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2019/10/03

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  • 小さき花-第1章~3

    最早、私の霊魂は今日までいろいろと内外の苦しみ艱みに遭って強く鍛錬されて居りますから、過ぎ去った事を追憶する為に、まことに適当な時期であります。ただいまちょうど暴風に遭った跡の花のように、私はおのずと頭をもたげようとして聖書の言葉は、私の身の上に成就するのを見ます。すなわち、詩編(二十二)に「主は私の案内者であるから、私は何にも足らぬ所がありません、主は私を緑の楽園に休ませ、清く穏やかな渚に憩わせて下さいます、また私の疲れぬよう主の聖名を以って、正しき道に導かれ、いつも側に居って下さいますから、よし私は恐ろしい死の谷陰を歩みましても、害に罹る恐れはありません」とあります。ああ、主はいつも私に対して、いかに慈しみ深くいかに大いなる慰めを与えられましたか、私の罪科を罰する為にいかに寛大でありましたか、母様!私は今こ...小さき花-第1章~3

  • 小さき花-第1章~2

    ただし聖主は私の眼前に此の世界……自然界の活きた書物を展開して、この深き摂理の玄義を説き諭して下さりましたので、私の不審は少しの曇りもなくすっぱりと晴れましたのであります。まことに天主様が此の世界にお作りになった花は、凡て皆美しく作られ、ことにかの艶やかな薔薇の花や神々しい白百合の花があっても、之が為に小さく愛らしい菫の花の匂いが無くなる事もなく、雛菊の気品も奪われるような事もなく皆それぞれに大きく小さく美しく可愛らしく咲き乱れて、人の目を喜ばし野山を飾って居ります。もし此のすべての花が皆薔薇の花や百合の花ばかりになりたいならばどうでしょうか、此の世の春は決して麗しいものではありますまい。霊魂上の世界……即ち活きている、主の庭園ともいうべき現世の人々の霊魂も、ちょうど春の花の如くとりどりに咲いて天主様の庭園を飾...小さき花-第1章~2

  • 小さき花-第1章~1

    小さきテレジアの記念日誕生千八百七十三年一月二日洗礼同一月四日着衣式千八百八十九年一月十日カルメル会修道女院に入る千八百八十九年四月九日福者の位に列せらる千九百二十三年四月二十九日初聖体千八百八十四年五月四日聖母の微笑千八百八十三年五月十三日聖者の列に加えらる千九百二十五年五月十七日天主の恵みに我が身を捧げる記念千八百九十五年六月九日堅信千八百八十四年六月十四日誓願式千八百九十年九月八日被覆式同九月二十四日死去千八百九十七年九月三十日教皇レオ十三世陛下謁見千八百八十七年十一月二十日ご誕生の恵み千八百八十六年十二月二十五日-----------目次---------(略)我が世にあらん限りは必ず恩寵と憐憫とわれにそい来たらん(詩編二十三章)春の小さき花の履歴(一章から八章までの文章は、テレジアが、修道女院長であっ...小さき花-第1章~1

  • 小さき花-略伝~5

    千八百九十六年の聖金曜日に、テレジアは肺病であって喀血しましたが、彼女は常に「イエズス・キリストの如く死するまで苦難を嘗めたい」と申しました。その当時より、暫時体力が弱り、永く肉身の苦を受けましたが、能く耐え忍び、如何なる苦痛の最中でも、絶えず微笑んで居りました。翌千八百九十七年九月十三日梧桐一葉秋の寂しさを報ずるとき、彼女は二十四歳の未だ花の盛り香ばしき時「主を愛し奉る」といいつつ、安らかに此の世を去り、永遠限りなき、天の福楽を享くる身をなりました。パリ大学学士院の博士達テレジアを讃頌していわく、現代の事く利己的のことに奔走し、天主に悖り(もとり)抵抗する時に当たりて、能く天主の聖慮に託す聖女を与え、無情残酷の多き世に於いて、能く愛情に富む聖女を与え、高慢不遜の世の中に、能く謙遜を守る聖女を与え給うた。と、言...小さき花-略伝~5

  • 小さき花-略伝~4

    空気の新鮮な、広々とした田園でしばらく転地療養をさせる方がよかろうという医師の勧めでしたので、近在に知れる乳母あることを思い出して乳育児として、其処に預けられ養生せしむこととなりました、健全に成長します、花の蕾は、日々美しくなって、漸々と丈夫になり、アランソン市の慈愛に富める両親の膝下に帰ることとなりました。香木風多く、高き山の頂には早く雪に被われます。小さき香りの花の蕾は四歳六ヶ月の指を数えるとき、即ち千八百七十七年不幸にも慈母のゲレンは病気のため齢四十六歳で逝去されました。それで父は子供等の躾方、教養のこともありますから、マリア、ポリナ、レオニア、セリナと此の小さき女王のテレジア姉妹五人を連れ、住み慣れしアランソン市を去りて、リジュー市に引き移ることになりました。何故リジュー市に移転しましたか、そこには、ゲ...小さき花-略伝~4

