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YOSHIの青春J-POP!! https://yoshi88.hatenablog.com/

70-80年代の歌謡曲を50代のおじさんになって聴き直すと当時は気付かなかった新たな発見が色々ありますね。正に青春時代の宝物を発見するような感じです。宝探しの旅を色んな人と享有できたら良いですね!

YOSHI
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2019/05/16

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  • 〜40年以上経って心に届く、遥か彼方の秀樹からのメッセージ!〜遥かなる恋人へ/西城秀樹(1978年11月)

    「遥かなる恋人へ」(作詞:竜真知子、作曲・編曲:馬飼野康二)は、1978年11月25日に発売された西城秀樹の27枚目のシングル。 もう40年以上も前になるのだが、世紀の名バラードと評判高い「ブルースカイ・ブルー」(同年8月25日発売)と国民的ヒット曲「YANG MAN(Y.M.C.A)」(79年2月21日発売)の間にリリースされたためか、いささか地味な印象のあるバラード曲。 オリコンチャートを見ても、週間最高8位、売上数19.3万枚※と、特別ヒットした曲ではない。 ※1968-1997オリコンチャートブックによる しかし、「YOSHIの青春歌謡曲‼︎!」(youtube)の動画再生回数を見ると…

  • 〜日本人の心の古里、みちのくへの郷愁を誘う70年代最強の隠れ名曲!〜北へ向かって/田中美智子(1977年8月)

    「北へ向かって」は、1977年8月5日に発売された田中美智子の2枚目のシングル。 田中美智子と言っても、知っている人はほとん殆ど居ないと思う。小林幸子と美樹克彦のデュエット曲「もしかしてPARTII」の歌詞を提供した「榊みちこ」と言えば少しは分かるだろうか? だが、田中美智子は、我々のような還暦過ぎのオジサン世代にとっては伝説のアイドルなのである! 田中美智子(現、榊みちこ)は、青森県青森市出身の元歌手・作詞家で、1976年7月、シングル「ひまわり君」で東芝EMIからデビュー。この「ひまわり君」、作曲はなんと「ベンチャーズ」! ベンチャーズと言えば、60年代~70年代「ベンチャーズ歌謡」として…

  • 〜夏の風物詩で炸裂する「阿久悠」節vs「筒美京平」の先進ディスコ調アレンジ…両巨匠による第2次戦争勃発?!〜麻丘めぐみ/夏八景(1976年6月)

    「夏八景」は、1976年6月5日に発売された麻丘めぐみの16枚目のシングル。 麻丘めぐみは、子役時代からの芸能活動を経て、1972年、16歳の時「芽ばえ」(作詞:千家和也、作曲:筒美京平)でアイドル歌手デビュー。すると、いきなりオリコンチャート最高3位、売上数40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞では最優秀新人賞を受賞。 さらに、彼女のトレードマークであった「お姫様カット」がブームとなり、清楚な正統派アイドルとして人気を博し、1973年7月、5thシングル「わたしの彼は左きき」(作詞:千家和也、作曲:筒美京平)がオリコンチャート週間1位、50万枚を超える売上を記録する大ヒット。…

  • 〜のど飴で早められた?アイドル脱皮計画〜柏原よしえ/㐧二章・くちづけ(1981年10月)

    「㐧二章・くちづけ」は、1980年10月25日に発売された柏原よしえの3枚目のシングル。 柏原よしえは、1979年(昭和54年)秋に日本テレビ系『スター誕生!』にて清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンになり、14歳(中学3年生)の時にシングル「No.1」でデビュー。なお、本名は「かしはら」と呼ぶ。 1980年デビューといえば、松田聖子や河合奈保子、岩崎良美などと同期。この中でも、柏原は人気番組『スター誕生!』のグランドチャンピオンであり、当時のキャッチフレーズ※から見ても、周囲の期待は高かった。このため、スタ誕先輩の桜田淳子や岩崎宏美のように、阿久悠プロデュース…

  • 〜オリビアが運んできた春のそよ風?〜春の予感-I've been mellow-/南沙織(1978年1月)

    「春の予感-I've been mellow-」は、1978年1月21日に発売された南沙織通算25枚目のシングル(発売元はCBS・ソニー)。 本楽曲は、シンガーソングライターの尾崎亜美が他のアーティストに楽曲提供した初めての作品にあたる。なお、尾崎は同年11月5日に杏里に「オリビアを聴きながら」の楽曲も提供している。 「春の予感-I've been mellow-」は、資生堂・春のキャンペーン・ソングに採用され、東京音楽祭ゴールデンカナリー賞作詞賞を受賞。オリコン最高25位、売上枚数7.6万枚のスマッシュヒットとなった※。 ※1968-1997オリコンチャートブックによる この曲を初めて聴いた…

  • 〜キッズソングの裏に隠された大人へのメッセージソング?〜およげ!たいやきくん/子門真人(1975年12月)

    「およげ!たいやきくん」は、フジテレビ系子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナル曲として1975年12月25日にキャニオン・レコードから発売され、初登場から11週連続で1位を記録。トータル売上枚数は453.6万枚に達し、オリコン歴代シングル盤売上1位を誇る。 この曲を歌った子門真人はこれ程のメガヒットになると思わずレコード会社と買取契約を結んでしまったため、売上げに応じた歌唱印税は支払われず、僅か5万円の支払いにとどまったのは有名な話。 子門真人は、当時、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の主題歌や、SFアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』の主題歌など、幾多ものアニメソング・特撮ソングを歌い上…

