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  • 百名山の伝承神話(12)「八幡平」

    【説明概略】八幡平は大火山高原で温泉があちこちにあります。ここの山の名は八幡平です。この「平=たい」は「岱(たい)」であるとよく説明されます。ところが、この岱という漢字はもとは代山(たいざん)で、転じて偉大な山という義なのだそうです。しかし、八幡平は岩手山や鳥海山のような高く大きな山には見えません。それよりも八幡は「やわた」で、「やわ」は柔らかい意味、「た」は場所のことといい、「柔らかいところ」となるとの説があります。なるほど、八幡平のような高原湿原は、柔らかい所だワナ。山頂から西側(鹿角市側)のふけの湯は子宝の湯として有名。また後生掛温泉には一人の男に後生を掛け、沸き上がる大噴湯に身を投げたふたりの女性の物語の「オナメ(愛人)・モトメ(本妻)伝説」や、鹿角市八幡平小豆沢には、トンボに教えられた泉のお陰で...百名山の伝承神話(12)「八幡平」

  • 「百名山の伝承神話・11」八甲田山

    【説明概略】青森県の八甲田山といえば、明治35年(1902)の凍死者197名、「雪中行軍遭難事件」の悲劇が有名です。この事件を主題として、作家・新田次郎が『八甲田山死の彷徨』を書きました。1977年(昭和52)にはこれが映画化されます。そのテレビコマーシャルの「天は我らを見放した」は流行語にもなりました。八甲田山は、十和田湖と青森市の中間にそびえる山塊の総称で、北八甲田連峰と南八甲田連峰に分かれますが、普通八甲田山といえば、北八甲田山群をさすという。山名は8つの峰と、低地に発達する高層湿原、池塘を田とみなして「神の田」、「耕田」、「高田」から八甲田、甲(かぶと)などの説もあります。東岳と八甲田山が山争いで八甲田は東岳の首をはねました。首は西に飛んで行き、岩木山の肩のコブになった。それで東岳の山頂が平らだと...「百名山の伝承神話・11」八甲田山

  • 『百名山の伝承神話』(10)岩木山「山椒太夫と安寿姫と津志王丸」

    【説明概略】岩木山は、その山の様子から「石(いわ)の城(き)」の字に「岩木」をあてたものといいます。山頂は中央部の岩木山、南の鳥海山、北の岩鬼山(ママ)からなる。中央部の岩木山山頂には岩木山神社(下居宮・おりいのみや)の奥宮本宮の建物が鎮座しています。弘前藩の鎮守のお山になっているそうです。ここにまつられているのは、森鴎外の小説『安寿と厨子王』で有名な安寿姫。この伝説から安寿姫を責め殺した山椒大夫の国丹後(京都)の人が岩木山の支配地に入っても神が怒るのだという。これを「丹後日和」というのだそうです。実際、山頂に登らせないという厳しい禁制がしかれていたということです。・青森県弘前市と鰺ヶ沢町の境▼【本文】をどうぞ。https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den10.h...『百名山の伝承神話』(10)岩木山「山椒太夫と安寿姫と津志王丸」

  • 「百名山の伝承神話」09号「幌尻岳」

    「百名山の伝承神話」「幌尻岳」【概略文】北海道の羊蹄山は、『日本百名山』に後方羊蹄山(しりべしやま)として、9番目に記載されています。山頂は、北海道虻田郡(あぶたぐん)喜茂別町(きもべつちょう)にある山。円錐形の美しい単独峰の山で「蝦夷富士」とも呼ばれています。山上にはお花畑が広がり、200種類以上もの高山植物が咲き乱れ、1921年(大正10)に国の特別天然記念物にも指定されています。この山には、父釜、母釜、子釜と呼ばれる3つの火口もあり、池塘には「羊蹄坊主」という谷地坊主(やちぼうず)があることでも有名です。谷地坊主とは、寒い土地の湿原などでこんもりと盛り上がったスゲの草の塊のことです。羊蹄山は、野草のギシギシの漢名の羊蹄(し)の山だという。なるほど、ギシギシの葉(くさび形)は羊の蹄に似ています。もとは...「百名山の伝承神話」09号「幌尻岳」

