大企業で14年間営業後 青年海外協力隊コミュニティ開発隊員として ケニアで養鶏のお手伝いをしています。 日本に住んでいると知ることのない 日々の活動、ケニア・アフリカの日常、JICA協力隊員の活動 を紹介していきます。
大企業で14年間営業後 青年海外協力隊コミュニティ開発隊員として ケニアで養鶏のお手伝いをしています。 日本に住んでいると知ることのない 日々の活動、ケニア・アフリカの日常、JICA協力隊員の活動 を紹介していきます。
■活動のこと 任地のお盆も終わって、職場にも同僚たちが戻ってきた今週。彼らはやることがないのか、一日中おしゃべりしたり、ネットで映画をみたり、ネットカジノでサッカーの賭けをしたりしていました。 居眠り中のサムゥエル氏 来週、調整員の方が配属先に対する中間報告に来られるということで、ボスにアポイントとりました。忙しい人なんで、ナイロビから戻ってからもなかなか顔をあわせることができず。デスクから窓の外を眺め、ボスの車がゲートから入ってくるのを見計らい立ち話しながらアポイントを取りました。ボスの家の隣接した土地で、屠殺場の建設が始まったとのことで、見学に行く約束をするも、結局予
■ケニアの携帯電話事情 有名なM-PESAという携帯電話を使った決済システムが発達していることからもわかるとおり、携帯の普及率は高く、国民1人あたり携帯電話1口座以上を持つ計算となります。ただし、これはSIMカードの発行数での計算であり、ケニアの携帯端末はデュアルSIM(1つの端末に複数のSIMカードを挿入できる)がほとんどですので、人工の半数以上を締める子供(18歳以下)は携帯を持っていないことが多いです。 とは言っても、大人はほぼ全員が携帯を持っています。ホワイトカラーや都市部のタクシー、バイクタクシー運転手はスマートフォンを、街のマーケットの売り子さんや低所得者層はガラケー
任地ソリ帰還 チョコ好きケニア人 今週は、ナイロビから任地に移動しポレポレで過ごしました。 職場の皆さんはナイロビに行くと、いつも私の帰りを首を長くして待ってくれています。それは、私がナイロビのお土産を買って帰るからです。「お土産はどこだ?」と露骨に言ってくるひとはさすがに一人くらいですが、ナイロビから帰ってきた出勤一日目は、いつお土産が配られるのかと皆さんソワソワしています。今回は、そんな期待を裏切るために一日目は何も渡さず、二日目にお土産のチョコレートを配りました。私の任地ではチョコレートは売っておらず、珍しいスイーツに皆さん「Tamu tamu (sweet)」と言って食され
先日、ナイロビに上がった際に任地では行けない飲食店にいくつか訪問しました。しかし、ナイロビは南アフリカのヨハネスブルクと並んでアフリカ大陸では、犯罪率の高い街、石を投げれば物乞いか強盗か悪徳警官に当たる、と言われており夜間はおろか日中も屋外を歩くことは危険とされます。私の所属するJICAでも、「徒歩移動禁止」「10時以降の外出禁止」「カジノ・ナイトバー等への立入禁止」と厳格に安全管理上の制限がある場所です。 危険な場所とは承知しつつ安全管理に留意しながら、少し暗い目の居酒屋に食事に行きました。一人、カウンターで飲んでいると、同じくカウンターで一人飲んでいる黒人中年男性に声をかけ
中間報告会後の1週間はそのままナイロビに滞在して過ごしました。 理由は、総合格闘技の大会(観戦)とブラジリアン柔術の試合(参戦)とがナイロビで開催されたこと、丁度活動の中間地点に当たりリフレッシュしたいと考えたからです。 東アフリカ初のMMA興行「DOG Fighting Championship」は、選手のレベルは、まだまだ世界レベルに遠く及ばなかったですが、音響や照明など設備は日本の大会と比較しても遜色ないものでした。 実はこの大会は数週間前に別の会場で開催される予定となっていました。しかし、開催数実前になってこの日の開催に延期されていました。開催当日、本当
バンジージャンプで失禁しかけた後、同期隊員たちと夕食を楽しんだ後、現地のクラブに遊びに行きました。金曜の夜とあってか、人がいっぱいで楽しく夜を過ごしました。 翌日は、そのままリビングストンの空港より帰路につきました。 今回の旅では、同期隊員の皆さんに大変お世話になりました。 年齢は新卒から私の様なおじさんまで様々、職種も様々です。しかし、同じ訓練所で一つ屋根の下70日間同じ釜の飯を食べて過ごしたメンバーとは、一方的かもしれませんが普通の友人以上の繋がりがあると感じています。 楽しい旅をありがとうございました。
