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関西の主な巡礼地 https://echo2019-06-11st.blog.jp/

西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。

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2019/08/14

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  • 萬年山 眞如寺

    六請神社の北に、隣接して眞如寺への参道がありますが、通常非公開のため、門は閉じられています。眞如寺は山号を萬年山と号する臨済宗相国寺派の寺院で、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の3つの山外塔頭を構成する寺院の1つです。眞如寺は、無着如大尼(

  • 六請神社

    妙心寺の北総門から京福北野線の踏切を超えた北東方向に六請神社(ろくしょうじんじゃ)があります。六請神社は標高201mの衣笠山の麓にあって、かって衣笠山は葬送地でした。風葬が行われ、この地を開拓した人々が、その祖神とされる天照御魂神(あまてるみたまのかみ)や大

  • 妙心寺-その5(小方丈・微妙殿~桂春院)

    大心院を出て北の方を見ると、東海庵の先から白壁が続いています。白壁の間に妙心寺の小方丈の門がありますが、小方丈は非公開です。慶長8年(1603)に玉鳳院御殿として建立されましたが、明暦2年(1656)に現在地に移築・改築されました。桁行15.9m、梁間10.0m、一重、入母屋造

  • 妙心寺-その4(塔頭・東海庵~大心院)

    玉鳳院の西側を北へ進んだ左側に東海派の東海庵があります。文明16年(1484)に妙心寺11世・悟渓宗頓(ごけいそうとん:1416~1500)により、二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)の塔所として創建されました。悟渓宗頓は六祖・雪江宗深(せっこうそうしん:1408~1486)の4人の

  • 妙心寺-その3(塔頭・天授院~開山堂)

    塔頭・退蔵院の北側に塔頭・天授院があります。天授院は康暦2年/延元4年(1340)に妙心寺二祖・授翁宗弼(じゅおうそうひつ)により、現在の東海庵の北側に創建されました。その後、応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失し、妙心寺六祖・雪江宗深(せっこうそうしん)により再建さ

  • 妙心寺-その2(塔頭・退蔵院)

    妙心寺は日本最大の禅寺で、東西約500m、南北約620mの広大な境内地を有し、山内に40余りの塔頭が建ち並んでいます。殆どの塔頭は非公開ですが、退蔵院・大心院・桂春院のみが通年公開されています。南総門をくぐった右側に塔頭の龍泉庵があります。妙心寺は応仁・文明の乱(14

  • 妙心寺(その1-伽藍)

    今宮神社から丸太町通りまで戻り、丸太町通りを東へ進んで「妙心寺前」の信号を左折して北へ進んだ先に妙心寺の南総門があります。現在の南総門は慶長15年(1610)に建立された切妻造、本瓦葺きの薬医門で、国の重要文化財に指定されています。妙心寺は山号を正法山(しょうぼ

  • 今宮神社(右京区花園)

    法金剛院から丸太町通りを東へ進み、JR花園駅前を通りぎた「花園駅前」の信号を左折して北へ進んだ先に今宮神社があります。長和4年(1015)、都に疫病が流行した際、第67代・三条天皇(在位:1011~1016)の託宣により神殿が建立され、厄除け神である素戔嗚尊を祀ったのが始ま

  • 法金剛院

    花園西陵から西へ進むとカーブして南北の通りとなり、南へ進んだ東側に地蔵院があります。待賢門院が法金剛院を再興された際に地蔵院が建立されました。応仁・文明の乱(1467~1477)で焼失後、地蔵院は法金剛院の塔頭となりましたが、享保18年(1733)に焼失し、安永8年(1779)に

  • 宇多天皇陵~花園西陵

    蓮花寺と仁和寺東門との間の車道を北へ進むと、第59代・宇多天皇の大内山陵への入口があります。大内山陵への参道は仁和寺の西門を出た、御室八十八ヶ所霊場・結願の第88番・大窪寺から南へ進んだ所に入口があり、この場所は参道の中間点辺りになります。参道は整備が行き届

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