サボテンのIQ(知能指数)知ってる?
(本文より) 指などに刺さったトゲは梅干しで取ることができる。 梅干しの果肉を患部に塗り、絆創膏を巻いておくと、数時間後にはトゲが抜けている。 梅干しは塩分濃度が高いため、塩分濃度を薄めるために体液が排出され、それとともにトゲが抜けるとされている。
江戸時代、年賀の挨拶には扇を贈っていた。年賀用の扇は、たいていは大量生産による安物であった。それでも年賀贈答用であったため桐箱に入れられており、扇売り商人は、桐箱に入った扇を売り歩いていた。医師や商人などは、商売が繁盛しているように見せかけるために、もらった扇箱を家の入り口に高く積んで置いておいた。元日を過ぎると、配られた扇箱を買い取る業者もやってきた。扇箱買い商人は、不用な扇箱を買い取り、別の人間に売るか、次の正月の贈答用にした。他にも正月には、良い初夢を見るための絵を売る商人(宝船の絵売り)や、絵馬を売って歩く者もいた。
【暦】うるう年に追加する調整用の1日は、2月の最終日(2月29日)に配置されているが、これはもともと、2月が一年の最後の月だったときの名残りである
うるう年に追加する調整用の1日は、2月の最終日(2月29日)に配置されているが、これはもともと、2月が一年の最後の月だったときの名残りである。歴史上、暦は何度も改定されている。ロムルス暦(古代ローマ)では、1年間は10ヶ月しかなかった。当時、冬には「冬ごもり」の期間が存在したため、その期間中は日付をまったく数えていなかった。しかし、1年間が10ヶ月しかないという暦はあまりにも乱暴すぎたため、紀元前8世紀に、1年間を12ヶ月とする暦が作られた(ヌマ暦)。このとき、もともと存在した10ヶ月(現在の3~12月)の暦のうしろに、2ヶ月分(1~2月)が追加された。これにより、2月は、その年の最後の月であ…
2月29日生まれの人の誕生日は、2月28日である。これは、法律で「2月28日を誕生日とみなす」と定められているためである。そのため、道路交通法や、鉄砲刀剣類所持等取締法などの法律も、2月28日を基準として、適用するか、適用しないかの判断が行われている。また、うるう年がある年(2月29日がある年)でも、誕生日は2月28日である(2月29日にはならない)。しかし、歳を加算するのは3月1日である(うるう年以外)。年齢の加算には「年齢計算に関する法律」というものがあり、「前日満了時である24時」に加算することが規定されているため、「2月28日24時=3月1日0時」となっている。
昔の月は、かなり大きく見えていた。現在、地球と月の距離は38万kmだが、月が誕生したころの両者の距離は2万km程度だったといわれている。そのため月は、現在見えているものよりも16倍以上も大きく見えた。しかし、月は1年間に3.8cmずつ地球から遠ざかっているため、長い年月をかけて、現在のような月と地球の位置関係ができたといわれている。ちなみに月は今後も離れていき、数十億年後、50万kmの距離にたどり着いたときに力関係が均衡し、遠ざかるのをやめるといわれている。
【歴史】大正時代、欧米人は、肥溜めを積んだ牛車のことをハニーワゴン(蜂蜜桶)と呼び、通り過ぎるのを呆然と見送っていた
大正時代、欧米人は、肥溜めを積んだ牛車のことをハニーワゴン(蜂蜜桶)と呼び、通り過ぎるのを呆然と見送っていた。また江戸時代には、オランダ使節一行が長崎から江戸を往復していたが、牛車が通り過ぎるのを大閉口して見送っていた。江戸の町では、毎日300トンの肥えが発生し、町中を往来していた。その肥えも、近隣の畑などにまかれていたため、風向きによってはひどい悪臭が漂っていた。しかし肥えを定期的に処分していたため、江戸の町では大規模な疫病は発生しなかったと言われている。ヨーロッパでは、窓から大便を投げるなど、非衛生なことを行っていたため、ペストが大流行した。
月にも大気はある。月の大気は、ナトリウムやカリウムなどで構成されているが、地球の大気の1兆分の1くらいしか存在していないため、「月には大気がない」と言っても差しつかえのないレベルとなっている。昔の月には大気がたくさんあった。約35億年前、月では火山活動が活発に行われており、火山から噴出した水蒸気やガスが、月のまわりを覆っていた。しかし月は引力が弱いため、それらの大気を月の表面に引きつけておくことができず、次第に大気は宇宙へと抜けていった。
江戸時代には、すでに歯磨き粉が存在していた江戸時代の歯磨き粉は、微粒の白砂を水洗いにしたもので、これに竜脳(りゅうのう)や丁子(ちょうじ)などの香木を、粉末にして混ぜていた。また古代の遺跡(年代不明)からは、歯ブラシの原型と言えるものが出土している。木片の一方を細かく切り刻んだブラシ状のもので、塩や白砂をつけて磨いていたとされる。また魏志倭人伝(3世紀)には、口の中を衛生的にするものとして、日本ではお歯黒が行われていたことが記載されている。
誕生日ケーキには、約3000年の歴史がある。誕生日ケーキは、古代ギリシャで生まれており、月の女神アルテミスの誕生日を祝うために、満月形のケーキを焼いたのが始まりとされている。そのため、誕生日ケーキはいまでも丸い形をしている。
江戸の町には、すでに銭湯があった。当時の銭湯は男女混浴だったため、男はふんどし、女性は腰巻をつけて入っていた。一般家庭に風呂が普及したのは、江戸時代後期である。一般家庭といっても、名主や庄屋、羽振りのいい商人などの家に限られており、板で囲った土間や屋外などに風呂釜を置き、行水のような入り方をしていた明治時代には、風呂を持つ家も増えてきた。とはいえ戦前は、近所の家の風呂に入れてもらったり(もらい湯)、銭湯に通う家も多かった。
EXPO'70狂騒曲 その8 おまけ(年表) 昭和42年 7月21日 三菱が日本一高い展望塔を建設しようとしていたが、空路の邪魔になるため中止となった。 昭和44年 1月6日 万国博協会が水道料金を滞納していたため、給水停止の通知を受ける。協会は頭を下げた。 昭和45年 2月25日 外国人観光客が自動車事故で死亡した場合の保険が新たに認可された。日本人より賠償額が高いため、外国人客用の新しい保険の要望がタクシー業界から出ていた。 3月10日 記念100円硬貨が即日完売(3000万枚) 3月14日 万博の開会式。 万博に反対していた右翼の構成員2人が逮捕された。 原子力発電所(敦賀)が100時間…
【歴史】徳川幕府は、目安箱に投函された投書一つひとつに返答していた
徳川幕府は、目安箱に投函された投書一つひとつに返答していた。名前や住所が書かれていないなど、要件を満たしていない投書は、無責任な投書であるとして焼き捨てられた。しかし要件を満たしている投書については、その訴状を取り上げるか、取り上げないかの採否を行い、取り上げない場合は、投書人を呼び出し、取り上げなかった理由を一つひとつ説明していた。投書者の住所が遠国の場合は、その地の領主や代官を通じて、同様の手続きを踏んだ。投書人が現れない場合でも、5ヶ月間(計15回)は、評定所前で投書人がやってきていないかどうか確認しており、幕府側から一方的に投書を破棄することはなかった。
【動物】サケは産卵のために自分が生まれた川に戻ってくるが、サケは嗅覚で自分の故郷を探し出している
サケは産卵のために自分が生まれた川に戻ってくるが、サケは嗅覚で自分の故郷を探し出している。カナダの魚類研究科クレーギーは、産卵のために河口近くに帰ってきたサケを捕まえて、200キロほど離れた場所に放流した。クレーギーは放流する前に、サケの群れを2つに分け、ひとつはそのまま、もうひとつは嗅覚神経を切断しておいた。すると嗅覚神経を失ったサケは、故郷の川に戻ることが困難になった。アメリカのハスラーとウィスビーも同じような実験を行っており、一部のサケの鼻をふさぎ、川から離れた場所へ放流すると、鼻をふさがれた方のサケは、故郷の川への帰還が困難となった。日本の上田一夫と梶真寿は、川から抽出したエキスをサケ…
合戦で討ち死にした者はフンドシまで剥ぎ取られていた。1615年5月、大坂夏の陣のとき、徳川方の安藤右衛門という武者が討死した。合戦中であったため、味方の者がほんの少し死体から目をはなしていた瞬間に、甲胃、衣服、フンドシのすべてが剥ぎ取られ、素っ裸になっていた。戦場には泥棒が多かった。泥棒になるのは、付近の庶民だけでなく、野武士も泥棒になったし、合戦に参加中の雑兵も泥棒になった。
EXPO'70狂騒曲 その7 さよなら万博閉幕前夜。 お祭り広場で最後の催し物である「さよなら万博博」が行われた。 2~3万人が参加。いたるところで胴上げが発生。 胴上げされた女子は、スカートがめくれてパンツ丸出しだった。 アフリカ館の女性も群衆につかまり、胴上げされた。ホステスは感激して、みんなにお別れのキスをしていた。手をつないだり、肩を組んだりしながら、みんなで「蛍の光」を大合唱。 電光掲示板には「さよなら」の文字が踊り、巨大ロボット・デメが奇妙な声で「みなさん、長い間かわいがってくださってありがとう」とあいさつをし、水面には、仕掛け花火が輝いていた。閉幕日。午前10時。 閉幕式とパレー…
