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  • 『徒然草』を読む-ある人、弓射ることを習ふに-(新米国語教師の昔取った杵柄113)...

    またまた『徒然草』の師匠モノである。 「またまた」といえば、かつて『パイプのけむり』という随筆があったことを思い出した。 これは正編の評判がよかったのか次々に続編が刊行されたが、これが「2巻、3巻」ではなかったのが面白かった。 『パイプのけむり』『続パイ

  • 『徒然草』を読む-公世の二位のせうとに-(新米国語教師の昔取った杵柄112)...

    古文初学者向けの『徒然草』で忘れていたものがあったので一つ。 それは「公世の二位のせうと」という話である。 これは歴史的仮名遣いの良い勉強になる外に、話としてもなかなか面白い。 まず、初学者は「せうと」が読めない。 これはローマ字で考えると分かりやす

  • 『枕草子』を読む-うつくしきもの-(新米国語教師の昔取った杵柄111)...

    『枕草子』で「春はあけぼの」と並んで定番なのが「うつくしきもの」である。 「うつくし」は例によって先生が、「古文の『うつくし』は『美しい』ではありません。『可愛い』です。」と声を張り上げそうだが、これまた「をかし」や「あはれなり」と同じく生徒に印象付け

  • 『枕草子』を読む-春はあけぼの-(新米国語教師の昔取った杵柄110)

    久し振りに『枕草子』である。 しかもド定番の『春はあけぼの』。 この段はほとんどの人が中学の時に習っていて、かつ、暗誦させられて今でも諳んじられる人もいるかもしれない。[原文] 春は、あけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の

  • 『徒然草』を読む-仁和寺にある法師-(新米国語教師の昔取った杵柄109)

    教科書に載っている『徒然草』はなぜか人生訓や説教じみたものが多い。 前回取り上げた「友とするに悪しきもの七つあり」なども教訓と云えなくもない。 これまたよく教科書に取り上げられる52段「仁和寺にある法師」もまた最後は教訓である。[原文]  仁和寺にある法師

  • 『徒然草』を読む-友とするに悪き者七つあり-(新米国語教師の昔取った杵柄108)

    青春は悩み苦しむ時期である。 「自分とは何者なのか」「自分はどうやって生きて行けばいいのか」 いわゆるアイデンティティについて、初めて真剣に考える時期だからである。 自分の長所だけではなく、短所をも、これまでそうしてきたような直感的な把握ではなく、初め

  • 『徒然草』を読む-高名の木登り-(新米国語教師の昔取った杵柄107)

    久々の『徒然草』である。 古文初学者の教材としてよく用いられるものに109段「高名の木登り」がある。 [原文] 高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、

  • 『宇治拾遺物語』を読む-絵仏師良秀-(新米国語教師の昔取った杵柄106)

    高校生の古文入門編として、「児のそら寝」と共にもう一つよく使われる『宇治拾遺物語』が「絵仏師良秀」である。[原文] これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおは

  • 『宇治拾遺物語』を読む-児のそら寝-(新米国語教師の昔取った杵柄105)

    高校で古文を習う時、入門として最初に教わる教材として、『宇治拾遺物語』が使われることが多い。 特に多いのは「児のそら寝」である。[原文] 今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに 「いざ、かいもちひ せむ。」と 言ひけるを、この児、心寄せに聞

  • リアル写真で花札を作る49-牡丹札とりあえず完成!だが写真の基本を忘れてた…-(それでも生きてゆく私333)

    無情の雨で二つの花は散ってしまった。 どういうものか牡丹札の撮影は雨に祟られる。 それでもまだ1個だけ牡丹が咲いている。 これに今年最後の望みをかけて「牡丹に蝶」撮影は休日である4月19日(韓国では学生革命の日である。全然関係ないけど)の午後一杯を使って行わ

  • リアル写真で花札を作る48-またも無情の雨で「牡丹に蝶」作成失敗-(それでも生きてゆく私332)

    牡丹スカ札と「牡丹に青丹」の作成が終わり、いよいよ次は「牡丹に蝶」の撮影開始である。 というより、私は今年の牡丹が咲いた瞬間からあわよくばまず「牡丹に蝶」を撮影するつもりであった。 それ以外の札はそれからでも十分間に合う。 ところが、花が咲いたのはいつ

  • リアル写真で花札を作る47-月日の流れを感じる牡丹に青丹-(それでも生きてゆく私331)

    3年越しの執念が実り牡丹スカ札を手にした私であったが、本命の「牡丹に蝶」を作成する前にもう一つの課題が残っていた。 「牡丹に青丹」である。 現在までに私が最も出来が良いと思っている青丹札は「紅葉に青丹」である。 リアル写真で花札を作る29-紅葉青短の芸術-(

  • リアル写真で花札を作る46-石の上にも3年の牡丹スカ札!-(それでも生きてゆく私321)

    全国のリアル花札ファンの皆様(推定100名)、お待たせしました。 我が「(株)リアル花札本舗(架空)」が2年振りに放つ新商品、「牡丹スカ札」でございます。  思えば、植木屋に騙されて添付の写真とは似ても似つかないピンクの牡丹を買わされたのが2年前。 しかも花が咲い

  • 『史記』を読む-項羽本紀13-籍独り心に愧ぢざらんや(新米国語教師の昔取った杵柄104)

