searchカテゴリー選択
chevron_left

カテゴリーを選択しなおす

カテゴリーのご意見・ご要望はこちら
cancel
プロフィール
PROFILE

QPtanさんのプロフィール

住所
未設定
出身
未設定

自由文未設定

ブログタイトル
QPtanの日記
ブログURL
https://qptan.hatenablog.com
ブログ紹介文
読書日記や種々雑感。哲学、文学、歴史、英語、ロックなどについて。 また、若かりし頃の海外生活にインドやタイ、ネパールをバックパッカーとして巡った日々についても書きます。
更新頻度(1年)

9回 / 365日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2019/09/26

本日のランキング(IN)
フォロー

ブログリーダー」を活用して、QPtanさんをフォローしませんか?

ハンドル名
QPtanさん
ブログタイトル
QPtanの日記
更新頻度
9回 / 365日(平均0.2回/週)
フォロー
QPtanの日記

QPtanさんの新着記事

1件〜30件

  • インド紀行⑥③(タイ編)

    詳しくは知らないがJはインドへ来る前にタイのチェンマイという街にある大学に短期留学していたらしく、その街がいたく気に入っておりわたしもその街にJと行くことになった。 チェンマイへは寝台列車で行った。 この電車🚃の中でもわたしは呑んだくれていた。 バンコクを出発したのは夕方頃だったので、チェンマイに着いたのはたしか早朝だった。 いや。 お昼頃かな? ま〜、とにかく着いた。 チェンマイに着くと、我々はJがインドに来る前に泊まっていた宿屋へ向かった。 (続く。。。) 旅するように、暮らしたい。「MILESTO」 格安航空券エアトリ

  • インド紀行⑥②(タイ編)

    タイへは飛行機でカルカッタから向かった。 タイで何をするかは決めてなかったが、何処へ行くかは決めていた。 ダラムサ〜ラで同じ宿に泊まっていた数人の旅行者がその時、タイにいたからだ。 カルカッタの空港で会ったイスラエル人の旅行者たちと話しながら飛行機に乗ったので、タイのバンコク国際空港へはすぐに着いた。 タイに行ったことがない日本人は驚くと思うがタイの経済は日本より遥か遅くに成長したので、デパ〜トなどは比較的近年になって建てられており日本のそれらとは比較にならないほど豪華だ。 3階までのエスカレ〜タ〜が天井吹き抜けだったりする。 その反面、道端に屋台が並んでいたりもする。 インドも貧富の差は酷い…

  • インド紀行⑥①

    どういうル〜トを通ったかは忘れたが、我々はインド大陸の真ん中を突っ切って北上した。 だから、当然、他には旅行者などいなかった。 いい経験だったが、今になって考えるとかなり危険な行為である。 運がよかったのか、さして危険な目には合わなかった。 ひとつだけあるとしたら、安宿に泊まったものの宿泊費の交渉で話が決裂して、朝になると我々は宿泊費を払わず走って逃げた。 幸いにもそこはインド。 警察も何も追いかけては来なかった。 インドは無法地帯である。 警察なんか頼りにならない。 兎にも角にも、わたしはデリ〜へ戻った。 どこかでそのカナダ人の女の子とは別れたので一人であった。 冬のデリ〜は寒かった。 夜寝…

  • インド紀行⑥⓪

    何の予備知識もなしに行ったプナだったが、着いてみるとビックリ。 そこはOshoという日本人なら聞いて思わず笑ってしまう尊称を持つラジ二〜シという人物(故人)が率いる、セックスを肯定するカルト宗教団体の本拠地だった。 如何にもセックスを肯定している宗教団体らしくその宗教団体の施設内にはディスコやバ〜があり、日中、それら施設に向かう西洋人の女性の中には修行着に厚化粧という異様な出で立ちの者もいた。 Oshoという人物はすごく、存命中に自ら悟ったと豪語していたらしい。 また、どういう理由からかは知らないが90台以上のロ〜ルスロイスを保有していたり、アメリカのオレゴン州には巨大な宗教生活共同体を建設し…

  • インド紀行⑤⑨

    ゴアではあまり何もしなかった。 レイブ(トランス・ミュ〜ジックという音楽を大音量で流し、それに合わせて踊る屋外のダンス・パ〜ティ〜)に少しだけ行った他は、サ〜カスを観に行ったりした。 どういう風に知り合ったかは忘れたが、カナダ人の女の子と一緒にゴアからは次の目的地のプナへとバスで向かった。 (続く。。。)