  • 小さき花-略伝~3

    或る時のこと。マルテンは、善きサマリア人の如く、人通りの多い、街路に酒に酔って倒れている一人の労働者を助け、傍らにある労働の道具など自分で携え、酔い倒れの人を助けて家に帰り、篤(とく)と教訓を加えました、また誰が、どんな冒涜の言葉を申しましても、彼が一言でこれを沈黙させるには充分であります。聖堂の前を通るときには、必ず脱帽して聖体に敬意を表わします。途中で司祭に出逢いますれば丁寧に挨拶します。また或る時停車場で、遠い国に帰ることの出来ない癲癇患者の貧しい飢えている様子を見て惻隠の情(あわれみいたむ心)に堪えず、直ぐ帽子を脱いで若干の金を寄付し、なお此の可愛そうな患者の為、通る人々から施しを願いますれば、金は追々と投げ込まれ、病人は感謝に溢れその恩人を崇めました、彼の徳の優れたる報いに対して、天主は彼に霊魂上、又...小さき花-略伝~3

  • 小さき花-略伝~2

    と此のごとく童貞会に入ることを志願して成らず、多くの子供等をことごとく天主に捧げ奉ることを願いしものは誰ぞやゼリー・ゲレンといい、実に後年その願いのごとく天主は、彼(か)のゼリー・ゲレンの祈りを聞きいれ給うのみならず、奇しき天主の御手は、千八百五十八年の七月流汗脊にあまねき酷暑如燬炎々(こくしょやくごとくえんえん)たる十三日、アランソン市の天主堂に、マルテンと結婚式を挙げることになりました。これぞ小さきテレジアの父母であります。斯様にして夫婦となりました間柄ですから、数か月同胞の如く清浄を守り、純潔ビアスの如く祈りを繰り返しました。天主よ、爾(あなた)の聖旨に従い、私は妻を迎えましたkれども、快楽之れ事とするのではありませぬ、ただ子を愛する為、また子供等に依って主の聖名が賛美せられよかしと。天主は、彼らの祈りを...小さき花-略伝~2

  • 小さき花-略伝

    聖女小さきテレジアの略伝千八百四十三年初秋の涼気、四方山のまさに紅葉せんとする九月の事であった、両眼は聖き熱誠に燃え、如何にも満々たあう希望を懐き、心剛に信仰強き、容貌端正なる、齡二十歳の青年がアランソン市を出発して、スイスの修院に一生涯を天主に委ねるため来たのであった。修院長は青年の目的を知り、彼にラテン語の素養のことを尋ねた、青年はラテン語を修めていなかった、修院長は志望嘉み(よみ)すべきも、ラテン語を知らざれば、ひとまず帰国なさい、しかし決して失望落胆には及ばず、充分勉強の後なれば貴下を迎えるに躊躇せずと、修院長の言辞懇篤(心がこもっていた)を極む、青年はやむなく家路に就き、失望を感じ寂寞を思わずにはいられなかった。しかし彼(か)の青年は天主の摂理が別に存する事を悟った。以後アルバインの修院は彼(か)の青...小さき花-略伝

  • 小さき花-3

    日本訳数数千部発行以来、幸いに読者の歓迎する所となり、日ならずして全部売り尽くしましたのみならず、「小さき花」の自叙伝により、失望、苦痛の者が、茲(ここ)に一つの光明に照らされ、希望となり、慰藉を得、平和を求め、終(つい)にイエズスの愛に浴し裨益を得ましたものより、その消息を接しこと数多くあります。訳者の本懐何物かこれに過ふるものがありましょうぞ。世の唯物論や懐疑論に、飽き疲れて居る者、人世の戦いに疲れ、困憊、煩悶、失望の淵に臨んで居る者等が、心を穏やかにして、天来の福音ともいうべき此の自叙伝を静かに繙くならば、心身共に爽快を覚え、言うべからざる妙味に触れて一道の光明を認めるであろう。また修道女にとりては無上の奉天となり、普通の信者に取りては大いに利益を得、深き謙遜を以ってこれを繙けば、霊妙なる感化によりて霊魂...小さき花-3

