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QPtanの日記 https://qptan.hatenablog.com

読書日記や種々雑感。哲学、文学、歴史、英語、ロックなどについて。 また、若かりし頃の海外生活にインドやタイ、ネパールをバックパッカーとして巡った日々についても書きます。

QPtan
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2019/09/26

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  • インド紀行⑤④

    早々にリシケシを後にすると、我々はいったんデリ〜に戻ってから砂漠地帯であるラジャスタン地方に行った。 たしか、ウダイプルとジャイサルメルだったと思う。 二ヶ所か三ヶ所を訪れた。 そのうちの一ヶ所の街には湖に浮かぶホテルがあった。 泊まったわけではないが。 また、どこかの街では何故かダリの絵を何かの布に描き写して旅行者たちに売っていた。 私は今も昔も洒落の通じない真面目人間なのでこれに激怒した。 いったい、ダリとインドの間に何の関係があるというのか。 洒落といえば、インドを旅行するバック・パッカ〜たちの間で何か似た味の物を表現する際に、「Same. Same. But, different.(同…

  • インド紀行⑤③

    バラナシの後、デリ〜に戻りトメルと合流するとリシケシというヨガの聖地へと行った。 リシケシにはあのビ〜トルズも行った。 同行したミア・ファロ〜か誰かがヨガの聖者にお尻を触られ、それに幻滅したビ〜トルズのメンバ〜たちは次々と帰国したが。 リシケシに限らず、インドではヨガ・スク〜ルでお尻を触られたと多くの女性旅行者たちから聞いた。 また、インドのヨガ・スク〜ルでは日本円にして10万円程度でヨガの教師の免許のようなものが貰えるので、日本で教えているヨガの教師たちを安易に信用するべきではない。 私たちがリシケシに行ったのはオフ・シ〜ズンだったので旅行者たちはほとんどおらず、ヨガの教室もやっていなかった…

  • インド紀行⑤②

    ガ〜トと呼ばれるバラナシのガンジス川沿いにある火葬場では、沐浴する人もいれば洗濯物をする人もいる。 インド被れの旅行者の中には泳ぐ者もいる。 何をしようとその人間の勝手だが、バラナシに流れるガンジス川は汚い。 むちゃくちゃ汚い。 この後、行ったリシケシという場所に流れるガンジス川はびっくりするほど綺麗だった。 同じ川でもリシケシに流れるのは上流部にあたり、また、火葬や洗濯が行われないことも川が綺麗な理由にあると思う。 バラナシにはまた日本料理屋もあった。 これはバラナシに限らず、多くのインド都市に共通して言えることだ。 理由は単純。 日本人旅行者の数が多いからである。 現地駐在員などが行く高級…

  • インド紀行⑤①

    バラナシへは例のイスラエル人の女の子ふたりと一緒に来た。 安宿のおじさんが別々の部屋にするかと訊くと、Tは同じ部屋でいいと言った。 曰く、イスラエル人同士の旅行者の間では男女で同じ部屋をシェアすることが普通だからと言うことだった。 私はその時点で何も気づかなかったのだが、感の鋭い人間ならTが内心なにを望んでいたかにピンと来たハズだ。 それは真夜中に起きた。 私はふくらはぎに何かが振れるのを感じた。 さすりさすりと。 はて? 私は30分くらい様子を見た。 しかし、それは一向に止まなかった。 まさかと思った私は暗闇の中、隣に眠るTに小声で話しかけた。 すると、「なに?」という素っ気ない返事が返って…

  • インド紀行⑤⓪

    インドへはカトマンズから国境を通って入国し、バラナシに滞在した。 バラナシは有名なヒンズ〜教の有名な聖地で、ヒンズ〜教徒たちには死んだらここで火葬されてその灰をガンジス川に流されるのを理想としているらしい。 (続く。。。)

  • インド紀行④⑨

    私の「インド紀行」を読んでくださっていたら、そこにやたらとイスラエル人旅行者が登場するのに気づくことだろう。 彼らイスラエル人は高校を卒業した後に兵役を経験し(強制ではないが、ほぼ義務)、兵役後から大学入学あるいは社会人になるまでの間に海外に出る。 だから、インドや東南アジアはイスラエル人の若者でいっぱいだ。 女の子にも兵役はあるので、綺麗な子がスナイパ〜だったりする(実話)。 一方の男はというと、基本的にマッチョだ。 肉体的にも精神的にも。 インドの旅行者世界は二度の衝撃を経験した。 一度目はイスラエル人旅行者の出現によって。 そして、二度目はロシア人旅行者の出現に。 何が衝撃かと言うと、二…

  • インド紀行④⑧(ネパ〜ル編)

    カトマンズからはいったんインドへ戻ることにした。 マットの友人だったトメルという名のイスラエル人旅行者と一緒にカトマンズにあるインド大使館にヴィザの申請に行った際、2人のイスラエル人の女の子と会った。 彼女たちもインド・ヴィザの申請に来ていた。 そのうちの一人(仮名T)はかなり可愛い子だった。 トメルはインド・ヴィザの取得を我々より早く済ませたので、先にインドへと行った。 残された私は彼女たちと行動を共にしたのだが、道端で彼女たちとお酒を呑んでいるとそれを見たインド人の商店のおじさんなどから羨ましがられた。 だからどうしたと言うのではないが。 (続く。。。)

  • インド紀行④⑦(ネパ〜ル編)