  • インド紀行⑤⑧

    ゴアは旧ポルトガルの植民地なので、インドでは例外的に牛肉が食べられる。 と、これを書いていて疑問に思った。 インド🇮🇳自体が旧イギリスの植民地だったのだから、この論理で行けばインド全域で牛肉が食べられなくてはおかしいではないか。 しかし、そうではない。 5スタ〜・ホテル🏨のような治外法権が働く場所を除いては、基本的にインド🇮🇳では牛🐮は食べられない。 ヒンドウ〜教において聖なる動物とされるからだ。 ま〜、牛🐃を食べられるか食べられないかは別に重要ではない。 我々3人はその日、牛🐄を食べたわけじゃないのだから。 では、何をしたか。 名前は忘れたが、夜🌉はバ〜になるレストランで何かを飲んだか食べた…

  • インド紀行⑤⑦

    ゴ〜カ〜ナからはゴアへ行くことに決めていた。 ダラムサ〜ラ〜で仲良くしていた日本人の女の子Yがインド人の彼氏とゴアにいると連絡をくれたからだ。 実は私は彼女に恋心を抱いていた。 というわけで、私はバスのチケット売り場に急いだ。 ゴアとゴ〜カ〜ナは同じゴア州にある。 ほどなくしてゴアに着くと、Yが泊まっているインド人の家を探した。 彼女からは事前にゴアで泊まっている民家の地図をもらっていたのだ。 しかし、どう探しても見つからない。 「あっちかな?こっちかな?」ともらった地図を頼りにそこらを行ったり来たりしていると、「◯◯〜!こっちこっち!」と聞き慣れた声がした。 「やっと見つかったわ。。。」 イ…

  • インド紀行⑤⑥

    ついさっき目の当たりにした、わけのわからない行為を繰り返し行う男に頭をフラフラさせながら宿へ帰ると、そこには誰もいなかった。 どこに行ったかと探し回っていると、宿屋のおじさんから彼らは宿を変えたと聞かされた。 何やら私の戻って来るのを待っていたそうだが、待てど暮らせど帰ってこないのでおじさんに言伝だけ頼み別の宿へと行ってしまったらしい。 たまたま、ゴ〜カ〜ナまでの途上で一緒になっただけだったし、彼らの中に特に気の合う人間がいたわけでもないので、私はそこにそのまま泊まることにした。 。。。 しかし、それは大きな間違いだった。 私が泊まった部屋は地べたに敷居を建て屋根を付けただけのものだったのであ…

  • インド紀行⑤⑤

    もうかなり昔のことなので記憶が曖昧だが、ラジャスタンの後にはゴ〜カ〜ナという超ヒッピ〜・リゾ〜ト地に行った。 なんでゴ〜カ〜ナへ行ったのかは覚えていないが、とにかく行った。 ちなみに、ゴ〜カ〜ナへは独りで行った。 Tの名誉のために書いておくが、私たちの恋愛は詳細は省くが終わっていたのだ。 旅の途上で知り合ったバック・パッカ〜たちと宿を決めると、私はあるインド小料理屋に入った。 すると、前方に怪しい動作を繰り返し行っている男に気がついた。 何を思ったか、その男は女性が周りにいるとみるや手当たり次第にウィンクをしていたのである。 その女性が別の男と一緒にいようがいまいが構わずに。 アホである。 (…

  • インド紀行⑤④

    早々にリシケシを後にすると、我々はいったんデリ〜に戻ってから砂漠地帯であるラジャスタン地方に行った。 たしか、ウダイプルとジャイサルメルだったと思う。 二ヶ所か三ヶ所を訪れた。 そのうちの一ヶ所の街には湖に浮かぶホテルがあった。 泊まったわけではないが。 また、どこかの街では何故かダリの絵を何かの布に描き写して旅行者たちに売っていた。 私は今も昔も洒落の通じない真面目人間なのでこれに激怒した。 いったい、ダリとインドの間に何の関係があるというのか。 洒落といえば、インドを旅行するバック・パッカ〜たちの間で何か似た味の物を表現する際に、「Same. Same. But, different.(同…

  • インド紀行⑤③

    バラナシの後、デリ〜に戻りトメルと合流するとリシケシというヨガの聖地へと行った。 リシケシにはあのビ〜トルズも行った。 同行したミア・ファロ〜か誰かがヨガの聖者にお尻を触られ、それに幻滅したビ〜トルズのメンバ〜たちは次々と帰国したが。 リシケシに限らず、インドではヨガ・スク〜ルでお尻を触られたと多くの女性旅行者たちから聞いた。 また、インドのヨガ・スク〜ルでは日本円にして10万円程度でヨガの教師の免許のようなものが貰えるので、日本で教えているヨガの教師たちを安易に信用するべきではない。 私たちがリシケシに行ったのはオフ・シ〜ズンだったので旅行者たちはほとんどおらず、ヨガの教室もやっていなかった…