  • 〜拓郎の青春の思い出までも運んでしまった街〜風の街/山田パンダ(1975年6月)

    1975年6月23日に発売された、山田パンダ(元「かぐや姫」)のシングル。本曲は、1975年に放送されたTBS系テレビドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌として制作された。 あこがれ共同隊 このドラマは、当時にわかに脚光を浴びはじめた東京の原宿・表参道を舞台に、現代(当時)の若者たちの青春の生きざまを描いたもの。主人公の八田広介(郷ひろみ)は、ファッション雑誌を読んで一流デザイナーを目指している。畠山竜也(西城秀樹)は酒屋の息子。不治の病に冒され、ジョギング中に発作を起こし、池にはまって命を落としてしまう(第7話までの出演)。畠山竜也の恋人役として桜田淳子がドラマ初主演。第1回には山口百恵もゲスト…

  • 〜3人による交響曲は永遠に〜哀愁のシンフォニー/キャンディーズ(1976年11月)

    「哀愁のシンフォニー」は、1976年11月26日に発売されたキャンディーズの12枚目のシングル(作詞:なかにし礼、作曲:三木たかし、編曲:馬飼野康二)。 デビュー以来続いてきたアイドル路線の曲調とは全く異なり、切なく格調高いバラードで、初めてテレビで見た時、かなりの衝撃を受けた。 オリコン最高12位、売上枚数22.8万枚*と、キャンディーズのシングルの中では目立ったヒット曲とは言えないが、隠れた名曲的存在で、自分の中では、キャンディーズで一番好きな曲。 *1968-1997オリコンチャートブックによる 当時は高校生だったが、キャンディーズ3人の中ではランのファンだったこともあって、ランのソロの…

  • 〜幸せの重さはスプーン1杯のシュガー?〜ひとり歩き/桜田淳子(1975年3月)

    ろ 1975年3月5日に発売された桜田淳子の9枚目のシングル(作詞:阿久悠、作曲:筒美京平)で、同年4月26日に公開された初主演映画「スプーン1杯の幸せ」の主題歌。 桜田淳子と言えば、「スター誕生!」の予選大会で番組史上最高得点となる573点(合格ライン250点)をたたき出し、第4回決戦大会でも番組史上最高の25社から獲得意向のプラカードが上がり、審査員からも圧倒的な評価で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した伝説を持つ。 1973年2月25日に「天使も夢みる」(作詞:阿久悠、作曲:中村泰士)で歌手デビューしてオリコンチャート最高12位の好スタートを切り、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」…

  • 〜宇宙からの音楽伝道師による異邦人を超えた名曲!〜25時/久保田早紀(1980年4月)

    1980年4月21日に発売された久保田早紀のセカンドシングル(作詞:久保田早紀・山川啓介、作曲:久保田早紀)。 久保田早紀というと、デビューシングル「異邦人」(1979年10月発売)がシルクロードをテーマとした異国情緒溢れる強烈なインパクトで、オリコンチャート1位、シングルレコードの売上総数144.5万枚*と、記録的な大ヒット!80年代初頭に一躍、時の人となった。だが、「異邦人」の原曲は、久保田早紀が中央線沿線の車窓から見える風景を題材として作った「白い朝」という全くイメージの異なる曲であったことが知られている。三洋電機のカラーテレビのCMに採用する際に、アフガニスタンで撮影されたCM映像に合…

  • 〜約半世紀振りに幻の岬発見?!〜おもいで岬/新沼謙治

    以前のブログで、新沼謙治の「おもいで岬」は、テレビでほとんど聞いたことがなく、幻の岬になってしまったのか?と書いた。 www.seisyunkayou.com しかし、最近、たまたま付けたテレビで、新沼謙治が「おもいで岬」を歌っているではないか!! 数年前に出演していた「夢コンサート」を見に行った時でも「おもいで岬」は歌っていなかったので、ホント、聴くのは久し振り。。。 爽やかで優しい歌声。デビュー時に比べて、多少荒々しさが無くなった感じもするが…。 半世紀近い時を重ねて、容姿と共に歌い方も、角が取れて丸くなってきたか? 失われた古代遺跡を発見した探検家の気分のよう(笑) 。 新沼謙治「おもい…

  • ~30年後の自分に宛てた手紙?~お元気ですか/清水由貴子(1977年3月)

    1977年3月1日にCBSソニーよりリリースされた清水由貴子のデビューシングル。 1976年2月、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』の第16回決戦大会で、イルカの「なごり雪」を歌唱し、芸能プロダクション、レコード会社合わせて何と14社からスカウトのプラカードが上がる。この決戦大会には、後にピンク・レディーとなる根本美鶴代と増田恵子の二人もお揃いのオーバーオールを着用しフォーク曲を歌って合格していたが、清水由貴子は彼女らをおさえての堂々のグランドチャンピオンだった。 野球で言えば、清水由貴子が複数球団競合末に入団したドラフト1位の大型新人、ピンク・レディーがドラフトの下位指名の無名新…

  • ~6年経ったら正統派アイドル卒業!!~6年たったら/五十嵐夕紀(1977年4月)