  • 小さき花-2

    此の書の原書はフランス語にてHistoired'uneame「一つの霊魂の履歴」と題し、或いはUneroseeffeuillée(散りし薔薇の花びら)とも題したる、カルメル会修院の一修道女フランシスカ・テレジアの自叙伝である。本書は彼女が自らその書の題せしHistoirePrintani?red'unepetitefleurblanche.「春の小さき白き花の履歴」の意を参酌し、書中自己を指して、「小さき花」と呼びし故これを題とした次第です。テレジアが自ら筆を執り記しました、伝記中の一章より八章までも文章は、当時修道女院長であった自分の姉ポリナに宛て書き記したものであります、また九章、十章はゴンザクのマリア修道女院長に宛てたもの。十一章はテレジアの姉マリアに宛てたもの、十二章並びに教訓逸話は補遺として、修院長の...小さき花-2

  • 「小さき花」のテキスト化を開始します。

    「小さき花」のテキスト化を開始します。前の2冊に比べると、ページ数が、長いので、だいぶ、お時間かかってしまうと思います。よろしくお願いいたします。yui訳者のシルベン・ブスケ神父さまは、拷問を受けて、亡くなられています。検索すると、すぐ出てきます。戦争と神父(1)ブスケ神父の事跡と殉難ブスケ神父の虐殺小林多喜二以外にもあった拷問死「小さき花」のテキスト化を開始します。

  • 小さき花

    小さき花聖女小さきテレジア之自叙伝シルベン・ブスケ訳『小さき花』は畏くも摂政宮殿下並びに皇太子妃殿下によって嘉納せらるる光栄を得ました。また某高官は此の書を読み、深く感動し『……殊に日本人が、本書を読めば、我々の先祖から伝えられた道徳の一部分である、質朴、正直、善良、献身的の聖心をこの自叙伝の内に見出し特別に心を引き付けられるのは、尤もな事であります。殊に今日に於いて小さきテレジア童貞の様な高尚な人を世人の模範として知らしめる事は至極有益な事であります………』とまで本書を賞賛されました。読者諸君!もし天地の間に逍遥(しょうよう:=散歩)し、思うままに愉快の空気を呼吸し、超然として世俗を脱し、天上より降りし者の声を聴かんと欲せば此の愛の歌を繙け(ひもとけ)。世の普通の者には、此の神秘を悟り得ないが、諸君は修院に於...小さき花

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)PDF修正しました。

    愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)PDF修正しました。トップページのリンクからダウンロード出来ます。リンクは変わっていません。アンヌの本を読んでいただいている方、また、アンヌに興味を持って下さった方に心からの感謝をいたします。yui愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)PDF修正しました。

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)

    「愛の力」PDF化しました。ダウンロード先校正が、不十分かもしれません。ご容赦ください。ありがとうございます。yui愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章 四、聖主に於いて死ぬ者の幸福

    四、聖主に於いて死ぬ者の幸福最後までキリストの配偶者は、「日々の戦い。」を以って、絶えず主の御跡を慕って、その道を突進していった。本当に彼女は、イエズスを心中に成長させ奉るための、全ての妨げになるものを絶やすように苦心していた。そして超自然の泉から、この努力に入用な力を求めた。聖体、聖体拝領、霊的聖体拝領等、殊に優れた愛の秘蹟の方に、彼女の心の大なる望みは集中した向かった。そしてこのパンを食するものは、永遠に生きるというお約束の言葉に期待を置き、神を真実に求めた。イエズス会の司祭で、この霊魂の奥底までよく観透した人が、次の言葉で評している。「この子供は地上の為に造られたのではない。彼女の中には(私はアンヌのごく小さい時から知っているが)超聖的の事柄に対する特別な直観、非常な観想力、自制力、止む事を知らぬ献身的精...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章四、聖主に於いて死ぬ者の幸福

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章 三、最後の面影

    三、最後の面影絶えず増し加わる苦しみに、彼女の完全化された徳は、なお花を咲かせ、実を熟させて行った。この長い酷い苦難の終わりに、いよいよ天が開かれた。先生はこの苦痛に責められやつれ果てた顔を、ある晩悲惨な気持ちで見守っていると、一修女が見舞いに来た。それで先生は座を外した。ちょっと経って、スールは下りてきて、「私はこの子供の傍に参られたことを神に深く感謝致します。この子供は聖人でございます、天使のような顔つきをしております。」と語った。「私は直ぐ二階に行ってみると、本当に今までの苦しみに面やつれしていた、痛ましいこの病人が平和な、美しく、愛らしい表情を浮かべているのに驚いた。」と見た人が記している。この恩寵のとき、何事がこの霊魂の中に起こったのであろう。一度、「ジョジョ、レレン、ベベ来て御覧なさい。ほらほら早く...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章三、最後の面影