  • インド紀行⑤②

    ガ〜トと呼ばれるバラナシのガンジス川沿いにある火葬場では、沐浴する人もいれば洗濯物をする人もいる。 インド被れの旅行者の中には泳ぐ者もいる。 何をしようとその人間の勝手だが、バラナシに流れるガンジス川は汚い。 むちゃくちゃ汚い。 この後、行ったリシケシという場所に流れるガンジス川はびっくりするほど綺麗だった。 同じ川でもリシケシに流れるのは上流部にあたり、また、火葬や洗濯が行われないことも川が綺麗な理由にあると思う。 バラナシにはまた日本料理屋もあった。 これはバラナシに限らず、多くのインド都市に共通して言えることだ。 理由は単純。 日本人旅行者の数が多いからである。 現地駐在員などが行く高級…

  • インド紀行⑤①

    バラナシへは例のイスラエル人の女の子ふたりと一緒に来た。 安宿のおじさんが別々の部屋にするかと訊くと、Tは同じ部屋でいいと言った。 曰く、イスラエル人同士の旅行者の間では男女で同じ部屋をシェアすることが普通だからと言うことだった。 私はその時点で何も気づかなかったのだが、感の鋭い人間ならTが内心なにを望んでいたかにピンと来たハズだ。 それは真夜中に起きた。 私はふくらはぎに何かが振れるのを感じた。 さすりさすりと。 はて? 私は30分くらい様子を見た。 しかし、それは一向に止まなかった。 まさかと思った私は暗闇の中、隣に眠るTに小声で話しかけた。 すると、「なに?」という素っ気ない返事が返って…

  • インド紀行⑤⓪

    インドへはカトマンズから国境を通って入国し、バラナシに滞在した。 バラナシは有名なヒンズ〜教の有名な聖地で、ヒンズ〜教徒たちには死んだらここで火葬されてその灰をガンジス川に流されるのを理想としているらしい。 (続く。。。)

  • インド紀行④⑨

    私の「インド紀行」を読んでくださっていたら、そこにやたらとイスラエル人旅行者が登場するのに気づくことだろう。 彼らイスラエル人は高校を卒業した後に兵役を経験し(強制ではないが、ほぼ義務)、兵役後から大学入学あるいは社会人になるまでの間に海外に出る。 だから、インドや東南アジアはイスラエル人の若者でいっぱいだ。 女の子にも兵役はあるので、綺麗な子がスナイパ〜だったりする(実話)。 一方の男はというと、基本的にマッチョだ。 肉体的にも精神的にも。 インドの旅行者世界は二度の衝撃を経験した。 一度目はイスラエル人旅行者の出現によって。 そして、二度目はロシア人旅行者の出現に。 何が衝撃かと言うと、二…

  • インド紀行④⑧(ネパ〜ル編)

    カトマンズからはいったんインドへ戻ることにした。 マットの友人だったトメルという名のイスラエル人旅行者と一緒にカトマンズにあるインド大使館にヴィザの申請に行った際、2人のイスラエル人の女の子と会った。 彼女たちもインド・ヴィザの申請に来ていた。 そのうちの一人(仮名T)はかなり可愛い子だった。 トメルはインド・ヴィザの取得を我々より早く済ませたので、先にインドへと行った。 残された私は彼女たちと行動を共にしたのだが、道端で彼女たちとお酒を呑んでいるとそれを見たインド人の商店のおじさんなどから羨ましがられた。 だからどうしたと言うのではないが。 (続く。。。)

  • インド紀行④⑦(ネパ〜ル編)

    カトマンズに戻ると、相変わらずのバ〜通いが始まった。 バ〜といっても値段は安く、特にハッピ〜・アワ〜は安かった。 とにかく、ありとあらゆるところにバ〜があり、おそらく旅行者の大半はバ〜に通っていたはずだ。 今でこそ一滴も呑まないが当時の私はアホみたいな呑んべいだったので、特にマットとはバ〜を飲み歩いた。 ある時、私は風邪を引いた。 かなりの風邪だった。 そうしたら、マットが面白い治療法を教えてくれた。 それは大量のアルコ〜ルを飲み、体内にある菌を殺すというものだった。 私は街の酒屋でウィスキ〜を買うと、吐くまで飲んだ。 するとビックリ! 本当に風邪が治ったのだ。 (続く。。。)

