chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
国会図書館の本を読みやすく https://blog.goo.ne.jp/ichtus

国会図書館デジタルで公開されている本を、手入力しています。誤字脱字などの、ご指摘頂ければ嬉しいです。

yui
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/10/03

arrow_drop_down
  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章 ささやかな犠牲の道 四、日々の十字架

    四、日々の十字架イエズスはただ「人若し我に従わんと欲さば己を棄つべし。」とのたまうたのではなかった。彼はその後に、「日々己が十字架を取りて擔え(になえ)。」と付け加え給うた。己を棄てるとは自愛心より分かれる事で、十字架を擔うとはそれ以上の事である。苦業を抱擁し、贖罪のために苦しみを愛し、十字架に釘付けられ給いしイエズスに一致して、己の愛を証し、我等の過失を償う事である。神子の苦難の玄義の中に導かれる霊魂でなければ、誠に聖なる者とは言われない。この点についても、アンヌはイエズスに、特に寵愛されたわけである。彼女の十字架への愛は、との年齢に比して驚くほど強かった。内心に懐くばかりでなく、外にもそれが表われた。家庭教師は「アンヌは簡単な十字架のしるしをするにしても、その様子は決して忘れられない。簡単な中にも深い確信を...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章ささやかな犠牲の道四、日々の十字架

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章 ささやかな犠牲の道 三、戦いと勝利

    三、戦いと勝利何事も努力なしに、なし得る事はないが、この感ずべき子供の、絶えざる内的奮闘に、並ぶ物はちょっと見当たらない。凡庸の霊魂ならば負けてしまうところの小さな戦いに、彼女が打ち勝つ有様は実によい教訓、模範である。或る日アンヌは家族と一緒に知り合いの家に遊びに行く事になっていた。そこには沢山子供達が集まっていて、彼女等が加わるのを待ち受けているのであった。万時不足なく整って、子供等はどんなに面白い事があるかと胸を高鳴らして楽しんでいた。申し分ない日和、そのうえ稀有なご馳走が快楽の一日の終りを結ぶ筈であった。ところが生憎な事には、ジャックが具合悪くなり、一室の中に閉じ込められねばならず、この辛い失望を慰め、留守の間の相手として情け深い看護人が必要であった。アンヌの一人の友達がそれを申し出たが、アンヌはその子供...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章ささやかな犠牲の道三、戦いと勝利

  • ベツレヘムよりカルワリオへ(ファイル修正)

    PDFのファイルを修正してアップロードしました。P.26私の地(誤)→私の血(正)ごめんなさい。ベツレヘムよりカルワリオへ(ファイル修正)

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章 ささやかな犠牲の道 二、克己の道

    二、克己の道己に克とう(かとう)という熱烈な決意が、彼女の内的生命に新しい奮発心を起こし、普通聖徳に進む道に塞ぐ障害を越えさせた。絶えず進歩したいと願う者は、いつも己を捨てねばならぬ。アンヌはこの真理を悟り、それに依って生き、神の為に己を捨てる機会を一度として捕り逃した事がない。しかし今ここで法外な償い、または激しい過度の苦業を想像してはいけない。このようなものには多くの場合注意を怠ると、傲慢が姿をやつしているのである。また、自分の身に我意によって害を加える事は、第五戒によって禁じられている。最初完徳に志す者は、熱誠のあまり、この誤りに陥りがちで、大満足のうちに底知れぬ淵に深く落ち込んでしまうのである。或る修道者が指導者の許可に満足せず、気ままに身を打擲(ちょうちゃく)した。許可の度数を超過すると、不思議な聲が...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章ささやかな犠牲の道二、克己の道

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第二章 ささやかな犠牲の道 一、戦闘準備-2

    けれど、どんなに義務的観念が強かろうとも、意思が定まらぬうちは結果はない。最善を悟るまでは行いは見合わせた。この子供の生涯を知れば知るほど、私どもはアンヌの意思の強硬な事と、実行に不屈な事を感じる。一九二一年の四月の黙想の時、アンヌは「私は幼いイエズスに倣いたい」と書いている。彼女はしなければならないとか、望むと言ったのではない。堅い決心を示したのである。「幼きイエズスの範(てほん)に倣うために、一日の終りに勝利の数を勘定する決心を立てる。もし時が長すぎると思われたら(それを我慢する)努力を神に捧げる」と。意味が良く言い表せていないが想像に難くはない。―このような手段で義務を果たす努力をしよう。弛まず飽きる事なく続ける事はなかなか難しい。その時間がいかにも長く感じられる。他の子供達に交じって何もかも忘れ、笑った...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章ささやかな犠牲の道一、戦闘準備-2

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第二章 ささやかな犠牲の道 一、戦闘準備

    霊的生活において、意思は大なる力である。もし聖寵が忠実なる意思と合わされたならば、それはそこに愛がある故で、神に向かって私どもの奮発心の梃(てこ)となるのである。しかし意思は盲目的な力である。故に愛が意思を活動させるには、真理がそれを照らさねばならぬ。愛の最初の望みは見るという事である。また最も熱心な霊魂は、みな自分の義務の何たる家を悟る事を、第一の関心事とするのである。店主の最も聖き聖旨を知る事は、アンヌの何よりの懸念であった。然り(しかり)彼女はキリスト教的の完全な教育を受けた。人の言葉を聞き分けるようになると、直ちに母は、彼女に神の言葉を教えたのである。母は毎日子供等に福音の一節、聖人伝中の寓話を読み聞かせ、年齢相当の短い教訓を与え、それからどうしてその模範に倣うべきかを指し示し導いた。このように生きた信...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章ささやかな犠牲の道一、戦闘準備

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 第二章 ささやかな犠牲の道

    初聖体はアンヌの一生涯中の大事件であった。アンヌが願うまでもなく、聖主はこの清い霊魂に特別の祝福を与え、既によほど進歩している諸徳に、なお驚くべき強い衝動を加え給うた。私どもはアンヌが短い生涯中に、聖徳の域に就いての感嘆すべき理想を抱き、またそれに到達した事を見るのである。外見からは子供等の中で最も単純な可愛らしい子供であった。控えめで、淑やかで、割り竹のような透明とも言うべき率直さを持ち、忠実で寛大で、どんな小さな務めにも、遊びにも、つまらない仕事にも、また家族の者に対して親切を尽くすにも、彼女は全力をもって一生懸命にやっているのを見るのである。彼女のする事は一つとして、特にいい立てる程の事ではなかった。ただ、年柄に相当した事を行っていただけである。しかし神は彼女の心中に、驚嘆すべき働きをなし給うた。彼女の無...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第二章ささやかな犠牲の道

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩 四、初聖体-2

    完全な注意と明らかな智恵もって、その時の考えや決心はどんなものであったろうか、神と彼女との間の秘密であるが、その霊魂がイエズスの愛に燃え立つあまりの熱心から、幾分を洞察する事は難しくない。この黙想の間もその後も、絶え間なく服従しようと努力しているのが、明らかに見られた。黙想の指導司祭は〔従順が子供等の聖職である。〕ということを繰り返しさとして、服従されたイエズスがネネットに与えられた模範であると教えた。そのときから彼女は救い主に倣おうと決心し、まれに見る完全さで、のちにはついに聖主を己のなかに、再現させうるようになったのであった。とうとう小さい天使は、待ち遠しい初聖体の日を喜び迎える事になった。アンヌの聖体拝領の準備を手伝っていた母の思い出を聞くと、「前日アンヌは歓喜に顔が照り輝くように見えていたが、夜になると...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩四、初聖体-2

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩 四、初聖体

    四、初聖体初聖体が彼女の内的生活に、また等しく大なる奮発心の原動力となった。初聖体の準備の充、不充分、初聖体前の遠い準備は、人の生涯の分岐点であるといっても過言ではない。子供がいよいよ初聖体の年頃になったというので教師の所や、教会の公教要理の組に連れてきて、責任を果たしたように思う両親があるが、子供の心は、その頃にはもはや、ある程度まで固まっているので、ほぼ何物にか執着心があり、先入主のあるところには急速に、全然異なる霊的、超性的思想が入る余裕はない。まず先入主を駆逐せねばならず、超自然界への道を開くのは容易でない。しかも思う結果はなかなか得られない。このような子供は霊的の事柄には無知同様で、主祷文、天使祝詞こそ諳んじているが、天主に心をひらかれる事なく、聖主もただ目に映る画像に過ぎず、聖寵は影を潜めている。幼...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩四、初聖体

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩 三、最初の発心-2

    父の急死は彼女の心に、新しく愛の焔を燃え立たせる原因となり、その時から激励して善に邁進(まいしん)するため、アンヌは自ら感ずべき克己の道に就いた。そして絶えずその善い心構えを見せていた。大抵毎朝一人で起き、母を起こして「愛する父の為に」祈りを捧げる催促をした。父の逝去後、母の深い悲しみを心密かに感じていたので、その苦しみを見るにつけ、何とか慰めたいとと思い、母を慰めることにより、自ら善くなったのである。その著しい進歩の理由は只、神の意のごとく愛し始めたからである。アンヌは「母の苦しみが減じるよう」に祈り、小さな犠牲を捧げた。母に少しでも悲しみを与える事は避け、出来るだけ喜ばせようと心を遣い、徳をもって慰めようと努めた。小さな子供の心遣いは、次に示す彼女の言葉をもっても察せられるであろう。「愛するママ様、私達に出...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩三、最初の発心-2

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩 三、最初の発心

    三、最初の発心私共は生来の性質、気力、激情すら、聖寵の支配下にあって、自発的に改心を志せば、その霊魂が驚嘆すべき高さにまで導かれるのを見る。しかし、それを抑え導き、神に到らせるには「日々の戦い」が必要なのである。アンヌのようなか弱い子供が、大奮発して潔く戦う有様は素晴らしいものであつた。さて、いかなる発心の第一歩が踏み出されたであろうか。すべての聖人のように、アンヌもまた試練により鍛錬され、試練の中に育った。悲惨な打撃を受けた後、優しい父は天国で神の御胸に抱かれていると、説き聞かされてから、大いに信頼、希望を与えられて力付けられた。天国とは「この世で神に善く仕えた忠実な霊魂の住居で、そこで天主を見、天主は彼等を栄光と歓喜に浸らせ給い、最早天主を失う不安もなく、背き奉る悲しみもなしに愛し得るのである。」ということ...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩三、最初の発心

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩 二、幼き霊魂の戦場 2

    アンヌはまた少しも恐怖という事を知らなかった。一九一三年の春、二歳になるかならぬ時、動物園に二倍の年かさの従姉と共に連れて行かれた。ジラフ(giraffe=きりん、麒麟)を見た二人は、感極まって呆然としていたが、我に驚るこ急に後から従姉の身体を抱えて「さあ私が抱いていて上げますから撫でておやりなさい、」と姉顔に言った事もあった。生来の大胆さは時には度を過すほどで、しばしば燃え立つ熱心を抑制しなければならなかった。また、彼光の命令的な傾向を圧倒する必要があった。二人は大きな砂山で遊ぶことになった。痩せ型で神経質なアンヌは、じきにその頂上に馳せ上がって、先がけの功名を誇った。相手を同じく引き上げようとしたが、怖がって泣き出した。するとアンヌは、大威張りでその臆病な事を罵り、人が見付けてこの暴君の手から憐れな子を引き...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩二、幼き霊魂の戦場2

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩 二、幼き霊魂の戦場

    二、幼き霊魂の戦場、私共は世を去ると、救主の如く我等の父の御国に移されるのであると信じている。アンヌも幼心にこれをよく悟っていた。しかし今、この悲しみの極みに彼女は殉教者の血が、善き種子となって芽ぐむ事を知ってたであらうか。父の死はあまりにも酷く辛い。しかし父の死は事実彼女にとって大不幸であったが、また同時に大なるめぐみをもたらした。その理由は、この打響が彼女を全く変えてしまった。そしてアンヌの霊魂の真の改心の原因となったのであった。発心後、彼女は犠牲に向かって完全に突進するに到った。今まで見えなかった父の德を、全部受継いだに違いないと思われるのであった。生来彼女は真に豊かに、天主より恵まれていた。真直な忠実な霊魂、生き生きとした鋭敏な知恵、屈せぬ意志、勇気、機敏にして確実な決断力、微妙な感受性を持ち、はつらつ...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩二、幼き霊魂の戦場