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章 二、愛によってこそ起こる殉教

    二、愛によってこそ起こる殉教あらゆる悩みがこの小さい身体を襲った。けれどこの愛らしい病人は、苦しみと共に、徳を増して勇敢に振舞った。病苦を死は聖徳の偉大な試練である。苦しみの焔は、表面の完全をことごとく藁のごとく燃やし尽くして、ただ愛徳の「金」を他の混合物から全く分けてしまった。アンヌの聖徳はこの稀有な苦痛に輝いた。彼女の霊魂が、いつも神と一致している事は、誰の目にも明らかであった。彼女の祈りは、一時(いっとき)も絶える事なく、一緒に誦えるから、傍で大きな聲で祈って欲しいと頼んだ。それは一人で祈れぬときでも、皆の祈りと合わせられるからであった。彼女はその日々を、ある特別な意向のために捧げていた。そして時々願っている人々の為に、自分の苦しみを捧げた。特に哀れな罪人の為に、最後まで苦しみの床で、自発的の小さな犠牲の...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章二、愛によってこそ起こる殉教

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第六章 一、十字架上にて

    一、十字架上にて不安は取り越し苦労ではなかった。一九一二年の十二月十九日の月曜日、頭と背中が非常に痛むと訴えた。その日一日中、先生の生家なるナアラシエルに行っていたのであった。苦痛あるにも拘らず、心深切で、よく気を配り、平然と見たところは異ならなかった。その最後の外出の思い出は、深く迎えた人々の脳裏に残っている。「着いたとき、自動車から降りると、出迎えた私ども一同に、一々それは優しく、心よく挨拶し、母がカンヌに行っていて留守である事を残念がって話した。二人の妹の世話をして、羊のいる牧場の方に散歩に行った。オリーブの木の傍らを通ると、一ツの実を拾った。この実は大変に取り難いと前から聞いていたので、他の人にこの実を取らせ。喜ばせたいと思って、自分で拾ったのを木の幹の間に置いて、「是なら取りやすいでしょう。」と言った...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章一、十字架上にて

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第六章 天使と共に

    第六章天使と共に十字架の聖ヨハネはいう。「聖なる愛徳の、不屈の努力は、実に偉大なるものである。」と。完徳に達し、愛の絶頂に到った霊魂は、もう長く地上に留まる事は出来なかった。この世にても、後の世にても、神を見奉らずにおられない。御主はもはや神の栄光に入るに足りるほど、清くなった子等を、この涙の谷に残しては置き給わぬ。天上界の生命に達する愛の高嶺に、アンヌは到達したのであった。一生の終りに傾きかけているアンヌが、神の国の曙に目覚めつつある事を、人々は予感した。この世のものには執着無く、来世の物に生きていた。神を見奉り得る天に、世にある中から熱心に昇ろうとしていた。アンヌが最上の道を求めた有様は、あたかも花嫁が花婿に迎えられる時に、少しも慌てる事の無いよう、準備を整えて待っている様なものであった。アンヌの最後の夏休...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章天使と共に

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第五章 五、最も優れた愛徳

    五、最も優れた愛徳この霊魂の遺した模範は、聖徳に達するには、完全な愛徳を行うことによる事、神との一致に到るには、日々の生活に於いて、神の聖旨を行えば足りると言う事を私どもに教える。即ち日々の喜びも、悲しみも、乾燥しきった心も、熱情にも燃えたつ感情も、健康も、病苦をも、素直に神の御手より受け、習慣性になっている祈りを、変わる所なく誦えた。「幼きイエズスよ、我は御身を愛し奉る。」と。愛徳の光輝は、彼女の動作にも完全に輝き、どんな小事でも、その微妙さが現れてこの可愛らしい小さな聖人に、イエズズを偲ぶような、ある輝きを与えた。最後に近く彼女を知る人々は、誰しもこの清い、優しい面影のなかに透視する神の平和に打たれた。しかしアンヌは特に慎ましく、控えめで、自分に関した事は、何も言わなかった。何事をするにも穏やかな熱情と感ず...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第五章五、最も優れた愛徳

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第五章 四 隣人の救助(たすけ)

