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タクボンのお遍路日記
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https://ohenro.prodigal04.site/
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2016年、車で逆打ちで遍路を廻り 2017~2018年に休日歩き遍路で結願しました その時の記録等を残しています また、お遍路に役立つ情報も書いています
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タクボンさんの新着記事

1件〜30件

  • 「道の駅 ながお」から女体山経由で88番 大窪寺へ

    歩き遍路の時は、別格20番 大瀧寺に行く事もあって、旧へんろ道(③→②のルート)を選択したけど、初めてのお遍路(バスツアー)の時に先達さんが、「大窪寺に行くのは2つのルートがあって、女体山を通るルートの方が好きだ」と言っていたのが、ずっと気になっていて、いつか女体山ルート(④のルート)を歩きたいと思っていましたただ、こちらのルートは昔ながらの遍路道ではなく、「四国のみち」のために整備された道です順路も奥の院を先に廻るので、遍路に対してこだわりのある方は旧へんろ道へ景色や道にこだわる方には、こちらのルートがお勧め ゴールの大窪寺の駐車場に車を止めて、10時発の志度寺行きのコミュニティバスに乗車 …

  • 88番 奥の院 胎蔵峯寺

    本尊:阿弥陀如来 大窪寺の本堂西側にそそりたつ女体山に奥の院があります。弘仁6年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院にある岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられます。その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません。 女体山の登山道かの分岐から500m程進むと、88番 奥の院 胎蔵峯寺が見えてきます下に見える小屋が本堂のようですが、中は見ることは出来ませんでした お堂の横には2つの祠 大窪寺で頂いた奥の院の御朱印

  • 新四国曼荼羅 9番 玉泉寺

    新四国曼荼羅霊場 9番87番 奥の院 山号:霊雲山宗派:天台宗山門派本尊:日切地蔵菩薩ご詠歌:もろ人の 願いをかくる 地蔵尊 日切の誓い あらたなりけり所在:さぬき市造田宮西1022-2 寺伝によれば、平安時代初期の弘仁5年(814年)に空海(弘法大師)が、この地で紫雲の光明を放つ霊石を感じ、地蔵菩薩を安置したのが始まりと伝えられる。空海は、日を限ってこの地蔵菩薩を念じれば功徳があると告げた。 明治時代初期に廃寺となった。昭和5年(1930年)観音寺町(現・観音寺市)にあった玉泉寺を移転合併し復興した。山門は霊芝寺より移転したものと伝わっている。 手水場 本堂の前には境内いっぱいに藤棚がある。…

  • 新四国曼荼羅 56番 石見寺

    新四国曼荼羅 56番四国88ヶ所霊場 39番 元札所 山号:浄瑠璃山院号:東光院宗派:真言宗豊山派本尊:薬師如来ご詠歌:いくたびも まいるこころは 石見寺(いしみでら) 瑠璃の光も あらたなるらん住所:高知県四万十市安並4288 往古は四国八十八ケ所霊場の随一であり第39番札所であったが城下に遍路が入るのを嫌い札所を返上したと伝えられる。また、一条氏の時代には、この寺を比叡山延暦寺にみたてた鎮守寺であった。 縁起によれば、創建は大同年間と記されている。旧中村市を一望出来る場所にあり、山内一帯に、ミニ八十八ケ所があり桜の名所である。 かなり急勾配の登り坂を登ったところの駐車場から階段の上に山門山…

  • 白皇神社

    白皇神社:四国八十八箇所第三十八番札所金剛福寺の奥の院。元来は金剛福寺が創建されたとされる平安時代初期の弘仁13年(822年)に、白皇山真言修験寺として創建された。現在地の北方にある白皇山(標高433m)の山上にあって、白皇権現を本尊として祀っていた。明治初期の神仏分離令により廃寺となり、白皇神社と称した。大正5年(1916年)に白山洞門にある白山神社と合祀され現在地に遷座した。以後、足摺岬集落の氏神となっている。 白山神社:もと白山権現と称し、加賀の白山神社から勧請され、白山洞門の上に祀られていた。大正5年(1916年)、白皇権現と合祀され、現在の位置に社殿が造営された。白山神社はもと金剛福…

  • 月山神社

    番外札所 月山神社(守月山月光院南照寺) 住所:高知県幡多郡大月町月ヶ丘1443 白鳳時代、役の行者(役小角)が山中で三日月の霊石を発見し月夜見命、倉稲魂命を奉斎したことに始まる。その後、空海(弘法大師)が巡錫し、霊石の前で二十三夜月待の密供を行ったと伝えられている。明治の神仏分離以前は「守月山月光院南照寺」と号する勢至菩薩を本尊とする寺であったが、それ以降は月山神社と改称された。月山神社社務所月山神社の隣には大師堂

