相手のありのままを見られるというのは嬉しい事だ。それだけ相手が自分を信頼してさらけ出しているという証拠にほかならないからだ。 しかし、この「ありのまま」という概念はとても厄介であるということに最近気がついた。何が厄介かというと、ズバリそれは概念の無内容さである。つまり何を相手のありのままとするのか、どれが「本当の」その人なのか、そこには正解がないのである。 そこを決めるのは、ありのままの「内容」でもなければ、相手自身でもない。自分の偏見がそれを決めるのである。「相手がこの一面を見せてくれたら」という答えが多分自分の中に既にある。そして、それを相手が見事してくれたら、相手は自分に「ありのまま」を…
哲学。ずっとこれに拘ってきたけれど、私の人生にはそれほど切実なものでは無い。最近そんな気がしてやまない。 これは私が現実を見据えられるようになったのか、単に自信をなくしているのか、或いはその両方であるのかはよく分からない、けれども哲学とわざわざ名前をつけて、それを「するんだ!」と思わないと考えることを始められないのだから、やはり哲学は私とは縁遠いものなのだろうと思う。 考えることと人生を完全に切り放せる私は、多分考える事で考えていない人々の優位に立ちたかっただけだ。くだらない虚栄心が哲学に行き着いてしまっただけの事なのだろう。 人生において本当に考えている人の関心事は多分「ただ知りたい」以外に…
道徳的行為はそれが道徳的に為されたと本人が意識する限りにおいて、その行為で自身が満足することはありえない。満足するならそれは道徳的ではありえず、満足しないというその事がそれが道徳的であるということを示す。 お年寄りに電車で席を譲るという行為は本人がその通りに意識しているのならば、自身は必ずその事によって不満足を被る。なぜならそこには得てして「譲るー譲られる」の構図があり、更に意識によって、それは「譲ってあげてる」に必然的に変化するからである。 だから「あげてる」ということの不満足はどこかで帳尻を合わせなければならない。例えばそのお年寄りに「ありがとう」と言われることによって、或いは連れなどに「…
11/18 明日には死ねるかもしれないと期待しながら今日を生きる
ぬわぁぁあ全くもって死にたい。別に何かあった訳ではないが死にたい。とにもかくにも死にたい。 なんでこう、死にたいと思うことに理由がなくちゃいけないのだろう。自殺した人がいれば「何がそんなに辛かったのだろう」。別に辛くないけど死にたくなったらダメなのか?そう言いたくなる。(誰に?) 生まれたことは自分の意志によらない、それなのにどうして誰も彼もが「生きていたい」のだ!?死はいつだって生からの逃走でしか有り得ないんか!? と、まぁぶちまけてみたがやはりそうなのだろうと思う。死を経験した事のない個体が死を望む理由は死の側から語ることは出来ない。 行ったことの無いレストランに行きたい理由は「美味しそう…
「他者」それが最近の私の関心事であるようだ。なぜだかは分からないが、何かと気になっている。 他者が気になる時は往々にして二パターンに分かれると思っている。自分に自信が持てないために他者を気にしてしまうか、自信の持て余しで余計なお世話を焼きたいかである。 今の私がどちらなのかは、もっと慎重に考えたいので一旦置いとくとして、まずは二つのパターンについてもっと詳しく見ていきたい。 自信のなさからくるタイプが本当に気にしているのはたぶん他者ではなく、他者に「自分は」どう思われているのだろう?の方である。他者に嫌な思いをさせてはいないか、が彼らの主な関心事であり、つまりそれは「自分は他者に嫌な思いをさせ…
実生活が忙しいと、哲学をしている暇がなくなる。哲学をするにはまさに暇が必要なのだ、ということに以前の私は否定的だった。そんなことはない、考えることはいつだって出来る、できないというのは単に甘えているのだと思っていた。 でも最近、少しだけ考えが変わった。哲学に暇なんか必要ない、というのは以前と変わらないのだが、アウトプット、要するにきちんと言語化されている理解に昇華させるには、暇が必要なのだと思うようになったのである。 理解には二種類あると思っている。例えて言うなら、泳ぎ方は知っているが、泳げない理解の仕方と、泳げるが泳ぎ方は知らない理解の仕方である。 前者はメソッドはあるが結果が伴わない。後者…
自分を底辺に置くことの安心感に私はどっぷり浸かっている。これ以上、さがることのない生活というのはそれだけで心を穏やかにする。 底辺という言葉が誤解を招きそうだが、私は決してフリーターや独身や低収入や六畳ユニットバスのワンルーム賃貸が底辺と言っているのではない。 底辺というのは精神的な話である。精神的な底辺というのは、絶対に論理的に叶わないようなことを思いたい精神のことである。だが、あくまで「思いたい」に停滞しているものに限る。 思いたいけど思えない、自分でそう線引きしておきながら、しかしそれを思えないなら自分の存在意義を見いだせない。そういう「無いもの」ねだりのような精神状態にあることを私は底…
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