    四隣人の救助(たすけ)全ての不幸悲しみは、この子供を動かし、全ての必要は彼女を働かせた。アンシイの家政学校には、可愛らしい兎(ウサギ)がいた。アンヌはジャックや妹達と童貞方を訪問の機会がある度に、その兎を見物に行くのを欠かさなかった。ところがある朝、悲しいかな、たくさんの兎が一匹残らず死んで居た。童貞方は兎がいなくなり、さぞ悲しいであろう。子供等はすっかり気を落として城に帰ってきた。この災難を取り戻さなくてはならない。ネネットは事慎重らしく、同志を集合して、この大問題につき、小さい頭を寄せて評議した。母の許可を得て、貯金箱を開こうという事に、一同の意見は一致した。喜ばしい事には許可が降った。小銭が銅貨、白銅、色々の紙幣を取り交ぜて、卓上に転がり出た。震える指、轟く胸で一銭ずつ数え始めた。皆堅くなって息を殺して待...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第五章四隣人の救助(たすけ)

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第五章 三、聖なる愛徳の趣向

    三、聖なる愛徳の趣向彼女の愛情の趣向は、実に愉快であるとともに、至って単純であった。そして全ての人にそれを及ぼした。人の気にも留めぬ些事をも応用して、愛の徴を現わすアンヌの巧妙さは、模範と為すべきであった。些細な心尽くし、子供の注意に過ぎないが、この些事に日々の生活の喜びが含まれている。この霊魂にあっては、いつも愛徳が目覚めていると言える。自身大変花を好んでいたので、どんな折にも、例えば送迎、祝日など、折りにふれて花を捧げる事は、彼女の又となき楽しみであった。クールの城に従姉妹等が泊りがけで来ていた時、いよいよ帰る朝、未だ八時前であったのに、食堂の各自の席には、きれいな花束がちゃんと飾ってあった。早朝庭から花を切って来るためには、よほど早くから起きて急いで用意したに相違ない。これが彼女のやり方で、真心を尽くすに...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第五章三、聖なる愛徳の趣向

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第五章 二、真の小さき母

    二、真の小さき母また、弟妹に対するアンヌの愛情の細やかさは、またいかに美しかった事であろう。いつも活発で、快活で、アンヌの特長である熱誠のあまり、他人を思いのままにし、御しやすい性質を自ら改めようと努めた。早くから彼女は皆に全く仕えていた。彼らの些細な望みをも果たし、何事でも彼らを喜ばす様、慰める様、楽しませる様、勉強さす様にと尽くした。本当にアンヌは小さき母であった。弟妹らは、すぐにそれを見抜いて、アンヌが己を忘れ、いつでも他人に譲る決心をしている事を悟った。アンヌなら何でも計らってくれるという訳で、すぐ彼女のところに走って求めるのが常であった。また年上として、アンヌの権威を認めて、難しいことがあるとまず相談に行き、彼女の判断に服し、一目を置いて敬っていた。ここでもアンヌは、最上の忠言を与え、小さい人々を情け...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第五章二、真の小さき母

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第五章 一、子供の心

    一、子供の心アンヌは常に父の思い出をはっきり保っていた。神の国に居ると信じている。この祝された霊魂について絶え間なく考えていた。愛する父が救われているという確信kら、感得した慰藉(いしゃ)の言葉で、悲しむ母を懸命に慰めた。父に死の直後には、一刻も早く諸聖人等の楽しむ光栄の仲間入りが出来るようにと、始終祈りや犠牲を捧げていた。最初の大病の折、母に何ごとも無げに、「いつ私はパパにお目に懸かりに参れましょうか。」と訊いた。終わり近くにも、また仲良しの友達に、天国にいる父に会いに行きたいという、切なる望みのある事を語っている。この心に印された思い出の強さは、忠実と思慮深い性質を語っている。彼女はまた、母に対しても深い敬愛の心を持っていた。「両親を愛さねばならない。もしこれが掟でなくても、自発的に子供はそう在るべきである...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第五章一、子供の心

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第五章 天主的愛のほとばしり

    第五章天主的愛のほとばしり天主の啓示なしには、私どもは聖寵の状態に在るかどうか、確実に知る事は出来ない。なぜならば、いつでも私どもは自分の心の真の状態には到って暗く、確かな事は自分で知っていないからである。しかし身近い者への愛徳の行いは、確かに人を愛することにより、神を愛することになるから、もはや輝かしい真の慰安の酬いを、受けるべき予約の印である。天父がシエナの聖女カタリナに、愛徳について仰せられた美しい御言葉を少し考えてみよう。「我が汝を愛するが如き愛をもて、汝が我を愛することを望む。汝が愛されずして我は汝を愛した。しかし汝は我に対して、このようにはなし得ない。我に対して持つ汝の愛は、全く負債の如きもので、全てを汝は我に負っている。我に捧げなくてはならぬ様に課せられているので、自由の贈り物ではないのである。我...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第五章天主的愛のほとばしり