  • 新四国曼荼羅 55番 鳳彩寺

    山号:栄松山宗派:曹洞宗本尊:如意輪観世音菩薩ご詠歌:父母の恵みも深き 鳳彩寺参りて拝む南無観世音住所:高知県宿毛市小筑紫町伊与野474 宿毛湾を臨み、南へ下った小筑紫の山麓に天満宮がある。延喜元年(901)大宰府に配流となった菅燥道真公が漂着した。この勝緑に因んで社殿が造営された。地名の由来も筑紫野に依るという。国道に沿った部野の集落に鳳彩寺がある。観音信仰を皷吹し、寺門興隆の萌芽が窺えた。地方にあって曹洞禅提唱の道場である。寺号の起りは群馬県という。中世に高知市内へ移り、初代山内可氏の代に宿毛の地を与えられたようである。理由は定かでないが、始祖・伊賀氏の緑に依るものか,伊賀氏は美濃の豪族で…

  • 新四国曼荼羅 10番 自性院

    正式名:微雲窟 自性院 常楽寺宗派:真言宗善通寺派本尊:不動明王住所:香川県さぬき市志度1105 志度寺の塔頭である自性院の御本尊は不動明王であるが、正面は弘法大師をまつっている。これは、本堂の場所は、元志度寺の御影堂の跡とも伝えられている。自性院は、天正年間に志度に来往し繁栄した摂津兵庫県の豪族多田和泉守一族の創建になる。さぬき良寛さんと呼ばれている竹林独雄上人は、天明4年(1784)に第七代目の住職となった。上人は、人に衣食を分け与え、子供ともよく遊び、蟻を踏まなかったり、蚊に自分の血を供養したりした。また、純無垢な上人の書画にも見るべきものがある。平賀家は自性院の檀家である。源内さんは本…

  • 86番 奥の院 地蔵寺

    山号:如意山院号:文殊院本尊:文殊菩薩宗派:真言宗善通寺派所在地:香川県さぬき市志度545 ご詠歌:ももたびも もおでおがめよ じぞうでら 大悲のちかい ふかきしどうら 志度寺を建立した凡園子(おおしそのこ)尼により飛鳥時代に創建されたとされる。 また、寺院には下記の伝承も残っている。景行天皇の時代、日本武尊の子(または弟)讃留霊皇子(さるれおうじ)が天皇より土佐の海で船を襲い人を食して暴れる大魚の退治を命じられた。これを知った大魚は瀬戸内海に逃げ込み志度浦に隠れた。これを見つけた霊子の軍は攻撃を行ったが一同は大魚に飲み込まれた。霊子は一計を案じ、もろともに飲み込まれた軍船に火を着け大魚を退治…

  • 新四国曼荼羅 11番 田村神社

    新四国曼荼羅 11番 田村神社83番 元札所 正式名:讃岐国一宮 田村神社主祭神:倭迹々百襲姫命 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)・五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)(別名 吉備津彦命(きびつひこのみこと))・猿田彦大神・天隠山命(あめのかぐやまのみこと)・天五田根命(あめのいたねのみこと)を祭神とし、これを「田村大神」と総称する。 田村大神については、中世の書物では猿田彦大神や五十狭芹彦命のこととされ、近世には、神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。社伝創建前は井戸の上に神が祀られていたことから、元々は当地の水神であったとする説もある。 社伝に…

  • 新四国曼荼羅 14番 観音寺

    山号:綾艮山宗派:真言宗御室派本尊:十一面観音菩薩ご詠歌:誓ひおば 千尋の海に たとふなり 露もたのまば 数に入りなむ住所:香川県坂出市高屋町879 観音寺は、崇徳上皇の菩提を祈るお寺で、本尊十一面観音は上皇生前の御念時仏 五色台山麓、坂出側からの登山口にある鳥居の向こうに高家神社(血の宮) 随神門「崇徳天皇 高家神社」の額が架かっている階段の上が高家神社の拝殿古代、高家首の一族がこの地に住み、その祖神・天道根神を勧請して氏神として祀ったことに始まり、依って「高家神社」と称していた。長寛2年(1164)讃岐に流刑された崇徳天皇が薨去されたとき、棺を白峰に運ぶ途中、高屋村阿気の地に御棺を休め奉っ…

