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小学校3年の5月に東京から千葉に転校したのですが、転校先の学校でひどいいじめを受けたことで、転校そのものがトラウマになり、もう二度と転校なんかするまいと誓っていたはずだったのに、今度は、高校1年の1月という中途半端な時期に転校することを決めてしまいます。
【高校時代の思い出29】二人の女性を同時に好きになってしまった男の悲劇
2人の女性を同時に同じだけ好きになるということが、男にとっていかに悲劇的であるかを、身をもって嫌というほど学ぶことになります。今でもあの時どうしていたら良かったのか分かりません。ただ、自分が選んだ選択肢以外は有り得なかったと、今でもそう思っています。
【高校時代の思い出28】初恋の人と二番目の恋の人【中学時代の思い出】
初恋の相手は中2中3のクラスメイトで、二番目の恋の相手も中2中3のクラスメイトです。初恋の人をDさん、二番目の恋の人をKさんとします。Dさんは中2のクラス替えで一目惚れした人で、Kさんは中1の時から同じ部活に所属していた人です。
【高校時代の思い出27】恩師である家庭教師宅にお世話になることに
バイトをしない限り一人暮らしができないということで、関西への転校は不可避と思われていましたが、土壇場で私の家から徒歩10秒の好立地にある恩師である家庭教師の実家にお世話になることが決まります。私の母が家庭教師の母親と6年来の友人だったことが幸いしたのだと思います。
【高校時代の思い出26】セカンドラブは突然に【初恋の次の恋】
セコンドラブは、通常はファーストラブが終わった後にする恋なのですが、私の場合、初恋の彼女と付き合っている間にセコンドラブを経験してしまいます。このことが、最終的に私の人生を大きく狂わせてしまうのですが、その時はまだ事の重大さに全く気付いていませんでした。
【高校時代の思い出25】中学時代のクラスメイト女子3人組が訪ねて来る
この女子3人組の前にも、小中学校時代の旧友二人が突然家に訪ねて来て、私が関西の高校に転校すると、彼女が悲しむから転校はするなと止めに来ています。彼等と積もる話とか色々した後で、可愛い彼女を泣かすなよと言ってその二人は去って行きました。
【高校時代の思い出24】運命を変える彼女との再会【晴天の霹靂】
運命の歯車が回り始める瞬間というのは、その時には全く分からないものだということを身を以て知る出来事が起きます。中学時代のクラスメイトで部活仲間に過ぎなかった彼女との偶然の再会、そこから苦悩、葛藤、絶望の1ヶ月の序章が始まってしまいます。
【高校時代の思い出24】美化委員のちょっとお茶目な先輩女子達
私の通っていた高校にはいろいろな委員会があって、私の場合は気が付いたらいつの間にか美化委員になっていました。美化委員会で何をしていたのかは今となってはほとんど覚えていないのですが、一つだけ脳裏に強烈に焼き付いている記憶があります。
私が転入試験を終えて関西から帰ってしばらく経ったある日の放課後、担任の先生から呼び出しを受けます。進路指導室か相談室のような小部屋に入ると、先生が椅子に座って待っていました。先生に椅子に座るように促されたので、言われた通りに椅子に腰かけます。
【高校時代の思い出22】久しぶりに登校してみると大変なことになってた
転入試験前の勉強や試験後の物見遊山が過ぎて、高校を2週間以上休んでいたことを忘れていました。久しぶりに高校へ行くと、教師やクラスメート達からさまざまな嫌味を言われて、さすがに仲の良いクラスメートに何も言わずに休んだのは失敗だったかなぁと反省させられました。
【高校時代の思い出21】箕面と嵐山と有馬温泉へ紅葉見物【1人旅】
転入試験も無事終わり、折角関西に来たのだから紅葉見物に行くことにします。ガイドブックを買ってきて、どこの紅葉を見に行くか検討を始めます。そんなに遠くには行きたくなかったので、近場でよさげな所をいくつかピックアップして、後は適当に行きたい所に行けばいいかといった感じで紅葉見物の旅に出かけます。
【高校時代の思い出20】転入試験を受けに再び関西へ【1985年秋】
関西への転校の件は、リスクがあまりにも大き過ぎるということで一旦は白紙になったのですが、兄弟二人の暮らしが想像を絶する劣悪な生活環境だったということで、徐々に転校する方向へと傾いていきます。とりあえず、転入試験を受けるべく関西へ行くことになり、少しでも試験勉強ができるように、転入試験の1週間以上前に現地入りすることにします。
【高校時代の思い出18】持つべきものは友である事を知った15の秋
母が宝塚に残ることになったので、私が一人で千葉に帰ることになり、兄との地獄の共同生活が始まります。宝塚から帰ってみると、家の中がゴミ屋敷のようになっていました。兄は明け方5時頃に寝て昼過ぎに起きる夜型生活をしており、朝まで音楽をガンガンかけていたので、ほとんど眠れない毎日を過ごしていました。
【高校時代の思い出19】中学時代の旧友(部活の大親友)との再再会