    1977年4月、16歳のときに、渡辺プロダクションから「6年たったら」でアイドル歌手としてデビュー(発売元は東芝EMI)。同期デビューには、女性では榊原郁恵、高田みづえ、香坂みゆき、ビューティペア、男性では渋谷鉄平、太川陽介、狩人、清水健太郎・・・ ライバルもとても多かった。 デビュー当時は、都倉俊一司会の『レッツゴーヤング』(NHK)で「サンデーズ」のメンバーや、高島忠夫司会の『クイズ・ドレミファドン!』のアシスタントとなったのを始め、人気番組『ぎんざNOW!』『TVジョッキー』など様々なテレビ番組に出演し、爽やかな笑顔でお茶の間にもたちまち人気が浸透していったことを記憶している。 「6年た…

  • 〜百恵伝説の始まりは、意外なほど地味に〜としごろ/山口百恵(1973年5月)

    73年5月にリリースされた山口百恵のデビュー・シングル。作詞は、麻丘めぐみやキャンディーズなどの70年代アイドルに多く提供した千家和也、作曲はピンク・レディーや「ジョニィへの伝言」「あずさ2号」など数多くのヒット曲を手掛けた都倉俊一。 山口百恵というと、同じ「スター誕生!」出身の森昌子、桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれていたが、デビュー当時は、歌唱力抜群の森昌子、アイドルの資質に際立っていた桜田淳子と比べて地味でオーラもなく、人気・実力共に二人に大きく差を付けられてけられていたことを覚えている。 この曲は、デビュー当時14才だった彼女の「めざめ」をテーマとした曲。改めて聴いてみると、初…

  • ~昭和歌謡史に燦然と輝く名曲!~バス・ストップ/平浩二(1972年9月)

    1972年9月1日に発売された平浩二の7作目のシングル(作詞:千家和也、作曲:葵 まさひこ)で、オリコンヒットチャート最高11位、オリコンセールス22.4万枚、累計売り上げ枚数80万枚を超える平浩二の代表曲。 バスの停留所を舞台とした主人公の切ない女心を平浩二がファルセットのきいた甘いハイトーンの美声で歌い上げている。 この曲がヒットしていた頃は中学1年だったが、バス停をテーマとした曲はそれまであまり無く(後に浅野ゆう子の『セクシー・バスストップ』や榊原郁恵の『バス通学』が発売されたが)新鮮で、下校時にバス停の前を通りながら、良く口ずさんでいたことを記憶している。同じ頃ヒットしていた千葉紘子の…

  • ~ストーブの芯の交換が曲の原点?~冬が来る前に/紙ふうせん(1977年11月)

    国民的ソング『翼をください』で有名なフォークグループ「赤い鳥」のメンバーだった後藤悦治郎と平山泰代は、「赤い鳥」解散直前に結婚して1974年からフォークデュオ「紙ふうせん」として活動。3年後にリリースされたこの『冬が来る前に』がオリコンチャート最高4位、45万枚の売り上げを記録する大ヒットに。

  • ~鶏が先か卵が先か~風の駅/野口五郎(1977年10月)

    1977年10月にリリースされた野口五郎の25枚目のシングル。 この曲は、TBSテレビ『ザ・ベストテン』の初回放送時(1978年1月19日)の第10位、つまり、野口五郎は当番組の「ミラーゲート」を通って初めて登場した記念すべき歌手。(ちなみにこの放送時の第1位はピンクレディ「UFO」、第2位はキャンディーズ「わな」) 野口五郎のシングルでは、珍しく、『神田川』で有名な喜多条忠(まこと)が作詞を担当(作曲・編曲は筒美京平)。このためか、歌詞の内容は「貧しい生活の中で愛だけが心の支え」と言った、4畳半フォークの世界観が垣間見える。 ♪僕の帰りを 暗い駅のベンチで 君は待ってた 赤いサンダル♪ 舞台…

  • ~爽やかな目覚めのメロディーに隠された深くて重い歌詞の意味~きみの朝/岸田智史(1979年3月)

    1979年(昭和54年)3月21日にリリースされ、TBS系のテレビドラマ『愛と喝采と』の挿入歌とされた岸田智史(現・岸田敏志)の8枚目のシングル。 作詞は、このドラマの脚本を手掛けた岡本克己の弟で、『旅の宿』や『襟裳岬』の歌詞で知られる岡本おさみ、作曲は岸田智史本人。 当時、木曜午後9時の『ザ・ベストテン』の後、午後10時からこのドラマが放送されており、毎週楽しみに見ていた。このドラマに新人歌手の武井吾郎役として出演していたのが岸田。ドラマでは、武井吾郎が『ザ・ベストテン』で注目曲を紹介する人気コーナー『今週のスポットライト』に出演して『きみの朝(ドラマでは「モーニング」のタイトル)』を歌い、…

  • ~幻の岬?となった名デビュー曲~おもいで岬/新沼謙治(1976年2月)

    1976年2月1日にリリースされた新沼謙治のデビュー・シングル。 新沼謙治は、岩手県大船渡市出身。左官屋の経歴を持ち、日本テレビ系オーディション番組「スター誕生!」に5度目の挑戦でようやく合格して歌手デビューを果たした苦労人。芸能コースのある堀越学園に通学していた他のアイドル歌手とは一味も二味も違う。普段は訛り丸出しの東北弁でぼそぼそと喋るが、歌になると一変して、安定感のある堂々とした歌いっぷりになる…このギャップが印象的だった。 デビュー後は、2ndシングル「嫁に来ないか」がヒットし、第18回日本レコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場。このため、「嫁に来ないか」が新沼謙治のデ…