  • ノートパソコンを修理しました。

    私は、パソコンがデスクトップとノートパソコンがあるんですけど、ノートパソコンのほうが新しくて性能が良いんです。でも、故障してしまいました。(;∀;)原因は本体部と液晶部のケーブルです。液晶の角度変えると、砂嵐になってしまいます。誤魔化して使っていたんだけど、どの角度でも映らなくなってしました。修理をお願いすると、1万~1.5万!中古で1万で買ったのに、保証が切れたらすぐ故障。ケーブルは海外から通販して、T8っていう星型のドライバーは近くのお店でゲットしました。1200円くらいで直りました。やったー!2時間掛かりました。でも、ネジが1個余ったの……??yuiノートパソコンを修理しました。

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩(3)

    やや苦痛が薄らぐと、ド、ギニエ中尉はまたしても戦線に戻る望みに騙られた。一九一五年五月三日は、いよいよ彼の最後の出陣の日で、家族に別れを告げた。虫の知せと俗にいうが、如何なる、予感を受けたのか、彼は斯(かか)る危険の中に在っては、死の遠からず来る事を宣告した。どんなに熱烈に彼は愛児等を我が胸に強く抱きしめた事であったろう。そして雄々しくフランスの為、その命を捧げんものと、家族を後にクールを発った。彼の戦死の訃報は、七月二十九日の午後九時頃クールの城にもたらされ、美しく楽しかつたこの古城は暗雲に閉された。覚悟の上とはいえ、国の為、正義の為とはいえ、四人の幼児を残して先立った夫の悲しい訃報は、どんなに痛ましく、ド、ギニエ夫人の心に響いた事であらう。夢であってほしい、誤報であってほしいと思わなかったであろうか。彼女も...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩(3)

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩(2)

    優しく慈み深い父、何時も愛する子供等に取り巻かれて、彼らの為には何物をも惜しまず尽くしていた、父の姿は最早見られなかった。また残された母は如何にも悲しげに不安げに見えた。健気なアンヌの心は、直ちに自ら慰め手となるの必要を自覚し、雄々しくも奮い立った。一九一四年の九月、即ち開戦後わずか一ヶ月以内に父は傷ついて帰宅した。戦の烈しさは、この短い月日に斯くも変わり果てた、彼一人の姿を見ても、察せられるのであった。ひざく痩せ衰え、疲労の極、面やつれいして見違える程であつたので喜び迎えたわずか四歳のアンヌも、弟のジョジョも、人違いして母の袖に堅くすがった。しかし間も無く、待ちわびた優しい壁を聞き、暖かい愛撫を受けると、初めて真に彼等の父である事が分かった。たちまちここにアンヌの心中に、善い性質が湧き起って來た。彼女は小看護...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩(2)

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章 生涯の第一歩

    第一章生涯の第一歩一、試練家の人たちにネネットと呼ばれていた、ジャンヌ、マリー、ヨゼ、アンヌ、ド、ギニエは一九一一年四月二十五日アンシイのクールに生まれた。幼時を過ごした此の古城は、フランスでも指折り数えられる風光麗しいアンシイ湖に臨んでいた。庭にはテラスがあってそこからは平らかな、真っ青な湖を囲む遠近の山々を、一望の下に楽しむ事が出来た。花に、緑に彩られた近くの丘は荘厳な遠景と対照して、変化ある風景に飽く事なき調和を見せている。自然は天主の光栄を賛美している。人の心を神に運ぶ!多くの聖人等はこの自然美の中より、超自然を偲び、万物を賜った創造主に対する愛の焔に燃え立った。アンヌ、ド、ギニエもまた偉大な聖フランシスコを始め、多くの聖人を生み出したサレジオの聖地に、美しくかよわく咲き出でた一輪の花であって、この自然...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第一章生涯の第一歩

  • 「ベツレヘムよりカルワリオへ」を読んで思う事

    当時=1925年(大正14年)訳者のテレジアさまは、何も書かれておりませんけど修道女だったと思います。発行者は、聖パウロ会とありますけど、テレジアさまはなにも書かれていません。今発行されている本は、訳された本でも、訳者がどちらの方か書かれていますけど国会図書館ライブラリの本は一修道女としか書いていない本もあります。修道生活って、体験したことがない私にはわかりません。日々、犠牲の御生活のなかで、貴重な時間の中で、本を訳され、昭和16年12月には訂正5版を出されています。非常に感謝に堪えません。天国にいらっしゃるテレジアさま……今回のテキスト化、なんて思ってくださるでしょうか。----------------------------------------------------------------------...「ベツレヘムよりカルワリオへ」を読んで思う事

  • ベツレヘムよりカルワリオへのPDF化

    ベツレヘムよりカルワリオへのPDF化を行いました。PDF化とアップロードは、今後のテキスト化にも対応するかは未定で、取り敢えず、今回は対応致しました。ということです。DL先へのリンクPDF化の前に、MS-Wordで文書校正を行いました。元の御本の著作権は消滅しております。けれども、イエズスさま、御母マリアさまへの愛、作者さまと訳者さまへの深い敬意を以って、お取り扱いくださいます様にお願い致します。なお、文書の校正を行ったPDFのアップロードにともないまして、今までブログにアップした文章は、後ほど削除させて頂きます。読んでくださる方へ感謝をこめて。yuiベツレヘムよりカルワリオへのPDF化

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 序

    **誤って削除してしまったので再掲します。愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)-----------------------------------------AnnedeGuine.1911-1922アンヌ・ド・ギニエマリア、セシリア編-----------------------------------------序文(訳)家族の者等からネネットと呼ばれていた、アンヌ、ド、ギニエは1911年4月25日、アンシイで生まれ、1922年1月14日、カンヌで永眠した。彼女の一生は至極短く、僅か12年に満たなかった。生前アンヌを親しく知る喜びを味わった人々が、アンヌが此の世を去った時、一斉に叫んだ感嘆詞は、次の一句であった。「これは真に聖人である。」と。実にアンヌは感ずべき幼児だ。次に記す言葉は、アンヌが幼な友達に与えた...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)序

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 序言

    アンヌ、ド、ギニエ序言不信心な現代、腐敗しきった社会に、多くの聖人方を生み出したことは、実に我が公教会の誉れである。私どもは一方各国民間に天主が否まれ給う、悲しい有様を見せつけられているが、一方このような清浄な信仰、天主への信頼、愛深い健気な心を以って超自然界の事柄を悟り得た霊魂の受けた、妙なる聖寵を想わずにはいられない。心の中に示された神秘、「王なる神の秘密」は秘め置くべき事柄であるのいん、時に熱心のあまり、或いは幾分の無分別から言い立てられる事がある。しかし聖主は、「光は桝の下に置くべきでない。」(マルコのよる福音書第4章21節)と仰せられたので、光は困難不幸に当たって家の中、即ち心の中を照らし、暖め、私どもを慰むべきである。私はこの幼児の生涯が、天主への奉仕への道を容易に教え、天国への道筋を明らかに示すも...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)序言

  • 愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝) 序

    愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)-----------------------------------------AnnedeGuine.1911-1922アンヌ・ド・ギニエマリア、セシリア編-----------------------------------------序文(訳)家族の者等からネネットと呼ばれていた、アンヌ、ド、ギニエは1911年4月25日、アンシイで生まれ、1922年1月14日、カンヌで永眠した。彼女の一生は至極短く、僅か12年に満たなかった。生前アンヌを親しく知る喜びを味わった人々が、アンヌが此の世を去った時、一斉に叫んだ感嘆詞は、次の一句であった。「これは真に聖人である。」と。実にアンヌは感ずべき幼児だ。次に記す言葉は、アンヌが幼な友達に与えた忠言である。「もし働く勇気がない時、仕事が...愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)序

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 71 御昇天

    71御昇天「祝しつつ彼等を離れて、天に上げられ給ひぬ」(ルカ聖福音書第24章51節)祈願復活り給いしイエズス、天国の福楽を望む惠を下し給え。復活された聖主は四十日間此の世に在して、或いは聖母に、或いは聖い女達に、或いは一人二人の使徒に、或いは使徒や弟子が多く集まって居る所に現れ、復活された事と、どんなに愛して居られるかと云う證を絶えず与えて居られました。此の頃の救世主の愛と謙遜の御徳は、前よりも一人現れて見えました。弟子達からも見捨てられ、裏切られたあの御死亡の後、又更に愛の證を新たにせられるのでした。イエズス様は選ばれた人々の信仰が堅固になり、愛徳が完全になる為、お手放しにならないのです。まがう方なく前と一つイエズス様でいらっしゃる事は、釘跡や槍の傷跡が語って居ます。聖心は誰の為にも開かれて居ます。私の罪の為...ベツレヘムよりカルワリオへ71御昇天

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 70 アレルヤ

    70アレルヤ「復活し給えり」(マテオ聖福音書第28章6節)祈願聖主イエズス、御約束に対して厚き信仰を持たしめ給え。翌朝は未明からイエズス様の御母の住居には人かげが行き来して居ました。マグダレナと他の聖い女達が御主の御墓へ貴い香料を持って行く支度をして居たのでした。が、やがて跪いて御母の祝福を頂いて出て行きました。その後でマリア様はただ一人祈りに心を奪われて居られました。信仰には少しの揺るぎもなく、今まで通り堅固なものでしたが、流石に御心は悲しみに閉ざされて居られました。マリア様にとってはイエズス様と離れられるという事は、非常なお苦しみです。「どうぞイエズス、帰って来て下さい。私の大好きなイエズス帰っていらっしゃい。どうしてこんなに遅いのですか」と優しく祈っておいでになる時、頬には涙が静かに伝わって居ます。嘆きに...ベツレヘムよりカルワリオへ70アレルヤ

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 69 悲しみの聖母

    69悲しみの聖母「路往く者共よ。止まりて身よ。我が悲しみの如き悲しみのまたあるやを。」(哀歌詞第1章12節)祈願聖母マリア、我に同情の心を起こさしめ聖き御悲しみを分かち給え。子に先立たれた御母が、御墓から立ち去られるところです。聖ヨハネとマグダレナマリアは両脇から優しく労わって居ます。家へ帰られえるには、もう一度カルワリオを通らなければならないのでしたが、それはマリア様にとっては非常に辛い事でした。十字架の立って居るところへ着かれた時、マリア様は跪いて血の跡のある木に接吻し、十字架の道を再び歩んで、罪深い町の方へと下られましたが、新たな悲しみに御心は裂けんばかりでした。疲れ果ててしほしほとされた御姿は新たに寡婦となられた如く、御頭からは被衣を深く垂れて、泣き崩れた御顔は悲しみに青ざめて、心ない道往く人も流石に同...ベツレヘムよりカルワリオへ69悲しみの聖母

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 68 十字架上より御亡骸を取り下す

    68十字架上より御亡骸を取り下す「ヨゼフ布を買ひて、イエズスを下して其布に包み、岩に鑿りたる墓に納め、其墓の入口に石を転ばし置けり」(マルコ聖福音書第15章46節)祈願聖主イエズス、拝礼して、聖主が十字架に依りて世を贖い奉りしを賛美し奉る。闇は過ぎ去りました。まん丸い太陽は紫の地平線上に沈みかかって、十字架の周りに悲しみ嘆いている人々の上に斜めの赤い暖かな光線を投げて、小鳥は楽しげに夕の調べをさえずっています。粗末な木の十字架に息絶えた聖主の御亡骸が白っぽくかかっているのを、マリア様は打ち仰いで居られます。そこへ一人のローマ兵が来て、槍でイエズス様の聖心を貫いたので、血と水が流れ出ました。こうしてお亡骸までが無礼な取り扱いを受けられたのを見ては苦しみと悲しみに疲れ果てたマリア様の聖心ころ痛ましく刳ぐられたのでし...ベツレヘムよりカルワリオへ68十字架上より御亡骸を取り下す