アントニオ猪木は北朝鮮の切手になっている。 (出典:http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1585.html)1995年4月に平壌で行われた「平和のためのスポーツ祭典」を記念して発行された切手で、アントニオ猪木が描かれている。北朝鮮にとって、切手発行は外貨獲得の手段として重要な役割を果たしている。たとえば、こんな切手を発行している。 金(キム)親子の肖像画 1日14時間働く将軍様の姿 北朝鮮各地を視察する将軍様 海外首脳と将軍様のツーショット(南北首脳会談、プーチン大統領、小泉首相など) ダイアナ妃ご成婚切手(北朝鮮とダイアナ妃は何の関係もな…
宮本武蔵の名は、もともとは無三四だった。宮本武蔵の父・宮本一真は、傲慢な性格で、天下に俺ほどの勇士は二人といない、という意味で「無二斎」と名乗っていた。武蔵も、父に劣らず傲慢な性格だったが、父には敬意を示していたため、二の次である三と四を使用して「無三四」と名乗り、やがて「武蔵」という文字をあてるようになった。ちなみに、吉川英治は、武蔵の幼名を「たけぞう」(武蔵の訓読み)としているが、実際の幼名は七之助である。
【歴史】戦前の昆虫採集キットには、殺虫剤として青酸カリが同梱されていた
戦前の昆虫採集キットには、殺虫剤として青酸カリが同梱されていた。しかし当時は、自殺が続発していたため、それを防ぐために、昆虫採集用の青酸カリは販売中止になった(昭和11年1月)。
【歴史】EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)
EXPO'70狂騒曲 その6 ついに開催された万博(どこまで続くのやら)北大阪急行(別名エキスポ急行)は、万博会場前に駅を作った。 万博終了後、駅は消滅した。太陽の塔の作者・岡本太郎氏。 太陽の塔の作成意図について。 「意味なんかあるもんか。わからんところがいいのだ。わかってしまっては頭に何も残らないのだ」そして人々の頭に何かが残ってしまったため、様々な現象が起きた。とある少女は、夢の中に太陽の塔が出てきてしまい、おねしょをした。 3歳児は、太陽の塔の絵を描いた。 岡本太郎の作品と出会うたびに立ち止まる人が出てきた。太陽の塔の顔面部分に籠城する人が出た(4月26日)。 その人は、太陽の塔の目玉…
【歴史】ペリー艦隊の黒船は、黒塗りの鉄船ではなくて、黒塗りの木造船である
ペリー艦隊の黒船は、黒塗りの鉄船ではなくて、黒塗りの木造船である。防水のために塗られたタールの色が黒色だったため、鉄船のように見えていただけなのだが、ペリーもそのあたりのことを十分に理解していたらしく、鉄船に見せかけるために様々な工作を行っていた。ペリー艦隊の構成は、蒸気船2隻、帆船2隻だった。蒸気船も外輪船であったため、うまく動かず、航海の90%以上は帆走だった。しかしペリーは注意して、幕府の役人が見ている場所では、帆は使用しなかった。また4隻の配置を工夫し、全船が鉄船の蒸気船であるかのように振る舞った。そのようなペリーの用心深い行動が功を奏し、幕府の役人は全船が鉄船の蒸気船が来襲したと大騒…
昔は、被疑者が犯人かどうか、くじで決めていた。古代インド法では、正の神様(人形)と、邪の神様(人形)を、それぞれ土でできた球におさめて被疑者に選ばせ、邪の神様を引いたものは犯罪者とされていた。日本でも、湯塵の大佐衛門という人がハズレくじを引いてしまったため、斬首に処された(『東寺執行日記』)。『高野山文書之六』という裁判の執行方法について書かれている書物には、裁判を行う前に、あらかじめ、くじを用意しておくことが記載されている。また、鎌倉時代中ごろでは、 犯罪人かどうかを決定するために無記名投票が行われていた(落書起請)。
駄菓子屋攻略法(昭和時代)。落ちているジュースのビンを拾って店に持っていくと、1本10円で買い取ってもらえた(ビン保証料)。アウトローな子どもたちは、店横に積んであった空きビンをそのまま何度も持っていって、10円玉を何度ももらっていた(その後、店主に怒られていた)。駄菓子屋の前に置いてあった、ビンを引き抜くタイプの自動販売機は、実はお金を払わないでも飲むことができた。ビンが自動販売機にささったままの状態で栓を抜き、ストローを挿せば、ただ飲みができた。ガチャガチャは、ハンドルを回しきったあとに、もっと回せば、ハンドルが壊れてカプセルがいくらでも出てきた。駄菓子屋のおでんは、串の数で清算していたた…
【歴史】EXPO'70狂騒曲 その5 ついに開催された万博(まだ続く)
EXPO'70狂騒曲 その5 ついに開催された万博(まだ続く)全パビリオン制覇には、約12回の入場が必要だった。オーストラリア館の建物を気に入り、その建物を制作したテントメーカーに就職する人もいた。ガスパビリオンには、おしりを乾かすトイレがあった。サンヨー館には「人間洗濯機」と呼ばれるものがあった。 以下、入り方。 かかり湯(5分)。卵型の浴槽内の各所からシャワーが噴出し、浴槽に湯をためる。 洗いとマッサージ(3分)。気泡で体を洗う。 あがり湯(2分)。ためていた湯を排水し、シャワーで体をすすぐ。 乾かす(5分)。エアタオル。 ちなみに頭は洗えない。ワコール・リッカーミシン館では結婚式が開催さ…
死刑執行後に生き返った人がいる。明治6年1月、石槌県(いしづちけん・現愛媛県)で紋首された田中藤作は、死体となって、家へと戻された。しかし、藤作は家へ戻ると「脈動を発し漸々蘇生」してしまう。 司法省は「ここに紋刑処分後蘇生す。また論ずべきなし。ただちに本籍に編入すべし」として、再度、絞首刑は再実施しないことを表明した。また、刑の執行者側も「罪の科すべきなし。無罪」としたため、藤作は無罪放免、釈放された。
【法律】唐(中国)の時代、親に対して悪口を言った者は絞首刑だった
唐(中国)の時代、親に対して悪口を言った者は絞首刑だった。唐の法律「唐律疏義」(652年)によると、 親が懲役中に妻を迎えた者、懲役1年 親の喪3年に服しているうちに 子を生んだ者、懲役1年 碁や将棋などの雑技をしたもの、懲役1年 道で偶然音楽を聴き、喜びの席に連なった者、杖刑100 妻を迎えた者、懲役3年(当然離婚) 親に対して悪口を言う者、絞首刑 親に手出しをして殴った者、斬罪 親の悪事を訴え出た者、絞首刑 外祖父母や夫の祖父母・父母を殺そうとした者、斬罪 祖父母・父母を殺そうとした者、明文なし(言うに忍びず。もちろん死刑) と制定されていた。日本の法律もこの影響を受けた。江戸期の御定書百…
【食物】韓国には「口に入れて深呼吸をすれば、100人中98人は気絶寸前、2人は死亡寸前」と称される食べ物がある
韓国には「口に入れて深呼吸をすれば、100人中98人は気絶寸前、2人は死亡寸前」と称される食べ物がある。その食べ物の名前は「ホンオ・フェ」。エイの刺身(ホンオはエイ、フェは刺身)と呼ばれる木浦市(もっぽし)の伝統料理である(発酵食品)。アンモニア臭があるため、食べようとすると、まずその臭いに圧倒されることになる。また、アンモニアが目の粘膜を刺激するため、口に含むよりも先に涙がポロポロとこぼれ落ちる。口に含むと、アンモニアが口の中にある水分と反応し、水酸化アンモニウムを作り、口の中が熱を帯びてしまう。鼻水もだらだらと出る。これを食べるのである。ちなみに木浦市では、冠婚葬祭のときにこれが出される。…
【歴史】EXPO'70狂騒曲 その4 ついに開催された万博(続きの続き)
EXPO'70狂騒曲 その4 ついに開催された万博(続きの続き)売店で働いていた人の一日。 店長は、終日勤務。05:30 宿舎で起床 06:30 出発(早番) 07:00 万博会場到着(すでに改札には列ができていた) 11:00 遅番到着 12:00 休憩(1時間) 17:00 早番終了 22:00 遅番終了 23:00 万博会場出発 02:00 消灯その人の談話。「7~9月の入場者数はすさまじいものがあり、勤務時間中はほとんどひっきりなしに客がいた。コーラやファンタなどは冷やす時間もなく、よくなま温かいまま販売し、文句を言われた。しかし市価より高かった」「私の店で使用していた清涼飲料水のクー…
【歴史】3世紀ごろ、中国ではすでにお茶が飲まれていたが、まだ「茶」という漢字は存在しなかった。