    カトマンズに戻ると、相変わらずのバ〜通いが始まった。 バ〜といっても値段は安く、特にハッピ〜・アワ〜は安かった。 とにかく、ありとあらゆるところにバ〜があり、おそらく旅行者の大半はバ〜に通っていたはずだ。 今でこそ一滴も呑まないが当時の私はアホみたいな呑んべいだったので、特にマットとはバ〜を飲み歩いた。 ある時、私は風邪を引いた。 かなりの風邪だった。 そうしたら、マットが面白い治療法を教えてくれた。 それは大量のアルコ〜ルを飲み、体内にある菌を殺すというものだった。 私は街の酒屋でウィスキ〜を買うと、吐くまで飲んだ。 するとビックリ! 本当に風邪が治ったのだ。 (続く。。。)

  • インド紀行④⑥(ネパ〜ル編)

    カトマンズに着くや、バスの中に「ライ麦畑でつかまえて」の原書を忘れてきたことに気づいた。 すぐに乗ってきたバスに戻ったが、本は見つからなかった。 仕方がないのでまた新しいのを買った。 自分の英語力が鈍ってきたと感じたら、私はいつも「ライ麦畑でつかまえて」の原書を読むことにしている。 使われている語彙の難易度が比較的易しいのと会話文が占める割合が高いので、こういった場合(自分の英語力が鈍ってきたと感じた時)には重宝する。 内容も抜群に良く、感動間違いなしだ。 今でこそこの本はアメリカの高校の授業で読まさせれるが、かつては危険図書として扱われた。 ジョン・レノンを殺害した男が犯行直前にキオスクでこ…

  • インド紀行④⑤(ネパ〜ル編)

    ネパ〜ルはトレッキングで有名だ。 多分、エベレストなんかも登れたはずである。 ポカラというトレッキングの街があり私も行ったのだが、晴れた日などは本当に景色が綺麗だった。 ヒマラヤ山脈が近くに見える。 その半面、風景が美しいこと以外には長所が何もなく、やることもまたない。 ま〜、普通、トレッキングをするのだが。 しかし、何を隠そう私はトレッキングをしなかったのだ。 では、何をしていたのか。 旅行者たちとくっちゃべっていた。 ポカラからカトマンズ行きのバスの中で空に見えるヒマラヤ山脈の美しさに感動していたら、隣の席に座っていたイスラエル人旅行者に呆れられた。 「あなた、ポカラまで来て何してたの?」…

  • インド紀行④④(ネパ〜ル編)

    どうやら西洋人は垢すりタオルの存在を知らないらしい。 マットは私の部屋にあったそれを見るや、アダルト・グッズだと信じて疑わなかった。 では、どうやって彼らは体を洗うのか。 ボディ〜・ソ〜プを体に直接付け、手で洗うのだろうか。 いや。 映画なんかでは泡風呂に入りながら、ゴシゴシと柄のついたスポンジで体を洗っている女優をよく見る。 ならば、何故、マットは私の垢すりタオルをアダルト・グッズなどと思ったのか。 謎である。 (続く。。。)

  • インド紀行④③(ネパ〜ル編)

    話は前後するが、ここネパ〜ルへはひとりのイスラエル人旅行者と一緒に来た。 彼女とは半年ほど前にダラムコットのピザ屋さんで一度会っていたのだが、たまたま、ネパ〜ルのカトマンズ行きのバスのチケットを買うために立ち寄った、ハレ・ラマ・ゲストハウスというイスラエル人旅行者たちがほぼ100%を占め、シナゴ〜グ(ユダヤ教の礼拝所)までその建物の中にあるという恐るべき場所で偶然にも再開した。 初めはお互いに気づかなかったのだが、彼女のほうが「あなた、○○?ダラムコットのピザ屋で会った?」と話しかけてきた。 だから、そうだと答えた。 すると彼女は言った。 「気を悪くしないでね。実はわたし、あの時、あなたの話す…

  • インド紀行④②(ネパ〜ル編)

    カトマンズはタイのバンコクと並ぶ世界有数の大気汚染都市だ。 自動車やバスなどから排出される排気ガスがものすごい勢いである。 が、中にはそれら大気汚染の対策を過剰になってする旅行者もいて、私が見た一番スゴい人はなんかダ〜ス・ベイダ〜が被っているマスクみたいなのをしていた。 (続く。。。)

  • インド紀行④①(ネパ〜ル編)

    その変なおじさんについて考えていたらふと思った。 日本政府から年金をもらい、物価の安い発展途上国で暮らすというのはある意味で賢い選択だ。 海外で暮らす日本人とは、私の二度目のインド旅行でも会った。 彼は革細工を自作しており、それをウェンズディ・マ〜ケットというがゴアで毎週定期的に開かれる、旅行者たちの集まる市場で売っていた。 また、インドに永住はしていなかったが、同じく革細工を作っては売っているスイス人旅行者とも会った。 販売価格を尋ねると、約1万円くらいとのことだった。 時間給だけを考えるとかなり安い。 普通にスイスで働いたほうが余程ましだろう。 日本のコンビニ・バイトでもそれより時給は高い…

  • インド紀行④⓪(ネパ〜ル編)

    ネパ〜ルのカトマンズにかなり変わった日本人のおじさんがいた。 歳の頃は60ぐらいで、どうやらネパ〜ルに移住しているようだった。 私には一度も話しかけてこなかったが、昼間っから道端に立ち見かけた日本人旅行者たちにお説教(?)をしていた。 やれ、味噌汁を食えだの親を大事にしろだのと。 モモを食べによく行った料理屋さんで、ひとりの日本人旅行者とそのおじさんのことが話題になった。 彼は言った。 「ほっとけよw」→(味噌汁を食え)発言に対して。 「お前が一番、親不孝者だよw」→(親を大事にしろ)発言に対して。 (続く。。。)

  • インド紀行③⑨(ネパ〜ル編)