  • 〜三億円事件犯人の時効成立直前の心境??~時の過ぎゆくままに/沢田研二(1975年8月)

    フランスでヒットした「パリにひとり」に続いて75年8月21日に発売されたジュリーこと沢田研二の14枚目シングル(作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)。5週連続1位、年間チャート4位と自身最大のヒット曲となった。 この曲は、戦後の未解決事件として最も有名な三億円事件(68年12月10日発生)をモチーフとしてジュリーが犯人役の主人公を演じたドラマ「悪魔のようなあいつ」(TBS系で75年6月6日から同年9月26日まで放送)の主題歌だったらしい。(このドラマが放送されていた当時はTBSが放映されない地域に住んでいたので、残念ながらこのドラマは見ていない。) ドラマは、実際の事件の時効(1975年12月10日…

  • 〜天地真理のサマーソングとの意外な関連性~太陽の日曜日/荒川務(1974年6月)

    74年6月10日発売のデビュー曲「太陽の日曜日」で、荒川務は、日本レコード大賞新人賞を受賞(なお、この年、浅野ゆう子、城みちる、テレサ・テン、西川峰子らも同時に新人賞を受賞している)。 74年と言えば、400組もの新人歌手・アーティストがデビューした空前の戦国時代。太田裕美、伊藤咲子、あいざき進也、アルフィー、イルカなどの現在も活躍中の実力派もこの年にデビューしている。 「太陽の日曜日」の曲は当時から良く口ずさんでいたが、荒川務が歌番組に出演していた記憶は全くなく、むしろオールスター大運動会の走り高跳びで活躍したことの記憶だけがしっかりと残っている(笑)。 前回、天地真理の「恋と海とTシャツと…

  • ~「恋する夏の日」以上の名曲?~恋と海とTシャツと/天地真理(1974年6月)

    天地真理10枚目のシングル「恋と海とTシャツと」では、初のオリコン1位を獲得した「ちいさな恋」以来、久しぶりに人気作詞家・安井かずみが作詞を担当した。作曲は森田公一の続投だったが、イントロのメロディなど「恋する夏の日」を明らかに意識した作りとなっている。 海、砂浜、波、潮風、青空などの夏定番の情景に、恋する乙女心を重ねた高揚感を覚える作品。

  • 〜隠れた名曲の隠れた作曲家?!〜今夜は気取って/布施明(1978年3月)

    「霧の摩周湖」(66年12月発売)「愛の園」(68年4月)「愛は不死鳥」(70年4月)「そっとおやすみ」(70月7月)「積み木の部屋」(74年3月)「シクラメンのかほり」(75年4月)「傾いた道しるべ」(75年10月)「君は薔薇より美しい」(79年1月)「恋のサバイバル」(79年5月)等、10年以上にわたってヒット曲も数多い。 今回紹介するのは、隠れた名曲とも言える「今夜は気取って」(78年3月発売)。作詞は布施明、作曲はロバート・ヒューズ、編曲は林哲司。

  • 〜あなたの住む街まで飛行操縦困難??〜アテンションプリーズ/能瀬慶子(1979年1月)

    79年1月5日発売の能瀬慶子のデビュー曲。 能瀬慶子は、第3回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを獲得して、15歳でデビュー(ちなみに、第1回のグランプリは榊原郁恵) しかし、取り立てて可愛い訳でも、歌が上手い訳でもない。どこにでも居そうな普通の垢抜けていない女の子。何故グランプリを取れたのか不思議で仕方がない(笑)。 これに対し、この曲を担当した作詞作曲陣が超豪華!! 作詞は、かぐや姫の「神田川」「赤ちょうちん」「妹」、キャンディーズの「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「アン・ドゥ・トロワ」、中村雅俊の「いつか街で会ったなら」等のヒット曲を手掛けた有名作詞家喜多條忠(ま…

  • 〜最後に愛は勝つ!?〜失恋魔術師/太田裕美(1978年3月)

    78年3月21日に発売された太田裕美の11枚目のシングル。 デビューシングル「雨だれ」(74年11月発売)から、4枚目の大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」(75年12月発売)を含めて10枚目シングルまで、作詞松本隆・作曲筒美京平のコンビが続いたが、このシングルで初めて筒美京平以外の吉田拓郎が作曲を担当。 この曲は、主人公の女性が彼と待ち合わせた郊外の珈琲ハウスまでバスで向かう道中、「失恋魔術師」なる不可思議な人物に付き纏われながらも、なんとか彼と珈琲ハウスで落ち合うストーリー。 「木綿のハンカチーフ」と同様に、対話形式の物語風展開となっている。「木綿のハンカチーフ」は、恋人同士の対話形式だが、こ…

  • 〜カナダよりサンフランシスコ?〜サンフランシスコ行き/平尾昌晃・畑中葉子(78年7月)

