2016年、車で逆打ちで遍路を廻り 2017~2018年に休日歩き遍路で結願しました その時の記録等を残しています また、お遍路に役立つ情報も書いています
四国八十八ヶ所霊場 45番 奥の院 逼割(せりわり)行場 本尊:白山妙理大菩薩 45番 岩屋寺の納経所で、『奥の院』へとお願いして300円を払い、納め札と逼割行場の入口の鍵を受け取ります。三十六童子と番外札20枚の計56枚で、順番に納めながら上って行くと逼割行場の門に到着します。大師堂の奥にある仁王門横の案内看板仁王門を抜けると、早速、右側に1番が見える(赤い札が納められている所)札と座台の名前が一致していることを確かめて札を納めるココは、一度、左に進んで、戻ってくる左に曲がると奥に童子が見える次は、不動明王の札だが、正面に見えるのは不動明王では無かった左の曲がって、一番奥にあるのが不動明王5…
四国八十八ヶ所霊場 34番 奥の院 本尾山 山の斜面に作られた簡素な堂に薬師如来(薬師瑠璃光如来)が祀られている。 以前は大師が一晩で刻んだとされる薬師瑠璃光如来像が安置されていたと伝わるが、戦後の混乱期に盗難に逢い、現在は薬師瑠璃光如来を模した石仏が安置されている。 納経は種間寺で行なっている。ただ、以前は御影の授与があったが現在は無い。 川沿いの巨岩と黄色い看板が目印駐車場は無いので、少し手前の少し道幅が広い場所に路上駐車 入口写真で見える階段を登ると槇の木が3本3本の槇の木奥の院の石碑巨岩の前に小屋奥の院は、この中初めは、扉を開けても良いのか少し躊躇扉を開けて左側に照明のスイッチがあった…
四国八十八ヶ所霊場 36番 奥の院 波切不動 弘法大師は延暦23年唐に渡り、長安の青龍寺で恵果和尚より真言密教の奥義を授けられ、真言八祖となられた。帰国にあたり恩師報恩の為、一宇を建立したし、最勝地に留まれ。と独鈷杵を日本に向かって投げられた。後に当地の古松にかかっている独鈷杵を感得され、ここに一宇を建立、寺号を『独鈷山青龍寺』として、不動明王の石像を安置された。 奥之院の場所は、青龍寺を通り過ぎ、横浪黒潮ラインの途中で、国民宿舎『土佐』の方に入って行くと事前に確認していたが、国民宿舎『土佐』(2017年閉店)が、リゾートホテル ヴィラ・サントリーニに変わっていて、入口を一度通り過ぎてしまった…
新四国曼荼羅霊場 第57番 山号:無量山宗派:真言宗智山派本尊:聖観世音菩薩ご詠歌:補陀落や 岸に寄せ来る 白波の 返すがへすも 誓い頼まん住所:高知県須崎市大間西町12-2 寺伝によれば、聖徳太子が四天王寺を建造するために百済より仏師や工匠を招聘した。敏達天皇15年(585年)、その帰途で須崎沖で台風に遭い須崎湾に漂着した。一同が観音像を刻み、この地に寺院を建立し海上交通の安全を祈願したことが当寺の始まりと伝えられている。 天武天皇13年(684年)10月14日に当地で大地震が起こり須崎湾が大陥没した。この地震により観音像は堂ヶ奈呂に流されたとされる。 その後、平安時代中期の延喜3年(903…
新四国曼荼羅 第58番 峰興寺 山号:金峯山宗派:法相宗本尊:文殊菩薩ご詠歌:御嶽山 真如の月に 照らされて 佛の知恵は 峰興寺住所:高知県高岡郡越知町越知甲1633 開基は徳川家康の異母弟、松平定行である。三河國から密上演浄禅師を迎えて開山したと云う。元は松山にあった。藩主の菩提寺として栄えていたが排仏毀釈で衰退、名跡を 惜しみ明治の中頃、官許を待て当所に移転再建したもので県内外の信仰は知恵の文殊であるが、加持祈祷の専門道場として名高く人々の心の支えと成っている。 旧六月二十四日(本年は七月廿五日火曜日)の文殊大祭は柴灯大護摩を勤修し越知町夏の夜祭りとして有名である。 山門 本堂 一言観音菩…