    モモという食べものがネパ〜ルにあった。 形は違うが、味は餃子に似ている。 あの日、マットが私に何個まで食べられるか挑戦してきた。 いや。 挑戦してきたのではなく、私に大食いをさせた。 その頃の私は身体を鍛えまくっていたので、当然、食べる量も多かった。 たぶん、50個ぐらいのモモを食べた。 なかなか美味しいので、是非、皆さんにもインド料理屋などで試してみることをオススメする。 (続く。。。)

  • インド紀行③⑧(ネパ〜ル編)

    ネパ〜ルは若干、インドより物価が安かった。 それと、何故だかわからないが牛を食べてもいいらしく、カトマンズのレストランではいたるところで牛ステ〜キがメニュ〜に載っていた。 また、カトマンズには街中にバ〜がある。 おそらくはトレッキング帰りの旅行者たちが寛ぐための目的なのかもしれない。 私はダラムサ〜ラで出逢ったオ〜ストラア人の大工さん・マット(呑んべい)と一緒だったため、昼過ぎからお酒につき合わされた。 いくらバ〜がたくさんあるからといって、昼間から呑んだくれている旅行者は珍しい。 マットとよく行ったのは屋上にあるバ〜だった。 たしか、飲み放題だったと思う。 マットと一緒に昼過ぎから呑み、夕方…

  • インド紀行③⑦(ネパ〜ル編)

    インドからネパ〜ルの首都・カトマンズまではバスで行った。 36時間もかかった。 今だったら絶対にイヤだ。 とてもじゃないが耐えられない。 インドからネパ〜ルの国境線で恐ろしくマヌケな旅行者に会った。 なんと、その人はデリ〜からネパ〜ルまでタクシ〜で来たと言うのだ。 いったい、いくらくらいのお金を払ったのか。 普通に飛行機で来たほうが安そうである。 (続く。。。)

  • インド紀行③⑥

    バック・パッカ〜というものは基本的にヒマである。 朝から晩までやらなくてはならないということが何もない。 だから、レストランや宿屋などで知り合った人間と、気が合えさえすればすぐに小一時間は話す。 よくあるのが、だいたい10人ぐらいの旅行者が円になり共通語として英語で話すことだ。 だいたい、お互いの国についてのことや音楽の話題になることが多かった。 あとは、これまでに行ったインドの他の街の情報などを交換して、次にどこに行くか決める。 私もそろそろインドのヒザが切れる頃だったので、タイに行くかネパ〜ルに行くかで迷っていた。 その日、他の旅行者から聞いた話によると、ネパ〜ルは陸路で行けるし雰囲気も落…

  • インド紀行③⑤

    インドではマクドナルドが珍しい。 普通にあるにはあるのだが高級なお店の部類に入るようで、一度、インド人の大学生に「君、マクドナルドに行ったことある?」と訊かれたことがあった。 だから、「あ〜。マックね。美味しいよね」と答えると、「実は僕、マクドナルドで働いているんだ」と誇らしげに言ってきた。 ヒンズ〜教では牛は聖なる動物だから、インドのマクドナルドでは牛肉を使えない。 代わりに鶏肉を使う。 確かな情報ではないが、鶏肉を使うのはイスラム教徒に配慮してからかもしれない。 イスラム教では豚肉を食べることが許されていないからだ。 (続く。。。)

  • インド紀行③④

    インドに到着したばかりの頃、デリ〜の動物園に行ったが、あまりの暑さに動物がバテていて何も見れなかった。 暑さと言えば、ジャイプ〜ルという砂漠のある地域は酷かった。 暑いなんてもんじゃなかった。 私が滞在したのは4月だったが、暑さがピ〜クを迎える5月には50℃を超えるとのことだった。 暑い日中は皆、部屋の中で涼んでいた。 こういう風に書くとインドは年がら年中暑いように思うかもしれないが意外にも冬は寒い。 私はお正月を首都のデリ〜で過ごしたが、ブランケットが必要だった。 (続く。。。)

  • インド紀行③③

    ダラムサ〜ラで会った日本人の旅行者に、水道水で歯を磨いただけでアメ〜バ赤痢になった女の子がいた。 インドでは水道水を直接飲むことは自殺行為だ。 と言っても、道端のチャイ屋さんとかがまさかミネラル・ウォ〜タ〜で空いたグラスを洗っているわけでもなし、また、安宿のレストランでの食事がどのように調理されているのかなんてわからないわけで。。。 疑いだしたらキリがない。 ミネラル・ウォ〜タ〜にも水道水が入れられているニセモノがインドにはある。 容器だけを拾って来て見た目はホンモノのように見えるよう、プラスチックで表面を覆う機械まで存在すると聞いた。 また、先進国で売られているミネラル・ウォ〜タ〜にだって、…

  • インド紀行③②

    「なんでこんなところにΣ(゚д゚lll)」と不思議に思ってしまう韓国人のおじさんがいた。 そのおじさんはカルサン・ゲストハウスから階段で下りる途中に、何故かレストランを開いていたのだ。 しかも、そのおじさんとはデリ〜でも会った。 ダラムサ〜ラへの長期滞在中にひょんなことからデリ〜へと5日間くらい小旅行をしたのだが、そこでも偶然、そのおじさんに会った。 またしても、なんか別のレストランを開いていた。 しかし、普通、韓国からインドへビジネスをやりに来るだろうか。 その時はあまり気にならなかったが、今考えるとかなりおかしい。 変だ! 怪しい! もしかしたら、国際指名手配の国外逃亡者だったりして。。。…

