『法華玄義』現代語訳 84 ①―B.定聖行(じょうしょうぎょう) 「定聖行」について述べるにあたって、三つの項目を立てる。第一は「世間禅(せけんぜん)」、第二は「出世禅(しゅっせぜん)」、第三は「上上禅(じょうじょうぜん)」である。 「世間禅」にも二つの項目がある。一つ目は「根本味禅(こんぽんみぜん)」であり、これは「隠没(おんもつ)」、「有垢(うく)」、「無記(むき)」である。二つ目は「根本浄禅(こんぽんじょうぜん)」であり、これは「不隠没」、「無垢」、「有記(うき)」である。 (注:ここまで見てきたように、天台大師はすべての経典に記されているすべての項目、用語を網羅しようとする一方、自分の…
『法華玄義』現代語訳 83 また、先にあげた「四弘誓願」は総合的な「総願」であるが、個別的な「別願」について次に述べる。自分自身の心を抑制することから「別願」が起こる。たとえこの身が熱せられた鉄の床に臥すようなことになっても、破戒することになるなら、他の床には移らないというほどの決意である。具体的な「十二の誓願」をもって、自らの心を抑制するのである。 またさらに『涅槃経』には、自分ばかりではなく他の者のために「誓願」を起こすことが次のように記されている。「願わくはすべての衆生が、禁戒を持ち保つことができ、清浄戒、善戒、不欠戒、不析戒、大乗戒、不退戒、随順戒、畢竟戒、具足諸波羅蜜戒を得ることを」…
『法華玄義』現代語訳 82 次に、「五種の行(五行)」によって「行妙」について述べる。まず「別教」の「五行」について明らかにし、次に「円教」の「五行」について明らかにする。 (注:これから、「五行」によって「行妙」が明らかにされるわけであるが、最初に述べられる「別教」の「五行」の内容は、他のどの箇所よりも非常に長い箇所となる。それはほぼ一巻の半分以上の分量となる。それは各経典にそれぞれ少しずつ異なった「行」や、それに伴う「戒律」が記されているからで、天台大師はあくまでもすべての「行」を網羅しようとするため、述べるべき項目が非常に多くなるのである。 それに比べて、「円教」の「五行」についての記述…
『法華玄義』現代語訳 81 次に、一つずつ増して行く「行」について、「教」に当てはめて述べる。 「三蔵教の行について」 まず「三蔵教」の一つずつ増して行く「行」について述べれば、それは『阿含経』の中に記されている通りである。 最初に、一つの行について述べれば、仏は僧侶たちに次のように語った。「まさに一つの行を修するべきである。そうすれば、私はあなたがたが四沙門果(ししゃもんか)の悟りを得ることを証明するであろう。その一つは心不放逸(しんふほういつ)である。それは心をよく守って、行をやめるという放逸に陥らないことであり、それを広演広布(こうえんこうふ)すれば、なすべき行は満ち、正しく涅槃を得る」…
『法華玄義』現代語訳 80 ◎「行妙」について詳しく述べる 第三に、「行妙」について詳しく述べるにあたって、二つある。ひとつは、一段階ずつ進んで行く「行」について概略的に述べ、ふたつは、教に当てはめて述べる。 そもそも、「行」は進んでこそ意味をなすものであるが、「智」がなければ進まない。「智」による理解は「行」を導くが、「境」がなければ正しい「行」とはならない。「智」を目とし、「行」を足として、悟りの清涼地に至るのである。しかし「智」による理解は「行」の本である。「行」は「智」を生じさせるので、「行」が満足してこそ「智」が円満となる。「智」は真理を表わす。真理を究めれば、「智」もやむ。このよう…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 9 疑って問う:正法と像法の二千年の間に、この地涌の千界の菩薩たちは、この地に出現してこの『法華経』を広めたのだろうか。 答える:そうではない。 驚いて問う:『法華経』ならびに本門は、仏の滅後のために、まず地涌千界の菩薩に授与されたのではないか。なぜ正法と像法の世に出現してこの経を広めないのか。 答える:広めない。 重ねて問う:なぜか。 答える:これを述べ広めれば、すべての世の人々は、『法華経』にある威音王仏の国の末法のように、また、私の弟子の中でも、この教えを聞いて信ぜず、かえって罵るであろう。黙っていることが最善なのである。 