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2019/08/22

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  • 今年亡くなった方々を思う

    年末恒例「今年亡くなった方々」のリストを見て思う。それぞれの「国葬」のレベルの違いが浮き上がるエリザベス女王と安部元首相が筆頭だろう。その安部元首相を銃撃した山上容疑者が「五つ」の罪の容疑で送検されるという。殺人容疑、武器等製造法違反、銃刀法違反、火薬類取締法違反、旧統一教会関連施設への銃撃で建造物損壊、これで五つ。銃撃による公選法違反は立件を見送ったという。「禁固250年」などもある米国と違い日本では最も重い罪で刑期が決まるはず。公選法違反まで加えるかどうかなど余計な仕事という感もある。それよりも、彼の銃撃のお陰で旧統一教会の実態や被害、政治家との「黒い繋がり」明白になるという功績を評価して「減刑」を検討するというのはどうだろう。皆さま、良いお年を! 懐古シリーズ、多摩川の最終回はゴールの丹波山(タバ...今年亡くなった方々を思う

  • 「白銀の大縦断」に涙

    今朝のブログを別のテーマで打ち始めようとした時、「聴こえて」来たテレ番組に「見入って」しまった。二十代の若者が積雪期(2月~4月)の北海道のど真ん中の分水嶺を単独行で縦断する「白銀の大縦断」。宗谷岬から襟裳岬までの670Km、もちろん中央部は大雪山系という前人未踏のルートである。スキーとアイゼンを使い分けながらの雪の稜線歩きはまさに命懸け。ストックが2本とも折れるアクシデントは、この単独行を時折空撮するNHKのディレクターから修理工具提供のサポートを受けた。途中の山小屋に事前に準備した補給食糧がネズミに荒らされて大半が駄目になるアクシデントは急きょ恋人が雪の登山道を運び上げてくれた。このアクシデントの前、彼は自撮りのカメラに呟いていた。「誰かが待っていてくれる、そこに帰る誰かがいるから冒険が出来るのかな」...「白銀の大縦断」に涙

  • 飯能という街

    埼玉県飯能市。西武池袋線、新宿線がクロスするところ。西関東の街並の先端で、秩父へと連なる山々への入口。面積のほとんどが森林で林業が盛んなところである。西武池袋線がIターンする飯能駅から入間川を渡り、西方の山裾に造られたニュータウン美杉台。そこで起きた惨劇は、容疑者の黙秘でいまだに動機がわからないまま。この秋の秩父観音巡りでは、この飯能を通り西武秩父駅まで5往復したが、2017年秋には飯能駅からバスに乗り入間川の源流を訪れた。「熊注意」の立札で源流点の数百メートル手前で諦めたが、まさに深山の雰囲気を味わいながら上ったことを思い出す。 この飯能市の南に接するのが東京都羽村市、青梅市、奥多摩町。懐古シリーズで連載している多摩川が流れるところである。今日は青梅線奥多摩駅までの中上流編。飯能という街

  • 日米の架け橋「テイラー文庫」

    朝刊で見つけた「いい話」。外国語指導助手として石巻の万石浦(マンゴクウラ)小学校に赴任していた米国人女性のテイラー・アンダーソンさん(当時24)は、東日本大震災で他の教師と共に生徒たちを避難させた後、津波に呑まれて亡くなった。指導助手の後も日本に留まり、日米の架け橋になりたいと言っていた彼女の遺志を継ごうと、両親が基金を募り、万石浦小学校に本を寄贈したのが始まりで、今では宮城、岩手の20余りの小中学校に「テイラー文庫」が設置される。テイラーさんの母校である米国の大学では、テーラーさんに感謝し、日本との深い絆の証として後世に引き継ぐため、大学の図書室に「テイラー文庫」を設置し、日本語を学ぶ学生向けの書籍を置く。その本棚も、日本の小中学校の「テイラー文庫」の本棚も全て石巻の木工作家、遠藤さん(53)の制作で...日米の架け橋「テイラー文庫」