  • インド紀行③①

    ダラムサ〜ラのある地域はモンス〜ン気候帯に属し、雨季に当たる6〜9月は本当に雨が酷い。 日本の梅雨なんかとは比較にならない。 泊まっていたカルサン・ゲストハウスのバルコニ〜からはヒマラヤ山脈が一望できたので、豪雨の中で光る雷は非常に美しかった。 また、雨が止んだ後に現れる虹も同様にまた美しかった。 雨と猿の出現の間に関係があるのかどうかはわからないが、ある雨の日、ゲストハウスで他の旅行者の部屋のドアの前で話をしていたら、その女の子が「あっ!後ろ!」と私の部屋を指さした。 後ろを振り返ると、そこには大きな猿が私の部屋に入っていくのが見えた。 「え〜!」と、ドアを閉めなかったことを悔いたが時すでに…

  • インド紀行③⓪

    ある日、散歩をしていると、やけに多くの旅行者たちがいた。 何をしているのかと訊ねると、ダライ・ラマ14世への謁見のための事務手続きに並んでいるとのことだった。 私は特に彼への思い入れはなかったが、これも何かの縁だと思い列に並んだ。 1時間ほど列に並ぶと、私の番がやってきた。 事務手続き自体は簡単なもので、身分証明書としてパスポ〜トとVISAのコピ〜を提出するだけだった。 それから約1ヶ月後くらいにダライ・ラマ14世と謁見した。 一人ひとりが対面できるといっても、もの凄い人数である。 一人に割り当てられる時間は3秒足らずしかない。 それでも、しっかり握手をしてくれる。 私もした。 写真で見る彼は…

  • インド紀行②⑨

    他にも単に困った旅行者たちもいた。 これは噂で聞いた話だが、スイスからインドまで自転車で来たがそれを皆が賛美してくれないことに腹を立て、パ〜ティ〜でLSDを摂取し錯乱状態になったその男はダライ・ラマ14世が住む場所に裸で侵入したらしい。 また、パスポ〜トを焼き捨てたスウェ〜デン人の男の話も聞いた。 別にパスポ〜トを焼くのは個人の勝手だが、皆から尊敬されないことを理由に腹を立てラリって他人の住居に押し入るのは迷惑である。 (続く。。。)

  • インド紀行②⑧

    インドにまでやって来る旅行者たちは皆、何かしらの問題というかトラウマを抱えている人が多かった。 ベトナム帰還兵のファビオもそうだった。 おそらく、ベトナムで見た光景は忘れたくても忘れられない地獄だったに違いない。 一度、リズからファビオが話したがっていると言われたので、ファビオの部屋まで行ったことがある。 私の愛読書がサリンジャ〜の「ライ麦畑でつかまえて」だということを知ったファビオが興味を持ったらしい。 ひと通り「ライ麦畑でつかまえて」について話を終えた私は、ウッドストック・フェスティバルにファビオが行ったか否かを訊いた。 すると、寂しそうに「あの3年間はすべてベトナムにいたよ。。。」 そし…

  • インド紀行②⑦

    私たちのグル〜プには多彩な顔ぶれが揃っていた。 ベトナム帰還兵の愛称・ファビオ。 ファビオとは女性向けの恋愛小説「ハ〜レ〜・クィ〜ン・ロマンス」の表紙を飾る、長い金髪と青い眼、そして筋骨隆々な肢体を誇るモデルのことだ。 独特のハスキ〜・ヴォイスでジョ〜クを連発するオ〜ストラリア人のリズ。 生粋の旅人・マ〜レイおじさん。 とにかくお酒を飲むことが好きな大工さん・マット。 相手に対して年齢を訊いておいて、自らのそれは決して言わない謎のイスラエル人女性。 その他にも大勢いた。 飽きることなく毎日、朝から晩までくだらないことを言い合っては、お腹が痛くなるまで笑った。 (続く。。。)

  • インド紀行②⑥

    外を散歩しながら雑貨店などを見ていると、「English Grammar in Use」が本屋に平積みにされていた。 気になってので手に取って立ち読みをした。 すぐにこれはかなりいい参考書だと気づいたので、即、買うことにした。 毎晩、深夜過ぎてから午前3時頃までは勉強していたと思う。 それぐらいに私は凝り性だ。 朝起きてから寝るまでの会話は常に英語。 そのうえで私は3時間はみっちりと独学した。 ちょうど午前3時頃になり、勉強疲れした私は部屋を出た。 するとそこにはあるデンマ〜ク人の旅行者がビ〜ル片手に夜空を見上げいた。 私もテ〜ブルの上から冷えていないビ〜ルを取った。 で、話しかけた。 「いや…

  • インド紀行②⑤

    今回のダラムサ〜ラで滞在では、多くの長期滞在者と会った。 居心地よく感じたのは私だけではなかったようである。 初めはバラバラであったのが、次第に1つのグル〜プに自然となった。 彼らの多くがカルサン・ゲストハウスという宿に泊まったいるとのことなので、私も荷物をまとめチェック・アウトを済ませるとそこに行った。 私の部屋の前にはバルコニ〜があり、ヒマラヤ山脈を一望することができた。 バック・パッカ〜は基本的にやることがないので、10人ぐらいが円になり日がな一日くっちゃべっている。 当然、さまざまな国から来た旅行者がいるので、暗黙の了解として英語で話すことがル〜ルとしてある。 このようにして、私は知ら…

  • インド紀行②④

    ダラムサ〜ラへと戻ると、そのまま例のオ〜ストリア人と一緒に宿に泊まった。 ここダラムサ〜ラでは建物が急斜面だろうがなんだろうがおかまいなしにやけくそ気味に建てられている。 ジャッキ〜・チェン主演の「ポリス・スト〜リ〜」で、刑事たちと犯人たちが掘っ建て小屋を舞台に銃撃戦を繰り広げるシ〜ンがあるが、あんな感じの建物が建ち並んでいる。 耐震構造とかどうなっているんだろう。 既に一度訪れた街なのでどんな所かは知っていたが、旅行者たちの顔ぶれも変わっているだろうし、何かいい情報を彼はから聞くことができるかもしれない。 そう思うと荷物を置いて街に出た。 (続く。。。)