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章 六、子供の霊魂の中に匂うキリストの薫り

    六、子供の霊魂の中に匂うキリストの薫り斯くして愛徳は拡張して行った。特に選択されたこの子供に於いて、聖フランシスコ・サレジオに就いて書かれた如く、「神は至聖なる彼女の霊魂の頂点まで信仰の単純な真理の道と、その結構さを見る事の出来る時に、明らかな光を注ぎ掛けられた。それが熱情を増し、入神状態になり、聖旨に歓喜する因となった。」なぜならば彼女は、「心に照らされた目。」に依って歓喜したからで、聖パウロはそれを「救い主の輝かしき美」と言っている。祈りによって彼女の霊魂は、至愛の君と、甘味なる一致を楽しみ、遂にはささやかな出来事の中にも、神の他には何も認めぬように、非常に生き生きとした信仰を持つに至った。「神様がいらっしゃて下さるのに、どうして辛いことがありましょう。」「神様が思し召し給うがゆえに。」「御光栄の為に。」「...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章六、子供の霊魂の中に匂うキリストの薫り

  • 書き写すという事

    耳に聞く事、眼で見る事だけではなくて、書き写すという事。何かを、感じる事があります。文章の息吹って言うのでしょうか?本には、イラスト、序文、本文、あとがきとかありますよね。関係あるかどうかわかりませんけど、序文や後書きの部分は、本のなかで好きな部分です。訳者、編集者の気持ちが、願いとか、感じられるのです。愛の力も、物語の終盤が見えてきました。読んでくださっている皆さま、それを感じていらっしゃいますか?私は打ち込みながら読んでいます。(全部読んでから打ち込みではありません。)この本を選んだ理由は、なぜか上手く説明出来ないんです。本当は、別な本の予定だった…のです。この本を開いて魅かれてしまったのでしょうか?時間を拾い集めながら、打ち込みしています。小さすぎる犠牲。読んでくださってありがとうございます。yui書き写すという事

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章 幼児の霊に於ける観想生活 五、聖なる愛徳の広まり

    五、聖なる愛徳の広まり七歳の頃、かほどの純潔と熱心の籠った、頻繁な聖体拝領の結果として、彼女の親愛の情は大変化をきたした。彼女の霊魂は、万事超聖的な事柄に、無造作に、容易に進むことが出来た。それは年に似合わぬ、霊的な発達によって、聖霊が他に比類なき程度に、楽々と彼女に働き得給うた事が認めれらる。初聖体がまず彼女を神秘的生活に導き入れたものと思われる。何人も年端の行かぬ子供に、その様な事が不可能であるとは決して言えない。神学者たちは、観想生活に入るに、大人が普通の場合、長い困難な道程を経る必要があるに反し、子供は到って簡単、平易、迅速に出来ると証明している。デ・ラ・タイユ神父の言われるには、「神は観想生活の恵みに導き給うときに、この初歩の苦しみを彼らには免除し給うのである。その理由は、いまだ真新しい、純な、これら...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章幼児の霊に於ける観想生活五、聖なる愛徳の広まり

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第四章 幼児の霊に於ける観想生活 四、聖体の中に在しますイエズスに対する愛-2

    折しも遠景の山頂は、暁の光に照り輝き、眩い海原の様に光の波が跳ね返り、踊り狂って居た。嶺の頂上では、それが燦爛たる滝を模って(かたどって)、暗い山影や谷間に流れ落ちているように見える。その朝はちょうどツバメが電線に列をこしらえて並び、金色の太陽の光を浴びながら、さえずり合っていた。空気は甚だ爽快であった。なんと美しい景色であったろう!ジャックは感嘆のあまり、見る物事に、悦びの声を上げて飛び立った。しかしアンヌは母の傍に寄り添い、落ち着いて祈に耽っていた。そしてこのような大事な時に、弟が気を散らしているのを心苦しく思い、唇に指を当てて、「ジョジョ、今は聖体拝領の事を考えなくれはいけませんよ。」と真面目に諭すのであった。ミサ拝聴後、帰途もまた子供等はツバメの事、四方の麗しい景色の美しさ等、話し合うのであったが、アン...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章幼児の霊に於ける観想生活四、聖体の中に在しますイエズスに対する愛-2

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第四章 幼児の霊に於ける観想生活 四、聖体の中に在しますイエズスに対する愛