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 67 十字架上の御死去

    67十字架上の御死去「髑髏(カルヴァリオ)と云へる處に至りて、イエズスを十字架に釘け、彼強盗をも、一人は右に、一人は左に、磔にしたり」(ルカ聖福音書第23章33節)祈願十字架の下に立たれし、殉教者の元后、我の為に祈り給え。長い十字架の道は終わって、イエズス様は遂にカルワリオにお着きになりました。マリア様も其処に居られます。獣にも等しい死刑執行者が、御衣を荒々しく剥ぎ取って、イエズス様を十字架上に投げたのを、マリア様はまのあたりに御覧になられました。お手やおみ足に釘を差し込み、苦痛に戦いて居るのも見られました。けれども、イエズス様の御顔には少しの変りもなく、平和が湛えられ、お目は天をみつめて居られましたが、槌の一打ち一打ちはいずれも御母の聖心に反響したのでした。イエズス様の横たわって居られる十字架は、地から起こさ...ベツレヘムよりカルワリオへ67十字架上の御死去

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 66 イエズス聖母に会い給う

    66イエズス聖母に会い給う「悲しみは我を壓(あつ)し面は涙に腫れ瞼に重く垂れて、心を沈めて」(聖母マリアの七の悲しみの祝日の夕の勤行の祈)深く深く愛してお出でになる御子の御苦難の間イエズス様の御母は何処にいらっしゃるのでしょうか。御子が苦難の盃に口をつけ、屈辱の盃を澱(おり)まで飲み干していらっしゃる時、何処にお出で遊ばすのでしょう。マリア様は救世主が最後の晩餐の大広間を出でられてから、聖い婦人達と一緒にマグダレナマリアの家へ帰られましたまま、御子が殺さるべき時の来る事をご存じであったので、そこで祈り続けて居られたのでした。ナザレトの村時代の平和な明け暮れに、イエズス様は御自身についての予言を遊ばして、来るべき御苦難についても、その恐ろしさが深く深くマリア様の御胸に刻まれる程、幾度か話された事でありましょうが、...ベツレヘムよりカルワリオへ66イエズス聖母に会い給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 65 イエズス カルワリオに行き給う

    65イエズスカルワリオに行き給う「斯てピラト、十字架に釘くる為にイエズスを彼等に付しければ、兵卒等之を取りて引出ししが、イエズス自ら十字架を負ひ、彼髑髏、ヘブレオ語にてゴルゴタと云へる處に出で給へり。」祈願我を愛するが為にカルワリオへと歩まれしイエズスよ、願わくはイエズスと共に生き共に苦しみ、共に死ぬを得せしめ給え。とうとうイエズス様は死刑の宣告をお受けになりました。未だ夜が明けはなれないのに群衆がピラトの邸の前に集まって居ます。青白い光の太陽が、雲の間に悶えていあmす。霙交じり驟雨がはあはらとかかると、付近の山からは身を切る様な風が吹き下して来ます。やがて天主の子は十字架を負って二人の盗賊の間に入って進んで来られました。死刑執行官は南側に附いてイエズス様に無礼を加える兵士を煽動して、想像し難い程の方法を尽して...ベツレヘムよりカルワリオへ65イエズスカルワリオに行き給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 64 茨の冠

    64茨の冠「是に於て兵卒等、イエズスを廰の中庭に引出だして、全隊を呼集め、イエズスに赤き袍を着せ、茨の冠を編みて冠らせ、ユデア人の王よ安かれ、と云ひて、禮し始め、尚葦もて其頭を撃ち、唾吐きかけ、跪きて拝し居たり。」(マルコ聖福音書第15章16節―19節)祈願深く愛し奉らんが為、聖主の御苦難をよく黙想せしめ給え。残酷な鞭の刑は終わりましたが、休まれる間も与えずに兵士達はイエズス様の役所の中庭に引き出し、隊全部を呼び集めました。イエズス様は真の天主を知らない兇暴極まる兵卒に取り囲まれて居られます。兵士等は聖主を腰掛けへお座らせし、乱暴にも御衣を剥ぎ取りましたので、お召しに附いていた鞭の傷跡は破れ肉が見える様になりました。古ぼけた紫の衣を傷ついた御肩に投げ掛け、御手に葦をお持たせしましたが、なお飽き足らず、此の嘲られ...ベツレヘムよりカルワリオへ64茨の冠

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 63 イエズス鞭うたれ給う

    63イエズス鞭うたれ給う「其時ピラトイエズスを捕へて之を鞭ち」(ヨハネ聖福音書第19章1節)祈願イエズス御苦難を忍ばん為、心に愛と痛悔の念を起こさせ給え。それは朝でした。イエズス様は再びピラトの前にお引き出されになりました。奉行所はイエズス様を死刑にせよというユダヤ人の叫び聲で雑踏を極めて居ます。やがて非道な判事は、イエズス様が無罪である事を知りながらも、人々の激憤を和らげる為、鞭打つように命じました。イエズス様は中央に一本の柱の立って居る外庭へ連れ出され、そこでローマの兵卒と雇い人の為すが儘にされ、云うが儘に御衣も脱ぎ捨て、両手で柱を握られました。すると、その御手を縛り、残酷な拷問が始まりました。その光景は見るに堪えられません。首を低く垂れ、下をむいて罪の無い肉体を打たれるのを待って居られる傍らに、天使達はど...ベツレヘムよりカルワリオへ63イエズス鞭うたれ給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 62 ペトロ、イエズスを否む

    62ペトロ、イエズスを否む「此時主回顧りて、ペトロを見給ひしかば」(ルカ聖福音書第22章61節)祈願心の限りを尽くして聖主を求め従い愛し奉らしめ給え。大司祭の家の中庭に、数人の僕が火を囲んでイエズス様の審問の頃を話し合って居る時、一人の人がおずおずして手をあぶりに仲間に入りました。その人は愁いに沈んで、顔には涙の跡さえ見えます。人々は訝しそうにじろじろ見ていましたが、やがて服装でそれがイエズス様の弟子の一人である事に気付きましたので「此の人もやはりイエズスと一緒に居る人だ」と云い合いました。ペトロは慌てて自分は少しも聖主を知らないと皆の云う事を打ち消しました。ああペトロペトロ、これがペトロの言葉でしょうか。これがイエズス様につき奉って、牢屋へ行き死を共にすると、自分より宣言した時の言葉の果てなのでしょうか。自身...ベツレヘムよりカルワリオへ62ペトロ、イエズスを否む

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 61 イエズスの謙遜

    61イエズスの謙遜「司祭長等と凡ての議員とは、イエズスを死に處せんとて、是に對する僞證を求め、是に於て下役等イエズスの御顔に唾し、拳にて打ち、或者は平手にて御顔を擲きて云ひけるは、キリストよ、汝を批てる者の誰なるかを我等に預言せよ、と」(マテオ聖福音書第26章59節、67節、68節)祈願天主よ、イエズスの謙遜なる御様子を偲ばせ給え。イエズス様は、アンナ、カイファ、ヘロデ、ピラトと裁判所から裁判所へとエルサレムの往来を残酷に引かれて行かれるので、おみ足は疲れ、酷い取扱いに御力は殆ど尽きました。御手は縛られ御首には縄を掛けられ、罪人の様に引かれ、傍には友人もなく、怒り狂った敵の群衆の中に只お一人防ぐ術さえも無い様にして居られます。カイファの会議室でイエズス様は忌まわしい数々の罪ある者として告訴おされになりました。偽...ベツレヘムよりカルワリオへ61イエズスの謙遜

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 60 イエズス捕らわれ給う

    60イエズス捕らわれ給う「イエズスを売りたる者、曾て彼等に合圖を與へて、我が接吻する所の人其なり」(マルコ聖福音書第14章44節)祈願イエズスよ、我が心に触れ、悲しみと痛悔の心を起こさせ給え。ゲッセマネの園でイエズス様が祈ってお出でになる時、武装した人々の踏む鳴らす足音と武器のすれ合う音に夜の寂寞は破られました。橄欖の木の節くれだった枝の間から松明が燃え、銀の様な木々の葉裏に、赤いちらちらする光を投げました。それは不徳義極まる計画を実行する為に大司祭からさし向けられた兵隊を連れて来たのです。ユダは聖主の方へと進んで来ました。やがてイエズスを死の手に渡す接吻をしました。イエズス様は少しも敵より逃げようとなさいませんが、「何しに来たのですか」と小聲でおっしゃって、優しいまなざしながらも責める様にユダの顔を御覧になり...ベツレヘムよりカルワリオへ60イエズス捕らわれ給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 59 ゲッセマネの園にての御苦悶

    59ゲッセマネの園にての御苦悶「然て出でて、例の如く橄欖山へ往き給ふに、弟子等も之に從ひしが」(ルカ聖福音書第22章39節)祈願悩みに沈まれる聖主、悲しみ奉る原因なる我が罪に対して真の痛悔の心を起こさせ給え。聖体御制定後、イエズスは書卓を離れ、弟子達を連れてオリベツト山の方へとお出でになりました。森々と夜は更けて、冴え渡る月光に聖主の御顔が悲しみに沈んで居られるのを使徒達は拝しました。ケドロンの早瀬を渡り、来馴れた橄欖山の方へ、ヨサファットの谷を通って聖主に従ってゆく道々、使徒達の心は来るべき別離の漠然とした予感に打たれて不安は胸に迫って来ました。山の一部が塀に囲まれてゲッセマネの園と云われて居ます。木々が濃く茂ってその中には一人静かに祈るのに適した洞窟や引っ込んだ陰が出来て居ます。その園の入口に来られた時、イ...ベツレヘムよりカルワリオへ59ゲッセマネの園にての御苦悶

  • 国会図書館の本がほとんどそのまま通販で

    このブログの目的は、以前にお話しさせて頂いた通りです。「ベツレヘムからカルワリオへ」は、58最後の晩餐まで進みました。71御昇天までもう少しです。この本のテキスト化終わりましたら、次回の選択をいましています。---------------------------------------------------------------------------------実は、国会図書館のデジタルライブラリーの画像をほとんどそのまま本として通販大手サイトで有料で販売されているのを見てしまいました。私は、自分の霊魂の為に、また、一人でも読んで頂ける方がいらっしゃればその方の為にも、もちろん、神様の御為にも少しでもこれを続けていこうと思います。--------------------------------------...国会図書館の本がほとんどそのまま通販で

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 58 最後の晩餐

    58最後の晩餐「一同晩餐しつつあるに、イエズス麪を取り、祝して之を擘き、弟子等に與へて曰ひけるは、汝等取りて食せよ、是我體なりと。又杯を取りて謝し、彼等に與へて曰ひけるは、汝等皆是より飲め。是罪を赦されんとて衆人の為に流さるべき、新約の我血なり。」(マテオ聖福音書第26章26節-28節)祈願聖主イエズス、割れをいかばかり深く愛し給うかを悟らんが為、心の目を開き給え。イエズスのお住居となすを得んが為、我が心を浄め給え。沈黙が町を支配して居ます。騒がしい祭りは終わって、さしもの人々も各々家へと帰してしまいました。辺の静けさは大広間に集まって居る人々に一層夜更けの寂寞を思わせます。弟子の足をお洗いになってから、イエズス様は再び食卓傍の真ん中の座へお着きになりました。十二人は自分達の為に新しい宴がまだ備えられてあろうと...ベツレヘムよりカルワリオへ58最後の晩餐

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 57 イエズス弟子達の足を洗い給う

    57イエズス弟子達の足を洗い給う「晩餐より起上りて上衣を脱ぎ、布片を取りて腰に帯び」(ヨハネ聖福音書第13章4節)祈願聖き教えを解し、それに従わん為心を照らし給え。過ぎ越しの儀式は終わりました。イエズスは律通りそれを行われる上、これから新約の犠牲即ち愛の犠牲を制定しようとして居られます。弟子達がこれまで受けたよりひとしお大いな愛の證を授けようとして居られるのです。近頃聖主が時折御自身の死をお話しになるので、十二人の心は打ち沈んで居ましたが、過ぎ越しの晩餐中の御言葉に依り、それの近づいた事をまたひしひしと感じました。気立ての優しいヨハネはふいにお別れをするようにでもなりはしないかとだんだん聖主の傍へと寄り沿って行きます。ペトロや他の弟子はこれまで自分達の信頼と力との鍵であった聖主の御顔を気遣かわしげに見守って居ま...ベツレヘムよりカルワリオへ57イエズス弟子達の足を洗い給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 56 最後の晩餐の大広間