  • インド紀行②③

    シュリナガ〜ルへはラダックで知り合ったオ〜ストリア人の旅行者と一緒に行った。 今回は前に泊まったハウス・ボ〜トとは違うハウス・ボ〜トに泊まった。 そのオ〜ストリア人の旅行者はどこで覚えたのか知らないが、カヌ〜を非常にうまく漕いだ。 シュリナガ〜ルではカヌ〜が漕げないとせっかくの旅行を楽しめないだけでなく、買い物にすら行けずにハウス・ボ〜トにやって来るずる賢い商人にぼったくられるハメになる。 私はカヌ〜を漕ぐことができなかったので、かなりぼったくられた。 何度かカヌ〜にトライしてみたが、あれはかなり難しい。 結局、諦めた。 カヌ〜が漕げないことによりシュリナガ〜ルでの滞在が十分に楽しめなかったの…

  • インド紀行②②

    ラダックはむちゃくちゃ寒かった。 無理もない。 富士山よりも標高が高いのだ。 これだけ標高が高いと空気が足りなくて、寝ている時に酸欠で目が覚めることがある。 また、肌、特に唇がカサカサになった。 ここで一緒になった旅行者のグル〜プの間で、なんでもかんでも標高の高さのせいにするというジョ〜クが流行った。 例えば、「あ〜。。。寝坊しちゃったわ。標高が高いせいで」とか東京に住むくせに私が言うといった具合にである。 この遊びを「blame-everything-on-altitude-game」と呼んだ。 一人旅をしていると、さまざまな境遇の人たちと出会う。 ラダックでもいろいろな旅行者たちと知り合っ…

  • インド紀行②①

    シュリナガ〜ルからラダックまでは、ダラムサ〜ラからシュリナガ〜ルへとやって来たイスラエル人旅行者と一緒に行った。 ラダックへのバス移動では、またしてもトラブルがあった。 一台のバスがエンストを起こし、乗っていた旅行者たちは坂道を走って他のバスに飛び乗った。 コントみたいな光景である。 そんなこんなで、なんとか無事にラダックへと着いた。 (続く。。。)

  • インド紀行②⓪

    どういった経緯かは忘れたが、インド軍の施設に何故か行った。 替えのパンツ(ズボン👖)がないので、インド人の兵隊さんから借りた。 シュリナガ〜ルでは湖の周りをぐるりと自転車で一周もした。 また、モスク🕌へも行った。 こうやって思い出しみると、結構、色々な経験をしたことに気づく。 イスラエル人の旅行者と一緒にいたので、自然と他のイスラエル人旅行者たちとも会った。 今、思い出した。 シュリナガ〜ルからダラムサ〜ラへと戻る前に、ラダックという標高3500メ〜トルの街に行った。 (続く。。。)

  • インド紀行①⑨

    シュリナガ〜ルはイスラム教徒が大多数を占める。 泊まったハウス・ボ〜トのオ〜ナ〜もイスラム教徒だった。 だからお酒を飲むことはいけないことなのだろう。 一度、私がお酒を飲んでいると一口くれと言い、ものすごい勢いで隠れるようにサッと飲んだ。 お酒を売るのもタブ〜らしく、カヌ〜ですいすいとやって来る商人も、果物や食料品の下にある秘密(?)の扉にお酒を隠し持っている。 また、イスラム教徒の女性たちには男の裸体が珍しいらしく、私がシャワ〜を浴びて上半身裸でいると、ハウス・ボ〜トのオ〜ナ〜の娘さんが食い入るように見てきて恥ずかしかった。 (続く。。。)

  • インド紀行①⑧

    いや。 3ヶ月間、ダラムサ〜ラに滞在したと書いたが、思い出してみるとシュリナガ〜ルに一度行きまたダラムサ〜ラに戻って来た。 シュリナガ〜ルはインドのかなり北に位置し、宗教的な問題か何かでパキスタンと揉めている紛争地域だ。 そこら中に戦車や銃を持ったインド人の兵隊さんがいる。 もともとはイギリス植民地時代の避暑地だったらしく、ハウス・ボ〜トという湖に浮かぶように建てられた家が見どころだ。 私もそのハウス・ボ〜トに泊まった。 ダラムサ〜ラで知り合ったイスラエル人の旅行者と一緒に。 ここ、シュリナガ〜ルに到着したのは夜だった。 湖のうえ一面には灯りが広がっていた。 それは非常に綺麗な光景だった。 (…

  • インド紀行①⑦

    ダラムサ〜ラは大きく分けて3つの街に別れる。 マクロ〜ド・ガンジにダラムコット、そしてバグス〜だ。 このうちダラムコットはイスラエル人がほとんどを占め、治外法権が適用されている(ウソ)。 バグス〜はなんと言うかヒッピ〜・チックな街である。 やけにドレッド・ヘア〜の旅行者が多い。 私が滞在したのはマクロ〜ド・ガンジだ。 今から考えらと最も退屈な場所である。 せっかくインドまで行ったのだから、もっとエキゾチックな所に泊まればよかった。 それはそうと、ダラムサ〜ラはなかなか居ごこちがよかった。 驚くなかれ! なんと私は3ヶ月もここにいることになってしまった。 (続く。。。)