求めて問う:説かなければ、あな…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 8 問う:この経文の「そこから使いを送って、『あなたたちの父は死んだ』と伝えさせた」とある「使い」とは誰か。 答える:それは四依(しえ・説明前出)である。四依に四類ある。小乗の四依の多くは、正法の前半の五百年間に現われた。大乗の四依の多くは正法の後半の五百年に現われた。三つめは、迹門の四依の多くは像法一千年、他は末法の初めに現われた。四つめは、本門の四依は地涌の千界の菩薩であり、末法の始めに必ず出現するはずである。この「使いを送って伝えさせた」とある使いは地涌の菩薩たちである。「この良薬」とは「如来寿量品」の肝要である真理の名称も本体も目的も働きも最高の教えも…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 7 問う。正法像法の二千余年の間は、四依の菩薩(しえのぼさつ・『涅槃経』に記されている仏のいない世で拠り所となる四種類の人物像)ならびに人師などは、他の仏たち、小乗、権大乗、『法華経』以前や『法華経』の迹門の釈迦仏などのために寺塔を建立しているが、本門の「寿量品」で説かれる久遠実成の釈迦の本尊ならびに四大菩薩は、インド、中国、日本のどの王も大臣も共にこれを敬わないことはすでに聞いた。しかしこのようなことは前代未聞のことであり、大変驚き心が迷うばかりである。このことについて、さらに詳しく述べてほしい。 (注:ここから、『法華経』の構成について、長い記述をもって、…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 06 問う:まだ先にあげた論難について理解ができないが、どうなのか。 答える:『無量義経』に「まだ六波羅蜜(ろくはらみつ・大乗の修行者が行なう六つの修行項目)が成就されていなくても、六波羅蜜自体は自然と存在する」とある。『法華経』に云「具足(ぐぞく・備わっているものがじゅうぶん満ち足りているという意味の言葉・これも天台教学において重要な用語)の道を聞こうと願う」とある。『涅槃経』に「菩薩の薩とは具足という意味である」とある。竜樹菩薩は「薩とは六の意味である」と言っている。『無依無得大乗四論玄義記』に「沙とは訳して六という。インドでは、六という数を具足の意味とす…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 05 問う:竜樹や天親などについてはどうか。 答える:これらの聖人は、知っていても説かなかった人たちである。あるいは、迹門の一部分だけを述べて、本門と観心は語らず、あるいは、語る相手はいても、時至っていなかったので語らなかったのか、あるいは、相手もおらず時も至っていなかったとも考えられる。天台大師と伝教大師以降は、これを知る者が多いのは、この二人の聖人の残した智慧を用いたからである。いわゆる三論宗の嘉祥大師をはじめ、南の三宗北の七宗の百人あまり、華厳宗の法蔵や清涼大師など、さらに法相宗の玄奘三蔵や慈恩大師など、真言宗の善無畏三蔵や金剛智三蔵や不空三蔵など、律宗…
『法華玄義』現代語訳 79 第二「展転して相照らして境に対する」 「境」に対して「智」を述べる第二は、「展転して相照らして境に対する」である。 これまで述べて来た「十如是」「十二因縁」「四諦」「二諦」「三諦」「一諦」の六つの「智」は、それぞれ他の「境」を照らすのである。 「思議生滅の十二因縁」の「下智」と「思議不生滅の十二因縁」の「中智」は、「六道」の「十如是」の「性」「相」から「本末等」を照らす。「下智」と「中智」によって「十二因縁」の滅を観心すれば、「二乗」の「十如是」の「性」「相」から「本末等」を照らす。「上智」は「菩薩」の「性」「相」から「本末等」を照らし、「上上智」は「仏法界」の「性…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 04 仏の道において人の種類には二つある。一つは仏から直接『法華経』を聞いて仏の道を得る者であり、二つは仏に会ってはいないけれども、『法華経』を読んで仏の道を得る者である。