朝迎えに来てくれる友達HWは、自分にとっては高校一年時代の一番の親友でしたが、中学三年時代の一番の親友が、クラスメートで同じ部活だったMNでした。こいつとはしょっちゅう遊んでたし、伊豆旅行に行ったり釣りに行ったりと、中三の時は本当に仲が良かったです。
【高校時代の思い出17】新しい家(父の会社の寮)の周辺をサイクリング
転入面接も無事終わり、千葉へ帰るまでたっぷり時間があったので、周辺地域の観光をすることにします。関西に来るのは初めてだったので、京都や神戸、大阪をゆっくり見物したいという思いもあり、家の近くの本屋でガイドブックを買って来ていろいろと計画を立てることにします。
【高校時代の思い出16】転入面接を受けに生まれて初めて関西へ
父と姉が一足先に関西へ行き、母と兄と私が関東に残っていました。当時は、関東から関西への転校はかなり嫌がられていて、父の話では、十数校に転校を打診した結果、1校を除いて全て断られたそうです。その1校も転校できるかできないかは分からないとのことでした。
長野に来てあっという間に一ヶ月近くが経ち、13歳という若さで亡くなってしまった従妹の死のショックからようやく立ち直りつつあったのですが、あまりにも無情としか言いようがない、驚くべきニュースが突如舞い込んできます。
【高校時代の思い出14】深い悲しみを乗り越えるために一人旅に出る
1985年7月20日(土曜日)、私は1人上野発長野行きの急行列車に乗車していました。今回の1人旅の目的は、須坂にある別邸(ただのアパート)で1人になって、6月に起きた衝撃的な出来事によって深く傷付いた心を、ゆっくりと時間をかけて癒すことでした。
【高校時代の思い出13】後楽園球場でジュニアオールスターゲームを観戦
空手同好会での身の毛もよだつ鼻血大量出血事件の後で、大した考えもなく軽い気持ちで友人を同好会に誘ってしまった責任を痛烈に感じ、慰労も兼ねて後楽園球場へプロ野球のジュニアオールスターゲームを二人で観戦しに行くことにします。
友人とかなり軽い気持ちで入った空手同好会ではありましたが、同好会活動の方も段々と軌道に乗って行き、それに伴って練習の方も徐々により本格的なものになっていくことになります。空手の型や基礎体力作りから始まった練習も次の段階に進み、組手や防御の練習をやるようになってから今回の事件(事故)は起きました。
その日学校へ行くと、担任が「今から国府台にある球場に野球部の応援に行くから、各自でそこまで行ってくれ。後、現地で点呼取るから来なかった奴は欠席扱いな」みたいな感じで言われたので、みんなから一斉に「えーーーーっ、今から国府台?!」と、大顰蹙を買っていました。
空手同好会に入ってから、中学の部活を引退して1年10カ月近く経つので、体がかなりなまっていることに気付き、夜にジョギングをすることにしたのですが、走っている間に、何故か、中学時代のクラスメートと遭遇することが多く、走るのを辞めてしまいます。
野球部の先輩を西船橋駅に送って行った時に、先輩が、後で話すと言っていたバイトのことを話してくれる機会がありました。野球辞めて辛かった時期に出会ったバイトらしく、そのバイトのお陰で辛いことが忘れられたとも言っていました。
空手同好会の元野球部の先輩は、肩を壊して部活を辞めるまでは、将来を嘱望された優秀なピッチャーだったと、私に話してくれたことがあります。甲子園とプロを目指していた先輩が、夢途中で挫折してしまったくやしさは、当時、如何許りかと思いましたが、元気に振舞っている先輩を見て、人は夢が断たれても案外早く立ち直れるんだなと思ったものでした。
6月中旬の朝5時くらいに、13歳の従姉妹が亡くなったという電話が叔母からありました。母に起こされてそのことを知らされると、目の前が真っ暗になりました。その日はとりあえずいつも通り学校に行き、放課後に叔母の家へ向かうことになります。
高校に入って、部活もバイトもしていなくて、個人的には、何かやらなくてはダメだと思っていたのですが、なかなか、何をやっていいのか思い付かず、あれこれと試行錯誤を繰り返す毎日でした。バイトも考えてはいたのですが、なかなかこれといった案件もなく、友達と二人で今後の身の振り方を考えていました。
【高校時代の思い出5】生まれて初めて人と真剣に向き合った15の春
ほとんど全ての人が、強烈なインパクトを受けた体験をいくつか脳裏に焼き付けているものですが、私の場合は、15歳までの人生の中で最も強いインパクトを受けた体験が、中学時代同じ部活をしていた同学年の女子との会話です。あれから40年近く経った今でも、あの時のことをたまに思い出します。
入学してそんなに経っていないタイミングで林間学校がありました。群馬県の菅沼キャンプ場のバンガローで1泊して、日光白根山で雪山登山をするという内容でした。1年足らずの間に、6月の尾瀬の雪山、3月の山田温泉の雪山、今回の日光白根山の雪山と、3回も雪山登山/ウォーキングを経験したことになります。
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