    56最後の晩餐の大広間「イエズス、ペトロとヨハネとを遣はさんとして、汝等往きて、我等が食せん為、過越の備を為せ、と曰ひしかば……時至りて、イエズス十二使徒と共に食に就き給ひしが……」(ルカ聖福音書第22章8節、14節)祈願聖主イエズス、慕い奉る我を、御傍近く歩ませ給え。イエズス様が、敵の手にお渡されになる時が近づきました。ユダヤの風習に依ると、各々家族は過ぎ越しの祭りを行うため、年に一度定まった時期に、エルサレムへ集まるのでした。それでイエズス様も二人の弟子を町のユダヤの金持ちの家へお遣わしになり、祭りの用意をお云いつけになりました。多分それはニコデモの家で、遣わされた二人の弟子は、信仰の表徴であるペトロと、愛徳の表徴であるヨハネでした。それは夜の事でした。弟子達はイエズス様の御命令通りに支度を了えました。客間...ベツレヘムよりカルワリオへ56最後の晩餐の大広間

  • 聖ラファエラ・マリアの伝記

    聖心侍女修道会の創立者聖ラファエラ・マリアの小伝と伝記が公開されていて無料で読む事が出来ます。御存じのない方もいらっしゃると思いますので、ご紹介させていただきます。聖心侍女修道会日本管区から、入って頂きまして、小伝は、創立者をクリックしてご覧くださいませ。伝記は歴史をクリックして、聖心侍女修道会の歴史をご覧くださいませ。「いしずえ」という邦訳です。お忙しい中を、ブログにお越しくださいまして、ありがとうございます。yui聖ラファエラ・マリアの伝記

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 55 ホザンナ

    55ホザンナ「群衆夥しく己が衣服を道に敷き、或人々は樹の枝を伐りて道に敷きたり。先に立ち後に從へる群衆呼はりて、ダヴィドの裔にホザンナ。主の名によりて來るものは祝せられ給へ。最高き處までホザンナと云ひ居れり。」(マテオ聖福音書21章8節9節)祈願聖主イエズスを、群衆と共に、賛美し奉らん、願わくは我が望みよりも聖主の思し召しの世に行われんことを。イエズス様がエルサレムへ近づかれたと云う噂が、過ぎ越しの祭を行うために集まった人々の間に拡がりました群衆中にはイエズス様の伝道の御旅行に従って教えを聴き、奇蹟を目撃した人も多く居ます。偉い預言者が町の門にいらっしゃると聞いて、男も女も子供も手に手に棕櫚と橄欖の枝を持ち、お出迎えに参り、やがて緑の枝を地に敷きつつ、賑やかな凱旋の行列の様になってお連れして入りました。「ホザン...ベツレヘムよりカルワリオへ55ホザンナ

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 54 イエズス子驢馬に乗りエルサレムへ入り給う

    54イエズス子驢馬に乗りエルサレムへ入り給う「一行橄欖山の下にて、エルザレムとペッファゼとベタニアとに近づける時、イエズス二人の弟子を遣はし給ふとて、之に曰ひけるは、向の邑に往け、然て其處に入らば、直に未人の乗らざる小驢馬の繋がれたるに遭はん、其を解きて牽來れ……。斯て小驢馬をイエズスの許に牽來り、己が衣服を其上に被けしかば、イエズス之に乗り給へり。」(マルコ聖福音書第11章1節、2節、7節)祈願御教えをよく聞き、心静かに考えられるよ惠を下し給え。朝まだきに、イエズス様はラザルの家を出て弟子達と一緒にエルサレムへお向かいになりました。聖母はイエズス様が敵の遠くの居るエルサレムへ行かれるのを案じて居られました。ラザルとマルタとマリアも例え方のない不安に胸を曇らせながら、御姿が消えるまでお見送りして居りました。然し...ベツレヘムよりカルワリオへ54イエズス子驢馬に乗りエルサレムへ入り給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 53 ラザルの復活

    53ラザルの復活「斯く曰ひ終りて聲高く、ラザル出來れ、と呼はり給ひしに」(ヨハネ聖福音書第11章43節)祈願聖主イエズス、聖聲を耳さとく聞き取る事を得せしめ給え。イエズス様はラザルの亡骸のある洞窟の前に立っていらっしゃいます。その入り口には大きな石が戸の様に立てられて居ます。イエズス様はそれを取り除くようにとお命じになりました。ラザルは死んでもう四日目のでマルタは酷い様をお目に掛けまいと「もう悪臭を発して居りましょう」と申しましたがイエズス様は石をどけるようにとやさしく言い張られました。やがて石は傍へ動かされました。陰気な墓の中を考えると自分の死を思わずには居られません。自分はこれから先どれだけ生きるでしょう、死はあらゆる年齢の者を襲います、火災が俄かに起こったり、石が墜落したりして、その瞬間に命を取られるよう...ベツレヘムよりカルワリオへ53ラザルの復活

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 52 ラザルの死

    52ラザルの死「然れば彼が姉妹等、人をイエズスの御許に遣はし、主よ汝の愛し給ふ人病めり、と言はしめしに」(ヨハネ聖福音書第11章3節)祈願聖主イエズス、願わくは我が信仰を増し徳望を強め給え。一人の使者がイエズス様の方へ急いで行きます。それは、マルタとマリアから送られた者で「あなたの愛していらっしゃる者が病気でございます」と短い中に意味深い言葉を申し上げました。イエズス様がベタニアへ行こうとされるのを見て弟子達は狼狽しました。先ごろもユダヤ人が聖主に石を投げつけたのですから、もしまたそちらへお出でになったら死をお招きになるであろうと思い止まられる様におすすめいたしました。然しイエズス様はマルタやマリアやラザルを愛していらっしゃいます。三人とも親しい友故憂い悲しみの折決して見放しては置かれません。友達が病気の時や悲...ベツレヘムよりカルワリオへ52ラザルの死

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 51 二人の盲目

    51二人の盲目「折しも路傍に坐せる二人の瞽者、イエズスの過ぎ給ふを聞き、主よ、ダヴィドの裔よ、我等を憐み給へ、と叫びければ」(マテオ聖福音書20章30節)祈願聖主イエズス、溢るる御慈悲もて我を憐れ給え。ペリアの質朴な住民の間に交じって静かな人過ごしておられるイエズス様は村から村へと悲しむ人を慰めたり病人を癒したり、愚かな者を教えたり道に戯れて居る子供を祝福したりして歩いておいでになります。ある日此の隠里を去ってエリコへお出でになったので、大勢の群衆がお供をいたしました。町を出外れたところの路傍に二人の盲目が物乞いをしえ座って居りました。二人は群衆の足音と話聲を聞きイエズスという御名が耳に入りました。そしてそこを通って行かれるのがイエズス様である事を知りますと直ぐに二人は「ああ主よ、ダビッドの御子、お憐れみ下さい...ベツレヘムよりカルワリオへ51二人の盲目

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 50 幕屋の祭

    50幕屋の祭「斯て祭日の半に、イエズス[神]殿に上りて教へ給ひければ」(ヨハネ聖福音書第7章14節)祈願聖主イエズス、なおも深く主の御事を知り熱心に愛し奉らんが為我が心を照らし給え。イスラエルの民が沙漠をさまよった記念に、幕屋の祭が行われているのでエルサレムの道には所せきまでに木の枝を編んでなよやかに作ったテントが出来て居ます。イエズスの御名は人々の口に上り奇蹟は諸方で噂されて居ります。ガリラヤの隊商はイエズス様が今到着なさるか今到着なさるかと見ていますが、ユダヤ人はイエズス様に対して怒りを抱いて居るので群衆の中でイエズス様を信じている者さえも自分の思っている事を発表するのを怖れて居ます。イエズス様が神殿に出られた時人々の感激は高潮に達しました、主の御足の下に跪いて近頃日毎に厳かになって益々神聖な意義を増して来...ベツレヘムよりカルワリオへ50幕屋の祭

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 49 マルタとマリア

    49マルタとマリア「斯て皆往きけるに、イエズス或村に入り給ひしを、マルタと名くる女自宅にて接待せり」(ルカ聖福音書第10章38節)祈願聖主、傍ら近く置きて聖き教えを聞かしめ給え。イエズス様は弟子達とベツサイダの町の方へと歩いて行かれます。そこはエルサレムの町の門に近いのですが茂った木々に深く囲まれて居る為都塵を離れ、東屋の中にでも居る様な閑静な気分のところです。イエズス様は親しいラザルとマルタとマリア・マグダレナの住居がある為に此処を特別お好きでエルサレムへよくお出掛けの頃お住まいになったのも此処ですし、ファリサイ人と会っていやな思いをされた後など愛情深い人々の傍で、おくつろぎになったのも此処でした。聖主のお出でに姉妹は喜んで居ます、家の頭であるマルタは御饗応(もてなし)に心を配り、御挨拶がすむと直ぐにイエズス...ベツレヘムよりカルワリオへ49マルタとマリア

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 48 タボル山

    48タボル山「六日の後イエズス、ペトロヤコボヨハネのみを別に從へて、高き山に導き給ひしに、彼等の前にて御容變り」(マルコ聖福音書第9章2節)祈願聖主よ、願はくは聖主の事を深く知りひとしお深く愛し奉らんが為我が心を照らし給え。花の咲き満ちたエスドレロンの野辺に孤り泰然と聳えている山があります。その斜面は緑深い木々で覆われ、此処彼処には天をつくような樫の大木が聳え立って居ます、その頂から見下ろすとイエズス様が教えを伝えられた地方全体が地図の様に一目に足元に拡がって見えます。ナザレト、カナ、カファルナウム、紺碧のゲレサレト湖を囲む町や村々、少し離れてナイム、そして続いて遥かに広がっているサマリアの平原、雄大な杉と白い頂を見せて居るレバノン山、黒ずんだ赤味を帯びているゲルガサ連山、此の美しい景色の中を銀糸の様な川が右に...ベツレヘムよりカルワリオへ48タボル山

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 47 イエズス 海上を歩み給う

    47イエズス海上を歩み給う「斯て約四五十町も漕出したる時、人々イエズスの水の上を歩みて船に近づき給ふを見て怖れしが」(ヨハネ聖福音書第6章19節)祈願天主よ、信望愛の徳を増させ給え。常はさしも静かな湖の水も今宵は暗黒に怒り狂って居ます。鋭い烈風は山から吹き下ろし、暗澹たる雲は忽ち空に広がって銀色の月の光さえ朧となりました。ゲネサレト湖を過ぎると殆ど半ばのところで一艘の舟が烈しい水に弄ばれて居ます。それにはイエズス様の弟子達ばかりが乗って居ます。全力を尽くして漕いでいますがこの烈しい暴風の中を打ち切る事は出来ません。此の時俄かに暗の中に一つの輝いた姿が、あたかも地上を歩む様にして来るのが見えました。それは聖主でした。然しあまり慌てて危険に心を奪われてしまって居た弟子共は見慣れた御姿をも認める事が出来ず、幽霊が近づ...ベツレヘムよりカルワリオへ47イエズス海上を歩み給う

  • 図書館の本のコピーと著作権

    これについては、本などをコピーすることは違法か~著作権(知的財産権)の話~図書館で借りた本をコピーしても良い?「図書館とコピーの(実は)複雑な関係~スマホで撮っちゃダメですか?~」を参考になさってくださいね。実は、面白いサービスが始まっています。みる会図書館徳島館自宅で図書館に行かなくて自由に読めるサービスが出来ると良いですね。国立国会図書館がデジタル化した資料のうち、絶版等の理由で入手が困難な資料を全国の公共図書館、大学図書館等の館内で利用できるサービスが行われていますが、個人宅で見れるようになったら、すごくうれしいです。公共図書館では、見れる時間に制限があるので。yui図書館の本のコピーと著作権

  • 紙の本の行方

    本はこれから、どうなっていくのでしょう。本は、出版されてしばらくして絶版になってしまいます。市町村の図書館も財政難のおり、新しく本を買うのはなかなか出来ません。前にも書きましたけど中古に出されている本は、時に販売時の10倍以上の値段がついています。他の言語圏では、PDFや音声ファイルで豊富にウェブにアップされています。(その国の著作権の問題はわかりませんけど。)日本語OCRは、識字率の問題がありますが、コンピューターの高速化や量子コンピューター、自動学習などで解決されると良いのですけど。諸外国の本が、日本語訳されて、安価に提供されることを願います。また、出版社の倒産等で絶版の本は、訳者が許可をだされて、ウェブに出さすのを許可を戴けたら思う事もあります。(一部そういう事例を見ました)出版社があっても、再販予定のな...紙の本の行方