  • 新四国曼荼羅 13番 鷲峰寺

    新四国曼荼羅 13番 鷲峰寺82番 奥の院山号:圓通山宗派:天台宗本尊:千手千眼観世音菩薩御詠歌:鷲の山 谷の流れも 松風も 御法の声と 聞くぞうれしき住所:高松市国分寺町柏原632-3 寺伝によれば、奈良時代の天平勝宝6年(754年)唐僧・鑑真により建立されたという。鑑真は寺院がある山がインドの霊鷲山に似ていることから釈迦如来像を安置し鷲峰寺と名付けたと言われる。 平安時代前期の貞観2年(860年)円珍により智証大師十七檀林の一つとして清和天皇の勅願寺となった。 戦国時代の天正年間(1573年 - 1593年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭い焼亡した。その後、寺院は荒廃し仏堂が置か…

  • 新四国曼荼羅 12番 菩提院

    山号:五池山院号:菩提院宗派:真言宗御室派本尊:阿弥陀如来ご詠歌:住所:香川県綾歌郡綾川町北1033-1 古来よりこの岡には、地域の祖先の霊が鎮まり、一体を治めた富豪の墓「延命古墳」が残されている。又、今より1100年前、菅原道真公は讃岐の国司に任ぜられ、仁和三年に巡察の折り、三野郷が五穀豊穣・風雨順時でとこしなえに栄えんことを祈って、「一」の字を奉納された。そして、南北朝時代には(城)塁を構えていた。このように、古来より歴史的に存在価値のある大地である。当院は天正年間、長宗我部元親の兵火にあい灰塵に帰した。その後、再興され天正十五年、国主生駒親正公は讃岐十五カ院(真言宗)を設定、延命院勝楽寺…

  • 79番 奥の院 不動の滝

    79番 奥の院 不動の滝 『四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】』に場所は記載されているがルートの記載が無く、行き方が分からなかったので天皇寺の納経所で、奥の院の御朱印を頂いた時に、行き方を教えてもらった。 国道11号金山トンネルから、高松よりに「高松カントリクラブ城山コース」の看板がある場所を曲がる 未舗装道を50mのところに車を止めて登っていく 登山道は整備されていて歩きやすい 不動川沿いを登っていくこの川は天皇寺の参道を横切って瀬戸内海に流れる 段々、勾配がキツくなってくる 途中、砂防ダムがあり、さらに30分ほど、自然石の石段をつづら折に不動川沿いに登り切った所に建物が見えてきた。 下か…

  • 79番 元札所 白峰宮

    保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ毎夜この辺りから神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入されている。 江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、金華山妙成就寺摩尼珠院と一体の存在として四国八十八箇所の七十九番札所であった。 摩尼珠院は行基が創建し、空海(弘法大師)が再興したと伝えられ、崇徳上皇もよく訪れたという。崇徳天皇社が創建されてからしばらく後、後嵯峨天皇…

  • 新四国曼荼羅 15番 顕正寺

    新四国曼荼羅 15番 顕正寺 山号:藤井山院号:九品院宗派:真言宗大覚寺派本尊:大日如来ご詠歌:住所:香川県丸亀市土居町2丁目10-9 丸亀城の濫膓は慶長二年に起った。生駒親王が入封し、五年の歳月をかけて完成した。その嫡男一正の代に一国一城制の武家法度によって廃城となる。顕正寺は丸亀城の鬼門除けに建立された。慶長二年(1597)のことである。憶うに、顕は験に通じ、親正の一宇を冠したことに丸亀城との関わりを垣間みた。 生駒氏四代のあとを嗣いだのが山崎家治である。寛永十八年に城を築き、高松藩における西讃の要とした。こうした挙措は松平を名乗る御家門が幸いしたのだろう。顕正寺も頗る子熾盛した。秘伝の像…

  • 番外札所 金刀比羅宮

    神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。明治維新の際に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった。全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。 海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古…

  • 新四国曼荼羅 16番 松尾寺

    新四国曼荼羅 16番 山号:象頭山宗派:高野山真言宗本尊:釈迦如来所在:香川県仲多度郡琴平町九七三 金毘羅とは、蛟竜などに訳される梵語「クンピーラ」の音訳で、実際にはワニであり、水神として尊崇された。開山は大宝年間、神変大菩薩といわれ、その霊験あらたなることが天下に広まり、天平宝宇6年(762年)孝謙帝が勅使藤原実朝を遣わし、殿堂を建立された。室町時代に至り、「讃岐のこんぴらさん」と全国的に有名になり、中興の開山金光坊宥盛法印に至って,天下の大伽藍となり、大衆進行はますます深くなった。ところが明治維新の神仏分離の際に、排仏の悲運に遭遇し、一山六ヵ院中五院が排され、善門院一坊が山麓の現在の地に移…

