南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
奈良県を中心とした街歩きやおすすめスイーツ、歴史の話題を書いてます。 城跡や城下町、古民家、遊郭、神社仏閣などの古跡に興味がある方は一度ご覧ください。 あと、奈良県(大和国)を中心にした歴史上の人物のご紹介もしていきます。
皆さん、こんにちは。 奈良にまつわる話題や人物について、ご紹介してきた当ブログですが、今回ご紹介するのは村田珠光という人物です。 村田珠光のこと、ご存じでしょうか。 室町中期に奈良に生まれた人物で、現在我々がイメージする茶道、茶の湯の様式を創始したといわれる人物です。 茶の湯というと、日本を代表する文化の一つですね。 とくに武野紹鴎、千利休らが大成させた、わび茶は「侘び」という、日本独特の美意識を生み出しました。 この「侘び」という美意識を発見し、わび茶を創始したのが、珠光なのです。 村田珠光とは 和漢この境を紛らわす その後のわび茶 村田珠光とは 1423(応永30)年、奈良に生まれた珠光は…
皆さんこんにちは。 いつもは奈良を中心とした人物や歴史、史跡と、少々ニッチな話題を書いてる当ブログですが、「たまにはメジャーどころの話題も書いてみたいな」ということで、今回は戦国の三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を取り上げてみたいと思います。 三英傑といえば、歴史上の人物の中でも、幾度となく小説、ドラマ、映画の主人公として描かれ、ほぼそのイメージも定着していると思います。 共通するのは、多士多才な人材を活用し、天下に覇を唱えたことから、理想の上司、経営者としても人気のある人物たちですね。 実際のところ、彼らの人材の登用や活用がどのようなものだったか、実際に家臣にどのように相対したかを見てい…
皆さんこんにちは。 飛鳥時代からの建築が今なお健在な法隆寺。 この建築を支えてきたのが、代々法隆寺に奉仕してきた番匠(宮大工)たちです。 法隆寺が生んだ不世出の宮大工といえば、昭和の大修理や薬師寺の伽藍復興で活躍した、西岡常一棟梁を思い浮かべる人も、多いのではないでしょうか。 www.yamatotsurezure.com 西岡棟梁が生まれた法隆寺西里の地は、もう一人、戦国時代の末に不世出の大工を輩出しています。 その名は中井正清。 家康に仕えて江戸初期の多くの大規模建築の棟梁を務め、大工棟梁でありながら1000石を知行したうえ、従五位下大和守に叙任され、後に初代京都大工頭となって畿内一円の大…
皆さんこんにちは。 一向一揆というと、加賀一向一揆、長島一向一揆、歴史マニアの方なら三河一向一揆などが有名ですね。 興福寺の勢力が強かった奈良、大和国とは一見無縁のようにも見えますが、実は興福寺や筒井氏をはじめとする国人達と本願寺門徒たちの、激しい闘争が繰り返された地であることをご存じでしょうか。 大和における浄土真宗 大和天文一揆 寺内町の興亡 現在の奈良を形作る 大和における浄土真宗 さて、大和国といえば、古代からの仏教勢力が、精神世界だけでなく世俗権力としても大きな力を振るっていたことで知られます。 特に平安末期から中世にかけては、興福寺が事実上、大和の支配者として君臨していました。 w…
「法隆寺の鬼」と呼ばれた男。最後の法隆寺宮大工、西岡常一(5)
皆さんこんにちは。 不世出の宮大工、西岡常一棟梁をご紹介してきた当記事も今回が5回目で、最後となります。 薬師寺では金堂と西塔が再建され、その後も伽藍復興が続くことになります。 www.yamatotsurezure.com 常一は引き続き薬師寺棟梁として、この大事業に携わっていきました。 白鳳伽藍の復興 事に仕えて意気に感ず 知識人になるな さいごに 白鳳伽藍の復興 1979(昭和54)年、西塔の再建が進む中、中門と回廊の再建、そしてかつての伽藍にはなかった玄奘三蔵院の新たな建立が決まり、常一はこれらの設計試案に携わります。 後に昭和、平成と続くことになる薬師寺の復興伽藍構想が具体的に動き出…
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南北朝争乱期に勃興した十市氏は、約250年間、奈良盆地南東部の中心的国人として活躍し、大和では筒井、越智、箸尾と並ぶ有力な国人でした。 その勃興期から16世紀中頃に稀代の名将・遠忠が当主の時代に最盛期を迎え、次代・遠勝以降は筒井氏の圧迫や松永久秀の大和侵攻を受け、大和における戦国末期の混乱に翻弄されて歴史の表舞台から姿を消すまでを詳しく紹介します。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。