    四、聖体の中に在しますイエズスに対する愛全ての愛を越えて、救い主への特別な愛を、アンヌが持っていた事は当然である。「優しきイエズス。」と呼び奉る。その特別な調子からも、その真情が思い遣られて、他に適当な言い表し方は考えられない。間断なく心の中に思い慕っていた程、聖主を深くお愛し申しあげていた。「イエズスの為に、我が心が百合の如く、清く在りたい。」とか、「イエズスが私の中に活き、かつ大きく延び給う様希う(こいねがう)。」等とは、しばしば彼女の口から洩れていた言葉であった。幾たび遊戯半ばで、「善きイエズスよ、御身を愛し奉る。」と申しあげたであろう。何事にも、何処にも、神様についての考えが付きまとって行った。仕事や遊びの最中でも、目に見えぬ天主の存在の感に打たれた有様に、人々は幾たびか感慨を深めた。彼女は眼を天に上げ...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章幼児の霊に於ける観想生活四、聖体の中に在しますイエズスに対する愛

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第四章 幼児の霊に於ける観想生活 三、天国との親睦

    三、天国との親睦人と生まれた以上、この世の万物を無条件に利用し得る如く、霊的にも同じ法則で成聖の聖寵を持つ聖なる霊魂は、聖寵の在ます為に、神の性を分与され、霊魂に同様の性を与えるものである。」と神学者は言っている。福音の言葉に従えば、聖寵を持つ霊魂は、天国と交わるのである。天国との交渉は祈りに依るので、アンヌが聖人達と真の親密を保ったのは、祈りによってであった。聖女アニエスを、その純潔と、イエズスへの強い愛ゆえをもって、深く愛慕した。聖シャンタルも、同じほど彼女を引き付けた。アンシイの訪問会に行って、聖女の遺物のもとに祈る幸福を得た時、彼女は愛する聖人と親密な会話に、深く浸りきった様子であった。しかし幼きイエズスの聖テレジアとは、また特別な間柄であった。このカルメル会の姉である聖女の聖影の前で沈思し、念ずる事を...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章幼児の霊に於ける観想生活三、天国との親睦

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第四章 幼児の霊に於ける観想生活 二、子供の祈りの生活

    二、子供の祈りの生活要するにアンヌに於いては、意思が智恵に従い、智識が愛に転化して行った。心中に神を識るに従い、いよいよ心を神に托し捧げた。そして彼女の宗教心は、やがて驚くべき成熟の域に達した。とはいえ、その信頼心と、奮発心の単純、新鮮、無邪気さを失うようなことはなかった。外に現れるところは僅かであった。朝夕の祈り、ロザリオ、ミサ聖祭の拝聴、その他は一日中に何度でも、愛情の湧くままに、爪繰り誦「めでたし」の祈り、また燃える愛の心から、思わずも迸りいずる短い射祷や、神の存在を覚えると、忙しい中にも、一時全く心を向ける位のものであった。しかしこれらをいかに慎みをもって果たした事であろう。「いつもこの子供は祈りに耽っている霊魂のように思っていた。と言った人がある。彼女の心は、誠に祈りの中に広まっていた。聖霊の住み給う...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章幼児の霊に於ける観想生活二、子供の祈りの生活

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第四章 幼児の霊に於ける観想生活 一、神聖なる真理の望み

    一、神聖なる真理の望み彼女の信心は目立っていたが、単純と謹慎とを失うような事は無かった、ごく幼い頃からアンヌは、神を識り奉りたいという、愛に満ちた好奇心を懐いていた。いよいよ公教要理を習いに行く事になった時には、どんな喜びをもって、それを迎えたであろう。この善い知らせを聞かされると、夢中になって一日中、弟のジャックに、その嬉しさを語っていた。聖体の秘蹟とは何であるか、また初聖体の事、イエズスを受け奉る事の幸福等をはっきり説明した。しかしジャックは未だよく解らず、気乗りせぬ様子で聞いているので、「ああ、まだあなたには、こんな事は解らないのですね。」と小さい使徒は失望して黙ってしまった。この清い子供にはカンヌやアンシイでの公教要理の勉強はなによりもの楽しみで、魂を奪い去られるように、天上の喜びで恍惚とした。いつも注...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章幼児の霊に於ける観想生活一、神聖なる真理の望み

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第四章 幼児の霊に於ける観想生活

    第四章幼児の霊に於ける観想生活リジューの聖テレジアと同じように、アンヌに於いても、「自然な飾り気のない気軽さ」に感嘆させられる。この天使的な子供は、いつも、どこでも、その飾り気無きまま自分をさらけ出していた。不抜の精神と、その永続的な事からいえば、豪勇ともいえる子供であるが、快活で、慈悲深く、深切で、従順である上、自分という観念は全く消滅していた。僅か十歳のこの子供の徳は、混じり気なく完全で、深遠で、普遍的なもので、生まれながらの善い性質である。愛嬌とか、優かさ(しとやかさ)、並の信心深さ等と一つにする事は出来なかった。彼女の聖徳は、最早輝かしい熟せる果実の如きものであった。聖主の御働きに全く任せ切り、何の妨げもなく、その感導のままに形作られて行った。アンヌは聖寵に触れた瞬間から、反抗せず、躊躇せず、神の御手に...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第四章幼児の霊に於ける観想生活