  • 73番 奥の院 捨身ヶ嶽

    標高481mの我拝師山は、もともと倭斯濃山といった。弘法大師が真魚と呼ばれていた7歳のとき、この山に登り、仏門に入って衆生を救済したいという願いがかなうならば霊験を現すよう、もしかなわないのであれば我が身を以て諸仏を供養すると念じて、断崖より飛び降りた。すると紫雲が湧き起こって釈迦如来が出現し、天女が真魚を受けとめた。そして釈迦如来は「一生成仏」と告げた。願いが成就することを告げられた大師は感激し、釈迦如来の姿を刻んで一宇を建立した。この時、倭斯濃山も我拝師山と改められたと伝えられる。これが73番札所出釈迦寺の縁起である。 出釈迦寺の境内から西の山の上に、奥の院の建物が見える 出釈迦寺の脇の道…

  • 海岸寺 奥の院

    奥の院には山門、大師堂、弘法大師産湯の井戸、大塔、文殊堂、御盥山不動坊、そしてミニ八十八カ所等がある。 山門 大師堂 ミニ八十八カ所の入口八十八ヵ所だけでなく別格二十ヵ所も一緒になっている 奥の院 御朱印

  • 新四国曼荼羅17番 仏母院

    新四国曼荼羅霊場17番 山号:八幡山宗派:真言宗 醍醐派本尊:大日如来所在:香川県仲多度郡多度津町西白方535 仏母院は、空海(弘法大師)の母、玉依御前(たまよりごぜん)の屋敷跡と言われる。玉依御前がこの地の産土神熊手八幡宮の八幡神に祈りここで空海を出産したと言われている。屋敷跡と言われる場所は御住(みすみ)屋敷と呼ばれ現在は仏堂が建立されている。境内には、空海の臍の緒を納めたと言われる「胞衣(えな)塚」がある。また、空海の産湯井戸も残されている。本堂には空海が幼少時に泥土で造ったと伝えられる仏像「童仏」が安置されている。この地に唐から帰国した空海が寺院を整備し三角寺と名付けたと言われる。熊手…

  • 新四国曼荼羅 18番 善性院

    新四国曼荼羅霊場 18番 山号:七宝山宗派:高野山真言宗本尊:薬師如来所在:香川県三豊市詫間町詫間3676 荘内半島の頭に位置した詫間は、海岸美に富み、そこかしこに浦島太郎の伝説がある。その昔、政治・経済の中心地として栄えた集落に善性院がある。地元ではセ福即生、走り大黒天の信仰が喧伝されていた。秘仏の像容からだろう。今にも走り出そうとすることから生じた。仏の願意に、神足通ノ願がある。当寺の開基を行基菩薩という。竜光寺と称し、本尊に薬師三尊を安置する。戦国時代にこの地を領した詫間氏の菩提寺として栄えたが、これもそう長くは続かなかった。修羅没義道を推輓した長曽我部氏の兵火に焼失し、光を放った法城も…

  • 新四国曼荼羅 20番 延命院

    新四国曼荼羅霊場 20番 延命院 勝楽寺 山号:七宝山院号:延命院宗派:真言宗単立本尊:釈迦如来所在:香川県三豊市豊中町上高野858 当地は上高野城岡と言い、石器時代より肥沃な田園が広がっていた。古来よりこの岡には、地域の祖先の霊が鎮まり、一体を治めた富豪の墓「延命古墳」が残されている。 又、今より1100年前、菅原道真公は讃岐の国司に任ぜられ、仁和三年に巡察の折り、三野郷が五穀豊穣・風雨順時でとこしなえに栄えんことを祈って、「一」の字を奉納された。そして、南北朝時代には(城)塁を構えていた。このように、古来より歴史的に存在価値のある大地である。当院は弘法大師(空海)に開基で、天正年間、長宗我…

  • 新四国曼荼羅 19番 宝積院 妙音寺

    新四国曼荼羅霊場 19番70番奥の院四国三十六不動30番 山号:七宝山院号:宝積院宗派:真言宗 大覚寺派本尊:阿弥陀如来(国の重要文化財)所在:香川県三豊市豊中町上高野1986 寺伝によれば、飛鳥時代天武天皇治世の白鳳5年(665年または676年)に創建されたと言われ、讃岐国最古の寺院の一つと伝えられる。 平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)嵯峨天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)によって現在の寺号となったと伝えられている。戦国時代に入り天正2年(1574年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭った。この時、本尊の阿弥陀如来は自ら雨を降らせて難を逃れたと伝わっている。 天正の戦…

