―世の中の争いが少しでもなくなり、おだやかな世界になるようにー 平和で穏やかな人が1人増えれば、世の中が少し平和に近づく。心の中の怒りや憎しみを1つ減らせば、世の中の争いが少しなくなる。少しずつでも世の中を平和に近づけられるように。
何が正しいことで何が悪いことかわからない、と言うことがある。 余命の告知など極めて複雑な事情の時は、そういうこともあるかもしれない。 しかし、たいていの場合は正しいことと悪いことの区別は自分自身でわかっているものだ。 悪いことをするとき、本当はよくないことだとわかっていながら、理由をつけて自分を正当化しているにすぎないのだ。 人を傷つけたり苦しめたりすることは、やはりよくないことなのだ。 生きていれば、よくないことだとわかっていながらしなければいけないこともあるかもしれない。 ただ、それを無理に正当化することは避けたいし、できるだけ多く正しいことをしていきたい。
人に嫌がらせをしたり、嫌いな人が苦しんでいるのを見たりしたとき、気が晴れることがある。 しかし、その気の晴れ方を見つめてみると、決してすがすがしいものではなく、どこかとげとげしいものであることに気づく。 それよりも人に親切にした時の気持ちの晴れ方のほうが、はるかにすがすがしく気持ちのいいものである。 人に嫌がらせを続けると、自分の心も傷つき汚れていき、元に戻すことが難しくなっていく。 人に親切を続けることで、自分の心を心地よくし磨いていきたいと思う。
自慢して人にすごいと思わせることが何になるだろう。 かえって、その人の中身の寂しさが見えるばかりだ。 本当に立派ですごい人は自分で語らなくても、その人のすごさが見えてくるものだ。 口がうまく多くを語ることも1つの才能だと思うが、口下手で語ることが少なくても、立派な振る舞いができるような人でありたい。
怒りやいらだちから人を傷つけたり、過ちを犯したりしてしまうことがある。 怒りをおぼえたとき、怒りの気持ちにおおわれることがないように気持ちを抑えよう。 始めは難しくても、怒りを抑えることを繰り返していけば、だんだんとできるようになってくる。 怒りが少なく穏やかな気持ちで過ごせるようになれば、物事を冷静に判断することができ、自分の失敗や争いや苦しみが減っていくだろう。
欲望があると失敗することが多い。 しかし、欲望を完全になくすことはできない。 食欲や睡眠欲、性欲をまったくなくしてしまえば、命にかかわる。 命を危険にしてまで欲望をなくすことはないのだ。 ただ、必要以上に欲望をむさぼることから離れればいい。 欲望が多いと自分を苦しめることに気づき、必要以上のものを求める心から離れればいい。 そうすれば欲望で心がざわつくことから離れ、おだやかな心で過ごすことができる。
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