    垓下を約800騎で脱出した項羽は、漢軍の5000騎に追跡され、20数騎まで数を減らして烏江(うこう)という河の畔までやって来る。 ここを越えたらもう江東である。かつて会稽の郡守殷通を殺して兵を挙げたところだ。[書き下し文] 是(ここ)に於(おい)て項王乃(すなわ)ち東(ひ

  • 『史記』を読む-項羽本紀12-虞や虞や若を奈何せん(新米国語教師の昔取った杵柄103)

    [書き下し文] 項王則ち夜起(た)ちて、帳中(ちょうちゅう)に飲(いん)す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従う。駿馬(しゅんめ)の名は騅(すい)、常に之(これ)に騎(き)す。是(ここ)にて項王乃ち悲歌忼慨(ひかこうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、「力は、山を抜き、

  • 『史記』を読む-項羽本紀11-四面楚歌(新米国語教師の昔取った杵柄102)

    遂に天下二分の和睦が結ばれた。 最初の形勢からするならば信じがたいことである。 和約は鴻溝を境として東を楚、西を漢とするものであった。鴻溝は黄河と淮河を結び南北に走る運河である。 項羽が約に従って東に帰ろうとしたとき、突如として漢軍が背後から襲い掛かる

  • 『史記』を読む-項羽本紀10-願わくは漢王と挑戦し雌雄を決せん(新米国語教師の昔取った杵柄101)

    その後も楚漢は戦っては項羽が劉邦を走らせるという状態が続いたのだが、次第に争闘が長期に亘った影響が出てくる。 それを象徴するのが次の場面である。[書き下し文] 漢王、則(すな)ち兵を引きて河(かわ)を渡り、復(ま)た成皋(せいこう)を取り、広武(こうぶ)に軍し、敖

  • 『史記』を読む-項羽本紀9-願わくは骸骨を賜いて卒伍に帰らん(新米国語教師の昔取った杵柄100)

    遂に反項羽の烽火を上げた劉邦だったが、これを項羽は一蹴する。これぞ鎧袖一触である。[書き下し文] 項王乃(すなわ)ち西のかた粛(しゅく)より晨(あした)に漢軍を撃ちて東(ひがし)し、彭城(ほうじょう)に至り、日中(にっちゅう)に大いに漢軍を破る。漢軍皆走り、相随(あい

  • 『史記』を読む-項羽本紀8-楚人は沐猴にして冠するのみ(新米国語教師の昔取った杵柄99)

    劉邦のいなくなった咸陽に項羽が入った。  劉邦は咸陽入りしたときにその煌びやかな財宝に眼が眩んで略奪しようとしたのだが、部下の張良や樊噲に諫められて泣く泣くこれを封印したのだ。 しかし、項羽にはそうした部下がいなかった。 何故いなかったか、それを示すの

  • 『史記』を読む-項羽本紀7-鴻門の会(新米国語教師の昔取った杵柄98)

    自分が先に秦都咸陽に入ったことで項羽が激怒していることを知った劉邦は、側近の張良に云って旧友で項羽の叔父の項伯にとりなしてもらい、項羽と面会する。後に「鴻門(こうもん)の会」と呼ばれる。[書き下し文] 沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)、百余騎を従え来たりて項

  • 『史記』を読む-項羽本紀6-諸侯皆焉に属す(新米国語教師の昔取った杵柄97)

    楚軍の頂点に立った項羽は2人の将軍を鉅鹿の救援に向かわせるが、名将章邯率いる秦軍は強く、苦戦する。 援軍を請われた項羽は自ら発つ。[書き下し文] 項羽すなわち悉(ことごと)く兵を引きて河を渡り、皆舟を沈め、釜甑(こしきがま)を破り、廬舎(ろしゃ)を焼き、三日の糧

  • 『史記』を読む-項羽本紀5-国家の安危この一挙に在り(新米国語教師の昔取った杵柄96)

    項羽と共に挙兵した叔父の項梁だったが、秦の章邯に敗死してしまう。 楚の懐王はこれによって大いに秦を恐れた。懐王は項梁が見つけ出して王に据えた例の元羊飼いである。 項梁の敗死を予言した宋義は懐王に謁見してその見識によって喜ばせて安心させ、何と上将軍に任命

  • 『史記』を読む-項羽本紀4-皆之を阬にす(新米国語教師の昔取った杵柄95)

    会稽郡を手中に収め、8000人の精兵を得て挙兵した項羽と項梁であるが、ここから先しばらくは項梁が現代の私達には馴染みのない誰々と戦って勝った負けたという話が続く。したがってこの部分は割愛したい。 項羽についての記述は短く淡白である。[書き下し文] 項梁前に項

  • 『史記』を読む-項羽本紀3-先んずれば人を制す(新米国語教師の昔取った杵柄94)

    項羽が打倒秦の兵を挙げたのは24歳のとき、叔父の項梁に従ってのことであった。[書き下し文]  秦の二世元年七月、陳涉(ちんしょう)等(ら)、大沢中(だいたくちゅう)に起つ。[現代誤訳] 秦の二世皇帝の元年七月、陳勝と呉広たちが趙の国大沢というところで蜂起した。 秦

  • 『史記』を読む-項羽本紀2-栴檀は双葉より芳し(新米国語教師の昔取った杵柄93)