3世紀ごろ、中国ではすでにお茶が飲まれていたが、まだ「茶」という漢字は存在しなかった。3世紀半ばの辞書『広雅』によると、茶には「苦」や「茗」という漢字があてられていた。当時のお茶は、レンガ状に固めた磚茶(たんちゃ)。お椀の中に、削った磚茶を入れ、そこにタマネギ、ショウガ、ダイダイなどを加えて飲んでいた。ちなみに磚茶は、現代でもモンゴルなどで飲まれている(ビタミン補給)。当時のお茶は医療用で、解熱、眠気覚まし、心身強壮に使われていた。また仏教では、酒が五戒の一つとして戒(いまし)められたため、その代替品として喫茶習慣が広まった。ちなみに「茗」は茗荷(みょうが)の漢字に使われている。お釈迦様の弟子…
【食物】くさやの漬け汁は、350年以上、継ぎ足してきたものである
くさやの漬け汁は、350年以上、継ぎ足してきたものである。くさやとは、ムロアジやトビウオなどを、発酵した海水に潰け込んでから日干しにしたものである(伊豆諸島の名産)。江戸時代には海水を利用して、上質の塩干し魚をつくっていた。しかし、この地域では、塩を年貢として納めていたため、幕府の取り立てが厳しく、干物づくりに使える塩汁の量は限られていた。そこで苦肉の策として、魚を清け込み、残った塩汁を何回も継り返し使っていたところ、塩汁が発酵して異様なにおいを放つようになった。しかし、この塩汁、においは強烈だが、なめてみると捨てがたいうまみがあった。そこで、ためしに、これに漬け込んだ魚を江戸へ送ってみたとこ…
古代ギリシャの人たちは、すでにガムを噛んでいた。古代ギリシャの女性たちの間では、口臭予防や、歯の健康のために乳香樹(マスティック)の樹脂を噛むことが流行っていた。これは「マスティックガム」と呼ばれるもので、紀元前50年頃、ギリシャの医者ディスコリーディアスは、マスティックからとれる物質を粉末にして、薬にしていた。また中近東でも同様のガムが生産されており、樹脂を柔らかくするために蜜ロウを加えていた。西暦300年頃、マヤ文明発祥の地・中央アメリカの人々は、天然チクル(チューインガムの基材)を噛んでいた。また、マヤ族は、乾燥した石油も噛んでいた。西暦1300年頃、インディアンはエゾマツの樹脂を噛んで…
【歴史】EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)
EXPO'70狂騒曲 その3 ついに開催された万博(続き)日本人の総入場者は、6251万人。 外国人客は、170万人。テーマソング「世界の国からこんにちは」を歌ったのは8名。 三波春夫が歌ったものがもっとも有名。 毎日新聞社の公募による作品だった。 ボニー・ジャックスが歌ったバージョンのB面には、「オバQ万博へ行く」という曲が入っていた。自動改札機を初めて経験する人もいた。 初めて外国人を見る人も多かった。万博からの帰り道で迷子になったニュージーランド人。 道を歩いていた日本人に、英語で「ここに帰りたい」と言って、ホテルのマッチを見せたところ、「ありがとうございます」と言われて、マッチを持って…
【動物】警察犬は、残された足跡から犯人を追う場合、犯人の足から出る汗のにおいを嗅いで、行方を追っている
警察犬は、残された足跡から犯人を追う場合、犯人の足から出る汗のにおいを嗅いで、行方を追っている。人間は一日に1リットルもの汗をかくが、体の中で最も汗をかきやすいのは足の裏である。そのため、人間が歩いたあとには、汗が足跡となって残っている。汗のにおいは、個人個人異なるため、指紋のような役割を果たしている。警察犬は、遺留品などから犯人のにおいを覚えこみ、そのにおいを頼りに犯人の足跡を追っている。犬の嗅細胞は、人間の40倍もある。酢(酢酸)のにおいについては、1億倍も鋭く、汗(酪酸)のにおいについては、100万倍も鋭い。ちなみに、ウナギの嗅覚は、犬の嗅覚とほぼ同じである。嗅覚が鋭いのは、犬、ウナギ、…
「さきいか味」のガムが販売されたことがある。製造したのはロッテ(昭和51年頃)。売れなかったらしい。町の声(昭和40年生まれ)。「友達と一緒に買いました。友達はゲーといってすぐ口から出しました。私は一応食べてみたけど、平たくてちょっと白い粉のついているような太いゴムの輪をかんでいるみたいで、やっぱしゲーッと出してしまいました」平成7年、明治製菓が「大人気分スルメ味」というガムを出した。やっぱり売れなかったらしい。開発者の声。「どこのメーカーさんかわかりませんが、このガムは以前あった『スルメガム』をふまえております。これは甘くなかったようですが、ウチで出したのは砂糖を入れたので甘くて受け入れられ…
大手企業は、飲み物のラムネを作ることができない。飲料業界には「分野調整法」という法律があり、中小企業が中心となっている市場に大企業が参入しようとする場合、大企業は、その影響度を十分に考慮しなければならない、と定められている。そのため、 ラムネ シャンメリー ビン詰めコーヒー飲料 ビン話めクリームソーダ チューチュー(チューペット) 焼酎割り用飲料(ホッピーなど) の6種については、中小企業の事業を確保するために、大手企業は参入しないこととなっている(紳士協定)。 おまけ 焼酎割り用飲料メーカー名鑑(全国清涼飲料協同組合連合会) http://www.e-drink.jp/sour/meikan…
EXPO'70狂騒曲 その2 ついに開催された万博開園前日の徹夜組は40名。 先頭は、日本の青年と、シカゴから来た青年。 二人はどちらも、自分が先頭であると主張した。1970年3月15日、ついに万博が開催された。 開園時、入場券売り場では、お札が乱れ飛んでいた。特別な日であるため、着物で万博を訪れる人もいた。 その女性は、開園後、他の人たちが走っているのを見て、自分も走ろうと思い、草履を脱ぐためにかがみこんだところ、後ろから突進され、額に傷を負った。また別の女性は、将棋倒しで倒され、足の骨を折った(全治2か月・3月22日)。開園2日目は雨。 肌寒かったため、サンドイッチ自慢の店のうどんが飛ぶよ…
昔は、買い物のお釣りにガムが渡されていた。これは、昭和38年に発売された「おつりガム」と呼ばれるもので、1円玉が不足したときに、1枚1円のガムを渡して、お釣りの代わりにするというものだった。ハリスや、キングトリスといったガムメーカーが、地方のスーパーに向けて販売していたが、売り上げはかんばしくなかった。ちなみに、イタリアの通貨がリラだった頃は、電話用のトークンや、切手がお釣りとして使われていた。
【食物】ハマチの稚魚は、流れ藻と呼ばれる藻と一緒に海流を流れているため、流れ藻ごと稚魚をつかまえることで、ハマチの養殖は実現している
ハマチの稚魚は、流れ藻と呼ばれる藻と一緒に海流を流れているため、流れ藻ごと稚魚をつかまえることで、ハマチの養殖は実現している。流れ藻とは、海面に浮遊している様々な藻類や海草の総称である。ブリ(ハマチ)は、流れ藻に卵を植えつける習性を持っており、孵化した稚魚も、流れ藻の影に隠れて生活するため、流れ藻をすくいとれば、ハマチの稚魚も一緒に収穫することができる。ちなみに、ブリが産卵する場所は西南部海域(九州あたり)に限られているにもかかわらず、ハマチは全国各地で取れる。これは、海流に乗った流れ藻が、稚魚ごと全国各地へと流れていくためである。
【食物】ふだん目にしているワカメが緑色なのは、緑色にするための工夫が施されているからである
ふだん目にしているワカメが緑色なのは、緑色にするための工夫が施されているからである。ワカメは、取ってきたものをそのまま天日干しにすると、褐色(こげ茶色)になってしまう。そのため、取ってきたワカメに灰をまぶして干すという技法が使われている(灰干し)。灰干ししたワカメは乾燥しても褐色にならず、緑色を保ち続けるため、色鮮やかなワカメを楽しむことができる。
EXPO'70狂騒曲 その1 開催までの軌跡万博は、大阪で開催される予定となっていたが、敷地面積を確保することが難しかったため、琵琶湖を埋め立てて開催する案が出ていた。万博の会場には大阪府吹田市が選ばれた。 当時は一面に竹林が広がっていたため、地元の人たちはタケノコの缶詰を作っていた。 ウサギ狩りが行われていたこともある。住宅地でもあったため、立ち退き問題が発生した。 政府は、強制収用を命じることができる「土地収用法」という伝家の宝刀を持っていたが、「万博用地」には適用できなかったため、「跡地に公園を作る」という名目で「土地収用法」を適用させた。 そのため、同地は今でも公園である。最後まで立ち…
【歴史】太平洋戦争末期、日本軍は秘密兵器として風船爆弾を開発していた