  • 山のトリビア伝記・百名山の伝承神話「幌尻岳」

    山のトリビア伝記・百名山の伝承神話「幌尻岳」【説明概略】幌尻岳には日高幌尻岳と十勝幌尻岳がありますが、ここでは平取町と新冠町との境にある「日高幌尻岳」のお話です。この山ろくは源義経伝説で有名なところ。鎌倉時代、義経は衣川(岩手県)の合戦で生涯を終えたことになっています。しかしそれは影武者で、義経は一行はひそかに、青森県竜飛岬から津軽海峡を渡り、北海道に逃れたといいます。さらに羊蹄山ろくをまわり、いまの平取町のアイヌ集落に落ち着いたというのです。そこで義経は外国の侵攻からアイヌ民族を守り、農耕、舟の作り方と操法、機織などを伝授。アイヌの民からは「ハンガンカムイ」とか「ホンカンカムイ」と呼ばれ敬われ、のちには神としてまつられたといいます。・北海道日高市庁沙流郡平取町と新冠郡新冠町との境。▼【本文】をどうぞ。h...山のトリビア伝記・百名山の伝承神話「幌尻岳」

  • ▼山のトリビア伝記「伝説と神話の百名山」(07)

    ▼山のトリビア伝記「十勝岳」【説明概略文】十勝の意味には説がいくつかあります。まず、アイヌ語で「トカプチ」、または「トカプ」などの言葉が変化したもので「乾いた」とか「焼けた」または「突き出た」などの意味とするもの。また十勝岳はアイヌ語ではポロシリとも呼ばれ、「大山あるいは親山」の意味で、アイヌの崇めるお山だとするものなどです。昔、有珠山のふもとに「カナメ」というアイヌの一族が住んでいました。ある夜、カナメ族の若者が、身長が30センチほどの小さな娘を捕まえました。それはコロポックルの酋長の娘でした。コロポックルの部落の人たちはみんなでカナメの部落の押しかけ、娘を奪い返しました。そして「アイヌ(カナメ族)の者どもには、呪われて若死を」と呪いの言葉を投げかけました。そのためか、カナメ一族はほどなく死に絶えてしま...▼山のトリビア伝記「伝説と神話の百名山」(07)

  • 百名山の伝説・神話(6)

    トムラウシ「金の延べ棒とシントコ」【説明概略文】北海道のヘソとともいわれるトムラウシ山は、頂上に大きな岩が幾重にも積み重なり、山上湖やロックガーデンも広がっています。山頂には一等三角点があり、溶岩礫におおわれ、岩場の付近では「ピチッ、ピチッ」というナキウサギの声も聞かれます。山名は、この山の東側が源流になっているトンラウシ川(トムラウシ川)からきた名だそうです。「トンラウシ」とは、アイヌ語で「水あかが多くヌルヌルした所」という意味。水あかのもとは、このあたりにあちこちに湧き出ている硫黄泉の温泉湯のためらしい。また、一説に「花の多いところ」の意味だとする説もあるそうです。ここには秋田藩が、ご禁制の私鋳貨幣製造を明治政府の監督使の監視から隠そうとした、箱に入れた金の延べ棒(約30億円)の埋蔵伝説があります。ま...百名山の伝説・神話(6)