    1978年7月25日発売。作詞:橋本淳、作曲:平尾昌晃 「平尾昌晃歌謡教室」の生徒だった畑中葉子と師匠平尾昌晃の初デュエット曲「カナダからの手紙」(78年1月発売)がレコード売り上げ70万枚を記録して予想外の大ヒット!!気を良くしたのか、同じ作詞作曲家による海外での恋愛をテーマにしたデュエット曲として、第2弾「エーゲ海の旅」(78年4月)、第3弾「サンフランシスコ行き」(78年7月)を連発する。 しかし、二番煎じや三番煎じはインパクトに欠けたのか、「エーゲ海の旅」は8万枚、「サンフランシスコ行き」は2万枚と尻すぼみ。第4弾の「ヨーロッパでさよなら」(78年10月)で、この師弟コンビも文字通りさ…

  • 〜異彩を放つ楳図ワールド!!〜寒い夜明け/郷ひろみ(1976年11月)

    寒い夜明時の別れと旅立ちをテーマにした曲で、76年11月1日にリリースされた郷ひろみ19枚目のシングル。 作曲はお馴染みの筒美京平だが、作詞はホラー漫画や「まことちゃん」で有名な漫画家楳図かずお、という異例?の組み合わせ。 この曲、オリコンチャート最高5位と、決して売れなかった訳ではない。だが、郷ひろみの数多くのヒット曲の中に埋もれてしまったのか、ヒットメドレーなどでもまず歌われる事はない。でも、僕の中でダントツのイチオシ曲!! 発売された頃から楳図かずおが作詞していた事は知っていたが、当時は「楳図かずおにしては、結構上品でまともな歌詞を書くなぁ~」とか「筒美京平のサウンドと意外とマッチしてい…

  • おしゃれな土曜日

    おしゃれな土曜日 作詞:安井かずみ 作・編曲:葵まさひこ 73年10月発売。元祖ビジュアル系女子プロレスラーとして活躍したミミ萩原の歌手ビュー曲(当時、ミミの芸名)。 70年代中盤から後半にかけて、マッハ文朱からビューティ・ペアへと続く女子プロ人気は凄かったが、その頃の78年に、ミミ萩原のリングネームで全日本女子プロレスデビュー。 その後、連戦連敗で実力よりもビジュアル系の女子プロレスラーとして活躍していた頃は良く覚えているのだが、その5年程前に、こんなキュートな曲を歌っていたとは知らなかった。 出会ったばかりの二人の初デートのウキウキした気分を歌った「おしゃれな土曜日」。廃盤ベストテンで堂々…

  • あじさい橋

    紫陽花が綺麗な季節ですね~。 と言うわけで、今回紹介するのは、城之内早苗の「あじさい橋」 「紫陽花」のタイトルが付く曲を調べてみると「あじさい化粧」(藤あや子)、「あじさい酒場」(坂本冬美)、「紫陽花」(五木ひろし)、「あじさい情話」(北島三郎)、「あじさいの雨」(渡哲也)など、演歌が結構多い。やはり、紫陽花に雨、涙、別れ、酒等を重ね合わせて男女間の情念を切々と唄うのが演歌に相応しい。城之内早苗もおニャン子クラブ出身の演歌歌手。大叔父は、プロ野球・読売巨人軍で「エースのジョー」と呼ばれた大投手の城之内邦雄(小学生低学年の頃だったが、サイドスローのダイナミックなフォームから投げる城之内投手の事は…

  • 初恋のメロディー

    1972年8月5日発売、小林麻美18歳の時の歌手デビュー曲(作詞:橋本淳・作曲:筒美京平)。 小林麻美というと、海外のカバー曲で大ヒットした「雨音はショパンの調べ」(84年4月発売)が有名だが、「初恋のメロディー」は70年代初頭のアイドル時代の代表曲でオリコン18位を記録。 作詞の橋本淳は筒美京平の青学時代の先輩で、二人は学生時代から共にジャズバンドで活動していた伝説の名コンビ。いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」(68年12月発売)、平山三紀の「真夏の出来事」(71年5月発売)、岡崎友紀の「私は忘れない」(72年10月発売)など、70年前後に二人のコンビによる名曲は数多い。 古き昭和の良き…

  • 白いくつ下は似合わない

    75年8月に発売された荒井由実作詞作曲のアグネス・チャン11枚目のシングル。二十歳になったアグネスのためにユーミンが大人のバラードをプレゼントしたもの。 アグネスと言えば、72年11月に「ひなげしの花」でデビュー以降「草原の輝き」、「小さな恋の物語」、「星に願いを」、「ポケットいっぱいの秘密」、「愛の迷い子」など立て続けにヒット曲を連発!少女っぽい内容の歌詞をたどたどしい独特の歌い方で唄う、白いハイソックスがトレードマークのアイドルだった。ところが、この曲は、これまでのシングル曲とは全く異なる切ない失恋ソング。ユーミンならではの哀愁感漂うメロディーと独特の世界観に思わず引き込まれてしまう。 作…

  • ラストシーン/西城秀樹

    76年12月にリリースされた西城秀樹の19枚目のシングル。同年2月発売の16枚目シングル「君よ抱かれて熱くなれ」から「ジャガー」、「若き獅子たち」の青年3部作に引き続き、この曲も作詞阿久悠×作曲三木たかしの名コンビ。 デビュー当時は派手なボディアクションと絶叫型の歌唱スタイルで女性には人気があったようだが、正直このスタイルはあまり好きになれなかった。そんな頃、テレビで「ラストシーン」を語りかけるように優しく歌っているのを見て、これが秀樹かと驚いた記憶がある。それ以降かな〜西城秀樹をファンとして意識したのは。それからは、激しいアクションも素直にカッコいいと思えるようになった(笑)。 当時から「ラ…