  • 公事方御定書の死刑

    今年も押し詰まり、明日は御用納め。そんな時に相応しくない話題だが、江戸時代の「死刑」について。新聞土曜版に連載中の小説「暦のしずく」(沢木耕太郎)で歴史上唯一、その芸のために死刑となった芸人、講釈師の馬場文耕に、南町奉行土屋越前守が言い渡した判決は、「不届至極に付き、見懲らしめ之為、町中引き廻しの上、浅草に於いて獄門申付ける」 八代将軍吉宗が整備させたという「公事方御定書」によれば江戸時代の死刑の種類は犯罪によって次の八つがあった。1.鋸引(ノコギリビキ)実際には首を鋸で引くことはなく、穴を掘って横に鋸を置いて二日間首を晒した後、刑場で磔2.磔(ハリツケ)牢屋敷から刑場に引き出し磔3.火罪放火犯だけに行われた刑、刑場まで引き廻してから磔にして火あぶり4.獄門、5.死罪、6下手人いずれも刑場には引き出さ...公事方御定書の死刑

  • アベック優勝ならず

    冬の都路を走る全国高校駅伝、女子は故郷信州の長野東が念願の初優勝、男子の佐久長聖は惜しくも2位。長野県勢のアベック優勝は成らなかった。長野東は、スピードスケートのメッカ「Mウェーブ」のすぐ東側に建つ。南に犀川、東に千曲川が流れる「長野市大字大豆島(マメジマ)」。戦前には長野(大豆島)飛行場があった。それまでの長野市の高校が長野市街の東や北東に偏在していたので、是非南東部にもとの願いで創立した県立高校である。近年女子の陸上部が強くなり全国高校駅伝では2度準優勝しており、都道府県対抗女子駅伝でも長野県躍進の原動力となっている。 懐古シリーズ、2012年から13年にかけて遡った多摩川。まずは河口からの下流編。羽田空港D滑走路の対岸、川崎浮島。湾岸道が地下から「浮く」川崎浮島の排気塔この先の六郷橋で東京側へ昼休...アベック優勝ならず

  • 命より大切な仕事はない

    電通の「鬼の十訓」に敗れた高橋まつりさんが過労自死して丸7年。「働き方改革」のきっかけとなった悲しい事件の一つであった。母親の幸美さんが言い続けて来たのが「命より大切な仕事はない」。その通り、命あってこその仕事。逆ではない。「24時間闘えますか」は、かつて企業戦士に向けた栄養剤のCMであった。諸般の理由で「徹夜の仕事」がないわけではない。しかし、それが何度も続いたら人間は「壊れる」。学生時代、200人を超える学生寮に住んでいた。折しも全共闘時代。寮生のほゞ半分ずつが対立セクトとそのシンパ(シンパサイザー)に分かれていた。毎日のようにキャンパスでは激しい対立が続いたが、夜寮に帰れば「同じ釜の飯を喰う」仲、24時間は闘わないのである。 近くの花壇から命より大切な仕事はない

  • 獄門に処せられた講釈師

    沢木耕太郎が、週一回朝日新聞土曜版に連載する「暦のしずく」。その第一回(10/1)「序章獄門一」の結びは、「長い日本の芸能史において、ただ一人だけ芸によって死刑を処せられた芸人は、その名を馬場文耕という。講釈師だった」室町時代、六代将軍足利義教によって佐渡に流された能楽の世阿弥。その理由は諸説あるが、少なくともその芸によってではなかった。江戸中期、歌舞伎の生島新五郎が遠島に処せられたのも、奥女中、江島との密通ゆえで、その芸のためではない。同じく江戸中期の元禄年間、落語家鹿野武左衛が大島に流された。これも悪疫の流行時に武左衛門の話に想を得て流言をまき散らした者の巻き添えを食ったものだった。昭和に入って治安維持法が乱用されは始めると、左翼的な言動の演劇人が検挙され「転向」を迫られた。滝沢修、若き沢村貞子なども...獄門に処せられた講釈師