さらに仏教が起こる以前は、中国の道士やインド古来の宗教の者(=外道・げどう)においては、儒教やバラモン教の聖典をもって教えとして、真理を見るようになった者もいる。また、能力の高い大乗仏教の者たちや一般人たちは、『華厳経』や『方等経』や『般若経』などの大乗経典を教えとして、『法華経』に記されている過去仏である大通智勝如来の時に受けた縁を表わした者たちが多い。たとえば、縁覚は自分で自然界の無常を…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 03 疑って問う:草木国土の上の「十如是」の因果の教えは、どの文に記されているのか。 答える:『摩訶止観』第五に「国土世間はまた十種の在り方を備えている。いわゆる悪国土、相・性・体・力」とある。また『法華玄義釈籤』第六に「相はただ認識の対象であり、性はただ認識主体の心であり、体・力・作・縁の意義は認識対象と心を兼ね、因・果はただ心、報はただ認識対象である」。また同じく湛然の『金錍論(こんぺいろん)』に「一草・一木・一礫・一塵・それぞれに仏性があり、それぞれに因果あがり、縁因仏性(えんいんぶっしょう)と了因仏性(りょういんぶっしょう)を備えている」とある。 (注…
『法華玄義』現代語訳 78 もし智慧を表わそうとすれば、必ず「観心」を成就すべきである。広く「観心」の智慧を述べるならば、そこに「因果」がある。すなわち「観心」は「因」であり智慧は「果」である。たとえば、「仏性」に「因果」があり、「因」は「仏性」であり、「果」は「涅槃」である。ここで、「因」と「果」に分けて「観心」を「因」とし智慧を「果」としたわけである。『瓔珞経』に「従仮入空観(じゅうけにっくうがん=空観)を二諦観と名付け、従空入仮観(じゅうぐうにっけかん=仮観)を平等観と名付け、この二つの観心を方便として中道第一義諦(=中観)に入ることができる」とある。ここで「従仮入空観」をもって「因」と…
『観心本尊抄』解説および現代語訳 02 疑って問う:『法華玄義』第二巻には「また一法界に九法界を備えれば百法界に千如是となる」とあり、また『法華文句』第一巻には「一入に十法界を備えれば、一法界は十界となる。その十界の各々に十如是があるので、一千となる」とある。また『観音玄義(かんのんげんぎ・天台大師の『法華経』「観世音菩薩普門品」の講述を記録したもの)』に「十法界が互いに交われば百法界となる。千種の本性と形は心に含まれ、目の前に表われないとしても変わらず備わっている」とある。(補足:これは「一念三千」を説いていることではないのか)。 (注:この問いに対する答えは記されていない。その理由は不明。…
『法華玄義』現代語訳 77 「三諦との比較」 次に「三諦」の「境」と比較して「智」を述べる。すでに五種(注:「二諦」の七種から「中道」のない「蔵教」「通教」を除いた五種。ここでは①~⑤の数字をつけて整理する)の「三諦」について述べたが、ここでさらに分別する。 そもそも「三諦」の智慧は「十法界」を照らす。「十法界」を三法に分ける。「六道」を「有漏(うろ・煩悩がある状態)」とし、「声聞」と「縁覚」を「無漏(むろ・煩悩がない状態)」とし、「菩薩」「仏」を「非有漏非無漏(ひうろひむろ・煩悩があるのでもなくないのでもない状態)」とする。この三法が互いに含まれ合って五種となる。 ①「別入通教」は「非有漏非…
仏説毘沙門天王功徳経 このように仏から聞いた。 ある時、仏が王舎城(おうしゃじょう)の竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)において、大いなる千二百五十人の比丘たちと共におられた。 その時、弟子の阿難(あなん)は一心に合掌して仏に次のように申し上げた。 「どのような因縁で、毘沙門天王は身に金の鎧をつけ、左手に宝塔をささげ、右手に如意宝珠の棒を取り、左右の足の下に羅刹(らせつ)や毘闍舎(びしゃじゃ)の鬼を踏みつけているのですか」。 仏は阿難に次のように語られた。 「この毘沙門天王は、七万八千億の諸仏を護衛し、仏法を守る兵士である。左手の宝塔は普集功徳微妙(ふしゅうくどくみみょう)という。宝塔の内には八万…