  • 右向け右

    78年5月25日発売の石川ひとみのデビューシングル。 フジテレビ系で放送されていたオーディション番組「君こそスターだ!」でチャンピオンとなり、18歳で歌手デビュー!アイドル歌手のデビュー年齢としてはやや遅めだが、妖精のような清楚な美しさと群を抜く歌唱力で並みのアイドルとは別格感を漂わせていたように思うし、親衛隊(←死語?(笑))からも絶大な人気があった。 作詞は後に松田聖子や河合奈保子のデビューシングルを手掛けた三浦徳子(よしこ)、作曲はザ・ピーナッツや園まりでヒットを飛ばしていたベテランの宮川泰という申し分ない強力コンビだったが…オリコンチャート最高66位、売り上げ1万5千枚とヒットには至ら…

  • グッド・バイ・マイ・ラブ

    74年4月発売のアン・ルイスの6枚目のシングル(作詞なかにし礼・作曲平尾昌晃)で初のヒット曲。「女はそれを我慢できない」「ラ・セゾン」「六本木心中」「あゝ無情」などロックのイメージが強い彼女だが、この曲はそれとは正反対のバリバリのアイドル歌謡曲!別れの切ない感情を昭和の懐かしさを感じさせるようなゆったりとしたメロディに載せて、アン・ルイスが爽やかに歌っている。 ♫グッバイマイラブ この町角で グッバイマイラブ 歩いてゆきましょう あなたは右に 私は左に ふりむいたら 負けよ♫ 決して憎悪に満ちた別れではなく、今でも彼を愛している…振り返ってしまうと涙が止まらなくなるので、強がりで言っているので…

  • 私たち(岩崎宏美)

    いきなりスマッシュヒットしたデビュー曲「二重唱(デュエット)」(75年4月発売)に続く2ndシングル「ロマンス」(75年7月発売)で早くもオリコンチャート1位を獲得!2曲目での1位獲得は、松田聖子(1位はサードシングルの「風は秋色」から)よりも早いペース。ただ、今回紹介するのは、この大ヒット曲「ロマンス」ではなく、そのB面の「私たち」(作詞作曲は「ロマンス」と同じ阿久悠・筒美京平) 元々、「ロマンス」と「私たち」は、どちらをA面に持ってくるか決まっておらず、作曲の筒美京平が「私たち」を推挙し、作詞の阿久悠が「ロマンス」にこだわったため、最後にはスタッフ間で採決をとり、1票差で「ロマンス」をA面…

  • 恋人試験

    資生堂「バスボン」のCMに出演していた松本ちえこの3枚目のシングル(76年5月発売、作詞:伊藤 アキラ、作曲:あかの たちお)で、オリコンチャート最高5位、売り上げ枚数27.7万枚の大ヒット! この曲は、何と言っても歌詞のインパクトだね。「恋人試験」というユニークなタイトル。 ♫私の一番かわいいとこどこですか? 次のうちからひとつにマルつけて耳 くちびる ちいさな瞳 胸 くびすじ まあるいお鼻♫ で始まる択一式問題?のような歌詞(笑)。 さらに二番は、♫私と一緒に行きたいとこどこですか? ひとつ選んでその理由(わけ)を述べよ。山 みずうみ 田舎の牧場 広場 スナック 夜更けのディスコ♫ と言っ…

  • パステルラヴ

    発売当時それほど大ヒットした訳ではないが、時代を超えて聴く人の心に響く名曲も存在する。金井夕子のデビューシングル「パステルラヴ」(78年6月発売、作詞作曲:尾崎亜美、編曲:船山基紀)もそんな名曲の一つ。 金井夕子は「スタ誕」出身だけあって、歌唱力は折り紙付き。多少地味目な容貌を割り引いても、卓越した歌唱力だけで勝負できる数少ない実力派だったと思う。70年代初頭、強烈なハスキーボイスでインパクトを残した平山三紀という歌手がいたが、彼女を若干彷彿させるような独特の鼻にかかったボイスで、安定感のある落ち着いた歌声が特徴的だった。 尾崎亜美が創り出す詩の世界も素晴らしい。新しい彼との出会いで失恋の痛手…

  • スマイル・フォー・ミー

    いよいよ令和時代に突入!最初に取り上げるのは、天真爛漫で健康的なアイドルのイメージが強かった河合奈保子。 西城秀樹の妹募集コンテストで優勝して、80年6月に「大きな森の小さなお家」でデビュー。「スマイル・フォー・ミー」は、デビューから1年後の81年6月に5枚目のシングルとして発売され、初の大ヒット!! 作詞作曲は、河合奈保子の曲を多く提供していた竜真知子×馬飼野康二の名コンビ。 デビュー時期は80年代の幕開けで、松田聖子と重なるのだが、当時はどちらかと言うと河合奈保子の方が性格が良さそうで好きだった(笑)。 改めて動画を見てみると、アイドルっぽいルックスも可愛いし、歌も上手い。 ♬Smile …