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 46 イエズス 五千人に食物を与え給う

    46イエズス五千人に食物を与え給う「イエズス五の麪と二の魚とを取り、天を仰ぎて之を祝し、擘きて弟子等に分ち、群衆の前に置かしめ給ひしかば(ルカ聖福音書第9章16節)祈願精霊光を下しこの聖き厳かなる光景に含まれる意義を悟らしめ給え。日は早西に傾て居ますが熱心な聴衆は一向それに気づきません。太陽の斜めの光は海上に深紅の映(うつろい)を落として居ます。夕風は母親の腕にすやすやと寝入ってしまった子供たちの頬を撫でて居ます。同情深いイエズス様はそのまま人々を帰すにはお忍びませんでした。食事をしないで帰っては道で歩めなくなる者もあると思われて、弟子達を省み、フィリッポに「此の人々に食事をさせる為何処からパンを買いましょう」とおっしゃいました。フィリッポは何時ものように高尚な黙想をしていて、心が奪われて居りましたので、率直に...ベツレヘムよりカルワリオへ46イエズス五千人に食物を与え給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 45 夥しき群衆イエズスに従う

    45夥しき群衆イエズスに従う「病める人々に為し給へる奇蹟を見て、群衆夥しく從ひければ」(ヨハネ聖福音書第6章2節)祈願聖主、心を散らさず御有様を熱心に偲ばせ給え。ゲネサレト湖の東岸に連なる地が目の前に開けて居ます。緩やかな傾斜をして長く続いて居る山々のやや平坦な頂は緑の色濃く、羊番の小屋はあちらこちらに散在して、青草の傾斜にはのんきな羊の群れが白い斑を作りながら草を喰んでいます。羊の付けて居る鈴の音や山麓のささやかな漁村で網を乾かしている漁夫の聲が時折辺りの静けさを破るのみで、もののすべては平和な沈黙を守って居ます。折しも一艘の小舟が矢のように湖を帆かけて来ます。イエズス様と弟子達が人気少ない此の高原へ暫く憩いにお出でになるところなのです。敵は日毎に数を増しイエズス様を殺そうと謀る者さえ出て来ました。教えを説き...ベツレヘムよりカルワリオへ45夥しき群衆イエズスに従う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 44 ベツサイダの池

    44ベツサイダの池「然てエルザレムには、羊門の傍に、ヘブレオ語にてベテスダと云へる池あり、之に付属せる五の廊ありて」(ヨハネ聖福音書第5章2節)祈願聖主よ、御跡を何処になりとも慕い聖き御教えを聞かしめ給え。エルサレムが目に浮かびます。白い平屋根に夕陽の光が照り映えて聳え立つ神殿の丸い塔を金色に輝かして居ます。町を囲む十二の門の一つに泉がありますが、その水は病を癒す質を含んでいます。水を讃えて居るその丸い池の周囲には柱のある回廊がめぐらされています。水際まで険しい階段があります。そして回廊には病人が群れをなして居ます。跛(びっこ)、盲目、膝行(いざり)などが「主の使い」が天降って池の水を波立たせるのを待っています。池の水が動揺した時真っ先に池の中へ飛び込んだ者はどんな病も癒されるのです。これは昔からの聖い書を書く...ベツレヘムよりカルワリオへ44ベツサイダの池

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 43 イエズスご使徒

    43イエズスご使徒「其後イエズス、説教し且神の國の福音を宣べつつ、町々村々を巡廻し給ひければ、十二使徒之に伴ひ」(ルカ聖福音書第8章1節)祈願聖主の御跡に従い御一生の中に秘められたる美しき徳を悟を得せしめ給え。選ばれた人々に取り囲まれて居られるイエズス様を拝せば、十二人の使途がみな聖主をお愛ししていることがわかります。各々心は純良なのですがまだまだ行為は乱暴で至らぬところが沢山あります。イエズス様が天主でいらっしゃる事も十分解らず時折思慮のないあてはまらない質問を出して聖主を困らせます。欠点は多く、勇気は足りないのに間違った処で熱心の度を過ごしたり、イエズス様の御言葉さえ解し得なかったりしますが聖主はそれを忍耐強く耐え忍ばれました。優しく幾度も幾度も繰り返して言葉の意味を説き聞かせたり上手に欠点を咎めたりなされ...ベツレヘムよりカルワリオへ43イエズスご使徒

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 42 12人の使徒

    4212人の使徒「神の國の事を宣べ(ん)……為に遣はさんとして」(ルカ聖福音書第9章2節)祈願イエズス、聖き、御教え悟らしめ給え。聖主がお選びになった12人の使徒達の事を一人一人考えると、各々が表している表象で彩られた使徒の生涯が絵巻物の様に眼前に繰り広げられます。ペトロの事がまず第一に目に浮かびます、物事に熱しやすい質朴な漁師--やがてローマの町それに続いて頭を下にして十字架に釘付けられた殉教の姿--鍵の一束がペトロの表象であります。アンデレアも漁師で無口な柔和な人、多くの土地に福音を説き、やがて十字架を喜んで握った姿が目に浮かびます、釘づけられず只縛られてかけられ、太陽が二度沈む間苦悶を続けました。その表象はⅩ形の十字架であります。ゼベタイの子のヤコボ、此の人も漁師、十二人の中で魁に命を捧げました。首を斬ら...ベツレヘムよりカルワリオへ4212人の使徒

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 41 使途の選定

    41使途の選定「イエズス己が十二の弟子を召集め、是に汚鬼等を逐払ひ、諸の病、諸の患を醫す権能を賜ひしが」(マテオ聖福音書第10章1節)イエズス様は一夜を只一人ベッサイダの町から程遠くない所で過ごされました。一睡もなさらずこれから設立しようとして居られる教会の為に熱心にお祈りになりました。これ迄はイエズス様を信じた人々がお跡を慕って、行かれる所々へお供をして居ましたが、今イエズス様はその弟子の中から十二人を選んで聖会の礎となさるのです。夜明けごろイエズス様は町へ出ていらっしゃいました。そしてお選びになった十二人を呼び集め、前夜をお過ごしになった「寂しい場所」へ連れて行かれました。橄欖の森や葡萄畑の間を山の方へと畝って居る岩道を弟子よりも少し先に立って登っていらっしゃるイエズス様は優しい中にも真面目なお顔つきで深い...ベツレヘムよりカルワリオへ41使途の選定

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 40 ヤイロの娘

    40ヤイロの娘「會堂の司の一人なる、ヤイロと云へる者出來り、イエズスを見るや、足下に平伏して」(マルコ聖福音書第5章22節)イエズス様が岸に上がられたばかりのところへ会堂の司の一人である、ヤイロという者が御足許にひれ伏して死の迫っている娘を、いらっしゃってお癒し下さいと、嘆願いたしました、そこでイエズス様は、その人と一緒にいらっしゃったので多くの群衆が従って参りました。ヤイロの家に着かれない中に使いが来て「娘は、もはやこと切れました、何故主をお煩わせするのですか」と悲しんでいる父に囁きました。聖主はこの言葉を聞かれるとヤイロの方をじっと見守って「案じる事はありません、只お信じなさい」と励まされました、悲しみの中にも微かな光明をもって父は震えながら聖主について参りました。家に近づきますと楽の音と泣く聲が漏れて来ま...ベツレヘムよりカルワリオへ40ヤイロの娘

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 39 イエズス 暴風を鎮め給う

    39イエズス暴風を鎮め給う「斯て渡る間にイエズス眠り給ひしが、暴風湖に吹下し來り、水舟に充ちて危かりければ」(ルカ聖福音書第8章23節)祈願聖主よ、我が信仰を強め給え。紺碧に澄んだゲネサレト湖の岸で、イエズス様は教えを伝えていらっしゃいましたが日も早西に傾いたので暮れきれない間にと、熱心な聴衆をやっとお帰らせになりました。やがて御自身は疲れた御身を小舟に横たえ向こう岸に横切るようにと、お命じになったまま深い眠りについておしまいなりました。片手を枕に御顔を大空に向けてすやすやと例え方もない、平和を湛えて眠ってお出でになります、そののどけさこどは聖父なる天主と、常に合致してお出でになるとところからくるものであって、寝ても覚めてもイエズス様を離れないものでした。御弟子たちは時折なつかしそうに主の方を見ます。帆を孕ませ...ベツレヘムよりカルワリオへ39イエズス暴風を鎮め給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 38 イエズスの御慈愛

    38イエズスの御慈愛「イエズス彼等に曰ひけるは、孩兒等を容せ、其我に來るを禁ずること勿れ」(マテオ聖福音書第19章14節)祈願愛すべきイエズス、心を捧げ奉る、願わくは聖寵をもて満たし給え。人間となられたイエズス様の御容姿は伝わって居ません。只、御容貌について知れて居るのは「人の子の中で最も美しくいらっしゃる」と云う事に過ぎません。然し普通の人間でも霊魂の美は自ずから顔に現れ、心の気高さ、生活の聖さは、平凡な容姿にも例え方ない上品さを添えるものであるならば、イエズス様のお顔の美しさは、どんなでありましょう。威厳と慈愛の融け合った御まなざし、眼は「霊魂の窓」とさえ云うからには、どんなであったでしょう。御顔全体は愛の光に輝いて居る事でしょう。霊魂に対する愛、罪人に対する愛、苦しむものに対する御憐れみ、あらゆる人に対し...ベツレヘムよりカルワリオへ38イエズスの御慈愛

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 37 ナイムの寡婦

    37ナイムの寡婦「町の門に近づき給ふ時、折しも舁出さるる死人あり。是は其母の獨子にて、母は寡婦なり」(ルカ聖福音書第7章12節)祈祷イエズス、聖き俤(おもかげ)を慕い奉る何処へなりとも従わせ給え。タボール山麓のナイムと云う街が私の眼前に展(ひら)けて居ます。ナイムのいうのは美という意味ですが、その名に背かず美しい風景です。イエズス様は今この小さい町の門の一方から入ろうとして居られます。ちょうどその時でした。葬式の行列が現れ路を静かに下って来ました。イエズス様は路傍(みちばた)に避け死人を敬う為に、御頭の蔽いをお取りになったので後ろに従って居た群衆は急に黙して南側に別れました。静かに悲しみに満ちている行列は進んで参ります。その国の習慣上葬式に雇われて泣く者共が後ろに続く楽の音も消すばかりに悲しい聲を立てています。...ベツレヘムよりカルワリオへ37ナイムの寡婦

  • 被害の少ないことをお祈りいたします

    台風等の被害等により、ブログの更新が滞る場合がございます。どちら様におかれましても、御無事を、被害の少ないことを、お祈りいたします。yui被害の少ないことをお祈りいたします

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 36 王官の子と百夫長の僕

    36王官の子と百夫長の僕「然るに二日の後、イエズス其處を出でてガリレアに往き給へり。」(ヨハネ聖福音書4章43節)祈願イエズス、我が心へ囁き給いて命令に服従する恵みを下し給え。イエズス様がガリラヤに帰られたる折は凱旋の行列の様でした。エルサレムで行いになった事の評判で人々はこの預言者に対して熱狂しました。異教徒のローマ人さえイエズス様の奇蹟の事を聞きその心の信仰のほのめきを感じました。カナとカファルナウムの間の街道を一人のローマの役人が急いで来ます。その人は今息子が死に臨んで居るのでイエズス様の事を聞き伝え、命をとりとめて戴けるかと探して居るのです。カナの村にイエズス様を見つけ当てたのでその人は喜ぶ胸を跳(おど)らせて、直にお出でになって息子をおなおし下さい」と息せき切って申しました。ところが常の御同情深い聖主...ベツレヘムよりカルワリオへ36王官の子と百夫長の僕