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第三章 幼きイエズスの道 四、イエズスの選び給える徳

    四、イエズスの選び給える徳聖主は御自身の霊魂の秘密を、打ち明け給て、「心の柔和にして謙遜なるもの。」と仰せられた。愛し奉るイエズスのように柔和に、謙遜に控えめに、富の中にあっても、清貧を守るため、アンヌはいかほど心を用いて、主と一致し奉ろうとした事であろう。彼女の謙遜は抑え難い、その熱烈さに、愛らしい謙慎(つつしみ)を合わせて完全化した。この聖なる子供は、始めは己を忘れる事に苦痛を感じたが、遂には尾己を捨てずには居られない様になった。アンヌが他人に説論したり、命令する事が好きであった事は前に述べたが、彼女の使徒的熱誠から、乱暴な仲間と遊んでいる最中には苛立つ事もあった。まずよい手本を示して諭すべきであると教えられたが、手本による説教くらいでは、熱心を満足させる事が出来なかった。ささやかな過ちにも、小さい暗示を与...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第三章幼きイエズスの道四、イエズスの選び給える徳

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第三章 幼きイエズスの道 三、ナザレトの幼児の如く

    三、ナザレトの幼児の如く従順が彼女の心遣いの第一位を占めていた。けれども私どもは、この徳が彼女の生まれつきでない事を知っている。何が彼女をあのように従順にしたか?「ただ従順が子供等の聖徳の域である。イエズスが良心に従われたこと、死ぬまで服従された事、祭壇において司祭の言葉通り、無言で直ちに従われるごとく、従わねばならぬ。」と言い聞かされたからである。彼女は生涯救い主に倣いたいと努めた。この考えが彼女の全て苦業に対する努力となっては原子た。従順の徳がいつも彼女の決心の筆頭に来た。「ああ、我が愛する幼きイエズスよ、私はいつも本当に従順であり、またよく祈る様に決心致します。」と最初に黙想をした折に約束している。翌年また同じ思想に心を引かれて、「幼きイエズス様、よく服従し、よく祈りを誦え、忍耐強くなる決心を捧げます。」...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第三章幼きイエズスの道三、ナザレトの幼児の如く

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第三章 幼きイエズスの道 二、小事による聖徳

    二、小事による聖徳聖寵の霊感に間断なく忠実に従い、精霊の示しによって、どんな小事にも従うことは、大いなる愛に依らなければならない。完徳に至る道は無数にあるが、小事によるこの道は、とにかく、誰にでも出来る聖徳に至る普通の道である。稀にみる善意を以って、アンヌはこの道を進んだのであった。聖フランシスコ、サレジオの著書を引けば、「われらの眼前には大事は日々起こって来ない。しかし、小事をいつも完全に果たすことは出来るのである。即ち、深い愛を以って小事をなすのである。」「仕業が我らに報いを得させるのではなく、いかなる熱情と愛によってなされたかによる。」と彼は教えているが、それはサレジオの聖フランシスコやリジューの聖テレジアの着眼点で、アンヌが聖人に倣おうとした大秘訣もまたこれであった。彼女は最も些細なる事柄にも、非常に忠...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第三章幼きイエズスの道二、小事による聖徳

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第三章 幼きイエズスの道 一、子羊の潔白

    第三章幼きイエズスの道神との完全な一致に到達する信者は誠に少ない。それは不注意であったり、また、毎日絶えず忠実に勤しまぬからである。私どもは神の模範に倣う事が最も大切な、基礎的義務である事を充分考えているであろうか。「汝等の天父の完全に在す如く、汝等も亦完全なれ、天父の如く善良に慈悲深くあれ」(マテオ五の四八)とイエズスは勧め給う。使徒聖パウロは「然れば汝等至愛なる小児の如く、神に倣う者となれ」(エフェソ四ノ一)と教え、聖ペトロは「汝等召し給ひし聖なるものに象りて、凡ての行状に於いて汝等も又聖と成れ。」(ペトロ前書一の一五)と言っている。しかしこの命令を真剣に受け、全力で果たす人が何人あろう。ある特別に選ばれた霊魂は、この天父の思し召しを心に浸み徹らせ、使徒の「けだし、神は予知し給える人々を御子の状(すがた)に...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第三章幼きイエズスの道一、子羊の潔白

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