  • インド紀行④⑥(ネパ〜ル編)

    カトマンズに着くや、バスの中に「ライ麦畑でつかまえて」の原書を忘れてきたことに気づいた。 すぐに乗ってきたバスに戻ったが、本は見つからなかった。 仕方がないのでまた新しいのを買った。 自分の英語力が鈍ってきたと感じたら、私はいつも「ライ麦畑でつかまえて」の原書を読むことにしている。 使われている語彙の難易度が比較的易しいのと会話文が占める割合が高いので、こういった場合(自分の英語力が鈍ってきたと感じた時)には重宝する。 内容も抜群に良く、感動間違いなしだ。 今でこそこの本はアメリカの高校の授業で読まさせれるが、かつては危険図書として扱われた。 ジョン・レノンを殺害した男が犯行直前にキオスクでこ…

  • インド紀行④⑤(ネパ〜ル編)

    ネパ〜ルはトレッキングで有名だ。 多分、エベレストなんかも登れたはずである。 ポカラというトレッキングの街があり私も行ったのだが、晴れた日などは本当に景色が綺麗だった。 ヒマラヤ山脈が近くに見える。 その半面、風景が美しいこと以外には長所が何もなく、やることもまたない。 ま〜、普通、トレッキングをするのだが。 しかし、何を隠そう私はトレッキングをしなかったのだ。 では、何をしていたのか。 旅行者たちとくっちゃべっていた。 ポカラからカトマンズ行きのバスの中で空に見えるヒマラヤ山脈の美しさに感動していたら、隣の席に座っていたイスラエル人旅行者に呆れられた。 「あなた、ポカラまで来て何してたの?」…

  • インド紀行④④(ネパ〜ル編)

    どうやら西洋人は垢すりタオルの存在を知らないらしい。 マットは私の部屋にあったそれを見るや、アダルト・グッズだと信じて疑わなかった。 では、どうやって彼らは体を洗うのか。 ボディ〜・ソ〜プを体に直接付け、手で洗うのだろうか。 いや。 映画なんかでは泡風呂に入りながら、ゴシゴシと柄のついたスポンジで体を洗っている女優をよく見る。 ならば、何故、マットは私の垢すりタオルをアダルト・グッズなどと思ったのか。 謎である。 (続く。。。)

  • インド紀行④③(ネパ〜ル編)

    話は前後するが、ここネパ〜ルへはひとりのイスラエル人旅行者と一緒に来た。 彼女とは半年ほど前にダラムコットのピザ屋さんで一度会っていたのだが、たまたま、ネパ〜ルのカトマンズ行きのバスのチケットを買うために立ち寄った、ハレ・ラマ・ゲストハウスというイスラエル人旅行者たちがほぼ100%を占め、シナゴ〜グ(ユダヤ教の礼拝所)までその建物の中にあるという恐るべき場所で偶然にも再開した。 初めはお互いに気づかなかったのだが、彼女のほうが「あなた、○○?ダラムコットのピザ屋で会った?」と話しかけてきた。 だから、そうだと答えた。 すると彼女は言った。 「気を悪くしないでね。実はわたし、あの時、あなたの話す…

  • インド紀行④②(ネパ〜ル編)

    カトマンズはタイのバンコクと並ぶ世界有数の大気汚染都市だ。 自動車やバスなどから排出される排気ガスがものすごい勢いである。 が、中にはそれら大気汚染の対策を過剰になってする旅行者もいて、私が見た一番スゴい人はなんかダ〜ス・ベイダ〜が被っているマスクみたいなのをしていた。 (続く。。。)

  • インド紀行④①(ネパ〜ル編)

    その変なおじさんについて考えていたらふと思った。 日本政府から年金をもらい、物価の安い発展途上国で暮らすというのはある意味で賢い選択だ。 海外で暮らす日本人とは、私の二度目のインド旅行でも会った。 彼は革細工を自作しており、それをウェンズディ・マ〜ケットというがゴアで毎週定期的に開かれる、旅行者たちの集まる市場で売っていた。 また、インドに永住はしていなかったが、同じく革細工を作っては売っているスイス人旅行者とも会った。 販売価格を尋ねると、約1万円くらいとのことだった。 時間給だけを考えるとかなり安い。 普通にスイスで働いたほうが余程ましだろう。 日本のコンビニ・バイトでもそれより時給は高い…

  • インド紀行④⓪(ネパ〜ル編)

