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タクボンのお遍路日記 https://ohenro.prodigal04.site/

2016年、車で逆打ちで遍路を廻り 2017~2018年に休日歩き遍路で結願しました その時の記録等を残しています また、お遍路に役立つ情報も書いています

タクボン
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2019/11/04

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  • 番外札所 金刀比羅宮

    神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。明治維新の際に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった。全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。 海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古…

  • 新四国曼荼羅 16番 松尾寺

    新四国曼荼羅 16番 山号:象頭山宗派:高野山真言宗本尊:釈迦如来所在:香川県仲多度郡琴平町九七三 金毘羅とは、蛟竜などに訳される梵語「クンピーラ」の音訳で、実際にはワニであり、水神として尊崇された。開山は大宝年間、神変大菩薩といわれ、その霊験あらたなることが天下に広まり、天平宝宇6年(762年)孝謙帝が勅使藤原実朝を遣わし、殿堂を建立された。室町時代に至り、「讃岐のこんぴらさん」と全国的に有名になり、中興の開山金光坊宥盛法印に至って,天下の大伽藍となり、大衆進行はますます深くなった。ところが明治維新の神仏分離の際に、排仏の悲運に遭遇し、一山六ヵ院中五院が排され、善門院一坊が山麓の現在の地に移…

  • 73番 奥の院 捨身ヶ嶽

    標高481mの我拝師山は、もともと倭斯濃山といった。弘法大師が真魚と呼ばれていた7歳のとき、この山に登り、仏門に入って衆生を救済したいという願いがかなうならば霊験を現すよう、もしかなわないのであれば我が身を以て諸仏を供養すると念じて、断崖より飛び降りた。すると紫雲が湧き起こって釈迦如来が出現し、天女が真魚を受けとめた。そして釈迦如来は「一生成仏」と告げた。願いが成就することを告げられた大師は感激し、釈迦如来の姿を刻んで一宇を建立した。この時、倭斯濃山も我拝師山と改められたと伝えられる。これが73番札所出釈迦寺の縁起である。 出釈迦寺の境内から西の山の上に、奥の院の建物が見える 出釈迦寺の脇の道…

  • 海岸寺 奥の院

    奥の院には山門、大師堂、弘法大師産湯の井戸、大塔、文殊堂、御盥山不動坊、そしてミニ八十八カ所等がある。 山門 大師堂 ミニ八十八カ所の入口八十八ヵ所だけでなく別格二十ヵ所も一緒になっている 奥の院 御朱印

  • 新四国曼荼羅17番 仏母院

    新四国曼荼羅霊場17番 山号:八幡山宗派:真言宗 醍醐派本尊:大日如来所在:香川県仲多度郡多度津町西白方535 仏母院は、空海(弘法大師)の母、玉依御前(たまよりごぜん)の屋敷跡と言われる。玉依御前がこの地の産土神熊手八幡宮の八幡神に祈りここで空海を出産したと言われている。屋敷跡と言われる場所は御住(みすみ)屋敷と呼ばれ現在は仏堂が建立されている。境内には、空海の臍の緒を納めたと言われる「胞衣(えな)塚」がある。また、空海の産湯井戸も残されている。本堂には空海が幼少時に泥土で造ったと伝えられる仏像「童仏」が安置されている。この地に唐から帰国した空海が寺院を整備し三角寺と名付けたと言われる。熊手…

  • 新四国曼荼羅 18番 善性院

    新四国曼荼羅霊場 18番 山号:七宝山宗派:高野山真言宗本尊:薬師如来所在:香川県三豊市詫間町詫間3676 荘内半島の頭に位置した詫間は、海岸美に富み、そこかしこに浦島太郎の伝説がある。その昔、政治・経済の中心地として栄えた集落に善性院がある。地元ではセ福即生、走り大黒天の信仰が喧伝されていた。秘仏の像容からだろう。今にも走り出そうとすることから生じた。仏の願意に、神足通ノ願がある。当寺の開基を行基菩薩という。竜光寺と称し、本尊に薬師三尊を安置する。戦国時代にこの地を領した詫間氏の菩提寺として栄えたが、これもそう長くは続かなかった。修羅没義道を推輓した長曽我部氏の兵火に焼失し、光を放った法城も…

  • 新四国曼荼羅 20番 延命院

    新四国曼荼羅霊場 20番 延命院 勝楽寺 山号:七宝山院号:延命院宗派:真言宗単立本尊:釈迦如来所在:香川県三豊市豊中町上高野858 当地は上高野城岡と言い、石器時代より肥沃な田園が広がっていた。古来よりこの岡には、地域の祖先の霊が鎮まり、一体を治めた富豪の墓「延命古墳」が残されている。 又、今より1100年前、菅原道真公は讃岐の国司に任ぜられ、仁和三年に巡察の折り、三野郷が五穀豊穣・風雨順時でとこしなえに栄えんことを祈って、「一」の字を奉納された。そして、南北朝時代には(城)塁を構えていた。このように、古来より歴史的に存在価値のある大地である。当院は弘法大師(空海)に開基で、天正年間、長宗我…