  • LIAR

    あと数日で平成の時代も終わりですね。今回は、平成のトリを飾るに相応しい中森明菜のLIARを取り上げたい。 LIAR(嘘つき)作詞:白峰美津子、作曲:和泉一弥。 昭和を代表する歌姫として松田聖子と共に一世を風靡した中森明菜。80年代最後で、平成の時代に突入したばかりの89年4月25日(今から丁度30年前)、明菜のアルバム「CRUISE」の先行シングルとして発売された。この曲は、89年5月8日付でシングル「TATTOO」以来となる初登場・最高順位ともに1位を記録。だが、発売から僅か2ヶ月半後の 7月11日 (明菜の24歳の誕生日の2日前)に自殺未遂事件を起こし、その後およそ1年間歌手活動を休止する…

  • カリフォルニア・コネクション

    79年4月発売の水谷豊の通算5枚目のシングル。作詞:阿木燿子、作曲:平尾昌晃で、日本テレビで放映された「熱中時代・刑事編」の主題歌として大ヒット。TBS「ザ・ベストテン」では12週連続でランクインし、4週連続1位に。 当時「ザ・ベストテン」を毎週見ており、水谷豊の生出演での歌声を楽しみにしていたが、番組を欠席することが多く、非常に残念だったことを良く覚えている。ドラマの演技とは対照的に本人は極度の照れ屋で、曲を歌う前の司会の黒柳徹子とのやりとりが非常に苦手だったことが原因だと思っていた(笑)。だが、日本テレビのドラマ主題歌であっため、TBSの「ザ・ベストテン」の出演を控えていたのかも。 この曲…

  • としごろ

    73年5月にリリースされた山口百恵のデビュー・シングル。作詞は、麻丘めぐみやキャンディーズなどの70年代アイドルに多く提供した千家和也、作曲はピンク・レディーや「ジョニィへの伝言」「あずさ2号」など数多くのヒット曲を手掛けた都倉俊一。 山口百恵というと、同じ「スター誕生!」出身の森昌子、桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれていたが、デビュー当時は、歌唱力抜群の森昌子、アイドルの資質に際立っていた桜田淳子と比べて地味でオーラもなく、人気・実力共に二人に大きく差を付けられてけられていたことを覚えている。 この曲は、デビュー当時14才だった彼女の「めざめ」をテーマとした曲だが、明るい正統派アイド…

  • 無鉄砲

    78年6月発売の木之内みどり12枚目のシングル。 当時、歌手として曲はあまり売れていないかったが、小顔でスレンダー、透明感溢れる美貌で、グラビア等のビジュアル面で男性人気は凄かった。 前作の「横浜いれぶん」(2月)、次作のラストシングル「ローンウルフ」(9月)を合わせた三部作は、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」を作曲した大野克夫を起用。これまでの華奢(きゃしゃ)なイメージから脱皮した新たなツッパリ感が新鮮だった。 レコードもようやく売れ出し、人気絶頂期になりつつあったまさにその時に、交際中のベーシストで「既婚者」の後藤次利の元へ、全てを投げ出して恋の逃避行ーー。 曲のタイトル「無鉄砲」を地で行…

  • まちぶせ

    76年6月発売。ユーミン作詞作曲による三木聖子のデビュー・シングル。 我々の世代は、「聖子」といえば、松田聖子ではなく、三木聖子(笑)「まちぶせ」といえば、石川ひとみではなく、三木聖子(笑) ♬偶然をよそおい 帰り道で待つわ♬♬もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる♬ ストーカーっぽい内容の歌だけど(笑)、ユーミンが三木聖子の実体験を基に書き下ろしたものなので、こちらが本家本元。 短期間で引退してしまったけど、三木聖子は清楚で気品があったなぁ〜 昔から石川ひとみの大ファンだったけど、まちぶせに限って言えば、三木聖子の方が良いと思うね。

  • 時の過ぎゆくままに

    75年8月に発売されたジュリーこと沢田研二の14枚目シングルで、最大のヒット曲。 70年代のジュリーの人気は凄かった。貴公子のような甘いマスクに、斬新なファッション、帽子を飛ばしたり、ウイスキーを口に含んで霧状に吹いたりするド派手なパフォーマンス…全てが絵になったね。まさに時代の寵児として輝いていた。 最近知ったのだが、この曲は、戦後最大の未解決事件とされた三億円事件をモチーフとしてジュリーが犯人役の主人公として放送されたドラマ「悪魔のようなあいつ」(TBS系)の主題歌だったらしい。 曲の大ヒットとは正反対に、ドラマの方は視聴率は低迷し、時効が成立する三ヶ月程前に終了。 ♫あなたはすっかり つ…

  • 裸足の季節

    80年4月1日発売。80年代に入り、新たな時代の幕開けを飾った松田聖子のデビューシングル。作詞は、アイドル歌手の曲を多数手掛けている三浦徳子(よしこ)、作曲は前年サーカスの「アメリカンフィーリング」を手掛けた小田裕一郎。 セカンドシングルの「青い珊瑚礁」でブレイクし、サードシングルの「風は秋色」から、「旅立ちはフリージア」まで、24曲連続オリコン1位を獲得するんだげど、僕はこのデビューシングルが1番好きだね〜。 ♫エクボの秘密あげたいわ もぎたての青い風♫資生堂のCMソングで良く聴いたなぁ! ♫夢の中のこととわかっていても 思い切りこたえる私です ♫ この曲が流行っていた頃、♫思い切り酒飲む私…