  • 絶景よりも車窓のような生き方

    「絶景ではなく、車窓の風景のような人間でいたい」安西水丸、イラストレーターいろいろな解釈ができる言葉であるが、目立ちたいとも、強い印象を与えたいとも思わない、・・・ワンノブゼム(oneofthem)、大勢の中の普通の一人、と、朝日新聞「折々のことば」で鷲田清一は解説する。そして、安西水丸の次の言葉を補う。「どのように生きるかよりも、これだけはしたくないというものを持って生きる方が格好いい」 最初の言葉は、自分人生七十五年を振り返って、そんな生き方だったな、と思える。しかし、二番目の「これだけはしたくない」ものがあったかと言われると難しい。ちょっとズルいが最初の言葉に戻って「絶景なることはしたくない」と思って生きて来た、としておこう。 江戸川の散歩風景の続き富士山の方向だが・・・土手下のマンション建設、こん...絶景よりも車窓のような生き方

  • アベノゴリンの無駄金

    東京オリンピックの経費が総額4兆円近いものになったことが判明。アベノミクスの失政を何とか取り繕ろうと五輪に妄執した元首相の下、多額の出費となった。多くの無駄と利権という闇に消えた国税も多いことだろう。引き続く政権の下でも「金まみれ」が露呈した政治家が列をなす。こんな日本に誰がした。政治のレべルは国民のレベル。皆、心せよ。一方、今年の捜索四字熟語。なるほどと唸るものが多いが、個人的に一番傑作と思うのは「永刻女王」。日本で行われた薄っぺらな「国葬」と違い、まさに世界中の人々の心に「永く刻まれる」荘厳な国葬であった。 冬枯れの江戸川風景アベノゴリンの無駄金

  • 「立ち小便」考

    六十歳近くから始めたロング・ウォーキングも、最近は「ロング」を取って「ウォーキング」とした方がよさそうだ。川沿いの土手道を長く歩く時に困るのがトイレの問題。街中では、いざという時はコンビニという「強い味方」があるが、街と街の間の土手道にコンビニや公衆トイレがあることは少ない。土手の上から運動場のトイレらしい建物を必死に探すが、もちろん、どうしようもない時は土手や河川敷の茂みなどで「立ち小便」である。尤も、そんなことは一年に一度か二度である。「サザエさんを探して」(朝日土曜版12/17)で、酔った波平が電柱に立ち小便して警官に咎められるシーン(1964年12月)がある。最初の東京オリンピックの後だから、それ以前より公衆トイレが整備されていたとは思うが「出物腫物所嫌わず」だったのだろう。この記事の中で、199...「立ち小便」考

  • 「海軍」大本営の史実

    信州安曇野から北東に流れ長野市の郊外で千曲川に注ぐ犀川。これに沿って走る国道19号線が長野市街地に入る手前が安茂里(アモリ)地区。犀川左岸は山裾の高台である。ここに、松代(陸軍)大本営と同様、終戦間際に海軍の大本営も計画され、穿かれた壕や海軍マークの入った備品などが見つかっている。長野市に住む妹が小学校のミニ同級会で、この歴史を語り継ぐ活動をしている「男子」から資料を貰ったというので早速送ってもらった。まだ数部の資料をパラパラと捲って読んだだけだが、当時の塚田村長(息子が後の長野市長、塚田佐氏)の日記などから興味ある「史実」が覗える。・九十九里の海岸で「本土決戦」に備えていた「捷36395部隊」の終戦時の配置が東京・王子ということになっているが実際はこのあたりの小学校に駐留していたこと(約900名)。・数...「海軍」大本営の史実

  • W杯、壮絶な戦いで終わる

    今朝は今季初めてのマイナス0.5℃。各地で大雪になっていることも頷ける。このあたりは雪が舞う程度で終わる年もあるが今年はどうか。さて、サッカーW杯が終わった。それぞれのスーパーエースが得点する互角の戦い、決着はPK戦と、決勝に相応しい壮絶な戦いとなった。36年ぶりのアルゼンチンの優勝を祝おう。日本が惜しくもPK戦で敗れたクロアチアが3位。カタールと日本の時差が7時間。深夜や早朝の実況中継となったためいずれも「生(LIVE)」では観なかったが、近年になく注目したW杯であった。やはり、優勝経験国を連破して決勝トーンメントへ進出した「サムライブルー」の活躍が大きかった。ブラボー!ブラボー!4年に一回のサッカーW杯、あと何回味わうことができるか。 懐古シリーズ、淀川の河口までの下流編(2010年10月)W杯、壮絶な戦いで終わる