    『史記』「項羽本紀」は項羽の生い立ちから始まる。[書き下し文] 項籍(こうせき)は、下相(かそう)の人なり、字(あざな)は羽。初めて起(た)ちし時、年二十四。その季父(きふ)は項梁(こうりょう)、梁の父は即ち楚の将項燕(こうえん)にして、秦の将王翦(おうせん)のために戮(

  • 『史記』を読む-項羽本紀1-「漢文必携」は楚人総出演(新米国語教師の昔取った杵柄92)

    『漢文必読(仮名)』という、高校で漢文を習う者には殆どバイブルと云ってよい本がある。 私もまた半世紀近く前にこの本で漢文を勉強した。今また、教えている高校生がこの本で勉強している。もう何回改訂を繰り返したのだろうか。 この本には素晴らしい例文が沢山掲載さ

  • 天草大王のように復活させてほしい柑橘2種(いやしんぼ118)

    柑橘サワーといえば通常は大手メーカーが製造してスーパーなどで販売しているものを思い浮かべる人が大半だろう。 しかし、もし貴方が熊本人だとしたら、それではあまりにも勿体ない。 人生の楽しみの半分くらい、は大げさだな、1割くらい、でも大げさか。人生の楽しみの

  • 『今昔物語』を読む-『羅生門』と「蛇を売る女」-(新米国語教師の昔取った杵柄91)

    芥川龍之介『羅生門』にはもう一つ元ネタがある。 それは『今昔物語』巻31「 太刀帯(たてわき)の陣に魚を売る嫗(おうな)のこと」である。 『羅生門』では下人が羅生門の二階で出会った婆がその髪の毛を抜いていた死体は蛇の肉を魚の肉と偽って売っていた女であった。

  • 『今昔物語』を読む-『羅生門』と『羅城門』-(新米国語教師の昔取った杵柄90)

    芥川龍之介の名は文学賞の名として不朽である。 彼の作品の中でも『羅生門』は未だに高校の教科書に掲載されていて、最近までは中学生だった青少年たちが「高校での国語は今迄とは一寸違うぞ」という通過儀礼として勉強する作品となっている。 時は平安朝。 疫病と飢餓

  • 俳句を読む4-正岡子規4-柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺-(新米国語教師の昔取った杵柄89)

    私は良い俳句の3つの要素は飛躍・余韻・ユーモアだと思っている。 これは今何の参考書もなく思いついたものだが、もしかすると過去に読んだ入門書などに書いてあったことが血となり肉となりあたかも自分が思いついたように錯覚しているのかもしれない。 飛躍、というのは

  • 俳句を読む3-正岡子規3-子規v.s.貫之-(新米国語教師の昔取った杵柄88)

    冒頭の絵と内容が関係ないことをお詫びします。 脊椎カリエスによって長期臥床状態になってしまった正岡子規であったが、彼の文学的活動はむしろこの時から始まったといってよい。 まず「獺祭書屋俳話」により旧来の俳諧について批判した後、「歌よみに与ふる書」により

  • 俳句を読む2-正岡子規2-正岡子規と野球-(新米国語教師の昔取った杵柄87)

    あなたはなぜ東京六大学のリーグ戦に「東帝大(仮名)」が参加しているか知っていますか。 「そんなもん当たり前だろ」と思った貴方。 「サッコ・ヴァンゼッティちゃん(仮名)」に叱られますよ! 259勝1748敗63分勝率0.129。 学生の頭脳では他の5大学を凌いでいる東帝大も

  • 俳句を読む1-正岡子規1-脊椎カリエスという病-(新米国語教師の昔取った杵柄86)

    あなたの右腕の肩関節から上腕 付近を見て欲しい。 あなたが日本国民ならば、おそらくそこにはほんの微かに、或いはかなりはっきりした化膿痕があるはずである。 あなたが私と同じ1960年代生まれならばそこには3つの瘢痕がある。 それは種痘が1回接種された痕と、BCGが2

  • 魅惑の歌声Sondia5-내일도 오늘처럼/明日も今日のように-(韓国ドラマに一喜一憂5)

    私は韓国語学習歴40年になんなんとするが、未だに初めて聞く韓国語の曲の意味はほとんど分からない。 10回くらい聞いてまずメロディーを覚え、30回くらい聞いて意味が分からないなりに歌詞が聞き取れるようになってきて、 100回くらい聞いて意味が分からないなりの歌詞を

  • 漢詩を読む8-夏目漱石「春日偶成」-(新米国語教師の昔取った杵柄85)

    明治時代は45年続いたから明治に生きた人と云うのは45歳以下で死なない限りは江戸の生まれである。 江戸の知識人は常識として漢文を身に着けていたから、自分の心情を吐露するのに俳句や短歌を使わない場合は漢詩を使用することが多い。 勿論明治の作家たちは言文一致運

  • 漢詩を読む7-幸田露伴「春暁」-(新米国語教師の昔取った杵柄84)

    前回孟浩然の『春暁』を「春まだ寒き朝の詩」として訳したのだが、指導書などを読んでみると「春のぽかぽかした朝」 と訳するのが正統の訳し方らしい。 教科書によってはわざわざ幸田露伴の同名の詩を並べて「違いを考えてみましょう」などと書いてある。 幸田露伴の『春

  • 漢詩を読む6-孟浩然「春暁」-(新米国語教師の昔取った杵柄83)

    孟浩然の『春暁』は日中両国で古くから愛されてきた詩である。 国語が大嫌い、という人でも、この歌を読んだこともない、聞いたこともないという人はあまりいないだろう。[書き下し文] 春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず 処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く 夜