四国八十八ヶ所霊場 31番 奥の院 船岡堂 本尊:不動明王 廃仏毀釈によって廃れていた竹林寺の再興に努力した明治中期の住職船岡芳信和尚に因んだ堂 多宝塔と本堂の間の道を奥に進む 少し歩くと右手に船岡堂 船岡堂 納経及び御影の授与は竹林寺納経所にて。
新四国曼荼羅 59番 薬師寺32番 奥の院 岩屋観音堂 山号:岩屋山宗派:真言宗豊山派本尊:薬師如来ご詠歌:みな人の 病みぬる年の 薬師寺 瑠璃のくすり あたえめしませ住所:高知県高知市介良丙1832 平安時代末期、平治の乱で敗れ土佐国介良荘に流罪となっていた源希義が、同母兄頼朝の挙兵により平家より謀反の嫌疑をかけられ討たれた。希義の師であった琳猷上人は、その死を悼んで寺院を興し希義の念持仏を安置したといわれる。これが当寺院の始まりであると伝えられている。 岩屋観音堂 : 本堂の段を更に約20分ほど登った山頂近くにあり、このお堂は四国八十八箇所 第32二番札所 禅師峰寺 奥の院とされている。本…
新四国曼荼羅霊場 第60番 山号:吉峰山宗派:曹洞宗本尊:阿弥陀如来ご詠歌:童謡の調べに和する鐘の音は 吉あり慶あり道ひらくてら住所:高知県安芸市井ノ口乙2029 創建年代は明らかではないが、永録年間(1558~70)浄貞寺三世昌岩天久大和尚を勧請してご開山とした。 幕末維新後、大政官布告(明治初年)による廃仏没釈風潮の高まり に、県下寺院のほとんどが廃寺となり当寺も例外ではなかった。 時の住職泰心和尚が死守やがて檀徒岩崎家(三菱創業)の興隆を背景に大本山永平寺第六十―世環渓密雲禅師を復立開山に拝請し明治十六年三月大本山水平寺御直末寺院として再興のスタートをき った。 岩崎美和刀自(弥太郎・弥…
四国八十八ヶ所霊場 28番 奥の院 爪彫薬師 大日寺山門から約200m奥の地に、薬師如来の尊像を彫刻した楠の立木があった。弘法大師が彫刻した霊木と呼ばれ、奥の院として崇められてきたが、明治初年の台風に倒れ、その跡地に一堂を建立し霊木を安置している奥の院の爪彫薬師は首から上の病に霊験ありとされ、平癒を祈る参拝者が跡を絶たない。願いが叶うと穴の開いた石に氏名、年齢、快癒した身体の部位を書き奉納する習わしとなっている。 納経所の前を通り過ぎて、少し進むと奥の院の入口がある 奥の院
四国八十八ヶ所霊場 24番 奥の院 一夜建立の岩屋 観音窟 国道55号室戸岬登山口の左奥にある洞窟に、弘法大師が唐から持ち帰ったと伝えられる大理石の如意輪観世音菩薩像が安置されていた(現在は最御崎寺宝物殿に安置されている)。真念の「道指南」では、竜宮より上がった像と云われ、巨石の厨子に蔵められ金剛像2体が脇を固め、両扉には天女が描かれていたとあり、洞の前に庵があり、最御崎寺が女人禁制であったため、ここで札を納めた女人堂の役目をしていたとある。納経及び御影の授与は最御崎寺納経所にて行なっている。 国道55号線の標識の場所から入っていくすぐに広場になり、右側が最御崎寺への登山道左側に奥の院の観音窟…
新四国曼荼羅霊場 86番 山号:龍昇山宗派:曹洞宗本尊:阿弥陀如来ご詠歌:立ち寄れば 入江に響く波の音 共に歩まん み佛の道住所:徳島県海部郡海陽町浅川宮川ヨリ西169-1 1523年(大永3年)に創建。かつては海陽町加島に江月庵と称していた。寛永年間(1624年-1644年)に現在の場所に移し、江音寺と改めた。古くから地蔵尊のお寺として信仰を集めている 本堂
新四国曼荼羅霊場 第85番 山号:摩尼山宗派:高野山真言宗本尊:虚空蔵菩薩ご詠歌:あわす手に ゆたかなうしお たたえる 心ぞなごむ 満徳の寺住所:徳島県海部郡牟岐町牟岐浦浜崎1 伝承によれば奈良時代に行基が創建したという。はじめは万鶴山願成寺と称したが、1427年(応永10年)に増吽僧正が中興し満徳寺と改めた。境内には童謡詩人の野口雨情の「牟岐みなと節」の歌碑がある。 本堂草鞋大師 御朱印