  • 大雪山「神々の遊ぶ庭」

    大雪山「神々の遊ぶ庭」【説明概略文】大雪山(大雪山系)は、北海道の中央部にある旭岳などの山々からなる山塊。アイヌ語ではこのあたりをカムイ・ミンダラといい、「神々の遊ぶ庭」という意味だそうな。その大雪山と雌阿寒岳は夫婦山だったという伝説があります。ある日、大雪山が家に帰ると、妻の雌阿寒岳の髪が乱れているのを見て、浮気しているのを悟りました。夫山は妻山を殴りました。気の強い妻山は負けていません。山全体を揺るがせ、火口から真っ赤な炎を吐いて、夫の大雪山につかみかかりました。空には黒煙がみなぎり、赤い炎が渦巻き、大雪山系から十勝地方一帯に地震がつづいたと申します。雌阿寒岳の気の強さに、さすがの夫山の大雪山もタジタジだったというからすごい。・北海道上川支庁上川町。▼【本文】をどうぞ。https://toki.moo...大雪山「神々の遊ぶ庭」

  • 「東北飯豊山・種蒔山とイナゴ原」

    ▼山の軽口ばなし「東北飯豊山・種蒔山とイナゴ原」【説明概略文】飯豊山神社は農業に関係のある神さまを祀っています。山頂近くには「種蒔山」があり、そこには「いなご原」というところもあります。飯豊山は「オヤマシネ」(シネはイネの古語)の信仰が盛んでした。オヤマシネは種蒔山のイナゴハラ(いなご原)に自然発生したと信じられる水稲品種のことだそうです。秋になるとこの原一帯に昆虫のイナゴが飛びかうなどと言い伝えられています。昔は参拝者がここに生えた稲を刈り取って持ち帰り、ふもとの田んぼに種を播き、実った初穂を飯豊山に奉納、一粒が万倍になって戻ってくることを祈ったそうです。また飯豊山中にはカケ所と呼ばれる小祠が各所にあります。村人は二百十日前後に1週間お籠もりし、洗米や稲の初穂を持ってお山に登ります。そしてカケ所のひとつ...「東北飯豊山・種蒔山とイナゴ原」

  • ▼山の軽口ばなし

    「奥武蔵・多峯主山と義経の母・常盤御前」【説明概略文】飯豊山神社は農業に関係のある神さまを祀っています。山頂近くには「種蒔山」があり、そこには「いなご原」というところもあります。飯豊山は「オヤマシネ」(シネはイネの古語)の信仰が盛んでした。オヤマシネは種蒔山のイナゴハラ(いなご原)に自然発生したと信じられる水稲品種のことだそうです。秋になるとこの原一帯に昆虫のイナゴが飛びかうなどと言い伝えられています。昔は参拝者がここに生えた稲を刈り取って持ち帰り、ふもとの田んぼに種を播き、実った初穂を飯豊山に奉納、一粒が万倍になって戻ってくることを祈ったそうです。また飯豊山中にはカケ所と呼ばれる小祠が各所にあります。村人は二百十日前後に1週間お籠もりし、洗米や稲の初穂を持ってお山に登ります。そしてカケ所のひとつ「種蒔き...▼山の軽口ばなし

  • 「奥武蔵・源義経の母・常盤御前」

    「奥武蔵・源義経の母・常盤御前」【概略文】埼玉県奥武蔵の入口に多峯主山(とうのすやま)があります。江戸時代中期に経文を書いた石を埋めたという経塚や、上州沼田藩主黒田直邦の大名墓があるという。また「雨乞いの池」だとされる湿地帯にある池から多峯主山に登る坂は見返り坂といい、源義経の母・常盤御前がこの山に登ったとき、その景観のよさに後を振り返りながら登ったことによると現地の看板にあります。この見返り坂に、植物学者・故牧野富太郎博士が発見、命名したハンノウザサ(飯能笹)の植生があります。「この笹は、アズマザサの仲間で、一見普通の笹のように見えるが、幹の色、枝の出方などに特色がある。古くからこの地にのみ限られて生えている」との意味の説明があります。現在この種はアズマザサと同一種と考えられておりこちらの名を使い、ハン...「奥武蔵・源義経の母・常盤御前」

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