  • メジロv.s.ヒヨドリv.s.モズv.s.カラスv.s.スズメ-そして誰もいなくなった(sea豚動物記99)

    私の棲む菊陽町は最近全国ニュースによく登場する。 話題は台湾の大手IT企業の進出である。 それに伴って人口が大幅に増え、急速に都市化が進んでいる。 と、よく報道されているが、実はこの町の都市化は今に始まったことではない。 なぜ台湾の企業が進出してきたかと云

  • 漢詩を読む5-白居易2「長恨歌」-(新米国語教師の昔取った杵柄82)

    前回では取り敢えず高校の教科書によく掲載される「香炉峰下の詩」を取り上げたが、やはり白楽天の真骨頂は「長恨歌」だと思うので今回はこれについて話題にさせてもらう。 唐の玄宗李隆基の治世の前半は太宗李世民の貞観の治と比肩する善政として開元の治と呼ばれた。歴

  • 漢詩を読む5-白居易1「香炉峰下の詩」-(新米国語教師の昔取った杵柄81)

    白居易という人は私には白楽天という別名の方が馴染みがある。  何だか白居易というと「唐代の政治体制と白居易」などという難しい論文の題名になっている感じである。したがってこの文では白楽天と呼びたい。 居易は名(諱:いみな)で、楽天は字(あざな)である。白は姓

  • 漢詩を読む4-王翰「涼州詞」-(新米国語教師の昔取った杵柄81)

    高校の教科書の和歌の部分には一切酒が登場しないのに対して、漢文の漢詩部分ではではよく酒が登場する。 次に紹介する「涼州詞」もまた酒を詠んだ詩である。というか、この場合主役が酒というか。[書き下し文] 葡萄(ぶどう)の美酒夜光の杯(はい) 飲まんと欲すれば琵琶(

  • 漢詩を読む3-李白「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」-(新米国語教師の昔取った杵柄80)

    李白は中国では李杜と云われ杜甫と並び称される詩人である。 また杜甫が詩聖(詩の聖人)と云われるのに対して詩仙(詩の仙人)と呼ばれる。 私が李白の詩に最初に触れたのはおそらく高校で習った「子夜呉歌」である。[書き下し文] 長安一片の月 万戸(ばんこ)衣(きぬ)を擣(

  • 漢詩を読む2-王維「元二の安西に使いするを送る」-(新米国語教師の昔取った杵柄79)

    高校の教科書で古文の短歌に酒が登場しないのは既に述べたとおりである。 『万葉集』を読む10-妻と酒をこよなく愛した歌人大友旅人-(新米国語教師の昔取った杵柄62) ところが、漢文には普通に酒が登場する。 今回取り上げる「元二の安西に使いするを送る」もその一つで

  • 「無い」を使わず「云う」を使う理由(それでも生きてゆく私329)

    明けましておめでとうございます。 本年も馬鹿馬鹿しいお話にお付き合いください。 私の文章を幾つかでも読んだことのある人は、「漢字の多い文章だな」と云う印象を受けると思うのだが、一字一句に敏感な人はこれだけ漢字を多用した文章に、ある漢字だけが殆ど登場しな

  • 伊藤敏博「サヨナラ模様」の寝技(本当は怖い昭和歌謡)

    これまで歌詞の意味が解ると怖くなる昭和歌謡を紹介してきたが、今回はチャンクの暴走によって「怖い歌」に変化してしまった歌である。 したがってこれは全く聴いている私の側の認知の問題であり、作詞者や歌っている人の問題ではないことを断っておく。 私が大学2回生の

  • 漢詩を読む1-杜甫「春望」-(新米国語教師の昔取った杵柄78)

    杜甫の春望は私の最も好きな詩の1つである。 これはまた父の愛誦歌でもあった。[書き下し文] 国破れて山河在り 城春にして草木(そうもく)深し 時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ 別れを恨みては鳥にも心を驚かす 烽火(ほうか)三月に連なり 家書(かしょ)万金(ばん

  • 欧陽菲菲-「ラヴ・イズ・オーヴァー」の暖かさ-(本当は怖い昭和歌謡)

    私が欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」を最初に聞いたのは大学に入ったばかりの時だったと思う。かれこれ45年くらい前である。 この歌手は私が小学生くらいに「雨の御堂筋」という歌でレコード大将(仮名)を獲得し、既に歌手としての名声を確立していた。 しかし、私

  • 西城秀樹-哀愁の「ブルースカイブルー」-(本当は怖い昭和歌謡)

    たまたまテレビを見ていたら、昭和歌謡で今年一番人気があった曲はどれか、という趣旨の番組をやっていた。視聴者の投票でこれを決めようというのである。 結果は予想通りで、美空ひばりの「川の流れのように」だった。私もこの歌に投票したので「してやったり」だった。

  • 「奥の細道」を読む3-平泉-(新米国語教師の昔取った杵柄77)

    さて、帰路の市振から唐突に始まったこの「『奥の細道』を読む」シリーズである。 これは「面白かった順に取り上げる」という自分ルールを突然決めた私((こういう人が上司だと部下は大変なんだよな。幸いにして万年ヒラだが)が、『奥の細道』を読んでこの項に最も心惹かれ

  • 「奥の細道」を読む2-人間だもの ばせを-(新米国語教師の昔取った杵柄76)