  • 感嘆符「!」の歴史

    日本で感嘆符!が使われ始めたのは明治20年ころという。若手作家、山田美妙(1868-1910)が大学予備門で学んだ英語から?=と共に!を取り入れた。当時「!」には名前がなく美妙は「ホコ」と呼んだ。最近文化庁の文化審議会が、府省庁の広報文や会議録に「!」の使用を認める方針を出したという。戦後、官報や議事録を文語調から口語調に改めて来た政府だが、!は歴史が浅く俗用とされて来た。(「番外天声人語」12/12から)今、LINEなどのSNSでは「!」が花盛り、「‼」や「⁈」もある。私もけっこう使う方かも知れない。ブラボー!感嘆符! 懐古シリーズ、淀川を遡る(2010年3月)この日は風速10メートルほどの北風の中を、新大阪から京都大山崎まで歩いた日で思い出深い。半分貨物線(JR東大阪線)、半分人道橋の珍しい橋、通称赤...感嘆符「!」の歴史

  • あの日、あの時

    朝刊(朝日)の投稿欄に時折「昔々の」投稿が掲載される。題して「あの日あの時」。今回は昭和2年と11年のもの。まずは昭和2年の投稿「無軌条電車」。鉄道省は無軌道電車に対し「時代遅れの交通機関」と反対のことを言っている。電気自動車にすればガソリンの輸入が減る。乗合自動車(バス)のエンジンをやめて後輪に電気モーターを付ける。これに電気を送るにはトロリー線を張る、いわゆる無軌条電車である。電気自動車は全て国産品で仕上がるのである。次は昭和11年の投書「鉄道博物館」。万世橋の鉄道博物館が開館する。・・・前は銅像、上は高架線、後ろは川という三方塞がりの場所は、どう考えても適当ではない。大宮あたりに大きな建物を設け、機関車とか客車とか容積のある実物をそこに保存してはどうか。内容についても・・・(略)。鉄道当局が記念物保...あの日、あの時

  • 「十年日記」考

    四冊目となる「十年日記」が届いた。ネットで申し込もうとした時に奥方が言った。「5年のにしておいたら」。そして、届いた箱には十年前のとは違って「エンディングノート付き」とある。いつものネット通販だから、私の年齢がわかってもおかしくはないが、奥方の言葉と相まって何か忸怩たる思いがある。本体の表紙の絵柄も「砂時計」。秒読みに入れということか。負けるもんか、十年書き続けてやる。書棚から古い十年日記を引っ張り出して、二十年前、十年前の「今日」を読んでみる。二十年前の12月16日(月)、単身赴任の京都から戻って東京で会議、夜は懇親会とある。当然ながら土日は自宅にいた。十年前の12月16日(日)、新しく出来た家電量販店に行ってビデオ・キャプチャーなど購入とある。何に使って今どこにあるかわからない。夜、長野の妹から息子の...「十年日記」考

  • 辺野古埋め立て4年

    朝刊社会面から。先々月、辺野古の埋立て現場を訪れた人気ツイーターが、「座り込み抗議3011日」の看板が建つのに座り込む人が見えないので「誰もいないから0日にした方がよくない?」とツイートした。問題は、これに「いいね」を押した数が28万人いたことだ。これに対し「歴史を知らず、今だけを切り取っている」などの批判を正しいと感じ、改めて辺野古問題を勉強し始めた人もいるという。辺野古では笑いながら記念写真を撮る姿もあるという。真剣に考えたり、怒ることを嘲笑することが、ネット空間だけでなく現実の場所で起こっていることが怖い。沖縄県民の7割が反対する辺野古基地建設。海底の軟弱地盤の問題にも頬被りしたまま、今日、青い海への土砂投入がまる4年を迎える。 昨日の街中散歩から辺野古埋め立て4年

  • 横瀬(ヨコゼ)を救うジビエ

    昨日に続き地方版から埼玉県秩父郡「横瀬(ヨコゼ)町」の話題。大持山、武甲山、二子山、丸山など秩父を代表する山々の山麓である横瀬町では毎年100~150頭のニホンジカを駆除して、ほとんどは穴を掘って埋めているという。しかし駆除するハンター、穴を掘る人手も高齢化して難儀しているのが実態。猟銃免許を持ちながらも猟場で苦労する都会のハンターの一人が、横瀬町にベンチャー企業を立ち上げた。インターネットで都会のハンターを呼び込むとと同時に、駆除したニホンジカをジビエ肉に加工する工場も造ったのである。横瀬町側も包括連携協定を結び、地元ハンターの紹介や有害鳥獣の捕獲データを提供する。そして「ウィンウィン」の関係になるのである。秩父の街を歩くとヤキトリ屋でジビエ串も焼き、居酒屋でもジビエ料理が出る。絶滅可能性都市の救世主...横瀬(ヨコゼ)を救うジビエ

  • 横瀬(ヨコゼ)が若者で賑わう?