    ネパ〜ルのカトマンズにかなり変わった日本人のおじさんがいた。 歳の頃は60ぐらいで、どうやらネパ〜ルに移住しているようだった。 私には一度も話しかけてこなかったが、昼間っから道端に立ち見かけた日本人旅行者たちにお説教(?)をしていた。 やれ、味噌汁を食えだの親を大事にしろだのと。 モモを食べによく行った料理屋さんで、ひとりの日本人旅行者とそのおじさんのことが話題になった。 彼は言った。 「ほっとけよw」→(味噌汁を食え)発言に対して。 「お前が一番、親不孝者だよw」→(親を大事にしろ)発言に対して。 (続く。。。)

  • インド紀行③⑨(ネパ〜ル編)

    モモという食べものがネパ〜ルにあった。 形は違うが、味は餃子に似ている。 あの日、マットが私に何個まで食べられるか挑戦してきた。 いや。 挑戦してきたのではなく、私に大食いをさせた。 その頃の私は身体を鍛えまくっていたので、当然、食べる量も多かった。 たぶん、50個ぐらいのモモを食べた。 なかなか美味しいので、是非、皆さんにもインド料理屋などで試してみることをオススメする。 (続く。。。)

  • インド紀行③⑧(ネパ〜ル編)

    ネパ〜ルは若干、インドより物価が安かった。 それと、何故だかわからないが牛を食べてもいいらしく、カトマンズのレストランではいたるところで牛ステ〜キがメニュ〜に載っていた。 また、カトマンズには街中にバ〜がある。 おそらくはトレッキング帰りの旅行者たちが寛ぐための目的なのかもしれない。 私はダラムサ〜ラで出逢ったオ〜ストラア人の大工さん・マット(呑んべい)と一緒だったため、昼過ぎからお酒につき合わされた。 いくらバ〜がたくさんあるからといって、昼間から呑んだくれている旅行者は珍しい。 マットとよく行ったのは屋上にあるバ〜だった。 たしか、飲み放題だったと思う。 マットと一緒に昼過ぎから呑み、夕方…

  • インド紀行③⑦(ネパ〜ル編)

    インドからネパ〜ルの首都・カトマンズまではバスで行った。 36時間もかかった。 今だったら絶対にイヤだ。 とてもじゃないが耐えられない。 インドからネパ〜ルの国境線で恐ろしくマヌケな旅行者に会った。 なんと、その人はデリ〜からネパ〜ルまでタクシ〜で来たと言うのだ。 いったい、いくらくらいのお金を払ったのか。 普通に飛行機で来たほうが安そうである。 (続く。。。)

  • インド紀行③⑥

    バック・パッカ〜というものは基本的にヒマである。 朝から晩までやらなくてはならないということが何もない。 だから、レストランや宿屋などで知り合った人間と、気が合えさえすればすぐに小一時間は話す。 よくあるのが、だいたい10人ぐらいの旅行者が円になり共通語として英語で話すことだ。 だいたい、お互いの国についてのことや音楽の話題になることが多かった。 あとは、これまでに行ったインドの他の街の情報などを交換して、次にどこに行くか決める。 私もそろそろインドのヒザが切れる頃だったので、タイに行くかネパ〜ルに行くかで迷っていた。 その日、他の旅行者から聞いた話によると、ネパ〜ルは陸路で行けるし雰囲気も落…

  • インド紀行③⑤

    インドではマクドナルドが珍しい。 普通にあるにはあるのだが高級なお店の部類に入るようで、一度、インド人の大学生に「君、マクドナルドに行ったことある?」と訊かれたことがあった。 だから、「あ〜。マックね。美味しいよね」と答えると、「実は僕、マクドナルドで働いているんだ」と誇らしげに言ってきた。 ヒンズ〜教では牛は聖なる動物だから、インドのマクドナルドでは牛肉を使えない。 代わりに鶏肉を使う。 確かな情報ではないが、鶏肉を使うのはイスラム教徒に配慮してからかもしれない。 イスラム教では豚肉を食べることが許されていないからだ。 (続く。。。)

  • インド紀行③④

    インドに到着したばかりの頃、デリ〜の動物園に行ったが、あまりの暑さに動物がバテていて何も見れなかった。 暑さと言えば、ジャイプ〜ルという砂漠のある地域は酷かった。 暑いなんてもんじゃなかった。 私が滞在したのは4月だったが、暑さがピ〜クを迎える5月には50℃を超えるとのことだった。 暑い日中は皆、部屋の中で涼んでいた。 こういう風に書くとインドは年がら年中暑いように思うかもしれないが意外にも冬は寒い。 私はお正月を首都のデリ〜で過ごしたが、ブランケットが必要だった。 (続く。。。)

カテゴリー一覧
商用