    さて、ばせを師匠と一緒に日本一周旅行に出てはみたものの(大嘘)、どうも旅程通りに道筋を辿ってしまうと面白くないことに気付いた。 読んでいるうちに上の瞼と下の瞼がチューしてしまいそうである。 そこでここは紀行文の読み方としては非常識だが、「面白かった順」に

  • 「市内」に行く私(九州ケンミンショー32)

    これは熊本県に限っての話なのか、それともどこの都道府県でもそうなのか、子供の頃から不思議に思っている言葉がある。 それは「市内」という言葉だ。 私は熊本県阿蘇市(当時阿蘇郡)の内牧と云う温泉街で生まれ、幼少期を阿蘇で過ごした。 これは父が阿蘇の小学校の教

  • 『奥の細道』を読む1-漂泊の思い1-日本一周への夢-(新米国語教師の昔取った杵柄75)

    「芭蕉句碑」というものがある。 字面だけ見れば、「ああ、松尾芭蕉が訪れて作句した場所に建てられた碑なんだな」と思ってしまいそうだが、ことはそれほど単純ではない。 たとえば、私はかつて2回この碑について取り上げたことがある。 一つは福岡県は久留米市にある芭

  • 『論語』を読む5-「史記」の孔子-(新米国語教師の昔取った杵柄74)

    この項を書くに当たって、「論語」と「史記孔子世家」を改めて読んでみた。 すると、「論語」はもちろんなのだが、「史記」の面白さに感じ入った。 「論語」や、孔子自身が思想を纏めたと自負している「春秋」を読んでさえ、注釈を読まなければなかなかその思想や人物

  • 『論語を読む』4-小人たち-(新米国語教師の昔取った杵柄73)

    「論語」には「君子」という言葉と対で「小人」という言葉が登場することが多い。「小人」は「しょうじん」と読み、「つまらない人間」という意味である。 よく考えてみれば「小人」が単独で登場することはないから、いわば「君子」の引き立て役である。 前に紹介した

  • 『論語』を読む3-人間孔子-(新米国語教師の昔取った杵柄72)

    多久聖廟の敷地には孔子世系譜がある。 これには孔子から後の子孫の名前が記してある。何でも孔子の子孫は2000,000人もいるのだそうだ。世界一長い系図としてギネスブックに乗ったこともあるという。 ただ、この石碑には孔子以前については何も刻まれていない。 仕方が

  • 『論語』を読む2-孔子とその弟子-(新米国語教師の昔取った杵柄71)

    多久聖廟には孔子の言葉が刻まれた数々の石碑がある。 父の好きだった言葉である。 徳は孤ならず、必ず隣あり。[現代誤訳] 正しい信念を持った人は一時的に孤立してもずっとそのままではない。必ず賛同し助力してくれる人が現れるものだ。 この言葉を私は18の時に読ん

  • 『論語』を読む1-結局ここに帰るのか-(新米国語教師の昔取った杵柄69)

    以下の文章は6年前に書いた紀行文だが、『論語』を理解するのに役に立ちそうなのでこのシリーズで再掲する。書かれた情報は、私の年齢など、2024年現在と変化している可能性があることをお断りしておく。 自分を客観視することは本当に難しい。 自分の年齢や性別や職業、

  • 私の農業入門記41-白菜の灰とダイヤモンド-(それでも生きてゆく私328)

    今までにいろいな野菜を栽培してきた私だが、山芋と並んで今まで一回も作ったことがない野菜があった。  それは白菜である。 じゃあシーアスパラガスや花山葵や山人参や甘草は作ったことがあるのか、と云われれば、これらの野菜も勿論ないのだが、これらは珍品に属する

  • 私の農業入門記40-形見のつくね芋-(それでも生きてゆく私327)

    飽きっぽい私の性格を知っている人はとっくに飽きて放り投げているだろうと思っているだろうことがある。(良くない日本語) それは野菜作りである。 野菜作りには根気がいる。マメな世話が要る。 だからどちらも持ち合わせていない私は一時的には凝ってももう野菜になど

  • 『平家物語』を読む2-何だか俗っぽくないか?「祇園精舎」-(新米国語教師の昔取った杵柄68)

    インバウンドの観光客が日本に殺到しているそうだが、彼らの好きそうな日本文化に『平家物語』がある。彼らは「サムライ」が好きであり、 『平家物語』はサムライのチャンバラの嚆矢をなす物語だからである。 外国人に限らず、当時の武士の必須アイテムである仏教思想が凝

  • 『平家物語』を読む1-日本女性史上最高の怪力は誰か-(新米国語教師の昔取った杵柄68)

    『平家物語』と云われて日本人の大部分が想起するのはこの話の冒頭部分だろう。[原文] 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理をあらわす。おごれる人も久し

  • 『十八史略』を読む8-鶏口牛後3-鶏口となるも牛糞となるなかれ-(新米国語教師の昔取った杵柄67)

    私が日本の1980年代最高のギャグマンガ家だと尊敬している人に「いしいへさいち(仮名)」という人がいる。 この人のデビュー作である『アルバ君(仮名)』は、私のように関西での安下宿生活を送った学生の「座右の書」であった(嘘)。 そもそもこの「いしいへさいち」という

  • 『十八史略』を読む7-鶏口牛後2-鶏口となるも牛後となるなかれ-(新米国語教師の昔取った杵柄66)