太平洋戦争末期、日本軍は秘密兵器として風船爆弾を開発していた。風船爆弾とは、爆弾や焼夷弾のついた気球で、日本沿岸から放流してジェット気流に乗せ、アメリカ本土を攻撃するというものだった。9000個が放流され、約50時間をかけ、アメリカ本土を空襲した。本土にたどり着いた風船爆弾は、300個前後。爆弾により6人が死亡、送電線を破壊して、原子爆弾の製造を3日間遅れさせたりした。また日本側も放流時に爆発事故があり、3人が死亡している。気球にはバラスト砂というものが取りつけられていた。バラスト砂は風船爆弾の浮力を調節する役割を果たしており、気圧の変化を検知して自動的に砂を落とし、風船爆弾の高度を維持した。…
【医療】初診時に初診料がかかるのは、2回目以降の診察と比べて時間がかかるためである
初診時に初診料がかかるのは、2回目以降の診察と比べて時間がかかるためである。初めて受診する場合、医師は、病歴や体質、アレルギー、副作用の経験、他に病気をしていないか、常用している薬は何か、職業、嗜好など、様々なことをたずねなければならない。そのうえで、今回病院にきた理由や症状、経過など、本来の診察を行う必要があるため、時間がかかる。2回目以降は、これらのうち、いくつかの確認を省くことができるため、診察時間は短くなり、そのぶん料金も安くなる。患者にとっては、初診料は負担でしかない。しかし医者側も、初診をどれだけ丁寧に行っても一定料金しか受け取ることができないため、不満のタネとなっている。
【食物】「ごはんですよ」などの海苔の佃煮は、戦後にできた食べ物である
「ごはんですよ」などの海苔の佃煮は、戦後にできた食べ物である。ごはんですよ、の正式名称は「江戸むらさき」。江戸むらさきは、桃屋が開発した。桃屋は、もともと果物の缶詰を主力製品として生産していた。しかし、終戦による輸入の自由化により、欧米の安い食材がどんどん日本に入ってくることを危惧した同社は、自由化が推進されても、外国製品に絶対に踏み込まれることがない商品群を充実させるために、海苔の佃煮のびんづめを発売した。江戸むらさきとは、もともとは色の名前である。古代からの紫色は「京紫」と呼ばれていたが、これに対し、江戸時代には赤味がかった紫が創作され、江戸庶民に親しまれた。また江戸では、醤油のことを「む…
【戦争】戦時中、日本軍は、さつまいもを燃料にして戦闘機を飛ばそうとしていた
(2019/12/25 新規) 戦時中、日本軍は、さつまいもを燃料にして戦闘機を飛ばそうとしていた。さつまいもを加工すると、燃料用アルコールが生成できるため、国策としてさつまいもが大量に植えられていた。しかし国内の飢えが進行し、食料増産の方が喫緊の課題となってしまったため、さつまいもは国民の食料へと回された。 (2020/02/19 追記) 第二次世界大戦末期、ボルネオ島にいた日本軍は、タロイモを発酵させて燃料を作り、飛行機を飛ばしていたという記録が残っている。イモの主成分であるデンプンに麹菌を混ぜて加水分解するとブドウ糖ができる。これに、アセトンブタノール菌をつけて発酵すると、アセトンとブチ…
九九には、掛け算だけでなく、割り算もある。割算九九(別名、八算)と呼ばれるもので、戦前の小学生はこれを暗唱していた。たとえば「1÷2=0.5」の場合は、「二一天作の五」(にいちてんさくのご)となり、「二一」が「1÷2」を表し、「天作の五」が「.5」を表している。「1÷7=0.14」の場合は、「七一加下三」(しちいちかかさん)となるが、これがどのような割り算になるのか、私には説明ができない。ネット上には、割算九九を説明しているページがいくつもある。しかしそれらの説明を読んでみても、私には、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。当時の小学生も、よくわからないまま暗唱していたらしい。
【医療】「うつは心のかぜ」という言葉があるが、これは、抗うつ剤の販売を促進させるキャッチコピーである可能性があるため、鵜呑みにしないほうが良い
「うつは心のかぜ」という言葉があるが、これは、抗うつ剤の販売を促進させるキャッチコピーである可能性があるため、鵜呑みにしないほうが良い。うつには、軽度のうつと、重度のうつ(大うつ病)の2つに大別することができる。重度のうつの場合は、抗うつ剤を使用してしっかりと治療する必要がある。しかし軽度のうつの場合は、抗うつ剤に頼らず、自然治癒に任せた方が良いとされる。休養を十分にとり、体をしっかりと休め、自然に回復するのを待つことが、うつ病を克服する近道である可能性が高い。実際のところ、抗うつ剤を使用しても、数か月後には、プラセボ(偽薬)を飲んでいる患者と同程度の症状に落ち着いてしまうことが確認されている…
【歴史】戦前の学校の名簿は、五十音順ではなく、生年月日順だった
戦前の学校の名簿は、五十音順ではなく、生年月日順だった。これは、「一日でも早く入隊したものは上官と心得よ」という軍隊の規律を踏襲したもので、一日でも早く生まれた者は、それだけで偉いとされていた。
【医療】日本糖尿病学会は、炭水化物、タンパク質、脂肪の三大栄養素をさらに細分化し、糖尿病患者だけでなく、健常者にも適用できる食物の一覧表(食品交換表)を作成している
日本糖尿病学会は、炭水化物、タンパク質、脂肪の三大栄養素をさらに細分化し、糖尿病患者だけでなく、健常者にも適用できる食物の一覧表(食品交換表)を作成している。この表1~6までの食物を、毎食バランスよく摂取することで、健康な体づくりができるとされている。 出典(https://www.tounyou-w.com/Food-exchange-list.html)
【歴史】明治政府は、国民に名字を名乗ることを許したが、これは四民平等をねらったものではなくて、徴税と徴兵を円滑に行うためだった
(2020/01/13 新規) 明治政府は、国民に名字を名乗ることを許したが、これは四民平等をねらったものではなくて、徴税と徴兵を円滑に行うためだった。明治3年、政府は国民に名字を名乗ることを許した。しかしこれは届出制であったため、頭のよい国民は、名字を名乗ったら損だと思い、届け出なかった。政府は、徴税と徴兵を円滑に行おうと思っていた矢先に、国民の方から反発を受けてしまったので、業を煮やし、明治8年に、名字を名乗ることを義務化した。とはいえ、徴兵制には抜け穴があり、家督相続のため他家へ養子に行ったものは、徴兵を免除される規定があった。そのため養子に行くものがあとを立たず、政府は、そちらの方でも…
【鉄道】新幹線は岐阜を通っているが、もともとは岐阜を通らず、三重県の鈴鹿山脈にトンネルを掘って、名古屋と京都を結ぼうとしていた
新幹線は岐阜を通っているが、もともとは岐阜を通らず、三重県の鈴鹿山脈にトンネルを掘って、名古屋と京都を結ぼうとしていた。理由は、その方が短距離だからである。しかし、技術的な問題で難工事が予想されていたことに加え、工事費用を借りていた世界銀行との融資条件の中に「東京オリンピック開催 (1964年)までに開業する」という項目が含まれていたため、関ヶ原経由の中山道を通るルートが選ばれた。しかしこのルートは、伊吹おろしという強風が吹きやすい場所であったため、冬場の新幹線は、関ヶ原付近で徐行することが多い。また新幹線は、関ヶ原付近の降雪にも弱い。
【歴史】満州事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった
満州事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった(1931年)。日支事変は、日本の方から仕掛けた戦争なのではないか、というデマが国内に広がったが、実は本当だった(1937年・日中戦争)。ノモンハン事件で、関東軍(日本軍)はやられてしまったのではないか、というデマが国内に広がったが、実はコテンパンにやられていた(1939年)1942年、アメリカでは、真珠湾攻撃の被害は甚大だった、というデマが広がったが、実は本当だった(国民には過小に報告されていた)。太平洋戦争中、政府は大本営発表というデマよりもひどい嘘情報をデカデカと発信していた。新聞は政府の言い…
明治時代の寝台車にはダブルベッドが搭載されていた。ダブルベッドが搭載されていたのは、明治43年に新造された「オロネ9140形」。日露戦争勝利により、国際的地位が向上したとする国民たちの「自意識」や、外国人観光客の誘致をはかる目的から製造された。夫婦や友人たちに、心地よい睡眠環境を提供することになったが、心ない成金連中が芸者などを連れ込み風紀を見出したため、ダブルベッドを複数人で使用することは禁止された。
【社会】ノーベル賞は生存者にしか与えられないが、ノーベル賞の候補者が交通事故を起こしてしまったため、アカデミーは急遽その人物にノーベル賞を授けた
