摂取➡それを魚介類が摂取➡そのメチル水銀を人間が採り、(猫もおこぼれでそれを)食し、メチル水銀が脳に至り脳を破壊する。(水俣病)→母が食べたメチル水銀は、母を侵すと同時に、へその緒を通じて胎児に至り、その脳を侵す。(胎児性水俣病)•チッソは昭和34年の「猫300号の結果」(水俣病の原因はチッソが垂れ流していたメチル水銀であった)を闇に葬り、隠蔽し続け、10年後(雅子皇后の実の祖父の江頭氏が昭和39年社長に就任してから4年後)にチッソ水俣工場でアセトアルデヒドの製造をようやく中止。•その間チッソは何の反省もなく、会社の利益のみを追求し、新たな水俣病患者を多数...水俣病こんなに酷いとは知らなかった7「水俣病の起こるメカニズムとチッソの責任」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 6「何故チッソでメチル水銀が多量に出来てきたのか?」」

    •チッソは戦前からもアセトアルデヒドを水俣で製造しており、その時も水俣病患者はいたものと思われるが、その時はまだ製造量も少なく,戦時中の事もあって顕在化していなかった。•チッソは、戦後復興のためアセトアルデヒド需要が高まると規模を大幅に拡大し、大々的に製造に乗り出した。→戦後復興下支えの象徴としての存在→昭和天皇は昭和6年、昭和24年に水俣のチッソを訪問している。※アセトアルデヒドの主な使用用途:酢酸や種々のアルデヒド類等の製造原料、魚の防腐剤、防かび剤、写真現像用薬品、燃料配合剤、還元剤、医療用薬品、香料などが挙げられる。•アセチレンからアセトアルデヒドを製造する際、触媒として無機水銀が使われる。この過程で無機水銀がメチル水銀に変化する。水俣病こんなに酷いとは知らなかった6「何故チッソでメチル水銀が多量に出来てきたのか?」」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 5「水俣病が確認されてから12年目にようやく公害病と認定された。」」

    •昭和43年(1968)年9月26日、厚生省は、「水俣病は、メチル水銀化合物による中毒性の中枢神経系疾患であり、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物が工場排水とともに排出され、環境を汚染し、魚介類にメチル水銀化合物が濃縮蓄積され、これらの魚介類を地域住民が多食することにより生じたものである」と、水俣病に関する公式見解を発表し、水俣病は、公害病と公式に認定されました。•水俣病が確認された昭和31年(1956)5月から数えて12年目のことでした。同時に新潟水俣病も同じように公害病と認定されました。水俣病こんなに酷いとは知らなかった5「水俣病が確認されてから12年目にようやく公害病と認定された。」」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 4「チッソは水俣病の原因を握りつぶした」

    •猫400号実験•公式発見から3年後の1959(昭和34)年には、チッソの猫実験において有名な「猫400号実験」がスタートします。これは、工場廃液を猫の食事に直接かけて与え続けたもので、400号と名付けられた猫が開始3カ月ほどで痙攣発作などを起こしました。•当時、実験を行ったのはチッソの附属病院の病院長であり、チッソに報告します。しかし、チッソは結果を公表せず、握りつぶすこととし、実験の継続を条件に医師を説得しました。水俣病こんなに酷いとは知らなかった4「チッソは水俣病の原因を握りつぶした」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 3「水俣病の拡大」

    •公式確認当時は、病気の原因がわからず、奇病か、それとも伝染病ではないかとおそれられていました。•最初の患者が確認されてから、水俣保健所を中心として、水俣市、市医師会、チッソ附属病院、市立病院の調査によって、ほかにも似たような症状の患者が確認され、昭和31年の末には、昭和28年(1953)12月から発生していた54人の患者とそのうち17人が死亡していることが確認されました。昭和37年(1962)11月、脳性小児マヒ診断の子どもを胎児性水俣病患者と認定(胎児性水俣病公式確認)しました。•その後も、原因究明に長時間を要したことなどもあって、八代海沿岸地域に水俣病の発生拡大は続きました。←しかし、これは国、県の無策、少なくとも魚貝類を食べたことが原因なのは分かっていたのだから、魚介類の採取、食用を禁止するべきであった水俣病こんなに酷いとは知らなかった3「水俣病の拡大」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 2 「水俣病 チッソの当時の工場、施設、患者の拡がり」

    水俣病を引き起こした当時の水俣市中心部、チッソの工場、施設この写真の左下に水俣港と書かれているところが、現在は埋め立てられエコパーク水俣となっている。地図の真ん中にあるチッソからメチル水銀がこの水俣湾に垂れ流されていた。水俣湾に垂れ流されていた排水は地図上の八幡プールから水俣川に排水されるように一時的に変更された。(その後もとに戻される。)それによりメチル水銀は不知火湾全体に拡散され、より大きな被害の広がりをもたらした。水俣病こんなに酷いとは知らなかった2「水俣病チッソの当時の工場、施設、患者の拡がり」

  • 水俣病 こんなに酷いとは知らなかった 1「水俣病の発生」

    水俣病の発生•昭和20年代後半から水俣を中心に異変が発生熊本県八代海の水俣湾一帯は、魚類の産卵場として、また天然の漁礁にも恵まれた美しく豊かな海でした。しかしその水俣湾一帯で昭和20年代後半(1950~)から、貝類が死んだり、魚が浮き上がったり、海草が育たなくなるなどの現象が現われはじめ、沿岸周辺では、猫が狂い死にするなどの異変が頻繁に見られるようになりました。•昭和31年水俣病発生の公式確認•昭和31年(1956)4月21日、熊本県水俣市の月浦地区の幼児が、口がきけない、歩くことができない、食事もできないなどの重い症状を訴えて、新日本窒素肥料株式会社水俣工場附属病院(以下「チッソ附属病院」という。現在の社名は「チッソ株式会社」で、以下本書では「チッソ」という。)に受診し入院しました。(胎児性水俣病)その後、同...水俣病こんなに酷いとは知らなかった1「水俣病の発生」

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