    さて、韓の全盛時代、昭侯のとき、遊説家の蘇秦がこの国を訪れる。 蘇秦と云えば縦横家の一派で合従策を唱えた論客である。 蘇秦については『戦国策』を取り上げたときに既にその経歴が現在常識とされているものとはかなり違うことを紹介したが、まずは『十八史略』の記

  • 『十八史略』を読む7-鶏口牛後1-韓という国-(新米国語教師の昔取った杵柄65)

    『万葉集』については一応昔から云いたかったことは云ったのでまた漢文に戻る。 『十八史略』である。 先に述べたようにこの本は歴史初学者のために纏められた入門書である。 『十八史略』を読む-『十八史略』という本-(新米国語教師の昔取った杵柄47) 入門書であるか

  • 『万葉集』を読む12-大伴家持のヒトとイエに引き裂かれた魂-(新米国語教師の昔取った杵柄64)

    お客様から身辺調査のご依頼のあった大友家持さん、結論から申し上げますと、とんだ「寂しんぼう」でしたぜ。[和歌] うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上がり心悲しもひとりし思えば[現代誤訳] 麗らかに陽の照っている春の日に野原の中から雲雀がピーチクピーチクと

  • 『万葉集』を読む11-大伴家持に関する素朴な疑問-(新米国語教師の昔取った杵柄63)

    私が大伴家持と云われて最初に思い浮かぶのは防人歌である。 ただ、『万葉集』に防人歌を多数収録したのは大伴家持である。 何故かと云えば、当たり前の話なのだが、大伴家持は『万葉集』の最も主要な編纂者なのである。 私が高校の時分に国語だか歴史だかで習ったのは

  • 『万葉集』を読む10-妻と酒をこよなく愛した歌人大友旅人-(新米国語教師の昔取った杵柄62)

    旅は人を詩人にする。 って、恋だったか。 しかし、故郷や普段住んでいる所と違う場所に移動するとき、人は色々なことを発見する。 王朝文学の主役は都である奈良や京都や大阪の在住の人たちであるから、彼らにとっては関西以外の場所に移動したとき多くの記録や記述が

  • 『万葉集』を読む9-社会派歌人山上憶良-(新米国語教師の昔取った杵柄61)

    さて、山上憶良には「帰りたい人」の他にもう一つの顔がある。 それが「社会派」である。 この長歌は学校で習うことはまずあるまい。 別に為政者が子供たちに社会の矛盾に気付いてほしくないという理由ではなく、長いからだ。 書きたい人が書きたいときに書き、読みた

  • 『万葉集』を読む8-「帰りたい人」山上憶良-(新米国語教師の昔取った杵柄60)

    山上憶良は子煩悩として有名である。 一方で『万葉集』随一の社会派としても知られる。 どちらの側面を強調して紹介しようかと思ったが、これはやはりどちらを落としてもこの歌人の人物像が完成しないことになるので、両方、となると、2回に分けて書く必要があるだろう。

  • 『万葉集』を読む7-富士山と山部赤人は不滅である-(新米国語教師の昔取った杵柄59)

    前回の冒頭の絵では「論語読みの論語知らず」ならぬ「人麻呂読みの人麻呂知らず」を茶化した訳だが、今回はそのネタに使われた山部赤人についてである。 山部赤人は柿本人麻呂と並び評される『万葉集』の代表的な歌人で、紀貫之は『古今集』の仮名序では[原文] 「人麿は

  • 『万葉集』を読む6-柿本人麻呂の謎-(新米国語教師の昔取った杵柄58)

    [和歌] 近江の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにしえ)思おゆ [現代誤訳] 琵琶湖で夕方立っている波の上を飛ぶ千鳥よ。お前が物悲しく鳴くと私の心はしぼなえてしまって天智天皇がここ近江に都を置かれていた昔のことが思い出されるものだ。 柿本人麻呂が琵琶湖

  • 『万葉集』を読む5-額田王観の変遷に戸惑う私-(新米国語教師の昔取った杵柄57)

    私が学校で最初に万葉集を習ったとき、まず先生が取り上げたのが次の歌だった。 中学だったか高校だったかはっきりしないが、中学だったような気がする。教えてくれたのは女性の先生だったからだ。  私の高校は司書1人と事務2人しか女性がいない「超男子校」だった。 

  • 『万葉集』を読む4-防人恋歌-(新米国語教師の昔取った杵柄56)

    15年戦争は数々の戦争小説や戦争映画を生んだが、その中でほとんど定番と云っていいくらいに描かれる場面がある。 それは内務班(AI君曰く:兵営内での平時の起居生活の最小単位)での出来事で、妻や恋人の写真を持っていることが判明した兵(たいてい新兵)が他の兵からから

  • 『万葉集』を読む3-防人歌それぞれ-(新米国語教師の昔取った杵柄55)

    やっと個々の防人歌の鑑賞までやってきた。 やはり最初に挙げたいのはこの歌である。[防人歌] 父母が頭(かしら)かき撫(な)で幸(さ)くあれて言いし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる[現代誤訳] 防人となって故郷を出発する日、見送る両親が私の頭をかきなでて「元気でいろよ」

  • 『万葉集』を読む2-防人歌の生まれた事情-(新米国語教師の昔取った杵柄54)