  • 新四国曼荼羅 19番 宝積院 妙音寺

    新四国曼荼羅霊場 19番70番奥の院四国三十六不動30番 山号:七宝山院号:宝積院宗派:真言宗 大覚寺派本尊:阿弥陀如来(国の重要文化財)所在:香川県三豊市豊中町上高野1986 寺伝によれば、飛鳥時代天武天皇治世の白鳳5年(665年または676年)に創建されたと言われ、讃岐国最古の寺院の一つと伝えられる。 平安時代初期の弘仁年間(810年 - 824年)嵯峨天皇の勅願所となり、空海(弘法大師)によって現在の寺号となったと伝えられている。戦国時代に入り天正2年(1574年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭った。この時、本尊の阿弥陀如来は自ら雨を降らせて難を逃れたと伝わっている。 天正の戦…

  • 新四国曼荼羅 23番 琴弾八幡宮

    新四国曼荼羅霊場 23番68番 元札所 社伝では、大宝3年(703年)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まると伝える。そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の社名がある。同時に当社の神宮寺として、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立した。大同2年(807年)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院(じんねいん)として四国霊場第68番札所に定めたという。中世には源氏の崇敬を受けた。源頼義は前九年の役に前に使いを立てて願文を納め、そ…

  • 新四国曼荼羅 21番 伊舎那院

    新四国曼荼羅霊場 21番 山号:北田山宗派:真言宗単立本尊:如意輪観世音菩薩所在:香川県三豊市財田町財田中4258 当山は聖徳太子の開基と伝えられ、中興は弘法大師の法孫にあたる聖宝理源大師、本尊は等身大の六臂の聖如意輪観世音菩薩、安産子授けの霊験あらたかで、無事成長・学徳成就など子供さんの縁が深い寺である。往古は末寺二十四ヶ寺を有し院家格にて讃岐十五院(西讃五カ院)の一院として丸亀藩の祈雨の寺とし百二十を有していた。また古来より金毘羅大権現別当金光院との縁も深く、現在山門に安置している仁王像二対は、長宗我部元親が象頭山に寄進せし像と伝えられ、南北朝時代の尊像である。当山は幾度の戦火・災害の為、…

  • 新四国曼荼羅 22番 密蔵寺

    新四国曼荼羅霊場 22番 山号:瑠璃山宗派:高野山真言宗本尊:薬師如来所在:香川県三豊市財田町財田3370 当山は聖宝理源大師が開かれ、御本尊薬師如来様は恵心僧都の御作と伝えられており、財田薬師(たからだやくし)と愛称され、厄除け、病気平癒、寿命長寿に霊験あらたかです。昔は、此の地から一キロ程奥に本篠成というお城があり、城主財田左兵衛頭義宗公の祈願院として、相対した山上に金堂坊舎が建ち並んでいました。しかし、天正七年(1579年)春、土佐より長曽我部元親が五千余の兵にて攻め来たり、お城共々灰燼に帰しました。その戦乱の中、当地篤志の働きによりご本尊さまは無事運び出されました。村人は霊感を感じ、彼…

  • 番外札所 砥石観音堂

    讃岐三十三観音霊場 第十三番萬福寺 奥の院 大同3年(808年)、弘法大師が四国霊場第七十番札所の本山寺を建立するにあたり、その材木を集めていた際、なたや斧などが刃こぼれし伐採に困難を極めていました。行脚の僧が差し出した砥石で道具を研いだところ短日で切り出すことができました。その後、村人が砥石を持ち帰り、お堂を建立して安置したと伝えられています。 階段を登ると観音堂

  • 新四国曼荼羅 70番 東福寺

    新四国曼荼羅霊場 70番 山号:五剣山院号:宝光院宗派:真言宗御室派本尊:不動明王所在:徳島県美馬郡つるぎ町貞光字木屋341 縁起では、神亀元(724)年 忌部大祭主玉渕宿祢が忌部神社の法楽として、法福寺を建立、さらに、東寺、西寺を建て、後東寺を東福寺と改め、忌部別当とした。また、弘法大師が巡錫の時、南山に宝剣が下るのを見て、不動明王を刻み本尊として、弘仁3(812)年に開創したとも伝う。天正10(1582)年長宗我部元親氏の兵火に罹り、慶長2(1597)年僧宝光が中興して宝光院とした。文化2(1805)年1月消失、同3年吉良より現地に移転、天保4(1833)年再建し,現在に至る。 山門 本堂…

  • 新四国曼荼羅 69番 神宮寺

    新四国曼荼羅霊場 69番 山号:龍頭山院号:医王福院宗派:真言宗御室派本尊:薬師如来所在:徳島県美馬郡つるぎ町半田東久保884 寺伝によると、724年(神亀3年)に美馬町の中鳥に忌部神宮寺として創建。その後、西地に移転し、1754年(宝暦4年)に火災の為に現在地に移された。境内には20㎝ほどの牡丹が咲くことで知られており、楊貴妃と名付けられた牡丹や、薬師堂裏側にある樹齢約70年のものもある 山門 手水舎 手水舎の横に鐘楼 本堂 新四国曼荼羅 御朱印

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