    朝刊地方版から。埼玉県秩父郡横瀬町、ヨコセではなくヨコゼと読む。西武秩父線の終点、西武秩父駅の一つ手前が横瀬駅。秩父三十四観音の五番語歌堂から十番大慈寺までの六山が横瀬町にあった。人口8千人、商店街もネエ、高校もネエ、オラこんな街いやだー!消滅可能性都市の一つと言われる。しかし今、都心から特急電車で80分というこの街に若者が集まり始めている。農協支店跡に出来た「ワーク+宿泊施設、LivingAnywhereCommons横瀬」には様々な若者が、月に一二度一週間ほど滞在し、仕事しながら繋がりを深めるという。観音巡りの結願寺、三十四番水潜寺近くの皆野町営日帰り湯が同様の施設に代わっていた。仕事しながら温泉付き宿泊が出来るとは最高だ。コロナ以前から欧米ではコ・ワーク、サテライト・ワークという場が出来始めていた。...横瀬(ヨコゼ)が若者で賑わう?

  • くさまくさまびとけた

    田舎出の女中が奥様に丁寧な言葉遣いをと言われ、何にでも「お」をつけて喋るようになった。「奥様、お庭のお池のお鯉が・・・」などなど。そこで、「そんに『お』をつけるものではありません」と窘めると、「くさまくさまびとけた」と言う。何のことやらわからない。着付けたはずの着物がはだけて初めて解った。「(お)くさま(お)くさま(帯)解けた」だったのである。この話、昔々の「サザエさん」だったような気がする。 「おろう」。「お蝋」、「おろうそく」のことである。浅草寺本堂に「おろう一本百円」とあるらしい。(B級街の言葉図鑑」(飯間浩明) 懐古シリーズ「木津川」(2005年10月)、ロングウォークの原点である。朝6時、京都競馬場の淀駅を出発はじめは半分くらい歩くつもりだった天下分け目の天王山、この下流で桂川、宇治川、木津川が...くさまくさまびとけた

  • W杯、モロッコ躍進

    共に一回戦を延長PK戦で勝った者同志、クロアチアvsアルゼンチン、前回王者フランスVSモロッコと準決勝の組み合わせが決まった。過去3大会優勝の欧州勢に南米とアフリカが挑む形となる。初のベスト8、アフリカ勢初のベスト4と、まさに「破竹の勢い」のモロッコは決勝トーナメントでスペイン、ポルトガルと「イベリア半島」を駆逐。密かに優勝を狙うダークホースである。 2,3日前の「今年最後の」満月、翌早暁の+アルファ満月である。秩父観音巡り成就のあと、気が抜けたせいか季節の変わり目のせいか、半月ほど風邪気味で引き籠っていたが、小春日和で暖かだった昨日の午後、久々に江戸川を歩いた。W杯、モロッコ躍進

  • なぜ山賊焼か

    昨日に続いて「長野」の話題。昨日の朝のNHKニュースは、一人の住民苦情で公園が閉鎖されるという長野市のニュースのあと、「山賊焼」の話が続いた。何年か前、松本駅で駅弁を探していたら「山賊焼」という名の駅弁を見つけ鶏珍しさもあり買って食べてみた。大きな平たい鶏唐揚げがドーンと乗った駅弁だが、何故「山賊焼」なのかと思いながら食べた。それが、昨日のニュースで解決した。元祖は塩尻の居酒屋「山賊」。昔は油が手に入り難く「網焼き」したこと、初代店主の風貌が山賊に似ていたこと。これで「山賊焼」となった。これを広めたのが松本の「阿昌」といわれるが、過去には「元祖争い」もあったといわれる。因みに、山賊は人から物を取り上げる=鳥揚げる、と言う山賊焼説もあり、この方がウィットが効いていて面白いと思う。しかし世の中、様々な「トリカ...なぜ山賊焼か