    既に一度書いたことがあるが、私は「同一民族が南北に分かれて争う時には北が勝つ 」というジンクスがあると思っている。東西については知らない。 たとえば、中国で云えば劉邦と項羽の漢楚の戦いは北の漢の勝利に終わった。 魏呉蜀の三国の争いは北の魏が南の呉を滅ぼし

  • 『万葉集』を読む-防人歌と国偲び歌-(新米国語教師の昔取った杵柄53)

    父は生涯を阿蘇の小学校の教師として過ごした人だった。 文学者としては、国立国会図書館に『葬りの丘』『野の鴉』という二つの歌集が収蔵されているから全く文才がなかったという訳ではないのだろうが、まあ無名と云っていい。 これは祖父が郷土熊本を舞台として活発な

  • 『十八史略』を読む6-隗より始めよ-(新米国語教師の昔取った杵柄52)

    話は始皇帝暗殺から遡ること85年、戦国七雄の1つ燕国で、太子平が昭王として立った。 父王が隣国斉に殺され、斉の傀儡となることが条件の即位であった。この時、燕は事実上の亡国状態だったのだ。 何とか国を再興し、斉に復讐して父の仇を討ちたい。 そのためには富国

  • 『十八史略』を読む5-隗より始めよ3-始皇帝暗殺-(新米国語教師の昔取った杵柄51)

    紀元前227年、燕国を出発した荊軻と秦舞陽は秦の都咸陽に着いた。 任務は秦王政の暗殺である。 政を誘き出すための2つのエサはやはり最高であった。  一つは領土の割譲、もう一つは秦王政の怒りを買って燕に亡命していた樊於期将軍の首である。 喜んだ秦王は二人の謁

  • 『十八史略』を読む4-隗より始めよ2-風蕭々として易水寒し-(新米国語教師の昔取った杵柄50)

    すみません。 あとちょっとだけ血腥い話にお付き合い下さい。  蘇秦の対斉合従策が見事に当たって「鉅燕(きょえん:大きな燕)」「全燕(ぜんえん:完全な燕)」と呼ばれる全盛時代を迎えた燕国だが、その隆盛は長くは続かなかった。 理由はお定まりの内紛である。 燕が

  • 『十八史略』を読む3-隗より始めよ1-燕という国-(新米国語教師の昔取った杵柄49)

    『十八史略』の紹介がいきなりドギツイ話になったので、もう少し思いやりのある話を紹介しよう。 特に私自身が現在定年後の臨時採用という立場なので、「思いやり雇用」というような心温まる話にしたい。無理矢理でも。  ただ、その前に、この話の舞台になった中国戦国

  • 『十八史略』を読む2-臥薪嘗胆-(新米国語教師の昔取った杵柄48)

    さて、『十八史略』が如何に簡にして要を得ているかを示すために「臥薪嘗胆」の部分を現代誤訳しようとしたのだが、書き下し文で意外に時間を取ってしまった。 次は現代誤訳である。 [書き下し文] 闔廬(こうりょ)伍員(ごうん)を挙げて、国事を謀(はか)らしむ。員(うん)

  • 『十八史略』を読む-『十八史略』という本-(新米国語教師の昔取った杵柄47)

    『十八史略』は歴史初学者のために纏められた入門書である。  その名の通り18の歴史書を略したものだ。今でいえば「2時間で読める中国史」という感じだろうか。 纏めたのは南宋の曾先之(そうせんし)であるから、取り上げられている時代は三皇五帝や夏という伝説の王朝時

  • 『枕草子』を読む5-中納言参りたまひて3-不良語訳-(新米国語教師の昔取った杵柄46)

    さて、「中納言」こと藤原隆家の人物像について知った後、私のこの「中納言参りたまひて」の段に関する印象は全く変わってしまった。 これは言葉遣いから変えなければ。 中宮定子は隆家の姉で家族だが、天皇の后だから本来隆家は定子に対して敬語を使わなければならない

  • 『枕草子』を読む4-中納言参りたまひて2-藤原隆家という人-(新米国語教師の昔取った杵柄45)

    いつもながら冒頭の絵と内容が全く関係ないことをお詫びします。 なるほど。 『枕草子』に登場する「中納言」について調べてみた。 面白い人物である。 名前は藤原隆家(たかいえ)。清少納言が仕えていた中宮定子の弟である。 定子は歴史上有名な藤原道長(みちなが)の

  • 『枕草子』を読む3-中納言参りたまひて1-自慢話以外の何なんだろう-(新米国語教師の昔取った杵柄44)

    さて、そろそろ夏休みも終わり、二学期の始まりである。 今これについて私は夏休みが終わりかけの小学生のような気分なので、多少でもモチベーションが上がるような文章を取り上げてみたい。 それが何で『枕草子』なのか、ということなのだが、正直この随筆は言葉の壁が

  • お盆熊本小旅行11-熊本の古い街並み-(河童日本紀行652)

    最後は私の旅行記・紀行文の例によってオムニバス風に取り留めもなく。 子飼の商店街。早朝だからまだどこも開いていない。 昔は正月の買い物と云えばここだったが。 亡くなった祖父も父も大晦日になると「子飼の商店街に行ってくる」と云って出かけていた。小さい頃か

  • お盆熊本小旅行10-新町停留場-(河童日本紀行651)

    さて、この小旅行の真の目的地である新町停留場にやってきた(今思いついたんだけどね)。 私はこの電停の存在を知った時から是非一度写真を撮りたいと思っていたのだが、慌ただしい日常に紛れて延び延びになっていたのだ。 この電停はそれだけ取れば特にこれといった特徴

