大航海?で辿り着いた離島が海彦と山彦の交わる場所だった。 で、海彦のハンドル名を頂きましたが、まさか山暮らしをすることになるとは。 船の暮らし、キャンカーでの出来事を思い出しながら書いています。
生きるってことの大変さを感ずる。東京で手術したので、通院するのが大変。特に首都高の分岐が複雑になり、危ない場面も。地元に転院しようと相談に行ったら、勝手に手術して最後に来られても面倒見切れんだと。呆れる医師だ。手術前に相談しても、命の保証されんからね。心臓弁の選択も何で機械弁なんて付けるんだ。出血したらどうにもならんのに、問答無用の態度で最後はここじゃ対応できないから他の病院を指定して転院させるのでした。納得ゆかんけそんな医師に付いててもいいことあり。ありません。時間は無駄にしましたが、よかったです。転院先でも手術しなかったけど元気になって良かったね、声掛けられて落ち込んでいた気持ちが救われました。生き残ったけど。
ヘルニアから始まり、腸管出血、心臓手術まで連続して経験し、ようやく命を繋いだ感慨を、感謝とともに感じられる日々を過ごしています。どんなに苦しい状況でも、ただひたすら死んでなるか!念じていました。高名な医院でも本人は麻酔で寝てるだけなので経緯は不明でしたが、目覚めたのは救急治療室。目覚めても何の感情もなく天井を眺めていました。数日後から始まったリハビリ最中に.いきなり唐突に涙が溢れてくるのを止められませんでした。生きてる実感をその時かんじたのですね。ありがとう命、大事にします。死に損なう。
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