  • 1住民の苦情、公園を潰す

    たった1軒の住民の「子供の声がうるさい」との苦情で公園が閉鎖される。長野市青木島小学校近くというから犀川の南側、姪一家が住むあたり。一番下の子はまだこの小学校に通っているかも知れない。十八年前の開設以来苦情を申し立てて来た1軒の住民の言い分は、開設時に説明がなかった、小学校や児童センターに近く数十人が一斉に遊ぶこともありうるさかったとのこと。子供に静かに遊べと言うのは土台無理な話、結局「遊ぶな」となり、閉鎖となる。早速SNSでこの住民への誹謗中傷が始まったというが、それより、閉鎖を決めた長野市はこの住民にどんな「負い目」があるのだろう。元五輪スキー選手の荻原健司市長さん、この住民と腹を割って話したらどうだい。意外と「うるさい」ことよりも、市の担当がコロコロ代わるなど「対応の悪さ」が気に食わないのかも知れな...1住民の苦情、公園を潰す

  • 真珠湾から81年

    戦後、長野市を訪れた昭和天皇が善光寺の裏の展望台から南方を眺め、「松代というのははあのあたりかね」と盆地の先の山裾を指したという。話が大本営のことに及ぶのを恐れた随行員は曖昧に頷くにとどめたと、松代大本営につて書かれた本で読んだような気がする。今朝の「天声人語」では「この辺に戦時中無駄な穴を掘ったというどのあたりかね」と昭和天皇が尋ねたと、当時の長野県知事、林虎雄の「過ぎて来た道」に書かれていると指摘する。国の中枢だけが地下に潜って本土決戦を策した史実を証明する「松代大本営」。地元でも戦後長くその存在に触れるのは「タブー」だった。そして今日は太平洋戦争が始まった真珠湾攻撃から八十一年目である。 写真の懐古シリーズは南琵琶湖(2005年)真珠湾から81年

  • 手のひら返し

    新聞国際面の小さな囲み記事「特派員メモ」から。日本ースペイン戦を見るためにイングランド北部のある街のバーに入ったが、店内6台のテレビは全てドイツの試合だった。躊躇したが思い切って1台だけ日本戦に代えてくれないかと頼んだ。聞きつけた客の一人が「なぜ、日本が大敗する試合を見たいんだ」と怒鳴った。別の客は「相手はスペイン、5-0くらいで済むといいな」。同情したのか店員が隅の1台だけ日本戦に代えてくれた。日本が追いつき逆転すると後ろに観客が増え始めた。最初に怒鳴った客もいた。隣の客が言う「みんなダークホースの勝利が好きなんだ」。 懐古シリーズの続き、2005年の奥琵琶湖手のひら返し

  • 十二分の「感動をありがとう」

    9時から4時という私の就寝時間のド真ん中の日本ークロアチア戦。中継を見ていないので語る資格はないが、「8強の壁」はやはり固い。ここまで決勝Tの1回戦に勝ったオランダ、アルゼンチン、フランス、イングランド、ブラジル、そして日本が惜しくも破れたクロアチア。残るスペイン、ポルトガルなども「雲の上」のサッカー大国であった。その一角であるドイツやスペインに勝ったことが、歓喜、奇跡などと言われなくなる時が8強の壁を破る時かも知れない。森安監督が言う、「上を見るのではなく横を見る」時であるである。月並みだが十二分に健闘した日本チームに「感動をありがとう」。 今月に入って諸派の事情でほとんど散歩していない。十数年前に歩いた滋賀県の「湖東三山」の紅葉を。十二分の「感動をありがとう」