  • 新四国曼荼羅 23番 琴弾八幡宮

    新四国曼荼羅霊場 23番68番 元札所 社伝では、大宝3年(703年)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まると伝える。そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の社名がある。同時に当社の神宮寺として、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立した。大同2年(807年)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院(じんねいん)として四国霊場第68番札所に定めたという。中世には源氏の崇敬を受けた。源頼義は前九年の役に前に使いを立てて願文を納め、そ…

  • 新四国曼荼羅 21番 伊舎那院

    新四国曼荼羅霊場 21番 山号:北田山宗派:真言宗単立本尊:如意輪観世音菩薩所在:香川県三豊市財田町財田中4258 当山は聖徳太子の開基と伝えられ、中興は弘法大師の法孫にあたる聖宝理源大師、本尊は等身大の六臂の聖如意輪観世音菩薩、安産子授けの霊験あらたかで、無事成長・学徳成就など子供さんの縁が深い寺である。往古は末寺二十四ヶ寺を有し院家格にて讃岐十五院(西讃五カ院)の一院として丸亀藩の祈雨の寺とし百二十を有していた。また古来より金毘羅大権現別当金光院との縁も深く、現在山門に安置している仁王像二対は、長宗我部元親が象頭山に寄進せし像と伝えられ、南北朝時代の尊像である。当山は幾度の戦火・災害の為、…

  • 新四国曼荼羅 22番 密蔵寺

    新四国曼荼羅霊場 22番 山号:瑠璃山宗派:高野山真言宗本尊:薬師如来所在:香川県三豊市財田町財田3370 当山は聖宝理源大師が開かれ、御本尊薬師如来様は恵心僧都の御作と伝えられており、財田薬師(たからだやくし)と愛称され、厄除け、病気平癒、寿命長寿に霊験あらたかです。昔は、此の地から一キロ程奥に本篠成というお城があり、城主財田左兵衛頭義宗公の祈願院として、相対した山上に金堂坊舎が建ち並んでいました。しかし、天正七年(1579年)春、土佐より長曽我部元親が五千余の兵にて攻め来たり、お城共々灰燼に帰しました。その戦乱の中、当地篤志の働きによりご本尊さまは無事運び出されました。村人は霊感を感じ、彼…

  • 番外札所 砥石観音堂

    讃岐三十三観音霊場 第十三番萬福寺 奥の院 大同3年(808年)、弘法大師が四国霊場第七十番札所の本山寺を建立するにあたり、その材木を集めていた際、なたや斧などが刃こぼれし伐採に困難を極めていました。行脚の僧が差し出した砥石で道具を研いだところ短日で切り出すことができました。その後、村人が砥石を持ち帰り、お堂を建立して安置したと伝えられています。 階段を登ると観音堂

  • 新四国曼荼羅 70番 東福寺

    新四国曼荼羅霊場 70番 山号:五剣山院号:宝光院宗派:真言宗御室派本尊:不動明王所在:徳島県美馬郡つるぎ町貞光字木屋341 縁起では、神亀元(724)年 忌部大祭主玉渕宿祢が忌部神社の法楽として、法福寺を建立、さらに、東寺、西寺を建て、後東寺を東福寺と改め、忌部別当とした。また、弘法大師が巡錫の時、南山に宝剣が下るのを見て、不動明王を刻み本尊として、弘仁3(812)年に開創したとも伝う。天正10(1582)年長宗我部元親氏の兵火に罹り、慶長2(1597)年僧宝光が中興して宝光院とした。文化2(1805)年1月消失、同3年吉良より現地に移転、天保4(1833)年再建し,現在に至る。 山門 本堂…

  • 新四国曼荼羅 69番 神宮寺

    新四国曼荼羅霊場 69番 山号:龍頭山院号:医王福院宗派:真言宗御室派本尊:薬師如来所在:徳島県美馬郡つるぎ町半田東久保884 寺伝によると、724年(神亀3年)に美馬町の中鳥に忌部神宮寺として創建。その後、西地に移転し、1754年(宝暦4年)に火災の為に現在地に移された。境内には20㎝ほどの牡丹が咲くことで知られており、楊貴妃と名付けられた牡丹や、薬師堂裏側にある樹齢約70年のものもある 山門 手水舎 手水舎の横に鐘楼 本堂 新四国曼荼羅 御朱印

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