ノーベル賞は生存者にしか与えられないが、ノーベル賞の候補者が交通事故を起こしてしまったため、アカデミーは急遽その人物にノーベル賞を授けた。アカデミーは、ノーベル賞を授け損なったことが何度かある。モーズリーの法則を提唱したヘンリー・モーズリーは、ノーベル賞受賞が確実視されていたが、27歳のとき、第一次世界大戦に兵士として従軍して亡くなっている(1915年)。そのこともあってか、1961年にソ連のランダウが交通事故を起こし危篤状態に陥っているとき、アカデミーはランダウにノーベル賞を授与した。ランダウは事故後、数ヶ月間を危篤状態で過ごしたが、奇跡的に持ち直した。
【歴史】アインシュタインのノーベル賞受賞の理由が相対性理論にならなかったのは、当時アインシュタインが、相対性理論をめぐる宗教問題や政治問題に巻き込まれてしまっていたためである
アインシュタインのノーベル賞受賞の理由が相対性理論にならなかったのは、当時アインシュタインが、相対性理論をめぐる宗教問題や政治問題に巻き込まれてしまっていたためである。1910年代、ヨーロッパでは、ユダヤ人を排斥する運動が各地で行われていた。そして、ユダヤ人であるアインシュタインは、ユダヤ人という理由だけで異教徒扱いを受けており、相対性理論のことを何もわかっていない少数の扇動者たちは、ユダヤ人が作り出した邪悪な理論として、相対性理論を攻撃しはじめた。すると、単なる宗教問題だったはずの運動が社会問題へと発展してしまい、さらには政治的な論争が繰り広げられることとなってしまい、社会を二分するほどの大…
メンソレータムは、クリスチャンによって広められた。明治38年、ウィリアム・メレル・ヴォーリズというアメリカ人が、英語教師として、滋賀県近江八幡に赴任した。彼は、教師としてだけでなく、キリスト教を布教させることも目標としていたが、学校をクビとなってしまったため、生計を立てるために事業をおこすことにした(近江兄弟社)。アリゾナ州・メンソレータム社の社長が熱心なクリスチャンであったため、ヴォーリズを支援し、大正9年に、メンソレータムの輸入販売が開始された。当初は売れなかったが、薬局にはクリスチャンが多く、全国の教会を通じて販路を確保できたため、次第に売れるようになり、やがて国産となった。メンソレータ…
おにぎりは、ラップを使って握ったほうが衛生的である。おにぎりの作り方にはいろいろあるが、 手に塩と水をつけてにぎる 手に酢と塩をつけてにぎる ラップでにぎる の3つで比較実験をしてみたところ、「細菌をつけない」という点では、ラップで握ったほうが良いという結果がでている。おにぎりを包むものは、時代によって変遷している。おにぎりは、昭和40年代前半までは、竹の皮で包んでいた。その後、アルミホイルで包むようになり、のちにラップで包むようになった。ラップは、単体では、ここまで普及しなかっただろうと言われている。冷蔵庫と電子レンジが普及することによって、ラップの重宝さが認識され、各家庭にも広まるようにな…
【商品】バナナが高級果物だった時代、子供たちの間では、バナナ味の歯みがき粉が流行っていた
バナナが高級果物だった時代、子供たちの間では、バナナ味の歯みがき粉が流行っていた。中には好きすぎて、歯みがき粉自体を食べてしまう子供もいた。バナナは、昭和39年の輸入自由化により値段が一気に下がった。そして、昭和50年代には普通の果物であると認識されるようになり、バナナ味の歯みがき粉も下火になった。バナナ味の次に人気を博したのは、同じく高級果物として君臨しているメロン味だった。
【体】女性にバラの花束を贈る男性がいるが、化学的に見てみると、その行動は正しい
女性にバラの花束を贈る男性がいるが、化学的に見てみると、その行動は正しい。バラの香りに含まれているフェニルエチルアミンという成分には催淫効果(媚薬効果)があるため、バラは女性を振り向かせるアイテムとして適している。脳には大脳新皮質という、感情や性欲などの本能をつかさどる器官があるが、においの刺激は、この大脳新皮質に直接働きかけるため、バラのにおいをかぐと、これらの本能に直接的に働きかけることになる。また、香りによって記憶が蘇る効果のことを「プルースト効果」という。これは、マドレーヌの香りをかいで記憶を取り戻す場面を描いた、文豪プルーストの小説『失われた時を求めて』から来ている。においは、本能的…
【服飾】ボウリング場の貸しシューズのデザインがダサいのは盗難防止のためである
ボウリング場の貸しシューズのデザインがダサいのは盗難防止のためである。ボウリングブームが発生した1970年前後、ボウリングウェアは最新のファッションとなっていたため、ボウリングシューズの盗難が相次いでいた。そこでシューズのデザインを、あえてダサくしてみたところ、盗まれても、履いていたらすぐにバレてしまうため、警察に連れられてシューズを返しにくる若者が増えたという。ちなみにボウリングのマイシューズは、右投げであれば、軸足である左足の靴裏には、スライドしやすいように革が張られており、右足の靴裏には、滑らないようにゴムが張られている。貸しシューズは、左右のどちらが軸足であっても使えるように、靴裏は両…
【商品】1969年に登場したプッシュホン(電話)は、液晶ディスプレイとかも何もないのに、電卓として使用することができた
1969年に登場したプッシュホン(電話)は、液晶ディスプレイとかも何もないのに、電卓として使用することができた。電卓がまだ家庭に普及していないころ、電電公社(NTT)は、女性の音声案内で計算結果を教えてくれる「電話計算サービス」というものを行っていた。この計算サービスは、四則計算だけでなく、平方根や微分積分の計算までできるというすぐれものだった。しかし、液晶表示も何もない電話機で、プッシュボタンを駆使しながら複雑な数式を入力するのは容易ではなく、使用料も高額で、さらには電卓が普及しはじめたこともあって、サービスは1982年に廃止された。
【歴史】江戸時代の子供たちは、15歳になるまで、3年単位で育てられていた
(注意: 江戸しぐさ自体が、近年の創作である可能性があるため、その点を考慮しつつ読んでいただけるとありがたいです。投稿時に、創作である可能性に気づいたため)江戸時代の子供たちは、15歳になるまで、3年単位で育てられていた。これは、江戸時代の商人たちの生活哲学をまとめた「江戸しぐさ」の一つで、「三つ心、六つ躾(しつけ)、九つ言葉、十二文(ふみ)、十五理(ことわり)で末決まる」というものである。意味は、 3歳までに、愛情深く接して基本的信頼を実感させ、子どもの心を豊かに育てる。 6歳までに、親が自らの言動で手本を示し、行儀作法を身につけさせる。 9歳までに、どんな相手にも失礼がないよう、挨拶や他人…
【野球】1980年代、プロ野球ではサイン盗みが横行していたため、その対策として、ピッチャーとキャッチャーのグローブには乱数表が貼りつけられていた
1980年代、プロ野球ではサイン盗みが横行していたため、その対策として、ピッチャーとキャッチャーのグローブには乱数表が貼りつけられていた。乱数でサイン交換を行えば見破られることはないだろう。そのような思惑で導入されたが、あまりにも乱数が複雑であったため、バッテリーは混乱し、結局は直接話をすることでサインを決めていた。また、乱数表を用いたサイン交換は時間がかかり、試合時間が長引いてしまっていたため、乱数表の使用は全球団で禁止となった。
【医療】睡眠剤を定期的に飲んでいる人は、飲まない人と比べて、死亡率が2割もあがる
睡眠剤を定期的に飲んでいる人は、飲まない人と比べて、死亡率が2割もあがる。これは、何か重病を患っているのと同じ危険度である。睡眠剤は、脳だけでなく、免疫に関係する細胞にも働いてしまうため、抵抗力が弱まり、がんや感染症にかかりやすくなってしまう。いわば、白血球が酔っ払って抵抗力が低下するようなものである。そのため、ちょっとした不安や緊張にともなう不眠には、睡眠剤は使わないほうがよい。また、睡眠に関する調査結果(100万人規模)によると、不眠など覚えたことがない人よりも、普段から、ちょこちょこ不眠を覚える人の方が、むしろ長生きである。
【人間】「三つ子の魂百まで」ということわざは、医学、心理学、脳科学のすべてにおいて正しい
「三つ子の魂百まで」ということわざは、医学、心理学、脳科学のすべてにおいて正しい。3歳になるまで、子供の脳は急速に成長し、脳の基本回路であるネットワークが構築される。この時に、脳を健全に育てると、様々な能力(性格、運動、勉強)を身につけることが容易になる。健全な脳は、信頼感によって育てられる。周りの人たちは、自分のことを愛してくれるのだ、という実感を抱かせることが大切だという。8歳になるまで、狼に育てられた少女がいる(名前はカマラ)。カマラは、人間として育てられなかったため、人間の文化を教えようとしても、言葉すらほとんど身につけることができず、二足歩行を行うことも困難だった。