  • 天使も夢みる

    73年2月に発売。「スター誕生!」で番組史上最高得点を叩き出して圧倒的なインパクトを残し、当時審査員を務めていた阿久悠と中村泰士が直々に作詞作曲を手掛けた桜田淳子のデビュー曲。 ♬私の胸に 恋のめばえを感じる季節 白い風が 耳にやさしくささやいて行く♬♬私の胸に 一つこぼした恋する花が 今は こんな広い花園みたいになった ♬ ♬もう泣かないわ さびしくないわ 天使も夢みる 春だから♬ デビュー当初の桜田淳子は、白いハットを被ってまさに「天使」のような爽やかなイメージだった。 まだ芽生えの段階だが、将来アイドルスターとして大輪の花を咲かせるなることをほのかに予感させるような、春らしい ナンバー。

  • 青春の坂道

    ♬淋しくなると訪ねる 坂道の古本屋立ち読みをする君に逢える気がして♬で始まる岡田奈々の「青春の坂道」 76年3月発売、松本隆作詞×森田公一作曲の青春の定番ソング‼︎ ♬青春は長い坂を登るようです 誰でも息を切らし一人立ち止る♬ 青春を坂道に例えて、途中の古本屋で一休み。僕は、この曲を聴くと、目黒にある権之助坂の途中にあった小さな古本屋を思い出す。当時、この古本屋で立ち読みをしてから、近くのラーメン屋に行くのがお決まりのコースだった(この古本屋はいつの間にか無くなったが、ラーメン屋は今も営業している)。 ♬同じ道もう一度歩きませんか♬ 一人では心細いが、彼の優しさ、温もりに触れながら一緒に坂道を…

  • 私鉄沿線

    鉄道絡みでもう一つ。75年1月発売の「私鉄沿線」は、言わずと知れた野口五郎の代表作で、作曲は、実兄の佐藤寛。「池上線」と違ってモデルとなる駅は無かったらしいが、僕の心の中では、学生時代に過ごした東急東横線。 ♫伝言板に君のこと僕は書いて帰ります♫ 今のように携帯でメールなんて手軽に出来なかった時代、連絡手段としての伝言板は貴重だったけど、これも昭和の遺物。 男女の別れをテーマとした歌は、生活感のある私鉄の小さな駅が似合うね。

  • 池上線

    都心を走りながら、近隣の東急東横線と比べると地味で今だにローカル感の抜けない池上線。そんな池上線を舞台にした、76年4月発売の西島三重子の曲。 ♫古い電車の ドアのそば二人は黙って 立っていた。‥‥すきま風に 震えて♫♫角のフルーツショップだけが灯りともす 夜更けに♫ 古き昭和の時代が垣間見えますね〜僕もその当時池上線に何度も乗ったけど、床とか木製で冷房も無く、走行中入って来るすきま風が天然冷房みたいな…(笑)こんな名曲の舞台になるとはとても思えなかったね! なお、「角のフルーツショップ」は、池上駅に実在していたけど、今はケンタッキーに変わっているらしい。

  • 卒業

    卒業シーズンですね〜85年には、尾崎豊、斉藤由貴、菊池桃子、倉沢淳美が同じ「卒業」の曲名を出しているけど、斉藤由貴の「卒業」は、松本隆作詞、筒美京平作曲のゴールデンコンビによるもの♫セーラーの薄いスカーフで 止まった時間を結びたい。だけど東京で変ってく あなたの未来は縛れない♫って唄ってるけど、「東京で変ってく あなたの未来」って、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」で.都会へと旅立ってその絵の具に染まり、田舎の彼女を忘れていく彼と同じだね!「木綿のハンカチーフ」も同じ松本隆の作詞だし! 全く違う曲に同じような状況の詞を見つけると、何か宝物を発見したような気分になる(笑)

  • 春ラララ→春うらら

    「春ラララ」は80年の1月1日発売、まさに80年代幕開けの曲だったけど、それと語呂の似た曲「春うらら」は76年2月発売の田山雅充の曲。当時、ギターを弾きながら歌っていたのをテレビで良く見たけど、この歌は、言葉の使い方が巧み。 ♬二人コタツに くるまって ふれあう素足が 「ほてりほてり」♬ここで煙草を「ぷかりぷかり」 ♬ヤカン煮立って「カタリカタリ」♬まだまだ小さい 君の胸 僕の手のひら 大きいよ くらべてみようか「そろりそろり」♬街は祭りの 初稽古 浮かれ囃子が「ひゃらりひゃらり」♬君と僕とで 抱き合えば 冷たい肌も「ぽかりぽかり」 毎年、春先になると妙に聴きたくなる曲! 春うらら 田山雅充

  • 春という字!!

    今日は春らしい陽気でしたね! 石野真子の「春ラララ」という曲(伊藤アキラ作詞・森田公一作曲)に、♫春という字は、三人の日と書きます。あなたと、私と、そして誰の日?♫って始まって、途中から彼女の元彼が出てきて今彼と三人で会う何だか不思議な歌(笑)普通じゃあり得ないけど、春の陽気がそうさせたのかな??この曲が石野真子の最大のヒット曲だったというのもまた不思議だね! 三人で会うと、普通は、河合奈保子の「ケンカをやめて」になってしまうよね(笑) 石野真子 春ラ!ラ!ラ!

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