  • お盆熊本小旅行9-明八橋・明十橋-(河童日本紀行650)

    大一高校(仮名)の正門前に設置されている古町医学校と熊本洋学校の石碑を読んでいるとき、「何時もの奴」がやってきた。 そう。父から受け継いだ「急な〇意」である。 日本の近代化についての思考はどこかに行ってしまい、頭の中を占めるのは「トイレどこ?」という切迫し

  • お盆熊本小旅行8.-熊本洋学校-(河童日本紀行649)

         熊本洋学校は古城医学校と同じく明治初年に御雇い外国人を指導者に据えて官立として作られた学校である。 大一高校(仮名)の正門前に記念碑がある。    指導者の名はジェーンズといった。  設立の目的は日本の近代化を担う人材の育成である。  当時近代化と云

  • 熊本お盆小旅行7-古城医学校-(河童日本紀行648)

    洗馬橋電停から「大一高校(仮名) 」に向かっていくとそこが古町である。 何せ「古い町」と書くくらいだから熊本でも最古の街並みなのだろう。 もちろん城下町である。 大一の構内からは熊本城の姿を見ることが出来る。 細川藩の家老屋敷などがあったそうだ。 正門近く

  • 熊本お盆小旅行6-洗馬橋異聞-(河童日本紀行647)

    隈本大学(仮名)にある五高記念館を外側だけ、あるいは周辺にある銅像・石碑だけ見学した私は、そこから自転車で20分ほどの距離にある洗馬橋電停付近までやってきた。  熊本では洗馬橋といえば狸である。 これは「あんたがたどこさ」という童謡(手毬歌)に由来している

  • 熊本お盆小旅行5-小泉八雲と五高-(河童日本紀行646)

    隈大(仮名)のキャンパス内には夏目漱石の他にもう一人、国民的な文学者と第五高等学校の関係を示すモニュメントがある。  小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)である。 なぜ左を向いているかといえば、幼少の頃失明した右眼を嫌い、写真に写らないようにしていたということ

  • 熊本お盆小旅行4-夏目漱石と五高-(河童日本紀行645)

    隈本大学(仮名)キャンパスの中にはあちらこちらに第五高等学校の痕跡が残っている。  この、「漱石」と書かれた銅像もその一つである。 銅像の隣には記念碑がある。[碑文] それ教育は建国の基礎にして、師弟の和熟は育英の大本なり。明治30年10月10日 教授 夏目金

  • 熊本お盆小旅行3-武夫原頭に草萌えて→易水流れ-(河童日本紀行643)

    やはり旧五高の校舎は良かった。 私はその周辺をもう少しウロウロしてみることにした。 「武夫原頭に草萌えて」と書いてある石碑を発見。 これは第五高等学校の校歌だったと思う。 また弊衣破帽の学生のレリーフが。 ところがこの歌、校歌ではないのだ。 元々日本の

  • 熊本お盆小旅行2-五高記念館-(河童日本紀行642)

    連休が始まってから3日後、私は停めてある自転車を熊本駅まで返すため、立田口駅に降り立った。 この駅までの交通手段は勿論電車である。私は自宅近くの駅から熊本駅まで通勤定期を持っているのだ。  最近は本当に便利な世の中で、この定期は「スゴイカ(仮名)」というカ

  • 熊本お盆小旅行-地震と衝動により小旅行決定-(河童日本紀行641)

    それは全く偶然に始まった小旅行だった。 話は3日ほど前に遡る。 夏休みの長期休暇を前にして、私は休み明けに困らないよう、その準備に追われていた。 定時ちょっと過ぎて、どうにか帰れるかな、と思っていた矢先、スマホが今まで聞いたことのないような不気味な警戒音

  • 「土佐日記」を読む3-哀悼と諧謔と、そして卑猥-(新米国語教師の昔取った杵柄43)

    結局のところ紀貫之が『土佐日記』において女性を装っているのは、実際にあった面白い話を皆に知ってもらいたいのだが、それが酔狂だったり卑猥だったり駄洒落だったりするために実名にする訳にいかなかったという事情からだということが、全文を読んでみて分かった。 つ

  • 「土佐日記」を読む2-正月十三日-(新米国語教師の昔取った杵柄42)

    取り敢えず「土佐日記」全文をつらつらと読むことにして読み流していくと、「あっ!」という個所を発見した。 なるほど、これもまた女性目線で書いたものでないと公表できないだろうな、という部分である。[原文] 十三日の暁にいささか小雨ふる。しばしありて止みぬ。男女

  • 「土佐日記」を読む1-馬のはなむけ-(新米国語教師の昔取った杵柄41)

    さて、これまた『方丈記』と同じく若い頃読んでどうしても面白いと思えなかった古典文学について語らなければならない(別に義務じゃないけどね)。 「土佐日記」である。 そもそも冒頭の一文から意味が分からない。[原文] 男もすなる日記というものを、女もしてみむとて

  • 「方丈記」を読む(新米国語教師の昔取った杵柄40)

    さて、「徒然草」「枕草子」と来たら「方丈記」に触れない訳にはいくまい。 何せこの3つの随筆は「日本三大随筆」に数えられているからだ。 だが、どうにも気が重い。 私はまだ18歳くらいの頃にこの3つの随筆を読んだのだ。 そして、前2者は言葉の壁さえ突き崩せば面

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