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 35 サマリアの女

    35サマリアの女「爰にサマリアの一人の婦、水汲みに來りしかば、イエズス之に向ひて、我に飲ませよ、と曰へり。」(ヨハネ聖福音書第4章7節)祈願イエズス様、聖し教えを解させ給え。サマリアの山々に囲まれた美しい谷間にある一つの井戸が眼前に見えます。遠くには町の家々の平屋根や園塔が桃金嬢(てんにんか:マートル)や樫や橄欖の森に見え隠れして居ます。ふと見ればイエズス様は井戸の周りにある低い石の圍(いえ)に腰掛けてお出でになります。弟子達は町へ食物を買いに行って居りません。イエズス様は遠く歩いてお疲れ遊ばした御様子でじっと井戸の前に聳えている山を見つめていらっしゃいます。その頂上にはエルサレムを嫌ったサマリア人が偶像を祀る為に建立した寺院があります。御心は此の誤った道に導かれて居る人々の上を憐れんで居られます。此の時シカー...ベツレヘムよりカルワリオへ35サマリアの女

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 34 マグナレナマリア

    34マグナレナマリア「折しも其町に罪人なる一個の婦ありて、イエズスがファリザイ人の家にて食卓に就き給へるを聞くや、香油を盛りたる器を持來り、」(ルカ聖福音書7章37節)祈願イエズス様、捧げ奉る。我が心に愛を満たし給え。エルサレムを囲む緩やかな丘陵の一つにべタニアという麗しい村にイエズス様はお出でになりますファリザイ人のシモンという人と一緒に食事をして居られる所です。弟子達の他にも大勢の人々も居る食堂は大広間で皆ユダヤの習慣通り食卓を囲んで並べられてある長椅子に凭れて(もたれて)います。広間の一方には戸も壁もなく柱が並んでいる回廊がありそのアーチ形になった彼方には、ガリラヤの遠い丘が絵の様に見えます。其処彼処には椰子の木が扇の様ななよやかな葉を甘い花の香を含むそよ風に揺るがせて居ます。その廊下を通って足取り軽い美...ベツレヘムよりカルワリオへ34マグナレナマリア

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 33 イエズス神殿内の商人を追い出し給う

    33イエズス神殿内の商人を追い出し給う「ユデア人の過越祭近づきければ、イエズスエルザレムに上り」(ヨハネ聖福音書第2章13節)祈祷イエズス様、聖き御動作を拝すたびに尊敬の念を増させ給え。過ぎ越しの祭にも、もう間がありません。幾組かの旅隊がゲネザレトの湖岸を過ぎてゆきます。イエズス様も弟子たちもエルサレムへ上っていらっしゃいます。歩で行けば五日もかかる道程で、サマリアの山峡を抜け、やがて太陽がじりじりと照りつける平野を旅人は横切らなければならないのでした。イエズス様が神殿へお入りになるのは天主の性を公にお顕しになって以来今日が初めてです。神殿の廊下は犠牲(いけにえ)にする獣を売る店で雑踏し神殿の中にさえ侵入して牛や羊の鳴き聲、鳩の聲、両替店の貨幣の音、人々の行き通う、ざわめき争う騒ぎなどが「聖の聖なる所」の近く迄...ベツレヘムよりカルワリオへ33イエズス神殿内の商人を追い出し給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 32 奇跡の漁魚(すなどり)

    32奇跡の漁魚(すなどり)「然て群衆神の御言を聞かんとて押迫りければ、イエズスゲネザレトの湖の辺に立ち給へり。」(ルカ聖福音書第5章1節)祈願主よ、御恵みを下し尊き御教えを学ばせ給え。御前には美しい湖が広がって居ます。真昼の炎暑は少し衰えて心地よい涼風が透明な水を羽毛の様に波立て、真白い鶏冠(とさか)の様な波頭は日の光の中に輝き跳って居ます。岸に横たえてある古ぼけた船の中で漁師が網を繕って居ます。此処彼処では、水際まで長く枝を垂れた夾竹桃や無花果樹の木陰に女達が車座を描いて子供達は銀の様な砂の上に無邪気に戯れて居ます。救世主はスモンの小舟に座って人々に教えて、山水の景を称え、やがてはその賜物に満ちた美しい自然界を創られた造物主の方へと人々の心を高めておいでになります。野の百合や波打つ麦や空飛ぶ鳥など、聞き手に相...ベツレヘムよりカルワリオへ32奇跡の漁魚(すなどり)

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 31 イエズス、マテオを召し給う

    31イエズス、マテオを召し給う「通りがけに、アルフェオの子レヴィが収税署に坐せるを見て、我に從へ、と曰ひしかば、彼起ちて從へり。」(マルコ聖福音書第2章14節)祈願聖主、我が思いをすべて捧げ奉る。願わくは浄め給いて、聖マテオと共に聖主に従わんが為に召し給え。カファルナウムに一筋の広い路がは走って居ます。それはダマスコから地中海の沿岸まで通っていて東洋諸国の産物がローマに輸送される公道です。そこにはローマ側の徴税吏が忙しそうにして居ます。その人々の中には強欲非道の心を持って居る者が多い為、皆から憎しみを受けて居ます。もしユダヤ人でこの職に就くと、宗教社会から絶交され、宗教上の特権をも剥ぎ取られてしまうのです。イエズス様は群衆に従われて、湖に沿って歩いていらっしゃいます。いつもの様にして人々を教えようとその辺りの山...ベツレヘムよりカルワリオへ31イエズス、マテオを召し給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 30 イエズス、らい病者を癒し給う。

    30イエズス、らい病者を癒し給う。「シモン及共に居りし人々後を慕ひ行きて、」(マルコ聖福音書第1章36節)祈願聖主よ、御声に謹みて接し、御教えを聞かしめ給え。ペトロが未だ聖主のお傍迄来ない中に病人を連れている群衆が追いつきました人々は弟子たちにはぐれては聖主をお見つけする事も出来ないと息せき切って来たのでした。やがて聖主のお傍に着くと群衆はまわりをと取り囲み、御足の下に身を投げて、各々の病を打ち明け熱心を凝(こ)めて嘆願しました。跪いて祈っていらっしゃった岩陰から出ておいでになったばかりのイエズス様のお優しいお顔には、いまだ祈の神聖な情熱の輝きがほのかに残って、朝日の新鮮な光は、群衆の屈んでいる姿の上を照らして居ます。二人の弟子は今自分たちの眼前にどんな不思議が起こるかと、胸を波立たせながら息を殺して待って居ま...ベツレヘムよりカルワリオへ30イエズス、らい病者を癒し給う。

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 29 イエズス、数々の奇跡を行い給う

    29イエズス、数々の奇跡を行い給う「イエズスあまねくガリレアを巡り、諸所の会堂にて教へ、[天]國の福音を宣べ、又民間の凡ての病、凡ての患(わずらい)を癒し給ひければ、」(マテオ聖福音書第4章23節)祈願聖主イエズス、わが心も思いも捧げ奉る。イエズス様はカファルナウムのシモン・ペトロの家に住んで居られます。カファルナウムはゲネザレト湖に近い町の一つです。苔蒸して、鮮やかな宝石の様な花に飾られた木の多い庭園は、普段の春を楽しんで居るようです。数時間も続けて、教えを伝えたり、病人を癒したり、悪魔を追い祓ったりされた聖主は、シモンの家でお休みになるのでした。湖に添った、静かな平和の村の人々は、此の頃はイエズス様が天主である事に気付き初め、群れをなして、此処彼処と、イエズス様に従って歩いて居ます。暁方の事でした。日はまだ...ベツレヘムよりカルワリオへ29イエズス、数々の奇跡を行い給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 27 カナに於いての婚姻

    27カナに於いての婚姻「三日目にガリレアのカナに婚筵ありて、イエズスの母其處に居れるに、イエズスも弟子等と共に招かれ給へり。」(ヨハネ聖福音書第2章1節、2節)祈願御足の元に跪き、聖き教えをならわせ給え。イエズス様とマリア様は、再び御一緒にいらっしゃいます。ナザレトから少し離れて、裾を走っている、貴のこんもりした涼しい谷間にあるカナというガリラヤの村で、マリア様は御子に再びお会い遊ばしたのです。マリア様が御子を喜び迎えて、御子の中にある天主の性を拝礼しつつ、御足の下に、跪かれた折の聖い御心の中は、誰が忍び奉れましょう。婚礼の式が始まって居ます。花婿花嫁もマリア様のお知り合いでした。多分御親戚でしたのでしょう。婚礼する人が近親の者と教会にいる間、イエズス様の御母は披露の宴の用意を自ら何くれとなく気を配って手伝われ...ベツレヘムよりカルワリオへ27カナに於いての婚姻

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 28 ゲネザレトの湖

    28ゲネザレトの湖「ザブロンとネフタリムとの境なる湖辺の地、カファルナウムに至りて住み給ひしが、」(マテオ聖福音書第4章13節)祈願優しきイエズス、願わくば選ばれし者の中に我をも数え給え。婚礼の宴が果てるとイエズス様とお話しして居たガリラヤの若者たちは船や網を置いてもと来たところへ帰って行きました。此の人々は、備えておいて下さった自分たちの将来の事など、夢にも知らないのでした。イエズス様はマリア様とかファルナウムへお出でになりました。その町はゲネザレト湖の岸にあって、これからイエズス様はそこを中心に方々へ旅を遊ばすのです。朝な夕なイエズス様の御言葉を聞き、優しいお姿に接し奇蹟を、まのあたりにした恵み豊かな此の町は、自然の美にも富んで居ます。此処彼処(ここかしこ)、鹿の子斑(かのこまだら)に雪を残した暗い山脈に縁...ベツレヘムよりカルワリオへ28ゲネザレトの湖

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 26 イエズス弟子たちを召し始め給う

    26イエズス弟子たちを召し始め給う「二人の弟子斯く語るを聞きて、イエズスに随行きしに…………イエズスの住み給ふ處を見、其日は其處に留れり。」(ヨハネ聖福音書第1章37節、39節)祈願柔和なる聖主、我を召し給いていつも忠実に仕えさえ給え。イエズス様が荒野をお離れ遊ばした時、聖ヨハネはまだヨルダン川の岸で人々に教えを伝え洗礼を授けて居りましたが、イエズス様の御後姿を見送って、二人の弟子達に向い「神の子羊を見よ」と聲高く申しました。その聲の調子や様子には「あの方のあとに従っていらっしゃい」という意味が明らかに含まれて居ました。イエズス様は、ふと足早に近づいて来る足音をお聞き遊ばしました。振り返って御覧になると、二人の若い弟子が御あとに従って居ました。その二人は言葉をお掛けするのを躊躇いながら、もどうかして追い付こうと...ベツレヘムよりカルワリオへ26イエズス弟子たちを召し始め給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 25 イエズス荒野に行き給う

    25イエズス荒野に行き給う「四十日四十夜荒野に在りて、サタンに試みられ、野獣と共に居給ひ、天使等彼に事へ居たり。」(マルコ聖福音書第1章13節)祈願主よ荒野にて誘われ給いし御功徳に依り、我等が罪を誘われし時、助け給え。イエズス様は洗礼の後、直に四十日間荒野へお出でになりました。山かげには峨々とした洞窟や獣の棲処がたくさんあり、人里離れた暗い寂寞(せきばく)の地、其処でイエズス様は断食と祈をし冷寒風雨に身を曝して夜は土の上にお休みになりました。償うべき罪も打ち勝つべき欠点もないイエズス様が、御体をこの様に厳しくお責めになったのは祈と共に克己が必要であることをお諭し下さる為なのでした。伝説に依れば、イエズス様が岩に腰掛けていらっしゃると、御足の元には猛獣が穏やかに臥して、小鳥は御衣の襞にかくれたり、御頭の上を楽しく...ベツレヘムよりカルワリオへ25イエズス荒野に行き給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 24 イエズス洗礼を受け給う