  • インド紀行①⑥

    なんとか無事にダラムサ〜ラに着くと、しつこい客引きをかき分け宿を探して荷物を降ろした。 今回はダブル・ル〜ムである。 バスが横転事故を起こした時に、たまたま一緒になった日本人の青年と泊まることにした。 荷物を宿に置くと、街に出てダラムサ〜ラがどんな所か見物してまわった。 さすがはチベット亡命政府のある地だ。 いたるところにお坊さんがいた。 彼らチベット人は日本人にそっくりだ。 この後、ダライ・ラマ14世にも謁見したが、本当に日本人みたいだった。 ダライ・ラマ14世に謁見したなどと言うと、なにかすごいことのように思うかもしれないが、誰でもパスポ〜トを持って行きレジストレ〜ションすれば可能だった。…

  • インド紀行①⑤

    翌朝になり迎えのバスが来た。 しかし、横転事故が起きたため、ダラムサ〜ラに着くまで気が気じゃなかった。 さらにことを悪くしたのが、日本では考えられない悪路である。 クライマックスはダラムサ〜ラへと下町のダラムコットから至る急勾配の坂道だ。 バスが二台、なんとか通れる道である。 しかも無理矢理に。 写真が残っていないのが残念だ。 間違いなく驚くはずである。 それくらいに酷い。 日本では考えられない。 ま〜、インドの普通は日本では考えられないことばかりだが。。。 (続く。。。)

  • インド紀行①④

    ところが彼らインド人の警察官たちは横転したバスの前でこともあろうか記念写真を撮って、そのまま何事もなかったかのように帰って行った。 これには本当に呆れた。 旅行者たち皆がそうだったに違いない。 我々、旅行者たちは暗闇の中、取り残された。 誰がどうやって手配したのかはわからないが、迎えのバスが来るまで近くにある食堂の床で寝ることができた。 (続く。。。)

  • インド紀行①③

    そうこうするうちにバスがやって来た。 わたしの席は左端だった。 なぜ覚えているかと言えばこの後、バスが右側に横転事故を起こし、一番左側に座っていた私はものスゴイ距離から投げ出されたからだ。 最初は右側に少しだけ傾いた。 しかし、私は蚊と格闘していたのでそれどころではなかった。 次に左側にユラっと大きめに。 そして最後に右側にいきなり横転した。 バスの灯りが消えて真っ暗になった。 ちょうどデリ〜を出発してから6時間くらい経った頃だった。 旅行者同士協力して、なんとか横転したバスから脱出した。 30人を超えるインドの警察官がやって来た。 当然、救出に来たのだと思った。 (続く。。。)

  • インド紀行①②

    ダラムサ〜ラにはチベット亡命政府があり、チベット仏教の最高指導者のダライ・ラマ14世もいる。 行くまでは知らなかったが。 デリ〜でバスのチケットを買い、荷物をまとめた。 インドでのバス移動は超長時間である。 デリ〜からダラムサ〜ラまでも12時間はかかるとのことだった。 一度、デリ〜からネパ〜ルのカトマンズまでバスで行ったことがあるが36時間もかかった。 にも拘わらずトイレが付いていない。 だから、私はバスでの移動前にはほとんど何も食べないようにしていた。 ダラムサ〜ラ行きのバスが止まる停留所まで歩いて行き、バスが来るまで他の旅行者と他愛のないおしゃべりをした。 (続く。。。)

  • インド紀行①①

    宿に戻ると、ロビ〜でやっていたWWEにみんな釘づけになっていた。 私も特にやることがなかったので、皆と一緒にテレビを観た。 たしか、ザ・ロックだったと思う。 彼が映っていた。 私はテレビを観ながら漠然と今後どうするかを考えた。 デリ〜の次にどこへ行くかは全く決めてなかったのだ。 たまたま、私が泊まっていた安宿のスタッフのインド人のおじさんがダラムサ〜ラへと行くと言うので、なんとなく私もそこへ行くことにした。 いい加減なものである。 まだ、この後、とんでもないことが起きるとは予想だにしていなかった。 (続く。。。)

  • インド紀行⑩

    ステ〜キも食べ終えたところで、次はバ〜へと連れて行ってもらった。 そこでは一切、詐欺事件の話はしなかった。 というか、それ以上、突っ込んで話を訊くのは失礼だったろう。 それに私も大して興味がなかった。 あ互いにビ〜ルをたくさん飲んだ。 何を話したのかもよく覚えていない。 別にそこまで酔っていたワケではない。 ただ単に昔のことなので記憶に残っていないだけだ。 楽しいお酒を飲んだところで帰ることにした。 外に出るともう深夜に近かったように思う。 (続く。。。)

  • インド紀行⑨

    ステ〜キを食べながら、思い切って事件のことについて訊いてみた。 すると意外にも気を悪くした素振りも見せず、おじ〜さんはその話をしてくれた。 おじ〜さんが言うには数年計画で慎重にことを運んでいたそうだ。 インドにもインド人にも慣れ、ビジネス・パ〜トナ〜も見つかりようやくというところでやられたらしい。 なにしろ家族ぐるみで仲良く付き合っていたから、まさか裏切られるとは思っていなかったようだ。 しかし、億単位のお金である。 簡単に国外へと逃亡できるだろう。 それにインド国内に潜伏していたとしても、10億人を超えるインド人の中からその男を探し出すのは不可能に近いはずだ。 (続く。。。)

  • インド紀行⑧

    ヒンズ〜教では牛は聖なる動物なので、ヒンズ〜教徒が大多数を占めるインドでは限られた場所でしか食べられない。 おじ〜さんが私を連れて行ったのはその限られた場所の1つだ。 と言っても、ただの高級ホテルであったのだが。 要はお金次第だということだ。 宗教もへったくれもない。 そのホテルに併設されたレストランでは、リクエストをすると生演奏をしてくれた。 しかもなかなか上手い。 エルヴィス・プレスリ〜の「can't help falling in love」に聴き惚れていると、テ〜ブルへステ〜キが運ばれてきた。 (続く。。。)