『法華玄義』現代語訳 76 また、「析空観の蔵教の二智」「体空観の通教の二智」「体空観に中道が含まれる別入通教の二智」「体空観に中道が表わされている円入通教の二智」のそれぞれに①「化他の権実」②「自行化他の権実」③「自行の権実」がある合計十二種の二智は、すべて「麁」とするが、この中に「中道」も表されているので、それは「妙」である。なぜなら、この「妙」は、後の「別教の二智」「円入別教の二智」「円教の二智」の「妙」と異ならないからである。また「空」「仮」「中」の「三諦」を順番に観心する「別教の二智」から「別教に円教が含まれる円入別教の二智」「円教の二智」のそれぞれに①「化他の権実」②「自行化他の権…
『観心本尊抄』現代語訳 01 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永十年(1273年)四月二十五日 五二歳 本朝沙門 日蓮 撰 天台大師(てんだいだいし:智顗(ちぎ・538~598)。中国の陳から隋の天台宗第三祖。実質的の開祖とも言える)の『摩訶止観(まかしかん・天台大師講述の観心を具体的に説かれた書物)』第五巻に次のようにある。「一心に十法界(じっぽうかい・地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏という人が経るところの十種の在り方)が備わっている。各一法界にまた他の十法界が備わっていれば、百法界である。一法界に三十種の世間(三種世間×十如是・別に注を記す)が備わっていれば、それが百法…
『法華玄義』現代語訳 75 「二諦との比較」 次に「二諦」の「境」と比較して「智」を述べるとは、「権」と「実」の二智である。先に述べた「真諦」「俗諦」の「二諦」に七種があったように、この「権」「実」の「二諦」にも七つに分けることができる。「この世の次元」と「霊的次元」の「相即(そうそく・互いに融合し合うこと)」、「不相即」によって見るなら、「世の次元」の「不相即」が「蔵教」であり、「世の次元」の「相即」が「通教」であり、「霊的次元」の「不相即」が「別教」であり、「霊的次元」の「相即」が「円教」であり、以上、四つとなる。そこに、先に述べたように「別入通教」「円入通教」「円入別教」の三つが合わさり…
『法華玄義』現代語訳 74 「四種の四諦との比較」 次に「四種の四諦」と比較して「智」を述べる。『涅槃経』に「聖諦(=四諦)を知る智慧に、二種ある。中智と上智である。中智とは声聞と縁覚の智慧であり、上智とは諸仏と菩薩の智慧である」とある。もしこの文によるなら、「体空観」と「析空観」を合わせて「中智」とし、大乗における能力の高い者と低い者を合わせて「上智」とする。またもし能力の高い低い、この世の次元と霊的次元と、現象面と真理の面によってみれば、この二つを開いて四つにすることができる。声聞は能力が低いので「四諦」の現象面を行じる。すなわち「生滅の四諦」である。縁覚は能力が高いので「四諦」の真理の面…
『法華玄義』現代語訳 73 〇「境」に対して「智」を述べる。 「境」に対して「智」を述べるにあたって、二つの項目を立てる。第一は「五境に対する」であり、第二は「展転して相照らして境に対する」である。 第一「五境に対する」 「境」に対して「智」を述べる第一は、「五境に対する」である。 「十如是との比較」 今までの順序で見れば、「十如是」との比較となるが、「十如是」は『法華経』全体に及ぶ教えであり、あちらこちらに述べられているので理解できるであろう。特にここでは述べない。 「十二因縁との比較」 次に「十二因縁」と比較して「智」を述べる。『涅槃経』に「十二因縁に四種の観心がある。下の智観によって声聞…
『法華玄義』現代語訳 72 第六「開」 「諸智」を解釈するにあたっての第六は「開(かい)」であり、「二十智」について。「麁」と「妙」を融合することである。 ①「世智」から⑯「別教仏の智」までの十六の智慧は、もし悟りに到達しないままであれば「麁」の智慧のままである。しかし、悟りに到達すれば、すべて「妙」の智慧となる。なぜなら、『法華経』に記されている妙荘厳王(みょうしょごんおう)のように、最初は仏教以外の①「世智」であったが、『法華経』を聞いて悟りに到達し、誤った状態から正しい霊的状態となり、他のあらゆる教えや見解にも動じずに三十七種の修行(三十七道品・さんじゅうしちどうほん)を行じて、八種類の…
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