    24イエズス洗礼を受け給う「斯て當時イエズス、ガリレアのナザレトより來り、ヨルダン[河]にてヨハネに洗せられ給ひしが」(マルコ聖福音書第1章9節)祈願イエズスの御上を黙想し、益々よく知り奉らんが為、心を聖くなし給え。ナザレトから幾哩(マイル)も離れたヨルダン河の岸に群衆が人垣を作って居ます。駱駝の毛の粗衣を着、腰には革帯を締めて(注:原本は占めて)居る一人の人が、水際に立って天主の教えを伝え天主の聖名に依って人々に洗礼を授けて居るのです。それはエリザベトの子のヨハネで「沙漠の聖」と呼ばれている人でした。自分自身は罪というものを知った事さえないのに、イナゴと蜂蜜を常食とし、沙漠の洞窟に朝夕を送り、一生を苦行に委ねて来たのでした。伝説に依ればずっと以前、聖家族がエジプトからパレスチナへお帰りの時、此の人の清い孤独の...ベツレヘムよりカルワリオへ24イエズス洗礼を受け給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 23 イエズス、ナザレトを去り給う

    23イエズス、ナザレトを去り給う「イエズス齢凡三十にして聖役を始め給ひ」(ルカ聖福音書第3章23節)祈願聖母マリア、尊いははのあいをいえずすにそそぎたまいしおんはは、我を助け給え。一生イエズスの事を学び、御徳を倣わしめ給え。遂に最後の日は来ました、それはイエズス様が三十歳になられた年でした。其の日、もう再び御使用になる事もない大工の道具を壁に掛けたり、物差しを片付けたりしてお出でになるイエズス様を聖母は熱々として見入っていらっしゃいます。母として別離をどんなに堪え難く思ってお出でになる事でありましょう。優しくお見遣りになる御眼差しには痛ましいお心持がありありと読まれます。ナザレトのささやかなお住居に平穏にお過ごしになった御生活ももう今日が終わりなのです。世の中へ出て、神聖な使命を果たし、世の人に御自身をお示しに...ベツレヘムよりカルワリオへ23イエズス、ナザレトを去り給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 22 イエズスとマリア

    22イエズスとマリア「斯てイエズス智恵も齢も、神と人とに於る寵愛も次第に彌増し居給へり」(ルカ聖福音書第2章52節)祈祷主よ、我の心を愛で満たし、聖き考え、聖き望みを与え給え。ナザレトの御住居にはイエズス様とマリア様のお二人だけがいらっしゃいます。ヨゼフの霊魂はもはや「休息(いこい)の場所」へと去られたのでした。そして静かに自分が深く愛して忠実にいたわられた御子イエズスの復活の日を待って居られるのでした。「聖書に正しき者」と呼ばれている聖ヨゼフの死はどの様に平和にまた美しかった事でしょう。イエズス様と聖母の御腕に抱かれた死の麗しさ、この世で一番イエズス様の近くに居られた、聖人故、イエズス様は聖ヨゼフには何物もお拒みになる事は出来ません。故に聖ヨゼフにこそ私の特別の保護者となって私もイエズス様の御腕に抱かれつつ、...ベツレヘムよりカルワリオへ22イエズスとマリア

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 21 ナザレトの御生活

    21ナザレトの御生活「然てイエズス彼等と共に下り、ナザレトに至りて彼等に從ひ居給ひしが」(ルカ聖福音書第2章51節)祈願両親によく仕えられしやさしき主よ、願わくは御身のかくれたる徳を学ばしめ給え。ナザレトの御住居は再び私の眼前にあります。年月は幾度か訪れてまた去りました。冬は目覚めて麗しい春となり、やがて緑濃い夏がそれに続いて、聖家族の御上には変化ない日が静かに流れてゆきましたが只イエズス様の身は、見違えるほど成長遊ばしました。聲の調子も低くなり、丈高く体格もしっかりとして、もはや立派な大人となられようとしています。聖ヨゼフは次第に年を取られ、労働も心に委(まか)せられないので、養父を助け生計をたててゆく為に、大工の仕事は大方はイエズス様がされるようになりました。聖ヨゼフには重すぎる材木を一生懸命に運んだり、快...ベツレヘムよりカルワリオへ21ナザレトの御生活

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 20 イエズス見いだされ給う

    20イエズス見いだされ給う「三日目に、イエズスが神殿にて学者の中に坐し、彼等に聞き且問ひ居給へるを見付けたり。」(ルカ聖福音書第2章46節)祈願聖母マリア、御子の御生涯を深く我が心に刻みつけその中に秘められたる尊き意義を悟らしめ給え。天主の前に悲しみを陳べようとマリア様とヨゼフは打ち沈みながら神殿の階段を上られました。二人がくぐられた門の近くには、博士等の講堂がありました。イスラエルの賢者たちが集まり、律(おきて)を説くところでした、その中開かれた扉の陰からマリア様は聞きなれた聲を耳にされました。それはまぎれもないイエズスのお聲でした。二人は一瞬の間はぼんやりと立ちすくまれました。イエズスが学者の中に立って居られます。聴衆は皺寄った面に白髪の頭をした老人もある中に、まじめな情熱のあふれた若々しいイエズスは一段と...ベツレヘムよりカルワリオへ20イエズス見いだされ給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 19 イエズス見えずになり給う

    19イエズス見えずになり給う「道連の中に在らんと思ひつつ、一日路を往き、然て親族知己の中を求めたれども、逢はざりしかば、尋ねつつエルザレムに立帰りしに」(ルカ聖福音書第2章44節-45節)祈願聖きイエズス、我が智を照らし、心を尽くして御身を愛せ給え。参拝者は出発する為エルサレムの門の方に四方から集まって来ました。そして来た時に同じ男女各々団体を作って出かけましたが、夕闇が寄せて来た頃、夜の宿泊の為互いに落ち合いました。此の日イエズス様は御母と御一緒ではありませんでした。然しマリア様はヨゼフとお出でになる事と信じ利己的でない御性質から自分は光を失ったように感じられながらも、ヨゼフがイエズス様に慰められてお出でになる事を満足していらっしゃいました。けれども、どうした事でしょう。ヨゼフはこちらへと歩いて来られましたが...ベツレヘムよりカルワリオへ19イエズス見えずになり給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 18 聖家族エルサレムに上り給う

    18聖家族エルサレムに上り給う「然て過越の大祝日には、両親年毎にエルザレムに往き居りしが、イエズス十二歳になり給ひし時、両親祝日の慣例の儘にエルザレムに上りしに………」(ルカ聖福音書第2章41節-42節)祈願我が主よ、一入り深く愛し奉らんが為、一入り深く御身の事を知らしめ給え。律に依れば、ユダヤ人は年に一度過ぎ越しの祭りを行う為に、エルサレムに上る事になって居ました。敬神の念の熱い巡礼達は、隊を作り、男は男、女は女と群れをなしてゆくのでした。聖家族もそれに加わって行かれました。イエズス様は十二でいらっしゃいました。道々も或る時は細かい心遣いをして聖母を喜ばせ、ある時は年老いたヨゼフを助けて居られました。無口ではあるが無邪気な中にも隠れた気高さがあるので、ナザレ人の荒々しい様子も、日の光に照らされた如く柔らげられ...ベツレヘムよりカルワリオへ18聖家族エルサレムに上り給う

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 17 ナザレト

    17ナザレト「ナザレトと云う街に至りて住めり」(マテオ聖福音書第2章23節)祈願主イエズス、我が心を捧げ奉る。道を示し給いて、御跡に従わしめ給え。遂にユダヤの丘陵の長い緯線が地平線上に現れ、旅は殆ど終わり近くになりました。聖家族がもう僅かでエルサレムに御到着されると云う時でした。聖ヨゼフはまたお告げを受けられました。ヘロデは死にましたが残忍なその子が国を治めているので、エルサレムでは聖子は御命が危ういと云うのでした。マリア様とヨゼフは疲れた足を穏やかにナザレトの方に向けられました。もう一歩でマリア様はなつかしいエルサレムの神殿傍近く住家を定められそうであったのに、お望みは裏切られたかの如く見えました。しかし天主の聖旨ばかりに何事もお託せになるヨゼフとマリア様は心の平和を乱されることもなく、甘んじてこの大きな失望...ベツレヘムよりカルワリオへ17ナザレト

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 16 パレスチナへの御帰途

    16パレスチナへの御帰途「ヘロデ死せしかば、折しも主の使、エジプトに於てヨゼフの夢に現れ、云ひけるは、起きて孩兒と其母とを携へてイスラエルの地に往け、蓋し孩兒の生命を索めし人々は既に死しせり、と。」(マテオ聖福音書第2章19節-20節)祈願主イエズス、我は御身を使く愛し奉る。何処へなりとも従わしめ給え。ヘロデ王が死んだので天使は再びヨゼフの夢に現れ、パレスチナへ帰るようにと命じました。直にヨゼフはその命に従い、親切であった数人の人々に別れを告げ大工道具をとり集め、少しばかりの衣類を一纏めにして出発の準備を整えました。やがて聖家族は町の門を出て行かれました、イエズス様はヨゼフとマリア様の間に両手を引かれて三人のお顔は喜びにあふれて居ました、けれども前には広い沙漠が開けていました、ナイル河の水にゆあみした植物が青々...ベツレヘムよりカルワリオへ16パレスチナへの御帰途

  • 日本語は難しい。

    日本人ですけど、日本語は難しいと思ってしまう時が多いです。日本人の私がこう思うのですから、洋書を日本語に訳して出版するのは大変なのでしょう。同じ本の複数の日本語訳がある本は、混乱してしまうかもしれません。訳を比べているサイトがあります。ケルビムの翼聖グリニョンド・モンフォール著『聖母マリアへのまことの信心』という本です。このサイトでは、2冊の比較ですけど。著作権は、訳者がいま御存命なのか、引継ぎ等はどうなっているのか?出版社が、どうなっているのか?引継ぎ等はどうなっているのか?で、決まってくるようです。実はこの本は、更に別の翻訳本がありました。尾方寿恵さまの翻訳です。ドン・ボスコ社1919年生まれの方のようです。出版社はあるので、出版社が放棄しない限り、著作権はこの本はまだあると考えてよいのでしょうか。3冊もあ...日本語は難しい。

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 15 エジプトの御仮住居

    15エジプトの御仮住居「是主より曾て預言者を以て云はれし事の成就せん為ためなり、曰く「我我子をエジプトより呼出せり」と。(マテオ聖福音書第2章15節)祈願優しきイエズス、イエズスの御為、温和、貧困、単純な生活を愛さしめ給え。エジプトの町のとある静かな横丁の一軒のささやかな家には、平和な年月は流れました。仕事場らしいところの戸が開いているので中を見ますと、マリア様が糸を紡いでおられます。時々手を休めて眺められる方を見ると、もうイエズス様は一人遊びをなさるほどに成長して居られます。嬰子の御体に堅く巻いてあった布を解いて小さな手足が自由に動くようにされた時から、片事を云い始められたのも、歩き始めをされたのも、みな此の家でありました。また伝説に依れば縫目なしの御下着は成長なさるとともに大きくなって行ったといいますが聖母...ベツレヘムよりカルワリオへ15エジプトの御仮住居

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 14 エジプトへ御到着

    14エジプトへ御到着「………ヘロデの死するまで其処に居れり」(マテオ聖福音書第2章14節)祈願聖母マリア今より死に至るまで聖き幼子のイエズスをしっかりと心に抱かせ給え。沙漠を縁取って居る一帯の沃地にエジプトの町の白い壁が聳え、大河がその元を紆って居ます。ちょうど異教のお祭の宵宮で辺りは雑踏を極めて居ます。急に耳も裂ける場界の大音響が聞こえました。高く掲げられたあった偶像が落ちて粉々に砕けたのでした。此の時疲れ果てた旅人が町に入ってきました。これこそ幼子を抱いたマリア様とヨゼフでした。心配と疲労にやつれたその御顔、エジプト人は黒い目を見張ってじろじろと見つめて居ます。慣れぬ異国の旅に宿の当てもなく、言葉も通じず、路金さえ持ち合わせておられなかった御心の中はどの様であったことでしょう。此のヘリオポリスの町に知るべも...ベツレヘムよりカルワリオへ14エジプトへ御到着