  • インド紀行⑦

    仏教エンタ〜テイメント・パ〜クか。。。 たしかに仏教はインドで生まれたが、今ではすっかりヒンズ〜教に取って代わられ消え去ったに近い。 仮にそのビジネスが計画通り進んだとして、採算が取れないばかりか経営破綻していただろう。 もちろん、そんなことはおじ〜さんに言わなかったが。 ひと通りコンノ〜ト・プレイスを見て回ると、もう夕方になっていた。 おじ〜さんが牛のステ〜キをご馳走してくれると言うので、牛肉が食べれるという高級ホテルへと2人で行った。 (続く。。。)

  • インド紀行⑥

    そのおじ〜さんの部屋は屋上の一角にあった。 この日差しである。 最上階なら直射日光が当たって余計に暑いだろう。 チャイを飲みながらお互い身の上話をした。 2、3時間は経っただろうか。 暇だったのでおじ〜さんと一緒にコンノ〜ト・プレイスという、インドにしては小綺麗なショッピングモ〜ルへと行くことにした。 そこへ着くなりわらわらと多数のインド人が集まってきた。 新聞を手に。 どうやらおじ〜さんが目当てであったようだ。 当たり前か。 私が目当てのはずがない。 億単位のお金を騙し取られたというのは本当にだったらしく、新聞にはその詐欺事件のことが記事になっていた。 尤もインドの言葉で書かれたその新聞を私…

  • インド紀行⑤

    大して歩かないうちにそのインド人が勧める宿に着いた。 普通の安宿である。 良くも悪くもなかった。 最上階には高齢の日本人が泊まっていた。 話してみるといい人そうだったので、人恋しさもありその宿へと移ることにした。 私はすぐに泊まっていた宿に戻り、荷物をまとめてチェック・アウトをした。 そして、新しい安宿へと移ると荷物を部屋に置き、パスポ〜トとトラベラ〜ズ・チェックだけ持って最上階にいる日本人のところへと行った。 たしか、4月だったと思う。 が、既にデリ〜は暑かった。 そのおじ〜さんは上半身裸で暑そうにうちわで気怠そうに空気を煽いでいた。 話を聞いてみると、何やらそのおじ〜さんは億単位のお金を騙…

  • インド紀行④

    翌朝目が覚めると、とりあえずインドとはどういうものかと散歩に出かけた。 香辛料の匂いがどこからともなく漂ってきた。 インドの風景はこれまでに見たことのないものばかりだった。 道ばたに転がっている牛の糞。 物乞いをしているインドの下層階級の人々。 インドの民族衣装に身を包んで裸足で歩く、ドレッド・ヘア〜にタトゥ〜を入れたヒッピ〜風の旅人たち。 そうこうしているうちに、私は1人のインド人に声をかけられた。 安い宿があるからそっちに移らないかという話だった。 若かった私は疑うことなくその話に乗った。 (続く。。。)

  • インド紀行③

    うろ覚えだが、パハ〜ルガンジという旅行者の集まる安宿街だったと思う。 宿の予約などはしていなかった。 今から考えると恐ろしい。 が、個人旅行者、それも放浪に近い安旅をする人間に前もって宿の予約をする者などいない。 私だけが例外ではないのだ。 安宿には大きく分けて、シングル・ル〜ムと2人〜4人部屋、そして最も安いドミトリ〜という大部屋があるのだが、私はこれらのうちドミトリ〜には泊まったことがない。 インドで過ごす最初の夜はシングル・ル〜ムにした。 ま〜、インドに着いたばかりで誰も知り合いがいなかったからなのだが。 不思議と寂しさは感じなかった。 (続く。。。)

  • インド紀行②

    初めてインドに行ったのは21の時だ。 あらゆることに絶望して生きていることがイヤになり、死ぬくらいならその前に勇気を出してインドへ行こうと思った。 その時は知らなかったのだが、後から思えば「猿岩石」の頃にちょうど重なる時期だったのかもしれない。 そんなこともあってか、割に日本人の1人旅をしている人が多かった。 私はインドの首都のデリ〜へ成田空港から飛んだのだが、タイのバンコク経由で行くほうが安かったらしい。 デリ〜の空港に到着すると、「ムワ〜♨️」とした南国特有の蒸し暑い空気が流れてきた。 着いた時刻は覚えていないが既に辺りは暗かった。 頼んだ覚えはないにも拘らず、空港を出ると私の名前を呼んで…

  • 文豪自殺辞典④・・・川端康成

    川端康成についてはよく知らない。 三島由紀夫の師匠であったことやノ〜ベル文学賞を受賞したこと、そしてガス管を口に咥え一酸化炭素中毒死しこの世を去ったことぐらいである。

  • 文豪自殺辞典③・・・三島由紀夫

    三島由紀夫、本名・平岡公威は祖父の代から続く官僚の家に生まれた。 祖父は樺太庁長官まで上り詰めた人物だが、後に失脚した。 父親もまた官僚であった。 三島自身も専業作家になる前は大蔵省に勤める官僚。 しかし、二足の草鞋を履くのは大変だったようで、友人に小説家として一本で生活したいと相談する。 そして、「仮面の告白」の担当編集者であった坂本龍一の父親の勧めで専業作家となるべく大蔵省を辞す。 以後、多くの小説を書き昭和を代表する作家となる。 ノ〜ベル文学賞を日本人が受賞したとの伝えを聞いた時には、師匠の川端康成ではなく自分のことだと思ったそうである。 小説家として活躍するだけでなく、俳優やボディ〜・…