ばんちゃんの任地を離れて、1日首都ルサカの隊員ドミトリーに宿泊後バスでヴィクトリアの滝があるリビングストンに向かいました。到着後、同期達と合流しイタリアンで舌鼓を打った後、翌日のヴィクトリアの滝観光に向けてホテルで休みました。 ヴィクトリアの滝、最大のイベントはバンジージャンプです。 事前に同行する同期隊員とラインで会話する中でお誘いがあり何げなくジャンプを決めました。 実際、現場となるザンビアとジンバブエの国境にある吊り橋を見た時、金玉が縮み上がりました。 何となく数十メートルの高さから、飛び降りるのかなと考えていたのですが、つり橋から川面までは実に130メートル、川
スラム見学の翌日は、同期柔道隊員の坂野氏(akaばんちゃん)の任地に向かうことにしました。ばんちゃんは、日本の有名体育大学を卒業したばかりの新卒隊員です。協力隊員は派遣前に70日間、施設にこもって訓練を実施します。その際、いくつか委員会活動があり、ばんちゃんは体育委員でした。体育委員は、朝礼で隊員全員に対して簡単な運動の指導をします。並の体育委員は、日頃運動する機会もない隊員も多いため、簡単な筋トレメニューや一人でもできる運動不足解消法を紹介します。ばんちゃんが担当の日は、柔道の打ち込み、受身、寝技の際の足のエクササイズの指導をしていました。それくらいばんちゃんは、柔道に対する愛、隊
今週は、金曜に中間報告会がありました。 アンケートのまとめ、最終のプレゼン資料作成、ナイロビ移動、報告会当日と盛りだくさんに活動しました。 肝心の発表は、狙っていたポイントで笑いを取ることが出来てよかったです。一方でプレゼンの準備不足と自分のペレゼンの下手くそ具合に少しげんなりしました。残りの半年で英語でうまくプレゼンできるようになりたい。最終報告までに新たな目標ができました。 プレゼン資料という形で半年間を棚卸し、アウトプットすると色々日々の活動では見えていないことが見えてきて良かったです。他の隊員さん達の活動も知れましたし。報告会後の懇親会も普段は深く話す機会のない調整員さ
ザンビア大学での日本語クラスに出席し、ザンビーフを食べ、カジノで負けた翌日はルサカのスラムに見学に行きました。「ルサカのスラム」何やらゴロが良いですが、アフリカのスラムらしく、土埃と人間臭さが同居する一画でした。明るいうちに訪問したからか、ナイロビの夜の街で感じる様な冷たい殺気は感じませんでした。 ルサカの中心部、マーケットがある場所より15分ほど歩くとスラム地区ミシシに向かいました。 ミシシに近くなると、色んなものを販売していたり ゴミだらけの鉄塔で子供たちが遊んでいたりしました。 ミシシには8万~9万の貧困層の人々が住んでいるそうです。
ー併設のマッサージ屋に入るといかにもな個室に案内されました。 パンツ一丁になってくれと言われ、マッサージしてくれる黒人のお姉さんのなぜか下着姿になりました。 パンツ一丁になってくれと言われ、マッサージしてくれる黒人のお姉さんのなぜか下着姿になりました。 服装こそあれでしたが、マッサージ自体は普通にオイルマッサージを小一時間 施術してくれました。 マッサージが終わりバーコーナーに戻ると、注文していたチキンが出来上がっており 時間も時間なののでゲストハウスに持って帰ってビールと一緒に食すことにしました。 帰路は、いくら安全なザンビアでも一人は危険とのことで 店員のお
ザンビア空港で夜に一人ぼっち、連絡手段もなく困っていると 警備員らしき人が声をかけてくれました。 「どうしたんだ?タクシーを俺が用意してやるからついてこい!」 途上国の空港でこの様な声かけしてくる方は、たいがい信用ならないのでついていくと いかにも怪しげな自称タクシードライバーが。 ザンビアのタクシーは、日本の様に提灯がついているわけではなく見た目は一般車と変わりません。 「○○ゲストハウスか知っているよ、3,000円(現地通貨を日本円に換算)だ」 ケニアのウーバーだと1,000円の距離なので、吹っ掛けられていることは承知の上乗り込む。 「おー日本人? JICA?? 俺はJICAに知
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