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 13 沙漠の夜

    13沙漠の夜「ヨゼフ起きて孩兒と其母とを携へてエジプトに避け」、(マテオ聖福音書2章14節)祈願イエズスとマリアを愛されし聖ヨゼフよ、願わくは、エジプトに逃れ給いし御様子を偲ばせ給え。魔理沙様とヨゼフが沙漠の中央に到着されたのは、飽き飽きする長い日もとうとう日暮れに近づいたころでした。沈みかかった太陽の斜めの光線を眺めて、ヨゼフは一夜の宿を求めようかと思案しておられますと一もとの繁みが目にとまりました。けれども木々の枝は炎熱に力なく萎え果てて居ます。空を飛ぶ鳥さえ巣はあり、野に住む獣さえ臥床はあるのに、イエズス様には御家はなくこれが夜のお宿なのでした。世の創造主でありながら、小さい御頭ばかりを僅かに蔽う木のもとに夜をお明かしにならなければなりません。それに引きかえて私共の天主より日々に戴く御恵みを思っては感謝の...ベツレヘムよりカルワリオへ13沙漠の夜

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 12 沙漠

    12沙漠「ヨゼフ起きて孩兒と其母とを携へてエジプトに避け」、(マテオ聖福音書2章14節)祈願イエズスわが心をも考えをも捧げ奉る。エジプトへの旅の難儀は一通りではありません。絶壁の間の縫って居るユダヤな険阻な山路には、ごろごろとした石が何処迄も続いて居ます。聖家族は殊に人気のない道を取られた為、御疲労はひとしおでした。ついに眼前には、ぼうぼうと果てしなく続く沙漠が開かれました。焼けつくような炎風、目も眩む太陽の熱、砂塵の雲柱--炎暑と飢餓と疲労はひしひしと三人を襲いました。ヨゼフは足を痛め、マリア様は悲しみに沈んでいらっしゃいます。御子はたとえ御母の腕にとはいえ、幾時間も幾時間も同じ向きに抱かれた儘のいたわしい御様子、巻布は可憐なお手足に喰い込んで居ます。然しこの三人は御口からは不平の私語さえ洩れません。緊張した...ベツレヘムよりカルワリオへ12沙漠

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 11 エジプトへの御避難

    11エジプトへの御避難「………折しも主の使ヨゼフの夢に現れて云ひけるは、起きて孩兒と其母とを携へてエジプトに逃れ我が汝に告ぐるまで彼處に居れ、其はヘロデ孩兒を殺さんとて之を索めんとすればなり、と」祈願聖き幼子のイエズス如何に苦しみ給いしか偲ばせ給え。マリア様とヨゼフはエルサレムを後にナザレトへ出立されました。それは長い旅路なのでした。或る夜の宿泊の折、ヨゼフの枕辺に天使が現れ、ヘロデ王がイエズスの御命を取ろうとして危険であるからイエズスと御母を連れて、エジプトの地に難を避けるようにと申し渡しました。此の御使の言葉にようにとはどんなに悲しまれた事でしょう。然し直に床を離れ、マリア様を静かに起こされました。旅行中の事とてお持物とては衣類が少しと大工の道具と勝手道具が僅かあったきりでしたが、ヨゼフがそれを一纏めにして...ベツレヘムよりカルワリオへ11エジプトへの御避難

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 10 神殿に於ける奉献の式(その2)

    10神殿に於ける奉献の式(その2)「………(両親)孩兒を主に献げん為、携えてエルサレムに往けり。……又主の律法に云われたる如く山鳩一雙いか、鳩の雛二羽かを犠牲に捧げん為なりき」(ルカ聖福音書第2章第22節-24節)祈願童貞聖マリア、願わくは、イエズスの御事を日に日に深く知り、日に日に深く愛し奉るよう我等の為に祈り給え。マリア様とヨゼフは神殿へお入りになりました。黙想に耽りながらつつましやかにお進みになりました。中庭は立派な大理石で敷きつめられ、壁は華やかなモザイクで飾られ、細工を凝らした天井や柱から宝石や金銀が光輝いて居ます。数多い香炉に燃ゆる甘い香気は、輪を画いて立上る湿った煙の雲と混じって空中を満たしています。今、一人の礼拝者が聖家族にご挨拶して居ます。それは死ぬ前に救世主を拝せるという堅い信頼に依りすがっ...ベツレヘムよりカルワリオへ10神殿に於ける奉献の式(その2)

  • アシジの聖フランシスコ小品集

    表題の本が、ダウンロード可能になっています。Googleで検索すると、上から4段目に出てきます。アシジの聖フランシスコ小品集

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 9 神殿に於ける奉献の式(その1)

    9神殿に於ける奉献の式(その1)「………(両親)孩兒を主に献げん為、携えてエルサレムに往けり。」(ルカ聖福音書第2章22節)祈願聖き嬰子のイエズス、心をも愛情をも捧げ奉る。願わくは御一生の中に含まれたる御教えを我が心に刻み給え。イエズス様御誕生後、早くも四十日を経た、ある麗しい春の朝まだき、聖家族はエルサレムへとベツレヘムをお出になりました。春とはいえ朝の空気はまだ冷たいのでマリア様は水色の上衣へイエズス様をくるんでいらっしゃいます。聖ヨゼフは一番(ひとつがい)の鳩を持って傍らに付添っておいでになります。律(おきて)に従ってその鳩で長男を贖う為なのです。イエズス様は御母に抱かれながら御自身の御手になった美しい世界、朝日に輝くエルサレムの町の白い平屋根や聳え立つ高い塔を打ち眺めていらっしゃいます。往き交うユダヤの...ベツレヘムよりカルワリオへ9神殿に於ける奉献の式(その1)

  • 向精神薬

    サイトを巡回していると、向精神薬を服用されていらっしゃる方が多いのに気が付きます。ひとつだけ。向精神薬を減薬、断薬なさるときは、かかりつけ医等の専門のドクターに必ずご相談くださいますように。向精神薬

  • なぜ?国会図書館の本の活字化なのでしょうか

    こんにちは。なぜ?国会図書館の本の活字化なのでしょうか。著作権に配慮してです。私の心の糧となり、もし他の方で読んでくださる方の糧となれば嬉しい限りです。出版事情は悪くなる一方で、増税とかで家計は厳しくなる一方です。お友達とこういう会話をしました。「なぜ日本では、キリスト教の本って高いの?外国だとほとんど無料じゃないの?」「信者さんが少ないからでしょう」図書館から本を借りて読んでいます。絶版本でも著作権の切れていない本をアップする勇気は、いまの私にはありません。著作権所有者から許可が得られれば良いのでしょうけど…。私なりの解決策として、国会図書館の本のなかで著作権が切れてデジタル化された本の活字化っていうの?を細々として、ブログに公開することを始めました。古い活字を使っているのと、スキャンされた時に、本が黄ばんで...なぜ?国会図書館の本の活字化なのでしょうか

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 8 博士等の参拝

    8博士等の参拝「家に入りて孩兒の其の母マリアと共に居るを見、平伏して之を拝し寳箱を開きて黄金乳香没薬の禮物を献げたり。(マテオ聖福音書第2章11節)祈願幼き嬰子のイエズス、我が心を捧げ奉る。願わくは、思いも望みも決心をも祝し給え。イエズス様は御母の膝に穏やかに眠っていらっしゃいます。聖母は御子の上に目を落としてうっとりと愛らしいお顔に見入っておいでになります。此の時、急に遠くに物音が聞こえました。チリンチリンと鳴る鈴に交じって騒がしい囁きが起こりました。そのは聲段々近寄って喜びの叫びがやがて手に取るように聞こえました。洞窟の入り口から見慣れない騎馬の一隊が近づくのが見えます。華美な飾りをつけた駱駝の長い列が丁度入り口に着きますと導いて居る星は光を消して静かにベツレヘムの厩の東の方に沈んでゆきました。三人の王は洞...ベツレヘムよりカルワリオへ8博士等の参拝

  • 補足:この星について

    この星について天文学等にご興味のある方は、下記のページ等をお読みいただければ幸いです。-イエスの誕生を知らせた星-検索すると、諸説あることが分かります。補足:この星について

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 7 東方の星

    「折しも東方に見たりし星彼等の先に立ち、終に孩兒の居をる處に至りて其上に止れり」(マテオ聖福音書第2章9節)祈願聖き嬰子のイエズス、聖き黙想をなさんが為に聖寵を下し給え。遥か遠いアジアの南の国に東洋人の特色である浅黒い学者たちが数知れぬ星で綴られた深碧の空を仰ぎ見てしきりに天文の研究をして居る時でした。急に見慣れぬ形の光輝ある星が現れるのを認めました、該博の書を照るし見た結果それはまがう事なく幾年月待って居た徴、即ち御降誕遊された救世主の下に導く星であったことが分かりました。ああその人々は御降誕をどんなに待ち焦がれて居た事でしょう。夜毎々々に示しの星の現れを待ち詫びつつ空を調べて居たのでした。直に三人の王は家臣や附人を呼び集め旅に上るという事を申し渡しました。星がイエズスのみもとに自分達を導くという智識以外には...ベツレヘムよりカルワリオへ7東方の星

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 6 幼きイエズス

    6幼きイエズス「天使等天に去りて後牧者等云ひけるはいざ我等ベトレヘムまで行かん……すなわち急ぎ至りてマリアとヨゼフと馬槽に置かれたる孩兒とに遇へり。」(ルカ聖福音書第2章15節16節)祈願幼きイエズス、聖足の下に跪く我をかえりみ給いて聖き教えを悟らしめ給え。夜の寂寞を破って洞窟のほうへ近づく足音がしました。聖い嬰子の忠実な保護者である聖ヨゼフは、夜の闇をすかしみましたが、羊飼い達であるのに気がつくと立ち上がって親切に中に入れ、イエズス様とマリア様の前に連れてきました。イエズス様は馬槽の中にすやすやと眠って居られます。おづおづした羊飼い達は感謝に満ちた喜びを面(おもて)に湛えたマリア様の御様子に勇気づいて傍に近づきましたが、やがて嬰子の前に来ると幼い救世主の御威光に恭しくひれ伏しました。天使の言葉にすでに従った羊...ベツレヘムよりカルワリオへ6幼きイエズス

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 5 天に於いては天主に栄光あれ

    5天に於いては天主に栄光あれ「然るにこの地方に牧者等ありて、夜中交代して己が群れを守り居りしが、折しも主の使いその傍らに立ちて神の栄光彼等をめぐり照らしたれば、彼等大いに懼(おそ)れたり。(ルカ聖福音書第2章8節-9節)祈願聖き嬰児のイエズス、すべての思いを捧げ奉る。願わくは御身の望み我に給うことを聞かせ給え。夜の静けさはユダヤの平原を支配して彼方此方には羊飼い達が群をなして番して居ます。この時、忽然と光が輝き渡り、驚く羊飼いの恩前には天使が現れました。羊飼いは貧しい質朴な人々です。家の内に暮らすよりは、外で銀色の月や輝く星を友として寂しい生涯を送り、朝夕を共に過ごす温和な羊に自然感化されてかその心持も穏やかで平和です。それを嘉されてイエズス様は羊飼いを自分の揺り籠の傍へ誰よりも先に拝礼に来るように招かれたので...ベツレヘムよりカルワリオへ5天に於いては天主に栄光あれ

  • ベツレヘムよりカルワリオへ 4ベツレヘム 馬槽(うまぶね)

    4ベツレヘム馬槽(うまぶね)「(マリア)家子を生み布に包みて馬槽に臥させ置きたり。これ旅舎(はたごや)に彼等の居る所なかしり故なり」(ルカ聖福音書第2章7節)祈祷聖母マリア聖ヨゼフ聖き妙理を悟らしめ給え。嬰児のイエズス様は眠って居られますその傍でマリア様は喜びと悲しみの交々入り乱れた様子をして御子をみつめて居られます。いたいけな自分の幼子をこんなみすぼらしい揺り籠へ横たえたのを悲しまない母が世にありましょうか。枕はチクチクしそうな一束の粗末な藁です。おくるみの布は薄いのですか弱いお手足を暖められず、寒さに冷え切って居ます。藁は獣の寝床ではありませんか。どうして嬰児の床に適しましょう。この有様を見て同情しないものがありましょう。けれども愛の秘跡の中にましますイエズス様が私の心へお出で下さった時ベツレヘムの寒さより...ベツレヘムよりカルワリオへ4ベツレヘム馬槽(うまぶね)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、yuiさんをフォローしませんか?

ハンドル名
yuiさん
ブログタイトル
国会図書館の本を読みやすく
フォロー
国会図書館の本を読みやすく

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用