  • 文豪自殺辞典②・・・太宰治

    太宰治、本名・津島修治は青森県でも有数の豪農の11人兄弟の10番目の子供として生まれる。 家族は75万坪を有する大地主であり、父親は貴族院議員として多忙な毎日であった。 旧制高校生時代に、憧れていた芥川龍之介の自殺を知り強い衝撃を受ける。 それ以来、高校生の身でありながら遊廓に通いだす。 東京帝大仏文科に進学するも授業に一回も出席せず、卒業資格試験において試験官から「教授の名前を1人でいいから言ってみろ。言えたら卒業させてやる」と言われるも言えず見事に中退となる。 中退後、銀座のバ〜の女給と知り合い心中することに。 が、相手の女性だけが死に太宰は助かる。 その後、師匠の井伏鱒二の仲介で結婚。 …

  • 文豪自殺辞典①・・・芥川龍之介

    芥川龍之介は生後まもなく母親が発狂し、それ以来、親戚の家を転々とする。 以後、優秀でなければ捨てられるという恐怖に怯えることとなる。 この暗い幼少期の境遇が生涯にわたり影をさす。 成績優秀であった彼は東京帝大へと進学し、在学中より小説を創作する。 彼の作品「鼻」が夏目漱石から絶賛され、輝かしい文壇デビュ〜を果たす。 数々の短編小説を書き上げ大正時代における文壇のスタ〜となったが、親戚が莫大な借金を抱えながら自殺したことにより、その借金の肩代わりをした芥川は首が回らなくなる。 そして、35の若さで自殺。 一般的には睡眠薬による服毒自殺と言われているが、晩年は日中から睡眠薬でべろんべろんになってお…

  • しゃっくり

    しゃっくりが止まらなくなるのはしょっちゅうだが、昨日は本当に酷かった。

  • メンタリスト・Daigoの著書の累計発行部数は300万部

    たまたま知ったのだが、メンタリスト・Daigoの著書はなんと累計300万部もあるそうだ。 ついでに、彼は医者になりたかったらしい。 慶応の理工学部か何かから医学部への編入を目指していたみたいである。 まったく知らなかった。

  • 天気予報ほど当たらないものはない

    つくづくそう思う。 あんなんで金をもらっているかと考えると腹が立つ。

  • わけのわからなくなんかないはずの和気清麻呂

    「わけのわからない自殺理由」シリ〜ズを書いていたら、頭の中が「わけのわからない」という言葉で一杯になってしまった。 しまいには何故か和気清麻呂のことを連想する始末である。 和気清麻呂が何をやった人なのかはサッパリ忘れた。 しかし、少なくとも「わけのわからない人」なんかではないはずだ。

  • わけのわからない自殺理由⑥

    これは傑作だ。 これまでに書いた「わけのわからない自殺理由」シリ〜ズの中でも群を抜いている。 爆笑必至である。 イギリス🇬🇧での話だ。 ある年配の男は自殺を思いたったが死後にドラキュラ🧛‍♀️🧛‍♂️に襲われるのを怖がり、床に塩🧂&胡椒&ニンニクをばら撒いたところニンニクを喉に詰まらせ死んだそうだ。 わけがわからない。

  • わけのわからない自殺理由⑤

    これまたわけがわからない。 ある中年の男は離陸間近の飛行機✈️の中にいたが、突然、「死にたい。。。」と呟き飛行機✈️の扉をこじ開け外に出、隣の滑走路に飛び込み別の飛行機✈️に轢かれ即死したそうだ。

  • わけのわからない自殺理由④

    ある受験生は受験に落ちた(何回か)ことを苦に自殺をした。 わけがわからないのは背中に10キロ近い辞書や参考書を背負っていたことである。 一体、なんで参考書を背負って自殺などしたのか。 来世でも受験勉強をするつもりだったのだろうか。

  • わけのわからない自殺理由③

    今、見つけた。 わけのわからない自殺理由が書いてある本を。 当然、中には笑えないものもあるが、正直、爆笑してしまう内容の自殺理由もある。 全部で10ぺ〜ジあるので、明るい(?)自殺理由だけを書いていく。 当分はこの「わけのわからない自殺理由」シリ〜ズが続くことになるので、これまでのこの「わけのわからない自殺理由①&②」を楽しんで読んでくださった方には期待していただきたい。 では行こう。 ある時、ある2人のメッキ公が青酸カリを前に、「こんなんじゃ死なない!」「いや!死ねる!」と口論になり、「死ねる!」と主張したほうの男が実際に飲んで死んだ。

  • わけのわからない自殺理由②

    これもまた「わけのわからない自殺理由①」に書いた、「完全自殺マニュアル」の著者・鶴見済の本に書いてあった。 どこかの姉妹か兄弟は、「自殺をしなければ超能力の力を強くできない!」というヘンテコリンな理由から自殺をしたらしい。 疑問なのはそもそも超能力の力を彼らが持っていたのかということである。

  • わけのわからない自殺理由①

    「完全自殺マニュアル」の著者・鶴見済による何か別の本で、笑うしかないというか唖然とするしかない、わけのわからない自殺理由が書いてあった。 とある60歳ぐらいの女性は買い物か何かに出かけた際に近所の友達🤝に会って、その近所のおばさん友達🤝が自殺をしようかと悩んでいたのを止めようとしたところ自分も説得(?)されてその人と一緒に自殺したそうだ。 残された旦那さんは、「わけがわからない」と言っていたらしい。

  • マツキヨでの見苦しいトイレットペ〜パ〜争奪戦

    マツキヨに朝一で行ったら、多くの人が商品があるのに押し合いへし合いしていてイヤになった。

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