世界一硬い食べ物は、かつお節である。2位は中国の乾燥アワビ、3位はヨーロッパの干し肉である(諸説あり)。かつお節の原型は、「鰹魚」と呼ばれるもので、かつおを素干しにしただけの保存食料だった(10世紀・『延喜式』)。現在のような、かつお節の燻製法が考案されたのは、1674年といわれている。かつお節は、かつおを3枚におろし、煮て、燻製にして、乾燥させてから、水分を吸着させる性質を持つ鰹節菌をつける。その後、表面を覆っていた鰹節菌を取り除き、新たに鰹節菌をつける、という工程を何度も繰り返すことにより、かつお節は完成する。
【世間】財布に赤ん坊の写真を入れておくと、なくしても88%の確率で返ってくる
財布に赤ん坊の写真を入れておくと、なくしても88%の確率で返ってくる。これはイギリスの大学が行った調査によるもので、返却率は、 15% 何も入れていない 28% カップルの写真 48% 家族写真 56% 子犬 88% 赤ん坊 である。赤ん坊の写真は、自分の子供じゃなくても良い。
【歴史】日本で初めてガムが販売されたとき、広告文にはガムの食べ方が書いてあった
日本で初めてガムが販売されたとき、広告文にはガムの食べ方が書いてあった。少し長いけれど、明治43年7月の広告を引用してみると、「甘美、芳香、清爽、噛んで尽きざるが特徴なり。欧米流行の嗜好品。運動家、事務家、紳士貴婦人老若男女諸賢は、すべからく試みられよ。本品は一種のゴム質に数種の栄養物を加味して成れる衛生上無比の嗜好品にして、常に用い玉わば咀嚼不良の悪習を矯正し、又よく歯牙を掃除し、ことに喫煙の際に用ゆればその味をよくするのみならず、正にその代用として最も妙なり。電車、劇場、汽車、汽船、野外、遠足、登山、又は競技の際に口中に含まば清爽いうべからず。咽下(えんか)せず口中に永く鬼灯(ほおずき)の…
第二次世界大戦初期、イギリス軍はドイツ軍の暗号を解読し、古都コベントリーが爆撃される情報を事前に入手していたが、イギリスの首相チャーチルはその報告を握りつぶし、古都コベントリーは爆撃により壊滅した。暗号解読の報告を受けたチャーチルは、しばらくの間、考え込んだ。劣勢とはいえ、なけなしの航空部隊を総動員すれば、コベントリー市を守り切ることはできるだろう。しかしそれと引き換えに、ドイツ軍は、自分たちの暗号が解読されたことに気づくかもしれない。もしそうなってしまったら、暗号解読というイギリスにとって有利な状況を、自らの手で捨ててしまうことになるではないか。コベントリー市ひとつを守り抜くためだけに、これ…
【医療】消毒用のアルコールには、飲用すると危険なメタノールが含まれている
消毒用のアルコールには、飲用すると危険なメタノールが含まれている。消毒用のアルコールに使われているエタノールは、そのまま飲用すると酒にもなるため、酒税法を考慮した結果、飲用に適さない毒物が混ぜられている。ただし、危険なのは飲用時のみで、皮膚の消毒時には危険性はないとされているちなみにエタノールの濃度は、70〜80%。濃度100%よりも、これくらいの濃度の方が、滅菌には有効だとされている。
【歴史】昭和13年、ゴムの輸入がかなわなくなった日本海軍は、ゴムを使わない独自のガムを開発していたが、軍事用のガムであったため、中にはコカインが含まれていた
昭和13年、ゴムの輸入がかなわなくなった日本海軍は、ゴムを使わない独自のガムを開発していたが、軍事用のガムであったため、中にはコカインが含まれていた。日本海軍が製造したガムは、「小麦粉からグルテンを抽出し、ブドウ糖、砂糖、ビタミン、コカイン、カフェイン等を加え『航空食』とした」ものとされている。麻薬は鎮痛剤の役割も果たすため、軍隊にはなくてはならない物質である。太平洋戦争末期には「突撃錠」と称された覚醒剤が特攻隊隊員に渡されていた。また、国内で武器作成などの重労働を担っていた女子学生や女子挺身隊には、栄養剤と称してヒロポン(覚せい剤)が支給されていた。当時、ヒロポンは身近な薬だった。赤塚不二夫…
【歴史】第二次世界大戦前、日本の暗号機「紫暗号」はアメリカ側にすぐに解読されてしまったため、表面上は平和外交を行っている日本の態度に、アメリカ側はがっかりしていた
第二次世界大戦前、日本の暗号機「紫暗号」はアメリカ側にすぐに解読されてしまったため、表面上は平和外交を行っている日本の態度に、アメリカ側はがっかりしていた。紫暗号が導入されたのは1939年。日本側は、暗号が解読されることはないとタカをくくっていたため、平和外交を進めながら、裏では着々と軍備拡張を進めていた。しかし、紫暗号は、暗号を作成する前に、初期設定として「日付」と「発信地」を入力する決まりとなっていた。そのため、同一日・同一場所からの電文はすべて同じ鍵字列(暗号の配列)で暗号化されていたため、容易に分析され、すぐに解読された。
インフルエンザワクチンが効くという保証はない。現在、インフルエンザワクチンの学童への義務接種が中止されているが、これは隣接する2つの市で行われた実験結果に基づいている。一方の市では、80%の学童にワクチンを接種させ、もう一方の市では、学童にワクチンを接種させなかった。すると、インフルエンザへの罹患率は、まったく変わらなかった。また、インフルエンザワクチンの接種率と、インフルエンザに罹患する比率についても調べてみたところ、両者の間には相関関係がなく、ここでもインフルエンザワクチンが効くという証拠は見つからなかった。これらの調査後も、日本のインフルエンザワクチンのつくり方は基本的には変わっていない…
【歴史】第一次世界大戦中、不戦を表明していたアメリカは、イギリス諜報部の工作にまんまと引っかかってしまい、ドイツに宣戦布告した
第一次世界大戦中、不戦を表明していたアメリカは、イギリス諜報部の工作にまんまと引っかかってしまい、ドイツに宣戦布告した。1917年初頭、ドイツはメキシコに対して秘密電文を打ち、アメリカを牽制してくれないかと依頼した。しかしイギリスの暗号解読班は、この情報を探知、アメリカを参戦させるための好材料であるとしてひと芝居を打った。当時、カナダに寄った船はイギリス海軍によって臨検される決まりとなっていた。ドイツ元駐米大使が乗った船がやってくると、イギリス海軍は、その船を徹底的に臨検し、船を十日あまりも抑留した。しかしこれは時間稼ぎのために行っていただけで、実際には元大使の重要書類入りカバンを盗むのが目的…
【歴史】ラジオ体操第一と第二は、それぞれ3代目、4代目のラジオ体操である
ラジオ体操第一と第二は、それぞれ3代目、4代目のラジオ体操である。初代ラジオ体操は、昭和3年に、逓信省簡易保険局(かんぽ生命保険)によって作成された。職員が体操の図解を配るなどの活動を行った結果、広く親しまれるようになった。しかし、敗戦後にやってきたGHQが、軍国主義的であるとの通知を出したため、初代ラジオ体操は、あえなく終了となった。2代目ラジオ体操は、昭和21年に作成された。しかし、伴奏はワルツ調で、舞踏的な体操であったため、踊るのが困難であった。また戦後の混乱期であったため、体操どころではない国民が多く、紙不足で体操の図解を配ることもできなかったため、2代目ラジオ体操は、翌年に打ち切られ…
【歴史】日本海海戦で、日本軍はバルチック艦隊に向けてスパイ船を近づけていったが、ロシア側は、その船が何をしているのかわからなかった
日本海海戦で、日本軍はバルチック艦隊に向けてスパイ船を近づけていったが、ロシア側は、その船が何をしているのかわからなかった。スパイに使われたのは、防護巡洋艦「和泉」。和泉は、日露戦争直前にチリから購入した軍艦で、最新兵器の無線通信設備が搭載されていた。ロシア側も、不審な船だと思い、多少は攻撃してみたものの、重要な任務を任されている船だとは思いもしなかったため、無視同然の扱いとした。和泉はバルチック艦隊のそばで、時々刻々と変化する状況を逐一打電し、日本海海戦の勝利に貢献した。
【体】0から9までの各数字を、指定時間いっぱいに書いてもらうだけで、その人の性格がわかる
0から9までの各数字を、指定時間いっぱいに書いてもらうだけで、その人の性格がわかる。これは「人間乱数」と呼ばれているもので、各数字が出てくる頻度、2桁数字の組み合わせ、同一数字の反復度合いなどをみることにより、その人の性格がかなりの精度でわかるとされている。運転手の試験で行われた実験によると、事故を起こしやすいのは、乱数の生成は早いが、生成された数字の出来が悪い人である。運動神経は敏感だが、よく考えずに本能のままに手足を動かす傾向にあるため、危険とされている。次に事故が多いのは、乱数の生成は遅いが、生成された数字の出来が良い人である。頭と手足の連動能力が鈍い(運動神経が鈍い)ため、大事故は起こ…