筒井氏の伊賀転封によって大和国は中世以来の国人支配が解体され、近世武家政権による支配が始まります。 関ヶ原の戦い、大坂夏の陣と戦国の最末期に起きた大戦で、大和国人たちはどのような活躍を見せたのかを紹介します。
筒井順慶が織田信長、豊臣秀吉に臣従することで大和では興福寺を中心とした中世的支配が崩壊し、近世武家政権による支配が確立する。 順慶死後、筒井氏は伊賀に転封され大和には豊臣秀長が入り豊臣政権による大和直轄化が進行して中世以来の大和国人たちは歴史の渦の中に飲み込まれていくことになる。
当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の…
奈良県高取町の貝吹山城は、戦国時代に南和で大きな勢力を誇った越智氏の築いた中世山城です。 城域には古墳時代最末期の古墳群があり近世以降は里山として利用され、古代から現在まで連続した土地利用の過程が残る、貴重な遺構です。
現在の奈良県高取町を中心に活躍した越智氏は大和の中世を語る上で外せない国人です。 その本拠。越智谷には今も越智氏ゆかりの旧跡が残っています。 かつての居館跡や菩提寺を巡り、戦国末期に滅亡した越智氏の足跡をたどります。
奈良市南郊の窪之庄城は戦国時代は筒井順慶と松永久秀の抗争で最前線となった城郭。 中世国人館城の土塁と堀が良好に残る貴重な城跡です。
奈良市のJR帯解駅周辺には、帯解寺、龍象寺と安産祈願で信仰を集める帯解地蔵尊が二つあり、円満寺には奈良県内では5つしか残されていない貴重な和算の算額を見ることができます。 中世の街村をベースに近世に発展した帯解の注目スポットをご紹介します。
奈良市の今市城は奈良の戦国史を語る上で外せない重要な城郭。 城域は現在住宅地となっていますが各所に堀跡など城郭の痕跡が残っています。 今市城の歴史と現在の様子を紹介します。
奈良県天理市の竹之内環濠集落は県内の環濠集落で最も高所にあり環濠越しの眺望がすばらしいスポットです。 戦国時代は城郭としても使用され、大和戦国史のターニングポイントとなる戦いもありました。 見所を含めて詳しくご紹介します。
奈良県天理市の萱生環濠集落は県下でも有数の古墳密集地帯にある環濠集落で、古墳の周濠を濠としたり墳丘を集落中央の神社とするなど集落防衛に地域の特性を大きく活用して独特の環濠風景を持つ集落です。
奈良県生駒市上町の長弓寺は中世建築の傑作と評される国宝本堂で知る人ぞ知る名刹。 失われた三重塔の数奇な運命やかつての鎮守社にまつわる古代史ロマンを紹介します。
奈良県生駒市高山町の高山八幡宮は重要文化財の本殿があり、かつての農民層による平座と茶筌師による無足人座という2つの宮座が併存する珍しい神社。 平座の後に発足した無足人座の歴史からは高山茶筌興隆の歴史が見えてきます。
大和国人ながら最盛期には南山城や河内、摂津にも影響力を持ち、畿内の戦国史に大きな足跡を残した鷹山氏と、鷹山氏が拠点とした現在生駒市北部の中世城郭・高山城を詳しく紹介する記事です。
奈良県天理市の古社・大和神社は境外の関連スポットも歴史のロマンと謎が詰まったエリアです。 毎年4月1日に行われる御渡り神事(ちゃんちゃん祭り)の御旅所を中心に紹介します。
天理市の大和神社は記紀神話の時代から近代にいたるまで、多くの所縁や逸話をもつ魅力的な神社です。 参拝したときに、より深く神社を味わっていただける由緒や歴史を詳しくご紹介します。
平安時代から続く山の辺の道の古刹・長岳寺の紹介記事です。 長岳寺は平安・鎌倉時代から残る貴重な建築や仏像といった文化財だけでなく、血天井伝説や名刀伝説といった歴史ロマンあふれる伝承が残る名刹です。
奈良県生駒市有里町の文殊山にある竹林寺は行基と忍性という民衆教化と救済の先駆的活躍をした二人の高僧の墓があります。 鎌倉時代に復興されたものの室町、江戸と衰え明治には一時廃寺となりましたが、1997年に再建されました。
新興住宅地として戦後急速に発展したイメージが強い奈良県生駒市ですが、創建から1300年以上の歴史を持つ古社・往馬大社が鎮座しています。 生駒の町の歴史的背景の土台となる往馬大社とこの社を氏神としてきた中世以来の生駒谷十七郷の歴史について紹介します。
大坂夏の陣が終わった後、江戸時代に大和で大名、旗本として残った旧大和国人は柳生氏と中坊氏だけでした。 江戸時代、新たな領主として大和に入った大名や天領の支配、そして大和を去った国人たちのその後を紹介します。