  • 漬物の話を記事リレーで

    「しるけの多いぬかみそづけ」。国語辞典の「どぶ漬け」の説明である。「どぶづけ」は大阪では「どぼづけ」とも言われる。社会に出て工場の設備の仕事をするようになって「どぶづけメッキ」を覚えた。亜鉛を溶かした槽に鋼材を浸けて防錆処理をする、いわば「簡易メッキ」である。だから、「揚げたての天ぷらを、どぶづけのお酒で楽しむ」という文言も、「湯を張った槽に徳利を入れた燗酒」だろうと推察する。どぶづけメッキを知らないと「どぶづけのお酒」は「?」であろう。(参考:朝日土曜版「街のB級言葉図鑑」)一方、今朝の一面記事に「『いぶりがっこ』がピンチ」とある。煙で燻した大根のぬか漬けで、秋田の名物である。なぜ、ピンチか。食品衛生法の強化で、各地の手作りの漬物の「生産」が大きな影響を受けるということらしい。衛生施設の整備が必要になり...漬物の話を記事リレーで

  • 秩父夜祭、3年ぶりの山車引き回し

    昨夜は秩父夜祭の本宮。コロナで中止されていた山車の引き回しが3年ぶりに行われた。「動く陽明門」と言われる絢爛豪華な山車の引き回しと、背後の羊山公園から上がる花火のコラボレーションは、まさに錦絵である。写真は今日の朝日朝刊。秩父の観音巡りをした今年、念願の秩父夜祭見物もと思ったが、コロナ8波中でもあり止めにした。六町の山車が「だんご坂」を上り秩父市役所前の御旅所に集まり終わるのは午後10時過ぎ。臨時の深夜便も出るが夜半に熊谷や所沢に着いてもそこからのアクセスがない。この夜、秩父の宿は特別料金、かつ個人では予約もまず無理で、冬の寒空に徹夜の覚悟がいる。でもコロナが収まったら「来年は」。 秩父まつり会館にて(11/10)クライマックスの「だんご坂」は短いが25%勾配(10/27)  秩父夜祭、3年ぶりの山車引き回し

  • 日韓「劇的16強」

    朝刊一面(肩)のタイトルは「日本劇的16強」。20時間後の今日の夜中の試合で韓国も劇的にポルトガルに逆転勝ちしてアジア3チーム目の16強となった。日本と同様に先行されたが追いつき逆転した。そして、朝方の試合ではブラジルがカメルーンに負けた。ポルトガルと同様に負けても1位での決勝T進出に変わりはないが、ブラジルが一次リーグで負けたのは24年(6大会)ぶりという。一方、一次リーグを1位通過した日本。勝った2試合とも前半負けていて逆転したチームは52年(13大会)ぶりという。そんな日本を海外では「カムバック・キング」と名付けたそうだ。ともあれ今朝の試合で決勝とトーナメント進出の16強が決まった。欧州8、アジア3、北南米3、アフリカ2、である。明け方は今季最低の4.5℃、冬到来である。 昨日の散歩から買物を終えて日韓「劇的16強」

  • スペインに勝てたじゃないか

    コスタリカに負けた時、(次の)「スペインに勝てばいいじゃないか、ドイツに勝ったんだから」と書いた。そして「勝てた」。その決勝ゴールは奇跡というか執念というか。ゴールラインを割った浮き球をフォローしてゴール前に戻したのはやはり「執念の決勝点」と言うのがいいだろう。「ドーハの執念」である。決勝トーナメントは前回優準優勝のクロアチア、強敵である。しかし、「勝てる」と信じよう。フレー、フレー、ニッポン! お祝いに晩秋の花をスペインに勝てたじゃないか

  • 2022年も師走に入る

    0以外2だけの西暦は2002年、2022年、そして200年後の2222年。20年前の2002年あたりから、糖尿病の治療として主治医の勧めでウォーキングを始め、単身赴任中だった京都の桂川沿いをよく歩いた。やがて、ロング・ウォーキングが趣味となり琵琶湖一周、西国三十三観音などを歩き、定年で関東に戻ってからも川沿いや街道筋、坂東三十三観音などを歩いて来た。一日30キロを超えることも多かった。2022年の今年は、春に日光街道の後半を歩き日光東照宮へゴール、秋は秩父三十四観音を結願し、全国百観音巡りを成就出来た。しかし、寄る年波には勝てず、最近のロング・ウォークはせいぜい10~15キロ。先月の歩数は一日平均八千歩に届かず、2月以来の低調な月となった。前半は2回の秩父観音巡りもあり好調だったが、後半はだいぶ寒くなり、...2022年も師走に入る

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