四国八十八ヶ所霊場 23番 奥の院 泰仙寺 山号:玉厨子山本尊:如意輪観世音菩薩住所:徳島県海部郡美波町山河内字西山 玉厨子山(標高540m)の中腹にあり、1188年薬王寺が焼失したとき本尊の薬師如来が飛び出し、この地にとどまり輝いたという。さらに約50mほど上ると大岩があり小さい祠が祀られていて、ここの奥之院がある。 駐車場はあるが寺まで徒歩で約40分かかる納経は薬王寺で頂ける 駐車場に車を止めて階段を登り始める 道は、整備されていて、迷うことはない急勾配の道が続く道幅の広い道が終始あり、時折、幅の狭い昔ながらの道に入る昔ながらの道は、苔が多く、下りはかなりスローペースに建物が見えてきた庫裏…
新四国曼荼羅霊場 第84番 山号:小池山宗派:真言宗大覚寺派本尊:弘法大師ご詠歌:ありがたや 小池の山に 法の声 太師はいまも おわしますなる住所:徳島県海部郡美波町奥河内本村70 空海が創建したと伝わるが明らかではない。正保年中(1645年-1648年)に宥賢法印が開山した。江戸時代末期に験効をあらわした当地出身の栄寿法印ゆかりの寺で、「法印さん」の名で親しまれている 法印堂本堂は階段を登った2階 御朱印
新四国曼荼羅霊場 第83番 山号:大轟山宗派:高野山真言宗本尊:釈迦如来ご詠歌:法の風 ときわに吹けり 神宮寺 ねがいしことの かなううれしさ住所:徳島県阿南市新野町宮ノ北34-1 かつては西側に鎮座する轟神社の別当寺で、創建は轟神社と同じ814年(弘仁5年)と伝わる。境内にある弁財天は新野弁財天と呼ばれ、かつて淡路より勧請したものである 本堂 御朱印
新四国曼荼羅霊場 第87番四国三十六不動霊場 第14番 山号:向栄山住所:高野山真言宗本尊:地蔵菩薩ご詠歌:ありがたや 華のみ寺を 訪ずねれば 大師の誓い 永遠にかわらじ住所:徳島県那賀郡那賀町平野妙見前37 正中元年(1324年)の開創と伝えられる。観音堂には仁宇村柏木家の守り本尊を安置。元禄7年(1694年)に再興、落慶法要が行われた。廃寺になった蓮光寺の地蔵菩薩を合祀し、山門の棟札には宝永3年(1617年)の銘があり、観音堂は元禄10年(1697年)建築で徳島県南最古の木造建築といわれる。また、小堀遠州門弟作と伝えられる庭園、那賀町指定の天然記念物の観音杉(樹齢400年)などがある。 不…
四国八十八箇所 第19番 奥の院阿波秩父観音霊場 第7番札所 宗派:高野山真言宗本尊:本尊十一面観音住所:徳島県勝浦郡勝浦町大字星谷字大明神45現在は無住の寺院で鶴林寺が管理している その昔、人々に災禍をなしていた悪星を空海(弘法大師)が法力で地上に引き下ろしてこの岩屋に封じこめたところ、悪星が石と化したため、この石を祀ったといわれている。 境内には星の落下にまつわる伝説がある岩屋の中から見る「裏見の滝(不動の滝)」があり、その岩の外壁には「瀧之不動尊」と呼ばれる不動明王が刻まれている。樹齢約450年の朽ちかけた樟の木の巨木には「樟ノ木不動尊」や、岩屋禅学堂から約30mほど上がった裏山の岩場に…
四国八十八ヶ所霊場 巡礼の方法について 歩き遍路の記録 自転車遍路の記録 霊場一覧 四国別格二十霊場 霊場一覧 新四国曼荼羅霊場 霊場一覧 四国八十八ヶ所霊場 巡礼の方法について 歩き遍路の記録 自転車遍路の記録 ohenro.prodigal04.site 霊場一覧 霊山寺 1番札所 霊山寺[りょうぜんじ] - タクボンのお遍路日記 新四国曼荼羅1番 東林院、1番 奥の院 - タクボンのお遍路日記 極楽寺 2番札所 極楽寺[ごくらくじ] - タクボンのお遍路日記 金泉寺 3番札所 金泉寺[こんせんじ] - タクボンのお遍路日記 3番 奥の院 愛染院 - タクボンのお遍路日記 大日寺 4番札所…
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