砂漠に生息しているサボテンの花は、夜にしか咲かない。砂漠地帯の昼間は暑すぎて、花粉を運んでくれる虫なども休んでいるため、彼らが活動を行っている夜に花を咲かせている(虫媒)。アメリカの砂漠地帯に生えている多くのサボテンは、コウモリに花粉を運んでもらっている(動物媒)。また、キューバ原産のつる性植物「マルクグラウィア・エウェニア」もコウモリに花粉を運んでもらっているが、この植物は、パラボラアンテナそっくりの丸い葉をつけている。その理由は、コウモリの発する超音波を反射して、花の存在をコウモリに知らせるためである。
【医療】院内感染は、どれだけ一生懸命に予防しても、5%前後の医療機関で発生している
院内感染は、どれだけ一生懸命に予防しても、5%前後の医療機関で発生している。人院中の患者は、入院前までは健康体だったとしても、抗生物質を使用することで、体内の細菌パターンが変化して抵抗力が落ちる。また、抗がん剤やステロイド剤が使用された場合も免疫力が低下するため、たとえ予防的な手術であったとしても、院内感染により命を落とすことがある。院内感染を予防するためには、無駄な抗生物質を摂取しないように努め、流水で手を洗い、消毒用アルコールで手指をしっかりと消毒することが大切とされる。
【歴史】初期の電気式信号機は、青から黄色、黄色から赤、赤から青へと色が変わるたびにベルの音が鳴っていた。
初期の電気式信号機は、青から黄色、黄色から赤、赤から青へと色が変わるたびにベルの音が鳴っていた。それ以前の信号機は人力(手動)だった。交通課の巡査が台の上に立ち、「歩け」「止まれ」と書かれた標識棒を振っていた。その後、福引抽選機のようにぐるぐると回すことで文字板が表示される、手動式器械が導入された。その後さらに改良が加えられ、行灯(あんどん)が導入されることとなり、表示される言葉も「GO」と「STOP」になった。電気式信号機が導入されたことで、巡査たちは他の部署へ転属されることが決定した。巡査たちは電気式信号機が正しく動いていることを確認すると、すぐそばに設けられていた休憩所に次々と集まってい…
ロッテはもともと石鹸を作っていた。1946年(昭和21年)、「ひかり特殊科学研究所」という会社名だったロッテは、石鹸だけでなく、化粧品、ポマード、クリーム類の製造卸売を行っていた。製菓業への転身をはかったのは1947年。進駐軍のジープのまわりに子供たちが群がり、ガムをせがむ姿を見て、ガムの将来性を確信したためである。ちなみにロッテという社名は、ゲーテの『若きウエルテルの悩み』に登場するヒロイン「シャルロッテ」から来ている。シャルロッテは愛の化身であるため、「ひとりでも多くの人々に愛される社にしていきたいし、愛される製品を作っていきたい」という願いが込められている。
【植物】トウモロコシは、ハムシの攻撃により幾度となく大損害を受けているが、実はトウモロコシの原種はハムシに強く、ハムシに弱いトウモロコシを作り出したのは人間である
トウモロコシは、ハムシの攻撃により幾度となく大損害を受けているが、実はトウモロコシの原種はハムシに強く、ハムシに弱いトウモロコシを作り出したのは人間である。トウモロコシの原種は、粒が数粒しか取れなかったため、品種改良が繰り返されることにより、粒がたくさん取れるトウモロコシへと変貌を遂げた。しかしその過程で、ハムシの攻撃から身を守るために根から分泌していたカリオフィレンという物質を作り出す能力を失ってしまい、ハムシからの攻撃を一方的に受けることになってしまった。その結果、トウモロコシはハムシの攻撃により次々と枯れていき、ハムシによる損失額は世界全体で年間十億ドルにも及んだ。そして、この害虫を駆除…
【誤認】童謡「アルプス一万尺」のアルプスとは、ヨーロッパのアルプスではなくて、日本アルプスのことである
童謡「アルプス一万尺」のアルプスとは、ヨーロッパのアルプスではなくて、日本アルプスのことである。歌詞は、「アルプス一万尺、こやりの上で」と続くが、この「こやり」とは小槍のことで、北アルプス・槍ヶ岳の頂上付近にある岩峰(小槍)を指している。この曲の原題は「ヤンキー・ドゥードゥル」(Yankee Doodle)1853年、浦賀にやってきたペリー艦隊の音楽隊が演奏していたところから、メロディーだけが広まったという。その後、1960年に歌詞がつけられ、現在のアルプス一万尺になった。原曲の歌詞は、山とはまったく関係のないものだったが、長年登山家がこの曲を使った替え歌を歌っていたため、山の歌になった。
【歴史】真珠湾攻撃に成功した日本軍は「トラトラトラ」(我れ奇襲攻撃に成功せり)と打電したが、この「トラトラトラ」は虎ではなくて、なんの意味も持たない言葉である
真珠湾攻撃に成功した日本軍は「トラトラトラ」(我れ奇襲攻撃に成功せり)と打電したが、この「トラトラトラ」は虎ではなくて、なんの意味も持たない言葉である。真珠湾攻撃が行われる前、日本軍は、勝利した場合に無線で報告する打電パターンを事前に決めておいた。その打電パターンは、 「・・―・・ ・・・」 という特徴的なパターンとなっており、この特徴的な信号を3回打電して、勝利を伝えることにした。真珠湾攻撃後、この打電パターンに、モールス信号の日本語を当てはめてみたところ「トラ」という言葉が出てきたため、トラトラトラは奇襲攻撃成功を伝える暗号だったとして、世間に知らされた。SOSも、もともとは何の意味も持た…
【歴史】ホンジュラスに、サッカーの試合で勝利したエルサルバドルは、さらに追い打ちをかけるかのように、ホンジュラスを空爆した
ホンジュラスに、サッカーの試合で勝利したエルサルバドルは、さらに追い打ちをかけるかのように、ホンジュラスを空爆した。1969年6月27日、ワールドカップ予選の準決勝プレーオフで、両国は対戦し、延長戦のすえ、3対2でエルサルバドルが勝利した。しかし、中米で隣接する両国は、以前から国境問題という火種を抱えており、この試合でもサポーター同士の衝突が発生したため、両国の関係性はさらに険悪なものとなってしまった。結局、試合直後の6月末には国交が断絶。7月14日に、エルサルバドル空軍がホンジュラスの空軍基地を攻撃したことで、戦争へと突入していった。この出来事は「サッカー戦争」と呼ばれており、両国は1980…
ムンクの『叫び』の中に出てくる人物は叫んでいない。あの人物は、耳をふさいでいるだけである。この絵が誕生するきっかけとなった出来事が、ムンクの日記に記されている(1892年・30歳)。ある日の夕刻、友人と歩いていると、日が沈み、空が突然、血のように赤く染まったと感じた。恐怖におののいて立ちつくしていると、ムンクは「果てしなく大きな叫びが自然を貫いていくのを聞いた」という。『叫び』は、その時の経験が描かれているとされているため、絵の中にいる人物は、果てしなく大きな叫びが自然を貫いていくのを聞いて、耳をふさいでいる。
昔、私はそう思っていた。第二次世界大戦とかの映像が白黒だったので、それ以前の世界は、なにもかもが白黒でできていると思っていた。昭和50年代とかの映像がコハク色にくすんで見えるため、その時代の世界は、なにもかもがコハク色にくすんでいると思っていた(おそらく映像を記録したテープの劣化により、くすんで見えるのだと思う)。世界地図には日付変更線がかかれているが、その海域に行くと本当に線が引いてあると思っていた。もちろん赤道には、赤い線が引いてあると思っていた。しかし後年、赤道上に赤い線が引いてある地域があることを知り、あながち間違った考えではなかったことを知った。
【英語】XYZは「ズボンのチャックが開いてるよ」という意味である
XYZは「ズボンのチャックが開いてるよ」という意味である。日本では「社会の窓」という俗語が使われているように、英語でも俗語が使われている。XYZを表すことになった元の言葉は「Examine your zipper」(チャックを見てみな)。この言葉の頭文字を取って、XYZと呼ばれている。
ジャガイモ、タバコ、桐は、食虫植物の仲間である。これらの植物の葉の表面では、死んだ昆虫が見つかることが多い。葉に昆虫がとまると、葉から粘着性の高い液体や毒液が分泌され、昆虫がそこで死んでしまうためである。その後、昆虫の死骸は地面に落ちて腐敗する。そして、細菌により分解されることになるが、それにより発生した窒素を根から吸収することで、植物は栄養を獲得している。またスミレの一種であるセラードという名の植物は、地中で葉を出し、ミミズなどの小さな虫を捕まえて消化し、栄養にしている。これらの植物は、原肉食植物(プロト肉食動物)と呼ばれている。原肉食植物とされる植物は、約600種見つかっている。
【物理】鳥が寄りつかない銅像には、猛毒のヒ素が豊富に含まれている
鳥が寄りつかない銅像には、猛毒のヒ素が豊富に含まれている。銅にヒ素を混ぜると融点が下がり、銅像が作りやすくなるため、昔の銅像にはヒ素が使われていた。しかし金属を溶かす技術が進歩した現在では、ヒ素を混入させて融点を下げる必要がなくなったため、銅像にヒ素を混ぜる技術は消滅し、後世の人間はそのことを知ることができなくなっていた。ある日、兼六園の日本武尊(ヤマトタケル)像にカラスが寄りつかないことに気づいた人物がいた。上野の西郷隆盛像は鳥のフンまみれになっているのに、日本武尊像がフンまみれになっていないのはなぜだろう。そのことに疑問を持った人物は、日本武尊像を調査したり、文献から「古代ローマなどでは銅…
【誤認】ハイジャックとは、もともと知らない人に声をかけるための言葉だった
ハイジャックとは、もともと知らない人に声をかけるための言葉だった。現在ハイジャックという言葉は、主に飛行機が乗っ取られたときに使われているが、もともとは列車強盗に対して使われていた。西部開拓時代、アメリカでは、列車を止めて乗客らにピストルを突きつける強奪事件が頻発していた。犯人は、まず列車の運転士に声をかけ、運転士を脅して列車を停車させた。そのとき、最初の声掛けに使われていた言葉が「ハーイ、ジャック」だった。ちなみに、ジャックとは、知らない男性などに声をかけるときに使われる一般的な呼称である。その後、この「ハーイ、ジャック」という言葉がハイジャックになり、列車乗っ取りだけでなく、あらゆる乗り物…
【人物】20世紀最高の物理学者とも称されるアルベルト・アインシュタインは、算数ができなかった
20世紀最高の物理学者とも称されるアルベルト・アインシュタインは、算数ができなかった。ある日、ベルリンの市電に乗っていたアインシュタインは、運賃を支払い、釣り銭を受け取ったが、釣り銭が少ないと思い、文句を言った。しかし車掌は、暗算で釣り銭が正しいことを確かめると、「あなたの欠点は算数ができないことだね」と言った。また、アインシュタインの姉も「彼は数学の『簡単な』部分はうまくできなかった」と言っている。また、スイス連邦工科大学でアインシュタインに数学を教えていた、ドイツの数学者ミンコフスキーは、「彼は数学に弱かった」ということをしばしば語っている。ちなみに、暗記系の科目や、生物学、語学もダメだっ…
【海外】インドネシア・スラウェシ島では、死者が出るとすぐには埋葬せず、何年もの間、遺体を家の中に安置させている
インドネシア・スラウェシ島では、死者が出るとすぐには埋葬せず、何年もの間、遺体を家の中に安置させている。島の葬式は壮大であるため、遺族は死者を盛大に送るために、1年や2年、場合によっては10年かけて貯金する。島では、葬式に出した時点で死亡となるため、家の中にいる死者は病気扱いとなり、生命活動が停止していても死者ではないとされている。
【珈琲】古くなったコーヒー豆は、電子レンジで温めると味が蘇る
古くなったコーヒー豆は、電子レンジで温めると味が蘇る。味が蘇るのは、古くなった焙煎豆。粉にして、電子レンジで1分間加熱するだけでよい。すると、豆の中にたまっていた余分な水分が抜け、炭化する一歩手前の状態になるため、美味しさが蘇る。また、インスタントコーヒーも、電子レンジで加熱すると美味しくなる。
階段のみの国道がある。国道があるのは、青森県の竜飛岬をまわる国道339号。そこに「階段国道」と呼ばれる全長約300メートルの区間が存在する。1974年、国道を建設する際、この階段の部分だけは傾斜が急過ぎて、坂道をつくることができなかった。そのため、地元の人たちが使っていた階段が、そのまま国道になった。ちなみに国道は海上にもある。「海上国道」と呼ばれており、愛媛県と大分県を結ぶ国道197号や、鹿児島市と那覇市を結ぶ国道58号などがある。
【法律】住民票の本籍地を甲子園にしている人が、全国に約700人いる
住民票の本籍地を甲子園にしている人が、全国に約700人いる。これらの人々は、市区町村などに転籍届を提出し、正式に受理されている。役所としては、住民票さえあれば税金を徴収できるため、本籍地がどこであってもかまわない。そのため、本籍は誰でも自由な場所に移すことが可能で、ディズニーランド、東京タワー、網走刑務所、皇居などにも本籍を置くことができる。
【海外】エスキモーは樹木(生木)に近づくと、ひどい病気におそわれる
エスキモーは樹木(生木)に近づくと、ひどい病気におそわれる。エスキモーは樹木のない環境で暮らしているため、樹木に対する耐性がない。そのため、エゾマツなどに遭遇すると、激しく咳き込み、頭痛を引き起こして倒れてしまう。ちなみにエスキモーは、食材が凍ってしまわないように、冷蔵庫を使っている。
【歴史】恐竜は、6600万年ほど前に絶滅したと考えられているが、その証拠は世界中に散りばめられている
恐竜は、6600万年ほど前に絶滅したと考えられているが、その証拠は世界中に散りばめられている。証拠は、世界中に散らばっているイリジウムを含んだ隕石。イタリア、デンマーク、スペイン、大西洋の海底など、様々な場所で同様の隕石が見つかっており、年代を測ってみると、どれも6600万年ほど前のものだった。巨大隕石が地球に衝突したとき、砂や岩石など、様々なものがきのこ雲として上空へと舞い上がり、世界中を覆った。そして、砕け散った隕石も上空へと舞い上がったため、隕石は世界中へ散りばめられることになった。
月には地震計が置いてある。地震計は、アポロ11号が月面に着陸したときに設置された。地震には、自然地震と人工地震の2つがある。月で人工地震を起こすと、その地震波は月の内部を伝わってから地震計に記録されるため、記録を調べれば、月の中にどんな岩があるかがわかる。そのため、月で人工地震を起こしてみようと考えた人々は、アポロ11号で月から地球へ帰還するとき、ブースターと呼ばれるロケットエンジンの1段目を月に落下させることで、人工的に小規模な地震を起こし、記録を取ることに成功した。現在、地震計は電池切れのため使用されていない。しかし稼働中は、月震や隕石の衝突など、様々な振動の記録を地球に送信しており、月の…
(2019/12/24 新規) 高熱が出ても、熱冷ましはむやみに使わない方がよい。ウサギやトカゲに熱冷ましを与えてみたところ、病気が治りにくかったという報告がある。また人間も、39℃程度の熱であれば、白血球やリンパ球の活動が活発になるので、そのまま安静にしていれば治りが早くなる。ただし熱冷ましを飲まなくてもいいのは40℃あたりまでで、41℃を超えたら、昏睡状態に陥る場合もあるし、42℃を超えたら、脳に障害が残る可能性がある。特に乳幼児は注意が必要。 (2019/12/30 追記) 41℃を超えたら、肝臓が破壊される。42℃を超えたら、細胞のたんぱく質がゆで卵みたいに固まっていき、その後、死に至…
雷鳴は衝撃波の音である。雷は、雲の中にある、あられや、氷晶の粒が摩擦することによって作られるが、空気は絶縁体であるため、通常は電気を通さない。しかし電界が、ある値(しきい値)を超えてしまうと、空気中の絶縁状態が破壊され(絶縁破壊)、空気中を大電流が流れることになる(放電)。すると、大電流が流れた空気の道は瞬間的に高温となり、熱せられた空気は爆発的に膨張する。この爆発的に膨張した空気が、稲妻とともに音速よりも速い速度で移動するため、衝撃波が発生し、雷鳴が鳴り響く。また落雷は、細かい絶縁破壊を繰り返し、道を作りながら進んでいくため、ジグザグに見える。
【歴史】投石機(ペリエール)を発明した人物は、間違って発射された投石機の石に当たって死亡した
投石機(ペリエール)を発明した人物は、間違って発射された投石機の石に当たって死亡した。「処女」(メイドゥン)という名の処刑器具を発明したスコットランドの摂政モートンは、処女にかけられて死亡した(初の死者)。初めて大砲を使用した、イングランドの司令官トマス・モンタキュートは、大砲の弾丸に当たって死亡した(初の死者・1428年)。「カテリーナの車輪」(後世の名称)という名の刑具を発明した人物は、聖女カテリーナに発明した刑具を使用してみたところ、器具が砕け散ったため、発明者および刑吏全員が死亡した。空飛ぶマントを開発した洋服職人テーシェルトは、空を飛ぶためにエッフェル塔にのぼり、墜落して死亡した(1…
【動物】猫は、ドッグフードを食べ続けると、心臓病になるおそれがある
猫は、ドッグフードを食べ続けると、心臓病になるおそれがある。キャットフードには、猫には必須の栄養素である、タウリンが配合されている。そのため、タウリンが配合されていないドッグフードを食べ続けていると、タウリンが欠乏し、目や耳、心臓の病気を招くおそれがある。逆に、キャットフードには、脂肪やタンパク質が多く含まれている。そのため、犬がキャットフードを食べ続けると、栄養過多となり、腎臓や肝臓に負担がかかり、肥満や糖尿病になりやすくなる。また犬は、チョコレートを食べると死んでしまうおそれがある。
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